ID 国名 日付 年代 内容
DIA-601-1980-01-02-1アメリカ1980年01月02日1980年代米政府国家安全保障会議,ソ連のアフガン侵攻で駐ソ大使召還,対ソ報復措置検討。(注:以下,地点表示ないものはワシントンD.C.での出来事を意味する)。
DIA-601-1980-01-03-1アメリカ1980年01月03日1980年代カーター大統領,上院にSALTⅡ審議延期を要請。
DIA-601-1980-01-04-1アメリカ1980年01月04日1980年代カーター大統領,対ソ穀物輸出の一部停止,高度技術商品の輸出停止,モスクワ五輪ボイコット,対パキスタン軍事援助再開などの対ソ報復策発表。
DIA-601-1980-01-05-1アメリカ1980年01月05日1980年代(北京):ブラウン国防長官,中国訪問。コマー国防次官,ホルブルック国務次官補ら同行。
DIA-601-1980-01-06-1アメリカ1980年01月06日1980年代(北京):ブラウン国防長官,徐向前国防相の歓迎宴で,ソ連のアフガニスタン侵攻非難,米中両国の共通の利益を脅かすものがあれば,外交,防衛面での補完的行動で対応しうる,と述べる。
DIA-601-1980-01-07-1アメリカ1980年01月07日1980年代カーター大統領,パキスタンに対し西欧各国,工業先進国,中東諸国らによる国際支援団を計画と語る。またパキスタン大統領に軍事援助約束したと述べる。
DIA-601-1980-01-07-2アメリカ1980年01月07日1980年代ヘイワード海軍作戦部長,下士官不足で米海軍の作戦能力低下と語る(ワシントン・ポスト紙=以下WP1・8)。
DIA-601-1980-01-07-3アメリカ1980年01月07日1980年代(北京):ブラウン長官,耿副首相と会談。
DIA-601-1980-01-07-4アメリカ1980年01月07日1980年代インド総選挙でガンジー派圧勝。
DIA-601-1980-01-08-1アメリカ1980年01月08日1980年代(北京):ブラウン長官,鄧小平副首相と会談。この会談で同長官は,ソ連の脅威に対する米中両国の政策面での協調を主張した(読売1・9)。なおブラウン長官に同行する国防省報道官は,米国が中国に対し,資源衛星「ランドサットD」からの情報を受信できる地上局施設提供を受諾した,と発表。
DIA-601-1980-01-09-1アメリカ1980年01月09日1980年代(フロリダ):レーガン大統領候補,米軍の中東でのプレゼンス,アフガン・ゲリラ支援主張。
DIA-601-1980-01-09-2アメリカ1980年01月09日1980年代(北京):ブラウン長官・華国鋒主席と会談。ブラウン長官はこの夜の記者会見で,アフガン問題について米中はそれぞれ適当な対策をとると述べ,東南アジアでも両国の意見は一致したと語った。また中国への高度技術輸出については話し合いが進展したと述べた。なお同長官はこの日第6戦車師団演習を視察した。
DIA-601-1980-01-10-1アメリカ1980年01月10日1980年代(アンカラ):米・トルコ新防衛協定仮調印。
DIA-601-1980-01-12-1アメリカ1980年01月12日1980年代カーター大統領,バンス長官,アガ・シャヒ・パキスタン外交顧問と会談。なお米政府は同国に,4億ドルの援助計画を提示した(WP1・15)。
DIA-601-1980-01-12-2アメリカ1980年01月12日1980年代(平壌放送):朝鮮人民民主主義共和国,韓国首脳に対話よびかけ。
DIA-601-1980-01-13-1アメリカ1980年01月13日1980年代カーター大統領,イラン,アフガニスタンで,米国益擁護のため武力行使辞さぬ,と言明。
DIA-601-1980-01-13-2アメリカ1980年01月13日1980年代(東京):ブラウン国防長官訪日。
DIA-601-1980-01-14-1アメリカ1980年01月14日1980年代国務省,南北朝鮮対話への動きに好感表明。
DIA-601-1980-01-14-2アメリカ1980年01月14日1980年代(ホノルル):米,マーシャル諸島政府,内政・外交自治(国防除く)協定調印。
DIA-601-1980-01-14-3アメリカ1980年01月14日1980年代(東京):ブラウン長官,大平首相らと会談。日本の防衛予算増,パキスタン援助協力など求める。
DIA-601-1980-01-15-1アメリカ1980年01月15日1980年代バンス長官,ブレジンスキー補佐官,中東諸国との地域安全保障体制検討を公表。
DIA-601-1980-01-15-2アメリカ1980年01月15日1980年代(ソウル):ホルブルック次官補,金鍾泌らと会談。
DIA-601-1980-01-16-1アメリカ1980年01月16日1980年代(ソウル):ホルブルック,南北対話支持表明。
DIA-601-1980-01-16-2アメリカ1980年01月16日1980年代(ニューデリー):カーター,インド首相に親書。
DIA-601-1980-01-17-1アメリカ1980年01月17日1980年代(ラワルピンジ):パキスタン大統領,米の4億ドル援助はピーナツと批判,また米基地拒否。
DIA-601-1980-01-18-1アメリカ1980年01月18日1980年代国務省,パキスタンとの59年防衛協定の条約化拒否,しかし同協定を強く再確認と同国に伝達と発表。
DIA-601-1980-01-20-1アメリカ1980年01月20日1980年代カーター,モスクワ五輪ボイコット発表。
DIA-601-1980-01-20-2アメリカ1980年01月20日1980年代カーター,パキスタン防衛に武力行使用意と。
DIA-601-1980-01-21-1アメリカ1980年01月21日1980年代カーター,一般教書報告議会送付。
DIA-601-1980-01-21-2アメリカ1980年01月21日1980年代バンス長官,上院外交委で,関係国と調整つくまでパキスタン援助の議会要請延期と言明。
DIA-601-1980-01-21-3アメリカ1980年01月21日1980年代(マニラ):ウルフ下院議員,先週ベトナム訪問の米議員団要請の不明米人再調査をベトナム拒否と言明。
DIA-601-1980-01-21-4アメリカ1980年01月21日1980年代(北京):プレス米大統領科学顧問ら訪中。
DIA-601-1980-01-23-1アメリカ1980年01月23日1980年代カーター,一般教書演説。ソ連のペルシア湾支配許さぬ,と中東安保構想表明。
DIA-601-1980-01-24-1アメリカ1980年01月24日1980年代国防省,中国への早期警戒レーダーなど軍事転用可能技術の売却用意と発表。
DIA-601-1980-01-24-2アメリカ1980年01月24日1980年代上下両院,米中貿易協定可決(最恵国待遇供与等)。
DIA-601-1980-01-24-3アメリカ1980年01月24日1980年代レーガン氏,パキスタンへの米兵派遣主張。
DIA-601-1980-01-24-4アメリカ1980年01月24日1980年代(北京):米中科学技術合同委第一回会議。米衛星地上局建設協定など調印。
DIA-601-1980-01-26-1アメリカ1980年01月26日1980年代米五輪委,モスクワ不参加決定。
DIA-601-1980-01-28-1アメリカ1980年01月28日1980年代カーター,81年度予算議会提出。
DIA-601-1980-01-29-1アメリカ1980年01月29日1980年代ブラウン長官,81年度国防報告。ジョーンズ統合参謀議長,米軍事態勢報告。
DIA-601-1980-01-30-1アメリカ1980年01月30日1980年代(ニューデリー):クリフォード大統領特使,インド外相と会見。
DIA-601-1980-01-31-1アメリカ1980年01月31日1980年代カーター大統領,オーストラリア首相と会談。
DIA-601-1980-01-31-2アメリカ1980年01月31日1980年代(フロリダ):レーガン氏,カーターはペルシア湾防衛であいまいと非難,パキスタン核開発阻止よりも同国強化せよ,と主張(WP2・1)。
DIA-601-1980-01-31-3アメリカ1980年01月31日1980年代(ニューデリー):クリフォード・インド首相会談。
DIA-601-1980-02-01-1アメリカ1980年02月01日1980年代(イスラマバード):ブレジンスキー米大統領補佐官,パキスタン訪問。
DIA-601-1980-02-01-2アメリカ1980年02月01日1980年代(ニューデリー):消息筋,クリフォード米特使,インドに高度兵器売却用意と申し入れ,と(WP2・2)。
DIA-601-1980-02-02-1アメリカ1980年02月02日1980年代(イスラマバード):ブレジンスキー補佐官,パキスタン大統領と会談。
DIA-601-1980-02-02-2アメリカ1980年02月02日1980年代(リヤド):リノウィッツ米特使,サウジアラビアのファハド皇太子と会見。
DIA-601-1980-02-03-1アメリカ1980年02月03日1980年代(イスラマバード):ブレジンスキー補佐官,パキスタン首脳との会談終える。4億ドル援助問題では不一致,継続協議とする。共同声明でソ連のアフガン侵攻を非難。同補佐官,アフガン難民キャンプ視察。
DIA-601-1980-02-04-1アメリカ1980年02月04日1980年代米海洋大気局,米中合同海洋調査計画発表。
DIA-601-1980-02-04-2アメリカ1980年02月04日1980年代(リヤド):ブレジンスキー補佐官,サウジアラビア訪問,サウド外相と会談。
DIA-601-1980-02-05-1アメリカ1980年02月05日1980年代国務省,人権報告公表。
DIA-601-1980-02-05-2アメリカ1980年02月05日1980年代(リヤド):ブレジンスキー補佐官,ファハド皇太子らと会談。サウジ側,米のペルシア湾の軍事的存在に同情的と米同行筋(WP2・6)。
DIA-601-1980-02-06-1アメリカ1980年02月06日1980年代カーター,ブレジンスキー補佐官,クリフォード特使と会談。ホワイトハウス筋,パキスタン援助の緊急性失なわれた,と語る(WP2・7)。
DIA-601-1980-02-06-2アメリカ1980年02月06日1980年代ロング太平洋軍司令官,新たに太平洋に空母2隻追加を上院軍事委で要請。
DIA-601-1980-02-07-1アメリカ1980年02月07日1980年代国務省,イラン経済制裁たなあげ発表。
DIA-601-1980-02-08-1アメリカ1980年02月08日1980年代カーター,女性も兵役登録対象とすると発表。
DIA-601-1980-02-09-1アメリカ1980年02月09日1980年代(リヤド):サウジアラビア外相,外国軍,外国軍基地認めぬ,と声明。
DIA-601-1980-02-10-1アメリカ1980年02月10日1980年代(シンガポール):アジア・太平洋米大使会議。ロング太平洋軍司令官,ホルブルック次官補ら出席。
DIA-601-1980-02-11-1アメリカ1980年02月11日1980年代(バンコク):ホルブルック次官補ら訪タイ。
DIA-601-1980-02-12-1アメリカ1980年02月12日1980年代(ニューヨーク・タイムス=以下NYT):米政府当局者,オマーン,ケニア,ソマリアが先週米政府代表団に,各国の軍事基地の米軍による使用を認めた,と述べたと報ず。
DIA-601-1980-02-12-2アメリカ1980年02月12日1980年代NYT紙,カーター大統領が最近,沖縄の海兵1個大隊(1800人)に,アララビア海出動命令と報道。
DIA-601-1980-02-12-3アメリカ1980年02月12日1980年代(シンガポール):ロング太平洋軍司令官,米軍は太平洋軍の中近東,インド洋派遣を決定し,友好諸国と基地交渉中と言明。
DIA-601-1980-02-12-4アメリカ1980年02月12日1980年代(クアラルンプール):ヒュー米太平洋空軍司令官,マレーシア訪問。
DIA-601-1980-02-13-1アメリカ1980年02月13日1980年代カーター,イラン人質解決に明るい兆し,と。
DIA-601-1980-02-13-2アメリカ1980年02月13日1980年代国防省,第7艦隊の海兵隊1800人,3月中旬ハワイからアラビア海派遣と発表。沖縄部隊含まず。
DIA-601-1980-02-13-3アメリカ1980年02月13日1980年代米政府,ILO復帰。
DIA-601-1980-02-15-1アメリカ1980年02月15日1980年代ブレジンスキー補佐官,イランが人質解放すれば武器輸出再開と言明。
DIA-601-1980-02-15-2アメリカ1980年02月15日1980年代(マサチューセッツ州):レーガン氏,ペルシア湾・中東での米国益防衛のため米軍事的存在強化,基地設置を主張。
DIA-601-1980-02-15-3アメリカ1980年02月15日1980年代(ジャカルタ):ホルブルック次官補ら,インドネシア訪問。
DIA-601-1980-02-17-1アメリカ1980年02月17日1980年代WP紙,米軍のパイロット不足深刻と報ず。
DIA-601-1980-02-19-1アメリカ1980年02月19日1980年代ブラウン長官,下院で,友好地域での米兵器貯蔵計画への支持求める(WP2・20)。
DIA-601-1980-02-20-1アメリカ1980年02月20日1980年代(ニューヨーク):シアヌーク殿下訪米。
DIA-601-1980-02-21-1アメリカ1980年02月21日1980年代ブレジンスキー補佐官,ソ連のペルシア湾侵攻あれば,米は他地域での戦端開くことも可能と言明。
DIA-601-1980-02-21-2アメリカ1980年02月21日1980年代アフガニスタンのカブールで全商店スト。
DIA-601-1980-02-22-1アメリカ1980年02月22日1980年代国務省報道官,日本の防衛費増望む,と発言。
DIA-601-1980-02-22-2アメリカ1980年02月22日1980年代(モスクワ):ブレジネフ書記長,アフガニスタンへの米干渉なくならねばソ軍撤兵せぬ,と。なおこの日カブールで戒厳令,米人1人逮捕さる。
DIA-601-1980-02-23-1アメリカ1980年02月23日1980年代国務省,ブレジネフのアフガン演説拒否。
DIA-601-1980-02-23-2アメリカ1980年02月23日1980年代(テヘラン):国連調査委代表団,イラン入り。なおこの日,ホメイニ師は人質問題決定は近く選出の国民議会に委ねると声明。
DIA-601-1980-02-24-1アメリカ1980年02月24日1980年代カーター大統領,イラン人質で進展期待表明。
DIA-601-1980-02-25-1アメリカ1980年02月25日1980年代国務省,エジプトへのF16戦闘機40機,戦車(M60A3)250両,売却発表。
DIA-601-1980-02-25-2アメリカ1980年02月25日1980年代(ソウル):金大中,金鍾泌,金泳三の初会合,グライスティーン米大使も出席。
DIA-601-1980-02-26-1アメリカ1980年02月26日1980年代ニューハンプシャーで米大統領予備選挙。カーター,レーガンが勝つ。
DIA-601-1980-02-26-2アメリカ1980年02月26日1980年代カーター大統領,チトー・ユーゴ大統領に書簡。同書簡のなかで,ソ連軍撤兵すればアフガニスタン中立支持と述べる。
DIA-601-1980-02-27-1アメリカ1980年02月27日1980年代国務省筋,パキスタンが核開発中との情報入手と語る(NYT2・28)。
DIA-601-1980-02-27-2アメリカ1980年02月27日1980年代ANZUS会議,インド洋海軍力強化で一致。
DIA-601-1980-02-27-3アメリカ1980年02月27日1980年代(北京):米より入手のボーイング747到着。
DIA-601-1980-02-28-1アメリカ1980年02月28日1980年代プラウン長官,米国のパキスタン軍援助兵器がアフガン・ゲリラに使われている可能性あると言明(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン=IHT2・29)
DIA-601-1980-02-29-1アメリカ1980年02月29日1980年代米当局者アフガニスタンのソ連軍は長期駐留を準備中と語る。
DIA-601-1980-02-29-2アメリカ1980年02月29日1980年代国務省,韓国政府の金大中氏公民権回復歓迎声明。
DIA-601-1980-02-29-3アメリカ1980年02月29日1980年代(モスクワ):「タス」,中東石油の公平な入手で東西交渉提案。
DIA-601-1980-03-01-1アメリカ1980年03月01日1980年代(ソウル):米韓合同「チーム・スピリット80」演習開始。
DIA-601-1980-03-01-2アメリカ1980年03月01日1980年代(国連):米,安保理で,イスラエルのヨルダン川西岸入植地解体決議に賛成票。
DIA-601-1980-03-03-1アメリカ1980年03月03日1980年代カーター,国連でのイスラエルの西岸入植地解体決議への米賛成は間違いだったと声明。
DIA-601-1980-03-04-1アメリカ1980年03月04日1980年代ブラウン国防長官,上院軍事委メンバーに,カーター政権は軍事予算節約措置とらぬと言明。
DIA-601-1980-03-05-1アメリカ1980年03月05日1980年代クレイアー国防次官,緊急部隊について,6月に海軍と民間艦船7隻をインド洋に派遣,夏までに海兵1万人と戦闘機6~7中隊を南西アジアに派遣する態勢整えると議会で証言。
DIA-601-1980-03-05-2アメリカ1980年03月05日1980年代(イスラマバード):アガ・シャヒ外交顧問,パキスタンは4億ドルの米援助拒否と議会で言明。
DIA-601-1980-03-06-1アメリカ1980年03月06日1980年代ブレジンスキー補佐官,パキスタンの米援助拒否を確認。
DIA-601-1980-03-06-2アメリカ1980年03月06日1980年代ニミッツ国務次官,上院支出小委で,五千万ドルの使途未定対外援助基金要請(緊急対応用)。
DIA-601-1980-03-06-3アメリカ1980年03月06日1980年代トラクスラー下院議員,輸入車制限法案提出。
DIA-601-1980-03-06-4アメリカ1980年03月06日1980年代国務省報道官,ソ連,アフガン長期駐留準備,と。
DIA-601-1980-03-07-1アメリカ1980年03月07日1980年代下院小委公聴会で日本車輸入制限論続出。
DIA-601-1980-03-08-1アメリカ1980年03月08日1980年代カーター,イランと米との関係で,若干の遺憾の意表明用意との説(WP紙3・9)。
DIA-601-1980-03-09-1アメリカ1980年03月09日1980年代米,早期レーダー警戒機(AWACS)をエジプトからペルシア湾岸に移す(NYT紙3・10)。
DIA-601-1980-03-10-1アメリカ1980年03月10日1980年代(テヘラン):ホメイニ師,国連調査委の米人質会見拒否。革命評議会,人質の政府移管尚早と決定。
DIA-601-1980-03-11-1アメリカ1980年03月11日1980年代(テヘラン):国連調査団,イラン出国。
DIA-601-1980-03-11-2アメリカ1980年03月11日1980年代(イスラマバード):ハンメル米大使,パキスタン外務省に,経済援助2億ドルを軍事援助2億ドルときりはなし供与用意と通告(NYT紙3・12)。
DIA-601-1980-03-12-1アメリカ1980年03月12日1980年代カーター,米企業に五輪用品の対ソ禁輪要望。
DIA-601-1980-03-12-2アメリカ1980年03月12日1980年代下院外交委,CIA秘密活動議会報告義務縮小。
DIA-601-1980-03-12-3アメリカ1980年03月12日1980年代ブレジンスキー補佐官,北朝鮮のソ連からの独立を示す徴候は何でも米にとり望ましいと表明,またパキスタンが第一線援助をイスラム諸国から,経済援助を米からえることは望ましいと言明(WP紙3・13)。
DIA-601-1980-03-13-1アメリカ1980年03月13日1980年代国防省,エジプトへのM60A3戦車244両売却発表。
DIA-601-1980-03-14-1アメリカ1980年03月14日1980年代カーター,総合インフレ対策発表。
DIA-601-1980-03-14-2アメリカ1980年03月14日1980年代カーター,米国益に合致せねばSALTⅡ廃棄と。
DIA-601-1980-03-15-1アメリカ1980年03月15日1980年代(北京):米TVAのフリーマン会長,中国と水力発電,揚子江調査協力協定調印(新華社)。
DIA-601-1980-03-17-1アメリカ1980年03月17日1980年代国務省,中国へのCI30軍用輸送機,早期警戒レーダーなど軍需品売却許可を公表。
DIA-601-1980-03-17-2アメリカ1980年03月17日1980年代章文晋中国外務次官,バンス国務長官と会談。
DIA-601-1980-03-17-3アメリカ1980年03月17日1980年代国防省,米海兵1800人を乗せた米艦船6隻,インド洋入り,インド洋の米艦船31隻になったと発表。
DIA-601-1980-03-17-4アメリカ1980年03月17日1980年代(WP紙3・17):エドワード下院議員の調査では,部品代不足のため,米空軍F15イーグル機,海軍F14トムキャットの各53%のみが昨年戦闘可能,と。
DIA-601-1980-03-18-1アメリカ1980年03月18日1980年代米政府,電算機等の対ソ輸出禁止。
DIA-601-1980-03-18-2アメリカ1980年03月18日1980年代日本自衛艦参加のリムパック演習終了。
DIA-601-1980-03-18-3アメリカ1980年03月18日1980年代下院小委公聴会で米通商代表,日本自動車メーカーの対米進出要請。
DIA-601-1980-03-20-1アメリカ1980年03月20日1980年代章文晋中国外務次官,モンデール副大統領,バンス長官と会談。
DIA-601-1980-03-20-2アメリカ1980年03月20日1980年代大来外相,ブラウン長官,バンス長官,ブレジンスキー補佐官と会見。日米防衛協力など協議。
DIA-601-1980-03-20-3アメリカ1980年03月20日1980年代(ノーホーク):米太西洋艦隊航空隊司令官,海軍第一線機の半数のみが実戦飛行可能と言明(AP)。
DIA-601-1980-03-21-1アメリカ1980年03月21日1980年代カーター大統領,大来外相と会見。
DIA-601-1980-03-21-2アメリカ1980年03月21日1980年代(サンジェゴ):米中協力の米海洋調査船出港。
DIA-601-1980-03-22-1アメリカ1980年03月22日1980年代ワシントンで3万人の徴兵反対デモ。
DIA-601-1980-03-23-1アメリカ1980年03月23日1980年代(パナマ):イラン前国王,カイロに向う。
DIA-601-1980-03-23-2アメリカ1980年03月23日1980年代(カンサス州):レーガン氏,シャーのエジプト入り支持表明。
DIA-601-1980-03-24-1アメリカ1980年03月24日1980年代ホルブルック国務次官補,下院小委での証言で,ベトナム軍はカンボジアでクメール・ルージュ軍を一掃しうる見通しはなく,全面撤兵か無期限駐留を迫られていると述べるとともに,戦闘のタイ領への拡大に懸念表明(UPI)。同次官補はまた,ソ連軍のダナン,カムラン湾利用に懸念を表明した(読売3・25)。
DIA-601-1980-03-24-2アメリカ1980年03月24日1980年代(バンコク):アマコスト国務次官補代理は先週,米議会に対し,東南アジアに対する81年度分の防衛援助9190万ドルを要請した。うちタイは5千万ドル分(AFP)。
DIA-601-1980-03-25-1アメリカ1980年03月25日1980年代国防省,エジプトへの装甲車550台など1億4240万ドル売却を議会に通告。
DIA-601-1980-03-25-2アメリカ1980年03月25日1980年代(ソウル):韓国,北スパイ船撃沈発表。
DIA-601-1980-03-26-1アメリカ1980年03月26日1980年代ミラー財務長官,下院小委で,ベトナムへの国際機関による借款供与に反対継続と言明(WP3・27)。
DIA-601-1980-03-27-1アメリカ1980年03月27日1980年代ホルブルック次官補,スパイ事件で南北朝鮮対話の失敗に懸念表明。
DIA-601-1980-03-28-1アメリカ1980年03月28日1980年代カーター,イラン人質早期解決望めぬ,と。
DIA-601-1980-03-28-2アメリカ1980年03月28日1980年代カーター,五輪用物資対ソ禁輸発表。
DIA-601-1980-03-28-3アメリカ1980年03月28日1980年代ソマリア大統領,対米基地提供公表。
DIA-601-1980-03-29-1アメリカ1980年03月29日1980年代(アンカラ):米・トルコ基地使用協定調印。
DIA-601-1980-03-29-2アメリカ1980年03月29日1980年代(テヘラン):ホメイニ事務所,米の過去の罪わびるカーター親書公表。
DIA-601-1980-03-30-1アメリカ1980年03月30日1980年代ホワイトハウス,カーター親書の存在否定。
DIA-601-1980-04-01-1アメリカ1980年04月01日1980年代カーター大統領,イランへの謝罪説否定。
DIA-601-1980-04-01-2アメリカ1980年04月01日1980年代ホルブルック国務次官補,ベトナムがカンボジア民族をベトナムの少数民族化しようとしていると非難,緊急国際会議を提唱(読売4・3)。
DIA-601-1980-04-02-1アメリカ1980年04月02日1980年代コマー国防次官は中東の米基地について下院外交委で,オーマンに5ヵ所,ケニアに3ヵ所,ソマリアに2ヵ所を使用する計画と述べた。
DIA-601-1980-04-04-1アメリカ1980年04月04日1980年代米「精米協会」,日本米のダンピングで大統領の報復求める提訴。
DIA-601-1980-04-06-1アメリカ1980年04月06日1980年代(NYT紙):米政府当局者,米統合参謀本部,10億ドルの予算で今後数年内にジエゴガルシア島にB52発着施設など建設計画中,と語る。またオーマンは,米軍輸送機の週2回同国内空港への寄港認む,と。
DIA-601-1980-04-07-1アメリカ1980年04月07日1980年代米政府,対イラン断交声明。ホメイニ師の人質政府移管拒否で決定。
DIA-601-1980-04-08-1アメリカ1980年04月08日1980年代カーター,サダト・エジプト大統領と会談。
DIA-601-1980-04-08-2アメリカ1980年04月08日1980年代(デトロイト):全米自動車労組フレーザー会長,自動車輸入制限主張。
DIA-601-1980-04-09-1アメリカ1980年04月09日1980年代バンス国務長官,西側25ヵ国大使に,1対イラン制裁への協力要請。
DIA-601-1980-04-09-2アメリカ1980年04月09日1980年代カーター・サダト会談,自治交渉促進で合意。
DIA-601-1980-04-10-1アメリカ1980年04月10日1980年代カーター,対イラン制裁,同盟国の反応に失望表明。
DIA-601-1980-04-10-2アメリカ1980年04月10日1980年代(NYT紙):米政府,パキスタン支援のため,対米繊維輸出への対抗関税撤廃決定。
DIA-601-1980-04-11-1アメリカ1980年04月11日1980年代(WP4・26):カーター,モンデール,ターナーCIA長官,ブレジンスキー補佐官は,この日,イラン人質救出軍事作戦を決定した。
DIA-601-1980-04-11-2アメリカ1980年04月11日1980年代米海軍で下級将校不足2万人,ノーホーク港で初めて現役船が人手不足で出港不能となる(WP4・12)。
DIA-601-1980-04-12-1アメリカ1980年04月12日1980年代カーター,5月はじめまでに同盟国の対イラン断交期待表明,またはじめて武力行使示唆(WP4・13)。
DIA-601-1980-04-12-2アメリカ1980年04月12日1980年代コマー国防次官,米国はオーマン,ケニア,ソマリアの米基地ではできるだけ目立たぬ姿勢を保ち,各基地(10ヵ所)には基地要員として15人から100人の米人が駐留すると下院外交小委で発言(WP4・13)。
DIA-601-1980-04-12-3アメリカ1980年04月12日1980年代米五輸委,モスクワ・ボイコット決定。
DIA-601-1980-04-12-4アメリカ1980年04月12日1980年代(東京):日米,日本米輸出問題で合意。
DIA-601-1980-04-14-1アメリカ1980年04月14日1980年代(ブリュッセル):コマー国防次官,NATO防衛委で,イラン情勢などのため,今後西欧向け予定の米増援軍をインド洋地域に派遣するとして,西欧の軍事力増強を要請(朝日4・16)。
DIA-601-1980-04-15-1アメリカ1980年04月15日1980年代カーター,ベギン・イスラエル首相と会談。
DIA-601-1980-04-15-2アメリカ1980年04月15日1980年代国防省,ソ連海兵隊400人がイワン・ロゴフ号で14日,インド洋入りと発表。
DIA-601-1980-04-15-3アメリカ1980年04月15日1980年代(北京):米中航空協定協議開始。
DIA-601-1980-04-16-1アメリカ1980年04月16日1980年代カーター・ベギン会談,米・エジプト・イスラエル交渉の早期再開で合意。
DIA-601-1980-04-17-1アメリカ1980年04月17日1980年代カーター大統領,イランへの新制裁措置実施,これと同盟国の努力が失敗すれば,次の手段は軍事行動となろうと全米向け記者会見で言明。
DIA-601-1980-04-17-2アメリカ1980年04月17日1980年代クレーター国防副長官,上院軍事委で,インド洋にいる米空母2隻は,予見しうる将来にわたり常駐化させると言明,これによる米海軍の空母不足には退役艦の復帰などが検討されていると述べる(朝日4・19)。
DIA-601-1980-04-19-1アメリカ1980年04月19日1980年代(ソウル):チーム・スピリット演習終了。
DIA-601-1980-04-20-1アメリカ1980年04月20日1980年代(ロサンゼルス・タイムス紙):レーガン,国防・外交ブレーン任命。
DIA-601-1980-04-21-1アメリカ1980年04月21日1980年代ダンカン・エネルギー長官,原油戦略備畜1年間停止と言明。
DIA-601-1980-04-21-2アメリカ1980年04月21日1980年代(ホノルル):マルコス比大統領,米新聞発行者協会総会で演説。
DIA-601-1980-04-22-1アメリカ1980年04月22日1980年代(NYT紙):米,オーマン,ケニアと基地使用協定調印。
DIA-601-1980-04-22-2アメリカ1980年04月22日1980年代下院,徴兵登録法可決。
DIA-601-1980-04-23-1アメリカ1980年04月23日1980年代パーシー,チャーチ上院議員ら,米穀物買付け,ペルシア湾岸援助要望で大平首相に書簡送る。
DIA-601-1980-04-23-2アメリカ1980年04月23日1980年代(ハバナ):キューバ,米への大量移住許可。
DIA-601-1980-04-25-1アメリカ1980年04月25日1980年代カーター大統領,イラン米人質救出作戦の失敗を公表。レーガン氏,人質作戦支持表明。
DIA-601-1980-04-27-1アメリカ1980年04月27日1980年代ブレジンスキー補佐官,対イラン長期軍事作戦は同盟国と事前協議するとテレビで発言。
DIA-601-1980-04-28-1アメリカ1980年04月28日1980年代バンス国務長官,イラン作戦に抗議し辞任。
DIA-601-1980-04-28-2アメリカ1980年04月28日1980年代(マニラ):マルコス大統領,米より帰国。
DIA-601-1980-04-29-1アメリカ1980年04月29日1980年代カーター,国務長官にマスキー上院議員指名。
DIA-601-1980-04-30-1アメリカ1980年04月30日1980年代大平首相,ワシントン入り。
DIA-601-1980-04-30-2アメリカ1980年04月30日1980年代(テキサス):レーガン,カーター人質釈放に何ヵ月も行動しなかったと非難。
DIA-601-1980-05-01-1アメリカ1980年05月01日1980年代日米首脳会議。大平首相はこの朝,米議会指導者と会談,正午すぎよりカーター大統領と会談,国際情勢,日米防衛,自動車貿易問題などを協議した。
DIA-601-1980-05-04-1アメリカ1980年05月04日1980年代チトー・ユーゴ大統領死去。
DIA-601-1980-05-06-1アメリカ1980年05月06日1980年代米核規制委,ウエスチングハウス社原子力発電所のフィリピンへの輸出許可。
DIA-601-1980-05-07-1アメリカ1980年05月07日1980年代上院,マスキー国務長官承認。
DIA-601-1980-05-07-2アメリカ1980年05月07日1980年代米政府,インドへの濃縮ウラン40トン輸出を決定,原子力規制委に許可申請。
DIA-601-1980-05-08-1アメリカ1980年05月08日1980年代マスキー国務長官就任。
DIA-601-1980-05-08-2アメリカ1980年05月08日1980年代(マニラ):アキノ元上院議員,米国へ向う。
DIA-601-1980-05-09-1アメリカ1980年05月09日1980年代(フィラデルフィア):カーター大統領,世界情勢協議会での演説で,外交の基本目標として,①同盟国との団結強化,②第三世界との協力確立,③中東での平和達成,④南西アジアなどの戦略的利益の防衛,⑤軍縮,特にソ連との戦略兵器制限をあげ,当面の目標としてはソ連軍のアフガニスタン撤退,イラン人質解放を指摘した(読売5・10)。
DIA-601-1980-05-13-1アメリカ1980年05月13日1980年代(ソウル):韓国軍,北朝鮮の脅威理由に午前0時より1時間半非常警戒入り。
DIA-601-1980-05-13-2アメリカ1980年05月13日1980年代(ワシントン):国務省,北朝鮮内に異常な部隊移動なし,攻撃切迫なしと声明。
DIA-601-1980-05-14-1アメリカ1980年05月14日1980年代カーター,自動車産業労使と会談。
DIA-601-1980-05-14-2アメリカ1980年05月14日1980年代(ソウル):3万人の学生反政府デモ。光州でも。
DIA-601-1980-05-14-3アメリカ1980年05月14日1980年代(ブリュッセル):NATO外相・国防相会議,米軍の中東方面派遣に備え西欧地域諸国の防衛力強化合意。
DIA-601-1980-05-16-1アメリカ1980年05月16日1980年代(ウイーン):マスキー国務長官,グロムイコ・ソ連外相と会談。
DIA-601-1980-05-16-2アメリカ1980年05月16日1980年代(ワシントン):米原子力規制委,インドへの核燃料輸出反対決定。
DIA-601-1980-05-16-3アメリカ1980年05月16日1980年代(東京):衆院大平内閣の不信任可決。
DIA-601-1980-05-17-1アメリカ1980年05月17日1980年代(ソウル):韓国全土に非常戒厳令。
DIA-601-1980-05-18-1アメリカ1980年05月18日1980年代国務省,韓国戒厳令拡大に深い憂慮の声明。
DIA-601-1980-05-19-1アメリカ1980年05月19日1980年代(ホノルル):ヒューズ太平洋空軍司令官,西側記者との会見で,7月より沖縄に空中警戒統制機E3A(AWACS)3機を配備すると言明,またソ連のバックファイアー爆撃機の極東配備,TU95機のベトナム派遣に懸念を表明した(朝日5・21)。
DIA-601-1980-05-20-1アメリカ1980年05月20日1980年代マスキー長官,韓国の民主化から逸脱する傾向を深く憂慮すると言明(朝日5・21)。
DIA-601-1980-05-20-2アメリカ1980年05月20日1980年代財務省,トラック関税,4%から25%に引上げ。
DIA-601-1980-05-21-1アメリカ1980年05月21日1980年代下院,81年国防予算支出1530億ドル可決(前年度比25%アップ)。
DIA-601-1980-05-21-2アメリカ1980年05月21日1980年代下院,アジア開銀への3.78億ドル支出可決。
DIA-601-1980-05-21-3アメリカ1980年05月21日1980年代(ソウル):光州市で20万人の反政府デモ,軍と衝突。なおこの日のソウル発WP紙特派員電は,消息筋の情報として,米国は韓国軍指導部に対し,在韓米軍撤兵のような,何らかの重大な圧力をかけることを計画していないと伝えている。
DIA-601-1980-05-21-4アメリカ1980年05月21日1980年代(ワシントン)国務省報道官,米は韓国当局者に自制と忍耐を求めるメッセージ送付したと言明。
DIA-601-1980-05-22-1アメリカ1980年05月22日1980年代カーター大統領,ブラウン国防長官,上院軍事委に書簡を送り,下院の国防予算増は米経済に負担をかけ,人権費,経常費の減少,人手不足を生む,と警告(WP5・23)。
DIA-601-1980-05-22-2アメリカ1980年05月22日1980年代(マニラ):米比安全保障協議会。
DIA-601-1980-05-22-3アメリカ1980年05月22日1980年代マスキー長官,ブラウン長官ら韓国情勢協議。
DIA-601-1980-05-22-4アメリカ1980年05月22日1980年代国防省報道官,米韓合同軍の一部を治安維持に使用との韓国の申入れ承認したと言明。また沖縄にE3A警戒機2機を緊急配備したことを明らかにした。
DIA-601-1980-05-23-1アメリカ1980年05月23日1980年代国務省,石油の戦略備畜再開発表。
DIA-601-1980-05-25-1アメリカ1980年05月25日1980年代(NYT紙5・25):カーター政権は先月,インド洋での米軍増強と極東ソ連軍への対応のため,欧州でのソ連の攻撃に際し,極東米軍を欧州に派遣するという「スイング」戦略の放棄を決定した,と報ず。
DIA-601-1980-05-25-2アメリカ1980年05月25日1980年代耿中国副首相(党中央軍事委秘書長)訪米。
DIA-601-1980-05-26-1アメリカ1980年05月26日1980年代米政府当局者,韓国情勢をサイゴン陥落以来アジアの米同盟国にとり最大の危機と言明,反乱拡大・軍内反乱への懸念から,事態早期鎮圧のため光州への予備4ヵ連隊の派遣を許可したと述べる(WP5・27)。
DIA-601-1980-05-26-2アメリカ1980年05月26日1980年代(WP紙5・26):サダト大統領,米兵器の事前エジプト配備を提案。
DIA-601-1980-05-27-1アメリカ1980年05月27日1980年代(ソウル発):韓国戒厳軍,光州制圧。
DIA-601-1980-05-27-2アメリカ1980年05月27日1980年代(ワシントン):国務省,韓国民主化復帰期待声明。
DIA-601-1980-05-27-3アメリカ1980年05月27日1980年代ブラウン国防長官,耿副首相と会談。なお同長官は同夜の歓迎宴で,米中両国が軍事関連物資等の対中輸出で具体的に交渉中であることを明らかにした。
DIA-601-1980-05-28-1アメリカ1980年05月28日1980年代カーター大統領,モンデール副大統領ら,耿中国副首相と会談。
DIA-601-1980-05-29-1アメリカ1980年05月29日1980年代ブラウン長官,耿副首相会談。この会談後国防省報道官は,中国へのレーダー,輸送用ヘリ・トラック,輸送機,コンピューター関連機器等の輸出を許可し,ヘリコプター,コンピューター用集積回路の中国における米社による生産も許可され,米中両軍の士官学校交流,補給関係者の相互訪問などが決ったと述べた(WP5・30,朝日5・30,ロサンゼルス・タイムス5・30)。
DIA-601-1980-05-29-2アメリカ1980年05月29日1980年代下院軍事委小委会で,マイヤー陸軍参謀長は,現行軍事予算は80年代の陸軍の必要充せぬ,と言明,アレン空軍参謀長も軍事費増主張,さらにジョーンズ統幕長も,下院の防衛予算増額案への支持表明(WP5・30)。
DIA-601-1980-06-01-1アメリカ1980年06月01日1980年代カーター大統領,ケーブル・ニュース・ネットワークとの会見で,韓国について,「共産主義の侵略,転覆活動に対する安全保障は人権尊重および民主主義の確立のための前提である」,と語り,さらに韓国の民主化後退を認めながらも,「同盟国や通商相手国を,われわれの基準からみて人権を十分に尊重していないというだけで関係を断ち,ソ連の影響下に追いやることはできない」と述べた(朝日6・2)。
DIA-601-1980-06-02-1アメリカ1980年06月02日1980年代国務省,韓国の文民支配実現を重視との声明。
DIA-601-1980-06-04-1アメリカ1980年06月04日1980年代ホルブルック国務次官補は,米中貿易全国協会での演説で,米中関係について,米中関係は対ソ戦略との関係ではなく,両国の独自の利益にもとづき進展させる,東南アジア等での米中の役割分担はしない,中国に武器は売らず,軍事的共同計画は取り決めないが,軍事関連物資は売却する,中国は米の同盟国ではないが,友好国でありつづける,などと述べた。
DIA-601-1980-06-05-1アメリカ1980年06月05日1980年代国務省,オーマンの基地使用で合意と発表。
DIA-601-1980-06-05-2アメリカ1980年06月05日1980年代下院,81会計年度対外援助52億ドル,可決。
DIA-601-1980-06-05-3アメリカ1980年06月05日1980年代(北京):米社,上海近くに米輸入銀行資金初使用で,8千万ドルの鉄鋼プラント建設計画契約。
DIA-601-1980-06-09-1アメリカ1980年06月09日1980年代(東京):レーガン氏の外交顧問リチャード・アレン氏は『読売新聞』への寄稿で,レーガン政権が成立しても,対日ショック療法のような政策や対日輸入規制などは行なわないだろうと指摘した(読売6・9)。
DIA-601-1980-06-11-1アメリカ1980年06月11日1980年代下院外交小委で,ホルブルック国務次官補,米台関係のいかなる回復も米中関係悪化さすと(WP6・12)。
DIA-601-1980-06-11-2アメリカ1980年06月11日1980年代上院69議員,自動車産業再建決議案提出。
DIA-601-1980-06-12-1アメリカ1980年06月12日1980年代(東京):大平首相死去。カーター大統領は,米国時間11日,大平首相の死に追悼声明発表。
DIA-601-1980-06-12-2アメリカ1980年06月12日1980年代(ワシントン):上院,兵役登録法可決。
DIA-601-1980-06-12-3アメリカ1980年06月12日1980年代両院,81年度予算,6136億ドルで可決。
DIA-601-1980-06-12-4アメリカ1980年06月12日1980年代全米自動車労組,国際貿易委(ITC)に日本車輸入規制求める提訴。
DIA-601-1980-06-12-5アメリカ1980年06月12日1980年代米政府当局者達は,米政府は韓国の事態を懸念し,在韓米軍を除く,全ての対韓関係の再検討を行なっていると述べた。そのなかにはF-16戦闘機の供与再検討も含まれている(NYT6・13)。
DIA-601-1980-06-12-6アメリカ1980年06月12日1980年代ストーン上院議員は,国務省は,FX戦闘機で米企業の台湾との商談を許可した,と言明(WP6・13)。
DIA-601-1980-06-15-1アメリカ1980年06月15日1980年代(北京):ボルカー連邦準備銀行議長訪中。
DIA-601-1980-06-17-1アメリカ1980年06月17日1980年代レーガン氏の外交顧問リチャード・アレン氏は読売新聞との会見で対ソSALTⅡ条約の批准に先立って,B1爆撃機,中性子弾頭などの国防力増強計画の推進が不可欠であると述べるとともに,アジア・中東政策として,米太平洋艦隊の増強,在韓米地上軍の駐留継続,台湾との外交関係に至らない公約関係樹立,中東での米戦力の恒久的配置などを重点事項としてあげ,また中国については通常兵器の売却の用意があることを示唆し,米日中安保協力も慎重に検討すると述べた(読売6・19)。
DIA-601-1980-06-18-1アメリカ1980年06月18日1980年代レーガン氏はWP紙との会見で,急速な米国の軍事増強を主張し,それはソ連の軍事支出圧力を強化し,ソ連を軍縮交渉につかせようと述べた(WP6・18)。
DIA-601-1980-06-18-2アメリカ1980年06月18日1980年代ケリー米緊急展開部隊司令官は,記者会見で同部隊は危機地域にソ連軍が到達する前に米軍を送り込むために作られたと述べるとともに,すでに同部隊は旅団規模の兵力なら5日間で危機地域に派遣しうると述べた。また同部隊は20万人からなり,うち11万人が陸軍と海兵隊の戦闘要員であることを明らかにした。
DIA-601-1980-06-18-3アメリカ1980年06月18日1980年代上院,自動車産業再建法案可決。
DIA-601-1980-06-19-1アメリカ1980年06月19日1980年代カーター,インドへの核燃料輸出について原子力委の反対を覆す行政命令を出し,議会に輸出許可を求める書簡送付。
DIA-601-1980-06-20-1アメリカ1980年06月20日1980年代レーガン氏の外交顧問リチャード・アレン氏は記者会見で,レーガン政権はカーター政権以上に同盟国の軍事増強を求めるだろう,と語った(朝日6・21)。
DIA-601-1980-06-22-1アメリカ1980年06月22日1980年代(ベネチヤ):先進国サミット開く。アフガニスタン宣言採択。
DIA-601-1980-06-22-2アメリカ1980年06月22日1980年代(東京):日本総選挙。自民党圧勝。
DIA-601-1980-06-23-1アメリカ1980年06月23日1980年代(ベネチア):先進国サミット終了。
DIA-601-1980-06-23-2アメリカ1980年06月23日1980年代(バンコク):ベトナム軍,タイ領を越境攻撃。
DIA-601-1980-06-24-1アメリカ1980年06月24日1980年代国務省当局,ベトナムのタイ攻撃に懸念表明。
DIA-601-1980-06-24-2アメリカ1980年06月24日1980年代国防省,タイへのM48戦車35両売却を議会通告。
DIA-601-1980-06-25-1アメリカ1980年06月25日1980年代マスキー国務長官,ベトナム軍のタイへの軍事攻撃非難の声明発表。国務省報道官,タイへの軍事物資引渡し促進表明。
DIA-601-1980-06-25-2アメリカ1980年06月25日1980年代バニック下院議員ら69議員,対日貿易不均衡是正要求決議提出。
DIA-601-1980-06-27-1アメリカ1980年06月27日1980年代カーター,徴兵登録再開予算法に署名。
DIA-601-1980-06-27-2アメリカ1980年06月27日1980年代国務省,ケニアと基地利用で合意と発表。
DIA-601-1980-06-27-3アメリカ1980年06月27日1980年代(クアラルンプール):ASEAN拡大外相会議開く。マスキー国務長官も出席。
DIA-601-1980-06-28-1アメリカ1980年06月28日1980年代(クアラルンプール):米・ASEAN外相会議。この会合でマスキー長官は,タイへの支援強化,カンボジア問題でASEANの支持,難民支援増を言明。
DIA-601-1980-06-29-1アメリカ1980年06月29日1980年代(横田):マスキー長官,東南アジアからの帰途,当地に給油のため立寄り,ウイッカム在韓米軍司令官と会談。またクアラルンプールからの機中で,グライスティーン米大使と韓国問題を協議した,と語る(UPI)。
DIA-601-1980-06-30-1アメリカ1980年06月30日1980年代(ソウル):マイヤー陸軍参謀総長訪韓。
DIA-601-1980-07-01-1アメリカ1980年07月01日1980年代カーター大統領,ベトナム戦争記念堂建設法にサイン。ベトナムの傷はいやされつつあると語る。
DIA-601-1980-07-01-2アメリカ1980年07月01日1980年代米国の自動車関連11労組,日本車規制要求。
DIA-601-1980-07-01-3アメリカ1980年07月01日1980年代カーター大統領,タイへの緊急武器空輸命令。
DIA-601-1980-07-01-4アメリカ1980年07月01日1980年代(北京):ホルブルック国務次官補訪中。
DIA-601-1980-07-01-5アメリカ1980年07月01日1980年代(東京):米大使,カーター大統領の故大平首相葬儀出席を日本に通知。
DIA-601-1980-07-02-1アメリカ1980年07月02日1980年代カーター大統領,兵役登録法案にサイン。
DIA-601-1980-07-02-2アメリカ1980年07月02日1980年代国防省:台湾へのりゅう弾砲50門売却,議会通告。
DIA-601-1980-07-02-3アメリカ1980年07月02日1980年代(ホノルル):日米安保協議会終了。
DIA-601-1980-07-02-4アメリカ1980年07月02日1980年代(北京):ホルブルック次官補,中国外務次官会見。
DIA-601-1980-07-04-1アメリカ1980年07月04日1980年代(北京発共同):米中,事務レベル定期協議開催で合意。
DIA-601-1980-07-05-1アメリカ1980年07月05日1980年代日本車輸入規制要求し,14上院議員がカーター大統領に書簡。
DIA-601-1980-07-05-2アメリカ1980年07月05日1980年代米政府,タイへの緊急輸送兵器2700万ドルから3250万ドルに増額。
DIA-601-1980-07-05-3アメリカ1980年07月05日1980年代(北京):ホルブルック次官補,黄華外相と会見。
DIA-601-1980-07-05-4アメリカ1980年07月05日1980年代(バンコク):米国よりの武器,一部到着。
DIA-601-1980-07-06-1アメリカ1980年07月06日1980年代ホワイトハウス,7月10日東京で,米中首脳会談開催と発表。
DIA-601-1980-07-06-2アメリカ1980年07月06日1980年代(北京):バード上院議員,訪中。
DIA-601-1980-07-07-1アメリカ1980年07月07日1980年代国務省報道官,金大中裁判に懸念表明。
DIA-601-1980-07-07-2アメリカ1980年07月07日1980年代(北京):華国鋒主席,バード上院議員と会見。
DIA-601-1980-07-08-1アメリカ1980年07月08日1980年代(デトロイト):カーター大統領,自動車産業労使と自動車救済で協議。
DIA-601-1980-07-08-2アメリカ1980年07月08日1980年代(北京):バード上院議員は,米中関係を後退させぬと華国鋒主席に語ったといわれる(WP7・9)。
DIA-601-1980-07-09-1アメリカ1980年07月09日1980年代(東京):カーター大統領訪日。故大平首相葬儀に列席。
DIA-601-1980-07-10-1アメリカ1980年07月10日1980年代(東京):カーター大統領,中国の華国鋒主席と会談。会談後米政府報道官は,両首脳は東南アジア・インドシナなどについて話し合い,ソ連の脅威についての認識で基本的に合意したと述べた。
DIA-601-1980-07-10-2アメリカ1980年07月10日1980年代(エジプト):米F4戦闘機中隊,演習のため到着。
DIA-601-1980-07-12-1アメリカ1980年07月12日1980年代(ソウル):ソラーズ米下院議員,訪韓。
DIA-601-1980-07-14-1アメリカ1980年07月14日1980年代(デトロイト):米共和党大会開く。
DIA-601-1980-07-15-1アメリカ1980年07月15日1980年代(デトロイト):共和党大会,政策綱領採択。アジア関係では,日本,韓国との関係強化,台湾の重視,ソ連との軍事均衡などを主張している。
DIA-601-1980-07-15-2アメリカ1980年07月15日1980年代(平壌):ソラーズ議員,北朝鮮訪問。
DIA-601-1980-07-16-1アメリカ1980年07月16日1980年代(デトロイト):米共和党大会,大統領候補にレーガン氏指名。副大統領候補はブッシュ氏。
DIA-601-1980-07-16-2アメリカ1980年07月16日1980年代(平壌):ソラーズ議員,金英男労働党国際部長と会談。
DIA-601-1980-07-17-1アメリカ1980年07月17日1980年代(デトロイト):共和党大会で,レーガン氏,大統領候補指名受託演説。カーター政権の経済,外交失政を非難,アメリカ精神の復活を主張。
DIA-601-1980-07-17-2アメリカ1980年07月17日1980年代(東京):鈴木内閣発足。
DIA-601-1980-07-17-3アメリカ1980年07月17日1980年代(平壌):ソラーズ議員,シアヌーク殿下と会見。
DIA-601-1980-07-18-1アメリカ1980年07月18日1980年代(北朝鮮):ソラーズ議員・金日成主席会見。
DIA-601-1980-07-18-2アメリカ1980年07月18日1980年代(WP紙7・19):米軍当局,B52爆撃機のオーストラリア基地使用を検討中。
DIA-601-1980-07-19-1アメリカ1980年07月19日1980年代(モスクワ):オリンピック開く。米などボイコット。
DIA-601-1980-07-20-1アメリカ1980年07月20日1980年代(北京):ソラーズ議員は,記者会見で,北朝鮮は米国との直接交渉交流拡大望んでいる,と語る。
DIA-601-1980-07-21-1アメリカ1980年07月21日1980年代兵役適齢者登録,全米で開始。
DIA-601-1980-07-22-1アメリカ1980年07月22日1980年代大統領実弟ビリー・カーター氏とリビアとの関係表面化。カーター大統領,釈明の声明。
DIA-601-1980-07-23-1アメリカ1980年07月23日1980年代国務省,ヨルダンへのM60A3戦車60両売却発表。
DIA-601-1980-07-24-1アメリカ1980年07月24日1980年代下院予算委,71億ドルの対外援助可決。韓国向け7500万ドル軍事信用販売を含む。但し軍政強化用とせぬとの条件をつける。
DIA-601-1980-07-25-1アメリカ1980年07月25日1980年代国防省,エジプトへのM60戦車67両追加売却発表(244両にプラス)。
DIA-601-1980-07-26-1アメリカ1980年07月26日1980年代米政府,パキスタンのアフガン難民に1950万ドルの食料援助発表。
DIA-601-1980-07-26-2アメリカ1980年07月26日1980年代(ソウル):クレンス在韓米軍副司令官,80年代前半,A10飛行中隊を韓国に配備と語る。
DIA-601-1980-07-27-1アメリカ1980年07月27日1980年代国務省,パーレビ元イラン国王の死去で声明,カーター夫妻,シャーの家族に個人的弔意表明した,と。また葬儀に米代表団送らぬ,と。
DIA-601-1980-07-29-1アメリカ1980年07月29日1980年代(セントルイス):マクダネル・ダグラス社,1969~78年間の海外での不正支払い2160万ドルと報告。
DIA-601-1980-07-29-2アメリカ1980年07月29日1980年代(カイロ):パーレビ元国王葬儀。ニクソン元米大統領,駐エジプト米大使列席。
DIA-601-1980-07-31-1アメリカ1980年07月31日1980年代国務省,イラク軍艦への米GE社エンジン売却許可を発表。国務省,報道官イスラエルのエルサレム首都化は法的に無効と。
DIA-601-1980-07-31-2アメリカ1980年07月31日1980年代日米,石炭液化技術協力協定。
DIA-601-1980-08-01-1アメリカ1980年08月01日1980年代国務省,金大中起訴で,関心表明の見解発表。
DIA-601-1980-08-01-2アメリカ1980年08月01日1980年代(東京):鈴木首相,米大使と会談。来年度予算では防衛費は人件費込みで二桁増と言明(読売8・2)。
DIA-601-1980-08-04-1アメリカ1980年08月04日1980年代カーター大統領,いわゆるビリーゲート事件で釈明の記者会見。
DIA-601-1980-08-04-2アメリカ1980年08月04日1980年代フォード社,日本車輸入を74~76年水準に引き下げると国際貿易委員会(ITC)に提訴。
DIA-601-1980-08-05-1アメリカ1980年08月05日1980年代カーター大統領,先月下旬,米国の対ソ核戦略の大幅修正を承認。これによると対ソ核戦略は,ソ連からの第一撃の後,報復攻撃はソ連の全主要都市,軍事・産業施設ではなく,ソ連軍事力と軍事・政治中心にと,より限定的なものとなる(WP8・6)。
DIA-601-1980-08-05-2アメリカ1980年08月05日1980年代リーグル議員ら23上院議員,外国自動車制限交渉権を大統領に与える決議を上程。
DIA-601-1980-08-05-3アメリカ1980年08月05日1980年代国務省,イラクへのボーイング747輸送機売却(2億ドル)で議会と協議開始。
DIA-601-1980-08-07-1アメリカ1980年08月07日1980年代国防省報道官,米国はオーマン,ケニアおよびジエゴガルシア島での米基地改善に5年間で10億ドル支出検討中,またブラウン長官は緊急展開部隊用に毎年10億ドルづつ数年間支出を構想中,と述べる。
DIA-601-1980-08-08-1アメリカ1980年08月08日1980年代国防省,米海兵隊1千人,インド洋入り発表。
DIA-601-1980-08-08-2アメリカ1980年08月08日1980年代(ソウル):米軍高官(ウィッカム将軍),全斗煥将軍の大統領就任を米支持との意向表明説(AP)。
DIA-601-1980-08-09-1アメリカ1980年08月09日1980年代国務省報道官,ウィッカム在韓米軍司令官発言は,米政府見解ではないと言明。
DIA-601-1980-08-10-1アメリカ1980年08月10日1980年代インド洋での米軍増強状況:○米海軍は空母2艦隊を含む約25隻の艦船集結,○海兵隊1800人派遣,○ジエゴガルシア島へ海兵1万人2週間分と空軍数中隊分の施材陸揚げ,○空軍戦闘機とレーダー機がエジプトとサウジアラビアから活動,○ペルシア湾内の中東機動艦隊3隻から5隻に,○ケニア・オーマンと基地使用協定,ソマリアと交渉中,エジプトは有事基地使用申し出,○フロリダでの緊急展開部隊司令部設立,国防省,同部隊強化に5年間で200~250億ドル支出検討中など(WP8・10,M.Getler記者)。
DIA-601-1980-08-13-1アメリカ1980年08月13日1980年代(ニューヨーク):民主党大会,カーター大統領候補を指名。
DIA-601-1980-08-13-2アメリカ1980年08月13日1980年代(ワシントン):国務省,韓国での自由な選挙見守る,金大中氏の公平な裁判期待と声明。
DIA-601-1980-08-16-1アメリカ1980年08月16日1980年代国務省,崔韓国大統領の辞任で深い懸念表明。
DIA-601-1980-08-16-2アメリカ1980年08月16日1980年代(ロサンゼルス):レーガン候補,レーガン政権は台湾との関係は向上させるが,米中関係も発展させ,台湾の外交的承認は行なわない,しかし台湾の米連絡事務所は公的なものとしたい,と言明(WP8・17)。
DIA-601-1980-08-18-1アメリカ1980年08月18日1980年代(シカゴ):レーガン候補,ベトナム戦争は“植民地支配から解放されたばかりの小国を征服しようとする全体主義的隣国から守る”という,“崇高な目的”をもった戦いだったと発言(WP8・19)。
DIA-601-1980-08-18-2アメリカ1980年08月18日1980年代(東京):ブッシュ副大統領候補訪日。
DIA-601-1980-08-19-1アメリカ1980年08月19日1980年代(東京):ブッシュ副大統領候補,リチャード・アレン外交顧問とともに,鈴木首相と会談。
DIA-601-1980-08-20-1アメリカ1980年08月20日1980年代(ボストン):レーガン候補,在郷軍人大会で,カーターはソ連に米軍事力の優位を譲りわたしたと非難,レーガン政府は再び米軍を世界一にすると公約。
DIA-601-1980-08-20-2アメリカ1980年08月20日1980年代(北京):ブッシュ副大統領候補訪中。
DIA-601-1980-08-21-1アメリカ1980年08月21日1980年代(ボストン):カーター大統領,在郷軍人大会で,米国の軍事力強化,同盟国の防衛分担増,中東防衛などを強調。
DIA-601-1980-08-21-2アメリカ1980年08月21日1980年代(ワシントン):米政府,ソマリアと基地利用協定仮調印。
DIA-601-1980-08-21-3アメリカ1980年08月21日1980年代(北京):ブッシュ氏,黄華外相と会談。
DIA-601-1980-08-22-1アメリカ1980年08月22日1980年代ブラウン国防長官,レーダーに捕えられぬ航空機開発中と発表。
DIA-601-1980-08-22-2アメリカ1980年08月22日1980年代(北京):ブッシュ氏,鄧小平副首相と会見。
DIA-601-1980-08-23-1アメリカ1980年08月23日1980年代(北京):ブッシュ訪中終了。新華社,ブッシュ訪問は中国を納得させられなかったと論評。
DIA-601-1980-08-25-1アメリカ1980年08月25日1980年代(ロサンゼルス):レーガン候補,対中政策で記者会見。要旨次の通り;○中国情勢の対応は次の五原則にもとづく。①米中関係は米中双方にとり重要である。双方の連帯はグローバル戦略的であるべきである。中国との貿易,科学,文化関係を発展させつづける。②日本,中国,韓国および台湾と協力して,西太平洋の平和安定に努める。③この地域の安定を脅やかすものに対し地域内の全ての国と協議して対応する。④私は米台関係を台湾関係法にもとづき発展させたい。私はカーターのように台湾との関係は公的なものではないと主張しない。私は台湾関係法は米台関係を守るための公的な基礎を提供していると思う。私は台湾外交官への不当な制限を撤廃する。在米台湾代表部の数をもとに戻す(現在の9を14に)。台湾軍将校への米国内訓練を再開する。台湾への防衛用兵器を提供する。⑤アメリカの利益防衛に対する外国の干渉を許さぬ(WP8・26)。(資料参照)
DIA-601-1980-08-26-1アメリカ1980年08月26日1980年代(北京):中国外務省,米大使にレーガン候補の台湾発言で正式抗議(IHT8・27)。
DIA-601-1980-08-27-1アメリカ1980年08月27日1980年代カーター・バングラデシュ大統領と会談。
DIA-601-1980-08-28-1アメリカ1980年08月28日1980年代(ソウル):グライスティーン米大使帰任。なお米大使はカーターの全大統領宛親書を韓国外相に手交説
DIA-601-1980-08-29-1アメリカ1980年08月29日1980年代国務省,ボーイング機のイラク輸出停止。
DIA-601-1980-08-31-1アメリカ1980年08月31日1980年代(テヘラン):マスキー長官,ラジャイ・イラン首相に書簡。
DIA-601-1980-09-01-1アメリカ1980年09月01日1980年代国務省,マスキー長官のイラン宛書簡は,人質釈放を求めるものと説明。
DIA-601-1980-09-01-2アメリカ1980年09月01日1980年代(ソウル):全大統領就任式。米大使も出席。
DIA-601-1980-09-02-1アメリカ1980年09月02日1980年代(デトロイト):レーガン候補,日本車の対米輸出抑制は日本にも利益,と主張。
DIA-601-1980-09-02-2アメリカ1980年09月02日1980年代(ワシントン):国務省,カーター大統領,全大統領親書で,韓国内政についての米国の希望表明,と。
DIA-601-1980-09-02-3アメリカ1980年09月02日1980年代(平壌):トム・レストン前国務省広報担当次官補代理訪朝。
DIA-601-1980-09-03-1アメリカ1980年09月03日1980年代レーガン候補,バナイ・バース大会で,カーター大統領がPLOをテロリストとよばないと非難,またカーター政権はイスラエルを軽視し,サウジアラビアにF15戦闘機,ヨルダンに戦車,イラクに戦艦用タービン輸出を許可したと批判,さらにキャンプ・デービッド合意は内容があいまいと指摘。
DIA-601-1980-09-03-2アメリカ1980年09月03日1980年代(ソウル):米大使,全大統領と会談,カーター親書を手交。
DIA-601-1980-09-05-1アメリカ1980年09月05日1980年代下院歳入委員貿易小委,対日貿易報告公表。
DIA-601-1980-09-05-2アメリカ1980年09月05日1980年代マイアー陸軍参謀総長,4~6ヵ月内に在韓米軍千人撤収を公表(西欧からも6千人)。
DIA-601-1980-09-06-1アメリカ1980年09月06日1980年代(北京):米軍事技術代表団(ペリー次官ら),中国訪問。
DIA-601-1980-09-08-1アメリカ1980年09月08日1980年代国防省,8800万ドルの対韓武器売却計画を議会に要請。
DIA-601-1980-09-08-2アメリカ1980年09月08日1980年代(北京):米中航空協定調印。
DIA-601-1980-09-09-1アメリカ1980年09月09日1980年代(シカゴ):レーガン候補,3年内の均衡予算達成,投資奨励のため所得減税,年率6%の防衛費増などを主張。
DIA-601-1980-09-09-2アメリカ1980年09月09日1980年代(ワシントン):ロス国防次官補,米陸軍16個師のうち在米10個師中6個師が実戦配備上欠陥と。
DIA-601-1980-09-10-1アメリカ1980年09月10日1980年代(北京):ペリー国防次官,米政府は中国に,400点以上の高度電子製品,軍事支援物資の輸出を許可する方針を決めた,地球物理用コンピューター売却も前向きに検討する,これに対し中国は希金属を対米売却する,などと語る(WP.9.11)。
DIA-601-1980-09-10-2アメリカ1980年09月10日1980年代(マニラ):米国・ASEAN対話会議開く。
DIA-601-1980-09-10-3アメリカ1980年09月10日1980年代(ワシントン):下院外交委,上院対外関係委,インドへの38トンの濃縮ウラン輸出計画を否決。
DIA-601-1980-09-11-1アメリカ1980年09月11日1980年代米中第一次繊維貿易協定合意。
DIA-601-1980-09-12-1アメリカ1980年09月12日1980年代(マニラ):米・ASEAN対話の米代表団(アルブリヒト国務次官補代理団長),マニラでのASEAN共通基金設立に賛意表明(AFP)。
DIA-601-1980-09-12-2アメリカ1980年09月12日1980年代(テヘラン):人質解放でホメイニ師4条件。
DIA-601-1980-09-12-3アメリカ1980年09月12日1980年代トルコで軍事クーデター。
DIA-601-1980-09-14-1アメリカ1980年09月14日1980年代(平壌):金日成主席,米が平和協定結べば中ソとの軍事同盟解消と発言。
DIA-601-1980-09-15-1アメリカ1980年09月15日1980年代マスキー長官,国連でのポルポト政権議席支持を表明。
DIA-601-1980-09-16-1アメリカ1980年09月16日1980年代米中第1回経済合同委員会開く。中国は薄一波副首相,米はミラー財務長官が代表。ミラー長官は今年月平均100の中国代表団が訪米し,米人6万人が訪中の予定と語った(UPI)。
DIA-601-1980-09-16-2アメリカ1980年09月16日1980年代国務省報道官,金日成提案を拒否。
DIA-601-1980-09-17-1アメリカ1980年09月17日1980年代マスキー長官,韓国軍事法廷の金大中死刑判決は“極端”と表明,韓国は米の立場知っている,と。
DIA-601-1980-09-17-2アメリカ1980年09月17日1980年代米中,航空・海運・繊維・領事各協定調印。
DIA-601-1980-09-18-1アメリカ1980年09月18日1980年代下院,インドへの核燃料輸出否決。
DIA-601-1980-09-19-1アメリカ1980年09月19日1980年代訪米の伊東外相,マスキー長官らと会談。
DIA-601-1980-09-19-2アメリカ1980年09月19日1980年代(北京):解放軍総後勤部代表団訪米に出発。
DIA-601-1980-09-20-1アメリカ1980年09月20日1980年代米政府当局者,中国が米企業に警察用施材購入求め,米政府内で検討中,と。
DIA-601-1980-09-20-2アメリカ1980年09月20日1980年代(東京):ペリー国防次官,大村防衛長官と会談。
DIA-601-1980-09-22-1アメリカ1980年09月22日1980年代イラク・イラン本格戦闘に突入。
DIA-601-1980-09-22-2アメリカ1980年09月22日1980年代(ロサンゼルス):カーター,イ・イ戦争で米は中立守る,しかし友人を必要とするイランが人質解放に向うかもしれない,と語る(WP9・23)。
DIA-601-1980-09-22-3アメリカ1980年09月22日1980年代(東京):東南ア訪問途中,コマー国防次官,大村防衛長官と会談。
DIA-601-1980-09-23-1アメリカ1980年09月23日1980年代カーター大統領,イラン・イラク戦での米の中立表明,またソ連の不介入要求を声明。
DIA-601-1980-09-24-1アメリカ1980年09月24日1980年代カーター,緊急安全保障会議召集。カーター,ペルシア湾国際監規部隊構想を示唆。
DIA-601-1980-09-24-2アメリカ1980年09月24日1980年代上院,インド向け濃縮ウラン売却可決(48:46)。
DIA-601-1980-09-25-1アメリカ1980年09月25日1980年代米政府,イラク海軍へのエンジン輸出停止。
DIA-601-1980-09-26-1アメリカ1980年09月26日1980年代ホワイトハウス,石油確保で主要同盟国と会議用意と声明。
DIA-601-1980-09-26-2アメリカ1980年09月26日1980年代上院,対ソ穀物禁輸解除を可決。
DIA-601-1980-09-26-3アメリカ1980年09月26日1980年代(WP紙9・27):米・インド洋に戦闘艦18(空母2),支援艦13配備中。ソ連海軍は各12,17隻。他に仏海軍14隻。
DIA-601-1980-09-29-1アメリカ1980年09月29日1980年代(NYT紙):秘密資料によると,米軍の戦闘促応体制状況は,13空母中の6,海軍155飛行中隊中94,84戦術攻撃中隊の21,空軍戦術司令部123中隊中の111が合格(IHT9・30)。
DIA-601-1980-09-29-2アメリカ1980年09月29日1980年代国務省,不明米人協議で,在タイ米大使館員2人が10月1~4日,ハノイ訪問と発表。
DIA-601-1980-09-29-3アメリカ1980年09月29日1980年代(バンコク):米より新戦車35両到着。
DIA-601-1980-09-30-1アメリカ1980年09月30日1980年代国防省,サウジアラビアの要請でAWACS4機を同国に派遣したと発表。
DIA-601-1980-10-01-1アメリカ1980年10月01日1980年代(ハノイ):米国防省戦争犠牲者合同調査センター係官2人,ベトナム訪問。
DIA-601-1980-10-02-1アメリカ1980年10月02日1980年代米国・台湾,相互の在外代表に外交特権供与の協定。
DIA-601-1980-10-03-1アメリカ1980年10月03日1980年代カーター,ジアウル・ハク・パキスタン大統領と会談。
DIA-601-1980-10-05-1アメリカ1980年10月05日1980年代ブラウン国防長官,サウジアラビアに地上レーダーと要員派遣したと言明。
DIA-601-1980-10-06-1アメリカ1980年10月06日1980年代(ミルウォーキー):カーター大統領,中東情勢でブレジネフ書記長と書簡交換したと明す。
DIA-601-1980-10-06-2アメリカ1980年10月06日1980年代(ワシントン):タイのシッティ外相訪問。
DIA-601-1980-10-06-3アメリカ1980年10月06日1980年代(東京):ウィッカム在韓米軍司令官,大村防衛長官と会見。
DIA-601-1980-10-07-1アメリカ1980年10月07日1980年代マスキー長官,イラク支援でヨルダンに警告。
DIA-601-1980-10-07-2アメリカ1980年10月07日1980年代国際貿易委,自動車公聴会開く。
DIA-601-1980-10-08-1アメリカ1980年10月08日1980年代政府当局,サウジアラビアの米レーダー機情報,湾岸諸国に提供の用意と表明(WP10・9)。
DIA-601-1980-10-08-2アメリカ1980年10月08日1980年代(バンコク):不明米人調査の米係官,先週ハノイでベトナム政府より,今後早急な調査できぬと通告受く(WP10・9)。
DIA-601-1980-10-10-1アメリカ1980年10月10日1980年代米空軍,韓国へF16戦闘機48機を81年ごろに配備と発表。
DIA-601-1980-10-13-1アメリカ1980年10月13日1980年代マスキー長官,中国大使に,台湾への外交特権供与で釈明。
DIA-601-1980-10-13-2アメリカ1980年10月13日1980年代(ソウル):ウィッカム司令官,全大統領と会見。
DIA-601-1980-10-15-1アメリカ1980年10月15日1980年代(ペンシルバニア州):カーター,人質でイランへ秘密代表派遣したと語る,またイラン領土の分割反対を表明。
DIA-601-1980-10-15-2アメリカ1980年10月15日1980年代(北京):中国外務省,米大使に,台湾への外交特権供与で正式抗議。
DIA-601-1980-10-16-1アメリカ1980年10月16日1980年代マスキー長官,人質解放すればイランに武器供与用意と語る。
DIA-601-1980-10-16-2アメリカ1980年10月16日1980年代(WP紙):インド洋に,米英仏豪など西側艦船60隻集結,ソ連艦隊は29隻。
DIA-601-1980-10-17-1アメリカ1980年10月17日1980年代農務省,米中穀物協定で基本合意,と。
DIA-601-1980-10-17-2アメリカ1980年10月17日1980年代米当局者,インドに対戦車ミサイルなど3億3千万ドル分武器売却交渉中,と(ロイター)。
DIA-601-1980-10-17-3アメリカ1980年10月17日1980年代米民間航空委,米中空路パンナムに決定。
DIA-601-1980-10-18-1アメリカ1980年10月18日1980年代カーター,大統領選後,上院のSALTⅡ早期批准求む,と(AP)。
DIA-601-1980-10-19-1アメリカ1980年10月19日1980年代レーガン候補,テレビで,大統領になれば,ソ連と直ちにSALTⅢ交渉開始と語る。
DIA-601-1980-10-20-1アメリカ1980年10月20日1980年代(オハイオ):カーター,人質解放されればイラン資産凍結解除,米は強いイラン望む,と。
DIA-601-1980-10-20-2アメリカ1980年10月20日1980年代(シカゴ):マスキー長官,イラクのイラン侵略を非難。
DIA-601-1980-10-21-1アメリカ1980年10月21日1980年代(北京):シカゴ・ザ・ファースト・ナショナル銀行,北京事務所開設(米銀で初)。
DIA-601-1980-10-21-2アメリカ1980年10月21日1980年代(セントルイス):マスキー長官,人質交渉でイランに高官派遣の用意と言明。
DIA-601-1980-10-22-1アメリカ1980年10月22日1980年代(北京):米中穀物協定調印。81~84年に,米国は毎年6百~8百万トンの穀物を中国に輸出する。
DIA-601-1980-10-23-1アメリカ1980年10月23日1980年代(国連):マクヘンリー米大使,イラクのイラン侵攻非難。
DIA-601-1980-10-23-2アメリカ1980年10月23日1980年代(モスクワ):コスイギン首相辞任。後任にチホーノフ氏。
DIA-601-1980-10-23-3アメリカ1980年10月23日1980年代(東京):日米通商協議。
DIA-601-1980-10-24-1アメリカ1980年10月24日1980年代(ニュージャージー州):カーター,イラン人質解放の早期期待いましめる。
DIA-601-1980-10-24-2アメリカ1980年10月24日1980年代(東京):鈴木首相,アスキュー通商代表と会談。
DIA-601-1980-10-25-1アメリカ1980年10月25日1980年代(パリ):仏誌,人質で米・イラン,アルジェで秘密交渉中と報ず。
DIA-601-1980-10-28-1アメリカ1980年10月28日1980年代(クリーブランド):カーター・レーガン両候補,テレビ討論。外交では,米国防力強化問題,SALTⅡ,イラン人質などが論争点となった。
DIA-601-1980-10-30-1アメリカ1980年10月30日1980年代リチャード・アレン氏,レーガン外交顧問を辞任。
DIA-601-1980-10-30-2アメリカ1980年10月30日1980年代(ミシガン):カーター大統領,選挙後,自動車などで鈴木首相との会談希望表明。
DIA-601-1980-10-30-3アメリカ1980年10月30日1980年代(テヘラン):イラン議会,強硬派欠席で人質審議流れる。
DIA-601-1980-11-02-1アメリカ1980年11月02日1980年代カーター大統領ら米首脳,イラン議会の人質解放条件決定で緊急協議。
DIA-601-1980-11-03-1アメリカ1980年11月03日1980年代カータ大統領,パン・アメリカンの中国路線許可。
DIA-601-1980-11-04-1アメリカ1980年11月04日1980年代米大統領選挙,レーガン当選。
DIA-601-1980-11-05-1アメリカ1980年11月05日1980年代米議会選挙結果,上院で共和党が過半数獲得。マクガバン,チャーチら,いわゆるハト派落選目立つ。
DIA-601-1980-11-06-1アメリカ1980年11月06日1980年代レーガン次期大統領記者会見。対ソ強硬姿勢表明。SALT交渉とソ連外交とのリンケージ,人権外交より同盟国支持強化など主張。
DIA-601-1980-11-06-2アメリカ1980年11月06日1980年代レーガン,政権引きつぎチーム陣容発表。またリチャード・アレン,外交顧問に復帰。
DIA-601-1980-11-07-1アメリカ1980年11月07日1980年代米政府筋によれば,インドは過去数ヵ月内に,米国に兵器類2億2870万ドルを発注(WP11・8)。
DIA-601-1980-11-10-1アメリカ1980年11月10日1980年代クリストファー副長官,米の対イラン回答もちアルジェリアに向う。
DIA-601-1980-11-10-2アメリカ1980年11月10日1980年代国際貿易委員会(ITC),日本車輸入は米業界に重大な被害を与えていないと判定。
DIA-601-1980-11-11-1アメリカ1980年11月11日1980年代タワー上院議員,年率9~13%の軍事費増,B1爆撃機,中性子爆弾開発を要求。
DIA-601-1980-11-12-1アメリカ1980年11月12日1980年代カーター政権,主要政策決定,人事,次期政権発足まで延期と発表。
DIA-601-1980-11-12-2アメリカ1980年11月12日1980年代クリストファー副長官,帰国。
DIA-601-1980-11-12-3アメリカ1980年11月12日1980年代(カイロ):米緊急展開部隊の一部,エジプトで演習開始。
DIA-601-1980-11-13-1アメリカ1980年11月13日1980年代カーター大統領,イスラエル首相と会談。
DIA-601-1980-11-13-2アメリカ1980年11月13日1980年代米テレビ業界,対日輸入制限継続をITCに訴え。
DIA-601-1980-11-14-1アメリカ1980年11月14日1980年代レーガン,ホワイトハウス最高スタッフに,ジェームズ・A・ベーカー三世,大統領顧問にエドウィン・ミース三世を任命。
DIA-601-1980-11-14-2アメリカ1980年11月14日1980年代リチャード・アレン外交顧問は日本人記者団との会見で,レーガン外交について要旨次のように述べた。○アジア地域では日米関係を最優先する,○日本の防衛分担問題は重要だが,急激な防衛費増を要請することはない,○現在の米中関係を維持する,○レーガン政権が保護貿易主義になることはない(朝日,読売11・15)。
DIA-601-1980-11-15-1アメリカ1980年11月15日1980年代(ニューデリー):ロング太平洋軍司令官とともにインド訪問中の米軍関係者は,ホルムズ海峡防衛に米国は単独行動も辞さないと語った(WP11・16)。
DIA-601-1980-11-15-2アメリカ1980年11月15日1980年代(ワシントン):米,パラオ自治協定合意。
DIA-601-1980-11-17-1アメリカ1980年11月17日1980年代レーガン次期大統領,ワシントン訪問。
DIA-601-1980-11-17-2アメリカ1980年11月17日1980年代下院,日米貿易不均衡是正決議363:2で可決。
DIA-601-1980-11-17-3アメリカ1980年11月17日1980年代米政府,キャタピラー社のシベリア・パイプライン施材輸出(10億ドル)承認。
DIA-601-1980-11-17-4アメリカ1980年11月17日1980年代(フィラデルフィア):ブッシュ次期副大統領,鄧小平副首相が,11月16日,レーガンを正式招待と言明。
DIA-601-1980-11-17-5アメリカ1980年11月17日1980年代(北京):米国貿易展開催。
DIA-601-1980-11-18-1アメリカ1980年11月18日1980年代レーガン側近,金大中氏死刑,レーガン政権も反対と語る(NYT11・19)。
DIA-601-1980-11-19-1アメリカ1980年11月19日1980年代外交筋によれば,レーガン次期大統領は,金大中氏処刑は重大な結果を対米関係にもたらすとの見解を韓国大統領に伝えたという(WP11・20)。
DIA-601-1980-11-20-1アメリカ1980年11月20日1980年代カーター大統領,レーガン次期大統領と会談。
DIA-601-1980-11-20-2アメリカ1980年11月20日1980年代両院,81年度予算(6324億ドル)可決。
DIA-601-1980-11-20-3アメリカ1980年11月20日1980年代カーター,レーガン,それぞれ西独首相と会談。
DIA-601-1980-11-20-4アメリカ1980年11月20日1980年代下院歳入小委,日本車の大統領交渉権限法案可決。
DIA-601-1980-11-20-5アメリカ1980年11月20日1980年代下院外交委国際機関小委,金大中氏処刑ならば米韓関係見直しと決議。
DIA-601-1980-11-21-1アメリカ1980年11月21日1980年代上院,81年度国防予算1610億ドル可決(政府要請より62億ドル増)。
DIA-601-1980-11-21-2アメリカ1980年11月21日1980年代レーガン次期大統領,キッシンジャー,ヘイグ,ワインバーガー,ベーカー各氏ら外交顧問と会談。
DIA-601-1980-11-21-3アメリカ1980年11月21日1980年代ムーラー元統幕議長,米空母を12から16隻とし,西太平洋に3,インド洋・地中海に各2隻配置したいと語る(読売11・22)。
DIA-601-1980-11-21-4アメリカ1980年11月21日1980年代(バンコク):レイ・クライン・ジョージァ大教授,対ベトナムで米次期政権はタイを支援し,ベトナムと関係正常化せぬなどと語る。
DIA-601-1980-11-22-1アメリカ1980年11月22日1980年代(モスクワ):パーシー上院議員,ソ連訪問。
DIA-601-1980-11-24-1アメリカ1980年11月24日1980年代マスキー国務長官,イランから米回答への質問状受取ったと語る。
DIA-601-1980-11-26-1アメリカ1980年11月26日1980年代坂田元防衛長官らは記者会見で,ブラウン国防長官らと会談の結果,米側は日本の防衛予算の9.7%増達成を望んでいることがわかったと語る(朝日11・27)。
DIA-601-1980-11-26-2アメリカ1980年11月26日1980年代(モスクワ):パーシー議員,ブレジネフと会見。
DIA-601-1980-11-28-1アメリカ1980年11月28日1980年代国務省,ヨルダン国境へのシリア軍集結で,ヨルダンの安全保障は米国に重要と声明。
DIA-601-1980-11-29-1アメリカ1980年11月29日1980年代カーター大統領,クリストファー副長官らとイラン人質問題協議。
DIA-601-1980-11-30-1アメリカ1980年11月30日1980年代ミース・レーガン大統領顧問,テレビで,ソ連のポーランド介入に警告,しかしレーガン政権発足後すぐソ連と新SALT交渉を行なうと語る。
DIA-601-1980-11-30-2アメリカ1980年11月30日1980年代(WP紙11・30):レーガン政権の対外援助移行チームは,いわゆるニューライト保守派人物が中心,と。
DIA-601-1980-12-01-1アメリカ1980年12月01日1980年代両院経済合同委,インドシナ難民報告,日本の費用分担低いと批判。
DIA-601-1980-12-01-2アメリカ1980年12月01日1980年代クリストファー副長官,アルジェリア出発。
DIA-601-1980-12-01-3アメリカ1980年12月01日1980年代(ソウル):グライスティーン米大使帰任。
DIA-601-1980-12-02-1アメリカ1980年12月02日1980年代上院共和党,ベーカー議員を院内総務に選出。
DIA-601-1980-12-02-2アメリカ1980年12月02日1980年代下院,日本車で大統領に交渉権限付与可決。
DIA-601-1980-12-03-1アメリカ1980年12月03日1980年代カーター大統領,ソ連のポーランド周辺での軍増強に警告。
DIA-601-1980-12-03-2アメリカ1980年12月03日1980年代(国連):民主カンプチュア政権代表,11月20日,レイ・クライン教授がポルポト派ゲリラ基地を訪問したと発表(IHT12・4)。
DIA-601-1980-12-03-3アメリカ1980年12月03日1980年代(ソウル):米大使,金東輝外務次官と会談。
DIA-601-1980-12-04-1アメリカ1980年12月04日1980年代(アンカラ):米政府,トルコに2億ドル援助に調印。
DIA-601-1980-12-05-1アメリカ1980年12月05日1980年代両院,81年度国防予算1600億ドル可決。
DIA-601-1980-12-05-2アメリカ1980年12月05日1980年代ワシントンの消息筋,ブラウン長官が金大中氏問題で訪韓予定,レーガン派も特使派遣考慮と(WP12・6)。
DIA-601-1980-12-07-1アメリカ1980年12月07日1980年代カーター,緊急国家安全保障会議開き,ポーランド検討,ソ連の侵攻準備完了と声明。
DIA-601-1980-12-07-2アメリカ1980年12月07日1980年代(北京):米中航空協定一番機パンナム機到着。
DIA-601-1980-12-08-1アメリカ1980年12月08日1980年代下院共和党院内総務にボブ・マイケル氏。
DIA-601-1980-12-08-2アメリカ1980年12月08日1980年代自民党二階堂総務会長,タワー,パーシー議員,リチャード・アレン氏らと会談。
DIA-601-1980-12-10-1アメリカ1980年12月10日1980年代レーガー次期大統領,首都入り。
DIA-601-1980-12-10-2アメリカ1980年12月10日1980年代自民外交調査会代表,アレン顧問らと会談。二階堂氏もキッシンジャー,ブレジンスキー各氏と会談。
DIA-601-1980-12-11-1アメリカ1980年12月11日1980年代レーガン,8閣僚の任命を発表。国防長官:キャスパー・W・ワインバーガー(ベクテル社副社長,63歳)。財務長官:ドナルド・T・リーガン(メリル・リンチ証券会社会長,61歳),中央情報局長官:ウィリアム・J・ケーシ(元連邦証券取引委員会委員長,67歳),商務長官:マルコム・ボールドリッジ(スコービル社会長,58歳),司法長官:ウィリアム・F・スミス(弁護士,63歳),保健教育長官:リチャード・S・シュワイカー上院議員(54歳),運輸長官:アンドリュー・L・ルイス(共和党全国委副委員長,49歳),行政管理予算局局長:デービッド・ストックマン下院議員(34歳)。
DIA-601-1980-12-11-2アメリカ1980年12月11日1980年代(東京):ブラウン国防長官訪日。
DIA-601-1980-12-12-1アメリカ1980年12月12日1980年代ワインバーガー次期国防長官,テレビで,米国の軍事力はソ連に遅れをとっており,レーガン政権は,国防力強化に全力と言明。
DIA-601-1980-12-12-2アメリカ1980年12月12日1980年代(東京):ブラウン長官,鈴木首相,大村防衛長官らと会見。これらの会談で,ブラウン長官は日本防衛費の9.7%以上増額を要求したといわれる。
DIA-601-1980-12-13-1アメリカ1980年12月13日1980年代(ソウル);ブラウン長官訪韓。全大統領と会談。この会談で金大中氏への関心を表明したという。
DIA-601-1980-12-15-1アメリカ1980年12月15日1980年代(カイロ):リノウィッツ米特使,サダト大統領と会見,レーガン次期大統領のキャンプデービッド合意支持とのメッセージを伝う。
DIA-601-1980-12-16-1アメリカ1980年12月16日1980年代レーガン次期大統領,次期国務長官にアレクサンダー・ヘイグ前北大西洋条約機構軍司令官(56歳),次期労働長官にレイモンド・ドノバン(建設会社役員,50歳)を任命。
DIA-601-1980-12-19-1アメリカ1980年12月19日1980年代(東京):日米,電々問題で合意。
DIA-601-1980-12-21-1アメリカ1980年12月21日1980年代マスキー長官,米人質でイランの230億ドル保証金要求を拒否。
DIA-601-1980-12-22-1アメリカ1980年12月22日1980年代レーガン次期大統領,国連大使にジーン・カーパトリック・ジョージタウン大教授(53歳女性),サミュエル・ピアス弁護士(黒人,58歳)を住宅都市開発長官に任命,また内務長官にジェームズ・ワット(山岳部諸州法律財団所長,42歳),エネルギー庁長官にジェームズ・エドワーズ(元サウスカロライナ州知事,53歳)を任命。
DIA-601-1980-12-22-2アメリカ1980年12月22日1980年代ヘイグ次期国務長官,国務省付レーガン派移行チームに任務終了通告。
DIA-601-1980-12-23-1アメリカ1980年12月23日1980年代レーガン次期大統領,国家安全保障担当大統領補佐官にリチャード・アレン(44歳),内務担当補佐官にマーチン・アンダーソン(経済学者,44歳),農務長官にジョン・ブロック(イリノイ州農務長官,45歳)をそれぞれ任命。
DIA-601-1980-12-24-1アメリカ1980年12月24日1980年代(ロサンゼルス):レーガン次期大統領,人質で,イランは犯罪者,誘かい者と発言。
DIA-601-1980-12-27-1アメリカ1980年12月27日1980年代マスキー長官,イラン人質でアルジェリア代表団と会談。
DIA-601-1980-12-28-1アメリカ1980年12月28日1980年代(ロサンゼルス):レーガン次期大統領,イラン人質で,“野蛮人”に誘かいされた人々の身代金は払わぬと語る。
DIA-601-1980-12-28-2アメリカ1980年12月28日1980年代(カイロ):ジョーンズ統幕議長エジプト訪問。
DIA-601-1980-12-30-1アメリカ1980年12月30日1980年代米政府,アルジェリア代表団に,人質妥協案を示す。
DIA-601-1980-12-30-2アメリカ1980年12月30日1980年代国務,国防両省スポークスマン,日本の防衛予算が7.6%増にとどまったことに不満表明。
DIA-601-1981-01-01-1アメリカ1981年01月01日1980年代(ボンコク):ソラーズ,プリチャード両下院議員,プノンペン,ハノイ訪問に出発。3日帰着。
DIA-601-1981-01-03-1アメリカ1981年01月03日1980年代(北京):スチーブンス上院議員,黄華中国外相と会談。
DIA-601-1981-01-04-1アメリカ1981年01月04日1980年代下院軍事委,米軍事産業は,熟練工不足,原料の外国依存増,低生産性,技術革新投資減のため,壊滅的な現状と報告(「ワシントン・ポスト」=以下WP1/5。なお以下,地名表示ないものは,ワシントンD.C.での出来事を意味する)。
DIA-601-1981-01-04-2アメリカ1981年01月04日1980年代(北京):スチーブンス議員,鄧小平副首相と会見。同議員は記者会見で,レーガン政権の対中武器輸出の可能性除外できないと言明。
DIA-601-1981-01-05-1アメリカ1981年01月05日1980年代(台北):スチーブンス議員,台湾入り。
DIA-601-1981-01-06-1アメリカ1981年01月06日1980年代ワインバーガー次期国防長官,上院軍事委で証言,対ソ戦力強化が対ソ交渉に優先と述べ,また自力で防衛力もたぬままのカーター政権の中東防衛約束を批判(「ニューヨーク・タイムス=以下NYT,1/7)。
DIA-601-1981-01-07-1アメリカ1981年01月07日1980年代レーガン次期大統領,マンスフィールド駐日大使の留任を発表。
DIA-601-1981-01-09-1アメリカ1981年01月09日1980年代ヘイグ次期国務長官,上院外交委で証言。冒頭声明で,一貫性,信頼性,バランスある外交の必要性を強調,また軍縮交渉,多国籍企業抑制,人権外交へ否定的見解表明,さらにソ連への軍事的対抗を主張。
DIA-601-1981-01-10-1アメリカ1981年01月10日1980年代ヘイグ次期国務長官,議会で対ソ交渉前に米軍事力の劇的改善を主張。また対中関係については,米台関係法順守しつつ,中国との正常化進める,など言明。
DIA-601-1981-01-12-1アメリカ1981年01月12日1980年代ヘイグ次期国務長官,議会証言で,北朝鮮の軍事力を過小評価したとして在韓米軍削減反対を表明,日本については過大は防衛費増強は避けるべきだと述べる。,またマルコス政権との友好維持,台湾への防衛兵器売却継続を主張。さらにペルシア湾防衛のため米兵力改善を続け,日欧とも石油ルート防衛でコンセンサスを作るべきだと言明(WP1/13)。
DIA-601-1981-01-12-2アメリカ1981年01月12日1980年代国務省,韓国大統領の金日成主席への相互訪問提案を,建設的と歓迎。
DIA-601-1981-01-12-3アメリカ1981年01月12日1980年代(ニューデリー):米下院軍事委代表団,ガンジー首相に会見。
DIA-601-1981-01-13-1アメリカ1981年01月13日1980年代ケーシー次期CIA長官,議会証言で,CIAの士気向上と制限最小限化に努力と述べる(WP1/14)。
DIA-601-1981-01-14-1アメリカ1981年01月14日1980年代レーガン就任式に,台湾から国民党幹部ら5人招待,しかし非公式代表とレーガン側近(WP1/15)。
DIA-601-1981-01-15-1アメリカ1981年01月15日1980年代カーター大統領,82年度予算教書を議会送付。歳出7393億ドル,歳入7118億ドル,赤字275億ドル。国防支出は1844億ドル。
DIA-601-1981-01-15-2アメリカ1981年01月15日1980年代上院外交委,ヘイグ国務長官承認。15対2。
DIA-601-1981-01-15-3アメリカ1981年01月15日1980年代レーガン,次期通商特別代表にウィリアム・E・ブロック共和党全国委員長任命。
DIA-601-1981-01-16-1アメリカ1981年01月16日1980年代カーター,一般教書,議会送付。
DIA-601-1981-01-19-1アメリカ1981年01月19日1980年代米・イラン,人質解放で合意。
DIA-601-1981-01-19-2アメリカ1981年01月19日1980年代ブラウン国防長官,82年度国防報告,議会提出。
DIA-601-1981-01-19-3アメリカ1981年01月19日1980年代国防省,サウジアラビアへの20億ドルの技術・役務・物資提供法案を議会提出。
DIA-601-1981-01-20-1アメリカ1981年01月20日1980年代レーガン大統領就任式。
DIA-601-1981-01-20-2アメリカ1981年01月20日1980年代上院,ワインバーガー国防長官承認。
DIA-601-1981-01-20-3アメリカ1981年01月20日1980年代(テヘラン):米人人質,イラン出国。
DIA-601-1981-01-21-1アメリカ1981年01月21日1980年代ホワイトハウス,全韓国大統領,2月1日ワシントン訪問と発表。
DIA-601-1981-01-22-1アメリカ1981年01月22日1980年代ワインバーガー国防長官,米軍へのメッセージで,””米国再軍備”を約束。
DIA-601-1981-01-22-2アメリカ1981年01月22日1980年代米政府首脳,イランの人質虐待に怒り表明,しかし国務省は協定実行を表明。
DIA-601-1981-01-22-3アメリカ1981年01月22日1980年代(東京):鈴木首相,レーガンと電話会談。
DIA-601-1981-01-23-1アメリカ1981年01月23日1980年代レーガン,陸軍長官にジョン・マーシュ元国防次官補,空軍長官にバーン・オー南加大准教授,海軍長 官にジョン・レーマン(会社社長)を指名。また国務副長官にウィリアム・クラーク加州最高裁副長官指名。
DIA-601-1981-01-23-2アメリカ1981年01月23日1980年代国務省,金大中氏の無期懲役への減刑歓迎表明。
DIA-601-1981-01-24-1アメリカ1981年01月24日1980年代レーガン,CIA副長官にボビー・R・インマン提督任命。
DIA-601-1981-01-25-1アメリカ1981年01月25日1980年代イラン米人人質帰国。
DIA-601-1981-01-27-1アメリカ1981年01月27日1980年代(ソウル):ウィッカム在韓米軍司令官,来年はじめまでにF14をF16に変えると言明。
DIA-601-1981-01-28-1アメリカ1981年01月28日1980年代ジョーンズ統幕議長,82年度軍事情勢報告を議会に提出。その中で対ソ多発報復戦略提唱。
DIA-601-1981-01-28-2アメリカ1981年01月28日1980年代ワインバーガー国防長官,上院軍事委で,対ソ核戦力不均衡是正,海軍力強化を主張。
DIA-601-1981-01-28-3アメリカ1981年01月28日1980年代ヘイグ国務長官,記者会見で,ソ連は全世界でテロリスト支援と非難,またイランへの武器供給拒否表明。
DIA-601-1981-01-28-4アメリカ1981年01月28日1980年代ストックマン予算局長,82年対外援助予算を80億から54億7000万ドルへ削減すると主張(WP1/29)。
DIA-601-1981-01-28-5アメリカ1981年01月28日1980年代レーガン大統領,国産原油価格統制撤廃。
DIA-601-1981-01-29-1アメリカ1981年01月29日1980年代レーガン大統領記者会見。ソ連は世界共産革命を志向し,そのために手段を選ばぬ,ソ連との交渉の成否はソ連の他分野での行動と結びつくと主張。イランについては報復を否定,人質協定順守表明。
DIA-601-1981-01-30-1アメリカ1981年01月30日1980年代ヘイグ長官,対外援助削減に反対(WP1/31)。
DIA-601-1981-02-01-1アメリカ1981年02月01日1980年代全韓国大統領,ワシントン着。
DIA-601-1981-02-01-2アメリカ1981年02月01日1980年代(ソウル):チーム・スピリット81,米韓合同演習開始。
DIA-601-1981-02-02-1アメリカ1981年02月02日1980年代レーガン,全韓国大統領と会談。米韓共同声明発表。在韓米地上軍存続,米の韓国防衛産業支援,エネルギー協力など。
DIA-601-1981-02-03-1アメリカ1981年02月03日1980年代ワインバーガー国防長官記者会見。中性子爆弾開発支持,インド洋での2空母艦隊配備継続,イスラエルでの米軍駐留前向き検討,など語る。
DIA-601-1981-02-03-2アメリカ1981年02月03日1980年代上院外交委,クラーク国務副長官承認。
DIA-601-1981-02-03-3アメリカ1981年02月03日1980年代上院に,日本車規制法案提出さる。
DIA-601-1981-02-04-1アメリカ1981年02月04日1980年代国務省当局者,インドが米提供の核燃料を米国の許可なく再処理しうるとのインド側見解に反論(「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」=以下IHT,2/6)。
DIA-601-1981-02-05-1アメリカ1981年02月05日1980年代レーガン大統領,米経済再建を国民に訴え。
DIA-601-1981-02-05-2アメリカ1981年02月05日1980年代ヘイワード海軍作戦部長,82年度海軍情勢報告を議会に提出,米の対ソ海軍力優位は失われ,いまやどちらが強いかわからぬ情況と主張(WP2/6)。
DIA-601-1981-02-05-3アメリカ1981年02月05日1980年代国務省報道官,中性子爆弾製造まだ決定せずと。
DIA-601-1981-02-05-4アメリカ1981年02月05日1980年代レーマン海軍長官,議会で,西太平洋の防衛について日本と協議したいと表明。
DIA-601-1981-02-05-5アメリカ1981年02月05日1980年代(エルサレム):イスラエル外務省,イスラエル防衛に外国軍駐留求めぬと声明。
DIA-601-1981-02-06-1アメリカ1981年02月06日1980年代アレン空軍参謀総長,上院で,MXミサイル配備,新戦略爆撃機開発を主張。
DIA-601-1981-02-06-2アメリカ1981年02月06日1980年代農業生産者代表,レーガン大統領と会見,対ソ穀物禁輸解除を要望(IHT2/9)。
DIA-601-1981-02-06-3アメリカ1981年02月06日1980年代国務省,レーガン政権の米中正常化声明順守声明。
DIA-601-1981-02-06-4アメリカ1981年02月06日1980年代国務省,ソマリアへ兵器4200万ドル売却発表。
DIA-601-1981-02-07-1アメリカ1981年02月07日1980年代レーガン,国防次官にフレッド・イクレ元軍縮局長指名。国際安全保障担当国防次官補にリチャード・パール(前ジャクソン上院議員補佐官)任命。
DIA-601-1981-02-07-2アメリカ1981年02月07日1980年代国防省当局,今月中旬,オーマンで米軍演習と。
DIA-601-1981-02-09-1アメリカ1981年02月09日1980年代ジョーンズ統合幕僚本部議長の留任決定。
DIA-601-1981-02-10-1アメリカ1981年02月10日1980年代レーガン,経済政策諮問委設置,委員長にジョージ・シュルツ元財務長官。
DIA-601-1981-02-11-1アメリカ1981年02月11日1980年代米中貿易評議会のフィリプス会長,中国は大規模な鉱業と石油化学の対米合弁キャンセルと(WP2/ 12)。
DIA-601-1981-02-11-2アメリカ1981年02月11日1980年代ブロック通商代表,日本車は政治的爆弾と発言。
DIA-601-1981-02-11-3アメリカ1981年02月11日1980年代米政府,アルジェリアへのC130軍用輸送機売却を検討中(IHT2/12)。
DIA-601-1981-02-12-1アメリカ1981年02月12日1980年代国防省,オーマンでの米通信部隊訓練発表。
DIA-601-1981-02-12-2アメリカ1981年02月12日1980年代米政府,サウジアラビアへのF15改良部品提供代償にイスラエルへの好条件の追加兵器売却とPLO問題でのイスラエルへの譲歩を検討中(WP2/13)。
DIA-601-1981-02-12-3アメリカ1981年02月12日1980年代ヘイグ長官,大河原大使と会見。
DIA-601-1981-02-13-1アメリカ1981年02月13日1980年代(北京):ウッドコック米大使帰国の途へ。
DIA-601-1981-02-18-1アメリカ1981年02月18日1980年代レーガン大統領,米経済再建計画発表。所得減税,3年で30%,国防費5年で1350億ドル増,82年度対外援助,カーター予算より26%減など。
DIA-601-1981-02-18-2アメリカ1981年02月18日1980年代国務省,人質でイランとの合意守ると声明。
DIA-601-1981-02-19-1アメリカ1981年02月19日1980年代パーシー上院外交委員長,レーガン政権は,エルサルバドルを共産主義に対して線を引く場所と決定したと言明。
DIA-601-1981-02-19-2アメリカ1981年02月19日1980年代グレンら8上院議員,サウジアラビアへのF15改良部品売却反対書簡をホワイトハウスに送付。
DIA-601-1981-02-20-1アメリカ1981年02月20日1980年代ワインバーガー国防長官,大河原日本大使に対し,日本の最大限の防衛努力を要請。
DIA-601-1981-02-20-2アメリカ1981年02月20日1980年代ロング太平洋軍司令官,下院で,太平洋での米ソ軍事力ほぼ互角と証言,太平洋地域での空母艦隊2,3,群の追加など主張,日本の防衛努力強化をも求める。
DIA-601-1981-02-22-1アメリカ1981年02月22日1980年代ミース大統領顧問,キューバのエルサルバドル支援阻止で海上封鎖示唆。
DIA-601-1981-02-23-1アメリカ1981年02月23日1980年代ヘイグ長官,ブレジネフ書記長のソ連党大会での米ソ会談よびかけなどに関心を表明。
DIA-601-1981-02-23-2アメリカ1981年02月23日1980年代国務省報道官,米政府は中東政策の力点をパレスチナ和平から対ソ抵抗力強化におくことにしたと言明(WP2/24)。
DIA-601-1981-02-24-1アメリカ1981年02月24日1980年代レーガン大統領,ベトナム帰還兵に叙勲。
DIA-601-1981-02-24-2アメリカ1981年02月24日1980年代レーガン,エルサルバドルへのベトナム型介入否定。また米ソ首脳会談に関心表明。
DIA-601-1981-02-24-3アメリカ1981年02月24日1980年代レーガン,イスラエル外相と会談。
DIA-601-1981-02-24-4アメリカ1981年02月24日1980年代ヘイグ長官,中東早期訪問意向表明。
DIA-601-1981-02-25-1アメリカ1981年02月25日1980年代(エルサレム):スターナー国務次官,イスラエル首脳に,レーガン政権のシナイ平和維持軍支持を伝達(IHT2/27)。
DIA-601-1981-02-26-1アメリカ1981年02月26日1980年代レーガン,サッチャー英首相と会談。
DIA-601-1981-02-27-1アメリカ1981年02月27日1980年代ヘイグ長官,対外援助は二国間重点と語る。
DIA-601-1981-02-27-2アメリカ1981年02月27日1980年代(エルサレム):スターナー国務次官,シナイ平和維持軍は82年4月以前に設立されようと語る。
DIA-601-1981-02-28-1アメリカ1981年02月28日1980年代英首相,海岸防衛緊急部隊への英参加示唆。
DIA-601-1981-03-03-1アメリカ1981年03月03日1980年代レーマン海軍長官,世界の主要海域でソ連に対抗するための米海軍増強計画公表。艦船数を456隻から600隻へ,空母部隊を12部隊から15部隊へ増強。
DIA-601-1981-03-03-2アメリカ1981年03月03日1980年代レーガン大統領,東アジア・太平洋担当国務次官補にジョン・H・ホルドリッジ指名。
DIA-601-1981-03-04-1アメリカ1981年03月04日1980年代レーガン政権,81,82両年度の国防予算大幅増額を議会に要請。ワインバーガー国防長官の説明によれば,国防予算は81年度がカーター案より68億ドル増の1780億ドル,82年度が258億ドル増で2222億ドルとなる(各々債務負担権限総額)。これらは,装備備蓄,兵站物資の充実,兵員給与の改善,兵器の近代化,艦船建造の拡大,空母オリスカニー,戦艦ニュージャージー,アイオアの再就役費などに使われる。同長官は,こうした増額は,あらゆる紛争レベルで,またあらゆる重要地域で,ソ連の脅威に対応する能力を改善するものであると述べ,特に中東でのソ連への対抗,西欧・日本との防衛協力の必要性を強調した(WP3/5,および米政府発行資料による)。
DIA-601-1981-03-06-1アメリカ1981年03月06日1980年代国務省,サウジアラビアへのF15補助燃料タンク,サイドワインダー・ミサイル供与決定。またイスラエルに武器信用6億ドル追加供与約束。
DIA-601-1981-03-06-2アメリカ1981年03月06日1980年代(バンコク):アブラモヴィツ米大使,ソン・サン「カンボジア人民民族解放戦線」議長と会談。
DIA-601-1981-03-08-1アメリカ1981年03月08日1980年代ワインバーガー長官,サウジアラビアやエジプトに米軍を常駐させたいと言明,またアフガン・ゲリラへの武器援助示唆。
DIA-601-1981-03-09-1アメリカ1981年03月09日1980年代レーガン,求められれば,アフガン・ゲリラへの武器提供考慮,と言明。
DIA-601-1981-03-09-2アメリカ1981年03月09日1980年代(東京):ケーシーCIA長官,鈴木首相と会談。
DIA-601-1981-03-10-1アメリカ1981年03月10日1980年代レーガン,82年度改訂予算案,議会提出。カーター予算より486億ドル削減し,歳出は6953億ドル,歳入6503億ドル(カーター予算より615億ドル減),赤字は450億ドル(カーター予算は275億ドル)。国防費のみ1888億ドルでカーター予算比44億ドル増。
DIA-601-1981-03-10-2アメリカ1981年03月10日1980年代国務省,82年度対外軍事援助費69億ドル(カーター予算より9億ドル増)発表。うちイスラエルは21億8000万,エジプト16億5000万,トルコ7億,チュニジア9500万,エルサルバドル6500万,タイ9000万ドル。
DIA-601-1981-03-11-1アメリカ1981年03月11日1980年代米政府筋は,米政府は中東・インド洋での米軍事基地網拡充のため5カ年で20億ドルの支出を予定していると述べた。今年度は2億7000万ドル,82年度は4億7260万ドルで,エジプトのラスバナス基地拡充に1億640万,オーマンのマシラ島基地に7500万,ソマリアのベルバラ基地に2400万,ケニアのモンバサ基地に2600万ドルの支出が予定されている(IHT3/14)。
DIA-601-1981-03-11-2アメリカ1981年03月11日1980年代(キャンベラ):米・豪,B52のダーウィン基地利用で協定。
DIA-601-1981-03-13-1アメリカ1981年03月13日1980年代(バンコク):米大使館,82年度米政府のアジア軍事援助計画公表。タイ:軍事信用売却(FMS)8000万ドル,軍事訓練費(IMET)200万ドル,経済支持援助1000万ドル。インドネシア:FMS4500万ドル,IMET295万ドル。韓国:FMS1億6750万ドル,IMET180万ドル。マレーシア:FMS1250万ドル,IMET65万ドル。フィリピン:FMS5000万ドル,IMET130万ドル,経済支持援助5000万ドル。パプア・ニューギニア:IMET2万ドル。
DIA-601-1981-03-14-1アメリカ1981年03月14日1980年代(オーマーン):フォード元大統領訪問。
DIA-601-1981-03-16-1アメリカ1981年03月16日1980年代(シンガポール):フォード元大統領訪問。
DIA-601-1981-03-18-1アメリカ1981年03月18日1980年代ヘイグ長官,議会で,米援助は安全保障重視で二国間援助中心に,また軍事援助は中東中心と言明。
DIA-601-1981-03-18-2アメリカ1981年03月18日1980年代ヘイグ長官,シナイ平和維持軍への参加用意表明。
DIA-601-1981-03-18-3アメリカ1981年03月18日1980年代(ジャカルタ):フォード元大統領訪イ。
DIA-601-1981-03-19-1アメリカ1981年03月19日1980年代ヘイグ長官,議会で,レーガン政権は,パキスタンからエジプトに至り,トルコ,イスラエル,サウジアラビアを含む地域で,ソ連に対抗するための,戦略的な合意を発展させたい,と証言(IHT3/22)。
DIA-601-1981-03-19-2アメリカ1981年03月19日1980年代米政府,議会に,パキスタン,アルゼンチン武器禁輸法廃止とアンゴラ反政府派援助禁止法廃止を要請。
DIA-601-1981-03-19-3アメリカ1981年03月19日1980年代レーガン,ヘイグ,柴沢民中国大使と会談。
DIA-601-1981-03-21-1アメリカ1981年03月21日1980年代アレン補佐官,西側同盟は西欧の経済危機と平和主義的感情の復活で危機に直面と語る(WP3/22)。
DIA-601-1981-03-21-2アメリカ1981年03月21日1980年代アレン補佐官,米中関係は戦略的関係に発展しようと述べ,,またレーガン大統領が中国大使に米台開係法尊重と伝えたことを明らかにした(WP3/22)。
DIA-601-1981-03-22-1アメリカ1981年03月22日1980年代(北京):フォード元大統領訪中。
DIA-601-1981-03-23-1アメリカ1981年03月23日1980年代伊東外相,ヘイグ,ワインバーガーらと会談。
DIA-601-1981-03-23-2アメリカ1981年03月23日1980年代(北京):フォード元大統領,趙首相と会見,レーガン親書手交。鄧副首相とも会見。
DIA-601-1981-03-24-1アメリカ1981年03月24日1980年代レーガン,「危機対策委員会」設置(委員長にブッシュ副大統領)。
DIA-601-1981-03-24-2アメリカ1981年03月24日1980年代レーガン,伊東外相と会見。
DIA-601-1981-03-25-1アメリカ1981年03月25日1980年代(ビエンチャン):ネグロポンテ国務次官補代理,タイからラオス入り。
DIA-601-1981-03-26-1アメリカ1981年03月26日1980年代国務省,韓国へのF16(36機)売却議会通告。
DIA-601-1981-03-27-1アメリカ1981年03月27日1980年代(北京):フォード元大統領,中国側と米国の対中武器売却を協議したことを明らかにし,また台湾への武器売却問題は解決可能と言明した(IHT3/28)。
DIA-601-1981-03-27-2アメリカ1981年03月27日1980年代(東京):フォード訪日。
DIA-601-1981-03-27-3アメリカ1981年03月27日1980年代国務省,パキスタンへの援助再開で原則合意発表。
DIA-601-1981-03-30-1アメリカ1981年03月30日1980年代レーガン大統領,狙撃され負傷。
DIA-601-1981-04-02-1アメリカ1981年04月02日1980年代米政府,イラクへのボーイング727(3機),747(2機)輸出許可方針発表。
DIA-601-1981-04-03-1アメリカ1981年04月03日1980年代ヘイグ国務長官,中東へ出発。
DIA-601-1981-04-04-1アメリカ1981年04月04日1980年代(カイロ):ヘイグ長官,エジプト入り。
DIA-601-1981-04-04-2アメリカ1981年04月04日1980年代(ロンドン):ワインバーガー長官,ソ連がポーランド介入すれば,対中武器売却と示唆(WP4/5)。
DIA-601-1981-04-05-1アメリカ1981年04月05日1980年代(カイロ):ヘイグ長官,サダト大統領と会談。和平への努力継続を約束。
DIA-601-1981-04-05-2アメリカ1981年04月05日1980年代(エルサレム):ヘイグ長官,イスラエル入り,ベギン首相と会談。
DIA-601-1981-04-06-1アメリカ1981年04月06日1980年代スピークス大統領副報道官,中国への軍事物資売り渡しを検討中と言明。
DIA-601-1981-04-06-2アメリカ1981年04月06日1980年代(エルサレム):ヘイグ長官,ベギン首相と会談。
DIA-601-1981-04-06-3アメリカ1981年04月06日1980年代(アンマン):ヘイグ長官,フセイン国王と会談。
DIA-601-1981-04-07-1アメリカ1981年04月07日1980年代(リヤド):ヘイグ長官,アウジアラビア訪問,ファハド皇太子と会談。
DIA-601-1981-04-08-1アメリカ1981年04月08日1980年代(リヤド):ヘイグ長官,ハリド国王と会見。
DIA-601-1981-04-08-2アメリカ1981年04月08日1980年代(ローマ):中東訪問を終えたヘイグ長官は,ソ連からの脅威に関して,4カ国と実質的合意と語る。
DIA-601-1981-04-09-1アメリカ1981年04月09日1980年代(東京):鹿児島沖で日昇丸沈没事件。
DIA-601-1981-04-10-1アメリカ1981年04月10日1980年代(ソウル):チーム・スピリット81終了。
DIA-601-1981-04-10-2アメリカ1981年04月10日1980年代(東京):米大使館,日昇丸は米原潜「ジョージ・ワシントン」と衝突と日本に通告。
DIA-601-1981-04-11-1アメリカ1981年04月11日1980年代レーガン大統領退院。
DIA-601-1981-04-12-1アメリカ1981年04月12日1980年代米スペース・シャトル第1号発射成功。
DIA-601-1981-04-12-2アメリカ1981年04月12日1980年代(バグダッド):ドレーパー国務次官補代理,イラク訪問,イラク外相と会談。
DIA-601-1981-04-12-3アメリカ1981年04月12日1980年代(ジェッダ):ベーカー議員,ハリド国王会見。
DIA-601-1981-04-13-1アメリカ1981年04月13日1980年代国務省,トルコへのF4E15機売却,議会通告。
DIA-601-1981-04-13-2アメリカ1981年04月13日1980年代(バグダッド):ドレーパー次官補代理,イラクとの対話の道開く,しかし国交は近い将来なしと語る(WP4/14)。
DIA-601-1981-04-13-3アメリカ1981年04月13日1980年代(カイロ):民主カンボジアのイエン・サリ副首相は,米政府が,先月,クライン国務省顧問を派遣,同政府代表と会談した,と記者会見で発言。
DIA-601-1981-04-15-1アメリカ1981年04月15日1980年代国務省,ソ連のポーランド介入可能性,当面遠のくと発表。
DIA-601-1981-04-15-2アメリカ1981年04月15日1980年代(カイロ):ベーカー上院議員,ムバラク副大統領と会談。
DIA-601-1981-04-16-1アメリカ1981年04月16日1980年代国務省,サウジアラビアへのTOW対戦車ミサイル1万基売却検討中と確認。
DIA-601-1981-04-16-2アメリカ1981年04月16日1980年代ヘイグ長官,対ソ交渉再開検討中と語る(WP4/17)。
DIA-601-1981-04-16-3アメリカ1981年04月16日1980年代(東京):ロング米太平洋軍司令官,鈴木首相,伊東外相訪問,原潜事故早期調査約束。
DIA-601-1981-04-17-1アメリカ1981年04月17日1980年代ヘイグ長官,ゴンサルベス・インド外務次官と会見,パキスタン支援はインド脅かさぬ,と語る。
DIA-601-1981-04-17-2アメリカ1981年04月17日1980年代(東京):ロング太平洋軍司令官,大村防衛庁長官に,ソ連10年前から極東を正面扱いしていると語る。
DIA-601-1981-04-18-1アメリカ1981年04月18日1980年代ボルドリッジ商務長官,レーガン大統領がソ連のポーランド介入なしと判断すれば,1~2週内に対ソ穀物禁輸解除しよう,と言明。
DIA-601-1981-04-18-2アメリカ1981年04月18日1980年代(ニューデリー):インド政府,米供与の核燃料再処理,プルトニウム生産すると発表。
DIA-601-1981-04-19-1アメリカ1981年04月19日1980年代レーガン政権,対ソ長期通常戦に対応する新軍事戦略検討中と高官筋談(NYT4/19)。
DIA-601-1981-04-20-1アメリカ1981年04月20日1980年代ヘイグ長官,パキスタン外相と会談。
DIA-601-1981-04-20-2アメリカ1981年04月20日1980年代レーマン海軍長官,原潜事故で対日賠償と声明。
DIA-601-1981-04-21-1アメリカ1981年04月21日1980年代ホワイトハウス,サウジアラビアへのAWACS5機売却決定発表。F15(62機)用サイドワインダー・ミサイルと補助燃料タンク,空中給油機も売却。
DIA-601-1981-04-21-2アメリカ1981年04月21日1980年代パキスタン外相,米が5カ年の軍事・経済援助を申し入れと語る。
DIA-601-1981-04-22-1アメリカ1981年04月22日1980年代レーガン大統領,軍縮局長にユージン・ロストゥ任命。
DIA-601-1981-04-22-2アメリカ1981年04月22日1980年代ホワイトハウス,サウジアラビアへのAWACS売却はイスラエルの安全脅かさぬ,と声明。
DIA-601-1981-04-23-1アメリカ1981年04月23日1980年代(WP紙4/23):米政府,米・インド原子力協定破棄方針決定説。
DIA-601-1981-04-24-1アメリカ1981年04月24日1980年代米政府,対ソ穀物禁輸解除発表。
DIA-601-1981-04-24-2アメリカ1981年04月24日1980年代国防省,緊急展開部隊に独立司令部創設と発表。
DIA-601-1981-04-25-1アメリカ1981年04月25日1980年代(北京):シアヌーク殿下,ステープルトン・ロイ米代理大使と会談。
DIA-601-1981-04-26-1アメリカ1981年04月26日1980年代国防省高官,米政府今後5年で兵員25万人増を計画中,と(NYT4/26)。
DIA-601-1981-04-26-2アメリカ1981年04月26日1980年代ベーカー上院議員,政府,AWACSサウジ売却の議会提案,夏以降まで延期に同意した,と(WP4/27)。
DIA-601-1981-04-27-1アメリカ1981年04月27日1980年代米政府,韓国へのF16(30機)売却議会通告。
DIA-601-1981-04-28-1アメリカ1981年04月28日1980年代(サンフランシスコ):ワインバーガー長官,日本の防衛努力増大を要求する演説。
DIA-601-1981-04-28-2アメリカ1981年04月28日1980年代(東京):鈴木首相,米の対ソ穀物禁輸解除にとまどい表明。
DIA-601-1981-04-29-1アメリカ1981年04月29日1980年代国防省,エジプト発注の35億ドル米兵器引き渡し促進と発表。
DIA-601-1981-04-29-2アメリカ1981年04月29日1980年代ホルドリッジ次期国務次官補,ソン・サン議長と会談。国務省報道官,カンボジアの反ベトナム勢力に米が武器を供与する考えを排除せぬと言明。
DIA-601-1981-04-29-3アメリカ1981年04月29日1980年代ヘイグ長官,シティ・タイ外相と会談。
DIA-601-1981-04-29-4アメリカ1981年04月29日1980年代米政府,対ソ穀物で日本と十分協議と声明。
DIA-601-1981-04-29-5アメリカ1981年04月29日1980年代(サンフランシスコ):米韓安保協議会開く。
DIA-601-1981-04-30-1アメリカ1981年04月30日1980年代国防省,日本にP3C1番機引渡しと発表。
DIA-601-1981-05-01-1アメリカ1981年05月01日1980年代(サンフランシスコ):米韓安保協議終了。
DIA-601-1981-05-01-2アメリカ1981年05月01日1980年代(東京):日本,対米自動車輸出自主規制発表。
DIA-601-1981-05-03-1アメリカ1981年05月03日1980年代(NYT5/3):米政府,カンボジアの反ベトナム勢力への政治的支援決定と報道。
DIA-601-1981-05-04-1アメリカ1981年05月04日1980年代(テルアビブ):レーガン大統領,ベギン首相に親書,レバノン問題の外交解決求む(WP5/5)。
DIA-601-1981-05-05-1アメリカ1981年05月05日1980年代ホワイトハウス,米特使のレバノン,シリア,イスラエル派遣を発表。
DIA-601-1981-05-05-2アメリカ1981年05月05日1980年代(シカゴ):ワインバーガー長官,ソ連封じ込めのための通常兵力強化方針表明(NYT5/6)。
DIA-601-1981-05-05-3アメリカ1981年05月05日1980年代(ダーウィン):空軍基地にB52初飛来。
DIA-601-1981-05-06-1アメリカ1981年05月06日1980年代米政府,駐米リビア外交官全員に5日内の退去命令。
DIA-601-1981-05-06-2アメリカ1981年05月06日1980年代米政府,ハビブ特使をレバノンに派遣。
DIA-601-1981-05-06-3アメリカ1981年05月06日1980年代鈴木首相到着,ヘイグ長官と会談。
DIA-601-1981-05-07-1アメリカ1981年05月07日1980年代鈴木首相,午前,レーガン大統領と会談,ヘイグ長官主催昼食会出席。午後,米議員団と会見,レーガン大統領主催夕食会出席。レーガン大統領は鈴木首相に,日米同盟の重視,重要問題についての十分な事前協議を約束,自動車輸出規制に感謝,原潜事故に遺憾表明。
DIA-601-1981-05-07-2アメリカ1981年05月07日1980年代下院,82年度レーガン予算案可決。
DIA-601-1981-05-08-1アメリカ1981年05月08日1980年代鈴木・レーガン会談終了。日米共同声明発表。 声明は,日米両国の同盟関係を確認,ソ連の第三世界での行動に憂慮表明,中国,ASEANとの協力,朝鮮平和の促進,カンボジア問題の早期解決,中東での安全保障協力などで合意,また日本は防衛力改善を約束した。なお鈴木首相は,日本人記者との会見で,日米同盟関係は軍事的意味合いはもたぬ,と言明。
DIA-601-1981-05-08-2アメリカ1981年05月08日1980年代(ベイルート):ハビブ,レバノン大統領と会談。
DIA-601-1981-05-09-1アメリカ1981年05月09日1980年代(ダマスカス):ハビブ,シリア外相と会談。
DIA-601-1981-05-10-1アメリカ1981年05月10日1980年代(ダマスカス):ハビブ特使,シリア大統領と会見,レバノン危機調停案示す。
DIA-601-1981-05-11-1アメリカ1981年05月11日1980年代国防省,日本へのE2C4機売却,議会通告。
DIA-601-1981-05-11-2アメリカ1981年05月11日1980年代(テルアビブ):ハビブ特使,イスラエル入り。
DIA-601-1981-05-12-1アメリカ1981年05月12日1980年代レーガン大統領,米の力をソ連と対等にするため,同盟国との団結固め直すと演説。
DIA-601-1981-05-12-2アメリカ1981年05月12日1980年代下院外交委,82年度対外援助60億2600万ドル可決。
DIA-601-1981-05-12-3アメリカ1981年05月12日1980年代ミース大統領顧問,台湾報道陣に,台湾関係法順守と台湾への武器売却約束。
DIA-601-1981-05-12-4アメリカ1981年05月12日1980年代(テルアビブ):ハビブ特使,ベギン首相と会談。
DIA-601-1981-05-13-1アメリカ1981年05月13日1980年代国務省,ヘイグ長官,6月下旬日中訪問発表。
DIA-601-1981-05-13-2アメリカ1981年05月13日1980年代(東京):鈴木首相,日米同盟の軍事側面解釈で伊東外相と対立。
DIA-601-1981-05-14-1アメリカ1981年05月14日1980年代上下両院協,82年度予算一次決議合意。歳出6955億,歳入6578億ドル,赤字377億ドル。
DIA-601-1981-05-14-2アメリカ1981年05月14日1980年代上院外交委,58億ドルの対外援助可決。
DIA-601-1981-05-14-3アメリカ1981年05月14日1980年代上院外交委,パキスタンへの年5億ドル(5カ年)援助可決。
DIA-601-1981-05-14-4アメリカ1981年05月14日1980年代(ダマスカス):ハビブ,シリア大統領と会談。
DIA-601-1981-05-15-1アメリカ1981年05月15日1980年代(テルアビブ):ベギン首相・ハビブ会談。
DIA-601-1981-05-16-1アメリカ1981年05月16日1980年代(リヤド):ハビブ特使,サウジアラビア訪問,ファハド皇太子と会談。
DIA-601-1981-05-16-2アメリカ1981年05月16日1980年代(東京):伊東外相辞任,後任に園田厚生相。
DIA-601-1981-05-16-3アメリカ1981年05月16日1980年代米艦,日本海で漁船18隻のハエナワ切断事故起す。
DIA-601-1981-05-18-1アメリカ1981年05月18日1980年代(東京):毎日新聞,ライシャワー元大使が,60年代から米海軍,核もち込み日本寄港と発言と報ず。
DIA-601-1981-05-18-2アメリカ1981年05月18日1980年代(ダマスカス):ハビブ特使,シリア入り。
DIA-601-1981-05-19-1アメリカ1981年05月19日1980年代上院,ホルドリッジ国務次官補承認。
DIA-601-1981-05-19-2アメリカ1981年05月19日1980年代国務省,第1次・第2次米ソ戦略兵器制限協定に拘束されないと声明。
DIA-601-1981-05-19-3アメリカ1981年05月19日1980年代(ダマスカス):ハビブ,シリア大統領と会談。
DIA-601-1981-05-20-1アメリカ1981年05月20日1980年代ボルドリッジ商務長官,海外不正行為禁止法を修正したいと言明。
DIA-601-1981-05-21-1アメリカ1981年05月21日1980年代レーガン大統領,シュミット西独首相と会談。
DIA-601-1981-05-21-2アメリカ1981年05月21日1980年代上下両院,82年度予算第一次決議可決。
DIA-601-1981-05-21-3アメリカ1981年05月21日1980年代(ウイリアムスバーグ):バックリー国務次官,対外武器売却は米国防,外交の重要手段と語る(IHT5/23)。
DIA-601-1981-05-21-4アメリカ1981年05月21日1980年代(WP紙5/21):米政府,今月初め,ラオスに不明米人確認のため20~30人のラオ人雇兵を秘密に派遣,しかし米兵発見しえず,と報道。
DIA-601-1981-05-22-1アメリカ1981年05月22日1980年代レーガン・シュミット会談終了。
DIA-601-1981-05-22-2アメリカ1981年05月22日1980年代ヘイグ長官,ソ連の中東国際会議提案拒否。
DIA-601-1981-05-22-3アメリカ1981年05月22日1980年代(WP紙5/22):レーガン政権,国際機関のベトナム援助停止ヘキャンペーン。月初めベトナムの小麦250トンの人道援助要請を拒否。
DIA-601-1981-05-23-1アメリカ1981年05月23日1980年代(テルアビブ):ハビブ特使,イスラエルへ。
DIA-601-1981-05-25-1アメリカ1981年05月25日1980年代(ジャカルタ):インドネシア,米からC130H30ハーキュリー数機購入契約。
DIA-601-1981-05-27-1アメリカ1981年05月27日1980年代(ニューヨーク):レーガン大統領,米ソ戦略兵器制限協定に縛られず対ソ優位へ核開発と演説。
DIA-601-1981-05-27-2アメリカ1981年05月27日1980年代(コロラド州):ワインバーガー長官,米は日本に核の傘与える権利をもつと言明。
DIA-601-1981-05-27-3アメリカ1981年05月27日1980年代(テルアビブ):ハビブ,ベギン首相と会談。
DIA-601-1981-05-27-4アメリカ1981年05月27日1980年代(バンコク):米戦争不明者調査団,ハノイへ。
DIA-601-1981-05-28-1アメリカ1981年05月28日1980年代国務省,ヘイグ訪中,6月14~17日と発表。ミース,ベーカー両大統領顧問,中国大使と夕食。
DIA-601-1981-05-29-1アメリカ1981年05月29日1980年代ハビブ特使,レーガン大統領に中東報告。
DIA-601-1981-05-29-2アメリカ1981年05月29日1980年代(ハノイ):ベトナム,米調査団に3米兵遺体発見と通告。
DIA-601-1981-05-30-1アメリカ1981年05月30日1980年代(ハノイ):米調査団,タイへ。
DIA-601-1981-06-03-1アメリカ1981年06月03日1980年代ヘイグ長官,柴沢民中国大使と会談。
DIA-601-1981-06-04-1アメリカ1981年06月04日1980年代レーガン大統領,国家安保会議で中国討議。
DIA-601-1981-06-04-2アメリカ1981年06月04日1980年代ボルドリッジ商務長官,米中貿易全国評議会で,米中経済関係発展を強調,中国の契約キャンセルは,主に日本,西独対象で米国向けでなかったと発言(WP6/14)。
DIA-601-1981-06-08-1アメリカ1981年06月08日1980年代(テルアビブ):イスラエル空軍,イラクの原子炉爆撃。○(ワシントン):国務省,イスラエルの攻撃に重大懸念と非難の声明。
DIA-601-1981-06-09-1アメリカ1981年06月09日1980年代(北京):中国筋,中国は現行水準(年7~8億ドル)の米の台湾への武器売却許容と語る(WP6/10)。
DIA-601-1981-06-09-2アメリカ1981年06月09日1980年代(ベイルート):ハビブ特使訪問。
DIA-601-1981-06-10-1アメリカ1981年06月10日1980年代米政府,イスラエルへの12日予定のF16(4機)引渡し延期決定。
DIA-601-1981-06-10-2アメリカ1981年06月10日1980年代(ホノルル):日米安保事務協議開催。
DIA-601-1981-06-11-1アメリカ1981年06月11日1980年代レーガン大統領,サウジアラビア,ヨルダンなどアラブ5力国駐米大使と会談。
DIA-601-1981-06-11-2アメリカ1981年06月11日1980年代(イスラマバード):バックリー国務次官訪パ。
DIA-601-1981-06-12-1アメリカ1981年06月12日1980年代(ホノルル):日米安保協議終了。米,対日防衛増強要求案提示。
DIA-601-1981-06-12-2アメリカ1981年06月12日1980年代(香港):ヘイグ長官到着。イスラエルのイラク爆撃で米の中東外交に悪影響ありうると述べる。
DIA-601-1981-06-13-1アメリカ1981年06月13日1980年代(東京):政府筋は,日米安保協で,米側は,日本の有事即応態勢の確立,指揮・統制・通信態勢,情報収集態勢確立,防衛能力整備,陸海空自衛隊の統合運用,5年内の態勢整備を要求と述べた(読売6/14)。
DIA-601-1981-06-13-2アメリカ1981年06月13日1980年代(イスラマバード):バックリー国務次官,パキスタン外相と会談。
DIA-601-1981-06-14-1アメリカ1981年06月14日1980年代(北京):ヘイグ長官訪中。黄華外相と会談。ソ連の脅威で一致。黄華外相の歓迎宴で同長官は,“強力で繁栄した中国は,米国の安全保障の基礎となる戦略バランスにとり不可欠”と述べる。なお同行の米高官は,台湾への年7~8億ドルの兵器売却つづける,米政府はベトナム孤立化策継続,ベトナムは東南アジアのキューバ,中国は友好的非同盟国などと述べる(WP6/14)。
DIA-601-1981-06-14-2アメリカ1981年06月14日1980年代(イスラマバード):バックリー国務次官,パキスタン外相との会談終了。
DIA-601-1981-06-14-3アメリカ1981年06月14日1980年代(ジェッダ):ハビブ特使・サウジ外相会談。
DIA-601-1981-06-15-1アメリカ1981年06月15日1980年代米政府,パキスタンへの30億ドル援助合意と発表。82年10月より5カ年,F16も含む。
DIA-601-1981-06-15-2アメリカ1981年06月15日1980年代(北京):ヘイグ長官,黄華外相と会談。また臥耿国防相,薄一波副首相とも会談。
DIA-601-1981-06-15-3アメリカ1981年06月15日1980年代(ジェッダ):ハビブ特使,ファハド皇太子と会談。
DIA-601-1981-06-16-1アメリカ1981年06月16日1980年代(北京):ヘイグ長官,鄧小平副主席,趙紫陽首相と会談。ヘイグ長官,記者会見で,中国への殺傷用兵器売却認めると言明。また対中貿易規制緩和,台湾と米国民の交流継続を中国に伝え,米中関係は上海コミュニケ原則により進めることで合意したなどと言明。
DIA-601-1981-06-16-2アメリカ1981年06月16日1980年代ホルドリッジ次官補は北京での講演で,日本はいま他国との安全保障条約を続けるか再軍備かの選択に直面,米国はベトナム軍のカンボジア撤兵のため政治的,経済的および,必要なら軍事的圧力をかける,など言明。
DIA-601-1981-06-16-3アメリカ1981年06月16日1980年代(ワシントン):レーガン大統領,イスラエルのイラク攻撃に理解表明。
DIA-601-1981-06-16-4アメリカ1981年06月16日1980年代(ダマスカス):ハビブ,シリア大統領と会談。
DIA-601-1981-06-17-1アメリカ1981年06月17日1980年代(ニューヨーク):ワインバーガー長官,レーガン政権,対ソ“多発報復戦略”採用したと言明。
DIA-601-1981-06-17-2アメリカ1981年06月17日1980年代(マニラ):ヘイグ長官,フィリピン入り。
DIA-601-1981-06-18-1アメリカ1981年06月18日1980年代米政府当局,米国が中ソ国境の中国内2情報基地(79年内に米技術・設備で建設,中国要員操作)からソ連情報をえていると言明(読売6/19)。
DIA-601-1981-06-18-2アメリカ1981年06月18日1980年代(マニラ):ヘイグ長官,ロムロ外相と会見。
DIA-601-1981-06-18-3アメリカ1981年06月18日1980年代(テルアビブ):ハビブ,ベギン首相と会談。
DIA-601-1981-06-19-1アメリカ1981年06月19日1980年代レーガン大統領,リー・クァン・ユー首相と会談,米国防長官,CIA長官も参加。
DIA-601-1981-06-19-2アメリカ1981年06月19日1980年代(マニラ)ヘイグ長官,拡大ASEAN外相非公式会議出席,対中武器売却現実化すれば相談と言明。○ヘイグ長官,園田外相と会談。
DIA-601-1981-06-19-3アメリカ1981年06月19日1980年代(ジェッダ):ハビブ特使,サウジアラビア入り。
DIA-601-1981-06-20-1アメリカ1981年06月20日1980年代(マニラ):ヘイグ長官,拡大ASEAN外相会議で,ベトナムと関係正常化せぬ,東南アジアでの米軍事力維持・強化など言明。同長官は記者会見で,カンボジアの反ベ勢力への軍事支援は未決定と述べた。
DIA-601-1981-06-21-1アメリカ1981年06月21日1980年代(ウェリントン):ヘイグ長官同行の高官,米は台湾への戦闘機売却急がぬ,ASEANは米の対中武器売却に反対せず,など言明(WP6/22)。
DIA-601-1981-06-22-1アメリカ1981年06月22日1980年代米政府,議会に対中最恵国待遇延長求む。
DIA-601-1981-06-22-2アメリカ1981年06月22日1980年代(ウェリントン):ANZUS外相会議開く。
DIA-601-1981-06-22-3アメリカ1981年06月22日1980年代(ベイルート):ハビブ特使到着。25日帰米の途。
DIA-601-1981-06-23-1アメリカ1981年06月23日1980年代上院外交委,ロストウ軍縮局長承認。
DIA-601-1981-06-23-2アメリカ1981年06月23日1980年代(ウェリントン):ANZUS外相会議終了。
DIA-601-1981-06-25-1アメリカ1981年06月25日1980年代(カイロ):米・エ・イ三国,シナイ平和維持軍で合意と発表。
DIA-601-1981-06-27-1アメリカ1981年06月27日1980年代レーガン,駐韓大使にウォーカー南加大教授。
DIA-601-1981-06-28-1アメリカ1981年06月28日1980年代ヘイグ長官,対中武器売却は中国を友好国として明白に承認したことの反映,しかし台湾への防衛兵器売却約束は守ると言明(IHT6/29)。
DIA-601-1981-06-29-1アメリカ1981年06月29日1980年代ヘイグ長官,イランの外国介入に警告。
DIA-601-1981-06-29-2アメリカ1981年06月29日1980年代米・エジプト原子力開発協力協定調印。
DIA-601-1981-06-29-3アメリカ1981年06月29日1980年代大村防衛長官,ヘイグ,ワインバーガー長官会見。
DIA-601-1981-06-30-1アメリカ1981年06月30日1980年代レーガン,オーストラリア首相と会談。
DIA-601-1981-07-01-1アメリカ1981年07月01日1980年代ホワイトハウス,17日予定のイスラエル向けF16輸出(6機)実施すると発表。
DIA-601-1981-07-02-1アメリカ1981年07月02日1980年代最高裁,対イラン人質解放協定合法と判決。
DIA-601-1981-07-05-1アメリカ1981年07月05日1980年代(ロサンゼルス・タイムス7/5):ニクソン政権からレーガン政権まで四代の米政権が過去7年,PLOと秘密接触と報道。
DIA-601-1981-07-06-1アメリカ1981年07月06日1980年代レーガン大統領,ハビブ特使と中東協議。
DIA-601-1981-07-07-1アメリカ1981年07月07日1980年代(ベトナム):米兵3遺体を米機に渡す。
DIA-601-1981-07-08-1アメリカ1981年07月08日1980年代米政府,軍の人手不足対策で,国防長官を長とする「軍事要員問題検討作業班」設置。○なお陸軍は87年度に兵員9万6000人不足と報告(WP7/9)。
DIA-601-1981-07-08-2アメリカ1981年07月08日1980年代国防省,サウジアラビア,ヨルダン,チュニジアへの2億5000万ドル兵器売却を議会に通告。
DIA-601-1981-07-08-3アメリカ1981年07月08日1980年代商務省,対中高度技術商品輸出手続き簡素化発表。
DIA-601-1981-07-08-4アメリカ1981年07月08日1980年代ブロック通商代表,輸出拡大へ総合貿易対策5項目を提唱。海外不正支払い防止法など米国の輸出規制の是正,自由貿易の障害となる外国政府の措置是正など。
DIA-601-1981-07-09-1アメリカ1981年07月09日1980年代ホワイトハウス,武器輸出基準から人権基準を廃止する意向声明。
DIA-601-1981-07-09-2アメリカ1981年07月09日1980年代ブロック通商代表,日本に農産物,高度技術商品の輸入自由化要望と議会で声明。
DIA-601-1981-07-09-3アメリカ1981年07月09日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,レバノン入り。
DIA-601-1981-07-12-1アメリカ1981年07月12日1980年代レーガン大統領,アレン補佐官の毎朝の報告に替え,週3回,国防・国務・CIA各長官とミース,アレン,ベーカー,ディーバー各補佐官,副大統領からなる8人委と会合する方針を決定。
DIA-601-1981-07-12-2アメリカ1981年07月12日1980年代(テルアビブ):ハビブ特使,イスラエル入り。
DIA-601-1981-07-13-1アメリカ1981年07月13日1980年代(国連):カンボジア国際会議開催。ヘイグ長官,ベトナムのカンボジア占領とかいらい政権樹立はタイ,東南アジアの安定に脅威,ソ連はベトナムのカンボジア占領を支援と非難(WP7/14)。○ヘイグ長官・園田外相会談。
DIA-601-1981-07-14-1アメリカ1981年07月14日1980年代ヒューゲルCIA副長官,70年代なかば株価不正操作と報道され,辞任。後任ジョン・スティン任命。
DIA-601-1981-07-14-2アメリカ1981年07月14日1980年代ストーセル国務次官,人権批判は非公然の忠告の形ですすめると下院小委で証言。
DIA-601-1981-07-15-1アメリカ1981年07月15日1980年代ホルドリッジ国務次官補,上院外交小委で,ASEANへの軍事援助増,孤立化で高い代償を払わせることがベトナム軍撤兵への近道,カンボジアの反ベ勢力への武器援助はせぬ,など証言。
DIA-601-1981-07-15-2アメリカ1981年07月15日1980年代(北京):中国外務省,ABC,CBS,NBCテレビ駐在員の常駐許可を発表。
DIA-601-1981-07-16-1アメリカ1981年07月16日1980年代レーガン大統領,核利用規制緩和の声明。
DIA-601-1981-07-16-2アメリカ1981年07月16日1980年代ワインバーガー長官は,軍への秘密指令で,ソ連のペルシア湾侵攻に対し,世界各地で反撃しうる動員体制を83年なかばまでに整えよと命令(WP7/17)。
DIA-601-1981-07-16-3アメリカ1981年07月16日1980年代ホルドリッジ国務次官補は下院外交委で,中国を友好的開発途上国とし,米中友好は極東の安全を強化し,ソ連との対応に有益であると述べ,対外援助法などで中国を友好国扱いとする法改正などを進めていることを明らかにしたが,武器輸出については慎重にすると言明。
DIA-601-1981-07-17-1アメリカ1981年07月17日1980年代国務省,イスラエルのレバノン市内大爆撃で,F16の引渡し延期と発表。
DIA-601-1981-07-17-2アメリカ1981年07月17日1980年代(リヤド):ハビブ特使,ファハド皇太子と会見。
DIA-601-1981-07-18-1アメリカ1981年07月18日1980年代(エルサレム):ハビブ特使到着。
DIA-601-1981-07-19-1アメリカ1981年07月19日1980年代(北京):ブレジンスキー,鄧小平会談。
DIA-601-1981-07-20-1アメリカ1981年07月20日1980年代(オタワ):先進資本主義国首脳会談開催。レーガン大統領ほか,西独,英,仏,伊,加,日本首脳が参加。米国の高金利,途上国援助,対ソ政策など討議。この日発表された「政治声明」は,ソ連の軍事力強化への懸念を表明,防衛力強化を主張するとともに,ソ連との対話,協力の用意があることをも明らかにし,さらに中東和平への努力,ソ連軍撤兵によるアフガニスタン問題の解決,カンボジアの民族自決支持,などを内容としていた。また首脳は,テロリズム非難声明を発表した。
DIA-601-1981-07-21-1アメリカ1981年07月21日1980年代(オタワ):先進国サミット終了。世界経済,途上国政策,東西経済関係などについての宣言発表。なおこの日,レーガン大統領は鈴木首相と朝食会談。
DIA-601-1981-07-22-1アメリカ1981年07月22日1980年代レーガン政権首脳,中東情勢協議。○ワインバーガー長官,テレビでイスラエルのレバノン攻撃非難。
DIA-601-1981-07-22-2アメリカ1981年07月22日1980年代ハンメル次期駐中国大使,上院外交委で,中ソの軍事バランスをとることが米国の利益と証言。
DIA-601-1981-07-23-1アメリカ1981年07月23日1980年代田中通産相,レーガン大統領らと会談。
DIA-601-1981-07-23-2アメリカ1981年07月23日1980年代(テルアビブ):ハビブ特使,サウジより戻る。
DIA-601-1981-07-24-1アメリカ1981年07月24日1980年代ヘイグ長官,イスラエルへのF16引渡し延期,当分解除せぬと言明。なおこの日,イスラエルはレバノンでの停戦に同意し,PLOも停戦に同意した。
DIA-601-1981-07-28-1アメリカ1981年07月28日1980年代ヘイグ長官,上院財政小委で対ソ政策上の課題として,戦略的物資・技術輸出の管理,ソ連の軍事力発動に対する西側の緊急行動計画の作成,をあげた。
DIA-601-1981-07-28-2アメリカ1981年07月28日1980年代ニューマン駐サウジ大使,ヘイグ批判で辞任。後任はリチャード・マーフィ駐比大使。
DIA-601-1981-07-28-3アメリカ1981年07月28日1980年代(東京):在日米軍司令官にドネリー中将。
DIA-601-1981-07-29-1アメリカ1981年07月29日1980年代米議会,在外米国人の所得減税法可決。
DIA-601-1981-07-30-1アメリカ1981年07月30日1980年代(ソウル):ウィッカム米軍司令官,今年中に在韓米軍にA10機1個大隊,兵員1000人増員,陸軍に情報大隊新設と発表。
DIA-601-1981-07-31-1アメリカ1981年07月31日1980年代レーガン,駐パキスタン大使に国務省情報調査局長ロナルド・スパイア任命。
DIA-601-1981-07-31-2アメリカ1981年07月31日1980年代(ソウル):リチャード・ウォーカー大使着任。
DIA-601-1981-08-02-1アメリカ1981年08月02日1980年代ワインバーガー長官,西独に防衛予算増額補正要求,同盟国に西独に追随せぬよう要望とテレビで。
DIA-601-1981-08-03-1アメリカ1981年08月03日1980年代米,エジプト,イスラエル,シナイ半島平和維持軍協定に調印。
DIA-601-1981-08-04-1アメリカ1981年08月04日1980年代イクレ国防次官,米軍事産業を戦時フル操業しうるよう国防省は,今後数年,年5億ドル以上支出計画,対ソ長期通常戦に備える,と言明(WP8/5)。
DIA-601-1981-08-04-2アメリカ1981年08月04日1980年代サダト・エジプト大統領訪米。
DIA-601-1981-08-05-1アメリカ1981年08月05日1980年代レーガン・サダト会談。中東安全保障,パレスチナ問題など討議。
DIA-601-1981-08-05-2アメリカ1981年08月05日1980年代商務省,対中輸出で,石油プラントなど包括輸出を米業者に許可。
DIA-601-1981-08-05-3アメリカ1981年08月05日1980年代(ウィーン):米ソ穀物協定,1年延長で合意。
DIA-601-1981-08-05-4アメリカ1981年08月05日1980年代(東京):在日米軍司令官にドナリー中将。
DIA-601-1981-08-06-1アメリカ1981年08月06日1980年代レーガン・サダト会談終了。レーガン,キャンプ・デービッド協定推進,中東のソ連脅威増で一致,米国のエジプト援助で合意と発表。なお米政府はパレスチナ交渉へのPLO参加を求めるサダト提案は拒否した。
DIA-601-1981-08-06-2アメリカ1981年08月06日1980年代レーガン,Dean 駐レバノン大使を駐タイ大使に。
DIA-601-1981-08-07-1アメリカ1981年08月07日1980年代(東京):大村長官,ドナリー米軍司令官と会談。共同訓練拡大などで一致。
DIA-601-1981-08-08-1アメリカ1981年08月08日1980年代米政府,中性子爆弾の製造決定と発表。
DIA-601-1981-08-09-1アメリカ1981年08月09日1980年代(プレーンズ,Ga.):カーター前大統領,サダト大統領と会見。
DIA-601-1981-08-09-2アメリカ1981年08月09日1980年代(ビエンチャン):ハヤカワ上院議員ラオス訪問。
DIA-601-1981-08-09-3アメリカ1981年08月09日1980年代(ベトナム通信):米国が返還3米兵遺体中2人の死因調査を要求したと非難。
DIA-601-1981-08-11-1アメリカ1981年08月11日1980年代国防省報道官,中性子爆弾を中東,極東での紛争に使用することも想定している,と発言。
DIA-601-1981-08-11-2アメリカ1981年08月11日1980年代米,イスラエルへのF15と16計6機引渡し延期。
DIA-601-1981-08-12-1アメリカ1981年08月12日1980年代国務省,アフガニスタン情報報告公表。
DIA-601-1981-08-12-2アメリカ1981年08月12日1980年代国務省,今月予定の中国軍事代表団訪米延期発表。
DIA-601-1981-08-12-3アメリカ1981年08月12日1980年代(ジャカルタ):ハヤカワ議員,スハルトと会見。
DIA-601-1981-08-13-1アメリカ1981年08月13日1980年代レーガン大統領,在外米人減税も含む減税法にサイン。またソ連書記長に会談提案親書送ったと語る。
DIA-601-1981-08-13-2アメリカ1981年08月13日1980年代(バンコク):バックリー国務次官訪タイ。
DIA-601-1981-08-14-1アメリカ1981年08月14日1980年代(バンコク):バックリー国務次官,プレム首相と会談。
DIA-601-1981-08-15-1アメリカ1981年08月15日1980年代(バンサンゲ・タイ・カンボジア国境):バックリー国務次官,ソンサン派基地訪問。
DIA-601-1981-08-16-1アメリカ1981年08月16日1980年代(バンコク):バックリー国務次官,82年度タイに8000万ドルの軍事売却計画,うち3000万ドル分は市場レート融資,5000万ドルは3%以下低利融資と語る。またカンボジアの反ベトナム勢力への軍事援助は否定。
DIA-601-1981-08-17-1アメリカ1981年08月17日1980年代(ロサンゼルス):ヘイグ長官,イスラエルへのF15,F16輸出停止解除(16機)を発表。
DIA-601-1981-08-17-2アメリカ1981年08月17日1980年代(クアラルンプール):バックリー国務次官,マハティール首相と会談。
DIA-601-1981-08-18-1アメリカ1981年08月18日1980年代(ロサンゼルス):レーガン,駐インド大使にハリー・G・バーンズ国務省人事局長任命。
DIA-601-1981-08-18-2アメリカ1981年08月18日1980年代(ジャカルタ):バックリー国務次官訪イ。アフガニスタンとカンボジアで親ソ軍の困難増大と語る。
DIA-601-1981-08-19-1アメリカ1981年08月19日1980年代国防省,地中海でリビア機2機撃墜と発表。国務省,在リビア米人(2000人)に退去勧告。
DIA-601-1981-08-19-2アメリカ1981年08月19日1980年代(ジャカルタ):バックリー国務次官,対中武器売却は慎重にすすめる,と語る(ロイター)。
DIA-601-1981-08-20-1アメリカ1981年08月20日1980年代(ロサンゼルス):レーガン,空母コンステレーション訪問,リビアの挑発には再反撃と語る。
DIA-601-1981-08-21-1アメリカ1981年08月21日1980年代ヘイグ長官,パキスタン外相と会談。アガ・シャヒ外相,37.5億ドルの米援助の2/3が軍事売却分と。
DIA-601-1981-08-21-2アメリカ1981年08月21日1980年代(ダッカ):カーパトリック米国連大使,バングラデシュ訪問。
DIA-601-1981-08-22-1アメリカ1981年08月22日1980年代レーマセ海軍長官,ソ連海軍の対米優勢,80年代の大部分続くと語る(IHT8/24)。
DIA-601-1981-08-22-2アメリカ1981年08月22日1980年代(台北):ザブロッキー下院外交委員長,台湾軍近代化への米の協力主張。
DIA-601-1981-08-22-3アメリカ1981年08月22日1980年代(クアラルンプール):トロスト第7艦隊司令官,マレーシア外相と会談。
DIA-601-1981-08-23-1アメリカ1981年08月23日1980年代(ニューデリー):カーパトリック大使訪印。
DIA-601-1981-08-23-2アメリカ1981年08月23日1980年代(シンガポール):ブロック通商代表,ダナバラン外相と会談。
DIA-601-1981-08-24-1アメリカ1981年08月24日1980年代レーガン政権,AWACS含む85億ドルの対サウジアラビア武器輸出計画を議会に通告。
DIA-601-1981-08-24-2アメリカ1981年08月24日1980年代(北京):カーター前大統領訪中。
DIA-601-1981-08-24-3アメリカ1981年08月24日1980年代(ニューデリー):インド首相,米国連大陣会見。
DIA-601-1981-08-25-1アメリカ1981年08月25日1980年代(北京):カーター前大統領,趙首相と会談。
DIA-601-1981-08-25-2アメリカ1981年08月25日1980年代(カトマンズ):カーパトリック大使ネパールへ。
DIA-601-1981-08-26-1アメリカ1981年08月26日1980年代(WP8/26):中国政府,米国が中国の軍事購入リストの52品目中少数しか売却せぬ恐れと,台湾への売却継続の懸念から軍代表派米遅らす,米政府は9月16~30日の派遣を提案している。
DIA-601-1981-08-26-2アメリカ1981年08月26日1980年代国防省,北朝鮮が米空軍SR71偵察機にミサイル発射と発表。
DIA-601-1981-08-26-3アメリカ1981年08月26日1980年代(コロンボ):米国連大使,スリランカ首相会談。
DIA-601-1981-08-27-1アメリカ1981年08月27日1980年代(北京):カーター前大統領,鄧小平副首相・胡耀邦主席と会談。
DIA-601-1981-08-28-1アメリカ1981年08月28日1980年代ヘイグ長官,北朝鮮のミサイル発射事件は,38度線上の一連の衝突の延長線上にある,と語る。
DIA-601-1981-08-28-2アメリカ1981年08月28日1980年代(イスラマバード):米国連大使,訪パ。
DIA-601-1981-08-31-1アメリカ1981年08月31日1980年代(北京):バーガー最高裁長官ら訪中。
DIA-601-1981-09-01-1アメリカ1981年09月01日1980年代ホワイトハウス,84会計年度に連邦予算赤字をなくすため,83,84年度予算計画より700億ドル削減が必要であり,うち約300億ドルは国防予算削減と言明。
DIA-601-1981-09-01-2アメリカ1981年09月01日1980年代(テルアビブ):米よりF16戦闘機4機到着。
DIA-601-1981-09-01-3アメリカ1981年09月01日1980年代(東京):ヘイワード海軍作戦部長,大村長官と。
DIA-601-1981-09-02-1アメリカ1981年09月02日1980年代日米原子力交渉合意,米,核再処理認む。
DIA-601-1981-09-02-2アメリカ1981年09月02日1980年代(シカゴ):レーガン,ソ連に検証できる兵器について戦略兵器削減交渉よびかけ。
DIA-601-1981-09-02-3アメリカ1981年09月02日1980年代(テルアビブ):米よりF16,6機到着。
DIA-601-1981-09-02-4アメリカ1981年09月02日1980年代(東京):ブロック通商代表,田中通産相と会談。
DIA-601-1981-09-02-5アメリカ1981年09月02日1980年代(ニューデリー):インド外務省,グリフィン米領事の解任要求。○米国務省,駐米インド領事着任拒否。
DIA-601-1981-09-03-1アメリカ1981年09月03日1980年代(大阪):カーター前大統領訪日。
DIA-601-1981-09-03-2アメリカ1981年09月03日1980年代(テルアビブ):米よりF16,4機到着。
DIA-601-1981-09-04-1アメリカ1981年09月04日1980年代クランストンら13上院議員,サウジアラビアへのAWACS売却反対宣言。
DIA-601-1981-09-05-1アメリカ1981年09月05日1980年代(北京):米中文化交流協定調印。
DIA-601-1981-09-06-1アメリカ1981年09月06日1980年代(ニューヨーク):ベギン首相訪米。
DIA-601-1981-09-08-1アメリカ1981年09月08日1980年代ヘイグ長官,ベギン首相と会談。
DIA-601-1981-09-08-2アメリカ1981年09月08日1980年代(カラチ):バックリー国務次官,訪パ。
DIA-601-1981-09-09-1アメリカ1981年09月09日1980年代レーガン,ベギン首相と会談。レーガン,歓迎式で,イスラエルが隣人達と共存するよう望む,と。
DIA-601-1981-09-09-2アメリカ1981年09月09日1980年代(イスラマバード):バックリー国務次官,パキスタン大統領と会談。
DIA-601-1981-09-10-1アメリカ1981年09月10日1980年代レーガン・ベギン会談終了。会談後ヘイグ長官は,両国が外部からの中東への脅威に対抗するため,合 同軍事演習,米軍整備のイスラエルへの事前配備,情報交換などの戦略的協力に合意したと述べた。
DIA-601-1981-09-10-2アメリカ1981年09月10日1980年代国防省,サウジアラビアへの27億ドルの軍事役務・装備売却計画を議会に提出。
DIA-601-1981-09-10-3アメリカ1981年09月10日1980年代(カラチ):バックリー次官,訪パ終了。
DIA-601-1981-09-11-1アメリカ1981年09月11日1980年代上院,米軍兵士への10月1日より7~22%賃上げ可決。
DIA-601-1981-09-11-2アメリカ1981年09月11日1980年代(北京):米大使館,来週,原子力利用で米中交渉と発表。
DIA-601-1981-09-11-3アメリカ1981年09月11日1980年代(IHT9/11 北京):来年,レーガン大統領が自から台湾,中国を訪問,中台調停の計画ありと消息筋。
DIA-601-1981-09-12-1アメリカ1981年09月12日1980年代レーガン,国防予算を82年度から3年間で当初計画より合計130億ドル削減すると決定。新予算は82年度が1818億ドル,83年度が2149億ドル,84年度が2426億ドル。当初計画よりの削減額は,82年度が20億ドル,83年度が50億ドル,84年度が60億ドル。なおこれらは支出ベース。
DIA-601-1981-09-12-2アメリカ1981年09月12日1980年代(マラガ・スペイン):ヘイグ長官,サウジアラビアのファハド皇太子と会見。
DIA-601-1981-09-13-1アメリカ1981年09月13日1980年代(西ベルリン):ヘイグ長官,中距離ミサイル近代化主張,またソ連とその同盟国がアフガニスタン,カンボジア,ラオスなどで致死性化学兵器使用と非難。
DIA-601-1981-09-14-1アメリカ1981年09月14日1980年代(ソウル):在韓米空軍にF16配備(8機)。
DIA-601-1981-09-15-1アメリカ1981年09月15日1980年代(イスラマバード):パキスタン政府,米よりの32億ドル援助受入れ正式発表。なおこれは1年内に40機の約束中6機のF16を受取る条件付(WP9/16)。
DIA-601-1981-09-17-1アメリカ1981年09月17日1980年代ヘイグ長官は上院外交委での証言で,サウジアラビアのAWACS使用には,①得られた全情報の米への提供,②AWACSとその情報を第三国に渡さぬ,③同機とその装置の安全確保,④飛行範囲制限の4条件が付されている,と言明。またAWACS売却実現せねば,米国とイスラエルの安全,中東和平に脅威と主張。
DIA-601-1981-09-17-2アメリカ1981年09月17日1980年代(WP9/17):中国軍事代表団,米提案の9月後半に訪米する計画なし,と報道。
DIA-601-1981-09-19-1アメリカ1981年09月19日1980年代ワシントンで,AFL・CIO主催反レーガン経済政策集会,26万人が参加。
DIA-601-1981-09-21-1アメリカ1981年09月21日1980年代(国連):ヘイグ長官は総会で演説,発展途上国の問題について,途上国の自助,自由貿易拡大,私企業の投資増大,外部の侵略からの安全確保の必要,などを強調した。またソ連のアフガニスタン介入とベトナムのカンボジア占領を改めて非難した。
DIA-601-1981-09-21-2アメリカ1981年09月21日1980年代ヘイグ長官,園田外相と会談。
DIA-601-1981-09-21-3アメリカ1981年09月21日1980年代(NBC放送):サダト大統領が,米国がカーター時代からエジプトより兵器を買いアフガン・ゲリラに支給していたと語った,と報道。
DIA-601-1981-09-22-1アメリカ1981年09月22日1980年代(国連):ヘイグ長官,中国外務次官会談。
DIA-601-1981-09-22-2アメリカ1981年09月22日1980年代米政府,インドシナ難民受入れ枠,10月1日より16万8000から12万人/年に削減と発表(WP9/23)。
DIA-601-1981-09-23-1アメリカ1981年09月23日1980年代(カイロ):米・エジプト・イスラエル,パレスチナ自治交渉,1年4カ月ぶり再開。
DIA-601-1981-09-24-1アメリカ1981年09月24日1980年代レーガン大統領,財政再建3カ年計画発表。82年度からの3年間で,国防費130億を含む581億ドルの歳出削減と220億ドルの増収計画。
DIA-601-1981-09-24-2アメリカ1981年09月24日1980年代レーガン,サウジアラビア空軍司令官と会見。
DIA-601-1981-09-25-1アメリカ1981年09月25日1980年代国防省,エジプトへのM60A3戦車128両追加売却を議会に提案(計439両に)。
DIA-601-1981-09-25-2アメリカ1981年09月25日1980年代輸出入銀行,中国に初融資5710万ドル認可。5年,8.75%年利,タービン,ボイラー購入用。
DIA-601-1981-09-28-1アメリカ1981年09月28日1980年代(東京):日米防衛協議。カールッチ国防副長官ら出席。
DIA-601-1981-09-29-1アメリカ1981年09月29日1980年代ワインバーガー長官,ソ連の軍事力報告公表。
DIA-601-1981-09-30-1アメリカ1981年09月30日1980年代リーガン財務長官,IMF・世銀総会で,国際通貨援助機関政策の再検討を表明。
DIA-601-1981-10-01-1アメリカ1981年10月01日1980年代レーガン大統領,サウジアラビアがイランのようになるのは放置せぬ,と語る。また対ソ交渉は戦略兵器削減交渉(START)でなければならぬ,と。 なおレーガン大統領はこの日,議会にサウジアラビアへのAWACS売却(5機)を正式に提案した。
DIA-601-1981-10-01-2アメリカ1981年10月01日1980年代米輸出入銀行,中国銀行に2841万7500ドル融資。
DIA-601-1981-10-02-1アメリカ1981年10月02日1980年代レーガン,米核戦力強化計画発表。MXミサイル100基配備,B1改良型100機生産など。
DIA-601-1981-10-02-2アメリカ1981年10月02日1980年代レーガン,ムバラク・エジプト副大統領と会談。
DIA-601-1981-10-02-3アメリカ1981年10月02日1980年代(国連):ヘイグ長官・サウジアラビア外相会談。
DIA-601-1981-10-02-4アメリカ1981年10月02日1980年代(ソウル):全大統領,カールッチ国防副長官と。
DIA-601-1981-10-03-1アメリカ1981年10月03日1980年代ヘイグ長官,ムバラク副大統領と会談。
DIA-601-1981-10-04-1アメリカ1981年10月04日1980年代ワインバーガー長官,サウジアラビアで革命が起こり,イランへの道をすすみ,同国から求められれば,米国は介入するとCBSテレビで発言。
DIA-601-1981-10-05-1アメリカ1981年10月05日1980年代レーガン,歴代大統領補佐官,国防長官ら16人を招き,サウジへのAWACS売却で協力要請。
DIA-601-1981-10-06-1アメリカ1981年10月06日1980年代エジプト大統領殺害でレーガン政権緊急安全保障会議。レーガン大統領,サダト追悼声明。国防総省,アラビア海,インド洋の米緊急展開部隊に出動準備態勢を命令。
DIA-601-1981-10-06-2アメリカ1981年10月06日1980年代レーガン,プレム・タイ首相と会談。タイとASEANの安全保障支援約束,マニラ条約順守言明(WP10/7)。
DIA-601-1981-10-07-1アメリカ1981年10月07日1980年代ヘイグ長官,記者会見で,エジプト支援強調,キャンプ・デービッド合意継続,イスラエルの来年4月のシナイ撤兵重要,サウジアラビアの重要性ます,と。
DIA-601-1981-10-07-2アメリカ1981年10月07日1980年代米議会,軍人給与の10~17%引上げ可決。
DIA-601-1981-10-08-1アメリカ1981年10月08日1980年代レーガン,原子力開発促進政策発表。
DIA-601-1981-10-08-2アメリカ1981年10月08日1980年代国防省報道官,世界で異常な軍の動きなし,地中海米軍,緊急展開軍も警戒体制にない,しかし行動準備は高めていると言明。
DIA-601-1981-10-09-1アメリカ1981年10月09日1980年代(カイロ):サダト葬儀への米代表団到着。ヘイグ長官代表,ニクソン,フォード,カーター元大統領参加。ヘイグ長官,ムバラク副大統領と会談。
DIA-601-1981-10-10-1アメリカ1981年10月10日1980年代(カイロ):サダト葬儀。ヘイグ長官,ベギン首相,ソマリア,スーダン両国大統領らと会談。
DIA-601-1981-10-10-2アメリカ1981年10月10日1980年代(ジェッダ):ニクソン元大統領,サウジ訪問。
DIA-601-1981-10-10-3アメリカ1981年10月10日1980年代(WP10/12):カーター,フォード両元大統領,カイロよりの帰途機上対談,米のPLOとの対話主張。
DIA-601-1981-10-11-1アメリカ1981年10月11日1980年代(カイロ):ヘイグ長官,11月エジプトで,米・エ両軍とオマーン軍など加え軍事演習,エジプト,スーダンへの武器輸送促進,とNBCテレビ会見で語る。
DIA-601-1981-10-11-2アメリカ1981年10月11日1980年代(ハルツーム):米代表団,スーダン入り。
DIA-601-1981-10-12-1アメリカ1981年10月12日1980年代ヘイグ長官帰国し,中東安全保障再検討中と語る。レーガン大統領,PLOがイスラエル生存権認めねば協議せぬと語る。
DIA-601-1981-10-12-2アメリカ1981年10月12日1980年代(ハルツーム):米,スーダン武器援助合意。
DIA-601-1981-10-12-3アメリカ1981年10月12日1980年代(アンマン):ニクソン元大統領,ヨルダン入り。
DIA-601-1981-10-13-1アメリカ1981年10月13日1980年代レーガン,スぺイン国王と会談。
DIA-601-1981-10-13-2アメリカ1981年10月13日1980年代国務省,スーダンへの軍事顧問増派。
DIA-601-1981-10-13-3アメリカ1981年10月13日1980年代(アンマン):ニクソン・フセイン国王会談。
DIA-601-1981-10-14-1アメリカ1981年10月14日1980年代国防省,エジプトへAWACS2機派遣。
DIA-601-1981-10-14-2アメリカ1981年10月14日1980年代下院サウジへのAWACS売却反対決議。
DIA-601-1981-10-14-3アメリカ1981年10月14日1980年代(東京):ブロック農務長官・園田外相会談。
DIA-601-1981-10-15-1アメリカ1981年10月15日1980年代(フィラデルフィア):レーガン,南北問題で演説。自由貿易,民間資本活用による開発主張。
DIA-601-1981-10-16-1アメリカ1981年10月16日1980年代米空軍,“みえない爆撃機”開発でノースロップ社指名。
DIA-601-1981-10-16-2アメリカ1981年10月16日1980年代(北京):ブロック農務長官訪中。
DIA-601-1981-10-18-1アメリカ1981年10月18日1980年代レーガン,米経済は軽い景気後退期入り,と。
DIA-601-1981-10-18-2アメリカ1981年10月18日1980年代(ウィリアムスバーグ):米仏首脳会談。
DIA-601-1981-10-18-3アメリカ1981年10月18日1980年代(北京):ブロック長官訪中終了,中国は現協定の900万トン以上の米穀物を今年は買わない,と語る(IHT10/19)。○ブラウン前国防長官・鄧小平会談。
DIA-601-1981-10-19-1アメリカ1981年10月19日1980年代上院情報委,ケーシーCIA長官の1976年のインドネシア関係資料を財務省に請求。
DIA-601-1981-10-19-2アメリカ1981年10月19日1980年代(アテネ):ギリシア総選挙で社会主義政党勝つ。
DIA-601-1981-10-20-1アメリカ1981年10月20日1980年代(キャンベラ):オーストラリア,マクダネル・ダグラスのFA18ホーネット75機購入決定。
DIA-601-1981-10-21-1アメリカ1981年10月21日1980年代(カンクン・メキシコ):レーガン・南北サミットのため訪問。○レーガン,趙・中国首相と会談。○レーガン,ガンディー・インド首相と会談。
DIA-601-1981-10-22-1アメリカ1981年10月22日1980年代(カンクン):南北サミット開催。レーガン大統領は演説で,国連包括交渉について既存の専門国際機関による協議を提唱,また自由貿易,民間投資促進による開発,食糧,エネルギー自立への援助などを主張した。
DIA-601-1981-10-22-2アメリカ1981年10月22日1980年代(テルアビブ):米・イ・エ,パレスチナ交渉。
DIA-601-1981-10-23-1アメリカ1981年10月23日1980年代(カンクン):南北サミット終了。○レーガン,ファハド・サウジ皇太子と会談。
DIA-601-1981-10-23-2アメリカ1981年10月23日1980年代(北京):米中,原子力協力で協議中(IHT10/24)。
DIA-601-1981-10-26-1アメリカ1981年10月26日1980年代(フロリダ州):キングストン緊急展開軍司令官,中東現地司令部早期設置主張。
DIA-601-1981-10-26-2アメリカ1981年10月26日1980年代(ラングーン):米政府,ビルマに750万ドルの農業協力贈与協定。
DIA-601-1981-10-28-1アメリカ1981年10月28日1980年代上院,サウジへのAWACS売却可決。○レーガン,サウジの和平提案は交渉出発点となりうる,と。
DIA-601-1981-10-29-1アメリカ1981年10月29日1980年代黄華中国外相,レーガン大統領らと会見。
DIA-601-1981-10-30-1アメリカ1981年10月30日1980年代国務省,サウジ和平案検討中と声明。
DIA-601-1981-10-30-2アメリカ1981年10月30日1980年代中国外相,ヘイグ長官,リーガン財務長官と会見。
DIA-601-1981-10-30-3アメリカ1981年10月30日1980年代(東京):ボルドリッジ商務長官・鈴木首相会談。
DIA-601-1981-11-01-1アメリカ1981年11月01日1980年代ワシントン・ポスト紙は,米・サウジアラビア間の共同防衛秘密計画があると報道。しかし国防省はこれを否定する声明。
DIA-601-1981-11-02-1アメリカ1981年11月02日1980年代レーガン大統領,フセイン・ヨルダン国王と会談。中東和平問題で不一致。
DIA-601-1981-11-02-2アメリカ1981年11月02日1980年代国防省報道官,サウジアラビアと統合防衛について話し合ったと語る。
DIA-601-1981-11-03-1アメリカ1981年11月03日1980年代レーガン・ヨルダン国王会談。両国の関係強化促進で合意,とレーガン大統領語る。
DIA-601-1981-11-03-2アメリカ1981年11月03日1980年代ワインバーガー国防長官,米ソABM協定改訂示唆,また82年3月米ソ戦略核交渉と語る。
DIA-601-1981-11-03-3アメリカ1981年11月03日1980年代ヘイグ国務長官の報道官,ホワイトハウスのあるトップ高官による長期の反ヘイグ・ゲリラ・キャンペーンが存在したと言明。
DIA-601-1981-11-04-1アメリカ1981年11月04日1980年代ヨルダン国王,カーター政権が拒否したため,ソ連から対空兵器を一時的に購入と言明(IHT11/16)。
DIA-601-1981-11-04-2アメリカ1981年11月04日1980年代ザブロッキー下院外交委員長,日本防衛費GNP1%以上にとの決議案提出。
DIA-601-1981-11-04-3アメリカ1981年11月04日1980年代イスラエル放送,ヘイグ長官がベギン首相宛書簡でキャンプ・デービッド固執とイスラエル軍事支援再確認と報道。
DIA-601-1981-11-05-1アメリカ1981年11月05日1980年代レーガン大統領,ヘイグ長官とアレン補佐官に和解を勧告。
DIA-601-1981-11-05-2アメリカ1981年11月05日1980年代(シンガポール):ホルドリッジ国務次官補,インドネシア経由訪問,ラジャラトナム副首相らと会談。
DIA-601-1981-11-06-1アメリカ1981年11月06日1980年代国防省,9日からエジプト,スーダン,ソマリア,オマーンでブライト・スター82演習と発表。
DIA-601-1981-11-06-2アメリカ1981年11月06日1980年代(マレーシア):ホルドリッジ次官補訪問。
DIA-601-1981-11-07-1アメリカ1981年11月07日1980年代(シンガポール):ホルドリッジ次宮補,リー・クァン・ユー首相と会談。
DIA-601-1981-11-09-1アメリカ1981年11月09日1980年代(東京):ステッセル国務次官(8日来日),園田外相らと会談,貿易不均衡是正,防衛費増等要求。
DIA-601-1981-11-10-1アメリカ1981年11月10日1980年代レーガン,景気後退なお数カ月,財政,84年度も均衡せぬと語る。
DIA-601-1981-11-10-2アメリカ1981年11月10日1980年代レーガン,サウジのイスラエル生存権承認評価。
DIA-601-1981-11-10-3アメリカ1981年11月10日1980年代(北京):ステッセル国務次官訪中。
DIA-601-1981-11-10-4アメリカ1981年11月10日1980年代(NYT紙):米政府,台湾へのF5E,F5G戦闘機売却承認意向と報道。
DIA-601-1981-11-11-1アメリカ1981年11月11日1980年代(コネティカット州グロトン):トライデント型原潜第1号「オハイオ」就役。
DIA-601-1981-11-11-2アメリカ1981年11月11日1980年代(北京):ステッセル次官,中国外務次官会談。
DIA-601-1981-11-12-1アメリカ1981年11月12日1980年代ヘイグ長官,キューバ,ニカラグア非難,ニカラグア政権打倒加担否定せず。
DIA-601-1981-11-12-2アメリカ1981年11月12日1980年代米・インド原子力協議。
DIA-601-1981-11-12-3アメリカ1981年11月12日1980年代(北京):ステッセル,黄華外相と会談。
DIA-601-1981-11-13-1アメリカ1981年11月13日1980年代アレン補佐官の日本雑誌社よりの1000ドル謝礼受取り表面化。
DIA-601-1981-11-13-2アメリカ1981年11月13日1980年代米・インド原子力協議物別れ。
DIA-601-1981-11-14-1アメリカ1981年11月14日1980年代(パーム・ビーチ):ヘイグ長官,台湾への兵器売却は米中関係を損なうゆえ極めて慎重に対処せねばならない,また国共合作提案評価しうる,と(IHT11/16)。
DIA-601-1981-11-14-2アメリカ1981年11月14日1980年代(カイロ):ブライト・スター82演習開始。
DIA-601-1981-11-15-1アメリカ1981年11月15日1980年代(北京):リーガン財務長官訪中。
DIA-601-1981-11-16-1アメリカ1981年11月16日1980年代(北京):リーガン長官,薄一波副首相会談。
DIA-601-1981-11-16-2アメリカ1981年11月16日1980年代(バンコク):ステッセル次官,タイ首相会談。
DIA-601-1981-11-17-1アメリカ1981年11月17日1980年代両院外交委,パキスタンへのF16売却承認。
DIA-601-1981-11-17-2アメリカ1981年11月17日1980年代(北京):リーガン長官,鄧小平副首相と会談。
DIA-601-1981-11-18-1アメリカ1981年11月18日1980年代レーガン,ソ連がSS20ミサイルなど廃棄すれば,米国はパーシングⅡミサイルなど配備中止と提案。
DIA-601-1981-11-18-2アメリカ1981年11月18日1980年代(北京):モンデール前副大統領訪中。
DIA-601-1981-11-18-3アメリカ1981年11月18日1980年代(東京):マイヤー陸軍参謀総長訪日。
DIA-601-1981-11-19-1アメリカ1981年11月19日1980年代(スタンフォード):ボルドリッジ商務長官,日本の貿易黒字拡大を批判。
DIA-601-1981-11-19-2アメリカ1981年11月19日1980年代(東京):リーガン財務長官訪日。
DIA-601-1981-11-20-1アメリカ1981年11月20日1980年代ホワイトハウス,アレン補佐官と日本企業の接触調査。
DIA-601-1981-11-20-2アメリカ1981年11月20日1980年代(ニューヨーク):レーマン海軍長官,艦船増強に日本の協力期待表明。
DIA-601-1981-11-20-3アメリカ1981年11月20日1980年代(東京):リーガン長官,鈴木首相と会談。
DIA-601-1981-11-22-1アメリカ1981年11月22日1980年代(北京):鄧小平,モンデール前副大統領と会談,台湾への兵器売却に懸念表明。
DIA-601-1981-11-23-1アメリカ1981年11月23日1980年代米議会,パキスタン援助承認。
DIA-601-1981-11-23-2アメリカ1981年11月23日1980年代上院,対外不正取引法の内容緩和可決。
DIA-601-1981-11-23-3アメリカ1981年11月23日1980年代(ボン):ブレジネフ,欧州戦域核削減で逆提案。
DIA-601-1981-11-24-1アメリカ1981年11月24日1980年代パーシー議員,来年米ソ首脳会談ある,と。
DIA-601-1981-11-24-2アメリカ1981年11月24日1980年代(ソウル):モンデール前副大統領訪韓。
DIA-601-1981-11-25-1アメリカ1981年11月25日1980年代ホワイトハウス,ソ連が対外行動で自制示せば,来年米ソ首脳会談ありうると言明。
DIA-601-1981-11-26-1アメリカ1981年11月26日1980年代(WP紙11/27):米政府当局者達,イスラエルとの軍事協力が同盟化し対アラブ関係に悪影響と懸念。
DIA-601-1981-11-26-2アメリカ1981年11月26日1980年代(東京):鈴木首相,モンデール前副大統領会見。
DIA-601-1981-11-27-1アメリカ1981年11月27日1980年代ヘイグ長官,イスラエル外相会談,シナイ平和軍への欧州参加問題など協議。
DIA-601-1981-11-28-1アメリカ1981年11月28日1980年代(バンコク):ロング太平洋軍司令官,12月11~14日,ビルマ訪問計画説(IHT11/30)。
DIA-601-1981-11-29-1アメリカ1981年11月29日1980年代アレン大統領補佐官,休職を発表。
DIA-601-1981-11-29-2アメリカ1981年11月29日1980年代(ベイルート):ハビブ米特使,レバノン入り。
DIA-601-1981-11-30-1アメリカ1981年11月30日1980年代米・イスラエル,対ソ「戦略的協力に関する覚書」調印。合同演習,米軍物資のイスラエル備蓄など。
DIA-601-1981-11-30-2アメリカ1981年11月30日1980年代(ジュネーブ):米ソ「戦域核制限」交渉開始。
DIA-601-1981-12-01-1アメリカ1981年12月01日1980年代司法長官,アレン補佐官疑惑調査中,と。
DIA-601-1981-12-01-2アメリカ1981年12月01日1980年代(ダマスカス):ハビブ特使,シリア入り。
DIA-601-1981-12-02-1アメリカ1981年12月02日1980年代上院情報委,ケーシーCIA長官の疑惑について,長官として不適格とはいえぬと結論。
DIA-601-1981-12-02-2アメリカ1981年12月02日1980年代上院財政委,対日市場開放要求決議。
DIA-601-1981-12-02-3アメリカ1981年12月02日1980年代(佐世保):ホルカム第7艦隊司令官,戦力配備の重点をインド洋から北太平洋,日本海に移す,と。
DIA-601-1981-12-02-4アメリカ1981年12月02日1980年代(ダマスカス):ハビブ,シリア大統領と会談。
DIA-601-1981-12-03-1アメリカ1981年12月03日1980年代連邦準備銀行,公定歩合13→12%に引下げ。
DIA-601-1981-12-03-2アメリカ1981年12月03日1980年代米・イスラエル,西欧4カ国,キャンプ・デービッド,エ・イ条約にもとづきシナイ平和軍参加と声明。
DIA-601-1981-12-03-3アメリカ1981年12月03日1980年代ソン・サン議長,米国で支援獲得工作,ホルドリッジ次官補らと会見(IHT12/5)。
DIA-601-1981-12-03-4アメリカ1981年12月03日1980年代(アンマン):ハビブ特使,ヨルダン国王と会談。
DIA-601-1981-12-04-1アメリカ1981年12月04日1980年代レーガン,CIAの防諜活動強化令署名。
DIA-601-1981-12-04-2アメリカ1981年12月04日1980年代上院,2086億ドルの82年度国防予算可決。
DIA-601-1981-12-04-3アメリカ1981年12月04日1980年代労働省,11月の失業率8.4%と発表。
DIA-601-1981-12-04-4アメリカ1981年12月04日1980年代(エルサレム):ハビブ,イスラエル外相と会談。
DIA-601-1981-12-04-5アメリカ1981年12月04日1980年代(アンカラ):ワ国防長官,トルコ首脳と会談。
DIA-601-1981-12-05-1アメリカ1981年12月05日1980年代(アンカラ):米・トルコ防衛協力拡大発表。
DIA-601-1981-12-05-2アメリカ1981年12月05日1980年代(リヤド):ハビブ特使,サウジアラビア入り。
DIA-601-1981-12-06-1アメリカ1981年12月06日1980年代(エルサレム):ハビブ特使,イスラエルに。
DIA-601-1981-12-07-1アメリカ1981年12月07日1980年代レーガン,リビアが米に要人暗殺団派遣,と。また国家安全保障会議開き対策協議。
DIA-601-1981-12-07-2アメリカ1981年12月07日1980年代(ブリュッセル):ワ国防長官,ギリシア首相と。
DIA-601-1981-12-08-1アメリカ1981年12月08日1980年代国防省当局者,米政府はペルシア湾・中東防衛で陸上基地よりも海上での軍事拠点(ディエゴ・ガルシアと補給船団)に頼る方向で戦略修正を決定したと語る(WP12/9)。
DIA-601-1981-12-08-2アメリカ1981年12月08日1980年代国家安全保障会議,リビア問題協議。
DIA-601-1981-12-08-3アメリカ1981年12月08日1980年代ボ商務長官,下院で日本の輸入拡大要求。
DIA-601-1981-12-08-4アメリカ1981年12月08日1980年代(東京):ドネリー在日米軍司令,伊藤長官,と。
DIA-601-1981-12-09-1アメリカ1981年12月09日1980年代下院,82年度(60億ドル),83年度(62億ドル)の対外援助法案可決。
DIA-601-1981-12-09-2アメリカ1981年12月09日1980年代(ブリュッセル):ヘイグ長官,ギリシア首相と。
DIA-601-1981-12-10-1アメリカ1981年12月10日1980年代米政府,在リビア米人に退去要請,米人のリビア旅行1年間禁止。
DIA-601-1981-12-10-2アメリカ1981年12月10日1980年代(WP紙):ドノバン労働長官,不正でFBIが調査中と報道。
DIA-601-1981-12-10-3アメリカ1981年12月10日1980年代下院に対日通信機器輸入制限法案提出される。
DIA-601-1981-12-11-1アメリカ1981年12月11日1980年代両院協議会は71億ドルの軍事建設費を合意したが,それにはラス・バナス基地1400万ドル,ディエゴ・ガルシア2億3740万ドル,緊急展開部隊本部900万ドル分が含まれている(WP12/12)。
DIA-601-1981-12-11-2アメリカ1981年12月11日1980年代レーガン,ハビブ特使から報告を聞く。
DIA-601-1981-12-11-3アメリカ1981年12月11日1980年代(ブリュッセル):NATO,スペイン加盟承認。
DIA-601-1981-12-11-4アメリカ1981年12月11日1980年代(東京):ジョーンズ統幕議長,桜内外相,伊藤長官と会談。北西太平洋に常時1空母配備中,と。
DIA-601-1981-12-12-1アメリカ1981年12月12日1980年代国防省当局者によれば,米政府は世界の3カ所に洋上基地(5~6隻の船団で1万6000人の部隊の1カ月分の装備・物資を常備)を計画している(UPI)。
DIA-601-1981-12-13-1アメリカ1981年12月13日1980年代ポーランド軍政化で,レーガン大統領,重大関心表明。
DIA-601-1981-12-13-2アメリカ1981年12月13日1980年代国防省,対ソ海上優位を求める戦略採用(WP12/14)
DIA-601-1981-12-13-3アメリカ1981年12月13日1980年代(NYT12/14):ベトナム,元ベトナム戦従軍兵士団(4人)の訪問を許可。
DIA-601-1981-12-14-1アメリカ1981年12月14日1980年代ホワイトハウス,イスラエルのゴラン高原併合に反対する声明発表。
DIA-601-1981-12-15-1アメリカ1981年12月15日1980年代両院,82年国防予算1997億ドル承認(支出権限ベース,レーガン案より11億減,前年比400億増)。
DIA-601-1981-12-15-2アメリカ1981年12月15日1980年代ワ国防長官,ゴラン併合非難,対イ武器禁輸示唆。
DIA-601-1981-12-15-3アメリカ1981年12月15日1980年代国防省報道官,イランが米にF14部品供給打診と。
DIA-601-1981-12-15-4アメリカ1981年12月15日1980年代上院,パキスタン援助禁止解除可決。
DIA-601-1981-12-17-1アメリカ1981年12月17日1980年代レーガン,ポーランド弾圧でソ連非難。
DIA-601-1981-12-17-2アメリカ1981年12月17日1980年代レーガン,ゴラン併合でイスラエル批判。
DIA-601-1981-12-17-3アメリカ1981年12月17日1980年代ペルレ国防次官補,米はポーランド軍の連帯弾圧を予測できなかった,と語る(WP12/18)。
DIA-601-1981-12-17-4アメリカ1981年12月17日1980年代キングストン緊急展開軍司令官,南西アジアに各150人ほどの米軍指揮拠点を求め,5カ国と交渉中と語る。
DIA-601-1981-12-18-1アメリカ1981年12月18日1980年代米政府,対イスラエル戦略協力棚上げ発表。
DIA-601-1981-12-18-2アメリカ1981年12月18日1980年代国務省,キングストン司令官の発言を否定。
DIA-601-1981-12-18-3アメリカ1981年12月18日1980年代(ハノイ):米元ベトナム戦従軍兵士団訪問。
DIA-601-1981-12-18-4アメリカ1981年12月18日1980年代ウォール・ストリート・ジャーナル紙,国防省,米兵器の電子装置に占める日本製部品比率増に懸念,と。
DIA-601-1981-12-20-1アメリカ1981年12月20日1980年代(エルサレム):イスラエル,米との戦略協力協定破棄。
DIA-601-1981-12-22-1アメリカ1981年12月22日1980年代レーガン,駐比大使にマイケル・アマコスト。
DIA-601-1981-12-22-2アメリカ1981年12月22日1980年代下院歳入委貿易小委(ギボンス委員長),対日貿易報告
DIA-601-1981-12-22-3アメリカ1981年12月22日1980年代(ニューヨーク):中国総領事館開設。
DIA-601-1981-12-23-1アメリカ1981年12月23日1980年代レーガン,ポーランド制裁発表。
DIA-601-1981-12-23-2アメリカ1981年12月23日1980年代政府筋,サウジアラビアのファハド皇太子,1月19日訪米予定キャンセルと語る。
DIA-601-1981-12-24-1アメリカ1981年12月24日1980年代(バンコク):元ベトナム従軍兵士団,6日間のベトナム訪問終了,ハノイはさらに米訪問団歓迎と。
DIA-601-1981-12-27-1アメリカ1981年12月27日1980年代レーガン,ソ連軍のアフガン撤兵要求声明。
DIA-601-1981-12-28-1アメリカ1981年12月28日1980年代国務相,台湾への兵器部品9700万ドル売却を11日議会に通告したことを確認。
DIA-601-1981-12-29-1アメリカ1981年12月29日1980年代レーガン,ポーランドで7項目の対ソ制裁発表。高度技術商品輸出停止,長期穀物協定交渉延期など。
DIA-601-1981-12-29-2アメリカ1981年12月29日1980年代レーガン,82年国防予算法1997億ドルにサイン。
DIA-601-1982-01-01-1アメリカ1982年01月01日1980年代(アンマン):パーシー上院議員,Badran首相と会談。
DIA-601-1982-01-03-1アメリカ1982年01月03日1980年代(ワシントン):ブレジンスキー,ソ連がポーランド介入すれば米はヤルタ協定破棄せよと主張(以下,地名表示ないものは,全てワシントンD.C.での出来事を意味する)。
DIA-601-1982-01-04-1アメリカ1982年01月04日1980年代ホワイトハウス,アレン補佐官辞任,後任にウイリアム・クラーク国務副長官と発表。
DIA-601-1982-01-04-2アメリカ1982年01月04日1980年代ヘイグ長官,イスラエル大使と会見,ゴランでのUNイスラエル制裁には拒否権と約束。
DIA-601-1982-01-04-3アメリカ1982年01月04日1980年代レーガン大統領,米中領事協定に署名。
DIA-601-1982-01-05-1アメリカ1982年01月05日1980年代(カイロ):パーシー上院議員,ムバラク大統領と会談。
DIA-601-1982-01-06-1アメリカ1982年01月06日1980年代(ハルツーム):パーシー議員,スーダン入り。
DIA-601-1982-01-06-2アメリカ1982年01月06日1980年代(ラングーン):ディカーロ国務次官,テイラー次官補,ビルマ訪問(麻薬問題で)。
DIA-601-1982-01-07-1アメリカ1982年01月07日1980年代レーガン大統領,徴兵登録継続と発表。
DIA-601-1982-01-07-2アメリカ1982年01月07日1980年代NSC会議,台湾にF5G売却せぬことを決定(WP,1/18)。
DIA-601-1982-01-08-1アメリカ1982年01月08日1980年代レーガン,対ソ首脳会談準備は続行中と,語る。
DIA-601-1982-01-08-2アメリカ1982年01月08日1980年代(東京):第18回日米安保協議委(桜内,伊藤,ロング司令官,マンスフィールド米大使),極東有事研究着手で合意。
DIA-601-1982-01-09-1アメリカ1982年01月09日1980年代(ラングーン):米国務次官,Mongsat訪間。
DIA-601-1982-01-10-1アメリカ1982年01月10日1980年代ホルドリッジ国務次官補,中国へ。・消息筋,米政府,台湾への新型ジェット機売卸はせぬと決定(WP,1/11)・(北京):ホルドリッジ到着。
DIA-601-1982-01-10-2アメリカ1982年01月10日1980年代(ジェッダ):パーシー上院議員,サウジ外務次官と会談。
DIA-601-1982-01-11-1アメリカ1982年01月11日1980年代米政府内に,台湾のかわりにノースロップ社のF5Gを米空軍の攻撃訓練機に採用させる動き(WP,1/12)。
DIA-601-1982-01-11-2アメリカ1982年01月11日1980年代米政府,GEのソ連ガスパイプライン用部品(1億7500万㌦)売却不許可(WP,1/12)。
DIA-601-1982-01-11-3アメリカ1982年01月11日1980年代国務省,台湾に新鋭機売らぬ,しかしF5E共同生産は拡大と声明。
DIA-601-1982-01-11-4アメリカ1982年01月11日1980年代(北京):米次官補,章文晋次官と会談。
DIA-601-1982-01-12-1アメリカ1982年01月12日1980年代(カイロ):ヘイグ長官,エジプト訪問。
DIA-601-1982-01-12-2アメリカ1982年01月12日1980年代(ジュネーブ):米ソ戦域核交渉再開。
DIA-601-1982-01-12-3アメリカ1982年01月12日1980年代(北京):中国外務省報道官,米の台湾向け兵器売却継続に抗議声明。
DIA-601-1982-01-12-4アメリカ1982年01月12日1980年代(マニラ):ホルカンブ第7艦隊司令官訪比。
DIA-601-1982-01-13-1アメリカ1982年01月13日1980年代(カイロ):ヘイグ長官,ムバラク大統領と会談。自治交渉拡大意向表明。
DIA-601-1982-01-13-2アメリカ1982年01月13日1980年代(北京):ホルドリッジ・姫鵬飛副首相会談。台湾兵器は継続協議に。
DIA-601-1982-01-14-1アメリカ1982年01月14日1980年代(カイロ):ヘイグ・ムバラク第2回会談。
DIA-601-1982-01-14-2アメリカ1982年01月14日1980年代(テルアビブ):ヘィグ長官,イスラエル入り。シャミル外相,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-01-15-1アメリカ1982年01月15日1980年代(エルサレム):ヘイグ,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-01-16-1アメリカ1982年01月16日1980年代米よりF15の一部到着(サウジ通信)。
DIA-601-1982-01-18-1アメリカ1982年01月18日1980年代安倍通産相,レーガンらと会談。
DIA-601-1982-01-18-2アメリカ1982年01月18日1980年代(ダマスカス):パーシー上院議員,クウェートからシリア入り。
DIA-601-1982-01-19-1アメリカ1982年01月19日1980年代(北京):米中領事条約批准書交換。
DIA-601-1982-01-20-1アメリカ1982年01月20日1980年代米空軍,ロックウェルインターナショナル,BIB第1号機発注。(1989年までに100機予定)。
DIA-601-1982-01-20-2アメリカ1982年01月20日1980年代(国連):安保理,ゴラン併合でイスラエル非難決議。米拒否権で否決。
DIA-601-1982-01-20-3アメリカ1982年01月20日1980年代(ベイルート):パーシー上院議員,サルキス大統領と会談。
DIA-601-1982-01-21-1アメリカ1982年01月21日1980年代(エルサレム):リノウィツ米特使,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-01-23-1アメリカ1982年01月23日1980年代(板門店):国連軍側,「チーム・スピリット82」に北朝鮮・中国の休戦委代表招待。
DIA-601-1982-01-25-1アメリカ1982年01月25日1980年代(沖縄):ドネリー在日米軍司令官,将来米4軍と日本3軍の大統合演習,と語る。
DIA-601-1982-01-26-1アメリカ1982年01月26日1980年代レーガン,「一般教書」発表。
DIA-601-1982-01-26-2アメリカ1982年01月26日1980年代国防総省,83年度から5カ年で110億㌦を投入し,緊急展開軍空輸能力倍増を図る,と発表。
DIA-601-1982-01-26-3アメリカ1982年01月26日1980年代(カイロ):ハフェズ・エジプト軍参謀長,米と軍事調整委設置,1月中旬初会合,と語る。
DIA-601-1982-01-26-4アメリカ1982年01月26日1980年代(ジュネーブ):米ソ外相会談。
DIA-601-1982-01-27-1アメリカ1982年01月27日1980年代ステッセル次官,米中断絶恐れ,台湾への新鋭機売却中止と,上院外交委で述べる。
DIA-601-1982-01-27-2アメリカ1982年01月27日1980年代(エルサレム):ヘイグ,ベギン首相と会談,自治政府で新提案。
DIA-601-1982-01-28-1アメリカ1982年01月28日1980年代(カイロ):ヘイグ,ムバラク大統領と会談。
DIA-601-1982-01-28-2アメリカ1982年01月28日1980年代(北京):ホルドリッジ次官補,上院外交委で,台湾への武器期限要求拒否,F5E追加輸出,と述べる。
DIA-601-1982-01-29-1アメリカ1982年01月29日1980年代(カイロ):ヘイグ長官,アリ外相と会談。
DIA-601-1982-01-29-2アメリカ1982年01月29日1980年代(ロンドン):ヘイグ,機内で,自治でエジプト・イスラエル合意の現実的可能性なし,と語る(WP,1/30)。
DIA-601-1982-01-31-1アメリカ1982年01月31日1980年代CIA,バニサドルへの接触報道(WP,1/31)。
DIA-601-1982-02-02-1アメリカ1982年02月02日1980年代レーガン大統領,機密もれ規制強化。
DIA-601-1982-02-02-2アメリカ1982年02月02日1980年代ムバラク大統領訪米,ヘイグ長官と会談。
DIA-601-1982-02-02-3アメリカ1982年02月02日1980年代CIA文書,米情報機関は,1976年からイラン国王への反対を懸念,と報道(WP,2/2)。
DIA-601-1982-02-03-1アメリカ1982年02月03日1980年代レーガン・ムバラク会談。レーガン,自治交渉拡大主張,また中東の米軍事力永久存続を否定。
DIA-601-1982-02-03-2アメリカ1982年02月03日1980年代(マジソン,Wis.):商務省,ウィスコンシン大生産気象用コンピューターの中国輸出許可。
DIA-601-1982-02-04-1アメリカ1982年02月04日1980年代リーガン財務長官,エジプト向け経済援助10億㌦増と,語る。
DIA-601-1982-02-04-2アメリカ1982年02月04日1980年代ワインバーガー長官,サウジ,オマーン,ヨルダン歴訪に出発。
DIA-601-1982-02-05-1アメリカ1982年02月05日1980年代労働省,1月の失業率8.5%と発表。
DIA-601-1982-02-06-1アメリカ1982年02月06日1980年代レーガン,83年度予算教書発表。歳出7576億㌦,歳入6661億㌦,赤字915億㌦。国防支出は2160億㌦,対外援助94億㌦。
DIA-601-1982-02-06-2アメリカ1982年02月06日1980年代(リヤド):ワインバーガー長官,サウジ訪問。兵器共同生産,共同安保など主張。
DIA-601-1982-02-06-3アメリカ1982年02月06日1980年代(北京):米軽工業展示会開催,ブレディ商務次官補,米は従来以上の高級技術輸出の用意,と語る。
DIA-601-1982-02-07-1アメリカ1982年02月07日1980年代米国防長官,「国防報告」を発表。
DIA-601-1982-02-07-2アメリカ1982年02月07日1980年代(リヤド):ワインバーガー長官,スルタン国防相と会談。
DIA-601-1982-02-07-3アメリカ1982年02月07日1980年代ヘイグ,米中,台湾で微妙な交渉中,と語る(IHT,2/8)。
DIA-601-1982-02-08-1アメリカ1982年02月08日1980年代レーガン,化学兵器生産再開(13年ぶり)を議会に通告。
DIA-601-1982-02-08-2アメリカ1982年02月08日1980年代(Dhahran,サウジ):ワインバーガー,サウジ空軍基地視察,・(リヤド):ワインバーガー,サウジ外相と会談。
DIA-601-1982-02-09-1アメリカ1982年02月09日1980年代統合参謀本部,「83年度軍事情勢報告」発表。
DIA-601-1982-02-09-2アメリカ1982年02月09日1980年代(ダハラーン):ワインバーガー,米・サウジ軍事合同委設置に合意,と語る。・(オマーン):ワインバーガー訪問。
DIA-601-1982-02-09-3アメリカ1982年02月09日1980年代(シンガポール):チェイス・マンハッタン銀行のJ・エマーソン,中国の石油埋蔵量,サウジ並み,と語る。
DIA-601-1982-02-10-1アメリカ1982年02月10日1980年代レーガン大統領,「経済報告」発表。
DIA-601-1982-02-10-2アメリカ1982年02月10日1980年代ダンフォース上院議員ら,相互主義の「82年相互貿易投資」法,議会提出。
DIA-601-1982-02-10-3アメリカ1982年02月10日1980年代(アンマン):ワインバーガー,ヨルダン入り。フセイン国王に米ホーク・ミサイル購入求む。
DIA-601-1982-02-11-1アメリカ1982年02月11日1980年代(マラケシュ):ヘイグ,モロッコ国王と会談。
DIA-601-1982-02-12-1アメリカ1982年02月12日1980年代(マラケシュ):ヘイグ,モロッコと合同軍事委設置,モロッコ基地の有事使用で近く交渉,と語る。
DIA-601-1982-02-12-2アメリカ1982年02月12日1980年代(ブカレスト):ヘイグ長官,ルーマニア訪問。
DIA-601-1982-02-13-1アメリカ1982年02月13日1980年代ワインバーガー帰国。
DIA-601-1982-02-13-2アメリカ1982年02月13日1980年代(ソウル):チーム・スピリット82演習開始。
DIA-601-1982-02-14-1アメリカ1982年02月14日1980年代(コロンビア,S・カロライナ):ウォーカー駐韓大使,全政権は韓国労働者に大人気,と語る。
DIA-601-1982-02-15-1アメリカ1982年02月15日1980年代米中東政策,国内反乱対策に重点(WP2/15)。
DIA-601-1982-02-16-1アメリカ1982年02月16日1980年代レーガン,ベギン首相に,軍事優位保障。
DIA-601-1982-02-17-1アメリカ1982年02月17日1980年代(エルサレム):フェアバンクス米特使,イスラエル入り。
DIA-601-1982-02-18-1アメリカ1982年02月18日1980年代レーガン記者会見。金融引締め支持,国防費削減せぬ,と語る。
DIA-601-1982-02-18-2アメリカ1982年02月18日1980年代米政府,世銀などへの融資政策。83年度の15億3700万㌦を87年度は11億3900万㌦へ。
DIA-601-1982-02-19-1アメリカ1982年02月19日1980年代ヘイグ長官,国務省会議(1月18日)で,「エジプトの米離れは必至」,と言明(WP,2/19)。
DIA-601-1982-02-20-1アメリカ1982年02月20日1980年代(ニューヨーク):日本訪米団(江崎団長)到着。
DIA-601-1982-02-21-1アメリカ1982年02月21日1980年代(カイロ):フェアバンクス米特使,エジプト外相と会談。
DIA-601-1982-02-23-1アメリカ1982年02月23日1980年代議会経済合同委,日本のコンピューター業界でのリードに警告。
DIA-601-1982-02-23-2アメリカ1982年02月23日1980年代レーガン大統領,江崎ミッションと会談。
DIA-601-1982-02-24-1アメリカ1982年02月24日1980年代ボールドリッジ長官,日本市場開放で劇的措置要求。江崎,ブッシニ,ワインバーガー会談。
DIA-601-1982-02-24-2アメリカ1982年02月24日1980年代(バンコク):ベトナム訪問の不明米兵米政府調査団(アミテージ国防次官補代理)到着,専門家協議継続で合意,と語る。2日間ハノイ訪問。
DIA-601-1982-02-24-3アメリカ1982年02月24日1980年代(モスクワ):ブレジネフ,米との核・戦術・化学兵器交渉を提案。
DIA-601-1982-02-25-1アメリカ1982年02月25日1980年代レーマン海軍長官,一カ所での米ソ海軍衝突は,全世界的両海軍戦闘に拡大するとして,全海洋での対ソ優位を主張。
DIA-601-1982-02-26-1アメリカ1982年02月26日1980年代国務省,対外援助計画公表。
DIA-601-1982-02-26-2アメリカ1982年02月26日1980年代米政府,イラクをテロリスト支援団リストより除く(シリア,リビア,南イエメンは残る)(WP,2/27)。
DIA-601-1982-02-26-3アメリカ1982年02月26日1980年代(ベイルート):ハビブ特使訪問。
DIA-601-1982-02-26-4アメリカ1982年02月26日1980年代(ソウル):在韓米軍HQ,来年3月までにA10機24機配備計画発表。
DIA-601-1982-02-27-1アメリカ1982年02月27日1980年代国務省,イラクヘの武器売却否定。
DIA-601-1982-02-27-2アメリカ1982年02月27日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,サルキス大統領会談。
DIA-601-1982-02-27-3アメリカ1982年02月27日1980年代(バンコク):米,タイにRedeye対空ミサイル(20基)引渡し。
DIA-601-1982-02-28-1アメリカ1982年02月28日1980年代ヨルダン国王,ABCテレビ会見で米ホーク・ミサイル購入で近く申し入れ,と語る。
DIA-601-1982-03-01-1アメリカ1982年03月01日1980年代ワインバーガー,ヨルダンへの兵器売却は,同国がソ連からの兵器購入をどうするかにかかる,と語る。
DIA-601-1982-03-01-2アメリカ1982年03月01日1980年代(エルサレム):ハビブ,ベギン首相らと会談。
DIA-601-1982-03-01-3アメリカ1982年03月01日1980年代(ジェッダ):スルタン国防相,AWACSで対米秘密合意否定。
DIA-601-1982-03-02-1アメリカ1982年03月02日1980年代国防省,サウジにRF5E10機,F5E/F5F機輸出を議会に通告。
DIA-601-1982-03-03-1アメリカ1982年03月03日1980年代商務省,民間航空使用条件にシリアと南イエメンへの航空機輸出制限解除。
DIA-601-1982-03-03-2アメリカ1982年03月03日1980年代(アンマン):ハビブ特使,ヨルダン入り。
DIA-601-1982-03-04-1アメリカ1982年03月04日1980年代レーガン,統合参謀本部議長にジョン・ベッシー陸軍参謀次長任命。
DIA-601-1982-03-04-2アメリカ1982年03月04日1980年代ボールドリッジ商務長官,日本の高度技術挑戦,安保に脅威と,語る。
DIA-601-1982-03-04-3アメリカ1982年03月04日1980年代(アンマン):ハビブ特使,ヨルダン首相らと会談。
DIA-601-1982-03-05-1アメリカ1982年03月05日1980年代労働省,2月の失業率は8.8%と,発表。
DIA-601-1982-03-05-2アメリカ1982年03月05日1980年代ワトキンズ太平洋艦隊司令官,巡航ミサイルの太平洋艦隊配備決定済み,と語る。
DIA-601-1982-03-07-1アメリカ1982年03月07日1980年代(エルサレム):ハビブ特使,サウジより到着。
DIA-601-1982-03-08-1アメリカ1982年03月08日1980年代国防省,イスラエルへのホーク・ミサイル200基売却発表。
DIA-601-1982-03-08-2アメリカ1982年03月08日1980年代農務省,中国が米小麦10万㌧購入と発表。今年の穀物購入は計403万㌧。
DIA-601-1982-03-09-1アメリカ1982年03月09日1980年代(ベイルート):ハビブ特使到着。
DIA-601-1982-03-09-2アメリカ1982年03月09日1980年代(リヤド):ベレオテス国務次官到着。
DIA-601-1982-03-10-1アメリカ1982年03月10日1980年代上・下両院議員150人,米ソ核兵器凍結・削減を決議,両院に提出。
DIA-601-1982-03-10-2アメリカ1982年03月10日1980年代米政府,対リピア経済断交発表。
DIA-601-1982-03-10-3アメリカ1982年03月10日1980年代(リヤド):ベレオテス国務次官,サウド外相と会見。
DIA-601-1982-03-11-1アメリカ1982年03月11日1980年代国務省,米議会での核凍結決議,ソ連を利するのみと拒否声明。
DIA-601-1982-03-11-2アメリカ1982年03月11日1980年代バーン・ソマリア大統領,米援助は不十分,と語る。
DIA-601-1982-03-11-3アメリカ1982年03月11日1980年代米・ASEAN経済協議終了。
DIA-601-1982-03-11-4アメリカ1982年03月11日1980年代(バンコク):米大使館,今年度のタイ援助は,1億㌦に増加と発表(6250万㌦の安全保障ローン,軍事贈与450万㌦,軍訓練費145万㌦,村落援助500万㌦)。
DIA-601-1982-03-13-1アメリカ1982年03月13日1980年代(ベイルート):『アル・モスタクバル』,レーガンがシリア大統領に会談申し入れ,と報道。
DIA-601-1982-03-13-2アメリカ1982年03月13日1980年代(北京):中国外務省,米が台湾兵器売却にタイム・リミットを設けねば重大結果,と声明。
DIA-601-1982-03-15-1アメリカ1982年03月15日1980年代(ナッシュビル):レーガン,85年までは対ソ軍事バランス回復に全力,その後対ソ交渉,と語る。
DIA-601-1982-03-15-2アメリカ1982年03月15日1980年代ウォルターズ海軍副作戦部長,水上艦にもトマホーク巡航ミサイル配備,と証言。
DIA-601-1982-03-16-1アメリカ1982年03月16日1980年代レーマン海軍長官,6カ月内にシドラ湾で軍事演習,と語る。
DIA-601-1982-03-16-2アメリカ1982年03月16日1980年代ウィッカム在韓米軍司令官,北朝鮮が大奇襲部隊保有,と語る。
DIA-601-1982-03-16-3アメリカ1982年03月16日1980年代下院外交委,日本に空母負担要求論。
DIA-601-1982-03-17-1アメリカ1982年03月17日1980年代(シナイ半島):平和維持軍の米兵450人(第82空挺師団)到着。
DIA-601-1982-03-17-2アメリカ1982年03月17日1980年代(オーストラリア):米・豪,インド洋で「ビーコン・サウス82」軍事演習。
DIA-601-1982-03-18-1アメリカ1982年03月18日1980年代ワィンバーガー・長官,米ソ戦略核交渉を今夏開始の方針,と語る。
DIA-601-1982-03-18-2アメリカ1982年03月18日1980年代(釜山):アメリカ文化センターで放火事件。
DIA-601-1982-03-19-1アメリカ1982年03月19日1980年代全米製造業者協会,日本に市場開放要求。
DIA-601-1982-03-20-1アメリカ1982年03月20日1980年代(サンフランシスコ):日米航空交渉決裂。
DIA-601-1982-03-23-1アメリカ1982年03月23日1980年代桜内外相,ボールドリッジ商務長官と朝食会,またヘイグ長官と会談。
DIA-601-1982-03-24-1アメリカ1982年03月24日1980年代桜内外相,ブロック通商代表と会談。
DIA-601-1982-03-24-2アメリカ1982年03月24日1980年代(タシケント):ブレジネフ書記長,中国に関係改善提案。
DIA-601-1982-03-26-1アメリカ1982年03月26日1980年代上院外交委,「同盟諸国の防衛寄与」公聴会。日本の防衛で強硬論。
DIA-601-1982-03-26-2アメリカ1982年03月26日1980年代国務省,北朝鮮学者の訪米を許可,と発表。
DIA-601-1982-03-26-3アメリカ1982年03月26日1980年代(北京)・中国外務省,移民問題で「二つの中国」と米政府に抗議,鄧小平,米との公式関係悪化しても,経済関係維持したい,と語る(IHT,3/27)。
DIA-601-1982-03-26-4アメリカ1982年03月26日1980年代(東京):ワインバーガー国防長官訪日。ワインバーガー長官,伊藤長官と会談。
DIA-601-1982-03-27-1アメリカ1982年03月27日1980年代(東京):日米防衛定期協議。ワインバーガー長官,鈴木首相と会談。
DIA-601-1982-03-28-1アメリカ1982年03月28日1980年代ヘイグ長官,NBCテレビで,米中関係は非常に微妙な段階,「中国はアメリカ・カードの有用性再考,貿易・援助にも失望」と語る。
DIA-601-1982-03-28-2アメリカ1982年03月28日1980年代(ソウル):ワインバーガー長官訪韓。
DIA-601-1982-03-29-1アメリカ1982年03月29日1980年代(ソウル):ワインバーガー,韓国首相,国防相らと会見。DMZ 視察,政財界代表への演説で米の防衛約束確認。記者会見で,在韓米軍近代化(F16,A10導入)継続など語る(WP,IHT,3/30)。
DIA-601-1982-03-30-1アメリカ1982年03月30日1980年代国防省国防核兵器局長,長期核戦争研究と語る。
DIA-601-1982-03-30-2アメリカ1982年03月30日1980年代(ソウル):米韓安保協議。米,在韓軍近代化へ。
DIA-601-1982-03-30-3アメリカ1982年03月30日1980年代(カトマンズ):米,ネパールに農業などに170万㌦援助協定。V・ウォルター無任所大使ネパール入り。
DIA-601-1982-03-31-1アメリカ1982年03月31日1980年代レーガン,テレビ会見。ソ連に同等の核削減など呼びかけ。国防予算削減示唆。また景気は今が底,年後半に回復,と語る。
DIA-601-1982-03-31-2アメリカ1982年03月31日1980年代(ソウル):米韓安保協終了,共同声明。米韓合同演習。
DIA-601-1982-04-01-1アメリカ1982年04月01日1980年代(マニラ):ワィンバーガー訪比,マルコス大統領と会談。
DIA-601-1982-04-02-1アメリカ1982年04月02日1980年代労働省,3月失業率9%(75年5月と同じ)と発表。
DIA-601-1982-04-02-2アメリカ1982年04月02日1980年代レーガン,情報公開制限法にサイン。
DIA-601-1982-04-02-3アメリカ1982年04月02日1980年代(国連):安全保障理事会で米,西岸でのイスラエルのアラブ市長解任非難決議に拒否権(13:1)。
DIA-601-1982-04-02-4アメリカ1982年04月02日1980年代(マニラ):米国防長官,スービック,クラーク基地視察後帰途に。
DIA-601-1982-04-02-5アメリカ1982年04月02日1980年代アルゼンチン軍,フォークランド諸島武力占領。
DIA-601-1982-04-03-1アメリカ1982年04月03日1980年代(カトマンズ):ウォルター大使,スリランカへ。
DIA-601-1982-04-04-1アメリカ1982年04月04日1980年代ワインバーガー,韓比両国が日本の軍事大国化に不安,と語る。
DIA-601-1982-04-05-1アメリカ1982年04月05日1980年代レーガン,6月に米ソ首脳会談提案。
DIA-601-1982-04-05-2アメリカ1982年04月05日1980年代ヘイグ長官,柴沢民中国大使と会談。
DIA-601-1982-04-06-1アメリカ1982年04月06日1980年代(マスカット):Alawiオーマン外相,米に10億㌦の基地整備に加え2~2億5000万㌦の軍事贈与求む,と語る(WP4/7)。
DIA-601-1982-04-07-1アメリカ1982年04月07日1980年代レーガン,英・ア紛争にヘイグ調停決める。
DIA-601-1982-04-07-2アメリカ1982年04月07日1980年代(ジャカルタ):スミス通商副代表,インドネシアのカウンター・パーチェス政策非難(ロイター)。
DIA-601-1982-04-08-1アメリカ1982年04月08日1980年代プレスラー上院議員,日本の小麦食管制非難。
DIA-601-1982-04-09-1アメリカ1982年04月09日1980年代国防総省,日本製品進出で調査。
DIA-601-1982-04-12-1アメリカ1982年04月12日1980年代(カイロ):米・エジプト,アスワン・ダムのタービン更新援助協定(8500万㌦)。
DIA-601-1982-04-13-1アメリカ1982年04月13日1980年代米政府,イラクへのL100輸送機(6~12機)売却許可決定説(WP,4/14)。
DIA-601-1982-04-13-2アメリカ1982年04月13日1980年代米政府,台湾への6000万㌦の軍事部品売却,議会へ通告(航空機部品)。
DIA-601-1982-04-14-1アメリカ1982年04月14日1980年代レーガン,イスラエルのシナイ返還確信と言明。
DIA-601-1982-04-14-2アメリカ1982年04月14日1980年代(テルアビブ):ステッセル国務副長官,訪イ。
DIA-601-1982-04-14-3アメリカ1982年04月14日1980年代(北京):中国外務省,米の台湾への兵器部品売却に抗議声明,しかし報復せず。
DIA-601-1982-04-15-1アメリカ1982年04月15日1980年代(テルアビブ):ステッセル国務副長官と会見,シナイ返還意向表明。
DIA-601-1982-04-15-2アメリカ1982年04月15日1980年代(ブエノスアイレス):ヘイグ長官到着。
DIA-601-1982-04-16-1アメリカ1982年04月16日1980年代(テルアビブ):ベギン,ステッセルと会談。ベギン,和平継続保障で米・エ・イの新文書調印を求める。
DIA-601-1982-04-17-1アメリカ1982年04月17日1980年代(カイロ):ステッセル副長官,アリ外相,ガリ国務相らと会談,シナイ返還予定どおり,と語る。
DIA-601-1982-04-17-2アメリカ1982年04月17日1980年代ブレジネフ,今秋,第三国で米ソ首脳会談提案(モスクワ放送)。
DIA-601-1982-04-17-3アメリカ1982年04月17日1980年代(カイロ):ステッセル副長官,ムバラク大統領と会談。
DIA-601-1982-04-19-1アメリカ1982年04月19日1980年代国防省,バハレーンへのF5(6機),空対空ミサイル(60基)の1億1400万㌦売却を議会通告。
DIA-601-1982-04-20-1アメリカ1982年04月20日1980年代レーガン,米ソ首脳による,6月に非公式,10月に公式会談を提唱。
DIA-601-1982-04-20-2アメリカ1982年04月20日1980年代ヘイグ長官帰国。レーガン,英・ア両国に自制呼びかけ。
DIA-601-1982-04-20-3アメリカ1982年04月20日1980年代(カイロ):ステッセル副長官,エルサレムより到着,ムバラク大統領と会談。
DIA-601-1982-04-20-4アメリカ1982年04月20日1980年代(国連):安全保障理事会,米,モスク事件でのイスラエル非難決議に拒否権。
DIA-601-1982-04-21-1アメリカ1982年04月21日1980年代国務省,レバノンで当事者の自制求む声明。
DIA-601-1982-04-21-2アメリカ1982年04月21日1980年代(テルアビブ):イスラエル閣議,シナイ半島返還を最終決定。・イスラエル安全保障にレーガン親書。
DIA-601-1982-04-21-3アメリカ1982年04月21日1980年代(カイロ):ステッセル副長官,アリ外相,ムバラク大統領と会談。
DIA-601-1982-04-24-1アメリカ1982年04月24日1980年代(東京):鈴木・ブッシュ会談。・天皇にも会見。安倍通産相,桜内外相とも会談。
DIA-601-1982-04-25-1アメリカ1982年04月25日1980年代(東京):ブッシュ副大統領訪日。
DIA-601-1982-04-25-2アメリカ1982年04月25日1980年代レーガン,ムバラク大統領とベギン首相に電話,パレスチナ自治交渉促進協力約束(イスラエル,この日にシナイ返還)。
DIA-601-1982-04-25-3アメリカ1982年04月25日1980年代(ソウル):ブッシュ副大統領訪韓。
DIA-601-1982-04-26-1アメリカ1982年04月26日1980年代レーガン,赤字削減のため新財源求め,軍事費一部カットの用意表明。
DIA-601-1982-04-26-2アメリカ1982年04月26日1980年代(ソウル):ブッシュ副大統領,各界代表と朝食会。 ・全大統領と会見。
DIA-601-1982-04-26-3アメリカ1982年04月26日1980年代シュースミス米国務次官補,上院で,中国を米対外援助法の対象国とした,と語る。
DIA-601-1982-04-26-4アメリカ1982年04月26日1980年代(ホノルル):ロング太平洋軍司令官,日本防衛大綱改訂要求。
DIA-601-1982-04-26-5アメリカ1982年04月26日1980年代ホワイトハウス,ブッシュ訪中は,5月5~9日と発表。
DIA-601-1982-04-26-6アメリカ1982年04月26日1980年代(シンガポール):ブッシュ副大統領訪問。
DIA-601-1982-04-28-1アメリカ1982年04月28日1980年代(アンマン):F・ウエスト国防次官ら米軍事代表ヨルダン軍Shaht司令官らと会談。
DIA-601-1982-04-28-2アメリカ1982年04月28日1980年代(バンコク):米大使館,今後数カ月にカンボジア難民1万人受け入れと発表。
DIA-601-1982-04-28-3アメリカ1982年04月28日1980年代(シンガポール):ブッシュ副大統領,米はASEANのプリズムを通して東南アをみる,と語る。
DIA-601-1982-04-29-1アメリカ1982年04月29日1980年代(ホノルル):「リムパック」演習終了(3月22日より)。
DIA-601-1982-04-29-2アメリカ1982年04月29日1980年代(キャンベラ):ブッシュ副大統領訪豪。
DIA-601-1982-04-30-1アメリカ1982年04月30日1980年代ヘイグ,英・ア調停断念,今後英軍に物資援助と発表。
DIA-601-1982-04-30-2アメリカ1982年04月30日1980年代(ニューヨーク):UN海洋法会議,条約草案採択。米は反対。
DIA-601-1982-05-02-1アメリカ1982年05月02日1980年代(ニュージーランド):ブッシュ副大統領訪問。
DIA-601-1982-05-03-1アメリカ1982年05月03日1980年代消息筋,米,ヨルダンにF5G 36機,スティンガー対空ミサイル売却同意,しかしF16とホーク・ミサイルは拒否,と(AFP)。
DIA-601-1982-05-04-1アメリカ1982年05月04日1980年代消息筋,米政府,議会内の反対で,L-100(6機)のイラク売却承認延期,と(UPI)。
DIA-601-1982-05-04-2アメリカ1982年05月04日1980年代(台北):米輸出入銀行,台湾原子力プラントに8億5800万㌦借款。
DIA-601-1982-05-05-1アメリカ1982年05月05日1980年代(杭州):ブッシュ副大統領訪中。
DIA-601-1982-05-06-1アメリカ1982年05月06日1980年代レーガン大統領,連邦予算赤字削減のため,83年度から3年間に軍事予算220億㌦削減と発表。83年度は2211億㌦から59億㌦削減。
DIA-601-1982-05-07-1アメリカ1982年05月07日1980年代(北京):ブッシュ副大統領到着。万里副首相にレーガン親書手交。黄華外相と会談。超首相が歓迎宴。なおレーガン親書は,上海コミュニケと国交時の米中共同声明にもとづく米中関係発展支持,と述べている。
DIA-601-1982-05-08-1アメリカ1982年05月08日1980年代(北京):ブッシュ・鄧小平会談。台湾問題は継続協議へ。
DIA-601-1982-05-09-1アメリカ1982年05月09日1980年代(ユーレカ大学,イリノイ):レーガン大統領,対ソ核軍縮提案。核弾頭3分の1削減など。
DIA-601-1982-05-09-2アメリカ1982年05月09日1980年代(エルサレム):フェアバンクス米特使,訪イ。
DIA-601-1982-05-09-3アメリカ1982年05月09日1980年代(北京):ブッシュ副大統領帰途に。今後数週か数カ月で米中政府間の友好と相互関係が増進すると確信,と語る。
DIA-601-1982-05-10-1アメリカ1982年05月10日1980年代(カイロ):米,エジプトに濃縮ウラン提供協定(30年間)。
DIA-601-1982-05-12-1アメリカ1982年05月12日1980年代(パリ):日米欧三極通商会議,サミットで自由貿易宣言など合意。
DIA-601-1982-05-13-1アメリカ1982年05月13日1980年代レーガン,START6月開始再提案。
DIA-601-1982-05-13-2アメリカ1982年05月13日1980年代米政府の台湾への6000万ドル軍事部品売却,議会で反対なく自然承認。
DIA-601-1982-05-13-3アメリカ1982年05月13日1980年代下院,イラクヘの貿易制限復活。
DIA-601-1982-05-13-4アメリカ1982年05月13日1980年代(カイロ):米・エジプト,自治交渉再開。
DIA-601-1982-05-13-5アメリカ1982年05月13日1980年代(アンカラ):ヘイグ長官,トルコ訪問。
DIA-601-1982-05-14-1アメリカ1982年05月14日1980年代在韓米軍新司令官にロバート・W・セネワルド太平洋軍副司令官任命。
DIA-601-1982-05-14-2アメリカ1982年05月14日1980年代上院外交委,米中貿易報告公表。急進展に否定的。
DIA-601-1982-05-14-3アメリカ1982年05月14日1980年代(アンカラ):ヘィグ長官,トルコ首脳と会談。83年度,4億6500万㌦軍事援助で合意。
DIA-601-1982-05-14-4アメリカ1982年05月14日1980年代(カイロ):フェアバンクス特使,マリ外相と会談。
DIA-601-1982-05-15-1アメリカ1982年05月15日1980年代(アテネ):ヘイグ長官,ギリシア首脳と会談。
DIA-601-1982-05-15-2アメリカ1982年05月15日1980年代(ハルツーム):米スーダンに1億㌦経済援助。
DIA-601-1982-05-17-1アメリカ1982年05月17日1980年代上院,日本の防衛努力不十分なら米軍削減との決議を可決。
DIA-601-1982-05-18-1アメリカ1982年05月18日1980年代(モスクワ):ブレジネフ,START交渉応じる用意,交渉開始と同時に戦略核現状凍結を提案。
DIA-601-1982-05-18-2アメリカ1982年05月18日1980年代(北京):中国外務省高官,米政府が台湾への兵器売却は無期限でないと中国に伝えた,と述べる(IHT, 5/19)。
DIA-601-1982-05-19-1アメリカ1982年05月19日1980年代レーガン,モロッコ国王会談。モロッコ,米の緊急展開部隊基地受入れに合意。
DIA-601-1982-05-20-1アメリカ1982年05月20日1980年代国務省,インドネシアがアブラモウィッツ大使の承認を拒否したことを公表。
DIA-601-1982-05-20-2アメリカ1982年05月20日1980年代(ベイルート):ドレーパー国務次官補代理,レバノン外相と会談(リヤドから到着)。
DIA-601-1982-05-20-3アメリカ1982年05月20日1980年代(ジュネーブ):米ソ欧州戦域核削減交渉再開。
DIA-601-1982-05-21-1アメリカ1982年05月21日1980年代レーガン,ソ連を軍事的・外交的に封じ込め,ソ連の指導部の注意を国内に集中させることをねらいとした安全保障政策文書に署名。
DIA-601-1982-05-21-2アメリカ1982年05月21日1980年代米政府,モロッコへの2億㌦(5カ年)農業援助発表。
DIA-601-1982-05-21-3アメリカ1982年05月21日1980年代ヘイグ長官,インドネシアのアブラモウィッツ承認拒否は遺憾と声明。
DIA-601-1982-05-21-4アメリカ1982年05月21日1980年代(ニューヨーク):ワィンバーガー長官,イランの対イラク戦勝利は米の国益にならぬと発言。
DIA-601-1982-05-22-1アメリカ1982年05月22日1980年代(ジャカルタ):インドネシア外相,米大使人事は米国が一方的に撤回したと反論。
DIA-601-1982-05-24-1アメリカ1982年05月24日1980年代国務省,イラン軍のイラクへの反撃で,イ・イ両国に停戦よびかけ。
DIA-601-1982-05-25-1アメリカ1982年05月25日1980年代ヘイグ長官,ワインバーガー長官,シャロン・イスラエル国防相と会談。
DIA-601-1982-05-25-2アメリカ1982年05月25日1980年代ヘイグ長官,ヨルダンのハッサン皇太子と会談。
DIA-601-1982-05-25-3アメリカ1982年05月25日1980年代下院外交委,日韓の軍事技術で報告書公表。
DIA-601-1982-05-26-1アメリカ1982年05月26日1980年代国防省,イスラエルにF16(75機)売却公表。
DIA-601-1982-05-26-2アメリカ1982年05月26日1980年代(シカゴ):ヘイグ長官,イ・イ戦終結へ積極的役割を果たしたいと言明。
DIA-601-1982-05-27-1アメリカ1982年05月27日1980年代米政府,モロッコと有事空軍基地使用協定。
DIA-601-1982-05-28-1アメリカ1982年05月28日1980年代(バンコク):米,ベトナム戦退役軍人団,ハノイへ出発。
DIA-601-1982-05-29-1アメリカ1982年05月29日1980年代(サンタ・バーバラ):レーガン,対ソSTART直ちに開始用意と声明。
DIA-601-1982-05-29-2アメリカ1982年05月29日1980年代(ハノイ):ベトナム当局,米退役軍入団に不明米兵5遺体発見通知。
DIA-601-1982-05-30-1アメリカ1982年05月30日1980年代(北京):ベーカー共和党院内総務訪中。
DIA-601-1982-05-31-1アメリカ1982年05月31日1980年代米ソSTART,6月29日開始と米政府発表。
DIA-601-1982-05-31-2アメリカ1982年05月31日1980年代(ホノルル):米・マーシャル諸島,米基地15年延長で合意。
DIA-601-1982-06-01-1アメリカ1982年06月01日1980年代最近明らかになった米国防省の84~88年国防ガイドラインのなかで,米国にとっての国防優先度は,第1が北アメリカ(ハワイ,アラスカ,カリブ地域を含む),第2にNATO地域,第3が南西アジアの防衛,第4が太平洋の米同盟国,第5がインド・太平洋の連絡ラインの防衛,つづいてラテン・アメリカとアフリカの友好国防衛の順序となっている(WP,6/2)。
DIA-601-1982-06-01-2アメリカ1982年06月01日1980年代ステッセル国務副長官,中国との原子力協力で米中協議中と公表。
DIA-601-1982-06-01-3アメリカ1982年06月01日1980年代(北京):ベーカー議員,鄧小平副首相と会談。
DIA-601-1982-06-03-1アメリカ1982年06月03日1980年代(パリ):レーガン・仏大統領と会談。経済,フォークランド紛争,イ・イ戦争等討議。
DIA-601-1982-06-04-1アメリカ1982年06月04日1980年代(パリ):ベルサイユで先進国サミット開始。
DIA-601-1982-06-06-1アメリカ1982年06月06日1980年代(ベイルート):イスラエル軍約2万,南レバノンに大規模侵攻。
DIA-601-1982-06-06-2アメリカ1982年06月06日1980年代(パリ):先進国サミット終了。自由貿易擁護,財政赤字抑制,ソ連圏との慎重な経済取引き等で合意。またレバノン停戦要求声明も発表。
DIA-601-1982-06-07-1アメリカ1982年06月07日1980年代(エルサレム):ハビブ,ベギン首相会談。
DIA-601-1982-06-08-1アメリカ1982年06月08日1980年代(ロンドン):レーガン,英議会で演説,ソ連の軍事独裁体制批判。
DIA-601-1982-06-08-2アメリカ1982年06月08日1980年代(国連):米,イスラエル非難決議に拒否権。
DIA-601-1982-06-09-1アメリカ1982年06月09日1980年代(ボン):レーガン,西独議会で演説,NATO,ワルシャワ軍兵力,各90万人にと提案。
DIA-601-1982-06-09-2アメリカ1982年06月09日1980年代(エルサレム):ハビブ・ベギン会談。(ダマスカス):ハビブ特使,シリア入り。
DIA-601-1982-06-09-3アメリカ1982年06月09日1980年代(カイロ):レーガン,ムバラク大統領へ親書,イスラエル侵略停止に全力と約東と外交筋(IHT,6/10)。
DIA-601-1982-06-10-1アメリカ1982年06月10日1980年代(ボン):NATO首脳会議。兵力強化しつつ,ソ連に真のデタントよびかけで一致。
DIA-601-1982-06-10-2アメリカ1982年06月10日1980年代レーガン,サウジアラビア外相と会談。
DIA-601-1982-06-10-3アメリカ1982年06月10日1980年代(テルアビブ):レーガン,ベギン首相に書簡,レバノンでの即時停戦を要求。
DIA-601-1982-06-11-1アメリカ1982年06月11日1980年代国務省,イ軍のレバノン撤兵はイスラエルへの攻撃にレバノンが使われぬ保証が必要と声明。
DIA-601-1982-06-11-2アメリカ1982年06月11日1980年代(西ベルリン):レーガン,欧州軍縮会議提唱。
DIA-601-1982-06-11-3アメリカ1982年06月11日1980年代(ソンクラ):タイ・米海兵隊上陸演習。
DIA-601-1982-06-13-1アメリカ1982年06月13日1980年代ヘイグ長官,レバノンからの全外国軍撤兵要求,長期的解決策の一環としてイ軍撤兵求む,と。
DIA-601-1982-06-13-2アメリカ1982年06月13日1980年代(サウジアラビア):ハリド国王死去。
DIA-601-1982-06-14-1アメリカ1982年06月14日1980年代ヘイグ長官,エジプト外相と会談。エジプト,パレスチナ自治交渉再開拒否。
DIA-601-1982-06-14-2アメリカ1982年06月14日1980年代(テルアビブ):ハビブ・ベギン会談。(ダマスカス):ハビブ特使,シリア入り。
DIA-601-1982-06-14-3アメリカ1982年06月14日1980年代(フォークランド島):アルゼンチン軍,英に降伏。
DIA-601-1982-06-15-1アメリカ1982年06月15日1980年代カールリッチ国防副長官,米軍の中期的目標は,対ソ紛争時にペルシァ湾,欧州および西太平洋の要所に軍事力を展開する能力をもつことにあると言明。
DIA-601-1982-06-15-2アメリカ1982年06月15日1980年代(リヤド):ブッシュ副大統領・ファハド国王会談。
DIA-601-1982-06-16-1アメリカ1982年06月16日1980年代レーガン,アリ・エジプト外相と会談。
DIA-601-1982-06-16-2アメリカ1982年06月16日1980年代(リヤド):ブッシュ副大統領,サウジが米にイ軍のレバノン撤兵に全力をあげるよう求めた,と語る。
DIA-601-1982-06-17-1アメリカ1982年06月17日1980年代(国連):レーガン,軍縮総会で,各国が軍事費を公開するよう主張,米の対ソ軍縮提案支持を求む。
DIA-601-1982-06-17-2アメリカ1982年06月17日1980年代(シンガポール):ASEAN拡大外相会議,ステッセル副長官ら出席。
DIA-601-1982-06-18-1アメリカ1982年06月18日1980年代レーガン,対ソ石油・天然ガス開発資材の輸出禁止措置を強化。
DIA-601-1982-06-18-2アメリカ1982年06月18日1980年代(国連):ヘイグ長官,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-06-18-3アメリカ1982年06月18日1980年代(シンガポール):米・ASEAN会議。
DIA-601-1982-06-19-1アメリカ1982年06月19日1980年代(国連):イスラエル政府報道官,米・イ,ベイルートからのPLO排除で一致と発表。
DIA-601-1982-06-20-1アメリカ1982年06月20日1980年代ワインバーガー長官,テレビで,イ軍のレバノン侵攻非難,ヘイグ長官は米政府見解公表せぬと言明。
DIA-601-1982-06-21-1アメリカ1982年06月21日1980年代レーガン,ベギン首相と会談。レバノンからの全外国軍(PLOを含む)の撤兵で合意。
DIA-601-1982-06-21-2アメリカ1982年06月21日1980年代米空軍,宇宙軍司令部創設。
DIA-601-1982-06-21-3アメリカ1982年06月21日1980年代(キャンベラ):ANZUS理事会開く。
DIA-601-1982-06-22-1アメリカ1982年06月22日1980年代ヘイグ・ベギン会談。ヘイグ長官,米の目的はレバノンからの外国軍撤退,強力なレバノン政府樹立,イスラエルがレバノンから脅かされぬ条件確保,と。
DIA-601-1982-06-22-2アメリカ1982年06月22日1980年代FBI,日立,三菱のIBMスパイ事件摘発。
DIA-601-1982-06-22-3アメリカ1982年06月22日1980年代米海軍,6月20日夜,ベトナム沖で米艦3隻にベトナム船が銃撃,一隻被弾,と発表。
DIA-601-1982-06-22-4アメリカ1982年06月22日1980年代(クアラルンプール):反越三派連合政府樹立宣言。
DIA-601-1982-06-23-1アメリカ1982年06月23日1980年代レーガン,米情報機関員名暴露防止法署名。
DIA-601-1982-06-24-1アメリカ1982年06月24日1980年代(ジャカルタ):ホルドリッジ次官補訪イ。
DIA-601-1982-06-25-1アメリカ1982年06月25日1980年代ヘイグ国務長官辞任。後任ジョージ・シュルツ元財務長官。
DIA-601-1982-06-25-2アメリカ1982年06月25日1980年代(ジャカルタ):ホルドリッジ,米,三派連合の非共産派に物質的支援と言明。
DIA-601-1982-06-25-3アメリカ1982年06月25日1980年代ホルドリッジ,訪タイ。
DIA-601-1982-06-26-1アメリカ1982年06月26日1980年代(国連):安保理で米,イ軍のベイルート郊外への撤兵決議に拒否権。
DIA-601-1982-06-28-1アメリカ1982年06月28日1980年代米政府,PLO軍事力の他国への移送を中心とするレバノン対策案決定(WP,6/29)。
DIA-601-1982-06-28-2アメリカ1982年06月28日1980年代(バンコク):ホルドリッジ,プレム首相と会談。
DIA-601-1982-06-29-1アメリカ1982年06月29日1980年代(ジュネーブ):米ソ戦略兵器削減交渉開始。
DIA-601-1982-06-29-2アメリカ1982年06月29日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,ワザン首相と会談。
DIA-601-1982-06-30-1アメリカ1982年06月30日1980年代(ラングーン):ホルドリッジ・ビルマ内相会談。
DIA-601-1982-07-01-1アメリカ1982年07月01日1980年代ヘイグ長官,台湾への武器売却制限でホワイトハウスへ勧告送付。
DIA-601-1982-07-01-2アメリカ1982年07月01日1980年代(テルアビブ):ドレーパー国務次官補訪イ。
DIA-601-1982-07-02-1アメリカ1982年07月02日1980年代労働省,6月失業率9.5%と発表。
DIA-601-1982-07-04-1アメリカ1982年07月04日1980年代(エドワーズ基地,カリフォルニア):レーガン,宇宙戦略発表。
DIA-601-1982-07-06-1アメリカ1982年07月06日1980年代国務長官代行にステッセル次官。
DIA-601-1982-07-06-2アメリカ1982年07月06日1980年代(サンタバーバラ):レーガン,レバノンに800人の米兵を短期間派遣することに同意したと言明。
DIA-601-1982-07-06-3アメリカ1982年07月06日1980年代(バンコク):シアヌーク殿下,米国大使と会談。
DIA-601-1982-07-07-1アメリカ1982年07月07日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,レバノン大統領に,パレスチナ・ゲリラの海路によるベイルート出国,米仏平和監視軍派遣などのレーガン和平案提示。
DIA-601-1982-07-08-1アメリカ1982年07月08日1980年代米保守派,台湾への武器提供継続求め声明。
DIA-601-1982-07-09-1アメリカ1982年07月09日1980年代レーガン,海洋法条約草案署明拒否と発表。
DIA-601-1982-07-09-2アメリカ1982年07月09日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,レバノン首脳と会談。
DIA-601-1982-07-11-1アメリカ1982年07月11日1980年代ワインバーガー長官,イスラエル軍の西ベイルート侵攻認めぬ,また派遣米軍は短期駐留し,レバノン政府再建までは残留しないと言明(WP,7/12)。
DIA-601-1982-07-13-1アメリカ1982年07月13日1980年代国務長官指名のシュルツ氏,上院公聴会で証言,イスラエルの安全にコミットしつつアラブ諸国との関係を強化すること,中東和平交渉にパレスチナ人代表が参加すべきこと,北京との良好な関係を維持しつつも,台湾に防衛用兵器の売却をつづけるべきこと,などを主張した(IHT,7/14)。
DIA-601-1982-07-13-2アメリカ1982年07月13日1980年代レーガン,イラン軍のイラク侵攻で,ペルシア湾地域全体の情勢悪化が懸念されると言明。
DIA-601-1982-07-13-3アメリカ1982年07月13日1980年代国防省,マレーシアへのF5(16機)売却決定。
DIA-601-1982-07-14-1アメリカ1982年07月14日1980年代ホワイトハウス,イランのイラク侵攻により脅威を受けるペルシア湾穏健派諸国の安全守ると声明。
DIA-601-1982-07-14-2アメリカ1982年07月14日1980年代米政府筋,レーガンがPLO受け入れ協力でサウジアラビア国王に書簡を送ったと語る(IHT,7/16)。
DIA-601-1982-07-14-3アメリカ1982年07月14日1980年代シュルツ次期国務長官,上院公聴会で,台湾へのF5E戦闘機追加輸出支持と証言。
DIA-601-1982-07-15-1アメリカ1982年07月15日1980年代上院,シュルツ国務長官承認。全会一致。
DIA-601-1982-07-15-2アメリカ1982年07月15日1980年代ホワイトハウス,イラクへの転送想定の湾岸諸国向け兵器売却に反対表明(ロイター)。
DIA-601-1982-07-15-3アメリカ1982年07月15日1980年代国務省,アラブ共同体にPLO受入れ要望声明。
DIA-601-1982-07-16-1アメリカ1982年07月16日1980年代シュルツ国務長官就任。
DIA-601-1982-07-16-2アメリカ1982年07月16日1980年代ホワイトハウス,レーガンがPLO受入れ求める書簡をアラブ諸国に送ったと発表。
DIA-601-1982-07-16-3アメリカ1982年07月16日1980年代米政府筋,米政府が最近F5Eの台湾での生産追加を中国に通告したことを明らかにする。
DIA-601-1982-07-17-1アメリカ1982年07月17日1980年代シュルツ長官,イスラエル,エジプト両大使と会見。
DIA-601-1982-07-18-1アメリカ1982年07月18日1980年代米軍筋によれば,米軍はゲリラ戦,破壊工作など非通常戦争用の戦力再建にとりかかっている。再強化されるのは陸軍特殊部隊(グリーン・ベレー),陸軍レインジャー部隊,空軍特殊作戦航空隊,海軍海空陸戦チーム(Seals),海兵隊降下部隊である(IHT,7/20)。
DIA-601-1982-07-19-1アメリカ1982年07月19日1980年代レーガン,国務副長宮にケネス・ダム(シカゴ大学副学長,49歳),経済担当国務次官にアレン・ウォーリス(69歳),安保担当国務次官にウイリアム・シュナイダー(40歳)の任命を発表。
DIA-601-1982-07-19-2アメリカ1982年07月19日1980年代シュルツ長官,サウジ外相,シリア外相と会談。
DIA-601-1982-07-19-3アメリカ1982年07月19日1980年代米議会経済合同委報告,対中技術流出に警戒表明。
DIA-601-1982-07-20-1アメリカ1982年07月20日1980年代レーガン,シリア,サウジ外相と会談。
DIA-601-1982-07-21-1アメリカ1982年07月21日1980年代(ベイルート):ハビブ・サルキス大統領会談。
DIA-601-1982-07-22-1アメリカ1982年07月22日1980年代ワイデンボウム経済諮問委議長辞任。
DIA-601-1982-07-23-1アメリカ1982年07月23日1980年代国防省,「共同防衛に対する同盟国の貢献度報 告書」公表。日本は15カ国中最低に近い順位。
DIA-601-1982-07-23-2アメリカ1982年07月23日1980年代(ダマスカス):ハビブ特使,シリア大統領と会談。
DIA-601-1982-07-23-3アメリカ1982年07月23日1980年代米当局者,最近ソ連とアフガニスタン解決についてモスクワで協議したことを明らかにする。
DIA-601-1982-07-24-1アメリカ1982年07月24日1980年代(サウジアラビア):ハビブ,ファハド国王と。
DIA-601-1982-07-24-2アメリカ1982年07月24日1980年代(ソマリア):政府,米が緊急援助開始と発表。
DIA-601-1982-07-24-3アメリカ1982年07月24日1980年代(カイロ):ハビブ特使・サウジアラビアより到着,エジプト外相と会談。
DIA-601-1982-07-25-1アメリカ1982年07月25日1980年代(カイロ):ハビブ特使・ムバラク大統領会談。
DIA-601-1982-07-25-2アメリカ1982年07月25日1980年代(ベイルート):マクロスキー下院議員,アラファトと会談,PLOがイスラエル生存権承認文書に署名と。
DIA-601-1982-07-26-1アメリカ1982年07月26日1980年代国務省,PLOが国連242,338決議とイスラエルの存在受け入れるまで交渉せぬと声明。
DIA-601-1982-07-26-2アメリカ1982年07月26日1980年代(ロンドン):ハビブ特使,ヨルダン国王と会談。
DIA-601-1982-07-27-1アメリカ1982年07月27日1980年代下院,輸出商社法案可決。
DIA-601-1982-07-27-2アメリカ1982年07月27日1980年代米政府,イスラエルへの集束砲弾引渡し停止。
DIA-601-1982-07-27-3アメリカ1982年07月27日1980年代(テルアビブ):ハビブ,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-07-28-1アメリカ1982年07月28日1980年代米政府,経済閣僚会議設立。
DIA-601-1982-07-28-2アメリカ1982年07月28日1980年代レーガン,台湾の友人見捨てぬと言明。
DIA-601-1982-07-28-3アメリカ1982年07月28日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,PLO退去で新提案。
DIA-601-1982-07-28-4アメリカ1982年07月28日1980年代(カイロ):米下院代表団,ムバラク大統領と会見。
DIA-601-1982-07-29-1アメリカ1982年07月29日1980年代レーガン,ガンジー・インド首相と会談。米,インドの仏よりTarapur原発用核燃料購入に同意。
DIA-601-1982-07-30-1アメリカ1982年07月30日1980年代レーガン,アリ・エジプト外相と会談。イスラエルとPLOへの対応で対立。
DIA-601-1982-07-30-2アメリカ1982年07月30日1980年代レーガン,共和党議員団に台湾への兵器売却継続約束,しかし議会筋,米中,台湾兵器で期限設定交渉中と語る(WP,7/31)。
DIA-601-1982-07-30-3アメリカ1982年07月30日1980年代レーガン,対ソ穀物協定,1年延長交渉指示。
DIA-601-1982-08-01-1アメリカ1982年08月01日1980年代(ベイルート):イスラエル軍,空港制圧。
DIA-601-1982-08-02-1アメリカ1982年08月02日1980年代レーガン,イスラエル外相と会談,レバノン調停に協力求める。・レーガン,イスラエルのベイルート攻撃停止への緊急行動求めるソ連書記長の要求を拒否。
DIA-601-1982-08-03-1アメリカ1982年08月03日1980年代(ベイルート)ハビブ特使,ワザン首相と会談。
DIA-601-1982-08-04-1アメリカ1982年08月04日1980年代レーガン,イスラエル軍の西ベイルート突入非難声明。ベギン首相に攻撃停止求め書簡。
DIA-601-1982-08-05-1アメリカ1982年08月05日1980年代下院,米ソ核凍結決議,2票差で否決。
DIA-601-1982-08-05-2アメリカ1982年08月05日1980年代米政府,ベイルートのイ軍,8月1日ラインへの後退を要求。
DIA-601-1982-08-06-1アメリカ1982年08月06日1980年代レーガン,経済諮問委員長にフェルトスチン・ハーバード大教授任命。
DIA-601-1982-08-06-2アメリカ1982年08月06日1980年代(国連):米,ソ連のイスラエル制裁案に拒否権。
DIA-601-1982-08-08-1アメリカ1982年08月08日1980年代(ベイルート):ハビブ,イスラエル国防相と会談,ゲリラ退去で新提案。
DIA-601-1982-08-09-1アメリカ1982年08月09日1980年代ワインバーガー長官,持続的核戦争計画立案中と言明。
DIA-601-1982-08-09-2アメリカ1982年08月09日1980年代(東京):ドネリー在日米軍司令,日本の防衛大綱見直し必要と語る。
DIA-601-1982-08-10-1アメリカ1982年08月10日1980年代(テルアビブ):イ政府,ハビブ調停案受託。
DIA-601-1982-08-11-1アメリカ1982年08月11日1980年代下院予算委,ラスバナス基地拡張費否決。
DIA-601-1982-08-11-2アメリカ1982年08月11日1980年代消息筋,中国,台湾で米妥協案拒否と(IHT,8/13)。
DIA-601-1982-08-11-3アメリカ1982年08月11日1980年代(エルサレム):ハビブ特使,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-08-12-1アメリカ1982年08月12日1980年代レーガン,イ軍がベイルートで再攻撃したことでベギン首相に停戦求め電話。
DIA-601-1982-08-12-2アメリカ1982年08月12日1980年代(東京):レーマン海軍長官,伊藤防衛庁長官と会談,1000カイリ・シーレーン防衛に期待表明。
DIA-601-1982-08-12-3アメリカ1982年08月12日1980年代(北京):中国,米に繊維輸出の過大制限は全貿易関係に波及と警告(IHT,8/13)。
DIA-601-1982-08-13-1アメリカ1982年08月13日1980年代FRB,公定歩合0.5%引下げ10.5%に。
DIA-601-1982-08-13-2アメリカ1982年08月13日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,サルキス大統領と会談。
DIA-601-1982-08-14-1アメリカ1982年08月14日1980年代レーガン,シュルツ長官らと中東政策協議。
DIA-601-1982-08-14-2アメリカ1982年08月14日1980年代(エルサレム):ハビブ特使,訪イ。
DIA-601-1982-08-15-1アメリカ1982年08月15日1980年代(エルサレム):ハビブ・ベギン会談,PLO撤退案で歩み寄り。
DIA-601-1982-08-16-1アメリカ1982年08月16日1980年代(ベイルート):ハビブ・サルキス会談。
DIA-601-1982-08-16-2アメリカ1982年08月16日1980年代(カイロ):エジプト外相,イ軍撤兵まで自治交渉凍結と発表。
DIA-601-1982-08-17-1アメリカ1982年08月17日1980年代米中両政府,台湾への米国の武器売却で共同声明。米政府は長期の台湾への武器売却を行なわず,売却兵器の数量・性能は米中国交後のレベルを超えず,武器売却は逐次減少させることを約束。なおレーガン大統領は,この声明とは別に,台湾の安全支持,兵器売却継続との意向を表明する声明を発表した。またホルドリッジ国務次官補は,兵器売却漸減時期について未定と言明。
DIA-601-1982-08-17-2アメリカ1982年08月17日1980年代上院,移民法改正可決。
DIA-601-1982-08-17-3アメリカ1982年08月17日1980年代(ベイルート):ハビブ,イスラエル国防相と会談。
DIA-601-1982-08-18-1アメリカ1982年08月18日1980年代ホワイトハウス,台湾へのF5Eなど60機追加輸出と発表。
DIA-601-1982-08-18-2アメリカ1982年08月18日1980年代国防省,原子力空母カール・ビンセントを来春から 太平洋艦隊に配備と発表。
DIA-601-1982-08-18-3アメリカ1982年08月18日1980年代(ベイルート):PLO退去で最終合意なる。
DIA-601-1982-08-20-1アメリカ1982年08月20日1980年代レーガン,レバノンへの米海兵隊800人派遣を発表,またパレスチ問題全面解決必要と言明。・シュルツ長官,中東和平で独自構想検討中,と語る。
DIA-601-1982-08-21-1アメリカ1982年08月21日1980年代(ベイルート):PLO第1陣,退去開始。
DIA-601-1982-08-22-1アメリカ1982年08月22日1980年代国防省,軍の戦闘継続能力長期化へ1000億㌦計画開始(IHT,8/23)。
DIA-601-1982-08-22-2アメリカ1982年08月22日1980年代ワィンバーガー長官,中東和平で新案検討中,と。
DIA-601-1982-08-23-1アメリカ1982年08月23日1980年代(ベイルート):新大統領にバシール・ジェマイエル選出。
DIA-601-1982-08-23-2アメリカ1982年08月23日1980年代(パリ):仏政府,米社子会社に対ソ・ガス開発施材輸出を命令。
DIA-601-1982-08-25-1アメリカ1982年08月25日1980年代(ベイルート):米海兵隊800人到着。
DIA-601-1982-08-25-2アメリカ1982年08月25日1980年代(バンコク):タイ海軍,米がハープーン対艦ミサイル売却に同意と発表(AFP)。
DIA-601-1982-08-26-1アメリカ1982年08月26日1980年代FRB,公定歩合10%に引下げ。
DIA-601-1982-08-26-2アメリカ1982年08月26日1980年代米政府,対ソ禁輸違反の仏企業に禁輸令。
DIA-601-1982-08-26-3アメリカ1982年08月26日1980年代中国大使,シュルツ長官に台湾での共同声明の厳格な実施を申し入れ。
DIA-601-1982-08-27-1アメリカ1982年08月27日1980年代イスラエル国防相,シュルツ長官,ワインバーガー長官と会談後,パレスチナ国家拒否と語る。
DIA-601-1982-08-27-2アメリカ1982年08月27日1980年代ホワイトハウス,ワインバーガー長官,8月31日より中東歴訪と発表。
DIA-601-1982-08-27-3アメリカ1982年08月27日1980年代米政府,メキシコの金融危機表面化後の,IMFの増資間題との関連で,総額250億㌦の国際緊急準備基金設立を検討中。
DIA-601-1982-08-28-1アメリカ1982年08月28日1980年代(ソウル):米軍司令部,パトロール中の米兵が北朝鮮に抑留されたと発表。北側は亡命と発表。
DIA-601-1982-08-29-1アメリカ1982年08月29日1980年代(イスラエル放送):米,西岸・ガザにパレスチナ国家創立をシャロン国防相に提示,と。
DIA-601-1982-08-30-1アメリカ1982年08月30日1980年代ホワイトハウス,ヨルダンはパレスチナ国家ではないと声明。
DIA-601-1982-08-30-2アメリカ1982年08月30日1980年代(ホノルル):日米安保事務協議開始。
DIA-601-1982-08-30-3アメリカ1982年08月30日1980年代(ベイルート):PLOアラファト議長,アテネへ。
DIA-601-1982-08-31-1アメリカ1982年08月31日1980年代ワインバーガー長官,中東訪問へ出発。
DIA-601-1982-08-31-2アメリカ1982年08月31日1980年代(ベイルート):マクハーソンAID長官,米,レバノンへ9500万㌦援助と発表。
DIA-601-1982-08-31-3アメリカ1982年08月31日1980年代(ホノルル):日米安保協議で米側,1000カイリ内防衛は日本の責任との姿勢示す。
DIA-601-1982-09-01-1アメリカ1982年09月01日1980年代レーガン大統領,中東和平で新提案。ヨルダン川西岸とガザ地区に,ヨルダン政府と連合したパレスチナ自治政府の樹立,両地区でのイスラエル入植の即時凍結,などを提案。またエルサレムの地位は話し合いで決定せよと主張。
DIA-601-1982-09-01-2アメリカ1982年09月01日1980年代(ベイルート):ワインバーガー長官訪問,サルキス大統領らと会説。・パレスチナ・ゲリラ退去終了。
DIA-601-1982-09-01-3アメリカ1982年09月01日1980年代(テルアビブ):ワインバーガー,イスラエル入り。
DIA-601-1982-09-02-1アメリカ1982年09月02日1980年代(テルアビブ):イスラエル政府,レーガン提案拒否。ワインバーガー,シャロン国防相と会談。
DIA-601-1982-09-03-1アメリカ1982年09月03日1980年代(エルサレム):ワインバーガー・イ外相会談。
DIA-601-1982-09-03-2アメリカ1982年09月03日1980年代(カイロ):ワインバーガー,エジプト外相と会談。
DIA-601-1982-09-03-3アメリカ1982年09月03日1980年代(シンガポール):米・シンガポール,初の空軍合同演習終了(1週間,米F4E6機参加)。
DIA-601-1982-09-04-1アメリカ1982年09月04日1980年代(アレクサンドリア):ワインバーガー,エジプト大統領と会談。エジプト,レーガン提案支持声明。
DIA-601-1982-09-05-1アメリカ1982年09月05日1980年代シュルツ長官,レーガン提案はヨルダン川西岸の非武装化を前提と語る。
DIA-601-1982-09-05-2アメリカ1982年09月05日1980年代(サンタバーバラ):ホワイトハウス,イスラエルの西岸・ガザでの新入植地建設決定を非難する声明。
DIA-601-1982-09-05-3アメリカ1982年09月05日1980年代(カイロ):ワインバーガー,ガザラ国防相と会談。
DIA-601-1982-09-07-1アメリカ1982年09月07日1980年代レーガン,ハビブ特使に勲章授与。
DIA-601-1982-09-07-2アメリカ1982年09月07日1980年代国防省,在日米軍4万8865人と発表。
DIA-601-1982-09-08-1アメリカ1982年09月08日1980年代レーガン,米海兵隊,10日よりレバノン撤収開始と発表。
DIA-601-1982-09-09-1アメリカ1982年09月09日1980年代ワインバーガー長官帰国。
DIA-601-1982-09-09-2アメリカ1982年09月09日1980年代(フェズ・モロッコ):アラブ首脳,フェズ憲章。
DIA-601-1982-09-10-1アメリカ1982年09月10日1980年代シュルツ長官,フェズ憲章はレーガン提案と重要点で矛盾,しかし和平の突破口になりうると評価。
DIA-601-1982-09-10-2アメリカ1982年09月10日1980年代(ベイルート):米海兵隊撤兵。
DIA-601-1982-09-13-1アメリカ1982年09月13日1980年代ホワイトハウス,レバノン内戦再発で,米海兵隊の再投入の可能性あると言明。
DIA-601-1982-09-13-2アメリカ1982年09月13日1980年代議会筋,国務省がイラクへ小型ジェット機6機売却を許可したと語る(WP,9/14)。
DIA-601-1982-09-14-1アメリカ1982年09月14日1980年代レーガン,バシール・ジェマイエル次期レバノン大統領暗殺で,当事者の自制求める声明。
DIA-601-1982-09-15-1アメリカ1982年09月15日1980年代ホワイトハウス,イスラエル軍の西ベイルー・ト制圧で,イ軍の自制求める声明。
DIA-601-1982-09-15-2アメリカ1982年09月15日1980年代ホルドリッジ次官補,シアヌークのカンボジア政治再登場を歓迎と下院アジア・太平洋小委で証言。
DIA-601-1982-09-15-3アメリカ1982年09月15日1980年代(エルサレム):ドレーパー次官補代理,イ首相と。
DIA-601-1982-09-16-1アメリカ1982年09月16日1980年代レーガン,マルコス大統領と会談。83年4月,米比基地協定再検討で合意。比原発計画に米輸出入銀行が2億450万㌦融資決定。
DIA-601-1982-09-16-2アメリカ1982年09月16日1980年代米政府,イ軍の西ベイルート即時撤退要求声明。
DIA-601-1982-09-17-1アメリカ1982年09月17日1980年代(国連安保理):米,イ軍撤退要求決議に賛成。
DIA-601-1982-09-17-2アメリカ1982年09月17日1980年代(テルアビブ):ドレーパー特使,イ国防相と会談。
DIA-601-1982-09-17-3アメリカ1982年09月17日1980年代(ベイルート):ドレーパー特使,レバノン首相と。
DIA-601-1982-09-18-1アメリカ1982年09月18日1980年代レーガン,ベイルート難民キャンプでの大量虐殺を非難する声明。
DIA-601-1982-09-18-2アメリカ1982年09月18日1980年代ワインバーガー,マルコス大統領と会談。
DIA-601-1982-09-19-1アメリカ1982年09月19日1980年代レーガン,ベイルート虐殺を非難し,イ軍の西ベイルート撤兵要求。
DIA-601-1982-09-19-2アメリカ1982年09月19日1980年代(北京):Atlantic Richfield社(Arco China),中国と海底石油開発契約。
DIA-601-1982-09-20-1アメリカ1982年09月20日1980年代レーガン,レバノンへ米軍含む国際平和維持軍再派遣を発表。
DIA-601-1982-09-21-1アメリカ1982年09月21日1980年代レーガン政権,ミサイル飛行等に使用中の高度コンピューターの対中国輸出を承認(WP,9/22)。
DIA-601-1982-09-21-2アメリカ1982年09月21日1980年代国務省報道官,難民虐殺はイスラエルの責任と。
DIA-601-1982-09-22-1アメリカ1982年09月22日1980年代国防省,先週議会に,バハレーンへのF5F戦闘機(1億8000万㌦)売却通告(WP,9/23)。
DIA-601-1982-09-23-1アメリカ1982年09月23日1980年代カットー国防次官補,レバノンへの米海兵隊は800人だが,戦闘起これば1800人へ増派,と語る。
DIA-601-1982-09-23-2アメリカ1982年09月23日1980年代(ベイルート):レバノン大統領にアミン・ジェマイエル就任。
DIA-601-1982-09-24-1アメリカ1982年09月24日1980年代(国連):総会,ベイルート難民虐殺非難決議,米国とイスラエルのみ反対。
DIA-601-1982-09-24-2アメリカ1982年09月24日1980年代(エルサレム):ハビブ特使,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-09-25-1アメリカ1982年09月25日1980年代レーガン,利子率とインフレ低下をあげ,米経済回復への戦いに勝利しつつあると語る。
DIA-601-1982-09-25-2アメリカ1982年09月25日1980年代国務省,タイへの990万㌦の追加軍事援助(合計7500万㌦)に同意と発表。
DIA-601-1982-09-25-3アメリカ1982年09月25日1980年代(テルアビブ):ハビブ特使,シャロン国防相と会談。
DIA-601-1982-09-26-1アメリカ1982年09月26日1980年代米政府,イ軍のベイルート撤兵遅れのため米海兵隊の上陸遅れると発表(NY7,9/27)。
DIA-601-1982-09-26-2アメリカ1982年09月26日1980年代(アンマン):ハビブ特使,ヨルダン国王と会談。
DIA-601-1982-09-28-1アメリカ1982年09月28日1980年代レーガン,米海兵隊,9月29日ベイルート上陸,イ軍,シリア軍のレバノン撤兵まで駐留と発表。
DIA-601-1982-09-28-2アメリカ1982年09月28日1980年代(国連):シュルツ長官,ソ連外相と初会談。
DIA-601-1982-09-29-1アメリカ1982年09月29日1980年代米・エジプト投資保証協定調印。
DIA-601-1982-09-29-2アメリカ1982年09月29日1980年代(ニューヨーク):シュルツ長官,ASEAN外相と朝食会。
DIA-601-1982-09-29-3アメリカ1982年09月29日1980年代(ベイルート):米海兵隊上陸。イ軍,西ベイルート撤退。
DIA-601-1982-09-29-4アメリカ1982年09月29日1980年代(ジェッダ):ハビブ特使,ファハド国王と会談。
DIA-601-1982-09-30-1アメリカ1982年09月30日1980年代(国連):シュルツ長官演説。またシリア,ヨルダン外相,エジプト国務相と会談。
DIA-601-1982-09-30-2アメリカ1982年09月30日1980年代ワインバーガー長官,伊藤防衛庁長官と会談。F16の三沢配備確定。
DIA-601-1982-10-01-1アメリカ1982年10月01日1980年代ホワイトハウス,次回先進国サミット,来春ウィリアムスバーグ開催と発表。
DIA-601-1982-10-01-2アメリカ1982年10月01日1980年代国務省,ベトナムが不明米兵調査で,年4回の米チーム受け入れと米技術者によるベトナム人訓練を認めたと発表。
DIA-601-1982-10-01-3アメリカ1982年10月01日1980年代(ホノルル):米・ミクロネシア連邦化協定。
DIA-601-1982-10-01-4アメリカ1982年10月01日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,レバノン首脳と会談。
DIA-601-1982-10-01-5アメリカ1982年10月01日1980年代(ボン):西独首相にコール氏選出。
DIA-601-1982-10-02-1アメリカ1982年10月02日1980年代(ダマスカス):ハビブ特使,シリア大統領と。
DIA-601-1982-10-02-2アメリカ1982年10月02日1980年代(ベイルート):米軍事代表団到着。
DIA-601-1982-10-03-1アメリカ1982年10月03日1980年代(ダマスカス):ハビブ,シリア大統領と会談,レバノン外国軍撤兵案提示。
DIA-601-1982-10-04-1アメリカ1982年10月04日1980年代米政府筋,米がサウジアラビアに,エジプトで中東向け米戦闘機生産に20億㌦貸与を要望中,と。
DIA-601-1982-10-04-2アメリカ1982年10月04日1980年代安倍通産相,ブロック通商代表らと会談。
DIA-601-1982-10-04-3アメリカ1982年10月04日1980年代(国連):シュルツ長官,ソ連外相と会談。
DIA-601-1982-10-05-1アメリカ1982年10月05日1980年代国防省,エジプトとのジェット機共同生産・販売計画発表。
DIA-601-1982-10-05-2アメリカ1982年10月05日1980年代(エルサレム):ドレーパー特使,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-10-06-1アメリカ1982年10月06日1980年代レーガン,ハビブ特使より中東報告受く。
DIA-601-1982-10-06-2アメリカ1982年10月06日1980年代レーガン,中台平和統一すれば台湾へ武器停止と。
DIA-601-1982-10-06-3アメリカ1982年10月06日1980年代(ニューヨーク):シュルツ長官,シアヌーク大統領,ソンサン首相と会談,両派に政治的支持と語る。
DIA-601-1982-10-07-1アメリカ1982年10月07日1980年代レーガン,輸出商社法にサイン。
DIA-601-1982-10-08-1アメリカ1982年10月08日1980年代労働省,9月の米失業率10.1%と発表。
DIA-601-1982-10-08-2アメリカ1982年10月08日1980年代連邦準備銀行,公定歩合10→9.5%に引下げ。
DIA-601-1982-10-08-3アメリカ1982年10月08日1980年代ワインバーガー長官,南レバノンでの新国際軍への米の参加に反対表明。
DIA-601-1982-10-08-4アメリカ1982年10月08日1980年代リーガン財務長官,サウジアラビア蔵相と会談,合 弁,経済・技術協力促進で合意。
DIA-601-1982-10-08-5アメリカ1982年10月08日1980年代ブッシュ副大統領,シアヌーク大統領,ソンサン首相と会談,連合政権への政治的,道義的支持表明。
DIA-601-1982-10-08-6アメリカ1982年10月08日1980年代(サンディエゴ):レーガン,次期メキシコ大統領デ・ ラ・マドリードと会談。
DIA-601-1982-10-11-1アメリカ1982年10月11日1980年代(カイロ):エジプト,グラマン社とE-2C部品生産で350万㌦の契約。
DIA-601-1982-10-12-1アメリカ1982年10月12日1980年代レーガン,スハルト・インドネシア大統領と会談。日本の防衛力強化,米日の中国援助など討議。
DIA-601-1982-10-12-2アメリカ1982年10月12日1980年代レーガン,インドネシア駐在大使にホルドリッジ国務次官補を任命。
DIA-601-1982-10-13-1アメリカ1982年10月13日1980年代レーガン,10.1%の失業率は,過去数十年の経済政策の誤りの結果と指摘,ドル高を自賛。
DIA-601-1982-10-13-2アメリカ1982年10月13日1980年代(テキサス,フォートワース基地):パキスタンへF16第1号機引渡し式。
DIA-601-1982-10-14-1アメリカ1982年10月14日1980年代シュルツ長官,イスラエル外相と会談,レバノン撤兵条件討議。
DIA-601-1982-10-14-2アメリカ1982年10月14日1980年代(ハノイ):ベトナム,米チームに米兵5遺体返す。
DIA-601-1982-10-15-1アメリカ1982年10月15日1980年代レーガン,83年度対ソ穀物輸出2300万㌧まで許可と発表(82年度は1500万㌧)。
DIA-601-1982-10-15-2アメリカ1982年10月15日1980年代イスラエル外相,北部,東部レバノンの治安回復に米軍含む新国際軍必要と語る。
DIA-601-1982-10-16-1アメリカ1982年10月16日1980年代シュルツ長官,イスラエルを追放する国連あるいはその傘下機関への資金提供停止と語る。
DIA-601-1982-10-17-1アメリカ1982年10月17日1980年代(ニューヨーク):ジュマイエル・レバノン大統領訪米。
DIA-601-1982-10-18-1アメリカ1982年10月18日1980年代シュルツ長官,共産国の平和的変革を求める努力を無視せぬと言明。
DIA-601-1982-10-18-2アメリカ1982年10月18日1980年代国務省当局者,中ソ和解への動き懸念(WP,10/19)。
DIA-601-1982-10-19-1アメリカ1982年10月19日1980年代レーガン,ジュマイエル大統領と会談後,レバノンからのシリア,イスラエル,PLO軍の撤兵求め,レバノンの領土保全支援との声明。・ワインバーガー,レバノン大統領と会談,レバノン軍強化支援約東。
DIA-601-1982-10-19-2アメリカ1982年10月19日1980年代(東京):ロング太平洋軍司令,伊藤長官と会談。
DIA-601-1982-10-20-1アメリカ1982年10月20日1980年代モロッコ国王らアラブ代表団訪米。
DIA-601-1982-10-20-2アメリカ1982年10月20日1980年代米・マーシャル諸島,ICBM発射基地協定。
DIA-601-1982-10-21-1アメリカ1982年10月21日1980年代シュルツ長官,イスラエル外相と会談。
DIA-601-1982-10-21-2アメリカ1982年10月21日1980年代(ホノルル):日米農産物貿易交渉決裂。
DIA-601-1982-10-22-1アメリカ1982年10月22日1980年代レーガン,モロッコ国王らアラブ連盟代表団と会談。中東平和への話し合い継続,中東諸国の共存で一致。
DIA-601-1982-10-23-1アメリカ1982年10月23日1980年代モロッコ国王,アラブ世界はイスラエル承認の 用意ありと言明。
DIA-601-1982-10-24-1アメリカ1982年10月24日1980年代モンデール前副大統領,日本車の締出しねらうローカル・コンテント法案への支持表明。
DIA-601-1982-10-25-1アメリカ1982年10月25日1980年代ホワイトハウス,レーガン,11月30日~12月4日南米訪問と発表。
DIA-601-1982-10-27-1アメリカ1982年10月27日1980年代レーマン海軍長官,米艦隊の母港分散を計画。
DIA-601-1982-10-27-2アメリカ1982年10月27日1980年代(ベイルート):ドレーパー特使訪問。
DIA-601-1982-10-28-1アメリカ1982年10月28日1980年代レーガン,東アジア・太平洋担当国務次官補にウォルフォウィツ(38歳)国務省政策企画局長任命。
DIA-601-1982-10-28-2アメリカ1982年10月28日1980年代(ベイルート):ドレーパー,レバノン首脳と会談。
DIA-601-1982-10-28-3アメリカ1982年10月28日1980年代レーガン,ヨルダン外相と会談。
DIA-601-1982-10-29-1アメリカ1982年10月29日1980年代ワインバーガー,アジア訪問へ出発。
DIA-601-1982-10-29-2アメリカ1982年10月29日1980年代(エルサレム):ドレーパー特使,ベギン首相と会談。
DIA-601-1982-10-30-1アメリカ1982年10月30日1980年代国務省,82年度米武器輸出214億㌦(前年72億㌦)と発表。
DIA-601-1982-10-30-2アメリカ1982年10月30日1980年代(ベイルート):ドレーパー・ジュマイエル会談。
DIA-601-1982-10-31-1アメリカ1982年10月31日1980年代(シンガポール):ワインバーガー長官訪問,リー・クァン・ユー首相らと会談,米の東南アジア防衛約束再確認。
DIA-601-1982-11-01-1アメリカ1982年11月01日1980年代レーガン,米海兵隊の東ベイルート哨戒許可。
DIA-601-1982-11-01-2アメリカ1982年11月01日1980年代(シンガポール):ワインバーガー長官,リー・クァン・ユー首相と会談。
DIA-601-1982-11-02-1アメリカ1982年11月02日1980年代米中間選挙(上院で共和党,下院で民主党進出)。
DIA-601-1982-11-02-2アメリカ1982年11月02日1980年代(エルサレム):ドノーパー特使・イ外相会談。
DIA-601-1982-11-02-3アメリカ1982年11月02日1980年代(バンコク):ワインバーガー・プレム首相会談。米のタイ軍事援助1220万㌦増(計8000万㌦)約束。またベトナム軍がカンボジアにいる限り,ベトナム承認せぬと語る。
DIA-601-1982-11-03-1アメリカ1982年11月03日1980年代(ジャカルタ):ワインバーガー訪イ,スハルト大統領と会談。インドネシアへの軍事援助増提案。記者会見で,日本の軍国主義化は経済的に制約と語る。
DIA-601-1982-11-04-1アメリカ1982年11月04日1980年代国務省,西岸イスラエル入植地増計画非難。
DIA-601-1982-11-04-2アメリカ1982年11月04日1980年代(ベイルート):米海兵隊,市東部初パトロール。
DIA-601-1982-11-04-3アメリカ1982年11月04日1980年代(ダマスカス):ドレーパー特使,シリア入り。
DIA-601-1982-11-04-4アメリカ1982年11月04日1980年代(ラングーン):ローソン国務次官補ビルマ入り。
DIA-601-1982-11-05-1アメリカ1982年11月05日1980年代労働省,10月全米失業率10.4%と発表。
DIA-601-1982-11-05-2アメリカ1982年11月05日1980年代(キャンベラ):ワインバーガー,訪豪。
DIA-601-1982-11-06-1アメリカ1982年11月06日1980年代米,先月トルコと東トルコで1空軍基地新設,2空軍基地近代化の協定結ぶ。
DIA-601-1982-11-07-1アメリカ1982年11月07日1980年代(ウェリントン):ワインバーガー訪問。
DIA-601-1982-11-08-1アメリカ1982年11月08日1980年代(慶州):米韓政策諮問会議。
DIA-601-1982-11-08-2アメリカ1982年11月08日1980年代(東京):シュナイダー国務次官,須之部次官会談。
DIA-601-1982-11-09-1アメリカ1982年11月09日1980年代(ベイルート):ドレーパー特使,ジュマイエル大統領と会談。
DIA-601-1982-11-10-1アメリカ1982年11月10日1980年代(モスクワ):ブレジネフ書記長死去。
DIA-601-1982-11-10-2アメリカ1982年11月10日1980年代(ソウル):韓国政府,2米人記者追放命令。
DIA-601-1982-11-10-3アメリカ1982年11月10日1980年代(東京):イーグルバーガー次官,宮沢長官と会談。
DIA-601-1982-11-11-1アメリカ1982年11月11日1980年代レーガン,ソ連新指導部に対話よびかけ声明。
DIA-601-1982-11-11-2アメリカ1982年11月11日1980年代レーガン,ハビブを中東問題(レバノン・中東和平)大統領特別代表に任命。
DIA-601-1982-11-11-3アメリカ1982年11月11日1980年代(ケネディ宇宙センター):「コロンビア」初の商業飛行打上げ。宇宙からの衛星発射に成功。
DIA-601-1982-11-12-1アメリカ1982年11月12日1980年代シュルツ長官,対ソ関係改善条件として,(1)アフガニスタンからのソ連軍撤兵,(2)ボーランド情勢の緩和,(3)カンボジアからのベトナム軍撤退,(4)核軍縮交渉での進展の4条件をあげる(WP紙,11/13)。
DIA-601-1982-11-12-2アメリカ1982年11月12日1980年代シュルツ長官,アリ・エジプト外相と会談。
DIA-601-1982-11-12-3アメリカ1982年11月12日1980年代(ジャカルタ):Nurtanio社,Bell Textron社とヘリ412機ライセンス生産協定(AFP,11/13)。
DIA-601-1982-11-12-4アメリカ1982年11月12日1980年代(モスクワ):ソ連新書記長にアンドロポフ。
DIA-601-1982-11-15-1アメリカ1982年11月15日1980年代レーガン,対ソ石油・ガス関連禁輸解除発表。
DIA-601-1982-11-15-2アメリカ1982年11月15日1980年代米軍事筋,ソ連が南アフガニスタンに6空軍基地新設,ペルシア湾に脅威と語る(IHT,11/15)。
DIA-601-1982-11-15-3アメリカ1982年11月15日1980年代ベトナム戦争記念碑除幕式。米復員兵15万人行進。
DIA-601-1982-11-15-4アメリカ1982年11月15日1980年代(ベイルート):ドレーパー・レバノン外相会談。
DIA-601-1982-11-15-5アメリカ1982年11月15日1980年代レーガン,コール西独首相と会談。
DIA-601-1982-11-15-6アメリカ1982年11月15日1980年代(モスクワ):ブレジネフ国葬。ブッシュ副大統領,アンドロポフ書記長と会談。
DIA-601-1982-11-16-1アメリカ1982年11月16日1980年代下院歳出委軍事小委,パーシングⅡ調達予算5億ドル全額否決,その他予算は承認。
DIA-601-1982-11-16-2アメリカ1982年11月16日1980年代(ニューオリンズ):レーガン,軍事費削減拒否。
DIA-601-1982-11-17-1アメリカ1982年11月17日1980年代オルマー商務次官,日本の局度技術,外国にも解放せよと主張。
DIA-601-1982-11-17-2アメリカ1982年11月17日1980年代(エルサレム):ドレーパー・イ外相会談。
DIA-601-1982-11-18-1アメリカ1982年11月18日1980年代米当局者,中ソ接近を懸念(NYT,11/18)。
DIA-601-1982-11-18-2アメリカ1982年11月18日1980年代シュルツ長官,西岸でのアラブ大学弾圧でイスラエルを非難。
DIA-601-1982-11-19-1アメリカ1982年11月19日1980年代連邦準備銀行,公定歩合9.5→9.0%に引下げ。
DIA-601-1982-11-19-2アメリカ1982年11月19日1980年代米軍,パーシングⅡ発射実験,初の成功。
DIA-601-1982-11-19-3アメリカ1982年11月19日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,レバノン入り。
DIA-601-1982-11-20-1アメリカ1982年11月20日1980年代(ベイルート):ハビブ特使,ジュマイエル大統領らと会談。
DIA-601-1982-11-20-2アメリカ1982年11月20日1980年代(光州市,韓国):米文化センターに火炎ビン。
DIA-601-1982-11-22-1アメリカ1982年11月22日1980年代レーガン,MXミサイルの密集配備方式公表。またソ連首脳に偶発戦争防止で提案したと公表。
DIA-601-1982-11-23-1アメリカ1982年11月23日1980年代イーグルバーガー国務次官,中ソ接近は世界平和のためによく,米は心配していないと語る。
DIA-601-1982-11-23-2アメリカ1982年11月23日1980年代(ダマスカス):ハビブ特使,シリア外相と会見。
DIA-601-1982-11-24-1アメリカ1982年11月24日1980年代オルマー商務次官,1990年までに米防衛産業の対日依存度深まろうと警告(WP紙,11/25)。
DIA-601-1982-11-25-1アメリカ1982年11月25日1980年代(エルサレム):ハビブ・ベギン首相会談。
DIA-601-1982-11-26-1アメリカ1982年11月26日1980年代(東京):中曽根内閣成立。
DIA-601-1982-11-26-2アメリカ1982年11月26日1980年代(ベイルート):ドレーパー・ジュマイエル会談。
DIA-601-1982-11-27-1アメリカ1982年11月27日1980年代(ベイルート):ドレーパー・ジュマイエル会談。
DIA-601-1982-11-28-1アメリカ1982年11月28日1980年代ワインバーガー長官,ソ連が米MXへの対抗措置をとれば,ABM(弾道弾迎撃ミサイル)網を設置すると言明。
DIA-601-1982-11-28-2アメリカ1982年11月28日1980年代(カイロ):ハビブ特使,エジプト外相と会談。
DIA-601-1982-11-29-1アメリカ1982年11月29日1980年代(カイロ):ハビブ特使,ムバラク大統領と会談後,モロッコ訪問。
DIA-601-1982-11-29-2アメリカ1982年11月29日1980年代(東京):マンスフィールド米大使,中曽根首相を訪問,対日保護主義の台頭を警告。
DIA-601-1982-11-30-1アメリカ1982年11月30日1980年代国防総省,シーレーン防衛で地上基地の空軍も動員する計画を公表。
DIA-601-1982-11-30-2アメリカ1982年11月30日1980年代(ラバト):ハビブ特使,ファハド・サウジアラビア国王と会談。
DIA-601-1982-12-01-1アメリカ1982年12月01日1980年代(ブラジリア):レーガン・フィゲイレド大統領と会談。米,ブラジルに12億ドル短期融資提供。
DIA-601-1982-12-01-2アメリカ1982年12月01日1980年代(東京):ラムズフェルド米大統領特使,中曽根首相と会談。83年1月18日の日米首脳会談決定。
DIA-601-1982-12-02-1アメリカ1982年12月02日1980年代下院歳出委,MX調達予算凍結案可決。
DIA-601-1982-12-02-2アメリカ1982年12月02日1980年代レーマン海軍長官,米太平洋艦隊,アラスカ石油輸送レーン防衛の要と語る。
DIA-601-1982-12-02-3アメリカ1982年12月02日1980年代上院歳出委,イスラエルへの26億㌦(レーガン予算より4億7500万増)含む対外援助115億㌦可決。なおレーガン政権はイスラエル援助増に反対した。
DIA-601-1982-12-02-4アメリカ1982年12月02日1980年代(ベオグラード):ワインバーガー,ユーゴ入り。
DIA-601-1982-12-03-1アメリカ1982年12月03日1980年代労働省,11月の米失業率10.8%と発表。
DIA-601-1982-12-03-2アメリカ1982年12月03日1980年代国務省,章文晋新中国大使を承認。
DIA-601-1982-12-03-3アメリカ1982年12月03日1980年代大河原大使,ブッシュ副大統領と会見。
DIA-601-1982-12-03-4アメリカ1982年12月03日1980年代レーガン,コロンビアとコスタリカ訪問。
DIA-601-1982-12-04-1アメリカ1982年12月04日1980年代レーガン,ホンジュラスを訪問し帰国。
DIA-601-1982-12-04-2アメリカ1982年12月04日1980年代(オマーン):米軍事演習開始。
DIA-601-1982-12-06-1アメリカ1982年12月06日1980年代レーガン,76下院議員に対し,パール・ハーバーを引き効果的抑止力必要としてMXへの支持訴え。
DIA-601-1982-12-06-2アメリカ1982年12月06日1980年代レーガン,国防副長官にザイヤー全米商工会議所会頭を指名。
DIA-601-1982-12-06-3アメリカ1982年12月06日1980年代ジアウル・ハク・パキスタン大統領,シュルツ長官と会談。F-16売却(40機)で合意。
DIA-601-1982-12-06-4アメリカ1982年12月06日1980年代(ソマリア):米・ソマリア軍合同空軍演習。
DIA-601-1982-12-06-5アメリカ1982年12月06日1980年代(東京):ウォリス国務次官,安倍外相と会談。
DIA-601-1982-12-07-1アメリカ1982年12月07日1980年代レーガン,パキスタン大統領と会談。核兵器開発,アフガニスタン問題など討議。
DIA-601-1982-12-07-2アメリカ1982年12月07日1980年代下院,MX100基配備・建設費用否決。
DIA-601-1982-12-07-3アメリカ1982年12月07日1980年代米空軍,巡航ミサイルを12月16日よりB52に配備。
DIA-601-1982-12-08-1アメリカ1982年12月08日1980年代国防総省,83年1月1日より「統一南西アジア中央司令部」設置と発表。動員可能兵力23万人,パキスタンとエジプトの間,南はアフリカの南まで防衛担当。本部はフロリダ州マックディル空軍基地。
DIA-601-1982-12-08-2アメリカ1982年12月08日1980年代下院,83年度国防支出法案(2306億㌦)可決。
DIA-601-1982-12-13-1アメリカ1982年12月13日1980年代連邦準備銀行,公定歩合9→8.5%に引下げ。
DIA-601-1982-12-13-2アメリカ1982年12月13日1980年代(ベイルート):米海兵隊,レバノン特別部隊の訓練開始。
DIA-601-1982-12-14-1アメリカ1982年12月14日1980年代レーガン,MX密集配備再検討に合意。
DIA-601-1982-12-14-2アメリカ1982年12月14日1980年代上院外交委,日本に90年までに防衛増強要請決議。
DIA-601-1982-12-14-3アメリカ1982年12月14日1980年代(ベイルート):ドレーパー特使,レバノンへ。
DIA-601-1982-12-15-1アメリカ1982年12月15日1980年代上院歳出委,MX取得費(5基分約10億㌦),密集方式白紙を条件に承認。
DIA-601-1982-12-15-2アメリカ1982年12月15日1980年代下院,ローカル・コンテンツ法案可決。
DIA-601-1982-12-15-3アメリカ1982年12月15日1980年代(ベイルート):ドレーパー・ジュマイエル会談。
DIA-601-1982-12-15-4アメリカ1982年12月15日1980年代(テルアビブ):ハビブ特使,イスラエル入り。
DIA-601-1982-12-16-1アメリカ1982年12月16日1980年代国務省,韓国の金大中釈放歓迎声明。
DIA-601-1982-12-16-2アメリカ1982年12月16日1980年代(エルサレム):ハビブ・ベギン会談。
DIA-601-1982-12-17-1アメリカ1982年12月17日1980年代上院,MXの83年5月まで凍結を条件に調達費10億㌦可決。
DIA-601-1982-12-17-2アメリカ1982年12月17日1980年代(ベイルート):ハビブ・ジュマイエル会談。
DIA-601-1982-12-18-1アメリカ1982年12月18日1980年代ヨルダン国王,ワシントン入り。
DIA-601-1982-12-19-1アメリカ1982年12月19日1980年代両院協議会,83年度MX調達費全額削除で合意。
DIA-601-1982-12-19-2アメリカ1982年12月19日1980年代(エルサレム):ハビブ・ベギン会談。
DIA-601-1982-12-20-1アメリカ1982年12月20日1980年代シュルツ長官,ヨルダン国王と会談。
DIA-601-1982-12-20-2アメリカ1982年12月20日1980年代(ベイルート):ドレーパー・ジュマイエル会談。
DIA-601-1982-12-21-1アメリカ1982年12月21日1980年代レーガン,フセイン国王と会談。ヨルダン,パ
DIA-601-1982-12-21-2アメリカ1982年12月21日1980年代スチナ自治交渉参加を拒否。
DIA-601-1982-12-21-3アメリカ1982年12月21日1980年代(モスクワ):アンドロポフ,核軍縮で新提案。
DIA-601-1982-12-22-1アメリカ1982年12月22日1980年代イーグルバーガー国務次官,ソ連軍のアフガニスタン駐留長期化を予想,ソ連戦死者すでに5000人,現ソ連兵力10万5000人と言明。
DIA-601-1982-12-22-2アメリカ1982年12月22日1980年代ボーイング社,リビアへの旅客機(6億㌦)売却を政府に申請(WP,12/23)。
DIA-601-1982-12-25-1アメリカ1982年12月25日1980年代レーガン,フセイン国王会談。レーガン,拡大自治交渉の見通し楽観と語る(WP,12/24)。
DIA-601-1982-12-25-2アメリカ1982年12月25日1980年代米上院閉会。ローカル・コンテンツ法廃案に。
DIA-601-1982-12-25-3アメリカ1982年12月25日1980年代金大中,ワシントン着。
DIA-601-1982-12-25-4アメリカ1982年12月25日1980年代(ベイルート):ドレーパー・ワザン会談。
DIA-601-1982-12-26-1アメリカ1982年12月26日1980年代レーガン,ソ連のアフガン侵攻3周年で声明,撤兵と政治解決求める。
DIA-601-1982-12-27-1アメリカ1982年12月27日1980年代(東京):マンスフィールド大使,安倍外相と会見,日本の農産物関税引下げに歓迎表明。
DIA-601-1982-12-28-1アメリカ1982年12月28日1980年代(ロングビーチ,Cal.):レーガン,戦艦ニュージャーシー復役式に出席。
DIA-601-1982-12-28-2アメリカ1982年12月28日1980年代(ベイルート):レバノン・イスラエル撤兵交渉開始。米ドレーパー特使参加。
DIA-601-1982-12-30-1アメリカ1982年12月30日1980年代ワインバーガー長官,58年度日本防衛予算は日本の自衛力強化への重要な一歩と評価,しかし第二歩としては不足と批判。
DIA-601-1983-01-03-1アメリカ1983年01月03日1980年代レーガン、戦略兵器に関する大統領委設置、MXの配置方式を諮問。以下地名表示ないものはワシントンD.C.での出来事を意味する。
DIA-601-1983-01-04-1アメリカ1983年01月04日1980年代(ニューヨーク)モービル石油、リビア撤退。
DIA-601-1983-01-05-1アメリカ1983年01月05日1980年代レーガン記者会見。START年内合意めざす、米ソ首脳会談予定なし、等。
DIA-601-1983-01-05-2アメリカ1983年01月05日1980年代レーガン、イスラエル大統領と会談。
DIA-601-1983-01-06-1アメリカ1983年01月06日1980年代(北京)米中繊維交渉開始。
DIA-601-1983-01-07-1アメリカ1983年01月07日1980年代イーグルバーカー次官、ソ連大使に、シリアでのSAM5ミサイル建設に懸念表明。
DIA-601-1983-01-08-1アメリカ1983年01月08日1980年代レーガン、対ソ改善で交渉の用意、表明。
DIA-601-1983-01-08-2アメリカ1983年01月08日1980年代シュルツ長官、対中政策でブラウン前国防長官らの意見を聞く。
DIA-601-1983-01-10-1アメリカ1983年01月10日1980年代レーガン、ハビブ特使と中東協議。
DIA-601-1983-01-10-2アメリカ1983年01月10日1980年代シュルツ長官、日本大使に、防衛費増、関税譲歩、中曽根訪韓を評価、と。
DIA-601-1983-01-10-3アメリカ1983年01月10日1980年代(ベイルート)レバノン・イスラエル撤兵交渉、米が妥協案提示。
DIA-601-1983-01-10-4アメリカ1983年01月10日1980年代(アンマン)フセイン国王、レーガンが占領地でのアラブの権利回復でイスラエルへの圧力約束の書簡と(ワシントン・ポスト=以下WP、1/12)。
DIA-601-1983-01-11-1アメリカ1983年01月11日1980年代(エルサレム)ハビブ特使訪イ。
DIA-601-1983-01-12-1アメリカ1983年01月12日1980年代レーガン、ロストウ軍縮局長解任、後任エーデルマン。
DIA-601-1983-01-12-2アメリカ1983年01月12日1980年代リーガン長官、IMFの50%以上増資反対表明。
DIA-601-1983-01-13-1アメリカ1983年01月13日1980年代米中繊維交渉決裂。
DIA-601-1983-01-13-2アメリカ1983年01月13日1980年代ワインバーガー、日本大使に、武器技術提供評価。
DIA-601-1983-01-13-3アメリカ1983年01月13日1980年代(東京)政府、市場解放策決定。中曽根会見、牛肉・オレンジ自由化拒否。
DIA-601-1983-01-14-1アメリカ1983年01月14日1980年代(ベイルート)ハビブ到着、ジェマイエル大統領と会談。
DIA-601-1983-01-14-2アメリカ1983年01月14日1980年代(東京)日本政府、武器技術の対米供与決定。
DIA-601-1983-01-15-1アメリカ1983年01月15日1980年代(ベイルート)ハビブ、レバノン首脳と会談後、イスラエルへ。
DIA-601-1983-01-15-2アメリカ1983年01月15日1980年代(イスラマバード)米よりFl6(3機)到着。
DIA-601-1983-01-16-1アメリカ1983年01月16日1980年代UPI、ワインバーガーの82年3月22日付「84-88国防指針」公表。長期核戦争計画など含む。
DIA-601-1983-01-16-2アメリカ1983年01月16日1980年代(エルサレム)ハビブ特使、シャロン国防相らと会談。
DIA-601-1983-01-17-1アメリカ1983年01月17日1980年代ブロック農務長官、米政府備蓄小麦、14カ月間エジプトに売却と発表。
DIA-601-1983-01-17-2アメリカ1983年01月17日1980年代(東京)中曽根訪米へ出発。
DIA-601-1983-01-17-3アメリカ1983年01月17日1980年代マイヤー米陸軍参謀長、谷川長官会見。
DIA-601-1983-01-18-1アメリカ1983年01月18日1980年代中曽根・レーガン会談。日米運命共同体発言。WP社との会見で日本不沈空母発言。
DIA-601-1983-01-19-1アメリカ1983年01月19日1980年代日米首脳会談終了。中曽根会見、不沈空母発言否定。
DIA-601-1983-01-19-2アメリカ1983年01月19日1980年代(北京)中国、米農産物の輸入規制発表。
DIA-601-1983-01-20-1アメリカ1983年01月20日1980年代(ソウル)マイヤー陸軍参謀長訪韓。
DIA-601-1983-01-21-1アメリカ1983年01月21日1980年代(エルサレム)イ政府、ハビブの譲歩要求拒否。
DIA-601-1983-01-21-2アメリカ1983年01月21日1980年代(ベイルート)ハビブ特使、ジェマイエル大統領と会談。
DIA-601-1983-01-21-3アメリカ1983年01月21日1980年代(東京)中曽根帰国。不沈空母発言を認める。
DIA-601-1983-01-22-1アメリカ1983年01月22日1980年代(カイロ)ハビブ、ムバラク大統領と会談。
DIA-601-1983-01-22-2アメリカ1983年01月22日1980年代(ソウル)マイヤー米陸軍参謀長、米日韓の軍事協力は極東の防衛力を高める、と(UPI)。
DIA-601-1983-01-23-1アメリカ1983年01月23日1980年代(テルアビブ)シャロン国防相、レバノンへの米の干渉非難。
DIA-601-1983-01-23-2アメリカ1983年01月23日1980年代(エルサレム)ハビブ到着。
DIA-601-1983-01-24-1アメリカ1983年01月24日1980年代ワインバーガー、ソ連SS20配備340基、極東100基と公表。
DIA-601-1983-01-24-2アメリカ1983年01月24日1980年代(エルサレム)ハビブ特使、帰米。イスラエル軍当局、レバノン米海兵隊はゲリラの攻撃を阻止していないと非難(WP、1/25)。
DIA-601-1983-01-25-1アメリカ1983年01月25日1980年代レーガン大統領、一般教書。
DIA-601-1983-01-25-2アメリカ1983年01月25日1980年代米当局省、2月中旬予定のベギン訪米前にレバノン撤兵合意をレーガンはイスラエルに要求中、と(WP、1/26)。
DIA-601-1983-01-25-3アメリカ1983年01月25日1980年代(カイロ)レバノン特使、ムバラクにジェマイエル親書、撤兵協力求む(ロイター)。
DIA-601-1983-01-26-1アメリカ1983年01月26日1980年代ムバラク大統領訪米。
DIA-601-1983-01-27-1アメリカ1983年01月27日1980年代米海軍、インド洋RDF兵器保管用等に貨物船13隻を米3社よりリース使用契約(WIP、1/28)。
DIA-601-1983-01-27-2アメリカ1983年01月27日1980年代ムバラク・レーガン会談。レバノン討議。
DIA-601-1983-01-27-3アメリカ1983年01月27日1980年代CAB、ノースウエスト航空の中国乗り入れ許可。
DIA-601-1983-01-28-1アメリカ1983年01月28日1980年代(ベイルート)イスラエル北部軍司令、米海兵隊司令、ドレーパー特使会談。
DIA-601-1983-01-30-1アメリカ1983年01月30日1980年代(ソマリア)米、ソマリアに1500万㌦食料援助協定。
DIA-601-1983-01-31-1アメリカ1983年01月31日1980年代レーガン、84年度予算教書議会提出。歳出8485億㌦、歳入6597億㌦、赤字1888億㌦。国防支出は2453億㌦で前年度より305億㌦増。
DIA-601-1983-01-31-2アメリカ1983年01月31日1980年代ベッシー統幕議長、84年度軍事情勢報告、議会へ。
DIA-601-1983-01-31-3アメリカ1983年01月31日1980年代ワインバーガー、84年度国防報告。
DIA-601-1983-01-31-4アメリカ1983年01月31日1980年代(東京)中曽根・シュルツ会談。シュルツ、安倍、谷川会談。
DIA-601-1983-02-01-1アメリカ1983年02月01日1980年代(セントルイス)レーガン、米経済回復はじめたと宣言。
DIA-601-1983-02-01-2アメリカ1983年02月01日1980年代(ソウル)「チーム・スピリット83」演習開始。
DIA-601-1983-02-01-3アメリカ1983年02月01日1980年代(東京)シュルツ会見、シーレーン防衛早期達成を、と。
DIA-601-1983-02-02-1アメリカ1983年02月02日1980年代米大統領「経済報告」発表。
DIA-601-1983-02-02-2アメリカ1983年02月02日1980年代国務省、イスラエルにイ軍の米海兵隊挑発に抗議。
DIA-601-1983-02-02-3アメリカ1983年02月02日1980年代レーガン、アフガン・ゲリラ6人と会見。
DIA-601-1983-02-02-4アメリカ1983年02月02日1980年代国務省、ベ軍のタイ・カンボジア国境攻撃非難声明。
DIA-601-1983-02-02-5アメリカ1983年02月02日1980年代(ベイルート)米・レバノン軍検問所で強行突破図ったイ軍戦車と米海兵が小ぜりあい。
DIA-601-1983-02-02-6アメリカ1983年02月02日1980年代(北京)シュルツ長官訪中。
DIA-601-1983-02-03-1アメリカ1983年02月03日1980年代イクレ国防次官、日本海で日米、米韓演習恒常化、と。
DIA-601-1983-02-03-2アメリカ1983年02月03日1980年代(北京)シュルツ・呉外相と会談。
DIA-601-1983-02-04-1アメリカ1983年02月04日1980年代労働省、1月の失業率10.4%。
DIA-601-1983-02-04-2アメリカ1983年02月04日1980年代国務省、84年度対外軍事援助発表。総額92億㌦。
DIA-601-1983-02-05-1アメリカ1983年02月05日1980年代ホワイトハウス、趙首相、年内訪米発表。 (北京)シュルツ・鄧小平会談。
DIA-601-1983-02-06-1アメリカ1983年02月06日1980年代(ソウル)シュルツ長官訪韓、李外相と会談。
DIA-601-1983-02-07-1アメリカ1983年02月07日1980年代(ソウル)シュルツ、全斗煥会談。軍事境界線視察。
DIA-601-1983-02-07-2アメリカ1983年02月07日1980年代(北京)中国外務省、趙首相訪米受託、しかし今年訪米未確定と発表。
DIA-601-1983-02-08-1アメリカ1983年02月08日1980年代米、台湾へのF104供与開始(66機分の一部)。
DIA-601-1983-02-08-2アメリカ1983年02月08日1980年代(エルサレム)ハビブ特使到着。
DIA-601-1983-02-08-3アメリカ1983年02月08日1980年代(ソウル)シュルツ長官記者会見、在韓米軍撤退はクロス承認の前提にならぬ、と。
DIA-601-1983-02-09-1アメリカ1983年02月09日1980年代ワインバーガー、イスラエルとのレバノン軍事情報交換協定拒否。(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン=以下、IHT、2/11)。
DIA-601-1983-02-09-2アメリカ1983年02月09日1980年代(北京)新華社、清朝時代の鉄道債務支払い義務なしとの対米覚書き公表。
DIA-601-1983-02-09-3アメリカ1983年02月09日1980年代(シンガポール)ブロック米通商代表、米・ASEAN貿易障害除去主張(IHT、2/10)。
DIA-601-1983-02-09-4アメリカ1983年02月09日1980年代(香港)シュルツ長官、ベトナムの政治的、経済的孤立化策支持表明。
DIA-601-1983-02-12-1アメリカ1983年02月12日1980年代(ベイルート)ハビブ特使、ジェマイエル大統領、ワザン首相と会談。
DIA-601-1983-02-12-2アメリカ1983年02月12日1980年代(東京)日本政府、対米自動車輸出168万台で自粛と発表(3年目)
DIA-601-1983-02-14-1アメリカ1983年02月14日1980年代(ベイルート)イスラエル・レバノン・米交渉、最終条項討議へ前進(IHT、2/15)。
DIA-601-1983-02-15-1アメリカ1983年02月15日1980年代シュルツ長官、IMF支援などに84億㌦支出を議会に要請。
DIA-601-1983-02-15-2アメリカ1983年02月15日1980年代米政府、米農産物購入用にイラクへ4億5000万㌦の信用供与(WIP、2/16)。
DIA-601-1983-02-15-3アメリカ1983年02月15日1980年代(東京)トヨタ、GMと米で小型車合弁生産合意と発表。
DIA-601-1983-02-16-1アメリカ1983年02月16日1980年代米国防省、リビア軍がスーダン国境に集結、米、「ニミッツ」をシドラ湾に、AWACSもエジプトに派遣、と。
DIA-601-1983-02-16-2アメリカ1983年02月16日1980年代シュルツ長官、シリアのSA5、ソ連人が操作、と。
DIA-601-1983-02-16-3アメリカ1983年02月16日1980年代シュルツ長官、84年度対外援助145億㌦(安全保障援助92億、経済援助53億)の議会説明で、開発途上国援助は経済的、戦略的投資と説明(読売、2/18)。
DIA-601-1983-02-18-1アメリカ1983年02月18日1980年代国防省、レバノンへの2500万㌦の兵器(装甲車107両含む)売却議会通告。
DIA-601-1983-02-19-1アメリカ1983年02月19日1980年代レーガン、ソ連は米に倍する軍事投資で米のヨーロッパと韓国での前進防衛ラインを脅かしていると非難。
DIA-601-1983-02-19-2アメリカ1983年02月19日1980年代(カイロ)ウエスト米国次官補ら訪エ。
DIA-601-1983-02-19-3アメリカ1983年02月19日1980年代(ベイルート)米海兵隊、東ベイルート初パトロール。
DIA-601-1983-02-19-4アメリカ1983年02月19日1980年代(ジャカルタ)ホルドリッジ大使、スハルトに信任状提出。
DIA-601-1983-02-20-1アメリカ1983年02月20日1980年代シュルツ長官、米の速やかな軍事行動によりスーダンへのリビアの脅威は減退したと語る(WP、2/21)。
DIA-601-1983-02-22-1アメリカ1983年02月22日1980年代レーガン、レバノンからイ軍撤兵すれば、イスラエルの北部国境の安全、米が保障、と。
DIA-601-1983-02-22-2アメリカ1983年02月22日1980年代(ベイルー・ト)ウエスト国防次官、訪レ。
DIA-601-1983-02-23-1アメリカ1983年02月23日1980年代レーガン、イスラエル・レバノン平和条約までイ軍撤兵遅れるのは間違いと全外国軍撤兵主張。
DIA-601-1983-02-23-2アメリカ1983年02月23日1980年代レーガン政府、対中援助禁止法撤回法、議会提出。
DIA-601-1983-02-23-3アメリカ1983年02月23日1980年代(エルサレム)クセネト、レーガンのイスラエル北部国境安保案拒否。
DIA-601-1983-02-23-4アメリカ1983年02月23日1980年代(モンバサ)米当局、モンバサ港拡張工事、このほど完成、と(AP)。
DIA-601-1983-02-24-1アメリカ1983年02月24日1980年代ワインバーガー、レバノンから外国軍撤兵すれば国際監視軍の役割増大しよう、と(WP、2/25)。
DIA-601-1983-02-25-1アメリカ1983年02月25日1980年代(ビクトリア)米、セーシェルに200万㌦援助。
DIA-601-1983-02-25-2アメリカ1983年02月25日1980年代(ベイルート)ハビブ・レバノン外相会談。ジェマイエル、米のレバノン撤兵案緊急協議。
DIA-601-1983-02-26-1アメリカ1983年02月26日1980年代(ベイルート)ハビブ、レバノン首脳と会談。
DIA-601-1983-02-28-1アメリカ1983年02月28日1980年代シュルツ長官、シリアへのSAM5四個中隊(24基)配備で対ソ警告した、と議会で。
DIA-601-1983-02-28-2アメリカ1983年02月28日1980年代シュルツ長官、ADBの台湾追放反対表明。
DIA-601-1983-02-28-3アメリカ1983年02月28日1980年代(エルサレム)ハビブ・シャミール外相と会談。
DIA-601-1983-03-01-1アメリカ1983年03月01日1980年代国防省報道官、サウジがMI戦車購入に興味、と。
DIA-601-1983-03-04-1アメリカ1983年03月04日1980年代(マニラ)エンリレ国防相、米比は、米の支援到達まで比が外敵からの攻撃に対応しうる防衛計画を協議中、と(UPI)。
DIA-601-1983-03-05-1アメリカ1983年03月05日1980年代章文晋新駐米中国大使到着。
DIA-601-1983-03-05-2アメリカ1983年03月05日1980年代(サンフランシスコ)レーガン、エルサルバドル親米政権の崩壊は西半球、米の安全に脅威と。
DIA-601-1983-03-05-3アメリカ1983年03月05日1980年代(ベイルート)ドレーパー特使、イスラエルより帰りレバノン首脳と会談、イは南レバノンのイ兵監視所要求等に固執と伝う(ロイター)。
DIA-601-1983-03-06-1アメリカ1983年03月06日1980年代(ナイロビ)ケニア・モンバサ港の改修終了、米最大空母の寄港可能に(AFP)。
DIA-601-1983-03-08-1アメリカ1983年03月08日1980年代(エルサレム)シャミル外相、イ・レ国境安全地帯のイ・米・レ3軍によるパトロール検討中、と。
DIA-601-1983-03-08-2アメリカ1983年03月08日1980年代(ソウル)最高裁、釜山米文化センター放火犯2人に死刑。
DIA-601-1983-03-09-1アメリカ1983年03月09日1980年代ベリオテス国務次官、レバノンからの外国軍撤兵、夏までに実現、と(WP、3/10)。
DIA-601-1983-03-09-2アメリカ1983年03月09日1980年代リーガン長官、ADB台湾追放すれば米脱退、と。
DIA-601-1983-03-10-1アメリカ1983年03月10日1980年代レーガン、200カイリ経済水域宣言。
DIA-601-1983-03-10-2アメリカ1983年03月10日1980年代米政府、クウェートへの政府保有地リース禁止。
DIA-601-1983-03-11-1アメリカ1983年03月11日1980年代米、東アジア援助、84年は7億2200万㌦で前年比5%増。軍事が5億600万。
DIA-601-1983-03-11-2アメリカ1983年03月11日1980年代(北京)米中、新繊維交渉開始。
DIA-601-1983-03-11-3アメリカ1983年03月11日1980年代シュルツ長官、今やヨルダン国王が中東和平交渉参加か否かを決断する時、と言明(WP、3/13)。
DIA-601-1983-03-12-1アメリカ1983年03月12日1980年代(バンコク)米チーム、不明米兵情報もちベトナムより帰る。
DIA-601-1983-03-13-1アメリカ1983年03月13日1980年代シュルツ長官、イスラエル外相会談、イ外相、イ・レバノン軍事協力主張。
DIA-601-1983-03-14-1アメリカ1983年03月14日1980年代レーガン、シャミル・イ外相と会談。米、イスラエル軍の南レバノン駐留要求拒否。
DIA-601-1983-03-14-2アメリカ1983年03月14日1980年代サレム・レバノン外相、シュルツ長官と会議後、レバノン軍、全土コントロールしうる、と(IHT、3/15)。
DIA-601-1983-03-14-3アメリカ1983年03月14日1980年代(ソウル)米・韓、「チーム・スピリット83」演習終了。
DIA-601-1983-03-15-1アメリカ1983年03月15日1980年代レーガン、次期陸軍参謀長にウィッカム参謀次長任命。
DIA-601-1983-03-15-2アメリカ1983年03月15日1980年代シャミル・シュルツ会談。
DIA-601-1983-03-15-3アメリカ1983年03月15日1980年代(ソウル)全大統領、釜山米文化センター放火犯2人の死刑を無期に減刑。
DIA-601-1983-03-16-1アメリカ1983年03月16日1980年代レバノン特使、レーガンと会見、大統領は撤兵交渉逆転させぬと約束した、と(WP、3/17)。
DIA-601-1983-03-16-2アメリカ1983年03月16日1980年代(ベイルート)米海兵パトロールに手投弾、5人負傷。
DIA-601-1983-03-17-1アメリカ1983年03月17日1980年代ワインバーガー、85/89年度国防力増強計画発表。総額約2兆㌦。
DIA-601-1983-03-17-2アメリカ1983年03月17日1980年代国防省、バロー海兵隊司令のイ軍によるレバノン米海兵への挑発非難のワインバーガー宛書簡、3月14日付、を公表(WP、3/18)。
DIA-601-1983-03-17-3アメリカ1983年03月17日1980年代(エルサレム)米大使、レバノン撤兵米案、イ外相に手交。
DIA-601-1983-03-17-4アメリカ1983年03月17日1980年代米の台湾向け武器売却、今年8億㌦に(ロサンゼルス・タイムス、3/18)。
DIA-601-1983-03-18-1アメリカ1983年03月18日1980年代(北京)米中繊維交渉物別れ。
DIA-601-1983-03-19-1アメリカ1983年03月19日1980年代(ロンドン)ヨルダン国王、米がベギン政権への圧力を急増させぬ限り自治交渉不参加、と。またハビブ特使と会談(WP、3/20)。
DIA-601-1983-03-21-1アメリカ1983年03月21日1980年代米の台湾への兵器売却額インフレで拡大(WP、3/22)。
DIA-601-1983-03-21-2アメリカ1983年03月21日1980年代(北京)中国外務省、米の台湾への兵器売却に抗議。
DIA-601-1983-03-23-1アメリカ1983年03月23日1980年代国防省、イスラエルへのサイドワインダー200基売却を議会に通告。
DIA-601-1983-03-24-1アメリカ1983年03月24日1980年代米当局、イスラエルが先週の米調停案拒否、と(IHT、3/26)。
DIA-601-1983-03-25-1アメリカ1983年03月25日1980年代レーガン、新ABM技術開発命令署名。
DIA-601-1983-03-26-1アメリカ1983年03月26日1980年代(ベイルート)ハビブ特使、ジェマイエル大統領と会談。
DIA-601-1983-03-28-1アメリカ1983年03月28日1980年代(カイロ)米農務長官、エジプトに農産物売却信用5000万㌦供与発表。
DIA-601-1983-03-29-1アメリカ1983年03月29日1980年代(アンマン)ヨルダン当局・西側筋、米政府、ヨルダンが和平交渉参加すれば、西岸でのイスラエル入植停止に圧力をかけ、西岸のパレスチナ人市長を交渉の合同ヨルダン・パレスチナ・チーム員として認める、と示唆(WP、3/30)。
DIA-601-1983-03-29-2アメリカ1983年03月29日1980年代(北京)趙首相、オニール下院議長と会談、米中現状に不満、と。
DIA-601-1983-03-29-3アメリカ1983年03月29日1980年代中国、ADB加盟で米非難。
DIA-601-1983-03-30-1アメリカ1983年03月30日1980年代レーガン、INF交渉での暫定案公表、ソ連がSS20等の核弾頭減らせば米もパーシングⅡ巡航ミサイル配備削減、と。
DIA-601-1983-03-30-2アメリカ1983年03月30日1980年代(北京)オニール、鄧小平と会談。
DIA-601-1983-03-31-1アメリカ1983年03月31日1980年代(ロサンゼルス)レーガン、イ軍がレバノンにいる限り、Fl6(75機)の売却承認は法的にできぬ、と言明。
DIA-601-1983-03-31-2アメリカ1983年03月31日1980年代(サンタバーバラ)レーガン、ヨルダン王に電話。
DIA-601-1983-03-31-3アメリカ1983年03月31日1980年代(マニラ)マルコス、米よりのFMS兵器購入でより自由な条件求む、また内戦用小火器求むと語る(UPI)。
DIA-601-1983-04-01-1アメリカ1983年04月01日1980年代米陸軍スポークスマン、Fort Knox(Ken)で2週間前から18人のサウジ戦車兵がM-1戦車訓練と発表(IHT、4/5)。
DIA-601-1983-04-01-2アメリカ1983年04月01日1980年代(ジャカルタ)ウォルフォウィッツ国務次官補訪イ。
DIA-601-1983-04-02-1アメリカ1983年04月02日1980年代レーガン、日本製大型オートバイに5年間輸入課徴金決定。
DIA-601-1983-04-03-1アメリカ1983年04月03日1980年代(上海)オニール議員、米議会は台湾問題の重大性に無理解、と語る(新華社)。
DIA-601-1983-04-04-1アメリカ1983年04月04日1980年代国防省、米がサウジへM-1戦車1200両売却計画との報道否定(IHT、4/5)。
DIA-601-1983-04-04-2アメリカ1983年04月04日1980年代レーガン、議会に、対ソ高度技術流出抑制法提出。
DIA-601-1983-04-04-3アメリカ1983年04月04日1980年代米政府、テニスの胡娜選手亡命許可。
DIA-601-1983-04-04-4アメリカ1983年04月04日1980年代国務省、ベトナムのタイ攻撃非難声明。
DIA-601-1983-04-05-1アメリカ1983年04月05日1980年代(バンコク)ベトナム、攻撃続行。ウォルフォウィッツ米国務次官補訪タイ。
DIA-601-1983-04-07-1アメリカ1983年04月07日1980年代(北京)中国政府、対米文化交流全面停止発表。
DIA-601-1983-04-07-2アメリカ1983年04月07日1980年代米政府は中国の決定は遺憾と。
DIA-601-1983-04-07-3アメリカ1983年04月07日1980年代章文晋大使、レーガンに信任状提出。
DIA-601-1983-04-07-4アメリカ1983年04月07日1980年代(バンコク)プレム首相、ウォルフォウィッツ国務次官補に兵器繰上げ輸送要請。
DIA-601-1983-04-07-5アメリカ1983年04月07日1980年代(ソウル)ケーシーCIA長官訪韓(朝日、4/13)。
DIA-601-1983-04-08-1アメリカ1983年04月08日1980年代FRB、議会に、米銀の海外融資規制案提出。
DIA-601-1983-04-08-2アメリカ1983年04月08日1980年代国務省、タイへ地対空ミサイル緊急輸送発表。
DIA-601-1983-04-08-3アメリカ1983年04月08日1980年代(アンマン)ヨルダン政府、パレスチナ問題交渉不参加声明。
DIA-601-1983-04-10-1アメリカ1983年04月10日1980年代レーガン、PLO過激派非難。
DIA-601-1983-04-10-2アメリカ1983年04月10日1980年代レーガン、ヨルダン王、サウジ国王と電話討議。
DIA-601-1983-04-11-1アメリカ1983年04月11日1980年代国務省、レーガン提案なお有効と声明。
DIA-601-1983-04-11-2アメリカ1983年04月11日1980年代シュルツ長官、フセイン・アラファトは合意に近づいていたが、PLO過激派がヨルダンに受け入れられぬ条件提出、と(CBSTV)。
DIA-601-1983-04-11-3アメリカ1983年04月11日1980年代(エルサレム)ハビブ特使到着。
DIA-601-1983-04-11-4アメリカ1983年04月11日1980年代(北京・新華社)Flour Corp.(米)、中国と600マイルの石炭スラリー・パイプライン計画暫定協定。
DIA-601-1983-04-11-5アメリカ1983年04月11日1980年代(北京)鄧小平、タッパン米中貿易全国評副会長と会見、経済開放策変えぬ、と。
DIA-601-1983-04-12-1アメリカ1983年04月12日1980年代レーガン、オマーン首長カブス・ビン・サイドと会談。歓迎式で、パレスチナ・リーダーに中東和平への大胆な行動よびかけ。
DIA-601-1983-04-12-2アメリカ1983年04月12日1980年代オニール下院議長、胡娜選手亡命許可批判。
DIA-601-1983-04-13-1アメリカ1983年04月13日1980年代シュルツ長官・エジプトのガリ外相会談。ガリ外相、PLOとヨルダン対話継続主張。
DIA-601-1983-04-13-2アメリカ1983年04月13日1980年代(エルサレム)アレンス国防相、レーガンのF16禁輸でイスラエル内に米兵器依存減、軍事産業振興への動き、と(IHT、4/15)。
DIA-601-1983-04-13-3アメリカ1983年04月13日1980年代(ベイルート)ハビブ、ベギンと会談後、レバノンへ。レ・イ交渉団と会談。
DIA-601-1983-04-14-1アメリカ1983年04月14日1980年代上院、エーデルマン軍縮局長を57:42で承認。
DIA-601-1983-04-14-2アメリカ1983年04月14日1980年代韓国国防相、レーガン大統領と会見。
DIA-601-1983-04-14-3アメリカ1983年04月14日1980年代(シンガポール)ウォルフォウィッツ国務次官補、米のタイ向け軍事援助83年の6600万から84年9900万、と。
DIA-601-1983-04-14-4アメリカ1983年04月14日1980年代(東京)セイヤー国防副長官、谷川防衛長官、安倍外相と各会談。
DIA-601-1983-04-15-1アメリカ1983年04月15日1980年代米韓安保協議、韓国を緊急地域に。
DIA-601-1983-04-16-1アメリカ1983年04月16日1980年代(カイロ)ハビブ特使、ムバラクと会談。
DIA-601-1983-04-17-1アメリカ1983年04月17日1980年代レーガン政権、イスラエルが開発中のLavie戦闘機用の米部品売却許可(IHT、4/19)。
DIA-601-1983-04-18-1アメリカ1983年04月18日1980年代(ベイルート)米大使館爆破、39人死亡。
DIA-601-1983-04-19-1アメリカ1983年04月19日1980年代レーガン、シリア大統領にメッセージ、ゴランからのイ軍撤退不可欠、と。
DIA-601-1983-04-19-2アメリカ1983年04月19日1980年代米民航局、パンナムの台湾乗り入れ許可。
DIA-601-1983-04-19-3アメリカ1983年04月19日1980年代(ベイルート)米大使館爆破の死者47人に、米人8人+不明8人。
DIA-601-1983-04-19-4アメリカ1983年04月19日1980年代(ワシントン)国務省、死者の中に、CIAのR・エームズ中東・南アジア分析部長、と発表。
DIA-601-1983-04-20-1アメリカ1983年04月20日1980年代上院外交委、IADBへ3.5億㌦、アフリカ開銀1.5億㌦、アジア開銀5850万㌦の米拠出金承認。
DIA-601-1983-04-20-2アメリカ1983年04月20日1980年代(ベイルート)ハビブ特使、イスラエルより到着。
DIA-601-1983-04-21-1アメリカ1983年04月21日1980年代上院、ダンフオーズ“相互主義法案”可決。
DIA-601-1983-04-22-1アメリカ1983年04月22日1980年代レーガン、対ソ長期穀物協定交渉再開提案。
DIA-601-1983-04-22-2アメリカ1983年04月22日1980年代レーガン、日本製工作機械輸入制限提訴却下。
DIA-601-1983-04-22-3アメリカ1983年04月22日1980年代(ベイルート)イーグルバーガー国防次官訪問。
DIA-601-1983-04-23-1アメリカ1983年04月23日1980年代レーガン、アンドルース基地でのベイルート米人死者16人帰還式出席。
DIA-601-1983-04-24-1アメリカ1983年04月24日1980年代(ベイルート)ハビブ特使、ジェマイエル大統領と会談。
DIA-601-1983-04-25-1アメリカ1983年04月25日1980年代(カイロ)シュルツ長官、エジプト入り。
DIA-601-1983-04-26-1アメリカ1983年04月26日1980年代(カイロ)シュルツ長官、ムバラク大統領と会談、イスラエル撤兵説得しうる、と。
DIA-601-1983-04-26-2アメリカ1983年04月26日1980年代(マニラ)米比合同軍事演習開始。
DIA-601-1983-04-28-1アメリカ1983年04月28日1980年代(ベイルート)シュルツ長官、ベギン首相と会談後訪レ。レバノン首脳と会談。
DIA-601-1983-04-29-1アメリカ1983年04月29日1980年代(エルサレム)シュルツ長官、ベギン首相らと会談、ハダド軍の南レバノン駐留でレバノンが譲歩の用意と伝う(IHT、4/30)。
DIA-601-1983-04-30-1アメリカ1983年04月30日1980年代(ベイルート)シュルツ長官到着、ジェマイエル大統領と会談。
DIA-601-1983-05-01-1アメリカ1983年05月01日1980年代(ベイルート)米大使公邸近くにロケット弾(シュルツ宿泊中)。
DIA-601-1983-05-01-2アメリカ1983年05月01日1980年代(エルサレム)シュルツ・ベギン首相会談。
DIA-601-1983-05-02-1アメリカ1983年05月02日1980年代(エルサレム)シュルツ・ベギン会談。
DIA-601-1983-05-03-1アメリカ1983年05月03日1980年代ワインバーガー長官、ソ連兵5000人がシリアでミサイル操作、とテレビで。
DIA-601-1983-05-03-2アメリカ1983年05月03日1980年代(ベイルート)シュルツ長官到着。
DIA-601-1983-05-04-1アメリカ1983年05月04日1980年代下院、米ソ核現状凍結案、278:149で可決。
DIA-601-1983-05-05-1アメリカ1983年05月05日1980年代(北京)米中合弁の華利計算機技術センター発足。
DIA-601-1983-05-05-2アメリカ1983年05月05日1980年代(マニラ)リーガン長官、ADBからの台湾追放反対、と。
DIA-601-1983-05-06-1アメリカ1983年05月06日1980年代(アンマン)シュルツ、ヨルダン国王と会談。
DIA-601-1983-05-07-1アメリカ1983年05月07日1980年代(ダマスカス)シュルツ長官、シリア入り。アサド大統領、レバノン撤兵案拒否。
DIA-601-1983-05-08-1アメリカ1983年05月08日1980年代国務省、アフガニスタンが米大使館員1人追放、と。
DIA-601-1983-05-08-2アメリカ1983年05月08日1980年代(テルアビブ)シュルツ・シャミール外相ら会談。
DIA-601-1983-05-08-3アメリカ1983年05月08日1980年代(パリ)国務省高官、米・イスラエル軍はシリア軍がレバノンを撤兵し、イ軍捕虜・遺体が返還されるまで撤兵せぬことを了解し、イ・米秘密文書、と(IHT、5/10)。
DIA-601-1983-05-08-4アメリカ1983年05月08日1980年代(北京)「新華社」、米が中国のADB加盟阻止したと非難。
DIA-601-1983-05-10-1アメリカ1983年05月10日1980年代下院、イスラエルへの軍事贈与3億㌦追加。軍事援助17億、経済援助8.5億に。
DIA-601-1983-05-10-2アメリカ1983年05月10日1980年代(アトランタ)ブロック農務長官、サウジの米農産物購入増のため米農産物の禁輸なし、と保証した、と(ZHT、5/11)。
DIA-601-1983-05-10-3アメリカ1983年05月10日1980年代(北京)米中科学技術協力会議開く。
DIA-601-1983-05-11-1アメリカ1983年05月11日1980年代シュルツ長官帰米、レーガンに報告。シリアも撤兵協定に同意しよう、と。
DIA-601-1983-05-11-2アメリカ1983年05月11日1980年代(北京)米中、科学技術協力協定。
DIA-601-1983-05-11-3アメリカ1983年05月11日1980年代(パリ)安倍外相、シュルツ長官と会談。
DIA-601-1983-05-12-1アメリカ1983年05月12日1980年代(パリ)ワインバーガー長官、サウジのスルタン国防相と会談。
DIA-601-1983-05-17-1アメリカ1983年05月17日1980年代レーガン、議会にMX配備承認求む、STARTの米提案修正確認。
DIA-601-1983-05-17-2アメリカ1983年05月17日1980年代米国防省、シンガポールへのE2C4機(6億100万㌦)売却、議会報告。
DIA-601-1983-05-17-3アメリカ1983年05月17日1980年代(ハルデ、レバノン)レバノン・イスラエル、撤兵協定に調印。
DIA-601-1983-05-17-4アメリカ1983年05月17日1980年代レーガン、協定評価。
DIA-601-1983-05-17-5アメリカ1983年05月17日1980年代シュルツ長官、イスラエル代理大使とレバノン秘密協定調印。
DIA-601-1983-05-18-1アメリカ1983年05月18日1980年代(シリア通信)シリア政府、ハビブ特使の訪問拒否。
DIA-601-1983-05-18-2アメリカ1983年05月18日1980年代(ベイルート)ハビブ特使訪問。
DIA-601-1983-05-19-1アメリカ1983年05月19日1980年代ホワイトハウス、イスラエルへのFl6売却再開決定、と発表。
DIA-601-1983-05-19-2アメリカ1983年05月19日1980年代国防省当局、ラスバナス拡張でのエ・米交渉停止、エジプトの基地管理権要求で(IHT、5/21)。
DIA-601-1983-05-19-3アメリカ1983年05月19日1980年代国務省当局、インドがC-130、曲射砲、機関銃など米兵器10億㌦分購入に興味、と(IHT、5/21)。
DIA-601-1983-05-19-4アメリカ1983年05月19日1980年代(ダーラン)ハビブ特使、サウジ入り。
DIA-601-1983-05-19-5アメリカ1983年05月19日1980年代(東京)ボルドリッジ長官、真藤電電公社総裁と会談。
DIA-601-1983-05-19-6アメリカ1983年05月19日1980年代ボ長官・安倍外相会談。
DIA-601-1983-05-20-1アメリカ1983年05月20日1980年代国防省、イスラエルへのFl6機25機追加売却を議会に通告。
DIA-601-1983-05-20-2アメリカ1983年05月20日1980年代上院、レバノンへ2億5000万㌦緊急援助可決。
DIA-601-1983-05-20-3アメリカ1983年05月20日1980年代(カイロ)ハビブ特使到着。
DIA-601-1983-05-20-4アメリカ1983年05月20日1980年代(東京)米商務長官、中曽根首相と会談。
DIA-601-1983-05-21-1アメリカ1983年05月21日1980年代(カイロ)ハビブ特使・ムバラク大統領会談。
DIA-601-1983-05-21-2アメリカ1983年05月21日1980年代(北京)ボールドリッジ商務長官訪中。
DIA-601-1983-05-21-3アメリカ1983年05月21日1980年代(マニラ)米比合同防衛計画調印。
DIA-601-1983-05-21-4アメリカ1983年05月21日1980年代(バンコク)ハヤカワ国務省特使、ラオスより帰着。
DIA-601-1983-05-22-1アメリカ1983年05月22日1980年代(ベイルート)ハビブ特使到着。
DIA-601-1983-05-22-2アメリカ1983年05月22日1980年代(エルサレム)ハビブ・シャミール外相会談。
DIA-601-1983-05-23-1アメリカ1983年05月23日1980年代(北京)米中通商貿易合同委第1回会議。
DIA-601-1983-05-24-1アメリカ1983年05月24日1980年代下院、MX予算凍結解除239:186で可決。
DIA-601-1983-05-24-2アメリカ1983年05月24日1980年代(北京)陳貿易相、米商務長官、高度技術輸出制限緩和約束した、と。
DIA-601-1983-05-24-3アメリカ1983年05月24日1980年代ボールドリッジ長官、米中繊維対立、来月にも解決、と。
DIA-601-1983-05-24-4アメリカ1983年05月24日1980年代(ニューデリー)国防省スポークスマン、米兵器購入で米と協議確認、しかし技術移転等で米しぶる、と。
DIA-601-1983-05-25-1アメリカ1983年05月25日1980年代上院、MX予算凍結解除59:39で可決。
DIA-601-1983-05-25-2アメリカ1983年05月25日1980年代ヤクブ・カーン・パキスタン外相、ブッシュ副大統領、シュルツ長官と会談。
DIA-601-1983-05-25-3アメリカ1983年05月25日1980年代(北京)ボールドリッジ長官、趙首相と会談。
DIA-601-1983-05-26-1アメリカ1983年05月26日1980年代(北京)米商務長官帰国。
DIA-601-1983-05-26-2アメリカ1983年05月26日1980年代(東京)中曽根首相、米へ出発。
DIA-601-1983-05-27-1アメリカ1983年05月27日1980年代中曽根・レーガン会談。
DIA-601-1983-05-28-1アメリカ1983年05月28日1980年代(ウィリアムズバーグ)先進国サミット開く。
DIA-601-1983-05-30-1アメリカ1983年05月30日1980年代(ウィリアムズバーグ)サミット、経済宣言出し閉会。
DIA-601-1983-05-31-1アメリカ1983年05月31日1980年代(マニラ)米比墓地協定合意、米9億㌦支払いへ(経済支持4.75億、軍事援助1.25億―ともに贈与、軍事信用3億―10年据置、20年払い)。
DIA-601-1983-06-01-1アメリカ1983年06月01日1980年代レーガン、国際貿易産業省の構成発表。
DIA-601-1983-06-01-2アメリカ1983年06月01日1980年代(エルサレム)ハビブ特使、ベギン首相と会談。
DIA-601-1983-06-01-3アメリカ1983年06月01日1980年代(北京)米中投資保護条約交渉開始(AP)。'
DIA-601-1983-06-01-4アメリカ1983年06月01日1980年代(マニラ)米比、新軍事協定に調印。
DIA-601-1983-06-01-5アメリカ1983年06月01日1980年代(バンコク)不明米兵士調査米チーム、ハノイヘ。
DIA-601-1983-06-03-1アメリカ1983年06月03日1980年代米政府、中国への最恵国待遇1年延長決定。
DIA-601-1983-06-03-2アメリカ1983年06月03日1980年代(ハノイ)ベトナム、米チームに米兵9遺体返還。
DIA-601-1983-06-05-1アメリカ1983年06月05日1980年代(ベオグラード)UNCTAD米次席代表、途上国援助拡大反対、と。
DIA-601-1983-06-07-1アメリカ1983年06月07日1980年代イーグルバーガー次官、ソ連はアフガンで1万5000人失う、と。
DIA-601-1983-06-08-1アメリカ1983年06月08日1980年代レバノン外相、レーガンと会談、シリアが国際会議望む、と。
DIA-601-1983-06-08-2アメリカ1983年06月08日1980年代レーガン、START、米修正案発表。
DIA-601-1983-06-09-1アメリカ1983年06月09日1980年代パール国防次官補、対ソ技術輸出の日本企業制裁主張。
DIA-601-1983-06-09-2アメリカ1983年06月09日1980年代(モスクワ)ソ連、START米案拒否。
DIA-601-1983-06-12-1アメリカ1983年06月12日1980年代ドレーパー特使、レバノン問題で米ソ協議した、と。
DIA-601-1983-06-13-1アメリカ1983年06月13日1980年代FRB、米大手銀行の途上国融資抑制措置。
DIA-601-1983-06-13-2アメリカ1983年06月13日1980年代レーガン、ホーク豪首相と会談。
DIA-601-1983-06-13-3アメリカ1983年06月13日1980年代(ベオグラード)ダム国務副長官、UNCTAD総会で一次産品価格安定協定反対、第三世界への大規模資 金援助反対を表明。
DIA-601-1983-06-14-1アメリカ1983年06月14日1980年代ワインバーガー、イスラエル政府が求め次第、米との安保協力協定復活用意、と(IHT、6/16)。
DIA-601-1983-06-14-2アメリカ1983年06月14日1980年代シュルツ長官、ホーク豪首相と会談、インドシナ問題の豪仲介歓迎を表明(ロイター)。
DIA-601-1983-06-16-1アメリカ1983年06月16日1980年代(北京)中国、パンナム台湾路線再開で米に抗議。
DIA-601-1983-06-17-1アメリカ1983年06月17日1980年代中国大使、シュルツ長官と会見。
DIA-601-1983-06-18-1アメリカ1983年06月18日1980年代レーガン、FRB議長にボルカー再任発表。
DIA-601-1983-06-20-1アメリカ1983年06月20日1980年代両院協議会、84年度予算の軍事費、前年度比5%増で合意。
DIA-601-1983-06-21-1アメリカ1983年06月21日1980年代米政府、高度技術対中輸出解禁(ほぼNATO諸国向け)と発表。米CAB、ノースウエストの中国乗り入れ許可。
DIA-601-1983-06-22-1アメリカ1983年06月22日1980年代シュルツ長官、シリアへ高官派遣示唆。
DIA-601-1983-06-22-2アメリカ1983年06月22日1980年代米情報筋、米、エジプト内無人地帯に秘密補給基地、AWACS用など、100人空軍兵駐在、と(WP、6/23)。
DIA-601-1983-06-22-3アメリカ1983年06月22日1980年代国務省、レーガンにインドへの原子炉部品輸出要請中(IHT、6/23)。
DIA-601-1983-06-22-4アメリカ1983年06月22日1980年代レーガン、日米諮問委であいさつ。
DIA-601-1983-06-23-1アメリカ1983年06月23日1980年代シュルツ長官、アジア歴訪に出発。
DIA-601-1983-06-23-2アメリカ1983年06月23日1980年代(アンカレッジ)シュルツ、ソ連の脅威強調。
DIA-601-1983-06-25-1アメリカ1983年06月25日1980年代Dunbar米アフガン代理大使、アフガン・ゲリラ、春期攻勢生きのび、これまでになく強力、カンダハルはゲリラの手中、ソ連戦死1~1.5万(WP、6/26)。
DIA-601-1983-06-25-2アメリカ1983年06月25日1980年代(マニラ)シュルツ長官訪比。マルコス夫妻と会見。
DIA-601-1983-06-25-3アメリカ1983年06月25日1980年代(マーシャル諸島マジュロ)米、核実験被災者へ1億8370万㌦支払い協定(WP、6/28)。
DIA-601-1983-06-26-1アメリカ1983年06月26日1980年代(テルアビブ)ハビブ特使到着。
DIA-601-1983-06-26-2アメリカ1983年06月26日1980年代(バンコク)シュルツ長官訪タイ。
DIA-601-1983-06-26-3アメリカ1983年06月26日1980年代シュルツ側近米、ラオスとの関係改善求めている、と(WP、6/27)。
DIA-601-1983-06-27-1アメリカ1983年06月27日1980年代レーガン、ヨルダンへの経済再建援助1.5億、軍事信用1億、訓練費100万㌦に調印。
DIA-601-1983-06-27-2アメリカ1983年06月27日1980年代米政府、レーガンの日・韓・インドネシア訪問計画発表。
DIA-601-1983-06-27-3アメリカ1983年06月27日1980年代(エルサレム)ハビブ特使、ベギン首相らと会談。
DIA-601-1983-06-27-4アメリカ1983年06月27日1980年代(アンカラ)米・トルコ、軍事力近代化で協議。
DIA-601-1983-06-27-5アメリカ1983年06月27日1980年代(バンコク)ASEAN拡大外相会議。ASEANの立場支持で一致。日米外相会談。
DIA-601-1983-06-28-1アメリカ1983年06月28日1980年代レーガン、83年米経済成長見通し、4.7%から5.5%へ上向き修正と発表。
DIA-601-1983-06-28-2アメリカ1983年06月28日1980年代(カイロ)ハビブ、ドレーパー、フェアバンクス特使、アリ外相と会談。
DIA-601-1983-06-28-3アメリカ1983年06月28日1980年代(バンコク)拡大ASEAN外相会議終了。シュルツ長官、ベトナムが米兵遺体数百を隠すと非難。
DIA-601-1983-06-29-1アメリカ1983年06月29日1980年代(ベイルート)ハビブ特使到着。ジェマイェルと会談。
DIA-601-1983-06-29-2アメリカ1983年06月29日1980年代米兵遺体でシュルツ発言非難(ハノイ放送)。
DIA-601-1983-06-29-3アメリカ1983年06月29日1980年代(ニューデリー)シュルツ長官訪印。
DIA-601-1983-06-30-1アメリカ1983年06月30日1980年代IDA、ラオスの農業プロジェクトに621万㌦承認。
DIA-601-1983-06-30-2アメリカ1983年06月30日1980年代(ベイルート)ワザン首相、ハビブ特使と会談、全面撤兵の一環でないイ軍部分撤兵に反対表明。ハビブ、イスラエルへ(ロイター)。消息筋、米政府、イスラエルに一方的全面撤兵スケジュールを対シリア圧力として作るよう今週はじめハビブを通じイ政府に提案、と(WP、7/1)。
DIA-601-1983-06-30-3アメリカ1983年06月30日1980年代(バンコク)米、コンケン大学農業センターに200万㌦贈与。
DIA-601-1983-06-30-4アメリカ1983年06月30日1980年代(ニューデリー)シュルツ・インド首脳会談、原子炉交換部品第三国供与で合意、第三国で入手できねば米が供給と約束(ロイター)。
DIA-601-1983-07-01-1アメリカ1983年07月01日1980年代米通商代表部、日本のオレンジ・牛肉除く残存輸入制限農産物15品目でガット提訴。
DIA-601-1983-07-01-2アメリカ1983年07月01日1980年代(エルサレム)ハビブ・ベギン会談。イスラエル放送、米の方的全面撤退案拒否した、と。
DIA-601-1983-07-01-3アメリカ1983年07月01日1980年代(ニューデリー)シュルツ長官、アフガン問題で米ソ外相が書簡交換した、と。
DIA-601-1983-07-02-1アメリカ1983年07月02日1980年代レーガン、シュルツ長官に電話、中東調停再開指示。
DIA-601-1983-07-02-2アメリカ1983年07月02日1980年代(カイロ)マクファーレンAID長官、ムバラク大統領と会談。米援助の効率的使用について討議(ロイター)。
DIA-601-1983-07-02-3アメリカ1983年07月02日1980年代(イスラマバード)シュルツ長官、パキスタン入り。
DIA-601-1983-07-02-4アメリカ1983年07月02日1980年代米パ経済技術協力合同委に出席。
DIA-601-1983-07-03-1アメリカ1983年07月03日1980年代(ペシャワール)シュルツ長官、アフガン難民キャンプ視察。
DIA-601-1983-07-03-2アメリカ1983年07月03日1980年代(ベオグラード)UNCTAD総会閉会。最終声明は途上国寄りと米政府不参加。
DIA-601-1983-07-04-1アメリカ1983年07月04日1980年代(ジェッダ)シュルツ長官、サウジ入り。ファハド国王と会談。
DIA-601-1983-07-05-1アメリカ1983年07月05日1980年代(ジェッダ)シュルツ、ファハド国王と会談。
DIA-601-1983-07-05-2アメリカ1983年07月05日1980年代(ベイルート)シュルツ長官、ジェマイエル大統領と会談。
DIA-601-1983-07-05-3アメリカ1983年07月05日1980年代(ダマスカス)シュルツ長官、シリア入り。
DIA-601-1983-07-05-4アメリカ1983年07月05日1980年代シュルツ・シリア外相会談。
DIA-601-1983-07-06-1アメリカ1983年07月06日1980年代(ダマスカス)シュルツ・アサド会談。レ・イ協定で対立。レバノン主権尊重で作業グループ設立合意。
DIA-601-1983-07-06-2アメリカ1983年07月06日1980年代(エルサレム)シュルツ長官、イスラエル入り。イ外相らと会談。
DIA-601-1983-07-07-1アメリカ1983年07月07日1980年代(エルサレム)シュルツ長官、ベギン首相と会談、撤兵で説得できず。
DIA-601-1983-07-07-2アメリカ1983年07月07日1980年代(カイロ)シュルツ長官、ムバラク大統領と会見後、帰米へ。
DIA-601-1983-07-08-1アメリカ1983年07月08日1980年代(ベイルート)ハビブ特使、サレム外相と会談。
DIA-601-1983-07-11-1アメリカ1983年07月11日1980年代米中、原子力協議会開始、国防省、ワインバーガー訪中受託確認(WP、7/12)。
DIA-601-1983-07-11-2アメリカ1983年07月11日1980年代(テルアビブ)レビ副首相、イスラエルは兵力再配置で米、レバノンの許可は求めぬ、と。
DIA-601-1983-07-13-1アメリカ1983年07月13日1980年代国務省、中国人旅行者ビザなし通過拒否決定。
DIA-601-1983-07-14-1アメリカ1983年07月14日1980年代米政府、IDAへの7億5000万㌦以上の融資支 出拒否。
DIA-601-1983-07-14-2アメリカ1983年07月14日1980年代米中原子力協議終了。
DIA-601-1983-07-15-1アメリカ1983年07月15日1980年代国防省、台湾へ5億3000万㌦武器輸出公表。
DIA-601-1983-07-15-2アメリカ1983年07月15日1980年代(ギリシア)パパンドレウ首相、米基地5年後撤去で新協定調印と発表。
DIA-601-1983-07-16-1アメリカ1983年07月16日1980年代レバノン外相、シュルツ長官と会談、イ軍部分撤兵討議。行き詰り打開策討議。
DIA-601-1983-07-17-1アメリカ1983年07月17日1980年代(ポナペ)ミクロネシア連邦政府、自由連合の形で米信託統治離脱を国民投票が支持と発表。
DIA-601-1983-07-18-1アメリカ1983年07月18日1980年代レーガン、チャドヘの1000万㌦緊急軍事援助許可。
DIA-601-1983-07-19-1アメリカ1983年07月19日1980年代イスラエル大使館、7月26日のベギン訪米中止と発表。
DIA-601-1983-07-19-2アメリカ1983年07月19日1980年代レバノン大統領訪米。
DIA-601-1983-07-19-3アメリカ1983年07月19日1980年代レーガン、バハレーン首長と会談。
DIA-601-1983-07-20-1アメリカ1983年07月20日1980年代イスラエル閣議、レバノン駐留軍再配置(部分撤兵)方針決定について、イ軍配置は全面撤兵の一部であるべきだと声明。
DIA-601-1983-07-21-1アメリカ1983年07月21日1980年代シュルツ・ジェマイエル会談。
DIA-601-1983-07-21-2アメリカ1983年07月21日1980年代ワインバーガー、バハレーン首長と会談。
DIA-601-1983-07-21-3アメリカ1983年07月21日1980年代(東京)IDA第7次増資交渉決裂。事務局160億、 米90億㌦で対立。
DIA-601-1983-07-22-1アメリカ1983年07月22日1980年代ハビブ中東担当大統領特使辞任、後任はロバート・マクファーレン大統領補佐官(安保担当)。
DIA-601-1983-07-22-2アメリカ1983年07月22日1980年代レーガン、ジェマイエル大統領と会談。レバノン危機解決への“次のステップ”で一致と語る。
DIA-601-1983-07-22-3アメリカ1983年07月22日1980年代晋中国大使、台湾への武器売却で国務省に抗議。
DIA-601-1983-07-22-4アメリカ1983年07月22日1980年代(ベイルート)シューフ山地よりベイルート空港に砲撃、米海兵1人負傷。
DIA-601-1983-07-23-1アメリカ1983年07月23日1980年代レーガン、IMFへの追加資金は国際経済安定に必要、と。
DIA-601-1983-07-25-1アメリカ1983年07月25日1980年代エイブラムス国務次官補、金大中と会談。
DIA-601-1983-07-25-2アメリカ1983年07月25日1980年代ブロック通商代表、議会公聴会で日本の航空産業、21世紀には米の脅威、と。
DIA-601-1983-07-25-3アメリカ1983年07月25日1980年代国防省、8月より6カ月の中米演習発表。
DIA-601-1983-07-26-1アメリカ1983年07月26日1980年代イスラエル外相、国防相訪米。シュルツ長官と5時間半会談。米は部分撤兵延期求めずとイ国防相(WP、7/27)。
DIA-601-1983-07-26-2アメリカ1983年07月26日1980年代AIDマクファーソン長官、エチオピアに食料援助300万㌦割当て、と(WP、7/27)。
DIA-601-1983-07-26-3アメリカ1983年07月26日1980年代ホワイトハウス、ワインバーガー9月25日~29日訪中と発表。
DIA-601-1983-07-27-1アメリカ1983年07月27日1980年代シュルツ、イスラエル外相・国防相会談。米、イ部分撤兵を全軍撤兵の第一段階として承認、しかし第二段階の日程未定に合意(WP、7/28)。
DIA-601-1983-07-27-2アメリカ1983年07月27日1980年代(ソンクラ)米海兵800人、上陸演習。
DIA-601-1983-07-28-1アメリカ1983年07月28日1980年代イスラエル外相、国防相、レーガン・シュルツと会談。イ軍、最終的にはレバノンから全面撤兵をめざす、と確認。
DIA-601-1983-07-28-2アメリカ1983年07月28日1980年代ホワイトハウス、米ソ穀物5年協定合意と発表。
DIA-601-1983-07-30-1アメリカ1983年07月30日1980年代(北京)新華社、米中繊維交渉、ジュネーブの第8回会議で妥結と報道。
DIA-601-1983-07-31-1アメリカ1983年07月31日1980年代(ベイルート)マクファーレン特使到着。
DIA-601-1983-07-31-2アメリカ1983年07月31日1980年代(エルサレム)イ政府高官、レーガン、イスラエルへの軍事援助条件緩和に同意、と(WP、8/1)。
DIA-601-1983-08-01-1アメリカ1983年08月01日1980年代米、チャドに対空ミサイル空輸。
DIA-601-1983-08-01-2アメリカ1983年08月01日1980年代国防省、サウジへのM-60A3戦車100両(1.76億㌦)売却を議会に通告(IHT、8/3)。
DIA-601-1983-08-01-3アメリカ1983年08月01日1980年代下院、中国への最恵国待遇1年延長可決。
DIA-601-1983-08-01-4アメリカ1983年08月01日1980年代(ベイルート)マクファーレン・ワザン首相会談。
DIA-601-1983-08-02-1アメリカ1983年08月02日1980年代(テルアビブ)マクファーレン特使、訪イ。
DIA-601-1983-08-02-2アメリカ1983年08月02日1980年代(国連)米、安保理で、イスラエルの占領地入植地不撤去への対イ貿易制裁決議に拒否権。
DIA-601-1983-08-03-1アメリカ1983年08月03日1980年代(エルサレム)マクファーレン特使、シヤミール外相と会談。アレンス国防相とも。
DIA-601-1983-08-04-1アメリカ1983年08月04日1980年代シュルツ長官、ベリオテス国務次官補更迭、後任にR・マーフィー・サウジアラビア大使を発表、ベリオテス次官補はエジプト大使に。
DIA-601-1983-08-04-2アメリカ1983年08月04日1980年代米政府、チャドに1500万㌦の追加軍事援助決定。
DIA-601-1983-08-04-3アメリカ1983年08月04日1980年代(ベイルート)マクファーレン特使、訪レ。
DIA-601-1983-08-05-1アメリカ1983年08月05日1980年代労働省、7月失業率9.5%(6月=10%)。
DIA-601-1983-08-05-2アメリカ1983年08月05日1980年代ホワイトハウス、リビア拡張主義阻止に強い戦略的関心と声明。
DIA-601-1983-08-05-3アメリカ1983年08月05日1980年代(ベイルート)マクファーレン・ワザン首相会談。
DIA-601-1983-08-06-1アメリカ1983年08月06日1980年代(ダマスカス)マクファーレン特使訪問。
DIA-601-1983-08-06-2アメリカ1983年08月06日1980年代(北京)オキシデンタル石油、南海石油開発契約。
DIA-601-1983-08-07-1アメリカ1983年08月07日1980年代(ダマスカス)マクファーレン特使、アサド大統領と会談。シリア撤兵拒否。
DIA-601-1983-08-08-1アメリカ1983年08月08日1980年代レーガン、AWACS2機、F15戦闘機8機をスーダンに派遣したと発表。
DIA-601-1983-08-08-2アメリカ1983年08月08日1980年代ペンタゴン、海軍向けFY85→89予算から100億㌦分を陸軍軽歩兵5個師団分に流用計画(=イラン・ソ連国境山岳などでの戦闘)(WP、8/9)。
DIA-601-1983-08-08-3アメリカ1983年08月08日1980年代ウィッカム陸軍参謀長、パーシングⅡミサイル実験失敗は米軍事工場での品質管理の欠陥のため、また他の兵器の欠陥も同様、と(IHT、8/10)。
DIA-601-1983-08-08-4アメリカ1983年08月08日1980年代ウィッカム将軍、米軍の多地域への薄い展開に懸念表明(IHT、8/11)。
DIA-601-1983-08-08-5アメリカ1983年08月08日1980年代(タイフ)マクファーレン、ファハド国王と会談。
DIA-601-1983-08-09-1アメリカ1983年08月09日1980年代ホワイトハウス、チャド要請すればAWACS、 F15を戦闘地域に派遣、と。
DIA-601-1983-08-09-2アメリカ1983年08月09日1980年代(アンマン)マクファーレン・ヨルダン国王会談。
DIA-601-1983-08-10-1アメリカ1983年08月10日1980年代(カイロ)米・エジプト「ブライト・スター」演習開始。
DIA-601-1983-08-11-1アメリカ1983年08月11日1980年代レーガン、チャドへの直接介入否定。
DIA-601-1983-08-11-2アメリカ1983年08月11日1980年代(エルサレム)マクファーレン、ベギンとシャミール外相と会談、対シリア説得不調と言明(UPI)。
DIA-601-1983-08-13-1アメリカ1983年08月13日1980年代シュルツ、レバノン大使と会談、平和軍倍増検討。
DIA-601-1983-08-16-1アメリカ1983年08月16日1980年代クウェート政府、グローブ駐クウェート米大使のアグレマン拒否。元駐エルサレム総領事のため。
DIA-601-1983-08-17-1アメリカ1983年08月17日1980年代(ベイルート)マクファーレン特使到着。
DIA-601-1983-08-18-1アメリカ1983年08月18日1980年代(ハルツーム)米・スーダン合同演習開始。
DIA-601-1983-08-19-1アメリカ1983年08月19日1980年代(サンタバーバラ)ホワイトハウス、イ軍部分撤兵は完全撤兵の一部、シリア・PLO軍の同時撤兵に努力するとともに、イ軍のさらなる撤兵期待と声明。
DIA-601-1983-08-19-2アメリカ1983年08月19日1980年代(ベルベラ)米・ソマリア合同軍事演習「イースタンウインド83」開始。
DIA-601-1983-08-19-3アメリカ1983年08月19日1980年代(北京)米中繊維協定(83・1・1~87・12・13)調印、中国繊維輸出年2~4%増で合意(AFP)。
DIA-601-1983-08-20-1アメリカ1983年08月20日1980年代商務省、石油パイプ敷設機対ソ輸出規制撤廃。
DIA-601-1983-08-20-2アメリカ1983年08月20日1980年代(カイロ)マクファーレン、エジプト外相と会談。
DIA-601-1983-08-21-1アメリカ1983年08月21日1980年代国務省、アキノ暗殺非難声明。ホワイトハウス、レーガン訪比変更せぬ、と。
DIA-601-1983-08-21-2アメリカ1983年08月21日1980年代(カイロ)マクファーレン特使、ムバラク大統領と会談後、イ軍の全面撤退確信と語る。
DIA-601-1983-08-22-1アメリカ1983年08月22日1980年代国務省、レーガン訪比再検討。
DIA-601-1983-08-22-2アメリカ1983年08月22日1980年代谷川・ワインバーガー会談。
DIA-601-1983-08-22-3アメリカ1983年08月22日1980年代(ベイルート)マクファーレン・ワザン会談。
DIA-601-1983-08-23-1アメリカ1983年08月23日1980年代商務省、82年末の米海外直接投資2213億4000万㌦で前年同期比2.2%減(大戦後、初の減少)と発表。
DIA-601-1983-08-23-2アメリカ1983年08月23日1980年代米財務省、イラン政府、米輸出入銀への4億1950万㌦債務返済同意、と。
DIA-601-1983-08-23-3アメリカ1983年08月23日1980年代国務省、スーダンからAWACS引き揚げと発表。
DIA-601-1983-08-23-4アメリカ1983年08月23日1980年代(バンコク)米下院議員団訪タイ。
DIA-601-1983-08-24-1アメリカ1983年08月24日1980年代米当局者、米比関係は米・マルコス関係より重要、と(IHT、8/26)。
DIA-601-1983-08-27-1アメリカ1983年08月27日1980年代レーガン、昨年のレーガン中東和平案なお有効、とラジオで。
DIA-601-1983-08-27-2アメリカ1983年08月27日1980年代(パリ)マクファーレン特使、ドルーズ派のジュムブラットと会談。
DIA-601-1983-08-27-3アメリカ1983年08月27日1980年代(北京)鄧小平、ジャクソン上院議員会談、米中関係改善に向かうと述べ、またレーガン親書受取る。
DIA-601-1983-08-28-1アメリカ1983年08月28日1980年代(エルサレム)ベギン首相、閣議で辞意表明。
DIA-601-1983-08-28-2アメリカ1983年08月28日1980年代(ベイルート)シーア派民兵と政府軍、空港周辺で交戦、空港閉鎖。
DIA-601-1983-08-28-3アメリカ1983年08月28日1980年代米海兵隊も交戦。
DIA-601-1983-08-29-1アメリカ1983年08月29日1980年代(ベイルート)砲撃で米海兵2人死亡、4人負傷、米軍、空陸で反撃。
DIA-601-1983-08-29-2アメリカ1983年08月29日1980年代ホワイトハウス、米海兵の死はシリアの撤兵拒否の結果に、また米海兵駐留継続、と(WP、8/30)。
DIA-601-1983-08-30-1アメリカ1983年08月30日1980年代レーガン、両院議長に書簡、米兵レバノン駐留継続表明、しかし期間示さず(WP、8/31)。
DIA-601-1983-08-30-2アメリカ1983年08月30日1980年代(エルサレム)ベギン首相、マクファーレン特使と会談、レバノン部分撤兵数日延期要請に同意。
DIA-601-1983-08-31-1アメリカ1983年08月31日1980年代シュルツ長官、米海兵隊員数変えぬ、攻撃には反撃、と。
DIA-601-1983-09-01-1アメリカ1983年09月01日1980年代シュルツ長官、ソ連が大韓航空機撃墜と発表。
DIA-601-1983-09-01-2アメリカ1983年09月01日1980年代レーガン、地中海の米海兵隊2000人をレバノン沖に派遣命令(WP、9/2)。
DIA-601-1983-09-02-1アメリカ1983年09月02日1980年代レーガン、大韓機事件でソ連非難声明。
DIA-601-1983-09-03-1アメリカ1983年09月03日1980年代レーガン、ソ連への“冷静、コントロールされた、しかし断固たる”対応主張(WP、9/4)。
DIA-601-1983-09-04-1アメリカ1983年09月04日1980年代レーガン、レバノン沖の米海兵隊はシリアの監視役、と(WP、9/5)。
DIA-601-1983-09-04-2アメリカ1983年09月04日1980年代(ベイルート)イスラエル軍、シューフ山岳、アレイ地区からの部分撤退完了。
DIA-601-1983-09-05-1アメリカ1983年09月05日1980年代レーガン、対ソ制裁措置(2国間領事、文化協定交渉停止、運輸協定更新拒否等)発表。
DIA-601-1983-09-06-1アメリカ1983年09月06日1980年代ホワイトハウス、シリアにレバノン沖の米軍事力を考慮に入れよ、と警告(WP、9/7)。
DIA-601-1983-09-06-2アメリカ1983年09月06日1980年代(ベイルート)ロケット攻撃で米兵2人死亡。
DIA-601-1983-09-06-3アメリカ1983年09月06日1980年代(ダマスカス)マクファーレン特使、シリア入り。
DIA-601-1983-09-06-4アメリカ1983年09月06日1980年代(北京)中国対外貿易省、米農産物輸入規制解除公表(新華社)。
DIA-601-1983-09-06-5アメリカ1983年09月06日1980年代(国連)安保理で米、ソ連機の交信記録全容公表。
DIA-601-1983-09-07-1アメリカ1983年09月07日1980年代(ダマスカス)マクファーレン特使・アサド大統領会談。マ特使、ジュムブラットと会談。
DIA-601-1983-09-08-1アメリカ1983年09月08日1980年代キタニ・イラク特使、イーグルバーガー次官と会談、イ・イ戦終結で米の積極的役割求む。
DIA-601-1983-09-08-2アメリカ1983年09月08日1980年代(ベイルート)米第6艦隊、シューフ山地のドルーズ派へ艦砲射撃。
DIA-601-1983-09-08-3アメリカ1983年09月08日1980年代(アテネ)米・ギリシア新基地協定調印。
DIA-601-1983-09-09-1アメリカ1983年09月09日1980年代シュルツ、シューフ山地への平和軍投入のレバノン政府要請拒否した、と(IHT、9/12)。
DIA-601-1983-09-12-1アメリカ1983年09月12日1980年代ワインバーガー、戦艦ニュージャージーの大西洋派遣発表。
DIA-601-1983-09-12-2アメリカ1983年09月12日1980年代米海兵隊2000人、レバノン沖増派と国防省。、ホワイトハウス当局者、レーガン、レバノンの海兵隊が空軍支援要請することを許可、またシリアに米軍事介入強化の用意通告した、と(WP、9/13)。
DIA-601-1983-09-12-3アメリカ1983年09月12日1980年代(ベイルート)ジェマイエル大統領、マクファーレン特使と会見。
DIA-601-1983-09-13-1アメリカ1983年09月13日1980年代ホワイトハウス、レーガンが米軍の空海からのレバノンでの攻撃許可と発表。
DIA-601-1983-09-13-2アメリカ1983年09月13日1980年代国防省、エジプトへの戦車94両提供発表。
DIA-601-1983-09-13-3アメリカ1983年09月13日1980年代(アルジェリア)ブッシュ副大統領、モロッコより到着。
DIA-601-1983-09-14-1アメリカ1983年09月14日1980年代(ダマスカス)マクファーレン、シリア外相と会談後、ベイルートへ。
DIA-601-1983-09-15-1アメリカ1983年09月15日1980年代(エルサレム)ベギン首相辞任。
DIA-601-1983-09-17-1アメリカ1983年09月17日1980年代(北京)呉外相、米中首脳相互訪問合意と語る。
DIA-601-1983-09-17-2アメリカ1983年09月17日1980年代(ラングーン)ビルマ政府、新米大使にD.A.O.Donohue(国務次官補代理)承認。
DIA-601-1983-09-18-1アメリカ1983年09月18日1980年代(ベイルート)米艦、シリア軍支配地初砲撃。
DIA-601-1983-09-19-1アメリカ1983年09月19日1980年代ホワイトハウス、ベイルート郊外スークエルガルブの左派ゲリラによる奪取許さぬと言明。
DIA-601-1983-09-19-2アメリカ1983年09月19日1980年代(ベイルート)米艦隊、市東方山地に大規模砲撃。
DIA-601-1983-09-19-3アメリカ1983年09月19日1980年代(北京)原子力交渉米代表団訪中。
DIA-601-1983-09-20-1アメリカ1983年09月20日1980年代ペンタゴン・メモ、米軍、1985年までに中米とペルシア湾での軍事行動拡大準備へ(IHT、9/21)。
DIA-601-1983-09-20-2アメリカ1983年09月20日1980年代ホワイトハウス、駐レバノン大使にレジナルド・バーソロミュー任命(五77、9/21)。
DIA-601-1983-09-20-3アメリカ1983年09月20日1980年代レーガン、オニール下院議長とレバノン米海兵18カ月延長で合意。
DIA-601-1983-09-21-1アメリカ1983年09月21日1980年代(ダマスカス)マクファーレン、サウジより到着、シリア外相、ドルーズ派ジュムブラット会談。
DIA-601-1983-09-22-1アメリカ1983年09月22日1980年代エイブラムス国務次官補、議会で、レーガン訪比実施を国務省は主張中と証言(ロイター)。
DIA-601-1983-09-22-2アメリカ1983年09月22日1980年代米上院、大韓機事件で日本に感謝決議。
DIA-601-1983-09-22-3アメリカ1983年09月22日1980年代(大邱)米文化センターで爆発事件。
DIA-601-1983-09-24-1アメリカ1983年09月24日1980年代レーガン、1875億㌦の国防支出権限法署名。
DIA-601-1983-09-24-2アメリカ1983年09月24日1980年代(東京)ワインバーガー長官訪日。谷川長官と会談。
DIA-601-1983-09-25-1アメリカ1983年09月25日1980年代(ベイルート)レバノン停戦協定成立。
DIA-601-1983-09-25-2アメリカ1983年09月25日1980年代(NY)シュルツ長官、米は外国軍のレバノン全面 撤退への努力継続、米海兵隊役割不変、と(ロイター)。
DIA-601-1983-09-25-3アメリカ1983年09月25日1980年代レーガン、ジェマイエル大統領に祝いの電話、まだ問題多しと記者団に(ロイター)。
DIA-601-1983-09-25-4アメリカ1983年09月25日1980年代(北京)ワインバーガー国防長官訪中。
DIA-601-1983-09-26-1アメリカ1983年09月26日1980年代(北京)ワインバーガー・張国防相会談、高度技術対中供与ガイドライン提示。
DIA-601-1983-09-27-1アメリカ1983年09月27日1980年代レーガン、IMFで演説、増資に協力表明。
DIA-601-1983-09-27-2アメリカ1983年09月27日1980年代(NY)レーガン、ニューヨーク・ポスト会見で、国内事情で訪比中止示唆。
DIA-601-1983-09-27-3アメリカ1983年09月27日1980年代(北京)ワインバーガー、趙首相と会談。
DIA-601-1983-09-28-1アメリカ1983年09月28日1980年代下院、レバノン海兵隊駐留、18カ月延長可決。
DIA-601-1983-09-28-2アメリカ1983年09月28日1980年代シュルツ長官、安倍外相にレーガン訪比中止示唆。
DIA-601-1983-09-28-3アメリカ1983年09月28日1980年代(北京)ワインバーガー、趙首相84・1訪米、レーガン84・4訪中で合意と発表。
DIA-601-1983-09-28-4アメリカ1983年09月28日1980年代ワインバーガー・鄧小平会談。
DIA-601-1983-09-29-1アメリカ1983年09月29日1980年代上院、レバノン海兵隊18カ月延長可決。
DIA-601-1983-09-29-2アメリカ1983年09月29日1980年代レーガン、サウジのバンダル王子と会見。
DIA-601-1983-09-29-3アメリカ1983年09月29日1980年代(上海)ワインバーガー、米中軍事交渉来年から実施と語る(AP)。
DIA-601-1983-09-29-4アメリカ1983年09月29日1980年代(香港)米国防長官到着。
DIA-601-1983-09-30-1アメリカ1983年09月30日1980年代レーガン・ムバラク・エジプト大統領会談。
DIA-601-1983-09-30-2アメリカ1983年09月30日1980年代(UN)シュルツ長官、シリア外相と会談。
DIA-601-1983-09-30-3アメリカ1983年09月30日1980年代(香港)ワインバーガー、コロンボ経由、パキスタンへ。コロンボでスリランカ大統領と会見。
DIA-601-1983-10-01-1アメリカ1983年10月01日1980年代(パキスタン)ワインバーガー、アフガン国境の難民キャンプ視察。
DIA-601-1983-10-03-1アメリカ1983年10月03日1980年代国務省、イランのホルムズ封鎖警告に重大懸念表明。
DIA-601-1983-10-03-2アメリカ1983年10月03日1980年代ムバラク大統領、米議会リーダーと会見。
DIA-601-1983-10-03-3アメリカ1983年10月03日1980年代中国、米小麦12万㌧買付け。
DIA-601-1983-10-03-4アメリカ1983年10月03日1980年代ホワイトハウス、レーガン訪比、タイ・インドネシア訪問無期延期と発表。
DIA-601-1983-10-04-1アメリカ1983年10月04日1980年代(エルサレム)シャミル外相、マクファーレン特使に、レバノン停戦協定がシリアの和解会議参加などシリアに大きな役割を与えたことに不満表明。
DIA-601-1983-10-05-1アメリカ1983年10月05日1980年代国防省、レバノンへの装甲車253両売却(6100万㌦)、議会に通告。
DIA-601-1983-10-07-1アメリカ1983年10月07日1980年代労働省、9月の米失業率9.3%と発表。
DIA-601-1983-10-07-2アメリカ1983年10月07日1980年代国務省、米外交官の北朝鮮外交官との接触緩和。
DIA-601-1983-10-07-3アメリカ1983年10月07日1980年代国務省、イラクはテロ支援国リストに入れるべきでないと表明。
DIA-601-1983-10-08-1アメリカ1983年10月08日1980年代レーガン、シリアがSS21多数保有と語る。
DIA-601-1983-10-08-2アメリカ1983年10月08日1980年代(ホットスプリングス、Va)ダム国務副長官、マルコス政権、いずれ交代、次期政権とも同盟希望、と。
DIA-601-1983-10-09-1アメリカ1983年10月09日1980年代ワット内務長官、人種差別発言で辞任。
DIA-601-1983-10-09-2アメリカ1983年10月09日1980年代ホワイトハウス、ラングーン爆発事件後、レーガン訪韓行なうと発表。
DIA-601-1983-10-10-1アメリカ1983年10月10日1980年代中国外相到着。シュルツ宅で夕食会。
DIA-601-1983-10-10-2アメリカ1983年10月10日1980年代国務省当局、ワインバーガー国務相訪中時、中国は米兵器10~15品目に関心、と(WP、10/11)。
DIA-601-1983-10-11-1アメリカ1983年10月11日1980年代呉外相、レーガン大統領を訪問。
DIA-601-1983-10-11-2アメリカ1983年10月11日1980年代(マニラ)アマコスト米大使、マルコスに公正な真相究明委任命求むと記者会見で、また野党との接触認む(WP、10/12)。
DIA-601-1983-10-11-3アメリカ1983年10月11日1980年代国家安全保障担当補佐官にロバート・マクファーレン決定。
DIA-601-1983-10-11-4アメリカ1983年10月11日1980年代シュルツ長官、ホルムズ封鎖されれば、米、行動の用意、と。また仏のイラクへのシュペール・エタンデール売却反対撤回示唆(WP、10/18)。
DIA-601-1983-10-12-1アメリカ1983年10月12日1980年代レーガン、米海兵隊のレバノン駐留18カ月延長法にサイン。
DIA-601-1983-10-12-2アメリカ1983年10月12日1980年代マクファーレン帰米。
DIA-601-1983-10-12-3アメリカ1983年10月12日1980年代中国外相、シュルツ長官、リーガン長官、ワインバーガー長官と会談。
DIA-601-1983-10-13-1アメリカ1983年10月13日1980年代レーガン、内務長官にクラーク補佐官任命。
DIA-601-1983-10-13-2アメリカ1983年10月13日1980年代ホワイトハウス報道官、イランの海峡攻撃に懸念表明。
DIA-601-1983-10-13-3アメリカ1983年10月13日1980年代国務省報道官、米、中東情勢の全面再検討開始した、と。
DIA-601-1983-10-13-4アメリカ1983年10月13日1980年代議会筋、米政府、秘かにヨルダン軍をサウジ等友好国への侵略、反乱時の介入軍として訓練する計画を議会と協議中、と(F16装備の1機動軍、予算2億ドル)(WP、10/14)。
DIA-601-1983-10-13-5アメリカ1983年10月13日1980年代国務省、米中文化交流、来年再開で合意と発表。
DIA-601-1983-10-13-6アメリカ1983年10月13日1980年代中国外相・CIA長官会談。
DIA-601-1983-10-13-7アメリカ1983年10月13日1980年代(ソウル)死亡閣僚らの合同国民葬。米国防長官ら参列。
DIA-601-1983-10-14-1アメリカ1983年10月14日1980年代下院歳出小委、最近秘密会で、ヨルダン軍機動部隊予算2億㌦可決(WP、10/15)。
DIA-601-1983-10-14-2アメリカ1983年10月14日1980年代ハダド・レバノン特使、レーガンと会見、ジェマイエル親書手交、シ・イ軍撤兵への協力求む(WP、10/15)。
DIA-601-1983-10-14-3アメリカ1983年10月14日1980年代ワインバーガー、ラングーン事件で北朝鮮の関与説有力、と。
DIA-601-1983-10-18-1アメリカ1983年10月18日1980年代レーガン、NSCでレバノン政策討議。米政府、シリアはレバノン交渉解決求めず、消耗戦で米撤退に追い込む作戦との見方にかたむく、と消息筋(WP、10/19)。
DIA-601-1983-10-18-2アメリカ1983年10月18日1980年代米統幕、レバノン海兵隊活動再検討開始と当局者 (NYT、IHT、10/20)。
DIA-601-1983-10-19-1アメリカ1983年10月19日1980年代レーガン、政府の海外での秘密活動支持表明(WP、10/20)。
DIA-601-1983-10-19-2アメリカ1983年10月19日1980年代レーガン、記者会見で、イランのペルシア湾封鎖許さぬ、レバノンの米海兵隊維持表明、シリアによるレバノン安定破壊許さぬ、と。
DIA-601-1983-10-19-3アメリカ1983年10月19日1980年代(東京)日本政府筋、鄧小平が朝鮮政策でワインバーガーに親書、と(IHT、10/20)。
DIA-601-1983-10-20-1アメリカ1983年10月20日1980年代グレナダで政変。
DIA-601-1983-10-21-1アメリカ1983年10月21日1980年代米当局者、米、緊急展開部隊用に、過去2年半にわたり、ヨルダン軍8000人訓練した、と(ロイター)。
DIA-601-1983-10-21-2アメリカ1983年10月21日1980年代国防省筋、米空母艦隊がグレナダ沖に向かった、と。
DIA-601-1983-10-22-1アメリカ1983年10月22日1980年代(ベイルート)Reginald Bartholomy新米大使着任。
DIA-601-1983-10-22-2アメリカ1983年10月22日1980年代(ダッカ)エルシャド司令官、訪米に出発。
DIA-601-1983-10-23-1アメリカ1983年10月23日1980年代(ベイルート)ゲリラ、米海兵隊本部、仏軍宿舎を爆破、死者200人超す。
DIA-601-1983-10-24-1アメリカ1983年10月24日1980年代レーガン、レバノンは米利害に死活的との米海兵隊駐留継続言明。
DIA-601-1983-10-25-1アメリカ1983年10月25日1980年代国防相、レバノン米海兵死者207人と発表。
DIA-601-1983-10-25-2アメリカ1983年10月25日1980年代レーガン、米軍1800人とドミニカなど6カ国軍のグレナダ侵攻を発表。
DIA-601-1983-10-26-1アメリカ1983年10月26日1980年代米政府、83年度財政赤字1954億㌦と発表。
DIA-601-1983-10-26-2アメリカ1983年10月26日1980年代(ベイルート)ブッシュ副大統領訪問。 27日、レーガン、レバノンとグレナダ情勢てソ連を非難、モスクワは両国で暴力状態を支援した、と。
DIA-601-1983-10-26-3アメリカ1983年10月26日1980年代(マナマ)リーガン長官、バハレーンより到着、UAEへ出発。
DIA-601-1983-10-30-1アメリカ1983年10月30日1980年代ダム国務次官、ベイルート爆破にイランが深く関与の情況証拠、またシリアも関与、と(WP、10/31)。
DIA-601-1983-10-31-1アメリカ1983年10月31日1980年代(ジュネーブ)レバノン和解会議開幕。
DIA-601-1983-11-01-1アメリカ1983年11月01日1980年代上院歳出委、84年度予算よりヨルダン緊急軍費2億2000万㌦削除(WP、11/2)。
DIA-601-1983-11-02-1アメリカ1983年11月02日1980年代国防省当局、グレナダ沖の空母インディペンデンス他海兵1800人、レバノンに向かう、と。
DIA-601-1983-11-03-1アメリカ1983年11月03日1980年代レーガン、新中東特使にラムズフェルド元国防長官任命。 4日)米空母インディペンデンスとJ・F・ケネディ、レバノン沖の空母アイゼンハワーと戦艦ニュージャージーに合流へ(WP、11/5)。'
DIA-601-1983-11-03-2アメリカ1983年11月03日1980年代(ベイルート)ティールのイ軍本部爆破、死者60。
DIA-601-1983-11-05-1アメリカ1983年11月05日1980年代レーガン、ラジオで、ベトナム不明米兵調査再強化と述べる。'
DIA-601-1983-11-05-2アメリカ1983年11月05日1980年代国会議事堂で夜爆弾爆発。
DIA-601-1983-11-05-3アメリカ1983年11月05日1980年代レーガン、訪日、訪韓で発言、日本の貿易制限是正、自衛力増強要求、中韓関係前進求める、と。
DIA-601-1983-11-07-1アメリカ1983年11月07日1980年代米高官、シリア攻撃意図否定(IHT、11/9)。
DIA-601-1983-11-07-2アメリカ1983年11月07日1980年代(コロンボ)ウォルターズ米特命大使、ジャヤワルデネ大統領と会見。
DIA-601-1983-11-09-1アメリカ1983年11月09日1980年代(東京)レーガン大統領訪日。中曽根首相と会談。天皇と会見。
DIA-601-1983-11-09-2アメリカ1983年11月09日1980年代安倍・シュルツ会談。
DIA-601-1983-11-10-1アメリカ1983年11月10日1980年代国務省・ベイルート海兵宿舎爆破死者239人と。
DIA-601-1983-11-10-2アメリカ1983年11月10日1980年代国務省、北朝鮮外交官への米外交官接触禁止発表。
DIA-601-1983-11-10-3アメリカ1983年11月10日1980年代(東京)日米首脳、フィリピン支援で一致。
DIA-601-1983-11-10-4アメリカ1983年11月10日1980年代日米首脳会談。首相主催昼食会。宮中で歓迎夕食会。日米首脳、新聞発表、日米の防衛協力強化等で一致。
DIA-601-1983-11-10-5アメリカ1983年11月10日1980年代(シリア通信)シリア軍、レバノンで米機攻撃。
DIA-601-1983-11-10-6アメリカ1983年11月10日1980年代米議会、イスラエルのラビ戦闘機開発に米軍事信用5.5億㌦使用可決。
DIA-601-1983-11-11-1アメリカ1983年11月11日1980年代(東京)レーガン、国会で演説。
DIA-601-1983-11-12-1アメリカ1983年11月12日1980年代(ソウル)レーガン訪韓、韓国防衛公約、北への慎重対応求む。国会で演説。
DIA-601-1983-11-12-2アメリカ1983年11月12日1980年代レーガン・全斗煥会談。
DIA-601-1983-11-12-3アメリカ1983年11月12日1980年代レーガン夕食会で民主化主張。
DIA-601-1983-11-13-1アメリカ1983年11月13日1980年代(ベイルート)ラムズフェルド米特使到着、ジェマイエルと会談。
DIA-601-1983-11-13-2アメリカ1983年11月13日1980年代(ソウル)米韓第2回首脳会談。
DIA-601-1983-11-13-3アメリカ1983年11月13日1980年代レーガン、非武装地帯訪問。
DIA-601-1983-11-14-1アメリカ1983年11月14日1980年代(ベイルート)ラムズフェルド、レバノン首相らと会談。
DIA-601-1983-11-14-2アメリカ1983年11月14日1980年代(ソウル)レーガン帰国、米韓共同声明発表。在韓米軍、戦力強化と。
DIA-601-1983-11-15-1アメリカ1983年11月15日1980年代米海軍スポークスマン、全世界の米海軍と施設に破壊活動への警戒強化命令した、と(UPI)。
DIA-601-1983-11-15-2アメリカ1983年11月15日1980年代国務省、キプロスのトルコ系独立認めぬと声明。
DIA-601-1983-11-15-3アメリカ1983年11月15日1980年代上院外交委、「台湾の将来」決議。
DIA-601-1983-11-15-4アメリカ1983年11月15日1980年代(北京)呉外相、ディーバ補佐官と会談。
DIA-601-1983-11-15-5アメリカ1983年11月15日1980年代南海石油開発て米2企業契約、Sun Oricnt開発とPennsoil社。
DIA-601-1983-11-16-1アメリカ1983年11月16日1980年代米当局、米政府、レバノンでの報復について決定しえず、国務省、統幕が報復作戦に反対、と語る。国務省はシリアとの対決、イスラム諸派の反米化、イスラム世界の反米デモ、仏・伊・英との対立拡大懸念、国防省も同様見解支持(WP、11/17)。
DIA-601-1983-11-16-2アメリカ1983年11月16日1980年代(北京)外交筋、9月28日鄧小平はワインバーガーに朝鮮平和統一で米中協力提案、ラングーン事件でこの方向挫折、と。今日、ホワイトハウスのG・シガー、中国外務省当局にレーガン訪日、訪韓ブリーフィング(WP、11/17)。
DIA-601-1983-11-17-1アメリカ1983年11月17日1980年代国防省:83年度の米兵器売却183億㌦、前年より31億減。
DIA-601-1983-11-17-2アメリカ1983年11月17日1980年代上院、84億㌦のIMF増資可決。
DIA-601-1983-11-18-1アメリカ1983年11月18日1980年代下院、84億㌦のIMF増資可決。
DIA-601-1983-11-18-2アメリカ1983年11月18日1980年代両院、84年度国防支出予算2498億㌦で可決。
DIA-601-1983-11-18-3アメリカ1983年11月18日1980年代陸軍、「第1特殊作戦部隊」、今年度内創設と発表。
DIA-601-1983-11-18-4アメリカ1983年11月18日1980年代(北京)中国、米大使に上院の台湾決議で抗議。
DIA-601-1983-11-20-1アメリカ1983年11月20日1980年代(ダマスカス)ラムズフェルド特使、シリア外相と会談。
DIA-601-1983-11-20-2アメリカ1983年11月20日1980年代(ソウル)ベッシー統幕議長訪韓。
DIA-601-1983-11-21-1アメリカ1983年11月21日1980年代クラーク内務長官就任。
DIA-601-1983-11-21-2アメリカ1983年11月21日1980年代レーガン、ヌメイリ・スーダン大統領と会談。
DIA-601-1983-11-22-1アメリカ1983年11月22日1980年代レーガン、ヘルツォグ・イスラエル大統領と会談。
DIA-601-1983-11-22-2アメリカ1983年11月22日1980年代ワインバーガー・スーダン大統領会談。
DIA-601-1983-11-22-3アメリカ1983年11月22日1980年代ワインバーガー、米海兵隊司令部テロはシリアの支援でイラン人が実行、と。
DIA-601-1983-11-22-4アメリカ1983年11月22日1980年代商務省、中国向け技術輸出。高度品の75%解除。
DIA-601-1983-11-23-1アメリカ1983年11月23日1980年代ワインバーガー、米兵力210万3000人と発表。
DIA-601-1983-11-26-1アメリカ1983年11月26日1980年代シリア軍、レバノン東部のシ軍陣地飛来の米F14を迎撃、と発表(シリア国営通信)。
DIA-601-1983-11-26-2アメリカ1983年11月26日1980年代(東京)胡耀邦、台湾問題で趙首相訪米再考も、と。
DIA-601-1983-11-28-1アメリカ1983年11月28日1980年代レーガン・シャミル会談。
DIA-601-1983-11-28-2アメリカ1983年11月28日1980年代統幕、戦艦ニュージャージーをレバノン沖無期限駐留決定(WP、11/29)。
DIA-601-1983-11-28-3アメリカ1983年11月28日1980年代ホワイトハウス、上院決議で釈明。
DIA-601-1983-11-29-1アメリカ1983年11月29日1980年代レーガン・シャミル会談。米・イ、「政治・軍事委員会」設置に合意。
DIA-601-1983-11-29-2アメリカ1983年11月29日1980年代ペンタゴン、湾岸地区に中東軍司令部洋上司令部計画と公表(WP、11/30)。
DIA-601-1983-11-30-1アメリカ1983年11月30日1980年代サウジ大使、レーガンと会談、ファハド親書手交後、米・イ協力強化批判の会見。
DIA-601-1983-11-30-2アメリカ1983年11月30日1980年代ジェマイエル大統領訪米。
DIA-601-1983-11-30-3アメリカ1983年11月30日1980年代レーガン、台湾のアジア開銀残留条件のIMF増資法にサイン。
DIA-601-1983-11-30-4アメリカ1983年11月30日1980年代(マニラ)ウォルターズ米特使、マルコスと会談。
DIA-601-1983-12-01-1アメリカ1983年12月01日1980年代ジェマイエル・レーガン会談、米、イ軍の一方的撤兵反対。
DIA-601-1983-12-02-1アメリカ1983年12月02日1980年代シュルツ長官、ジェマイエル・レバノン大統領と会談。
DIA-601-1983-12-02-2アメリカ1983年12月02日1980年代レーガン大統領、レバノンでの脅威への強力な反撃方針決定(WP、12/5)。
DIA-601-1983-12-02-3アメリカ1983年12月02日1980年代レーガン、台湾の中国人との友好後退させぬ、と。
DIA-601-1983-12-04-1アメリカ1983年12月04日1980年代国防省、米機がレバノンのシリア陣地爆撃、2機撃墜さると発表。)レーガン、レバノンで今後も報復の用意、しかしシリアとの対決拡大望まぬと言明。
DIA-601-1983-12-04-2アメリカ1983年12月04日1980年代(ベイルート)ドルーズ派、米海兵隊陣地砲撃、海兵隊員8人死亡(これで海兵隊死者255人に)。
DIA-601-1983-12-05-1アメリカ1983年12月05日1980年代シュルツ長官、ソ連のシリアへの和平圧力期待と述べる。
DIA-601-1983-12-06-1アメリカ1983年12月06日1980年代(北京)中国外務省、趙首相、1月訪米発表。
DIA-601-1983-12-07-1アメリカ1983年12月07日1980年代レーガン、IDAへ米拠出7.5億㌦と決定。
DIA-601-1983-12-07-2アメリカ1983年12月07日1980年代レーガン、レバノンに約1000人のテロリスト、大半がイラン人、が自殺攻撃のため集結、と語る。
DIA-601-1983-12-08-1アメリカ1983年12月08日1980年代ケーリー米海兵隊司令官、レバノンの米海兵隊、84年はじめに撤兵しようと語る(IHT、12/10)。
DIA-601-1983-12-08-2アメリカ1983年12月08日1980年代(ジュネーブ)米ソSTART、無期休会に。
DIA-601-1983-12-09-1アメリカ1983年12月09日1980年代国務省、アフガニスタン報告発表、ソ連軍死傷1.7万~2万人と。
DIA-601-1983-12-11-1アメリカ1983年12月11日1980年代(ラバト)シュルツ長官、モロッコ国王会談。
DIA-601-1983-12-12-1アメリカ1983年12月12日1980年代レーガン、グレナダ・レバノンでの米軍使用擁護、米軍は再建されたと主張(WP、12!13)。
DIA-601-1983-12-12-2アメリカ1983年12月12日1980年代クウェートで米・仏大使館などに爆弾テロ・国務省は米中東政策に変化なしと声明。
DIA-601-1983-12-13-1アメリカ1983年12月13日1980年代国防省当局者、レバノンで米軍は“即時報復”政策採用を決め、米偵察機への攻撃には直ちに反撃すると語る(WP、12/14)。
DIA-601-1983-12-13-2アメリカ1983年12月13日1980年代(リスボン)米、ポルトガルとアゾレス基地協定更新。
DIA-601-1983-12-14-1アメリカ1983年12月14日1980年代レーガン、シリアとは戦争していない、交渉つづける、またレバノン政府の権威が完全に崩壊すれば米海兵隊は撤退する、など語る。
DIA-601-1983-12-14-2アメリカ1983年12月14日1980年代(ダマスカス)ラムズフェルド特使訪問、シリア外相と会談。
DIA-601-1983-12-15-1アメリカ1983年12月15日1980年代政府当局者、米は来年度、イスラエルへ14億㌦、エジプトへ11億㌦の軍事贈与に同意、と。
DIA-601-1983-12-15-2アメリカ1983年12月15日1980年代(ダマスカス)ラムズフェルド・シリア外相会談。
DIA-601-1983-12-15-3アメリカ1983年12月15日1980年代(マニラ)米大使、米は比国に3億2000万㌦の緊急援助供与中と語る(朝日、12/17)。
DIA-601-1983-12-16-1アメリカ1983年12月16日1980年代マクファーレン大統領補佐官、6カ月内にもレバノン軍の強化で平和維持軍撤兵可能、と(ロイター)。
DIA-601-1983-12-16-2アメリカ1983年12月16日1980年代米政府、中国を主対象の繊維輸入規制発表。
DIA-601-1983-12-16-3アメリカ1983年12月16日1980年代ワインバーガー長官、タイ外相と会談。
DIA-601-1983-12-18-1アメリカ1983年12月18日1980年代(カイロ)ラムズフェルド・ムバラク会談。
DIA-601-1983-12-18-2アメリカ1983年12月18日1980年代(東京)日本衆議院選。自民党大幅後退。
DIA-601-1983-12-19-1アメリカ1983年12月19日1980年代下院軍事委調査小委、10月23日の海兵隊宿舎爆破で治安・情報対策の欠陥批判の報告。
DIA-601-1983-12-19-2アメリカ1983年12月19日1980年代国務省、イラクと国交再開の用意表明。
DIA-601-1983-12-19-3アメリカ1983年12月19日1980年代(バグダッド)ラムズフェルド、イラク入り。
DIA-601-1983-12-20-1アメリカ1983年12月20日1980年代レーガン記者会見、米軍のレバノン駐留継続再確認、海兵隊は政府軍の支配拡大助けるため存在、と。
DIA-601-1983-12-20-2アメリカ1983年12月20日1980年代ホプキンス下院議員、ベッシー議長ら統幕の米軍指揮者5人全員は、82年9月の米海兵隊のレバノン派遣に対し、議会秘密証言で反対したと述べる(WP、12/21)。
DIA-601-1983-12-20-3アメリカ1983年12月20日1980年代(バグダッド)ラムズフェルド、イラク大統領と会談、レーガン親書手交。
DIA-601-1983-12-20-4アメリカ1983年12月20日1980年代(トリポリ、レバノン)アラファト議長船で脱出。
DIA-601-1983-12-21-1アメリカ1983年12月21日1980年代レーガン、エジプト外相と会談。
DIA-601-1983-12-21-2アメリカ1983年12月21日1980年代米輸出入銀、商務省の反対で、韓国の製鉄コンビナート米施材購入資金供与を延期。
DIA-601-1983-12-22-1アメリカ1983年12月22日1980年代国務省、カイロでのムバラク・アラファト会談を歓迎する声明。
DIA-601-1983-12-22-2アメリカ1983年12月22日1980年代米連邦取引委、トヨタ・GM合弁暫定承認。
DIA-601-1983-12-22-3アメリカ1983年12月22日1980年代(ビェンチャン)ラオス、米調査チームに米兵遺体引渡す。
DIA-601-1983-12-23-1アメリカ1983年12月23日1980年代レーガン、米中東政策、レバノン重点から中東和平へ移行と言明。アラファト・ムバラク会談でPLOを中東和平交渉にひき入れ、米和平努力を再活性化しうると述べる(WP、12/25)。
DIA-601-1983-12-25-1アメリカ1983年12月25日1980年代ジャクソン民主党大統領候補、米捕虜釈放求めてシリアに行くと語る(WP、12/26)。
DIA-601-1983-12-26-1アメリカ1983年12月26日1980年代米当局者、米政府は先進諸国に第三世界の鉄綱業への援助手控え要請中と語る(ZH7、12/27)。
DIA-601-1983-12-27-1アメリカ1983年12月27日1980年代(ロサンゼルス)レーガン、ベイルート米海兵隊宿舎爆破の責任は自分にあると言明(WP、12/2)。
DIA-601-1983-12-27-2アメリカ1983年12月27日1980年代(東京)中曽根政権発足。
DIA-601-1983-12-28-1アメリカ1983年12月28日1980年代国防省、ベイルート・テロ報告公表、軍事介入拡大を批判。
DIA-601-1983-12-29-1アメリカ1983年12月29日1980年代米政府、84年1月、ユネスコ脱退を声明。
DIA-601-1983-12-29-2アメリカ1983年12月29日1980年代ジャクソン候補、シリアへ出発。
DIA-601-1983-12-29-3アメリカ1983年12月29日1980年代(東京)レーガン・中曽根、電話会談。
DIA-601-1983-12-31-1アメリカ1983年12月31日1980年代(ダマスカス)ジャクソン候補シリア大統領と会談。
DIA-601-1984-01-02-1アメリカ1984年01月02日1980年代(ダマスカス)ジャクソン師,アサド大統領と会見,米捕虜釈放求む。
DIA-601-1984-01-03-1アメリカ1984年01月03日1980年代レーガン,シリアの米捕虜釈放歓迎声明,しかし偵察飛行停止せず,と表明(以下,地名表示なきものは,ワシントンD. C. での出来事を意味する)。
DIA-601-1984-01-04-1アメリカ1984年01月04日1980年代ジャクソン師,釈放のグッドマン大尉とホワイトハウス訪問,レーガンと会見。レーガン,シリアを敵視せずと発言。
DIA-601-1984-01-04-2アメリカ1984年01月04日1980年代マクファーレン補佐官,下院リーダーにジェマイエルは政権拡大に努力,和解会議まもなく再開されようと説明(ワシントン・ポスト紙=WP,1/5)。
DIA-601-1984-01-04-3アメリカ1984年01月04日1980年代米輸出入銀,韓国の製鉄プロジェクトへの1億ドルのローン計画を3000万ドルの融資保証に変更(WP,1/5)。
DIA-601-1984-01-05-1アメリカ1984年01月05日1980年代(ベイルート)ラムズフェルド・ジェマイエル会談。
DIA-601-1984-01-06-1アメリカ1984年01月06日1980年代(NY)デュポン社,イランが国有化補償4275万ドル支払い発表。
DIA-601-1984-01-06-2アメリカ1984年01月06日1980年代(エルサレム)ラムズフェルド特使,シャミル首相と会談,ベイルート包括治安計画協議。
DIA-601-1984-01-07-1アメリカ1984年01月07日1980年代米政府,レバノンの新治安計画で海兵隊損失減期待(WP,1/8)。
DIA-601-1984-01-08-1アメリカ1984年01月08日1980年代ダム国務副長官,シリアがレバノン安定に協力的と評価。
DIA-601-1984-01-08-2アメリカ1984年01月08日1980年代(ベイルート)米海兵ヘリにロケット攻撃,1人死亡。
DIA-601-1984-01-10-1アメリカ1984年01月10日1980年代シリア大統領がレーガンに書簡。
DIA-601-1984-01-10-2アメリカ1984年01月10日1980年代レーガン・趙紫陽中国首相会談,米中関係強化で一致。
DIA-601-1984-01-10-3アメリカ1984年01月10日1980年代レーガン,北朝鮮の三者会談提案を中国首相から伝えられ,南北朝鮮・中・米の四者会談提唱。
DIA-601-1984-01-11-1アメリカ1984年01月11日1980年代(ベイルート)ラムズフェルド特使,イスラエルより到着。
DIA-601-1984-01-11-2アメリカ1984年01月11日1980年代(平壌放送)米韓に三者会談提案すると発表。
DIA-601-1984-01-12-1アメリカ1984年01月12日1980年代シュルツ長官,三者会談検討する,と,また六者会談有益,と。
DIA-601-1984-01-12-2アメリカ1984年01月12日1980年代趙首相,米閣僚と朝食会。米中産業技術協力協定調印,科学技術協力協定(更新)調印。
DIA-601-1984-01-13-1アメリカ1984年01月13日1980年代(ダマスカス)ラムズフェルド特使,アサド大統領と会談。アサド,レバノン撤退は他の外国軍撤兵後とラ特使に伝う,とシリア通信。
DIA-601-1984-01-16-1アメリカ1984年01月16日1980年代(ストックホルム)シュルツ,対シリア交渉不調,と(IHT,1/17)。
DIA-601-1984-01-16-2アメリカ1984年01月16日1980年代(ベイルート)右派軍とドルーズの交戦激化。ラムズフェルド・ジェマイエル会談。
DIA-601-1984-01-16-3アメリカ1984年01月16日1980年代(NY)趙首相,米中はアフガンとカンボジアで同じ立場,また米にソ連拡張阻止と台湾への年内行動求む。
DIA-601-1984-01-18-1アメリカ1984年01月18日1980年代商務省,ソ連圏へのハイテク輸出規制強化。
DIA-601-1984-01-18-2アメリカ1984年01月18日1980年代レーガン・マハティール会談。
DIA-601-1984-01-20-1アメリカ1984年01月20日1980年代国防省,スティンガー対空ミサイルを地中海・ペルシャ湾・アラビア海の米艦に配備(WP,1/21)。
DIA-601-1984-01-21-1アメリカ1984年01月21日1980年代米空軍,軍事衛星攻撃兵器第1回実験。
DIA-601-1984-01-21-2アメリカ1984年01月21日1980年代国防省当局者,米海軍はペルャシ湾の全航空機・船舶に米艦船から5マイル以上離れよと警告,と。
DIA-601-1984-01-22-1アメリカ1984年01月22日1980年代シュルツ長官,ABC会見で,ジムブラットのジェマイエル退陣要求の背後にソ連,シリアと非難。米はジェ政権強化までレバノンに米軍とどめる,と。
DIA-601-1984-01-23-1アメリカ1984年01月23日1980年代スミス司法長官辞任,後任ミース大統領顧問。
DIA-601-1984-01-23-2アメリカ1984年01月23日1980年代米政府,イランをテロ支援国と指定。
DIA-601-1984-01-23-3アメリカ1984年01月23日1980年代米・イスラエル政・軍合同委初会合。
DIA-601-1984-01-24-1アメリカ1984年01月24日1980年代オニール下院議長,レバノン米海兵隊駐留延長支持者の半数が今や引揚げ支持,と(WP,1/25)。
DIA-601-1984-01-24-2アメリカ1984年01月24日1980年代24日付IHT紙論評,「米当局は,レバノン軍の力を過大評価,またレバノン各派やシリアとの協議を軽視」と。
DIA-601-1984-01-25-1アメリカ1984年01月25日1980年代レーガン,1984年一般教書発表。
DIA-601-1984-01-25-2アメリカ1984年01月25日1980年代レーガン,両院リーダーと会合,レバノン米海兵隊で対立(WP,1/26)。
DIA-601-1984-01-27-1アメリカ1984年01月27日1980年代ペンタゴン,議会に,サウジへのマーベリック対戦車ミサイル1600基(1.19億ドル),エジプトへのスパロー・ミサイル424基(9600万ドル)売却通告。
DIA-601-1984-01-27-2アメリカ1984年01月27日1980年代ヨルダン緊急軍への装備供与方針をイスラエルに通告(IHT,1/28)。
DIA-601-1984-01-28-1アメリカ1984年01月28日1980年代(ベイルート)ラムズフェルド特使到着,ジェマイエル大統領と会談,ハリリ・サウジ特使と会談。
DIA-601-1984-01-28-2アメリカ1984年01月28日1980年代(アンマン)ラムズフェルド・ヨルダン国王会談。
DIA-601-1984-01-28-3アメリカ1984年01月28日1980年代(NY)米,日本の中進国向け大型プロジェクト援助批判,設備過剰助長,と。
DIA-601-1984-01-29-1アメリカ1984年01月29日1980年代レーガン,次期大統領選再出馬正式表明。
DIA-601-1984-01-30-1アメリカ1984年01月30日1980年代ペンタゴン,レバノンへの戦車35両追加売却,2800万ドル,議会通告(M48A5計137両)。
DIA-601-1984-01-30-2アメリカ1984年01月30日1980年代(ベイルート)ドルーズ派と政府軍の交戦で空港閉鎖。米海兵1人死亡,3人負傷(WP,1/31)。
DIA-601-1984-01-30-3アメリカ1984年01月30日1980年代(ダマスカス)ラムズフェルド・シリア外相会談。
DIA-601-1984-01-31-1アメリカ1984年01月31日1980年代モンゴメリー下院議員,レバノン米兵2ヵ月内撤兵要求決議提出。
DIA-601-1984-01-31-2アメリカ1984年01月31日1980年代(NY)ウォルフォウィッツ国防次官補,米は北の三者会談提案を注意深く検討,と。
DIA-601-1984-02-01-1アメリカ1984年02月01日1980年代ワインバーガー,1985年度国防報告を議会に提出。レーガン85年度予算教書,議会提出。
DIA-601-1984-02-01-2アメリカ1984年02月01日1980年代(ソウル)「チーム・スピリット84」演習開始。
DIA-601-1984-02-02-1アメリカ1984年02月02日1980年代(カラカス)シュルツ,ベイルートでの左派大攻勢でシリア,リビア,イラン非難。
DIA-601-1984-02-03-1アメリカ1984年02月03日1980年代レーガン,レバノン撤兵せぬ,米対外政策破綻の恐れ,と(ウォール・ストリート・ジャーナル)。
DIA-601-1984-02-03-2アメリカ1984年02月03日1980年代(テルアビブ)シャミール・ラムズフェルド会談。
DIA-601-1984-02-03-3アメリカ1984年02月03日1980年代(バグダッド)サダム・フセイン大統領,マーフィー国務次官補と会見。
DIA-601-1984-02-05-1アメリカ1984年02月05日1980年代ブッシュ副大統領,レバノン・ワザン内閣辞職でより広汎な諸派を含む政権を生み出しうるかもしれぬとして,レバノンの将来悲観せぬ,と(ロイター)。
DIA-601-1984-02-06-1アメリカ1984年02月06日1980年代ウォルフォウィッツ次官補,85年度の東南ア・太平洋援助8億890万ドル,と,またカムラン湾にソ連爆撃機と証言。
DIA-601-1984-02-07-1アメリカ1984年02月07日1980年代ボルカー議長,米が債務国転落の危機と。
DIA-601-1984-02-07-2アメリカ1984年02月07日1980年代(サンタバーバラ)レーガン大統領,ベイルートの米海兵隊の第6艦隊への段階的移駐を命令。
DIA-601-1984-02-08-1アメリカ1984年02月08日1980年代米政府筋,レーガンは2月1日,軍事・外交見通しについて暗い報告を受け,レバノン米海兵隊撤兵を原則的に受諾,8日に発表を予定していたが,事態の急変で発表早めた,と(WP,2/9)。
DIA-601-1984-02-08-2アメリカ1984年02月08日1980年代(サンタバーバラ)ホワイトハウス報道官,米はレバノン政府防衛の約束放棄せぬ,第6艦隊を通じ防衛し,必要あれば,海兵隊再投入ありうる,と。また米海兵撤収決定は基本的には2週間前,最終2月5日,と(UPI)。
DIA-601-1984-02-09-1アメリカ1984年02月09日1980年代ワインバーガー,米艦砲撃は米がレバノンを見捨てぬ証拠,海兵隊は2~3マイル移動したのみ,と(UPI)。
DIA-601-1984-02-09-2アメリカ1984年02月09日1980年代(モスクワ)アンドロポフ書記長死亡。午後4時50分。
DIA-601-1984-02-10-1アメリカ1984年02月10日1980年代(ベイルート)米民間人1000人引揚げ。
DIA-601-1984-02-13-1アメリカ1984年02月13日1980年代レーガン・フセイン・ヨルダン国王会談。
DIA-601-1984-02-13-2アメリカ1984年02月13日1980年代(モスクワ)チェルネンコ書記長選出。
DIA-601-1984-02-14-1アメリカ1984年02月14日1980年代レーガン,ムバラク,フセイン三者会談。包括和平が急務で一致。
DIA-601-1984-02-15-1アメリカ1984年02月15日1980年代シュルツ長官,レバノン問題は政治解決しかない,現地訪問用意,と。レーガン,洋上の米海兵隊,陸上にいるのと同じ期間レバノン沖にとどまる,と。
DIA-601-1984-02-16-1アメリカ1984年02月16日1980年代ホワイトハウス当局者,米海兵隊ベイルート撤兵2,3日内開始,約500人が大使館警護と政府軍訓練で残留,と語る(WP,2/17)。国務省,ジェマイエル,サウジ8項提案―ジェ大統領存続,イ・レ協定破棄,各派新協議,イ・シ軍のUN軍代替―受諾を米に通告,と。
DIA-601-1984-02-16-2アメリカ1984年02月16日1980年代(シンガポール)ソ連空母ノボロシスク極東へ。
DIA-601-1984-02-17-1アメリカ1984年02月17日1980年代国防省,イスラエルのLavi戦闘機開発に2.5億ドル融資と。
DIA-601-1984-02-17-2アメリカ1984年02月17日1980年代ホワイトハウス,レーガンがベイルート海兵隊の洋上撤収公式に承認と発表。レーガン,レバノン政策の失敗否定,レバノンは中東全問題の一部,その内乱が問題を悪化させたのみ,と(WP,2/18)。
DIA-601-1984-02-17-3アメリカ1984年02月17日1980年代ジェマイエル,サウジ案受け入れ発表。シリアは拒否(ベイルート放送)。
DIA-601-1984-02-19-1アメリカ1984年02月19日1980年代レーガン政権,81年8月から82年5月までアラファトと秘密接触,と(NYT2/19)。
DIA-601-1984-02-19-2アメリカ1984年02月19日1980年代マクファーレン補佐官,レーガンは秘密接触知らず,と(WP,2/20)。
DIA-601-1984-02-19-3アメリカ1984年02月19日1980年代(ハノイ)米政府代表甲,訪趣。
DIA-601-1984-02-21-1アメリカ1984年02月21日1980年代(ハノイ)グェン・コ・タク,米・越,不明米兵調査継続で合意,また2490人米兵情報追加提供と。
DIA-601-1984-02-22-1アメリカ1984年02月22日1980年代シュルツ,上院外交委で,レーガン政権はPLOと間接に接触もったが,成果なかった,と(ロイター)。
DIA-601-1984-02-22-2アメリカ1984年02月22日1980年代レーガン,ホルムズ封鎖許さぬ,米海兵隊のレバノン再派遣ありうる,と記者会見で。
DIA-601-1984-02-22-3アメリカ1984年02月22日1980年代米,レバノンへの武器輸出停止。
DIA-601-1984-02-22-4アメリカ1984年02月22日1980年代ポルドリッジ長官・下院小委で,対中技術輸出さらに緩和,今年は前年の倍20億ドルへ,と。
DIA-601-1984-02-23-1アメリカ1984年02月23日1980年代国防省報道官,ペルシャ湾・インド洋に米艦30隻,ソ連艦19隻,と。ミッドウェーなど。
DIA-601-1984-02-25-1アメリカ1984年02月25日1980年代(ベイルート)停戦発効,米海兵戦闘部隊撤収開始。米艦,山岳部を砲撃。
DIA-601-1984-02-26-1アメリカ1984年02月26日1980年代(ベイルート)米海兵隊,大使館警備の約100人残し,洋上に撤収。
DIA-601-1984-02-27-1アメリカ1984年02月27日1980年代米当局者,レバノン和平工作に米が積極的介入していない,と(IHT,2/29)。
DIA-601-1984-02-27-2アメリカ1984年02月27日1980年代国務省,イラクのタンカー攻撃に重大懸念表明。
DIA-601-1984-02-28-1アメリカ1984年02月28日1980年代バンダル駐米サウジ大使,シュルツ長官にファハド親書手交,イ・レ協定破棄されてもレバノンから手を引かぬよう求む。
DIA-601-1984-02-28-2アメリカ1984年02月28日1980年代下院外交委アジア小委,85年度の対比援助1.8億ドルの内容を政府案(軍8500万,経9500万)から軍2500万,経1.55億に変えるソラーズ提案可決(WP,2/29)。
DIA-601-1984-02-28-3アメリカ1984年02月28日1980年代(KL)ダム国務次官・ガザリ外相らと会談。
DIA-601-1984-02-29-1アメリカ1984年02月29日1980年代国務省,サウジへのスティンガー・ミサイル,1200基(1.41億ドル)売却計画公表。
DIA-601-1984-02-29-2アメリカ1984年02月29日1980年代(レバノン沖,空母グァム)ワインバーガー,イ・レ協定破棄,イ・シ軍撤兵につながれば受入れ用意,と。 (ベイルート)米顧問団(80人),レバノン軍訓練再開,政府戦闘員1万2000人と米軍報道官(WP,3/1)。
DIA-601-1984-03-01-1アメリカ1984年03月01日1980年代シュルツ長官,上院予算小委で,議会の論争がレバノンでの米の信用を傷つけたと批判(WP,3/2)。
DIA-601-1984-03-01-2アメリカ1984年03月01日1980年代国防省,ヨルダンへのスティンガー・ミサイル1600(1.33億ドル)売却計画公表。
DIA-601-1984-03-01-3アメリカ1984年03月01日1980年代(ジャカルタ)ダム米国務次官,スハルト,モフタルと会談,カンボジア,ベトナムの討議。
DIA-601-1984-03-02-1アメリカ1984年03月02日1980年代米国防省,中国の訪米軍代表団と兵器取引協議中,と。
DIA-601-1984-03-02-2アメリカ1984年03月02日1980年代米政府,イラク・ヨルダン・パイプライン計画に大きな役割と政府筋言明(IHT,3/3)。
DIA-601-1984-03-03-1アメリカ1984年03月03日1980年代(ニューデリー)シャーファー米国務次官補代理,米は南アジアに基地求めぬと声明。
DIA-601-1984-03-04-1アメリカ1984年03月04日1980年代(ベイルート)政府,各派が停戦合意と発表。
DIA-601-1984-03-05-1アメリカ1984年03月05日1980年代国務省,イラクの化学兵器使用非難声明。
DIA-601-1984-03-05-2アメリカ1984年03月05日1980年代(ベイルート)レバノン政府,イスラエルとの撤兵協定破棄を決定。
DIA-601-1984-03-05-3アメリカ1984年03月05日1980年代米国務省,協定破棄遺憾と声明。
DIA-601-1984-03-06-1アメリカ1984年03月06日1980年代ベッシィ統幕議長,米軍の実際の戦闘能力,3年前より向上,と(WP,3/7)。
DIA-601-1984-03-07-1アメリカ1984年03月07日1980年代レーガン,フェアバンクス中東次席特使解任,無任所大使に。環太平洋問題特使に。
DIA-601-1984-03-10-1アメリカ1984年03月10日1980年代(イスラマバード)米よりF16C6機到着,計12機に。
DIA-601-1984-03-10-2アメリカ1984年03月10日1980年代(北京)中国,米が85年度に台湾へ7億6000万ドルの兵器売却決定したことに抗議。
DIA-601-1984-03-11-1アメリカ1984年03月11日1980年代中国軍事代表団,ワシントンで10日滞在し先週帰国,対空,対戦車兵器に関心(WP,3/12)。
DIA-601-1984-03-12-1アメリカ1984年03月12日1980年代(ローザンヌ)レバノン和解会議開く。
DIA-601-1984-03-13-1アメリカ1984年03月13日1980年代レーガン,ユダヤ系米人に,シリア・イランからの防衛のためにヨルダンへの軍事援助増が米,イスラエルの戦略的利益となると訴う(WP,3/14)。
DIA-601-1984-03-14-1アメリカ1984年03月14日1980年代(アンマン)ヨルダン国王,米はイスラエル一方的支持で和平調停資格失う,と非難(NYT,3/15)。
DIA-601-1984-03-15-1アメリカ1984年03月15日1980年代国務省,ヨルダン王の非難に遺憾表明,しかし軍事的援助計画変えず,と(WP,3/16)。
DIA-601-1984-03-16-1アメリカ1984年03月16日1980年代米陸軍長官,今月中に沖縄に特殊作戦部隊(SOF)150人配備,残り250~300人は9月,と発表。
DIA-601-1984-03-16-2アメリカ1984年03月16日1980年代米政府,85年度基地建設費50%増額要求,84年度の71億から103億ドルへ。オマーン,ディエゴガルシア,スペイン,シシリー,ホンデュラス,アイスランド等,海外は21億ドル(WP,3/17)
DIA-601-1984-03-16-3アメリカ1984年03月16日1980年代(ベイルート)米外交官バックレー誘拐。政治担当官(55歳)。
DIA-601-1984-03-18-1アメリカ1984年03月18日1980年代CBSTV,フセイン・ヨルダン国王,米が武器供与せねばソ連に求めることも,と(WP,3/19)。
DIA-601-1984-03-18-2アメリカ1984年03月18日1980年代(北京)リーガン財務長官訪中。
DIA-601-1984-03-19-1アメリカ1984年03月19日1980年代国防省,AWACS2機カイロ派遣と発表。
DIA-601-1984-03-19-2アメリカ1984年03月19日1980年代(北京)米中経済合同委第4次会議,リーガン長官対中技術輸出に積極姿勢。
DIA-601-1984-03-20-1アメリカ1984年03月20日1980年代シュルツ,フセイン発言で米のスティンガーミサイル売却計画に大きな障害,と(WP,3/21)。シュルツ・リビアのスーダン爆撃非難。
DIA-601-1984-03-20-2アメリカ1984年03月20日1980年代(北京)リーガン・陳貿易相会談。
DIA-601-1984-03-21-1アメリカ1984年03月21日1980年代ホワイトハウス,サウジとヨルダンへの「スティンガー対空ミサイル」売却計画撤回発表。
DIA-601-1984-03-21-2アメリカ1984年03月21日1980年代日本海で米空母キティホークとソ連原潜が衝突,双方に軽い損傷(午後10時07分)。
DIA-601-1984-03-21-3アメリカ1984年03月21日1980年代(北京)外務省,レーガン訪中4月26日~5月1日と発表。リーガン・王財務相,米中租税協定仮調印。
DIA-601-1984-03-22-1アメリカ1984年03月22日1980年代国防省,シンガポールへのF16(8機)売却,議会通告。
DIA-601-1984-03-22-2アメリカ1984年03月22日1980年代国務省,85年度アジア援助発表,対比援助53%増。
DIA-601-1984-03-22-3アメリカ1984年03月22日1980年代(カイロ)ラムズフェルド特使訪エ。
DIA-601-1984-03-23-1アメリカ1984年03月23日1980年代レーガン,イーグルバーガー国務次官の後任にマイケル・アーマコースト駐比大使任命。駐比大使にはボスワース政策企画室長。
DIA-601-1984-03-23-2アメリカ1984年03月23日1980年代ホワイトハウス,先端技術輸出許可権を商務省から国防省にとの方針発表。
DIA-601-1984-03-23-3アメリカ1984年03月23日1980年代(エルサレム)ラムズフェルド・シャミル会談。
DIA-601-1984-03-23-4アメリカ1984年03月23日1980年代(バグダッド)バスラ~アブカイク間パイプラインで米ブラウン&ルーツ社とイラク政府,このほど計画設計契約(朝日,3/24)。
DIA-601-1984-03-24-1アメリカ1984年03月24日1980年代(パリ)仏国防省,ベイルート派遣軍1250人,月内完全撤兵を発表。
DIA-601-1984-03-24-2アメリカ1984年03月24日1980年代(ソウル)米韓演習の米ヘリ墜落。米海兵18人,韓国兵11人死亡。
DIA-601-1984-03-25-1アメリカ1984年03月25日1980年代(ソウル)リーガン長官訪韓。
DIA-601-1984-03-26-1アメリカ1984年03月26日1980年代(クウェート)ラムズフェルド特使,クウェート首長と会見。
DIA-601-1984-03-27-1アメリカ1984年03月27日1980年代ハート議員,ペルシャ湾戦争で地上戦は日欧軍,米は空・海分担すべし,と。
DIA-601-1984-03-28-1アメリカ1984年03月28日1980年代(リヤド)ラムズフェルド・ファハド国王会談。
DIA-601-1984-03-28-2アメリカ1984年03月28日1980年代レーガン,米大使館のエルサレム移転を最も賢明ではないと否定(NYT,IHT,3/30)。
DIA-601-1984-03-29-1アメリカ1984年03月29日1980年代(ベイルート)ラムズフェルド,レバノン政府支持再確認。
DIA-601-1984-03-30-1アメリカ1984年03月30日1980年代レーガン,レバノン多国籍軍への米軍参加打切り,議会に通告。
DIA-601-1984-03-30-2アメリカ1984年03月30日1980年代国務省,イラクへの化学物質輸出規制発表。
DIA-601-1984-03-30-3アメリカ1984年03月30日1980年代(マニラ)比大統領府,レーガン書簡,対比援助約束の結果わからぬ,と伝うと発表(共同)。
DIA-601-1984-04-01-1アメリカ1984年04月01日1980年代シュルツ長官,在イ大使館のエルサレム移転拒否する,と。またレバノン政策失敗認む。
DIA-601-1984-04-01-2アメリカ1984年04月01日1980年代南シナ海でミンスク,米フリゲート艦に照明弾発射3発命中(UPI,4/2)。
DIA-601-1984-04-02-1アメリカ1984年04月02日1980年代(Cesme,トルコ)ワインバーガー・トルコ国防相会談。
DIA-601-1984-04-03-1アメリカ1984年04月03日1980年代シュルツ,国家支援テロへの積極的対応主張,事前行動示唆(WP,4/4)。
DIA-601-1984-04-04-1アメリカ1984年04月04日1980年代レーガン,議会の外交介入非難。
DIA-601-1984-04-05-1アメリカ1984年04月05日1980年代(北京)オクシデンタル石油,山西炭鉱開発で中国と調印。
DIA-601-1984-04-06-1アメリカ1984年04月06日1980年代レーガン,80年代の米外交課題で演説。米議会が中米,レバノンで米政策損なったとし,超党派の米外交協力求む(WP,4/7)。
DIA-601-1984-04-06-2アメリカ1984年04月06日1980年代労働省:3月失業率7.8%,FRB,公定歩合8.5→9%引き上げ(4月9日より)発表。
DIA-601-1984-04-06-3アメリカ1984年04月06日1980年代レーガン,ベッシー統幕議長の再任発表。
DIA-601-1984-04-06-4アメリカ1984年04月06日1980年代国務省報道官,スティンガーミサイルをサウジへ貸与(リース)する方針原則決定,と(WP,4/7),4基説(IHT,4/7)。
DIA-601-1984-04-07-1アメリカ1984年04月07日1980年代山村・ブロック会談。牛肉輸入,年6900トン増(87年度まで)で決着。
DIA-601-1984-04-08-1アメリカ1984年04月08日1980年代シュルツ長官,4月6日,米は朝鮮南北会談に米中オブザーバー参加提案中と語る(WP,4/8)。
DIA-601-1984-04-09-1アメリカ1984年04月09日1980年代ブッシュ,イランへの対抗に周辺国への米武器売却擁護。
DIA-601-1984-04-09-2アメリカ1984年04月09日1980年代石橋代表団・シュルツ長官会談。三者会談実現求む。
DIA-601-1984-04-09-3アメリカ1984年04月09日1980年代(北京)米インターナショナル・ベクトルCo., 中国石炭開発総公司と合弁協定。
DIA-601-1984-04-10-1アメリカ1984年04月10日1980年代ペンタゴン,AWACS2機,エジプトより帰米,と。
DIA-601-1984-04-10-2アメリカ1984年04月10日1980年代ワインバーガー,ソ連軍事力報告発表。
DIA-601-1984-04-11-1アメリカ1984年04月11日1980年代国務省,イラク支援でマーフィ次官補,中東訪問中,と。
DIA-601-1984-04-11-2アメリカ1984年04月11日1980年代(カーブル)アフガン政府,米三等書記官に退去命令。
DIA-601-1984-04-12-1アメリカ1984年04月12日1980年代上院外交委,中米分除き85年度対外援助111億ドル可決。
DIA-601-1984-04-13-1アメリカ1984年04月13日1980年代レーガン・プレム首相会談。F16供与協議。ペンタゴン,F16/79の売却も検討。レーガン,タイへM48戦車40両(3000万ドル)追加売却計画を発表。米・タイ科学技術協定調印(マWP,V君4/14)。
DIA-601-1984-04-15-1アメリカ1984年04月15日1980年代レーガン,テロリストへの先制攻撃原則承認。
DIA-601-1984-04-16-1アメリカ1984年04月16日1980年代(アンカラ)トルコ,米RDFの中東介入への基地使用拒否,ソ連侵攻時のみ許可。
DIA-601-1984-04-16-2アメリカ1984年04月16日1980年代(マニラ)ブロック米通商代表訪比。
DIA-601-1984-04-16-3アメリカ1984年04月16日1980年代(北京)米中原子力交渉開始。
DIA-601-1984-04-17-1アメリカ1984年04月17日1980年代(NY)ヘイグ前国務長官,イ軍レバノン侵攻時,クラーク顧問は国連でのイスラエル制裁に賛同しようとし,ワインバーガーはイスラエルへの武器禁輸求めた,と,ABCTV会見で語る(WP,4/18)。
DIA-601-1984-04-18-1アメリカ1984年04月18日1980年代(ジュネーブ)軍縮会議,ブッシュ米副大統領,化学兵器禁止条約案提案。
DIA-601-1984-04-19-1アメリカ1984年04月19日1980年代商務省,第1四半期,GNP,年率8.3%成長と発表。
DIA-601-1984-04-20-1アメリカ1984年04月20日1980年代国務省,ベトナムは米人混血児のリスト提出しないと非難。
DIA-601-1984-04-20-2アメリカ1984年04月20日1980年代(北京)米ヒューレット・パッカード社,エレクトロニクスで4月12日中国と合弁契約。
DIA-601-1984-04-21-1アメリカ1984年04月21日1980年代(カイロ)マーフィ国務次官,ムバラク大統領と会談。
DIA-601-1984-04-21-2アメリカ1984年04月21日1980年代(北京)原子力協議の米代表団帰国,合意なし。
DIA-601-1984-04-22-1アメリカ1984年04月22日1980年代ベトナム,米ベトナム退役軍人会と3ヵ月毎の定期協議求む(IHT,4/23)。
DIA-601-1984-04-23-1アメリカ1984年04月23日1980年代国防省,戦艦アイオワ,4月28日再就役と発表。
DIA-601-1984-04-23-2アメリカ1984年04月23日1980年代(サンフランシスコ)ワインバーガー,日本にシーレーン防衛強化求む。
DIA-601-1984-04-24-1アメリカ1984年04月24日1980年代(ホノルル)レーガン,訪中目的は拡張主義反対,と。
DIA-601-1984-04-25-1アメリカ1984年04月25日1980年代国防省,米制服兵士数213万9733人と発表。
DIA-601-1984-04-25-2アメリカ1984年04月25日1980年代米情報当局者,イランはイラク国境に17万5000人配備,しかしイランは,軍事物資不足,軍将官と宗教リーダーとの緊張,イラク軍の反撃力向上のため,イラクに大規模攻撃かけられぬ,と(WP,4/26)。
DIA-601-1984-04-26-1アメリカ1984年04月26日1980年代(北京)レーガン訪中。李先念主席と会見。米中原子協定合意発表。
DIA-601-1984-04-27-1アメリカ1984年04月27日1980年代(北京)レーガン・趙首相会談。台湾兵器漸減,技術輸出拡大,張国防相6月訪米合意。レーガン・胡総書記会談,胡訪米受託。趙首相が歓迎宴。中国TV,対ソ非難カットしレーガン演説放映。
DIA-601-1984-04-28-1アメリカ1984年04月28日1980年代(北京)レーガン・鄧小平会談,鄧,米軍増強反対せぬ,と。レーガン,万里の長城へ。レーガン,趙首相招き答礼宴。レーガン,中国TV会見。米,中国のレーガン演説放映カットに遺憾表明。張国防相,武器輸入でアミテージ国防次官補と会談。呉外相・シュルツ会談。米中,光ファイバー技術援助協定。
DIA-601-1984-04-29-1アメリカ1984年04月29日1980年代(北京)胡総書記,日本民社代表団に,レーガン訪中で相互理解進む,米軍増強は他国の脅威とならぬよう,と。レーガン,西安へ日帰り旅行。中国,オクシデンタル石油と大規模石炭開発契約調印。
DIA-601-1984-04-30-1アメリカ1984年04月30日1980年代(上海)レーガン,復旦大学で講演。
DIA-601-1984-04-30-2アメリカ1984年04月30日1980年代米中原子力協定仮調印。
DIA-601-1984-05-01-1アメリカ1984年05月01日1980年代(ソウル)シュルツ訪韓,李外相と会談。
DIA-601-1984-05-01-2アメリカ1984年05月01日1980年代(上海)レーガン帰国。
DIA-601-1984-05-02-1アメリカ1984年05月02日1980年代(ソウル)シュルツ・全斗煥会談。
DIA-601-1984-05-02-2アメリカ1984年05月02日1980年代(羽田)シュルツ長官,訪中結果を日本に伝達。
DIA-601-1984-05-03-1アメリカ1984年05月03日1980年代(ワ)ワインバーガー,85年度国防予算要求額を139億ドル削減(3050億→2911億ドルに)。前年比7.8%増。
DIA-601-1984-05-03-2アメリカ1984年05月03日1980年代(ジャカルタ)ウォルフォウィッツ次官補,訪イ。
DIA-601-1984-05-05-1アメリカ1984年05月05日1980年代(ワ)マーフィ次官補,アラブ系米人全国連盟で演説,米は中東和平仲介役つづける,と(UPI)。
DIA-601-1984-05-06-1アメリカ1984年05月06日1980年代(ソウル)北朝鮮,中国通じ,レーガン訪中時秘密会談提案,しかし米拒否と韓国筋(IHT,5/7)。
DIA-601-1984-05-07-1アメリカ1984年05月07日1980年代(ソウル)米韓軍事委員会開く。
DIA-601-1984-05-07-2アメリカ1984年05月07日1980年代(東富士)米陸軍RDF150人演習開始。
DIA-601-1984-05-08-1アメリカ1984年05月08日1980年代(モスクワ)「タス」:ソ連オリンピック委,ロサンゼルス五輪ボイコット声明。
DIA-601-1984-05-08-2アメリカ1984年05月08日1980年代(東京)ブッシュ副大統領訪日,安倍外相と会談。
DIA-601-1984-05-08-3アメリカ1984年05月08日1980年代(ソウル)ワインバーガー訪韓。
DIA-601-1984-05-09-1アメリカ1984年05月09日1980年代(ベイルート)イスラム聖戦団,3人の米人誘拐,抑留中とAFPに電話。
DIA-601-1984-05-09-2アメリカ1984年05月09日1980年代(ソウル)第16回米韓安保協開く。
DIA-601-1984-05-09-3アメリカ1984年05月09日1980年代(ワ)米中通商貿易合同委会合。
DIA-601-1984-05-09-4アメリカ1984年05月09日1980年代(東京)中曽根・ブッシュ昼食会。
DIA-601-1984-05-10-1アメリカ1984年05月10日1980年代(ワ)下院,来年度対外援助法,中米含め,人権制限なしに211:206で可決。
DIA-601-1984-05-10-2アメリカ1984年05月10日1980年代(ソウル)米韓安保協終了。朝鮮半島の不安除去で一致と両国国防相。F5共同生産へ。
DIA-601-1984-05-10-3アメリカ1984年05月10日1980年代(ジャカルタ)ブッシュ副大統領訪イ。
DIA-601-1984-05-10-4アメリカ1984年05月10日1980年代(ワ)二階堂自民党副総裁,レーガン大統領と会談。
DIA-601-1984-05-11-1アメリカ1984年05月11日1980年代(ジャカルタ)スハルト・ブッシュ会談。
DIA-601-1984-05-11-2アメリカ1984年05月11日1980年代(東京)ワインバーガー,中曽根首相らと会談。
DIA-601-1984-05-11-3アメリカ1984年05月11日1980年代(ワ)二階堂副総裁,米商務長官会談。
DIA-601-1984-05-12-1アメリカ1984年05月12日1980年代(ジャカルタ)ブッシュ,米中改善でASEAN犠牲にせぬ,と。
DIA-601-1984-05-12-2アメリカ1984年05月12日1980年代(ニューデリー)ブッシュ副大統領訪印。
DIA-601-1984-05-13-1アメリカ1984年05月13日1980年代(ワ)下院,85年度対比軍事援助2500万ドル廃止案259:149で否決。
DIA-601-1984-05-14-1アメリカ1984年05月14日1980年代(ニューデリー)ブッシュ・ガンジー会談。
DIA-601-1984-05-15-1アメリカ1984年05月15日1980年代(ワ)レーガン政権の4年間で戦闘即応力強化されたと国防省報告。
DIA-601-1984-05-15-2アメリカ1984年05月15日1980年代ホワイトハウス報道官,イランが船舶攻撃開始の証拠,と。
DIA-601-1984-05-16-1アメリカ1984年05月16日1980年代(ワ)国務省報道官,サウジ・タンカー攻撃はイラン機と。
DIA-601-1984-05-16-2アメリカ1984年05月16日1980年代サウジ大使,シュルツ長官と会談。
DIA-601-1984-05-16-3アメリカ1984年05月16日1980年代(イスラマバード)ブッシュ・ハク会談。ブッシュ対パ軍事援助最優先と。
DIA-601-1984-05-17-1アメリカ1984年05月17日1980年代(ワ)レーガン,安保担当者とペルシャ湾協議。
DIA-601-1984-05-17-2アメリカ1984年05月17日1980年代上院外交委でウォルフォウィッツ次官補,中国は朝鮮公式討議に参加せぬと米に表明,と。
DIA-601-1984-05-17-3アメリカ1984年05月17日1980年代(カイバル峠,パキスタン)ブッシュ副大統領,アフガン国境視察。
DIA-601-1984-05-18-1アメリカ1984年05月18日1980年代(ワ)ラムズフェルド中東特使辞任,後任任命せぬとホワイトハウス発表。
DIA-601-1984-05-18-2アメリカ1984年05月18日1980年代(ヒューストン)キングストン中東司令部司令官,兵力30万人がペルシャ湾出動態勢と。
DIA-601-1984-05-19-1アメリカ1984年05月19日1980年代(オマーン)ブッシュ副大統領・カブス首長会談。
DIA-601-1984-05-19-2アメリカ1984年05月19日1980年代(ワ)米政府筋,ガルフ戦争の次のエスカレーションはサウジ空軍のイラン機との戦闘介入と予測(WP,5/20)
DIA-601-1984-05-21-1アメリカ1984年05月21日1980年代(ワ)ワインバーガー・サウジ大使会談。
DIA-601-1984-05-21-2アメリカ1984年05月21日1980年代米当局者,サウジがダーラン空港使用許可すれば,2日内に米F15中隊(24機)派遣とサウジに伝えた,と(IHT,5/23)。
DIA-601-1984-05-21-3アメリカ1984年05月21日1980年代(リヤド)マーフィ米国務次官補,湾岸防衛でレーガン親書,サウジ政府に伝達。
DIA-601-1984-05-22-1アメリカ1984年05月22日1980年代(ワ)レーガン,ペルシャ湾米軍介入否定。
DIA-601-1984-05-23-1アメリカ1984年05月23日1980年代(ワ)国務省,ヨルダン緊急軍への2.2億ドル予算,ヨルダンとの協議で一時棚上げ決定,と。
DIA-601-1984-05-23-2アメリカ1984年05月23日1980年代ワインバーガー,米海軍がイスラエルの無人偵察機を購入した,と(WP,5/24)。
DIA-601-1984-05-25-1アメリカ1984年05月25日1980年代(ベイルート)バーソロミュー米大使,ナビ・ベリ南レバノン担当相と会談。
DIA-601-1984-05-28-1アメリカ1984年05月28日1980年代(ワ)アーリントン墓地無名戦士の墓にベトナム戦唯1人の無名戦死者埋葬式。レーガン,ベトナムで戦った全兵士は,「人間の尊厳と世界の自由な人々のために戦った」と。またハノイに米不明兵士2489人の説明求む。
DIA-601-1984-05-29-1アメリカ1984年05月29日1980年代(ワ)米,サウジにスティンガー・ミサイル400基供与,KC-10給油機派遣したと国務省声明。
DIA-601-1984-05-29-2アメリカ1984年05月29日1980年代レーガン,中東和平提案あきらめぬが,レバノン解決失敗で後退した,と。
DIA-601-1984-05-30-1アメリカ1984年05月30日1980年代(ワ)ワインバーガー,アレンス・イスラエル国防相と会談。
DIA-601-1984-05-30-2アメリカ1984年05月30日1980年代(北京)藩陽に米領事館開設。
DIA-601-1984-05-30-3アメリカ1984年05月30日1980年代(マニラ)カークパトリック米国連大使,マルコスと会談。
DIA-601-1984-05-31-1アメリカ1984年05月31日1980年代(ワ)国防省報道官,クウェートへのスティンガー・ミサイル輸出意図なしと,またガルフ諸国の必要は西欧諸国が充たしうると言明。
DIA-601-1984-05-31-2アメリカ1984年05月31日1980年代レーガン,ペルシャ湾危機でソ連と協議中と。
DIA-601-1984-06-01-1アメリカ1984年06月01日1980年代(アイルランド)レーガン訪問。
DIA-601-1984-06-01-2アメリカ1984年06月01日1980年代(ソウル)在韓米軍司令官にリブシー大将。
DIA-601-1984-06-03-1アメリカ1984年06月03日1980年代(マニラ)米大使館,米政府,マニラの貧困家庭用に400万ドルの食料援助供与中,と(WP,6/4)。
DIA-601-1984-06-04-1アメリカ1984年06月04日1980年代米政府はイラン・イラク戦争がペルシャ湾へ拡大する危機に対して,(1)石油戦略備蓄分の活用,(2)イラクの石油輸出拡大への協力など非軍事的手段でのイラク支援,(3)イランへの武器禁輸とイラクへの武器売却抑制,(4)サウジアラビアその他湾岸諸国に対する軍事的支援,等を中心とした対策を立てている(WP,6/4)。
DIA-601-1984-06-04-2アメリカ1984年06月04日1980年代(ダブリン)レーガン,軍縮と地域紛争でソ連に対話求める。
DIA-601-1984-06-05-1アメリカ1984年06月05日1980年代(ロンドン)レーガン・サッチャー会談。
DIA-601-1984-06-05-2アメリカ1984年06月05日1980年代(リヤド)サウジのF15戦闘機,イランのF4ファントム1機をミサイルで撃墜,ペルシャ湾のサウジ沿岸で。米AWACSが支援。
DIA-601-1984-06-05-3アメリカ1984年06月05日1980年代(ワ)米,AWACS4機のサウジ派遣発表。
DIA-601-1984-06-05-4アメリカ1984年06月05日1980年代(ロンドン)シュルツ・イスラエル国防相会談。
DIA-601-1984-06-05-5アメリカ1984年06月05日1980年代(ワ)オルマー商務次官,米中技術協力調査費137万ドルを米が供与,と。
DIA-601-1984-06-05-6アメリカ1984年06月05日1980年代(東京)ブロック米農務長官来日。
DIA-601-1984-06-06-1アメリカ1984年06月06日1980年代(ワ)米空母「アメリカ」,インド洋入り。
DIA-601-1984-06-06-2アメリカ1984年06月06日1980年代国防省,タイへ戦車M48(40両)売却議会通告。
DIA-601-1984-06-07-1アメリカ1984年06月07日1980年代(ワ)国防省,ペルシャ湾で米船護衛にあらゆる措置,と。
DIA-601-1984-06-07-2アメリカ1984年06月07日1980年代(ロンドン)先進国サミット開催。
DIA-601-1984-06-07-3アメリカ1984年06月07日1980年代日米首脳会議,新ラウンド,石油緊急対策合意。
DIA-601-1984-06-08-1アメリカ1984年06月08日1980年代(ワ)米軍の即応力不足と米議会会計検査院報告。
DIA-601-1984-06-08-2アメリカ1984年06月08日1980年代(ロンドン)サミット,民主主義宣言。
DIA-601-1984-06-09-1アメリカ1984年06月09日1980年代(ロンドン)サミット閉会。経済宣言。東西関係,テロ,イ・イ戦で声明。
DIA-601-1984-06-10-1アメリカ1984年06月10日1980年代米政府,第三世界紛争に介入しうる軍事力強化中(WP,6/10)。
DIA-601-1984-06-11-1アメリカ1984年06月11日1980年代(ワ)国防総省,ICBMの迎撃実験成功。
DIA-601-1984-06-11-2アメリカ1984年06月11日1980年代マーフィ国務次官補,サウジのイラン機撃墜は米の武器売却の正しさ証明,と(WP,6/12)。
DIA-601-1984-06-11-3アメリカ1984年06月11日1980年代中国国防相,ワインバーガー長官と会見。
DIA-601-1984-06-12-1アメリカ1984年06月12日1980年代(ワ)中国国防相・ワインバーガー会談。
DIA-601-1984-06-12-2アメリカ1984年06月12日1980年代レーガン大統領とも会見。
DIA-601-1984-06-12-3アメリカ1984年06月12日1980年代米海外民間投資公社,米社のランドサット地上局対中輸出に470万ドル融資保証。
DIA-601-1984-06-12-4アメリカ1984年06月12日1980年代国際貿易委,外国鉄鋼輸入が米業界に打撃と判定。
DIA-601-1984-06-13-1アメリカ1984年06月13日1980年代(ワ)シュルツ長官,テロが戦争の一方法とされているとし,外国政府支援テロへの米人の協力を犯罪とすべぎだと下院外交委で証言。
DIA-601-1984-06-13-2アメリカ1984年06月13日1980年代(バンコク)米国使節団,プレム,アーティットと会談,F16討議。
DIA-601-1984-06-14-1アメリカ1984年06月14日1980年代(ワ)米,中国のパキスタン核兵器援助説で,中国に核不拡散政策の再保証要求,しかし中国は拒否,と米政府筋(WP,6/15)。
DIA-601-1984-06-15-1アメリカ1984年06月15日1980年代(ワ)国務省,米中原子力協定,年内発効困難と。
DIA-601-1984-06-15-2アメリカ1984年06月15日1980年代米当局者,米政府,クウェートの防衛力増強で,既存のホーク・ミサイル能力改善,AWACSによるクウェートへの情報提供,等の形で支援検討,と(WP,6/16)。
DIA-601-1984-06-16-1アメリカ1984年06月16日1980年代(バンコク)タイ・カンンボジア国境で米・タイ軍事演習「ロジェックス2」はじまる。
DIA-601-1984-06-19-1アメリカ1984年06月19日1980年代(ワ)ワインバーガー,「共同防衛への同盟国の貢献」報告。
DIA-601-1984-06-19-2アメリカ1984年06月19日1980年代国務,国防当局省,米政府は当面クウェートにスティンガー・ミサイル売却せぬと決定。理由は米国内在庫不足(30カ月後に売却可),テロリストに渡る可能性,クウェート軍事力の小ささ,しかし米はホーク地対空ミサイル(12基保有)の追加提供,レーダー能力改善に協力用意,と(WP,6/20)。
DIA-601-1984-06-19-3アメリカ1984年06月19日1980年代国防省,C130Hハーキュリー12機の台湾売却,議会通告。
DIA-601-1984-06-20-1アメリカ1984年06月20日1980年代(エルサレム)米,イスラエル,第6艦隊の米負傷兵をイスラエル病院で治療する演習挙行(WP,6/21)。
DIA-601-1984-06-20-2アメリカ1984年06月20日1980年代(ワ)政府当局者,サウジアラビアは2週間前,防空領域を領海外に拡張すると米に通告した,と。また国務省,サウジは米の承認のもとに,AWACS情報をクウェートに提供している,と(IHT,6/22)。
DIA-601-1984-06-21-1アメリカ1984年06月21日1980年代(ワ)ホワイトハウス報道官,米ソ原子力協定年内批准疑しいと言明。
DIA-601-1984-06-23-1アメリカ1984年06月23日1980年代(ワ)レーガン,ラジオで,米は1960年代の経済的指導権を回復した,と。
DIA-601-1984-06-24-1アメリカ1984年06月24日1980年代(ワ)シュルツ長官,ソ連,シリア,リビア,イラン,北朝鮮を「テロ連盟」メンバー国と非難。
DIA-601-1984-06-25-1アメリカ1984年06月25日1980年代(ワ)ワインバーガー,イラン軍の攻勢はきわめて近い,と。
DIA-601-1984-06-25-2アメリカ1984年06月25日1980年代(ホノルル)日米安保事務レベル協議。
DIA-601-1984-06-26-1アメリカ1984年06月26日1980年代(ワ)米国防省,クウェートに防空用兵器供与する,と発表。
DIA-601-1984-06-26-2アメリカ1984年06月26日1980年代米国務省,ベトナム出国者受入拡大で,ベトナムと協議用意,と。
DIA-601-1984-06-26-3アメリカ1984年06月26日1980年代(ホノルル)日米防衛協議,米,日本の継続能力強化,インタオペラビリティ強化求む。
DIA-601-1984-06-27-1アメリカ1984年06月27日1980年代(ワ)国防省報道官,核付トマホーク,数日前米艦船(複数)に配備,と発表。
DIA-601-1984-06-27-2アメリカ1984年06月27日1980年代国防省,クウェートのホーク・ミサイル性能向上用に最新レーダー等8200万ドル供与決定。
DIA-601-1984-06-28-1アメリカ1984年06月28日1980年代(ホノルル)リムパック84終了。
DIA-601-1984-07-02-1アメリカ1984年07月02日1980年代(ベイルート)パレトロウ中東担当米国務次官補代理訪問,ナビ,ベリ南レバノン担当相と会談。
DIA-601-1984-07-04-1アメリカ1984年07月04日1980年代(北京)エイデルマン米軍縮局長訪中。
DIA-601-1984-07-05-1アメリカ1984年07月05日1980年代(バンコク)タイ空軍,F16購入方針決定。
DIA-601-1984-07-06-1アメリカ1984年07月06日1980年代(北京)呉外相・エーデルマン軍縮局長会談。
DIA-601-1984-07-07-1アメリカ1984年07月07日1980年代(香港)シュルツ国務長官到着。
DIA-601-1984-07-07-2アメリカ1984年07月07日1980年代ソ連・エジプト,大使交換に合意。
DIA-601-1984-07-09-1アメリカ1984年07月09日1980年代(ワ)米空軍調査,米軍事産業は大規模戦に際し,航空機・ミサイル等の生産急速には拡大しえない,と報告(IHT,7/10)。
DIA-601-1984-07-09-2アメリカ1984年07月09日1980年代米・インドネシア科学技術協力協定(1978),更新協定。
DIA-601-1984-07-09-3アメリカ1984年07月09日1980年代(KL)シュルツ長官,マレーシア入り。マハティール首相と会談。
DIA-601-1984-07-10-1アメリカ1984年07月10日1980年代(シンガポール)シュルツ訪問,リー首相と会談。
DIA-601-1984-07-10-2アメリカ1984年07月10日1980年代シュルツ,ベトナムとの正常化への試みはベトナムの石の壁に常にぶつかった,と言明。
DIA-601-1984-07-10-3アメリカ1984年07月10日1980年代(モスクワ)クウェート,ソ連SAM7購入決定。
DIA-601-1984-07-11-1アメリカ1984年07月11日1980年代ITC,レーガン政権に,鉄鋼輸入規制勧告(3:2で)。
DIA-601-1984-07-11-2アメリカ1984年07月11日1980年代(ジャカルタ)シュルツ長官訪イ。チモル人権保護要求の米下院議員123名書簡をモフタル外相に。
DIA-601-1984-07-11-3アメリカ1984年07月11日1980年代シュルツ同行筋,米,カンボジアの反共ゲリラへの人道的援助増をASEANに通告した,と(WP,7/12)。
DIA-601-1984-07-12-1アメリカ1984年07月12日1980年代(ベイルート)カラミ首相,米大使に,米経済援助再開要請。
DIA-601-1984-07-12-2アメリカ1984年07月12日1980年代(ジャカルタ)ASEAN拡大外相会議。
DIA-601-1984-07-12-3アメリカ1984年07月12日1980年代安倍・シュルツ会談。
DIA-601-1984-07-13-1アメリカ1984年07月13日1980年代(ワ)国務省報道官,クウェート・ソ連の武器取決め報道に憂慮表明。しかしクウェートへの防空兵器売却する,と。
DIA-601-1984-07-13-2アメリカ1984年07月13日1980年代(ジャカルタ)ASEAN拡大外相会議終了。
DIA-601-1984-07-13-3アメリカ1984年07月13日1980年代シュルツ,ベトナムがカンボジア撤兵すれば米援助,しかし不明米兵解決せねば国交せず,と。
DIA-601-1984-07-13-4アメリカ1984年07月13日1980年代シュルツ・スハルト会談,第三国と米との関係改善が東南アの米同盟国の安全脅かさずと保証した,と。
DIA-601-1984-07-14-1アメリカ1984年07月14日1980年代(キャンベラ)シュルツ長官訪豪,ホーク首相と会談。
DIA-601-1984-07-14-2アメリカ1984年07月14日1980年代(ウェリントン)ニュージーランド総選挙,労働党勝利。
DIA-601-1984-07-15-1アメリカ1984年07月15日1980年代(ウェリントン)シュルツ長官,ニュージーランド入り。
DIA-601-1984-07-16-1アメリカ1984年07月16日1980年代(ワ)ホワイトハウス,日米など西側13ヵ国,原子力技術輸出規制強化に合意,と発表。
DIA-601-1984-07-16-2アメリカ1984年07月16日1980年代米,イラクのヨルダン・パイプライン建設への米輸出入銀行融資4.25億ドル,米鉄鋼使用条件に許可。
DIA-601-1984-07-16-3アメリカ1984年07月16日1980年代(ウェリントン)ANZUS閣僚理。
DIA-601-1984-07-17-1アメリカ1984年07月17日1980年代(マニラ)米輸送機,ハノイへ。
DIA-601-1984-07-17-2アメリカ1984年07月17日1980年代(ハノイ)ベトナム,米代表団に遺骨8体返還。
DIA-601-1984-07-17-3アメリカ1984年07月17日1980年代(ウェリントン)シュルツ長官,ロンギ労働党首と会談,核艦船受入れ拒否方針変更求める。
DIA-601-1984-07-18-1アメリカ1984年07月18日1980年代(サンフランシスコ)民主党大会,モンデール大統領候補選出。
DIA-601-1984-07-18-2アメリカ1984年07月18日1980年代(ホノルル)シュルツ長官,8月中旬,ベトナムは不明米兵の対米協議に合意した,と。
DIA-601-1984-07-19-1アメリカ1984年07月19日1980年代(ワ)国務省,レバノン政府によるイスラエル連絡事務所廃止についてイ事務所はイ・レ間連絡に有用と,閉鎖に遺憾の意表明。
DIA-601-1984-07-20-1アメリカ1984年07月20日1980年代(ワ)レーガン,宇宙の商業利用推進など発表。
DIA-601-1984-07-20-2アメリカ1984年07月20日1980年代国務省,アフガニスタン報告,ソ連の死傷1.8―2.1万,うち3分の1死亡,と。
DIA-601-1984-07-20-3アメリカ1984年07月20日1980年代レーガン,「米軍捕虜ならびに行方不明兵士のための式典」で演説,ラオスが不明米兵現地調査認めた,と。また今週ベトナムが8人の米兵遺体を返還したこと,不明米兵調査強化を約束したことを評価,と。
DIA-601-1984-07-21-1アメリカ1984年07月21日1980年代下院歳出委,米軍の継戦能力低下と報告書(NYT,7/22)。
DIA-601-1984-07-23-1アメリカ1984年07月23日1980年代(ワ)商務省:84年第2四半期のGNP,年率7.5%成長,第1四半期実質GNP,9.7から10.1%成長に修正,と発表。
DIA-601-1984-07-23-2アメリカ1984年07月23日1980年代イスラエル総選挙。
DIA-601-1984-07-25-1アメリカ1984年07月25日1980年代(ワ)マーフィ国務次官補,下院外交小委で,シリアがカラミ政権の安定に寄与と評価。
DIA-601-1984-07-25-2アメリカ1984年07月25日1980年代(北京)米中航空工業技術協力計画協定。
DIA-601-1984-07-25-3アメリカ1984年07月25日1980年代(カラチ)繊維輸出20ヵ国,米保護主義非難声明。
DIA-601-1984-07-26-1アメリカ1984年07月26日1980年代米海軍戦闘機4機,リビアのシドラ湾上空早朝飛行,“航行の自由”演習(WP,7/27)。
DIA-601-1984-07-26-2アメリカ1984年07月26日1980年代(ワ)下院歳出委,アフガニスタン反政府援助5000万ドル追加可決,計2億ドルへ。
DIA-601-1984-07-28-1アメリカ1984年07月28日1980年代ロサンゼルス・オリンピック開会。
DIA-601-1984-07-29-1アメリカ1984年07月29日1980年代(モスクワ)「タス」:中東国際会議でイスラエルとの共存,パレスチナは国家樹立を,と提案。
DIA-601-1984-07-29-2アメリカ1984年07月29日1980年代(ワ)国務省,ソ連参加の中東会議拒否。
DIA-601-1984-07-30-1アメリカ1984年07月30日1980年代(ワ)ABCTV:紅海で過去3週間に4隻触雷(ソ,米,スペイン,他1)。
DIA-601-1984-07-30-2アメリカ1984年07月30日1980年代レバノン再建米企業家委のAIDへの報告,レバノンへの米資金援助,政治混乱のため無益,と。今年2.51億ドル可決,支出5000万ドル。
DIA-601-1984-07-30-3アメリカ1984年07月30日1980年代(ベイルート)米大使館警備の米海兵100人撤収。
DIA-601-1984-07-31-1アメリカ1984年07月31日1980年代(ベイルート)西ベイルートで米新大使館オープン。
DIA-601-1984-08-02-1アメリカ1984年08月02日1980年代(ワ)国防省当局者,米軍の弾薬等備品,たとえば韓国での1カ月の戦闘で枯渇,他地域の同時的危機に対応できずと語る。
DIA-601-1984-08-02-2アメリカ1984年08月02日1980年代国務省当局者,サウジ,投獄中の米人の約半数17人を6月釈放,と。なおサウジに米人6万5000人,常時20~60人投獄(IHT,8/6)。
DIA-601-1984-08-03-1アメリカ1984年08月03日1980年代(ワ)ワトキンス海軍作戦部長,米軍の戦時即応体制改善,10年前の「1 1/2」戦略実行力上廻る戦力保有。
DIA-601-1984-08-05-1アメリカ1984年08月05日1980年代(ワ)米政府,81年の米人質釈放協定に基づき,イランにジープ,航空機部品など兵器転用可能品の輸出つづける(WP,8/6)。
DIA-601-1984-08-05-2アメリカ1984年08月05日1980年代(バンコク)米陸軍報道官,8月6日米・タイ軍1万人が南タイで上陸演習行なう,と発表。
DIA-601-1984-08-06-1アメリカ1984年08月06日1980年代(北京)米シコルスキー社,ヘリ24機1.4億ドル,対中国売却(AP. DJ)。
DIA-601-1984-08-07-1アメリカ1984年08月07日1980年代(カイロ)米掃海用ヘリ6機と掃海艇がスエズ湾入り。
DIA-601-1984-08-08-1アメリカ1984年08月08日1980年代(ワ)国務省,不明米兵で,ハノイで8月15日から4日間会談と発表。
DIA-601-1984-08-08-2アメリカ1984年08月08日1980年代ボルカー連邦準備銀行議長,途上国債務救済介入の時期から安定成長へ協力する時期に入ったと主張。
DIA-601-1984-08-09-1アメリカ1984年08月09日1980年代(ワ)クウェイル上院議員ら7議員,使用済み核燃料の対中搬出制限求めワインバーガー長官らに書簡。
DIA-601-1984-08-09-2アメリカ1984年08月09日1980年代ベッシィ統幕議長,エジプト軍総参謀長,イブラヒム・エル・オラビ中将と会談。
DIA-601-1984-08-10-1アメリカ1984年08月10日1980年代(ワ)米当局者,サウジアラビアがサイドワインダー・ミサイル3000基買付け打診中,と(WP,8/11)。
DIA-601-1984-08-10-2アメリカ1984年08月10日1980年代金大中,死刑回避にレーガンが決定的役割,年内に帰国,など語る(読売,8/12)。
DIA-601-1984-08-11-1アメリカ1984年08月11日1980年代(ワ)レーガン,週末ラジオ放送本番前に,「5分後に対ソ爆撃」と冗談のマイク・テスト。
DIA-601-1984-08-13-1アメリカ1984年08月13日1980年代(ワ)国務省報道官,サウジに掃海ヘリRH53(3機)派遣した,と。
DIA-601-1984-08-13-2アメリカ1984年08月13日1980年代(リヤド・ガルフ通信)サウジ国防省,紅海掃海用の米ヘリ3機,仏掃海艇に基地提供する,と(UPI)。
DIA-601-1984-08-14-1アメリカ1984年08月14日1980年代(ワ)シュルツ,シリアが南レバノン撤兵でのイスラエル・レバノン交渉再開妨害と米ユダヤ人リーダーへの手紙で非難(WP,8/15)。
DIA-601-1984-08-14-2アメリカ1984年08月14日1980年代(メキシコ)国際人口会議,メキシコ市宣言発表。
DIA-601-1984-08-15-1アメリカ1984年08月15日1980年代(ワ)国防省:トマホーク巡航ミサイル・テスト成功発表。
DIA-601-1984-08-15-2アメリカ1984年08月15日1980年代(クウェート)ソ連,クウェート空軍と防空軍に最新兵器供与協定。
DIA-601-1984-08-15-3アメリカ1984年08月15日1980年代(北京)レーマン米海軍長官訪中。
DIA-601-1984-08-15-4アメリカ1984年08月15日1980年代(ハノイ)不明米兵で,米・ベトナム協議。
DIA-601-1984-08-15-5アメリカ1984年08月15日1980年代(東京)極東ソ連軍,これから米国と戦闘と暗号電報発信,30分後に取消し(読売,10/1)。
DIA-601-1984-08-18-1アメリカ1984年08月18日1980年代(ワ)中国大使,米に,新繊維輸入規制に抗議文。
DIA-601-1984-08-19-1アメリカ1984年08月19日1980年代(アレクサンドリア,エジプト)ムバラク大統領,ソラーズ下院議員と会談。
DIA-601-1984-08-20-1アメリカ1984年08月20日1980年代レーマン長官,米艦の中国寄港提案,中国関心,来年儀礼訪問実現か,と(WP,8/21)。
DIA-601-1984-08-20-2アメリカ1984年08月20日1980年代(北京)レーマン米海軍長官,米中海軍,軍事技術交流で合意と声明。
DIA-601-1984-08-21-1アメリカ1984年08月21日1980年代(ワ)国防省報道官,米艦訪中,両国で検討中,1983年9月にワインバーガー長官が初打診と語る。
DIA-601-1984-08-22-1アメリカ1984年08月22日1980年代(ダラス)共和党大会,大統領候補,副大統領候補にレーガン,ブッシュ指名。
DIA-601-1984-08-22-2アメリカ1984年08月22日1980年代(Mideast Report)84年1~6月の米国のアラブ諸国石油輸入は48.4億ドルで前年同期の33.6億ドルから44%増。
DIA-601-1984-08-23-1アメリカ1984年08月23日1980年代(ダラス)レーガン,指名受諾演説,アメリカ再生に自信表明。
DIA-601-1984-08-24-1アメリカ1984年08月24日1980年代フープ国防次官補,米国の通常戦での継戦能力,81年の15日から30日に,と(NYT,8/25)。
DIA-601-1984-08-27-1アメリカ1984年08月27日1980年代(ワ)米上院外交委事務局,イ・イ戦報告公表。戦争は原油輸出に影響なし,またイランは軍事的劣勢,と。
DIA-601-1984-08-29-1アメリカ1984年08月29日1980年代(ワ)米空軍B-1爆撃機,テスト中墜落。
DIA-601-1984-08-31-1アメリカ1984年08月31日1980年代(ワ)国務省報道官,国連会期中に米ソ外相会談予定と発表。
DIA-601-1984-09-04-1アメリカ1984年09月04日1980年代(ソルトレーク市)レーガン,””スターウォー″対ミサイル・システム開発に米は,””道義的責任″負う,と(WP,9/5)。
DIA-601-1984-09-04-2アメリカ1984年09月04日1980年代(Ft. Lewis, Was.)グリーン・ベレー部隊(776人)復活(1年ぶり)。
DIA-601-1984-09-06-1アメリカ1984年09月06日1980年代(国連安保理)米,南レバノンのイ軍の規制撤廃決議に拒否権。
DIA-601-1984-09-06-2アメリカ1984年09月06日1980年代(モスクワ)閣僚会議,オガルコフ軍参謀総長兼第一国防次官解任。
DIA-601-1984-09-06-3アメリカ1984年09月06日1980年代(ワ)国務省,米ソ外相,9月26日会談と発表。
DIA-601-1984-09-06-4アメリカ1984年09月06日1980年代(東京)全斗煥韓国大統領訪日。
DIA-601-1984-09-07-1アメリカ1984年09月07日1980年代(ワ)労働省:8月失業率7.5%
DIA-601-1984-09-07-2アメリカ1984年09月07日1980年代米政府,繊維輸入規制強化。
DIA-601-1984-09-11-1アメリカ1984年09月11日1980年代(ワ)米陸軍,現在の2個師団に加え,新軽歩兵2個師団を,1985年(北ニューヨーク,Fort Drum)と86年(アンカレッヂのFort RichardsonとフェアバンクスのFortウェンライト)に創設と発表(ロイター)。
DIA-601-1984-09-11-2アメリカ1984年09月11日1980年代レーガン,9月28日グロムイコ外相と会談と発表。
DIA-601-1984-09-11-3アメリカ1984年09月11日1980年代レーガン,対ソ穀物輸出枠,現行の1200万トンから2200万トンに引上げ発表。
DIA-601-1984-09-11-4アメリカ1984年09月11日1980年代金大中,米韓両政府に12月帰国を通告。
DIA-601-1984-09-11-5アメリカ1984年09月11日1980年代シュルツ長官,政治犯1万人,2年間,受入れで近くベトナムと交渉と発表。
DIA-601-1984-09-12-1アメリカ1984年09月12日1980年代(ワ)米国務省,金大中無事帰国望む,と。
DIA-601-1984-09-13-1アメリカ1984年09月13日1980年代(バンコク)ベトナム大使館,米が全員引取れば,全政治犯釈放用意と声明(AP)。
DIA-601-1984-09-13-2アメリカ1984年09月13日1980年代(ワ)ソンサン,ウォルフォウィッツ国務次官補と会談。
DIA-601-1984-09-14-1アメリカ1984年09月14日1980年代(テルアビブ)イスラエル国会,ペレス首相の挙国一致内閣承認。
DIA-601-1984-09-14-2アメリカ1984年09月14日1980年代(北京)対外経済貿易省,米大使に,繊維輸入原産国規則導入に抗議。
DIA-601-1984-09-15-1アメリカ1984年09月15日1980年代(ベイルート)カラミ首相,米大使と会談。
DIA-601-1984-09-18-1アメリカ1984年09月18日1980年代(ワ)レーガン,鉄鋼輸入規制決定。
DIA-601-1984-09-18-2アメリカ1984年09月18日1980年代マクファーレン補佐官,米ソ核交渉,来春再開されよう,と。
DIA-601-1984-09-18-3アメリカ1984年09月18日1980年代上院外交委東ア・太平洋小委,フィリピン公聴会。
DIA-601-1984-09-18-4アメリカ1984年09月18日1980年代米小麦生産者連盟,中国が80年から10億ブッシェルの小麦買わねばブッシェル当り小麦価28セント低かったろうと報告。
DIA-601-1984-09-20-1アメリカ1984年09月20日1980年代(ベイルート)米大使館別館に爆弾車,死傷多数。
DIA-601-1984-09-20-2アメリカ1984年09月20日1980年代レーガン,テロを非難,世界的テロ運動にかかわらず米国は,穴に隠れて活動を停止するわけにゆかぬ,と(WP,9/21)。
DIA-601-1984-09-21-1アメリカ1984年09月21日1980年代(ベイルート)米大使館,死者は8人,負傷35人と発表。
DIA-601-1984-09-21-2アメリカ1984年09月21日1980年代マーフィ国務次官補到着。
DIA-601-1984-09-21-3アメリカ1984年09月21日1980年代(ワ)レーガン,竹下蔵相会見,円自由化促進求む。
DIA-601-1984-09-22-1アメリカ1984年09月22日1980年代(ベイルート)マーフィ次官補,米大使館爆破にかかわらず,ジェマイエル政権支持と,ジェマイエル,カラミと会談後言明(WP,9/23)。
DIA-601-1984-09-23-1アメリカ1984年09月23日1980年代(ダマスカス)マーフィ次官補,アサド大統領と会見。
DIA-601-1984-09-23-2アメリカ1984年09月23日1980年代(ニューヨーク)レーガン,レセプションでグロムイコと対話,現実的,建設的,長期的対ソ関係望む,また核兵器数削減求む,と。
DIA-601-1984-09-24-1アメリカ1984年09月24日1980年代(ワ)国務省,世界中の米大使館の治安強化のために議会に3.72億ドル要請すると発表(WP,9/25)。
DIA-601-1984-09-24-2アメリカ1984年09月24日1980年代(国連)レーガン,1982年9月の中東和平提案になおコミットしていると演説。
DIA-601-1984-09-24-3アメリカ1984年09月24日1980年代(エルサレム)マーフィ国務次官補到着。
DIA-601-1984-09-24-4アメリカ1984年09月24日1980年代(国連)シアヌーク,レーガン大統領と会見。ソンサン,米に1万人分の兵器援助求める。
DIA-601-1984-09-25-1アメリカ1984年09月25日1980年代(エルサレム)マーフィ次官補,ペレス首相,ラビン国防相と会談。
DIA-601-1984-09-25-2アメリカ1984年09月25日1980年代(カイロ)マーフィ次官補・ムバラク会談。
DIA-601-1984-09-25-3アメリカ1984年09月25日1980年代(ベイルート)米大使館,死者,米人2,レバノン人7人と(WP,9/26)。
DIA-601-1984-09-26-1アメリカ1984年09月26日1980年代(Bowling Green,オハイオ)レーガン,米大使館爆破との関連で,「レーガン政権前何年間における米情報能力が,ほぼ破壊されていたことの結果をいま感じている」,「その時代,人々はスパイを何か不正直なことと感じ,情報員を追っ払ってしまった」,「やりすぎだった」と言明(WP,9/27)。
DIA-601-1984-09-26-2アメリカ1984年09月26日1980年代(アンマン)マーフィ米国務次官補訪問,フセイン国王と会談。
DIA-601-1984-09-26-3アメリカ1984年09月26日1980年代(ダマスカス)マーフィ次官補,到着。
DIA-601-1984-09-26-4アメリカ1984年09月26日1980年代(オハイオ)レーガン,マーフィ次官補が外国軍レバノン撤兵でシリア,レバノン,イと交渉中,と。
DIA-601-1984-09-26-5アメリカ1984年09月26日1980年代(北京)中,英,香港返還協定に仮調印。
DIA-601-1984-09-26-6アメリカ1984年09月26日1980年代(国連)シュルツ,中国,韓国外相と個別会談。
DIA-601-1984-09-27-1アメリカ1984年09月27日1980年代カーター前大統領など,レーガンの米情報機関ほぼ破壊されていたとの発言に反論(WP,9/28)。
DIA-601-1984-09-28-1アメリカ1984年09月28日1980年代(ベイルート)マーフィ国務次官補,ジェマイエル大統領,カラミ首相と会談。
DIA-601-1984-09-28-2アメリカ1984年09月28日1980年代(ワ)レーガン,グロムイコ会談。
DIA-601-1984-09-29-1アメリカ1984年09月29日1980年代(ベイルート)マーフィ次官補帰国。カラミ首相訪米へ。
DIA-601-1984-09-29-2アメリカ1984年09月29日1980年代(板門店)北朝鮮救援物資,韓国へ引渡し。
DIA-601-1984-09-30-1アメリカ1984年09月30日1980年代(ベイルート)マーフィ次官補,イ軍撤兵で,撤兵後の南部治安SLAとUN軍が維持の新提案,と。
DIA-601-1984-10-01-1アメリカ1984年10月01日1980年代(NY)シュルツ,GCC昼食会で,レバノン調停の機熟さず,と。またイスラエル,サウジ,イラク外相と個別会談。
DIA-601-1984-10-02-1アメリカ1984年10月02日1980年代(ワ)シュルツ,カラミ・レバノン首相会談。米,イ軍撤兵での仲介要請拒否,その前に各派の柔軟化必要と。また南レ軍の役割で対立(WP,10/3)。
DIA-601-1984-10-03-1アメリカ1984年10月03日1980年代(ワ)国務省報道官,紅海機雷にリビア関与の状況証拠,と。
DIA-601-1984-10-04-1アメリカ1984年10月04日1980年代CIA,ベイルート米大使館爆破はヘズボラヒ(神の党)との証拠つかむ(NYT,10/5)。
DIA-601-1984-10-04-2アメリカ1984年10月04日1980年代(ベイルート)ナビベリ,As Safir紙との会見で,マーフィ特使はイ軍撤兵で8項目提案,と。
DIA-601-1984-10-04-3アメリカ1984年10月04日1980年代(ワ)アミテージ次官補,在比米軍基地使用できねば,サイパン,テニアン利用検討と,下院外交委で。
DIA-601-1984-10-04-4アメリカ1984年10月04日1980年代(ジュネーブ)米,ベトナム,難民協議。米政治犯1万人とその家族,混血児8000人と母ら4000人を3年間で合法移住させることを提案。
DIA-601-1984-10-05-1アメリカ1984年10月05日1980年代(国連)シュルツ,シリア外相と会談。シリア,国連枠内で無条件のイ軍撤兵工作なら認める,と。
DIA-601-1984-10-05-2アメリカ1984年10月05日1980年代(ワ)米陸軍,沖縄へのグリーンベレー1大隊配備完了,と。
DIA-601-1984-10-06-1アメリカ1984年10月06日1980年代アジズ・イラク外相,米と復交の用意,と(WP,10/7)。
DIA-601-1984-10-08-1アメリカ1984年10月08日1980年代(ワ)ペレス首相,シュルツ長官と会談。同行筋,南レ軍をレバノン政府軍として存続しえれば,イ軍撤兵問題打開されよう,と。
DIA-601-1984-10-08-2アメリカ1984年10月08日1980年代(ワ)中国海軍,民間技術者代表団訪米中,GE製海軍用ガスタービンに興味,GELM2500ガスタービン使用の米駆逐艦2隻,来年青島・上海寄港と米政府筋(WP,10/9)。
DIA-601-1984-10-09-1アメリカ1984年10月09日1980年代(ワ)イスラエル首相,レーガン会談。安保で体系的協議へ,また合同経済委設置合意。
DIA-601-1984-10-09-2アメリカ1984年10月09日1980年代(モスクワ)ソ連,北イエメン友好協力条約調印。
DIA-601-1984-10-11-1アメリカ1984年10月11日1980年代(ワ)上院,国防予算法案(2929億),対外援助法案(182億)など可決。
DIA-601-1984-10-12-1アメリカ1984年10月12日1980年代(UN)安保理,レバノン駐留UNIFIL,6ヵ月延長可決。
DIA-601-1984-10-13-1アメリカ1984年10月13日1980年代(カイロ)ワインバーガー訪エ。
DIA-601-1984-10-13-2アメリカ1984年10月13日1980年代(モスクワ)「タス」:長距離巡航ミサイル,戦略爆撃機と潜水艦に配備開始した,と。
DIA-601-1984-10-13-3アメリカ1984年10月13日1980年代(東京)日銀,対比3000万ドル特別融資発表,米財務省4500万,韓銀500万。
DIA-601-1984-10-14-1アメリカ1984年10月14日1980年代(カイロ)ムバラク・ワインバーガー会談。
DIA-601-1984-10-14-2アメリカ1984年10月14日1980年代ムバラク,米に対ヨルダン関係改善要望(WP,10/15)。
DIA-601-1984-10-15-1アメリカ1984年10月15日1980年代(テルアビブ)ワインバーガー訪イ。
DIA-601-1984-10-16-1アメリカ1984年10月16日1980年代(北京)米軍事訓練視察代表団訪中。
DIA-601-1984-10-17-1アメリカ1984年10月17日1980年代(アンマン)フセイン国王,ワインバーガー長官と会談。ヨルダン,兵器供給源多様化,中東国際会議など主張(UPI,10/18)。
DIA-601-1984-10-17-2アメリカ1984年10月17日1980年代(エルサレム)ペレス,ワインバーガー会談。イ軍の南レ撤兵条件でペレス声明。
DIA-601-1984-10-17-3アメリカ1984年10月17日1980年代米,イスラエルへ,Levi戦闘機技術供与,潜水艦売却,迫撃砲購入等約束。
DIA-601-1984-10-19-1アメリカ1984年10月19日1980年代(ワ)レーガン,「1984年国際テロ防止法」サイン。大使館治安費3億5600万ドル増。
DIA-601-1984-10-19-2アメリカ1984年10月19日1980年代レーガン,85年度国防支出法(2929億ドル)サイン。
DIA-601-1984-10-19-3アメリカ1984年10月19日1980年代(ロサンゼルス)シュルツ長官,日,中,ASEAN含む太平洋共同体構想表明。
DIA-601-1984-10-20-1アメリカ1984年10月20日1980年代(ワ)国務省,ベイルート米大使館スタッフを現在の45人から30人に削減すると言明。9月20日前は99人。
DIA-601-1984-10-21-1アメリカ1984年10月21日1980年代レーガン,マルコス政権が打倒されれば,次は米に敵対的政権,と。
DIA-601-1984-10-21-2アメリカ1984年10月21日1980年代(ニューデリー)マーフィ次官補,インド外務省幹部と会談。
DIA-601-1984-10-22-1アメリカ1984年10月22日1980年代(ニューデリー)マーフィ次官補,インド側と会談。インド側,米・パ兵器取引に警告。
DIA-601-1984-10-23-1アメリカ1984年10月23日1980年代(ワ)国務省,アグラバ報告へのマルコスの敏速な措置指摘,今後の報告でも同様措置期待,と。
DIA-601-1984-10-23-2アメリカ1984年10月23日1980年代(イスラマバード)マーフィ国務次官補訪パ。
DIA-601-1984-10-24-1アメリカ1984年10月24日1980年代(ワ)国務省,米人のレバノン旅行での危険について警告。
DIA-601-1984-10-25-1アメリカ1984年10月25日1980年代(NY)シュルツ長官,米国民に,テロへの米軍事行動支持を訴える演説。
DIA-601-1984-10-25-2アメリカ1984年10月25日1980年代米政府筋,イラクのアジズ外相,今月はじめ国連でシュルツ長官に,年内に対米復交の用意伝えたと(WP,10/26)。
DIA-601-1984-10-25-3アメリカ1984年10月25日1980年代国務省筋,レーガンは9月12日,パキスタン大統領に親書,同国の核兵器開発は米パ関係に重大影響と警告,と(WP,10/26)。
DIA-601-1984-10-27-1アメリカ1984年10月27日1980年代(ニューポートニューズ,Va.)原子力空母「セオドア・ルーズベルト」進水。
DIA-601-1984-10-27-2アメリカ1984年10月27日1980年代(ベイルート)ジェマイエル大統領,バーソロミュー米大使と会談,イ軍撤兵問題協議。
DIA-601-1984-10-30-1アメリカ1984年10月30日1980年代(ワ)レーガン,1984年貿易関税法案(包括貿易法)に署名。鉄鋼輸入抑制など。
DIA-601-1984-10-30-2アメリカ1984年10月30日1980年代(エルサレム)マーフィ次官補訪イ。
DIA-601-1984-10-31-1アメリカ1984年10月31日1980年代(ワ)NASA,88年にスベースシャトルで中国衛星2個打上げと発表。
DIA-601-1984-10-31-2アメリカ1984年10月31日1980年代(ニューデリー)ガンディー首相射殺さる。
DIA-601-1984-10-31-3アメリカ1984年10月31日1980年代(ワ)レーガン,インド大使館弔問。
DIA-601-1984-11-01-1アメリカ1984年11月01日1980年代(ワ)米政府,85会計年度イスラエル援助26億ドル中,経済援助12億ドル一括供与でイ政府と合意。
DIA-601-1984-11-01-2アメリカ1984年11月01日1980年代(エルサレム)マーフィ国務次官補,シャミル外相と会談。
DIA-601-1984-11-02-1アメリカ1984年11月02日1980年代(ワ)AID,エチオピア政府に食料5万トン直接供与で合意。なおすでに8万トン供与ずみ。
DIA-601-1984-11-02-2アメリカ1984年11月02日1980年代(カイロ)シュルツ長官,エジプト首相と会談。
DIA-601-1984-11-03-1アメリカ1984年11月03日1980年代(ダマスカス)マーフィ次官補シリア入り。
DIA-601-1984-11-03-2アメリカ1984年11月03日1980年代(ニューデリー)ガンディー国葬,シュルツ参列。シュルツ長官,ソ連首相,日本外相らと会談。
DIA-601-1984-11-04-1アメリカ1984年11月04日1980年代(ダマスカス)マーフィ次官補・ハダーム副首相会談。
DIA-601-1984-11-04-2アメリカ1984年11月04日1980年代(アジス・アババ)マクファーソンAID長官,エチオピア訪問。
DIA-601-1984-11-05-1アメリカ1984年11月05日1980年代(カイロ)米・エジプト合同軍事演習開始。
DIA-601-1984-11-05-2アメリカ1984年11月05日1980年代(アンマン)マーフィ・ヨルダン国王会談。
DIA-601-1984-11-06-1アメリカ1984年11月06日1980年代米大統領選挙。レーガン大差で勝利。
DIA-601-1984-11-06-2アメリカ1984年11月06日1980年代(テルアビブ)マーフィ次官補,ラビン国防相と会談後,シリアはイ・レ撤兵交渉開始支持したと語る。
DIA-601-1984-11-07-1アメリカ1984年11月07日1980年代(ワ)米議会選挙結果。上院:共和党53,民主党47,下院:共和党183,民主党252。
DIA-601-1984-11-07-2アメリカ1984年11月07日1980年代(カイロ)米・エジプト軍事演習終了。
DIA-601-1984-11-08-1アメリカ1984年11月08日1980年代(ナクーラ,レバノン)イスラエル,レバノン撤兵交渉開始。
DIA-601-1984-11-10-1アメリカ1984年11月10日1980年代(北京)IBM,100%出資の中国IBM設立発表。
DIA-601-1984-11-11-1アメリカ1984年11月11日1980年代(ワ)レーガン,ベトナム戦争記念碑完成式典に出席,ベトナム戦参加者を真の愛国者と称賛。
DIA-601-1984-11-12-1アメリカ1984年11月12日1980年代(テルアビブ)マーフィ・ラビン国防相会談。
DIA-601-1984-11-13-1アメリカ1984年11月13日1980年代(ダマスカス)マーフィ・アサド大統領会談。
DIA-601-1984-11-15-1アメリカ1984年11月15日1980年代(ワ)国務省,シュルツ長官留任と発表。
DIA-601-1984-11-15-2アメリカ1984年11月15日1980年代(北京)米国から購入のシコルスキー・ヘリ24機引渡し式。
DIA-601-1984-11-16-1アメリカ1984年11月16日1980年代(ワ)レーガン,パキスタン外相と会談。
DIA-601-1984-11-16-2アメリカ1984年11月16日1980年代(北京)洪学智・中国解放軍総後勤部長,米軍兵站代表団(団長コーブ国防次官補)と会談。
DIA-601-1984-11-18-1アメリカ1984年11月18日1980年代レーガン,今月初めマルコスに電話,米国での療養歓迎と伝う,と(News Week,11/19)。
DIA-601-1984-11-19-1アメリカ1984年11月19日1980年代(ワ)ホワイトハウス,ワインバーガー国防長官,ケーシーCIA長官,マクファーレン大領統補佐官の留任発表。
DIA-601-1984-11-19-2アメリカ1984年11月19日1980年代イスラエル代表,米援助増求め米当局と会談。
DIA-601-1984-11-19-3アメリカ1984年11月19日1980年代ヘリテージ財団,先週の報告書で,米国は民主国守るため,ベトナム,カンボジア,ラオス,アフガニスタン,イラン,アンゴラ,エチオピア,ニカラグア等への””準軍事的″行動をとれと主張(WP,11/20)。
DIA-601-1984-11-19-4アメリカ1984年11月19日1980年代(北京)米農務省代表団訪中。
DIA-601-1984-11-20-1アメリカ1984年11月20日1980年代(ワ)米陸海空三軍長官留任発表。
DIA-601-1984-11-20-2アメリカ1984年11月20日1980年代国防省,中国海軍使節団11月13日~12月19日の予定。で米国訪問中と発表。
DIA-601-1984-11-20-3アメリカ1984年11月20日1980年代(東京)環太平洋担当フェアバンクス大使,日本外務省当局者と会談。
DIA-601-1984-11-21-1アメリカ1984年11月21日1980年代(ワ)連邦準備銀行,公定歩合9から8.5%に引き下げ。
DIA-601-1984-11-22-1アメリカ1984年11月22日1980年代(ワ)ホワイトハウス,米ソ外相会談,85年1月7,8両日,ジュネーブで開くと発表。
DIA-601-1984-11-22-2アメリカ1984年11月22日1980年代(東京)日本政府,中曽根,レーガン,85年1月2日,ロサンゼルスで会談と発表。
DIA-601-1984-11-23-1アメリカ1984年11月23日1980年代(板門店)ソ連人通訳亡命事件。
DIA-601-1984-11-23-2アメリカ1984年11月23日1980年代(香港)『文匯報』,北京第1機床厰と香港スサント・グループ,米工作機メーカー・オートニュメリック社買収と報道。
DIA-601-1984-11-25-1アメリカ1984年11月25日1980年代(ワ)CBSテレビでマクファーレン補佐官,米ソ軍縮交渉,成果には4年かかろうと発言。
DIA-601-1984-11-25-2アメリカ1984年11月25日1980年代(北京)胡耀邦総書記,「儀礼的」な米艦の中国寄港認める用意と発言。
DIA-601-1984-11-26-1アメリカ1984年11月26日1980年代(ワ)レーガン,アジズ・イラク副首相と会談。米・イラク,国交回復発表。
DIA-601-1984-11-27-1アメリカ1984年11月27日1980年代(ワ)レーガン,フィジー首相と会談。レーガン,フィジー軍の中東派遣,フィジー政府が米原子力艦寄港許可(1983)したことに感謝表明。
DIA-601-1984-11-27-2アメリカ1984年11月27日1980年代国防省,85年早期に米艦,中国寄港計画中,と。
DIA-601-1984-11-28-1アメリカ1984年11月28日1980年代(ワ)ワインバーガー長官,米軍の外国投入で6条件。国益に不可欠な地域であり,他に手段がなく,投入時は明確な勝利の意図と明確な政治的・軍事的目的がなければならず,また米国民の支持必要(WP,11/29)。
DIA-601-1984-11-28-2アメリカ1984年11月28日1980年代米当局者,米政府は85年度予算にアフガン・ゲリラへの秘密軍事援助2億8000万ドル計上,これは84年度の2倍以上,これでソ連介入後の援助総額6億2500万ドル以上となると言明(IHT,11/29)。
DIA-601-1984-11-28-3アメリカ1984年11月28日1980年代共和党,上院院内総務にロバート・ドール議員,軍事委員長にゴールドウォーター議員選出。
DIA-601-1984-11-30-1アメリカ1984年11月30日1980年代国防省,宇宙司令部設置発表。
DIA-601-1984-11-30-2アメリカ1984年11月30日1980年代レーガン,コール西独首相会談。
DIA-601-1984-12-04-1アメリカ1984年12月04日1980年代(ワ)レーガン,12月7日を「パール・ハーバー記念日」と宣言。
DIA-601-1984-12-04-2アメリカ1984年12月04日1980年代国務省当局者,マーフィ次官補,近くエジプト,ヨルダン,イスラエル,レバノン,シリア訪問,と。
DIA-601-1984-12-05-1アメリカ1984年12月05日1980年代(ワ)レーガン,86年度予算で国防費伸び抑制方針表明。
DIA-601-1984-12-05-2アメリカ1984年12月05日1980年代(リヤド)ワインバーガー長官,サウジ訪問。
DIA-601-1984-12-05-3アメリカ1984年12月05日1980年代(北京)中国外務省報道官,米艦の寄港日でまだ合意に達せずと言明。
DIA-601-1984-12-06-1アメリカ1984年12月06日1980年代(ワ)ゴールドウォーター上院議員,国防予算の前年度水準凍結,MX生産中止を主張。
DIA-601-1984-12-06-2アメリカ1984年12月06日1980年代(テヘラン)ハイジャックされたクウェート機で米AID職員2人射殺さる。
DIA-601-1984-12-07-1アメリカ1984年12月07日1980年代(ワ)レーガン,国防費も歳出増カットの対象とする,しかしMX中止せぬと言明。
DIA-601-1984-12-07-2アメリカ1984年12月07日1980年代レーガン,ハイジャックでイラン政府の対応非難。
DIA-601-1984-12-08-1アメリカ1984年12月08日1980年代(ワ)国防相,84年の武器輸出146億ドル(トルコ45億,サウジ30億ドル等)と発表。前年比37億ドル減。
DIA-601-1984-12-08-2アメリカ1984年12月08日1980年代(リヤド)マーフィ次官補,ファハド国王と会談。
DIA-601-1984-12-09-1アメリカ1984年12月09日1980年代(NY)シュルツ長官,政治家の責務として,大衆の支持なくとも軍事力使用の用意必要と主張。
DIA-601-1984-12-09-2アメリカ1984年12月09日1980年代(エルサレム)マーフィ,ペレス首相と会談。
DIA-601-1984-12-09-3アメリカ1984年12月09日1980年代(テヘラン)イラン軍,乗っ取り犯4人逮捕。
DIA-601-1984-12-09-4アメリカ1984年12月09日1980年代(ハノイ)米議会代表団(モンゴメリー下院復員軍人委委員長ら6人),ベトナム入り。
DIA-601-1984-12-10-1アメリカ1984年12月10日1980年代(ワ)国務省,イランに乗っ取り犯裁判要求。
DIA-601-1984-12-10-2アメリカ1984年12月10日1980年代(ベイルート)マーフィ,レバノン首脳と会談。
DIA-601-1984-12-10-3アメリカ1984年12月10日1980年代(横須賀)米原子力空母カール・ビンソン寄港。
DIA-601-1984-12-11-1アメリカ1984年12月11日1980年代(ワ)ホデル・エネルギー省長官,85年9月で石油戦略備蓄打切り表明。目標7億5000万バレルの3分の2達成予測のため。
DIA-601-1984-12-11-2アメリカ1984年12月11日1980年代ホワイトハウス,乗っ取り事件でのイランの対応が犯人の残虐行為助長と非難。
DIA-601-1984-12-11-3アメリカ1984年12月11日1980年代国防省,米・イスラエル海軍,東地中海で初の合同演習と発表。
DIA-601-1984-12-11-4アメリカ1984年12月11日1980年代(ダマスカス)マーフィ,シリア外相と会談。
DIA-601-1984-12-11-5アメリカ1984年12月11日1980年代(ニューデリー)ウォルターズ米特使,スリランカより訪印。
DIA-601-1984-12-12-1アメリカ1984年12月12日1980年代(ワ)国務省,中国がIAEAの原子力発電所査察受入れたことで歓迎声明。
DIA-601-1984-12-12-2アメリカ1984年12月12日1980年代(ハノイ)米下院議員団,ファン・バン・ドン首相らと会談後,カンボジアに向かう。
DIA-601-1984-12-12-3アメリカ1984年12月12日1980年代(ニューデリー)ウォルターズ特使,インド政府とスリランカ人種紛争の平和解決で合意。
DIA-601-1984-12-13-1アメリカ1984年12月13日1980年代(ワ)国務省,在リビア米人に帰国勧告。
DIA-601-1984-12-13-2アメリカ1984年12月13日1980年代(テルアビブ)マーフィ,ラビン国防相と会談。
DIA-601-1984-12-14-1アメリカ1984年12月14日1980年代(ワ),IMF,対フィリピン融資6億1500万ドル承認発表。
DIA-601-1984-12-14-2アメリカ1984年12月14日1980年代国務省,ベトナム16日間訪問した米退役軍人代表団がバンコクでの記者会見で,ベトナム外相が米外交官のハノイの第3国大使館駐在を認めると述べたとの発言についてコメントし,米政府はハノイに利益代表部をもつ考えはないと表明。
DIA-601-1984-12-15-1アメリカ1984年12月15日1980年代(カイロ)マーフィ次官補,ムバラク大統領と会談後,中東国際会議は非建設的と言明。
DIA-601-1984-12-16-1アメリカ1984年12月16日1980年代(ワ)米政府筋,レーガン政権,来年の第3世界援助,今年の144億ドルから70~80億ドル増額,エジプト,イスラエル,トルコ,中南米,韓国向け増加計画中,と(WP,12/17)。
DIA-601-1984-12-16-2アメリカ1984年12月16日1980年代AID,エチオピアへの8万5000トン追加食料援助発表。
DIA-601-1984-12-16-3アメリカ1984年12月16日1980年代(アンマン)マーフィ・ヨルダン外相会談。
DIA-601-1984-12-17-1アメリカ1984年12月17日1980年代(テルアビブ)マーフィ次官補,ヨルダン国王と会談後到着,ラビン国防相と会談し,ベイルートへ。
DIA-601-1984-12-18-1アメリカ1984年12月18日1980年代(ワ)ホワイトハウス,レーガン,86年度予算,国防省要求額を87億ドル削減決定と発表。87年度92億,88年度102億削減。支出ベースで86年2775億,87年は3123億,88年3486億ドルへ。
DIA-601-1984-12-18-2アメリカ1984年12月18日1980年代国務省,イランが乗っ取り犯裁判との発表を歓迎。
DIA-601-1984-12-18-3アメリカ1984年12月18日1980年代(ダマスカス)マーフィ次官補,シリア訪問。
DIA-601-1984-12-19-1アメリカ1984年12月19日1980年代(ワ)ワインバーガー,SDI(戦略防衛計画)で日欧の技術協力に期待表明。
DIA-601-1984-12-19-2アメリカ1984年12月19日1980年代米,日本など7ヵ国と5ヵ年鉄鋼輸入規制協定。
DIA-601-1984-12-19-3アメリカ1984年12月19日1980年代(エルサレム)イスラエル,米政府に,85年度8億ドル緊急追加援助,86年度40億ドル援助要請。
DIA-601-1984-12-19-4アメリカ1984年12月19日1980年代(ベイルート)マーフィ,レバノン首脳と会談。
DIA-601-1984-12-21-1アメリカ1984年12月21日1980年代(ワ)連邦準備銀行,公定歩合8.5→8%に引き下げ。
DIA-601-1984-12-21-2アメリカ1984年12月21日1980年代国務省,イスラエルへの援助増要請への決定は,イスラエル経済引締め策の推移をみるため延期と発表。
DIA-601-1984-12-22-1アメリカ1984年12月22日1980年代(ハノイ)米議会代表団(ソラーズ下院議員ら8人),ベトナム訪問。
DIA-601-1984-12-26-1アメリカ1984年12月26日1980年代(ワ)レーガン,ソ連にアフガン撤兵要求。
DIA-601-1984-12-26-2アメリカ1984年12月26日1980年代(バンコク)ソラーズ議員記者会見。ベトナムは政治犯について彼らが反ベ活動せせぬことを米政府が保証せねば出国させぬとの方針示した,と。
DIA-601-1984-12-30-1アメリカ1984年12月30日1980年代(NBCテレビ)イスラエル首相,VOAトランズミッターのイ国内設置との米要請検討中,と。 31日(パリ)米政府,ユネスコ脱退。
DIA-601-1987-01-02-1アメリカ1987年01月02日1980年代ヤイター通商代表,台湾,韓国,ブラジル,メキシコ,香港,シンガポール,アルゼンチン,ユーゴの8カ国から290品目について輸入の関税免除措置を撤廃,5~7%の関税を課すと発表。7月1日から実施され,無関税輸入額は1985年の1330億ドルから20億ドル減少する。一方,フィリピン,コロンビア,マレーシアなどは9億5000万ドルの無関税輸出権を得る。(IHT)
DIA-601-1987-01-05-1アメリカ1987年01月05日1980年代レーガン大統領,歳出総額1兆243億ドルにのぼる1988年度予算教書を議会に提出。財政赤字1078億ドル。国防予算3120億ドル(87年度予算は2929億ドル)。
DIA-601-1987-01-09-1アメリカ1987年01月09日1980年代米国,タイと武器弾薬貯蔵庫建設協定に調印。
DIA-601-1987-01-10-1アメリカ1987年01月10日1980年代ワインバーガー国防長官,1988,89年度国防報告を発表。ソ連の量的優位に打ち勝つ唯一の方法として「競争的戦略」を提唱,戦略防衛構想(SDI)と非核防衛構想(CDI)を2本柱とする。
DIA-601-1987-01-12-1アメリカ1987年01月12日1980年代ワインバーガー国防長官,軍事施設防衛でなく全国土の包括的システムの一部として役立つものであれば,第1期SDIの早期配備を支持する,と言明。
DIA-601-1987-01-12-2アメリカ1987年01月12日1980年代アンドリュー・イーバ・アメリカ・アフガニスタン行動協議会理事,アフガニスタン反乱分子に武器を供与するために2年前設けられたCIAスイス銀行秘密口座の資金が,コントラに流されているのではないかとの疑念を表明して議会の調査を要請。同口座はアメリカ,サウジアラビア各2億5000万ドル拠出の約束で始まった。CIAのアフガン反徒向け予算は85年度2億8000万ドル,86年度4億7000万ドル,87年度6億3000万ドル。(WP)
DIA-601-1987-01-22-1アメリカ1987年01月22日1980年代議会筋,議会イラン・コントラ調査委が得た情報を明らかにした:米国政府は84年初め以来,ニカラグア反政府軍に対する援助を6国(イスラエル,サウジアラビア,ブルネイ,シンガポール,韓国,台湾)政府に要請,うちイスラエルとブルネイがこれに応じた。(WP)
DIA-601-1987-01-27-1アメリカ1987年01月27日1980年代大統領一般教書演説。経済の競争力強化政策として,先端技術など人的資本投資,研究開発促進,知的所有権の保護,政府規制の緩和,国際経済環境の改善。
DIA-601-1987-01-27-2アメリカ1987年01月27日1980年代米国とモンゴルはワシントンで外交関係を樹立する了解覚書に調印。米国係官,中ソ間の緊張緩和がモンゴルとの国交への道を開いたと語る。(ロイター)
DIA-601-1987-01-29-1アメリカ1987年01月29日1980年代フィリピンのベニグノ大統領補佐官,ハワイ亡命中のマルコス前大統領夫妻が,28日,特別機で帰国しようとして米国当局に阻止された,と発表。
DIA-601-1987-02-02-1アメリカ1987年02月02日1980年代ホワイトハウス,ケーシーCIA長官の病気による辞任発表。後任はロバート・M・ゲーツが代行。
DIA-601-1987-02-04-1アメリカ1987年02月04日1980年代レーガン大統領,シュルツ国務長官,ワインバーガー国防長官ら,戦略防衛構想(SDI)配備問題につき協議。シュルツ,大統領はSDIのテストと開発を進めるため,72年ABM協定の許容範囲につき「広義の解釈」を取るかどうか早急に決定を迫られようと言明。5日発表されたクロウ統合参謀本部議長の某議員宛書簡は,配備問題の決定は,「軍事的有用性」が十分評価されていないので,時機尚早と述べている。(WP)
DIA-601-1987-02-08-1アメリカ1987年02月08日1980年代ワインバーガー国防長官,1993年から94年の間にSDIの最初の構成部分を配備できよう,と言明。(IHT)
DIA-601-1987-02-10-1アメリカ1987年02月10日1980年代大統領,国防長官,国務長官,カールッチ安全保障問題補佐官,エーデルマン軍縮局長,ニッツ軍縮問題補佐官ら協議。1972年ABM条約の広義の解釈についての最終決定は,議会や同盟国と正式協議を行なうまで延期する,と発表。(WP)
DIA-601-1987-02-17-1アメリカ1987年02月17日1980年代レーガン大統領,ビジネス指導者を前に米国の競争力強化構想につき演説(法案は19日提出)。21世紀に向け世界経済の王座を維持するため,経営者,労働者,教師,科学者の奮起を求める。公正な貿易,知的財産の保護,新ラウンド交渉,労働者再訓練,科学技術振興など。
DIA-601-1987-02-19-1アメリカ1987年02月19日1980年代(マニラ)シングローブ退役陸軍少将は,ラジオ・インタビューで,自分がフィリピンで傭兵を募って反共産ゲリラ活動訓練をしているという噂や,何らかの政治活動に干与しているという議論は「全くのうそ」であると否定。彼は昨年央以来,時々来比し大統領側近,軍関係者と会い,自分では第2次大戦中,日本軍が残した財宝探索事業に従事していると語っている。(WP)
DIA-601-1987-02-26-1アメリカ1987年02月26日1980年代大統領特別調査委(タワー委員長),対イラン武器輸出,対ニカラグァ「コントラ」資金横流しにつき調査報告書を提出。(1)武器売却は人質解放を目的とし,政府自身の政策に反した失策,(2)取引はNSC職員により通常の意思決定手順を逸脱して進められた,(3)NSCの逸脱にはリーガン首席補佐官にも責任がある。(WP)
DIA-601-1987-02-26-2アメリカ1987年02月26日1980年代NATO,ヨーロッパ連合国軍最高司令官に米南方軍(パナマ)司令官のジョン・カルビン大将を任命。
DIA-601-1987-02-27-1アメリカ1987年02月27日1980年代リーガン大統領首席補佐官の辞表受理され,後任にハワード・ベーカー前共和党上院院内総務を任命。
DIA-601-1987-03-01-1アメリカ1987年03月01日1980年代シュルツ米国務長官訪中(~6日)。3日,鄧小平中央顧問委主任と会談,レーガン大統領の親書手渡す。6日,ソウルで全斗煥韓国大統領と会談,同日訪日,中曾根首相と会談。
DIA-601-1987-03-03-1アメリカ1987年03月03日1980年代前日のゲーツCIA長官代行の辞退を受け,CIA長官にウィリャム・ウェブスターFBI長官を任命すると発表。
DIA-601-1987-03-06-1アメリカ1987年03月06日1980年代レーガン大統領,米ソ外相会談のため,シュルツ国務長官が4月13~16日モスクワを訪問すると発表,INF削減交渉が戦略核削減など他の分野の進展への刺激になることを期待する,と述べる。
DIA-601-1987-03-06-2アメリカ1987年03月06日1980年代パール国防次官補,大統領はSDI早期配備せずと。
DIA-601-1987-03-07-1アメリカ1987年03月07日1980年代レーガン大統領,ラジオ演説で,過去数カ月間の米ソ関係進展を評価する一方,アフガニスタン,ニカラグァなどへのソ連の干渉に失望を表明。
DIA-601-1987-03-08-1アメリカ1987年03月08日1980年代(カリフォルニア州パロアルトおよびソウル)米政府筋,シュルツ国務長官が6日,韓国全斗煥大統領と会談の際,3日の北朝鮮の「南北高位級政治軍事会談」提案をよく検討するよう勧めたことを明らかにした。また大統領は,平和的政権交代,後継者選出のための自由選挙などを長官に確約。(AP)
DIA-601-1987-03-09-1アメリカ1987年03月09日1980年代国務省レッドマン報道官,米政府の「対北朝鮮接触要領」をこのほど改訂と発表。これにより中立的な会合の場での双方の意見交換が可能となる。シュルツ長官の中国,韓国,日本歴訪は南北対話の根回しだったと。またパキスタンの核開発に強い懸念を表明。
DIA-601-1987-03-11-1アメリカ1987年03月11日1980年代シュルツ国務長官,下院歳出小委員会で,エイブラムズ国務次官補が昨年,ニカラグァ・コントラに対する寄付をブルネイ首長に懇請したことは,自分の承認を得てした行為で正しい,と証言。(WP)
DIA-601-1987-03-11-2アメリカ1987年03月11日1980年代ナン上院軍事委員長(民),上院本会議でレーガン政権の1972年ABM条約の広義解釈は,同条約批准の際の政府説明に相反すると批判(~13日まで3回)。(WP)
DIA-601-1987-03-11-3アメリカ1987年03月11日1980年代シュルツ国務長官,下院歳出委運用小委で対フィリピン軍事援助の削減をしないよう要請。
DIA-601-1987-03-14-1アメリカ1987年03月14日1980年代レーガン大統領,テレビ演説でイラン・ニカラグァ秘密工作での政府行動における自分の責任と,シュルツ,ワインバーガー両長官の進言の正しさを認む。
DIA-601-1987-03-20-1アメリカ1987年03月20日1980年代元駐韓米軍司令官ジョン・シングローブ退役少将は,最近のインタビューで,1985年初め外国2国にもコントラ援助のための寄附を要請したこと,武器取引額の水増しで隠蔽して同援助に回す計画をノースNSC補佐官に示唆したこと,を語った。消息筋はこの2国を,台湾,韓国としているが,両国係官は否定。(WP)
DIA-601-1987-04-01-1アメリカ1987年04月01日1980年代ゴドウィン国防次官(調達担当),上院軍事委で,89会計年度末までにSDI開発のため9主要分野で実験を行なう計画を明らかにし,これらはいずれもABM制限条約の狭義解釈の枠内で実行可能,と言明。
DIA-601-1987-04-02-1アメリカ1987年04月02日1980年代ヤイター通商代表部代表,NICsの対米輸出品47億ドル分について,対途上国一般特恵関税(GSP)の適用を除外することに決定した,と発表。(時事)
DIA-601-1987-04-07-1アメリカ1987年04月07日1980年代(ワシントン)シグール国務次官補,『日経新聞』記者と単独会見:米国政府は対北朝鮮関係の改善に向けて方針を一変した。この構想については昨年11月の訪韓以来,韓国政府に打診し完全に合意に達している。
DIA-601-1987-04-08-1アメリカ1987年04月08日1980年代ロンギ・ニュージーランド首相,議会に対し,クライストチャーチ米空軍基地を今後も米側に使用させる協定を結んだと言明。同政府筋,この協定は米軍輸送機が核兵器搭載の有無を通告せずに使用することを認めた条項を含むと述べる(UPI)。しかし同首相は9日,この報道を否定,審議中の反核法に「一部の外国軍用機については,首相が状況に応じ着陸機を認めてよい」という条項があり,秘密協定は不要と指摘(共同)。
DIA-601-1987-04-09-1アメリカ1987年04月09日1980年代レーガン政権と民間コントラ支持者グループは1984~86年にニカラグァ反政府グループ援助資金として8300万~9700万ドルを集め,うち2000万ドルが使途不明である。アジアではブルネイ(1000万ドル)と台湾,韓国が寄付に応じた。(IHT)
DIA-601-1987-04-09-2アメリカ1987年04月09日1980年代レーマン海軍長官辞任。後任には5月1日,ジェームズ・ウェッブが就任。
DIA-601-1987-04-18-1アメリカ1987年04月18日1980年代ボルドリッジ商務長官ら米通商代表団,韓国,中国,香港,フィリピン歴訪を開始。うち韓国に対しては,市場開放とともに,特に日米半導体摩擦とのからみで韓国産半導体の輸出自主規制を強く求めた。
DIA-601-1987-04-20-1アメリカ1987年04月20日1980年代(バンコク)キース国務次官補(国際機関担当),シチ・タイ外相に,日本の商社がベトナムとの経済協力を深めている問題で,ASEAN側の対日抗議を支持し,日本政府に対越投資をやめるよう説得したいと表明。 (『日経』)
DIA-601-1987-04-27-1アメリカ1987年04月27日1980年代(ワシントン)レーガン大統領,『朝日新聞』と単独会見:(1)米国には朝鮮半島の緊張を緩和する責任があり,北朝鮮との間で究極的に緊張緩和をもたらすような手を打ちたい。(2)われわれは,韓国はもっと開かれた,より広い基盤に立った政府を必要としていると信じる。
DIA-601-1987-04-28-1アメリカ1987年04月28日1980年代(大阪)第20回アジア開発銀行総会で,ダラーラ米財務次官補代理は,貿易不均衡是正のためアジアNICsなど米ドルに連動している通貨の調整が不可欠であると強調。(『日経』)
DIA-601-1987-05-06-1アメリカ1987年05月06日1980年代国務省筋によれば,シグール国務次官補はこの日の議会証言で,米国政府は4月13日の全斗煥韓国大統領の改憲延期声明以来,改憲問題で全大統領と対決するより,選挙法,地方自治,報道の自由,政治犯釈放などの暫定的改革と野党との対話再開を韓国政府に迫る方針で,4月末倉成外相にも説明した,と述べた。(WP)
DIA-601-1987-05-12-1アメリカ1987年05月12日1980年代(オスロ)ワインバーガー米国防長官は機中で,アジア配備のソ連INF弾頭100個を残すことは同盟国を適切に防衛することにならず,米側のINF条約草案から削除すべきだ,と述べる。(WP)
DIA-601-1987-05-12-2アメリカ1987年05月12日1980年代米両院特別委員会は,イラン・コントラ秘密工作事件公聴会で,コントラ支援のためブルネイ政府から贈られた1000万ドルがクレディ・スイス銀行の間違った口座に振り込まれていたことを明らかにした。
DIA-601-1987-05-13-1アメリカ1987年05月13日1980年代北朝鮮外務省スポークスマン,4月27日のレーガンの「緊張緩和発言」に注目すると述べ,「朝米双方は朝鮮半島の緊張緩和のため,行動と実践に移すときがきた。問題は米国の態度にかかっている」と強調。(『朝日』)
DIA-601-1987-05-13-2アメリカ1987年05月13日1980年代レーガン大統領,SDIの宇宙での実験はABM条約違反とならないとする同条約解釈の報告書提出。
DIA-601-1987-05-15-1アメリカ1987年05月15日1980年代NATO国防相会議,アジア地域を含むすべてのINF撤廃が必要だとする声明を発表した。
DIA-601-1987-05-17-1アメリカ1987年05月17日1980年代楊尚昆中央軍事委員会副主席ら中国軍事代表団,ワシントン訪問。20日,レーガン大統領と会見。
DIA-601-1987-05-19-1アメリカ1987年05月19日1980年代リリー駐韓米大使,統一民主党金泳三総裁と会談。一方,同大使館員が軟禁中の金大中と会談。
DIA-601-1987-05-20-1アメリカ1987年05月20日1980年代シングローブ退役陸軍少将,米議会イラン・コントラ秘密工作問題合同公聴会で証言:86年5月,2外国政府(議会筋により台湾と韓国と特定)にコントラ向け資金援助を頼む際,エイブラムズ国務次官補が政府の意向である旨,保証を与えることに同意した。(WP)
DIA-601-1987-05-20-2アメリカ1987年05月20日1980年代米政府筋,前日のゴルバチョフ書記長のアジアINF全廃提案について,INFの削減が他の分野の戦力削減と関連づけられてはならない,と言明。(共同)
DIA-601-1987-05-26-1アメリカ1987年05月26日1980年代(北京)同日付ロイター電によると,IBJシュローダー銀行信託(興銀の合弁会社)は1949年以来米銀として初の1億5000万ドルの借款を中国銀行に与えることを決めた。3月9日,米最高裁が清朝期の未返済鉄道債券の請求権を棄却する判決を下したことに伴うもの。
DIA-601-1987-05-27-1アメリカ1987年05月27日1980年代官辺筋,レーガン政権は先週パキスタンに早期警戒機供給に原則合意を与えたと語る。AWACS機のリースないし買却は,ペルシャ湾情勢の緊迫から緊急の必要に間に合いそうにないが,E2C型機4機を今夏にも供給することは可能とオプションを提示。(WP)
DIA-601-1987-06-02-1アメリカ1987年06月02日1980年代エイブラムズ国務次官補,両院イラン・コントラ特別委で証言:1986年8月,ロンドンでブルネイの代表と会いコントラ援助のために1000万ドルの寄付につき交渉したが,シングローブ少将の台湾,韓国から資金を集める努力に援助を約束したことはない。(WP)
DIA-601-1987-06-08-1アメリカ1987年06月08日1980年代(ベネチア)ハワード・ベーカー大統領補佐官,イランに対し,中国製対艦ミサイル「シルクワ-ム」の配備のもたらす結果を再考するよう警告。(WP)
DIA-601-1987-06-10-1アメリカ1987年06月10日1980年代国務省副報道官,韓国情勢について,米政府は暴力的事態を嫌悪するとして強い憂慮を表明。(共同)
DIA-601-1987-06-12-1アメリカ1987年06月12日1980年代(レイキャビク)NATO外相理事会,INFのアジア地域を含めた「全地球的規模」の全廃で合意。
DIA-601-1987-06-15-1アメリカ1987年06月15日1980年代レーガン大統領,全米テレビ放送:同盟国の支持のもとにソ連に対し,米ソの地上を基地とする短距離INFの地球規模での全廃と,長距離INFの大幅削減と究極の全廃を正式提案する。
DIA-601-1987-06-16-1アメリカ1987年06月16日1980年代レーガン政権筋,リリー米大使が13日,崔侊洙韓外相に,学生が坐り込み中の明洞教会に機動隊を突入させないよう強い調子のメッセージを送り,翌日全大統領が機動隊を同地域から引揚げさせたことを明らかにした。ホワイトハウスは当面,ソウルに特使を送らないことを決定。国務省,「より開かれた政治制度への前進」を要求することが政策であることを再確認。(WP)
DIA-601-1987-06-19-1アメリカ1987年06月19日1980年代(シンガポール)シュルツ国務長官,ASEAN拡大外相会議で,世界経済は今後数年間,米国の急速な貿易赤字縮小に対応することになろう,ASEANが対米輸出の大きな増大を期待できないのは明らかだ,と言明。また日本のASEANからの輸入,特に製品輸入が少ないことを批判(IHT)。同長官は前日,日本やアジア各国の輸出主導型の経済運営を非難。(『日経』)
DIA-601-1987-06-21-1アメリカ1987年06月21日1980年代シグール米国務次官補,22日からの訪韓に先立ち,「米国は韓国の軍隊が介入することは望まない」と言明。同次官補は24~25日ソウルで,全斗煥大統領,盧泰愚民正党代表委員のほか,金寿煥枢機卿,金大中民推協議長,金泳三民主党総裁らと会談。25日,離韓を前に,「戒厳令や軍の介入には反対するし,そうした可能性があるとは思わない」と述べる。
DIA-601-1987-06-27-1アメリカ1987年06月27日1980年代米上院,韓国の完全な民主主義への移行を支持する決議案を全会一致で採択。30日には下院も同様決議。
DIA-601-1987-06-29-1アメリカ1987年06月29日1980年代シグール米国務次官補,盧泰愚民正党代表委員の大統領直接選挙制の実施など8項目提案について,「これは全斗煥大統領と相談したうえでのこと」,また大統領直接選挙は「おそらく今年12月に行なわれよう」と言明。大統領報道補佐官は同日,収拾案提示を評価。
DIA-601-1987-07-01-1アメリカ1987年07月01日1980年代米信託統治領ミクロネシアのマーシャル諸島とミクロネシア連邦とは,正式に信託統治を離れ,米国との自由連合に移行(83年の国民投票による)。(AP)
DIA-601-1987-07-10-1アメリカ1987年07月10日1980年代ベトナム外務省,行方不明米兵(MIA)捜索問題協議のためベッシー前統合参謀本部議長をレーガン大統領の特使として派遣する米提案を正式に受諾と発表。
DIA-601-1987-07-16-1アメリカ1987年07月16日1980年代国務省官辺は,アマコスト国務次官と駐パキスタン・ラフェル米国大使が,10日パキスタン系カナダ人アルシャド・Z・ペルベズが米国官吏を買収して特殊鋼その他原爆関連材料の不法輸出を企てた容疑で逮捕された件に関連して,パキスタン側に対し,ことばでなく行為で失われた信頼を回復し,経済軍事援助(10月から6年間に40億ドル)カットを免れるよう求めた。(WP)
DIA-601-1987-07-19-1アメリカ1987年07月19日1980年代米国官辺筋は最近,アフガニスタンの反政府ゲリラに供与された米国製地対空ミサイル「スティンガー」が大きな威力を発揮して,ソ連側は空からの攻撃で優勢を維持できず,戦術の変更を迫られている,と言明。スティンガーは1年以内前から供与され,今年は600基供与が承認されているという。(WP)
DIA-601-1987-07-21-1アメリカ1987年07月21日1980年代米上院,「1987年包括通商・競争力法案」を71対27で可決。下院案は4月30日に可決。
DIA-601-1987-07-21-2アメリカ1987年07月21日1980年代上院外交委員会でペル委員長はパキスタン核保有疑惑にからみ対パ援助打切りを要求。同委は4月23日,88年度分6億2500万ドルのうち1億1000万ドルの差し止め案を11対6で否決している。同日,パキスタン政府高官は,パキスタン人が密輪にかかわったとしても,それは政府の支持や承認によるものではないと否定。(WP)
DIA-601-1987-07-21-3アメリカ1987年07月21日1980年代(クアラルンプル)同日付Bernama 通信によると,ブルネイ外務省高官はASEAN記者団に,ブルネイは米国政府の要請で1000万ドルを中米の貧民援助に提供したが,これは利子をつけて返却された,と言明。(AP)
DIA-601-1987-07-22-1アメリカ1987年07月22日1980年代(クウェート)米海軍艦船によるクウェートのタンカー護衛作戦始まる。
DIA-601-1987-07-22-2アメリカ1987年07月22日1980年代マーフィ国務次官補,下院外交委員会の2分科委で証言:米国政府はパキスタン政府にウラン増殖炉の濃縮度5%以下への引き下げと外部査察受け入れを要求した。ファセル外交委員長はこれに先立ち,この問題の審議が終るまで一時対パ援助を停止するよう求めた大統領宛書簡を発表。28日,フィラデルフィア大陪審,原爆材料密輸事件の主犯としてパキスタンの退役准将イナム・ウル・ハックを告発。
DIA-601-1987-07-28-1アメリカ1987年07月28日1980年代米国政府は,米ソ外相会談の9月開催を発表し,同日,ゴルバチョフ・ソ連書記長が提案した「地球規模でのすべてのINF全廃」に条件付きで応じる,と発表。
DIA-601-1987-08-01-1アメリカ1987年08月01日1980年代(ハノイ)ベッシー米大統領特使(前統合参謀本部議長),行方不明米兵(MIA)捜索問題でグエン・コ・タク・ベトナム外相と会談。3日発表の共同声明:双方はMIA捜索問題と「ベトナム側の人道上の緊急問題」に努力し,そのために近い将来専門家協議を開くことに合意した。またこれらの問題は関係正常化や経済援助など,より広い政治的問題とは絡ませない。(WP)
DIA-601-1987-08-03-1アメリカ1987年08月03日1980年代両院特別委員会のイラン・コントラ公聴会終る(5月5日~)。12日,レーガン大統領,資金流用は知らなかったが責任は私にある,と全国向け放送。
DIA-601-1987-08-05-1アメリカ1987年08月05日1980年代レーガン大統領,6日からの中米首脳会議に向け「ニカラグァ和平提案」6項目を発表。これにはライト下院議長(民主党)も支持を与えている。
DIA-601-1987-08-07-1アメリカ1987年08月07日1980年代米情報機関筋,イランは中国製の「シルクワ-ム」ミサイルを追加購入,総保有数が100基に達した可能性があると言明(AP)。ニューヨーク発行の「ミドルイースト・リポート」17日の報道によると,イランはシルクワーム6億ドルと航空機10億ドルを中国から購入。(UPI)
DIA-601-1987-08-08-1アメリカ1987年08月08日1980年代レーガン大統領,前日調印された中米5カ国和平協定を歓迎するとともにコントラ援助継続を声明。
DIA-601-1987-08-10-1アメリカ1987年08月10日1980年代レーガン大統領,7月25日事故死したボルドリッジ商務長官の後任にウィリャム・ベリティを任命。
DIA-601-1987-08-10-2アメリカ1987年08月10日1980年代国家安全保障会議チルドレス補佐官ら米側交渉団,ビェンチャンでラオス側サリティラット外務次官らと,MIA問題を協議。13日,共同声明を発表,ラオスはMIA捜索に協力,米国は「人道的問題」で援助することで合意。ラオスでは,85,86年に共同の遣体発掘を行なったが,87年2月,ラオス側が協力を打ち切った。(WP)
DIA-601-1987-08-14-1アメリカ1987年08月14日1980年代ハビブ中南米担当大統領特使の辞任発表。
DIA-601-1987-08-22-1アメリカ1987年08月22日1980年代米国政府,3人の医療専門家(整型外科,義肢,民間救援活動)をベトナムに派遣。協定に基づき人道的援助を与えベトナム戦争時の行方不明米人の情報を収集するため。行方不明者は1776人とされる。(AP)
DIA-601-1987-08-22-2アメリカ1987年08月22日1980年代米国防総省,ペルシャ湾とその周辺海域で作戦中の米海軍艦船を統括する「中東特別統合機動部隊」を新設し,航空機も含めて指揮系統の一本化を図る,と発表。
DIA-601-1987-08-28-1アメリカ1987年08月28日1980年代ホワイトハウスはレーガン大統領名でフィリピンのクーデター未遂につき「深甚な憂慮」の声明を発表,反乱を非難しアキノ政権無条件支持を表明。官辺は,今回の事件はこれまでとちがい,マルコス派だけでなくより広い基盤をもつ軍改革運動の参加が見られる点を深刻に受けとめる一方,アキノ大統領が反乱軍に対しきわめてきびしい態度をとっていることを重視(WP)。 米上院は9月11日,下院は15日アキノ支持決議採択。
DIA-601-1987-09-09-1アメリカ1987年09月09日1980年代国務省,ABM制限条約につき「米ソ双方が共通の一貫した解釈をとったとの証拠はなく」,SDI兵器の宇宙空間での実験はABM制限条約の枠内で許される,と解釈する最終報告書を発表。
DIA-601-1987-09-10-1アメリカ1987年09月10日1980年代シグール国務次官補,モスクワ訪問。ロガチョフ外務次官とアジア・太平洋地域の情勢につき意見交換。
DIA-601-1987-09-14-1アメリカ1987年09月14日1980年代訪米中の韓国民主正義党盧泰愚総裁はホワイトハウスでレーガン大統領と会談。(共同)
DIA-601-1987-09-15-1アメリカ1987年09月15日1980年代シグール国務次官補,訪韓(モスクワから)を終え「韓国の民主化はうまくいっており今後も順調に進むと思う。盧総裁の今回の訪米は私的なもので,米国が特定候補を支持することはありえない」と言明。(『日経』)
DIA-601-1987-09-15-2アメリカ1987年09月15日1980年代(ワシントン)シュルツ国務長官とシェワルナゼ外相により米ソ外相会談(~17日)。18日発表された共同声明によると,(1)INF全廃で基本合意に達した,(2)INF条約調印は87年秋に開催される首脳会談で,(3)条約完成のため残された技術的問題解決はジュネーブ交渉で。
DIA-601-1987-09-17-1アメリカ1987年09月17日1980年代米ソ,核実験制限に関する段階的本格交渉を12月1日以前に開始することで合意した,と発表。
DIA-601-1987-09-18-1アメリカ1987年09月18日1980年代ワインバーガー国防長官,SDIの1990年代初頭の第一段階配備に向け,6分野で本格的実験段階に進むことを正式に承認した。
DIA-601-1987-09-21-1アメリカ1987年09月21日1980年代米国政府当局者,イスラエルの武器が直接売却,あるいは中国の仲介でイランに輸出され,米国の対イラン武器輸出停止の努力を困難にしている,と。(UPI)
DIA-601-1987-09-24-1アメリカ1987年09月24日1980年代国防支出権限法案を審議中の上院本会議,途上国向け日本の政府開発援助を1992年までにGNPの3%相当額までふやすよう求めた決議案を96対1で可決。29日には,西側同盟国に共同防衛のための公平な財政負担を求める決議案を90対4で可決。
DIA-601-1987-09-26-1アメリカ1987年09月26日1980年代(ワシントン)先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7),諸通貨が経済の基礎的諸条件におおむね合致した範囲内にあることを再確認し,為替レートを当面の水準の周辺に安定させるためひきつづき協力することを約した。G7声明は,この日レーガン大統領が財政均衡法修正法案署名を決定したことを歓迎した。
DIA-601-1987-09-29-1アメリカ1987年09月29日1980年代上院,日本がベトナム発展につながる貿易をやめるよう求める決議案を発声投票で採択。
DIA-601-1987-09-29-2アメリカ1987年09月29日1980年代レーガン大統領,財政均衡法修正法案に署名。議会と大統領が一致できない時は88年度に230億ドルの財政赤字を自動的に削減することを定めている。
DIA-601-1987-09-30-1アメリカ1987年09月30日1980年代米国核拡散防止法の対パキスタン・ウェーバー(サイミントン修正条項の免除)が6年間を経て失効。88年度からの6年間40億ドルの新援助計画は議決に至らず。
DIA-601-1987-10-01-1アメリカ1987年10月01日1980年代国防・国務省官辺,9月29,30日にソ連がハワイ南方350マイルと同北西500マイルを目標にSS18の発射実験を行なったことに米政府が強く抗議したと言明。6日,上院はソ連の実験とチベット問題での中国の人権侵害を非難する決議を採択。(WP)
DIA-601-1987-10-03-1アメリカ1987年10月03日1980年代米国とカナダの自由貿易協定交渉合意。
DIA-601-1987-10-08-1アメリカ1987年10月08日1980年代国務省,職員1万5800人中1270人の削減を発表。
DIA-601-1987-10-09-1アメリカ1987年10月09日1980年代ワインバーガー国防長官,ペルシャ湾の何隻かのイラン砲艦は明らかにアメリカ製のスティンガー・ミサイルを装備している,と言明。9月20日にロンドン・サンデー・タイムズは,アフガニスタン・ゲリラの一派がイランに武器を売ったと報じている。(WP)
DIA-601-1987-10-11-1アメリカ1987年10月11日1980年代(北京)李先念中国国家主席,「米国議会には他国の内政に干渉する権利はない」と騒乱のきっかけになったダライ・ラマに発言の機会(9月21日下院の人権小委員会で証言)を与えた米議会を非難。(『日経』)
DIA-601-1987-10-19-1アメリカ1987年10月19日1980年代4隻の米駆逐艦,先週の米船籍タンカー攻撃に対する報復としてペルシャ湾のイランの2油田攻撃。
DIA-601-1987-10-19-2アメリカ1987年10月19日1980年代同日付IHT によると,国務省は先週,チベット問題について,中国を不必要に傷つけずまた同国の国境治安体制を脅かす意図はないことを示すような方法で,不快の念を表明することを検討したが結論は得ていない。
DIA-601-1987-10-19-3アメリカ1987年10月19日1980年代ニューヨーク株式市場22.6%の大暴落。ホワイトハウス,特別声明で「大統領は,本日の株価続落を関心をもって見つめた」と発表。翌日,レーガンはベーカー財務長官,グリーンスパンFRB議長らと協議後,増税を含め財政赤字縮小で議会と協議を始めるよう命じた。
DIA-601-1987-10-20-1アメリカ1987年10月20日1980年代(ワシントン)ガンディー・レーガン会談。
DIA-601-1987-10-21-1アメリカ1987年10月21日1980年代米政府,この日からシンガポール向けのハイテク製品の輸出認可を簡素化した。(日経)
DIA-601-1987-10-22-1アメリカ1987年10月22日1980年代国務省,同日イランがシルクワーム・ミサイルをクウェート沖石油輸出ターミナルに打ち込んだことにかんがみ,ミサイルを売り込んだ中国に対し,コンピュータ,半導体製造設備,通信・実験設備などハイテク品目輸出緩和の検討を延期することを決定した。(WP)
DIA-601-1987-10-22-2アメリカ1987年10月22日1980年代レーガン大統領,全米向けテレビ記者会見で,早急に議会指導者と包括的財政赤字縮小策を交渉すると言明。これに先立ち財務長官,ベーカー首席補佐官,ミラー行政管理予算局長を政府代表に指名した。
DIA-601-1987-10-28-1アメリカ1987年10月28日1980年代フィリピンのクラーク基地近くで米軍人を狙った連続銃撃事件が発生,死者米兵3,フィリピン人1。
DIA-601-1987-10-30-1アメリカ1987年10月30日1980年代米ソ両国,12月7日からワシントンで米ソ首脳会談を開くことで合意した,と共同声明。23日のモスクワでの米ソ外相会談では日程が決定できていなかった。
DIA-601-1987-11-03-1アメリカ1987年11月03日1980年代アマコスト国務次官,3日間の訪中を終え記者会見:呉学謙外相らとの会談で,中国の対イラン・ミサイル売却が米中関係の基礎を崩す可能性があると警告した。中国側は,武器輸出がイラン,イラクに流れないよう厳重な措置をとると言明。(WP)
DIA-601-1987-11-05-1アメリカ1987年11月05日1980年代レーガン大統領,ワインバーガー国防長官辞任を発表。後任はフランク・カールッチ大統領安全保障問題補佐官。カールッチ補佐官の後任はパウエル陸軍中将。
DIA-601-1987-11-11-1アメリカ1987年11月11日1980年代(シンガポール)リー・シンガポール首相,アジア太平洋の将来をめぐる会議で,米国の議会と政府が保護主義の圧力に屈するなら,米国と日,韓,ASEANなど東アジア諸国との信頼関係は崩壊し,最悪の場合は日本が米国との安全保障関係を捨て再軍備に走る可能性がある,と演説。(IHT)
DIA-601-1987-11-12-1アメリカ1987年11月12日1980年代レーガン大統領,ホワイトハウスでアフガニスタン抵抗組織の連合アフガン・ムジャヒディン・イスラム同盟のマウラビ・ユニス・カリス議長らと会見,軍事的政治的支援を強めることを保証するとともに,「真の政治解決」達成に助力する用意がある,と述べた。米国高官,抵抗勢力を売り渡すことはないと保障しつつ,カブール政権との「臨時政府」参加を考えるべき時と伝える。(WP)
DIA-601-1987-11-13-1アメリカ1987年11月13日1980年代商務省,日本,韓国,シンガポール,カナダ製のカラーテレビ・ブラウン管をダンピングと決定。
DIA-601-1987-11-17-1アメリカ1987年11月17日1980年代(サンフランシスコ)マルフォード財務次官補,アジアNICs,特に台湾,韓国は,対米大幅貿易黒字にもかかわらず通貨の過小評価,制限的貿易政策,輸出依存型経済政策の是正を行なっていないので,議会の保護主義を防ぐことができない,と警告。特に通貨は現在より10~15%切り上げる必要がある,と演説。(WP)
DIA-601-1987-11-18-1アメリカ1987年11月18日1980年代両院イラン・コントラ事件特別委員会,最終報告書を公表:レーガン大統領の果たした役割は解明できない部分も多いが,大統領は法律が公正に適用されるよう管理を求められており,事件の全面的な責任がある。共和党8委員はこれに同意せず別の報告書を公表。
DIA-601-1987-11-19-1アメリカ1987年11月19日1980年代前日の下院に続き,上院,88年度国防総省支出権限法案の両院合意案を可決。同支出総額は2960億ドル(予算教書要求は3120億ドル,87年度は2896億ドル)。3年つづきの実質前年度比減となる。またSDI予算は要求45億ドルに対し39億ドル。レーガン大統領,12月4日署名。
DIA-601-1987-11-20-1アメリカ1987年11月20日1980年代レーガン大統領と民主,共和両党の議会指導者,1988年度302億ドル,89年度459億ドルの財政赤字削減で基本合意に達したと発表。
DIA-601-1987-11-25-1アメリカ1987年11月25日1980年代(バンコク)ベトナム,5米兵の遺体引渡し。
DIA-601-1987-12-01-1アメリカ1987年12月01日1980年代(フロリダ州ジャクソンビル)レーガン大統領,米ソ首脳会談におけるINF全廃条約調印につづき,戦略核,通常戦力の軍縮を推進していく考えを強調,今こそソ連軍の撤退日程表を設ける時だと述べる。
DIA-601-1987-12-03-1アメリカ1987年12月03日1980年代上院歳出委,インドが同様措置に同意しない限り,パキスタンが核製造施設国際査察に付すことを条件づけられることなく援助再開が許される内容の法案可決。同日,ニューデリーの外交筋,明白な法律違反にかかわらず対パ援助継続を合理化する術策だと非難。(WP)
DIA-601-1987-12-07-1アメリカ1987年12月07日1980年代カールッチ国防長官このほど,4軍に対し89年度予算案を10%以上削減して総額2900億ドル規模にすることを命令(88年度決定額は2960億ドル)。(IHT)
DIA-601-1987-12-08-1アメリカ1987年12月08日1980年代(ワシントン)米ソ首脳会談(~10日)。8日,INF全廃条約に調印。10日発表された共同声明では,戦略核半減交渉の相当の進展を認めたが,地域紛争では重大な相違を認めつつ定期的意見交換で合意。
DIA-601-1987-12-11-1アメリカ1987年12月11日1980年代アマコスト国務次官,一旦アフガニスタンからのソ連軍撤退の日程表が同意されたら,撤退と同時にパキスタン,サウジアラビア,とりわけ米国からの抵抗勢力に対する援助を終らせるというジュネーブ交渉の了解を順守する,と言明。またこの再確認は米ソ首脳会談中にソ連側に伝えられたと。(WP)
DIA-601-1987-12-14-1アメリカ1987年12月14日1980年代(東京)ロウニー特使(大統領軍事顧問),宇野外相に米ソ首脳会談の内容を説明。それによると,レーガン大統領がアフガニスタン,カンボジア,アンゴラ,イラン・イラク戦争など地域問題の解決の重要性を強調したのに対し,ゴルバチョフ書記長は具体的反応を示さず,地域問題協議には進展がなかった。(『東京』)
DIA-601-1987-12-16-1アメリカ1987年12月16日1980年代ヤイター通商代表,対韓通商圧力を示唆。
DIA-601-1987-12-17-1アメリカ1987年12月17日1980年代両院協議会,核拡散防止法のウェーバー期間2年半を付し40.2億ドルの対パキスタン援助承認。ただし88年度は経済援助2.2億ドル,軍事援助2.6億ドル。
DIA-601-1987-12-22-1アメリカ1987年12月22日1980年代上下両院,総額6039億ドルの88会計年度包括歳出法案と財政赤字2年間760億ドルを削減する財政調整法案を可決,レーガン大統領は即日これに署名,成立した。
DIA-601-1987-12-26-1アメリカ1987年12月26日1980年代韓国の通商当局筋,米国政府は韓国がタバコ,生命保険,観光ホテル用牛肉の3分野につき今年中に市場開放措置をとらない場合,年明け早々に通商法第301条を発動すると韓国政府に通告した,と言明。(『日経』)
DIA-601-1987-12-28-1アメリカ1987年12月28日1980年代国務省,アフガニスタンのホスト地区戦闘でゲリラ側の米人顧問が死亡したとの27日付タス通信報道を否定,米国は同国内に顧問を送っていない,と言明。
DIA-601-1987-12-30-1アメリカ1987年12月30日1980年代ワシントン・タイムズ報道:在ワシントン中国大使館員2人をFBIがスパイ容疑で連行し国外退去に。
DIA-601-1988-01-02-1アメリカ1988年01月02日1980年代レッドマン国務省報道官,同省はベトナム向け人道主義的援助を民間団体に奨励しているが,これは行方不明米兵(MIA)問題と直接関係しない,と言明。
DIA-601-1988-01-04-1アメリカ1988年01月04日1980年代アマコスト国務次官,パキスタンを訪問,ジア大統領らとアフガニスタン問題および地域問題を協議。3日付WP紙によると,レーガン大統領はこれに先立ち,アフガン・ムジャヒディン・イスラム同盟のマウラビ・ユニス・カリス議長にメッセージを送り,ソ連が戦闘を続ける限りアメリカは軍事・政治援助を継続し強化する,と保障。なお4日,ソ連のシェワルナゼ外相が突然アフガニスタンを「実務訪問」した。
DIA-601-1988-01-04-2アメリカ1988年01月04日1980年代(ワシントン)米韓通商協議,韓国の高級牛肉,米国産たばこ,保険業の3分野市場開放をめぐって開かれる。合意に至らず,鄭寅用副首相(経済企画院長官)は予定したベーカー財務長官との通貨協議も取り止めて帰国。(AWS)
DIA-601-1988-01-06-1アメリカ1988年01月06日1980年代(イスラマバード)アマコスト国務次官,帰国に先立ち,ソ連軍早期撤退を可能にする信頼できる合意に達する時がきた,と言明。同次官は前日,アフガニスタンの7主要反政府ゲリラ組織のうち5組織の指導者と会談,ゲリラ支援継続を確約した。(WP)
DIA-601-1988-01-07-1アメリカ1988年01月07日1980年代シュルツ国務長官,ソ連軍の88年中のアフガニスタン撤退という前日のシェワルナゼ言明を歓迎。撤退が具体的スケジュールで行われて後戻りのないものであり,ソ連が政府軍への軍事援助を止め,政権が中立化されれば,米国は軍事援助を停止する,と言明。(WP)
DIA-601-1988-01-11-1アメリカ1988年01月11日1980年代総合長期戦略委員会,「選択的抑止」と題する最終報告書を国防長官に提出。
DIA-601-1988-01-11-2アメリカ1988年01月11日1980年代米国政府筋によると,11日中国製シルクワーム・ミサイルが北朝鮮から船積みされイランの港に到着した模様。中国外務省は14日,中国製ミサイルが国際市場を通してイランに流れることがないよう,すでに前から厳格な措置をとっている,とこれを否定。(WP)
DIA-601-1988-01-12-1アメリカ1988年01月12日1980年代国務省と国際開発局(AID)高官の談話:議会が12月22日可決した対外援助法案で,食糧援助を除く二国間援助の72%をイスラエル,エジプト,フィリピン,それにパキスタン,中米など議会が支援する少数の特定国や特定プログラムに「留保」し,その結果,国益に沿って援助を配分する行政府の裁量権を侵し,柔軟性を失わせている。(WP)
DIA-601-1988-01-14-1アメリカ1988年01月14日1980年代レーガン大統領が87年12月17日,論議の的であった対パキスタン援助パッケージ40億2000万㌦の審議に関連し,「パキスタンは核爆発装置を保有しない」旨の書簡を議会指導者に送っていたことが判明。援助の初年度分は結局可決され,支出は大統領に委ねられた。(WP)
DIA-601-1988-01-14-2アメリカ1988年01月14日1980年代国務省,大韓航空機事件についての韓国政府発表に伴い声明を発表し,「許しがたい野蛮なテロ行為」と北朝鮮を強く非難。
DIA-601-1988-01-15-1アメリカ1988年01月15日1980年代(ホノルル)ヘイズ米太平洋軍司令官は瓦防衛庁長官との会談で,INF全廃合意後の通常兵力不均衡の事態に備えて日本の防衛力の近代化と充実を求めた。また在韓米軍については「米韓協力関係の形は将来変わりうるが,今議論すべき時期ではない」と言明。
DIA-601-1988-01-15-2アメリカ1988年01月15日1980年代米国とスペイン,新基地協定を発表。スペイン駐留の401戦術航空団のF16 72機は3年以内にトレホン空軍基地から撤退することに決まる。
DIA-601-1988-01-18-1アメリカ1988年01月18日1980年代下院アジア・太平洋問題小委員会ソラーズ委員長ら米議員団,このほどフィリピンを訪問,同国政府に5年間総額50億㌦の「ミニ・マーシャル・プラン」援助構想を提示。今後日本にも参加を要請する。(『日経』)
DIA-601-1988-01-20-1アメリカ1988年01月20日1980年代国務省レッドマン報道官,「ベトナムがカンボジア占領を続ける限り米国の援助は問題外である,というのが米国の確固とした政策である。捕虜・行方不明者問題の今日までの進捗は失望させるものである」と言明。
DIA-601-1988-01-20-2アメリカ1988年01月20日1980年代(バンコク)ムラゼク,リッジ両下院議員は,15~18日ハノイを訪問した際,タク・ベトナム外相との間でアメラシアン(米兵との混血児)とその家族3万人全員の米国移住について合意に達した,と発表。
DIA-601-1988-01-20-3アメリカ1988年01月20日1980年代レーガン大統領,「国家安全保障戦略」報告書提出。
DIA-601-1988-01-20-4アメリカ1988年01月20日1980年代国務省,北朝鮮を国際テロ支援国家に指定し,一連の制裁措置をとった,と発表。87年3月に解禁した米外交官の北朝鮮外交官との中立の場所での接触も撤回。
DIA-601-1988-01-25-1アメリカ1988年01月25日1980年代議会が開会し,レーガン大統領,一般教書演説。
DIA-601-1988-01-26-1アメリカ1988年01月26日1980年代国防総省筋,中国を「敵性国家」のリストに載せていたことを1年以上隠してきたことを認める。(AP)
DIA-601-1988-01-27-1アメリカ1988年01月27日1980年代カールーチ国防長官,議会に提出した報告書「NATO戦略への支援」で,INF条約発効後のNATOの抑止力の柱として戦術核兵器の近代化促進を強調。
DIA-601-1988-01-29-1アメリカ1988年01月29日1980年代レーガン大統領,アジアNICsに対し,一般特恵関税の適用を89年1月2日から廃止すると発表。
DIA-601-1988-01-29-2アメリカ1988年01月29日1980年代国務省,議会による予算削減などの制約で88年に30カ国向け42の軍事経済援助計画が除外されその他多くの計画が大幅削減となる,と言明。特にトルコ,ポルトガル。フィリピンの米軍基地所在国への影響を憂慮。(WP)
DIA-601-1988-02-01-1アメリカ1988年02月01日1980年代ヤイター米通商代表部(USTR)代表,公式訪中。2日,鄭拓彬対外経済貿易相と1988~91年米中繊維貿易協定に調印。
DIA-601-1988-02-01-2アメリカ1988年02月01日1980年代レッドマン国務省報道官,アンゴラ政府が全キューバ兵のアンゴラからの撤退に初めて同意した,と発表。1月28,29日のクロッカー国務次官補のルアンダ訪問の際,キューバ政府代表団も交えて合意。(「共同」)
DIA-601-1988-02-03-1アメリカ1988年02月03日1980年代(ソウル)ダララ米財務副次官補,鄭寅用副首相にウォンの対米ドル・レート大幅切り上げを強く要請。
DIA-601-1988-02-03-2アメリカ1988年02月03日1980年代下院,レーガン大統領の要請したニカラグア反政府ゲリラ「コントラ」新規援助案(3625万㌦,うち10%が軍事関係)を219対211で否決。
DIA-601-1988-02-09-1アメリカ1988年02月09日1980年代ホワイトハウスは,ソ連軍5月15日撤退開始というゴルバチョフ声明(8日)は正しい方向に踏み出したものと評価。また国務省は,撤退のペースを早め88年末以前に完了することを求めた。ホワイトハウスは,撤退が行なわれれば,米国のゲリラ援助停止に何の問題もない,と言明。(WP)
DIA-601-1988-02-10-1アメリカ1988年02月10日1980年代アンブローズ陸軍次官言明:昨年の予算サミットの軍事予算330億㌦削減合意に伴い,88会計年度の現役陸軍人員数は現在の78万1000人から77万2600人に減員される。これは,79年(75万8000人)以来の最低。戦後のピークは朝鮮戦争時159万人,ベトナム戦争時157万人。〔注:18日発表の89会計年度予算案によると,4軍総兵力は3万6000人減の217万4000人。内訳は,陸軍(9000人減),海兵隊(2000人減),空軍(3万1000人減)で,海軍は(6000人増)となる〕。(WP)
DIA-601-1988-02-10-2アメリカ1988年02月10日1980年代シュルツ国務長官は,「米国・ASEAN年次対話」開会に当たり,シンガポールの姚照東外務国務相が,最近のNICsのGSP適用除外決定は米国の信頼性を損なうと抗議したのに対し,「あなたがそう思われるなら真の対話のベースがない。苦闘している貧しい国が輸出できないでいる時に,シンガポールは特別の機会が与えられるべきだと主張することはできない。米国はルールにかなっていると思う」と激しく反駁(WP)。なお,米政府高官は9日,「対話」に関連して,米・ASEAN間の自由貿易協定については研究調査を行なうことで双方がすでに合意している,と言明した。(「共同」)
DIA-601-1988-02-16-1アメリカ1988年02月16日1980年代アーミテージ国防次官補,ペルシャ湾に派遣したタンカー護衛艦のうち,戦艦「アイオワ」など3隻を13日頃からすでに引き揚げさせたことを明らかにした。縮小は護衛政策の変更につながるものでなく経済的要因によるものであることを示唆した。(『毎日』)
DIA-601-1988-02-16-2アメリカ1988年02月16日1980年代ヤイターUSTR代表,韓国のたばこ輸入障壁について通商法301条に関する調査を開始したと発表。同日,米国食肉協会も外国産牛肉を輸入制限しているとしてUSTRに韓国政府を提訴した,と発表。
DIA-601-1988-02-18-1アメリカ1988年02月18日1980年代レーガン大統領,1989会計年度の予算教書を議会に提出。歳出1兆942億㌦,歳入9647億㌦,財政赤字は1295億㌦。国防予算は2940億㌦(支出ベース)で,前年度比実質1%減(4年連続マイナスの伸び)。19日には88年大統領経済報告と大統領経済諮問委年次報告を提出。
DIA-601-1988-02-18-2アメリカ1988年02月18日1980年代カールーチ国防長官,1989年度国防報告を議会に堤出:ソ連の軍事能力は増強をつづけている。核戦力を近代化し通常戦力を強化する必要がある。戦略防衛構想(SDI)は90年代に第1段階の配備が可能である。資源の制約により同盟国・友好国との集団安全保障が不可欠である。なお同日,クロウ統合参謀本部議長は89年度「軍事情勢報告」を議会に提出。
DIA-601-1988-02-21-1アメリカ1988年02月21日1980年代米ソ外相会談(モスクワ,~22日)。戦略核削減問題とアフガニスタン・ペルシャ湾問題が中心。シュルツ国務長官は22日,「ソ連がアフガニスタン撤退を決定したことにいささかの疑いもない。年末までにソ連軍の撤退,難民の帰国,国民の意思に沿った政権の樹立,が行なわれるチャンスは十分にある」と言明。(WP)
DIA-601-1988-02-22-1アメリカ1988年02月22日1980年代ジェームズ・ウェッブ海軍長官突然辞任。最近のカールーチ国防長官の海軍艦船削減(16隻)により600隻艦隊構想が事実上放棄されたことを辞表のなかでも挙げているが,国防総省におけるカールーチの指導性にも批判的であった。同日,スマート商務次官も辞任。海軍長官の後任はウィリャム・ボール三世(ホワイトハウス法務部長,3月30日就任)。(WP)
DIA-601-1988-02-24-1アメリカ1988年02月24日1980年代(ペシャワール)アマコスト国務次官,在パキスタンのアフガン・ゲリラ7派代表(うち1派は代理)とソ連軍撤退につき会談。別にヒズビ・イスラム党ヘクマチャル派のグルブディン・ヘクマチャルも出席。国務省,これまでで最高レベルの会議だったと発表。西側筋は,米ソの秘密協定によって米国のゲリラに対する武器供給が減ったとしてゲリラ指導者が怒っている,と言明(IHT)。同次官は,23日モスクワからパキスタン入りして,24日ジア大統領と会談している。
DIA-601-1988-02-26-1アメリカ1988年02月26日1980年代(ソウル)ベーカー財務長官,司空壹韓国財務部長官と会談後,ウォンを日本円や台湾元の切り上げに見合うだけ切り上げるべきだ,と語る。また輸入市場,株式市場の開放も要請。同長官は盧新大統領とも会談。
DIA-601-1988-02-29-1アメリカ1988年02月29日1980年代上院本会議,両党提案で「ソ連のアフガニスタン占領終結が完全に明らかになるまでは,アフガン反政府勢力に対する米国軍事援助を打ち切るべきでない」旨の決議を77対0で採択。(WP)
DIA-601-1988-03-02-1アメリカ1988年03月02日1980年代ベトナム政府,ベトナム戦争中に行方不明となった米兵17人の遺体をハノイで米側に引き渡し。
DIA-601-1988-03-02-2アメリカ1988年03月02日1980年代ベーカー国務長官,2月25日の盧韓国大統領との会談について:牛肉・たばこの輸入制限と米国生命保険会社の参入制限,知的所有権が保護されていないこと,などの経済摩擦解決について,新政権は米国に協力する熱意をもっているとの感触を得た。私は両国間の経済問題は安全保障上の米国の約束に影響するものではないと伝えた。(WP)
DIA-601-1988-03-02-3アメリカ1988年03月02日1980年代リンゼー特殊作戦司令官,非通常戦争・対テロリスト作戦コマンドー部隊「ネービー・シール」は,核動力潜水艦を母艦とする2人乗りと6人乗りのミニ潜水艇を保有すると発表。(IHT)。
DIA-601-1988-03-03-1アメリカ1988年03月03日1980年代NATO首脳会議(ブリュッセル,2日~),特別声明発表:INF条約歓迎,米ソ戦略核半減交渉支持,米国の通常・核戦力の駐留継続,核・通常兵力を必要に応じ最新式に保つこと。
DIA-601-1988-03-04-1アメリカ1988年03月04日1980年代シュルツ国務長官,イスラエル,シリア,エジプトに米国の中東和平案を説明した書簡を正式に手交。前日にはロンドンでフセイン・ヨルダン国王にも。内容は,国際会議(4月初め〉―イスラエル占領地におけるパレスチナの自治に関する交渉(1カ月後)―占領地の最終的地位交渉(12月)―限定的自治に関する暫定取り決め発効,という段取り。(WP)
DIA-601-1988-03-05-1アメリカ1988年03月05日1980年代(台北)台湾の張継正中央銀行総裁言明:米国は台湾の対米貿易黒字が縮小しているため,両国間の為替レートを2カ月間(3月末までという)現行水準にとどめ,黒字がさらに縮小するかどうか見守ることに同意した。(「ロイター」)
DIA-601-1988-03-07-1アメリカ1988年03月07日1980年代呉学謙中国外相訪米(~9日)。7日の会談でシュルツ国務長官はイランに対する武器禁輪を支持するよう求めた。呉外相は8日のレーガン大統領との会談で,国連の安保理事会の圧倒的多数がそう考えるなら,対イラン武器禁輸を支持する,と発言。国務省は9日,イランの中国製武器調達につき中国の発言と行動に力づけられたとして,87年10月以来の対中ハイテク技術禁輸を近く解除する,と発表。また呉外相は米国の平和部隊を受け入れることに原則合意した。チベットの人権問題では物別れに終わる。(WP)
DIA-601-1988-03-11-1アメリカ1988年03月11日1980年代国務省レッドマン報道官,ソ連がカブール政府に対する援助を「並行して」打ち切らない限り,米国政府はアフガン反政府勢力への軍事援助を停止しない,と言明。(WP)
DIA-601-1988-03-16-1アメリカ1988年03月16日1980年代カールーチ国防長官とヤゾフ国防相との間で米ソ国防相会談(ベルン,~17日)。
DIA-601-1988-03-16-2アメリカ1988年03月16日1980年代レーガン大統領,ホンデュラスに4大隊3200人の戦闘部隊の派遣を命令。この決定はカールーチ国防長官(滞欧中),クロウ総合参謀本部議長(休暇)不在のうちに行なわれた。(WP)
DIA-601-1988-03-18-1アメリカ1988年03月18日1980年代レーガン大統領,IHT紙との会見で:(1)日本は自己の法規にしたがって防衛の責任をとる姿勢を強めており,現在,憲法上の制約に変更を加える必要はないと思う。(2)(太平洋をめぐる米国の政策の成果および一般情勢に満足を表明したあと)ソビエト海軍の増強とカムラン基地の存在という軍事配置を考えれば,在比米軍基地の継続使用は至上命令である。米比基地協定更新をねがっている。米国にとっても同じだけフィリピンの利益でもあろう。
DIA-601-1988-03-18-2アメリカ1988年03月18日1980年代(東京)日本の防衛庁筋は,「89年度米国軍事情勢報告」(2月18日)を分析した結果,米軍が韓国に資材・装備の事前集積を進めていることを明らかにした。昨年版の「計画」段階から今回は「実施」段階に移行した,というもので,「在韓米軍の撤退・削減の動きにつながる可能性がある」とみている。(『日経』)
DIA-601-1988-03-22-1アメリカ1988年03月22日1980年代米ソ外相会談(ワシントン,~23日)。23日,米ソ首脳会談は5月29日~6月2日,モスクワで開催,と正式発表。会談は戦略核削減,アフガニスタン,人権,中米など各方面にわたったが,多くは未解決で残った。
DIA-601-1988-03-26-1アメリカ1988年03月26日1980年代同日付WP紙報道:外交筋その他によると,レーガン政権は2月末,アフガニスタン和平を見越してアフガン・ゲリラに対するスティンガー型対空ミサイルの供与を打ち切る決定を行なった。米国との軍事関係が切れてからアフガン各派の手に多数のスティンガーが残り,抑制不能になる恐れから。86年央から供与されたスティンガーの数は1000基余。なお協定による武器供与が打ち切られる前の数カ月に米国から少なくとも3億㌦,サウジアラビアから同額の武器が供与される手はず。
DIA-601-1988-03-29-1アメリカ1988年03月29日1980年代ドール上院議員,大統領選挙からの撤退を正式表明,共和党候補はブッシュ副大統領に事実上確定。
DIA-601-1988-03-31-1アメリカ1988年03月31日1980年代前日の下院につづき上院,コントラ援助法案可決。総額4790万㌦の人道援助のパッケージ。(WP)
DIA-601-1988-03-31-2アメリカ1988年03月31日1980年代サウジアラビヤのファハド王,このほどホーラン駐サウジ米国大使の召還を要求。これは中国からのミサイル購入に対し米国が正式に異議を申し立てたことが原因と見られている(国務省は否定)。(WP)
DIA-601-1988-03-31-3アメリカ1988年03月31日1980年代米政府筋:米国とパキスタンはソ連に,アフガニスタン和平協定調印は,軍事援助打ち切りが相互的であるという条件をソ連が受け入れた場合のみ,とソ連に通告。同日シェワルナゼ外相は受け入れ難いと語る。(WP)
DIA-601-1988-04-01-1アメリカ1988年04月01日1980年代国防総省,来週パナマに米軍1300人増派と発表。5日派遣開始,8日別に海兵隊800人を派遣。
DIA-601-1988-04-05-1アメリカ1988年04月05日1980年代(ソウル)シグール国務次官補,4日間の米韓交渉を終え,「貿易交渉のいくつかの分野で進展があった。韓国では民主主義が発展中である」と言明。(AWS)
DIA-601-1988-04-06-1アメリカ1988年04月06日1980年代(北京)呉学謙中国外相,サウジアラビアに「通常の地対地ミサイル」を売却したことを確認,「他国に譲渡せず,先制的に使用せず,防衛的にのみ使うという約束を同国政府から得ている。武器供与は他国も中東に対して行なっていることである」と言明(WP)。なお,複数の米外交筋が15日明らかにしたところによると,このミサイルは中国の兵器専門家と韓国の建設会社某社が協力して設置した(「共同」)。
DIA-601-1988-04-06-2アメリカ1988年04月06日1980年代(ハノイ)ベトナム政府,行方不明米兵の遺体27体とアジア系の未確認遺体3体を米軍に引き渡し。タク外相は,ベトナム側がこの問題に積極的でない,米兵捕虜を隠しているのではないか,という臆測に反発。(WP)
DIA-601-1988-04-06-3アメリカ1988年04月06日1980年代(ニューデリー)カールーチ国防長官,インド訪問(4~5日)終える。インドが自力設計した軍用機にハイテク技術のリング・レーザー・・ジャイロを供与することを発表し,「インドが目標とする自立的防衛の広汎な分野で両国の協力関係を拡大できる」言明。同時に対パキスタン軍事援助約束(F-16戦闘機,スパロー・ミサイルなど,6年間に14億㌧)を確認。(WP)
DIA-601-1988-04-07-1アメリカ1988年04月07日1980年代米政府筋によれば,ソ連はアフガニスタン撤兵後双方とも武器援助を継続できる方式に同意の意思を表明。またパキスタン政府は,訪問中のカールーチ国防長官との間で,同国領を通じてアフガン・ゲリラにひきつづき武器供給を行なうことで了解に達す。(WP)
DIA-601-1988-04-11-1アメリカ1988年04月11日1980年代レーガン大統領,米国がソ連とともにアフガン和平協定の保証人となることに同意した,と発表。シュルツ国務長官は,他国に侵入したのちに撤退に追い込まれたことはソ連史上初めてのことと評価し,アフガン抵抗勢力に援助を続ける権利を行使する,と言明。(WP)
DIA-601-1988-04-14-1アメリカ1988年04月14日1980年代(ジュネーブ)アフガン和平4協定調印。パキスタンとアフガニスタン間で,また米ソは保証人として。シュルツ国務長官,デクエヤル国連事務総長にあて声明書:ソ連が撤兵日程の約束を守ることが基本であり,米国は,ソ連が軍事援助を抑制しない限りアフガン諸党派に軍事援助を行なう権利を留保する,とソ連に通告済みである。また保証人としての調印は現アフガニスタン政府を合法政権として承認するものではない。(WP)
DIA-601-1988-04-14-2アメリカ1988年04月14日1980年代メッツェンバウムら58人の上院議員,サウジアラビアが中国からIRBMを秘密購入したことにかんがみ,サウジアラビアへの武器売却4億5000万㌦を議会に要請することを見合わせるよう要請。(UPI)
DIA-601-1988-04-15-1アメリカ1988年04月15日1980年代ブッシュ副大統領,米新聞編集者協会年次総会で演説:日本が憲法の制約下で可能な限り自国や他の国々の防衛に力をつくすことを望む。韓,日からの対比援助は,フィリピンだけでなく太平洋諸国の安全保障に寄与できる。(『日経』)
DIA-601-1988-04-18-1アメリカ1988年04月18日1980年代米海軍,14日の米フリゲート艦触雷の報復として,ペルシャ湾のイラン石油海上施設2カ所とイラン艦艇6隻を破壊。これに対しイラン側も反撃。
DIA-601-1988-04-20-1アメリカ1988年04月20日1980年代(カブール)米国国際開発政策センターとソ連世界経済国際関係研究所共催で,米国民間代表団(12人,ロバート・ホワイト,ウィリアム・サリバン両元大使ら)がアフガニスタン訪問。アフガン政府側は米国による承認と援助を要請したが,代表団は,根本的改革により真の国民和解政権ができなければ,米国に協力を期待できない,と答えた。24日ナジブ大統領と会見。(WP)
DIA-601-1988-04-21-1アメリカ1988年04月21日1980年代米ソ外相会談(モスクワ,~22日)。共同コミュニケは,可能な最短時間で戦略兵器条約を完成すべく集中的努力をすると述べているが,大きな進展なし。問題点:宇宙兵器,艦艇発射巡航ミサイル,空中発射巡航ミサイル,移動ミサイル,検証・査察問題。(WP)
DIA-601-1988-04-24-1アメリカ1988年04月24日1980年代WP紙同日報道:議会技術評価局(OTA)は科学技術者の2年間の調査報告として,戦略防衛構想(SDI)の諸目標を達成できる技術的可能性は問題が多いと指摘した。6月7日発表になったところによれば,同報告書は,「SDI,有効性とソフトウェア」と題され,技術的,戦略的にSDIの最終目標の達成に疑問を呈し,コストや有効性の見通しがつけにくく,特にソフト開発で問題があることを指摘している。(『日経』)
DIA-601-1988-04-28-1アメリカ1988年04月28日1980年代マーフィ国務次官補,下院委員会で証言:バンダル駐米サウジアラビア大使は3月6日,同国が中国製ミサイル(中国名DF3A。いわゆるCSS2。射程1600マイル)を輸入したことを確認,ただし核弾頭は要求したこともない,と述べた。原則合意は85年7月,第1次の搬入は87年末であった。(WP)
DIA-601-1988-04-29-1アメリカ1988年04月29日1980年代下院は,NATO諸国と日本が防衛支出を増額しなければ米軍を引き揚げる,という国防権限法案修正案を否決,代わりに政府が同盟国と責任分担取り決めを交渉するよう求めた決議案を全会一致で採択。(WP)
DIA-601-1988-04-29-2アメリカ1988年04月29日1980年代国防総省,「共同防衛への同盟国の貢献」報告書を議会に提出。日本の防衛力増強の着実な努力を認めつつ,防衛分担の一環として経済援助増額を求める。(『日経』)
DIA-601-1988-04-29-3アメリカ1988年04月29日1980年代レーガン大統領,ブルネイ,バハレーン,ナウル,英領バミューダの一般特恵関税(GSP)適用を7月1日から廃止すると発表。
DIA-601-1988-05-02-1アメリカ1988年05月02日1980年代タフト国防副長官,NATO諸国,日本,韓国歴訪に出発。今回の歴訪は同盟国に防衛負担増大を求めるもの。(WP)
DIA-601-1988-05-04-1アメリカ1988年05月04日1980年代不法入国者特赦措置締切日。86年移民改革統制法により,82年1月1日以前の入国が証明できる者を合法化。5日発表では約210万人が出願。(WP)
DIA-601-1988-05-05-1アメリカ1988年05月05日1980年代米ソの著名人による3年間の研究成果発表。参加者は,ソ連側:アルバトフ米加研究所長ら,米国側:ジョージ・ボール元国務次官補ら。特に第三世界における米ソの競争を非軍事化して40年間の冷戦に終止符を打つよう勧告。(WP)
DIA-601-1988-05-06-1アメリカ1988年05月06日1980年代(ソウル)2日からの米韓貿易実務協議終わる。米国製たばこの販売価格引き下げ,農産物4品目の市場開放などで合意。ワイン,広告業では合意せず。
DIA-601-1988-05-06-2アメリカ1988年05月06日1980年代WP紙報道:国務省筋によると,シグール国務次官補は,先週パリでロガチョフ・ソ連外務次官と会談した際,「ベトナムが新しい動きをしない限り膠着したカンボジア和平交渉は打開できない」として,ベトナムがシアヌークとの直接交渉に応ずるようソ連の外交措置を求めた。
DIA-601-1988-05-08-1アメリカ1988年05月08日1980年代WP紙報道:政府・議会筋によると,フィリピンに対する多国間の「ミニ・マーシャル・プラン」(5年間100億㌦)につきレーガン大統領は,アキノ大統領と詳細を正式に協議するため特使を送る模様。発端は87年8月末のクーデタ未遂事件により生じた同国の安定性に対する懸念で,同年11月25日,クランストン,ルーガー両上院,ソラーズ,ケンプ両下院議員がレーガンに書簡を送り同計画の推進を求めた。シュルツ国務長官も88年に入って検討を開始,3月15日には議員グループと協議,ホワイトヘッド国務副長官が立案監督の担当となった。援助の内容は,贈与,開発借款,返済額軽減や債務・証券スワップなど債務救済,貿易特恵,国際機関・民間企業の投資から成る。また国際的にはシグール国務次官補が4月,日本,西欧,韓国を訪問して協力を要請,別にリー・シンガポール首相も4月の私的訪米の際,米側と協議した。シュルツ長官は4月15日,再度議会側と協議計画の推進が原則的に決まったことを伝えた。
DIA-601-1988-05-10-1アメリカ1988年05月10日1980年代米国政府,駐米シンガポール大使館員1人に退去を命じたと発表。7日シンガポール政府が,駐シ米大使館ヘンドリックス1等書記官に内政干渉を理由に退去を要求したことに対抗した措置。
DIA-601-1988-05-11-1アメリカ1988年05月11日1980年代レーガン大統領は共和党夕食会で,後継大統領候補としてブッシュ副大統領を支持すると正式に表明。
DIA-601-1988-05-11-2アメリカ1988年05月11日1980年代米ソ外相会談(ジュネーブ,~13日)。5月の米ソ首脳会談に間に合うような戦略核半減条約の妥結は不可能となったが,米上院のINF条約批准の障害となっていた技術上の諸点は解決された。(WP)
DIA-601-1988-05-11-3アメリカ1988年05月11日1980年代(ソウル)タフト国防副長官,2日間の訪韓終える。呉滋福国防相との交渉で,韓国は共同防衛における負担増額には応じたが,フィリピンに対する財政援助問題では合意に達せず。また副長官は在韓米軍引き揚げの意図は全くないと言明。(WP)
DIA-601-1988-05-11-4アメリカ1988年05月11日1980年代(東京)タフト国防副長官,瓦防衛庁長官に,政府開発援助の増額,平和維持活動への貢献,在日米軍への支援などの面で「責任分担」を果たすよう要請。12日の都内講演では,フィリピン,トルコ,アフガニスタン,南太平洋諸国への援助増額を求めている。(『日経』)
DIA-601-1988-05-15-1アメリカ1988年05月15日1980年代米政府高官は,アフガニスタンからのソ連軍撤退開始を高く評価する一方,撤退が予定の9カ月間より早く完了し,米国にとって好ましい政権が樹立されるよう政治的てこ入れを強める考えを明らかにした。(「共同」)
DIA-601-1988-05-17-1アメリカ1988年05月17日1980年代(キャンベラ)ヘイズ太平洋軍司令官言明:もし韓国の軍事強化がこのまま続けば,1995年までに米軍を朝鮮半島から引き揚げられるだろう。(『日経』)
DIA-601-1988-05-19-1アメリカ1988年05月19日1980年代カールーチ国防長官,ラモス・フィリピン国防相との会談(3回目)終了に当たり,二国間の伝統的な軍事協力維持を確認した,との声明を発表。18日にはシュルツ国務長官が会談し対比多国間援助で協議。(『日経』)
DIA-601-1988-05-20-1アメリカ1988年05月20日1980年代国防総省上級顧問会議,報告書発表:ミサイル防御宇宙基地計画はリスクが大きすぎる,第1段階は限定的な地上ミサイル防御に規模を縮小すべきだ。(WP)
DIA-601-1988-05-23-1アメリカ1988年05月23日1980年代カールーチ国防長官,日本人記者団と会見:(1)日本政府首脳との協議の主要議題は対比ODAである。(2)駐留受け入れ国支援について日本は正しい方向に向かっている。日本の貢献増大に必要なら日米地位協定改定に応じる。(3)日本は海上交通路1000カイリ防衛を拡大するより防衛力整備に力を注ぐことが重要。(『東京』,「日経』)
DIA-601-1988-05-24-1アメリカ1988年05月24日1980年代レーガン大統領,包括通商法案に拒否権発動。同日,下院は拒否権をくつがえす308対113票で再可決。
DIA-601-1988-05-25-1アメリカ1988年05月25日1980年代レーガン大統領,訪ソに出発。26日朝ヘルシンキ着。29日モスクワ入り。
DIA-601-1988-05-27-1アメリカ1988年05月27日1980年代NATO国防相会議(26日~),ヨーロッパの防衛負担の増額と公平化,スベイン駐留第401戦術航空団のイタリア移駐を決定。
DIA-601-1988-05-27-2アメリカ1988年05月27日1980年代上院,93対5でINF全廃条約批准案可決。
DIA-601-1988-05-29-1アメリカ1988年05月29日1980年代米ソ首脳会議(モスクワ,~6月1日)。並行して外相会談,国防相会談。31日,軍縮に関する2協定と文化交流など二国間関係に関する7文書に調印。1日,INF全廃条約の批准書を交換し,共同声明で,戦略核半減条約,地域問題などでさらに交渉を続ける,と発表。
DIA-601-1988-06-02-1アメリカ1988年06月02日1980年代(東京)カールーチ国防長官,来日して宇野外相,瓦防衛庁長官に米ソ首脳会談につき報告。
DIA-601-1988-06-04-1アメリカ1988年06月04日1980年代キッシンジャー,バンス両元国務長官はこのほど,「フォーリン・アフエアーズ」最新号への連名の寄稿のなかで,米国外交政策に超党派のコンセンサス回復を呼びかける。(IHT)
DIA-601-1988-06-07-1アメリカ1988年06月07日1980年代民主党大統領候補にマイケル・デュカキス・マサチューセッツ州知事が事実上確定。
DIA-601-1988-06-07-2アメリカ1988年06月07日1980年代(カリフォルニア州アービン)ブッシュ副大統領(ABCのニュース番組で),「ソ連が中国式に内向きに根本的に変わったとは言えないと思う。多分大統領とは相違があろう」と言明。レーガンは米ソ会談後,米ソの根本的相違はひきつづき縮まっている,と語っていた。(WP)
DIA-601-1988-06-07-3アメリカ1988年06月07日1980年代(ソウル)第20回米韓定例安保協議会(~9日)。カールーチ国防長官と呉滋福国防相が出席。ソウル・オリンピックに対する安全確保の共同体制と米国の支援を確認。また韓国の駐留費負担増額で合意。内訳は89~91年間,現行年額3400万㌦から4000万㌦へ,別に89年は出動米軍機修理費として500万㌦上積み。韓国は現在,年額で間接(地代・税金免除の基地提供)16億㌦,直接3億㌦を負担しているという。また国防長官は,「米軍が必要とされ,韓国民が望む限り駐留を続ける」と言明(WP)。米側は,現在米側が握っている一部韓国軍の作戦指揮権の移譲問題に関連して,米韓連合司令部副司令官の権限を強化するとともに,同司令部の改編についても本格的に検討,その結果を89年の米韓安保協議で報告したい,としている(『東京』)。
DIA-601-1988-06-08-1アメリカ1988年06月08日1980年代上院本会議の包括通商法案の再採決の結果は61対37で,拒否権をくつがえすに必要な3分の2に達せず。
DIA-601-1988-06-09-1アメリカ1988年06月09日1980年代(北京)駐北京米国大使館,中国当局から第三国人による米国市民に対するテロ活動の企図があるという情報を受け,在留米国人に注意を喚起する通告。(IHT)
DIA-601-1988-06-13-1アメリカ1988年06月13日1980年代パウエル安全保障担当大統領補佐官,「モスクワ首脳会談の体験から,ソ連で生じている変化はきわめて根本的であるが,ソ連の近代化の成功が米国や同盟国の利益になるかどうかわからない」と言明。(WP)
DIA-601-1988-06-14-1アメリカ1988年06月14日1980年代ホワイトハウス,ハワード・ベーカー大統領首席補佐官の辞任発表。後任はケネス・デュバースタイン次席補佐官(交代は7月1日付)。
DIA-601-1988-06-14-2アメリカ1988年06月14日1980年代連邦捜査局と海軍捜査局,軍需企業,コンサルタントの軍需契約に絡んだ大規模贈収賄事件で,国防総省や軍需企業を捜索。疑惑の中心は,レーマン前海軍長官,ベイズリー前次官補らとマクダネル・ダグラス社など。(『毎日』)
DIA-601-1988-06-15-1アメリカ1988年06月15日1980年代(ペシャワール)麻薬取締局職員,「過去3年パキスタン西北辺境州のけし栽培と阿片精製はアフガン向け武器輸送路確保のため見逃されてきたが,ソ連軍撤兵に伴い議会はパキスタンの取り締まりのゆるさに目を向け,経済軍事援助は半減されるかもしれない」と語る。(WP)
DIA-601-1988-06-15-2アメリカ1988年06月15日1980年代シュルツ国務長官とベーカー財務長官は共同記者会見してトロント・サミットに臨む米国政府の立場にっいて説明。対比多国間援助について「米国政府はすでに関係諸国と検討中であり,サミットで包括的な多国間援助の方式が検討されよう」,さらに「日本は軍事面で負担を負うことにはいろいろの制約がある。開発援助をもっと考えるのが適当であろう」と述べる。(『東京』)
DIA-601-1988-06-16-1アメリカ1988年06月16日1980年代シュルツ国務長官,下院歳出委員会で在比米軍基地について言明:われわれは「賃貸料」の考え方を受け入れられない。フィリピンのような友好国が核兵器積載艦は歓迎しないことを法制化するなら,関係を断つしかない。(WP)
DIA-601-1988-06-19-1アメリカ1988年06月19日1980年代第14回先進国首脳会議(トロント,~21日)。20日政治宣言,21日経済宣言を採択。
DIA-601-1988-06-22-1アメリカ1988年06月22日1980年代レッドマン国務省報道官:米国は弾道ミサイルの拡散について中国にかねて懸念を表明してきたし,中国が最近,地対地短距離弾道ミサイルのMシリーズ新型を国際兵器見本市で展示したことに注目している。シリアに対するM-9ミサイルの売却には深い懸念を抱いている。中東は緊張地域だから特におだやかでない。ただ,(イスラエルの指摘するように)シリアへの売却が切迫していることをうかがわせる情報はない。(WP)
DIA-601-1988-06-24-1アメリカ1988年06月24日1980年代タフト国防副長官,新しい調達ガイドラインを発す。国防総省は5月20日,3~4月の支出額が予定を大幅に上回ったため国防態勢にかかわる活動以外の支出は新規契約を凍結した。今回は,研究開発その他事業業務活動の新規契約を認めるようやや緩和した。(WP)
DIA-601-1988-06-25-1アメリカ1988年06月25日1980年代(ドーハ)マーフィ国務次官補,カタール国防相に対し,同国のスティンガー入手に抗議し,入手経路特定への協力と返還を要求したが拒否された。(IHT)
DIA-601-1988-06-26-1アメリカ1988年06月26日1980年代国務省筋によると,米政府は外国人指導者を連邦大陪審で起訴する時は連邦検察官が事前に大統領の承認を得る,という新政策を採択。ミース司法,シュルツ国務両長官の間で非公式に取り決められた。(IHT)
DIA-601-1988-06-26-2アメリカ1988年06月26日1980年代WP紙報道:国務省筋によると,米国は中国が中距離ミサイルをサウジに売却した事件のあと,これ以上弾道ミサイルを中東に売らないよう中ソと交渉を開始。
DIA-601-1988-06-29-1アメリカ1988年06月29日1980年代ANZUS理事会(ワシントン,28日~)終わる。オーストラリアの防衛力近代化を評価し,ニュージーランド(今回も欠席)に非核政策変更を促す共同声明を発表。(『日経』)
DIA-601-1988-07-03-1アメリカ1988年07月03日1980年代ペルシャ湾のホルムズ海峡で米イージス艦ビンセンスがイランの民間航空機1機を撃墜。
DIA-601-1988-07-05-1アメリカ1988年07月05日1980年代シュルツ国務長官,ASEAN外相会議出席と東アジア・太平洋9カ国歴訪に出発(~20日)。
DIA-601-1988-07-05-2アメリカ1988年07月05日1980年代ミース司法長官,辞意を表明。後任として12日,ソーンバーグ前ペンシルベニア州知事を任命。
DIA-601-1988-07-06-1アメリカ1988年07月06日1980年代アフロメーエフ・ソ連参謀総長,クロウ米統合参謀本部議長の招きで訪米(~11日)。この日,米ソ間の艦艇相互寄港と人的往来計画を発表。(WP)
DIA-601-1988-07-09-1アメリカ1988年07月09日1980年代(ジャカルタ)シュルツ国務長官,ジャカルタに向かう機中で言明:現在のインドシナ難民政策は経済的密出国者を政治難民として奨励する結果,政治難民を秩序正しく合法的に受け入れる米国の制度の基盤を崩している。全部を再定住させる代わりに,難民を自発的に帰国させるように見直しを行なう必要がある。(IHT)
DIA-601-1988-07-11-1アメリカ1988年07月11日1980年代(ジャカルタ)シュルツ国務長官は,「アジア諸国はもはや80年代前半のように米国市場への製品輸出で成長することはできない」として,アジア諸国に市場開放と国際協調を求めるとともに,環太平洋の国際経済機構を設けることを提唱。(WP;IHT)
DIA-601-1988-07-12-1アメリカ1988年07月12日1980年代(マニラ)シュルツ国務長官は,アキノ大統領,関係閣僚,上下両院議員と会談。フィリピン国会の非核法制定の動きに強い懸念を表明,(1)同法制定は在比米軍基地の存続を困難にする,(2)米国は求められればいつでも基地を撤去する用意がある,などと警告した。一方,記者会見では,進行中の基地協定見直し交渉は今月中に終結できる,という見通しを語った。
DIA-601-1988-07-13-1アメリカ1988年07月13日1980年代(香港)国務省高官の言明:中国がリビア,シリア,イラン,パキスタンに短距離弾道ミサイルM-9の売り込みを図っているという多数の未確認情報がある。これに加え,中国のサウジへの弾道ミサイルのひそかな売却,イラン,イラクの中距離ミサイルを利用した化学兵器の使用の増大は中東の戦争の性質を変えた。シュルツ国務長官は訪中の際,中国の指導者にこれらの懸念を表明するつもりである。(WP)
DIA-601-1988-07-13-2アメリカ1988年07月13日1980年代ホワイトハウス報道官,司法省がマルコス元フィリピン大統領のいかなる起訴問題もホワイトハウスと協議するよう命ぜられたことを認める。(WP;「ロイター」)
DIA-601-1988-07-14-1アメリカ1988年07月14日1980年代米国,ベトナムからMIA遺体25体受け取り。87年8月のベッシー訪越以来5度目,累計で79体に。
DIA-601-1988-07-15-1アメリカ1988年07月15日1980年代ベトナム,南シナ海で行方不明の米海軍機乗員3人の救助と引渡しを米側に通告。16日には,ベトナム政府が元政治犯とその家族5万1000人の米国移住を認める。
DIA-601-1988-07-15-2アメリカ1988年07月15日1980年代シュルツ国務長官,中国指導者との会談(14日~)を終え記者会見:中国指導者とのカンボジア問題をめぐる話し合いはきわめて有益,かつ価値あるものであった。われわれは多くの主要点で完全に一致した。中国側はクメール・ルージュの復権を支持しないと述べ,双方はシアヌークが将来の政権の潜在的主役であることで合意した。またミサイルの危険な拡散についてより集中的な協議を行なう権限を与えるよう銭外相に求めた。(WP)
DIA-601-1988-07-16-1アメリカ1988年07月16日1980年代(ソウル)シュルツ国務長官,「中ソとも,北朝鮮はソウル五輸に対しテロ攻撃を行わないと強い語調で保障している」と言明。(IHT)
DIA-601-1988-07-18-1アメリカ1988年07月18日1980年代ホワイトハウス,イランの国連和平決議598号受け入れを歓迎:停戦が実現すればペルシヤ湾の海上護衛やプレゼンスを縮小するが完全離脱はしない。(WP)
DIA-601-1988-07-18-2アメリカ1988年07月18日1980年代(ソウル)シュルツ国務長官,韓国新聞編集者協会で演説:(1)市場開放は相互的でなければならず,市場開放を要求したため韓国民が反米的になってもしかたがない,(2)(フィリピン,韓国の事例のように)米国はひきつづき建設的目的のために影響力を行使し,民主的傾向の政治勢力を助けてアジアの平和的変革を促進するであろう,(3)米国と韓国の国民と政府が必要とする限り米軍は韓国にとどまる。(IHT)
DIA-601-1988-07-19-1アメリカ1988年07月19日1980年代(東京)シュルツ国務長官は竹下首相ら日本政府首脳と会談後,日米間の貿易不均衡が「峠を越し」両国関係が良好で健全な軌道にのったことを確認。(WP)
DIA-601-1988-07-20-1アメリカ1988年07月20日1980年代民主党大会はデュカキスを大統領候補に指名。
DIA-601-1988-07-25-1アメリカ1988年07月25日1980年代ホワイトハウスと国務省言明:ソ連が急拠ソ連軍1万人をアフガニスタンに戻したというジア・パキスタン大統領の主張を確認する証拠はない。撤兵が日程どおり進行しているという先週末のアフロメーエフ・ソ連参謀総長の声明は信頼できると受け取っている。(WP)
DIA-601-1988-07-26-1アメリカ1988年07月26日1980年代(マニラ)米比基地協定見直し交渉は,両者の主張に開きが大きいとして比側から中断。在比米大使館,国務省は再開を楽観視。米側によると包括的補償額の米提案は年額5億㌦,比側は10億㌦以上。(WP)
DIA-601-1988-07-28-1アメリカ1988年07月28日1980年代シグール国務次官補,下院外交委アジア・太平洋小委で証言:米政府は非共産系カンボジア2派を強化する具体的措置(政府筋によると現在年300万㌦の援助の大幅増額と恐らくは性格の変更)を検討中である。ベトナム軍撤退に向けて明確な前進があれば,対クメール・ルージュ援助の打ち切りを要求するのが米政府の立場である。(WP)
DIA-601-1988-07-29-1アメリカ1988年07月29日1980年代レーガン大統領,インドシナの行方不明米兵2394人(うちベトナムには1758人)の合同現地調査をベトナムが受け入れたことを歓迎,米越関係の打開の前兆になるかもしれない,と言明。同合意は,25~28日のハノイにおける交渉の末,前日発表されたもの。(WP)
DIA-601-1988-08-01-1アメリカ1988年08月01日1980年代カールーチ国防長官,公式訪ソ(~4日)。
DIA-601-1988-08-03-1アメリカ1988年08月03日1980年代レーガン大統領,89年度国防権限法案(上下院とも7月14日可決。2996億㌦)に拒否権発動。要請額は上回っているが,SDI・MXミサイル費の削減,ABM・SALT Ⅱ条約順守要件などが防衛計画を危くするという理由。(WP)
DIA-601-1988-08-03-2アメリカ1988年08月03日1980年代(バンコク)ハノイ放送,ベトナムは米国との人道主:義的計画への協力を一時停止した,と報道(ベトナム政府発表は5日)。タク外相は7月31日付のベッシー将軍宛書簡で,米国務省が「敵対的政策」をとっていることを理由に挙げた。これはシグール国務次官補が7月28日,両国間の下級レベルの外交関係樹立を促す議会決議案の動きに反対したことを指すものと見られる。(IHT)
DIA-601-1988-08-03-3アメリカ1988年08月03日1980年代ギリシア政府,主要米軍4基地のうち最大のヘレニコン空軍基地の閉鎖を発表。同国政府は7月13日,本年末失効する現基地協定を延長しないと通告していた。
DIA-601-1988-08-03-4アメリカ1988年08月03日1980年代米国の主要石油精製・エネルギー企業集団コースタル社は,同社がオレゴン,カリフォルニア両州に有する精製・販売施設を出資して,中国の国家化学進出口公司との間で合弁会社(持分50%)を設立することに同意した,と発表。合弁会社と公司の間では原油供給協定も結ばれる。(IHT)
DIA-601-1988-08-05-1アメリカ1988年08月05日1980年代レーガン大統領,ベーカー財務長官の辞表を受理し,後任にニコラス・ブレイディ(ディロン・リード社会長)を指名した,と発表。
DIA-601-1988-08-05-2アメリカ1988年08月05日1980年代下院軍事委員会特別部会,同盟国の防衛分担につき中間報告発表。日本の防衛力増強努力は経済実力から言って不十分,特に海上交通路防衛における空母の必要性,また独力で3海峡封鎖を行なう重要性を示唆。(『日経』)
DIA-601-1988-08-09-1アメリカ1988年08月09日1980年代カールーチ国防長官,イラン・イラク戦争8月20日停戦の実施を待ち,ペルシャ湾の米海軍は戦争以前の通常規模(現在同地域に27隻,以前は3~6隻であった)に戻ろう,と言明。(IHT)
DIA-601-1988-08-11-1アメリカ1988年08月11日1980年代上院,総額2826億㌦の89年度国防歳出法案を90対4で可決,大統領が拒否した89年度国防歳出権限法案が関連条項として盛り込まれたほか,NATO,日本など同盟国の防衛責任分担強化を求める条項が入る:(1)大統領が防衛分担専任の特使を任命,(2)国防長官らが米軍海外配備につき長期的視点から検討を加える,(3)国防総省が海外活動に要する費用の明細を明らかにする,など。日本・韓国駐留米軍の兵員に87年並みの上限(9万4450人)を設けるが,フィリピン情勢の推移により在比米軍を日韓に移駐させる必要が生じた時はこれを上回ってよい。また海外米軍維持費が88年を上回る場合は受け入れ国が増加分を支払うことを求める。(『日経』;WP)
DIA-601-1988-08-12-1アメリカ1988年08月12日1980年代(ソウル)米韓両国政府,米軍施設をソウルの都心から移転することで原則合意した,と発表。在韓米軍は4万2000人,283haに米軍司令部,米第8軍,米韓合同司令部,在韓米海軍司令部が駐屯。(WP)
DIA-601-1988-08-12-2アメリカ1988年08月12日1980年代国務省発表:米国はラオスと8月22,23日にビエンチャンでMIA問題を中心に二国間協議。(「共同」)
DIA-601-1988-08-15-1アメリカ1988年08月15日1980年代ロード駐中国大使は米国大使として初めて10日までチベットを旅行,チベット自治区ドジツアィナン主席に,人権抑圧報道に深い懸念を表明するとともに,外国人がより容易に近づけるよう求めた,と語る。(WP)
DIA-601-1988-08-17-1アメリカ1988年08月17日1980年代レーフエル駐パキスタン米国大使と同駐在武官代表ワンム准将は,ジア・パキスタン大統領とともに飛行機爆発事故死。18日,レーガン大統領は「パキスタンの安全と領土保全に対する米国の強い支援は今後も続けられる」と保障するとともに,葬儀へのシュルツ国務長官の派遣と,後任大使にロバート・B・オークリー国家安全保障会議上級スタッフの指名を発表。米国のこの態度は事故後にソ連とインドに伝えられた,と23日ワシントンの米官辺筋言明。葬儀に参列した国務長官は20日,イスハク・カーン大統領代行と会談。(『朝日』;WP)
DIA-601-1988-08-17-2アメリカ1988年08月17日1980年代共和党全国大会(15~18日),大統領候補にブッシュ副大統領を指名。副大統領候補はダン・クエール。
DIA-601-1988-08-17-3アメリカ1988年08月17日1980年代(マニラ)2日再開した米比基地協定見直し交渉は翌月まで休会と発表された。(WP)
DIA-601-1988-08-23-1アメリカ1988年08月23日1980年代レーガン大統領,「88年包括通商・競争力強化法案」に署名,発効。同法案は,5月24日大統領が拒否権を発動した法案に修正を加えたもの。
DIA-601-1988-08-30-1アメリカ1988年08月30日1980年代(ペシャワール)アフガニスタンとパキスタンの外交筋によると,米国のアフガニスタン・ゲリラへの武器供給は5月以来,大部分が在ペシャワールの反政府勢力を通さず,直接アフガニスタン国内の前線ゲリラ勢力に向けられている。武器輸送はパキスタン経由に変わりはないが,パキスタン情報担当官が代行している。これは,ソ連撤退地域では民生面も含めて支配権がゲリラ勢力に移り,武器の輸送も以前よりはるかに容易になったという背景のほか,米国の思惑がある。特に米国は反政府勢力のうち,グルブディン・ヘクマチャルのヒズビ・イスラム党を警戒している。イスラム原理主義者が,アフガニスタンをイランに似たイスラム共和国に変えるのではないかと恐れているのである。(WP)
DIA-601-1988-08-30-2アメリカ1988年08月30日1980年代国務省オークリー報道官,8月初めアフガニスタン北部クンドスの戦闘に,自国領内から出撃したソ連機が参加したのはジュネーブ協定違反であり,国連調停使節団に持ち出す,と言明。また違反ではないがソ連砲兵隊の再展開をも懸念している。(WP)
DIA-601-1988-09-04-1アメリカ1988年09月04日1980年代ソラーズ下院外交委アジア・太平洋小委員長,ラングーンでマウン・マウン・ビルマ大統領,反政府勢力各指導者と会談。ビルマの複数政党制への平和的移行の必要を強調。(『日経』)
DIA-601-1988-09-06-1アメリカ1988年09月06日1980年代(北京)カールーチ国防長官訪中(~10日)。6日秦基偉国防相と会談,中国のミサイル輸出問題を提起したが応答なし。国防相は会談前に「世界最大の武器商は米ソであり,それに比べれば中国の輸出は微々たるものである。将来も大量に売ることはない」と言明。(IHT)
DIA-601-1988-09-07-1アメリカ1988年09月07日1980年代(北京)カールーチ国防長官,鄧小平中央軍事委員会主席らと会談。会談後,記者会見での言明:(1)中国が武器輸出について完全に責任あるやり方で対処することに満足した。この問題はもう終わりにしてよいと思う。中国側は核兵器を輸出することは決してないとも保証した。(2)中国側は米国製の通信衛星を中国の長征ロケットで打ち上げる問題を提起した。私見ではこれは国防問題ではなく技術移転問題である。中国側は技術保護についてあらゆる保障をしている(IHT)。(3)米国は中国への軍事技術協力を広げる。具体的には航空分野での新たな協力について両国間の交渉が進行中である(『日経』)。
DIA-601-1988-09-09-1アメリカ1988年09月09日1980年代国際開発局は,洪水に襲われたバングラデシュに1億5000万㌦の災害救援援助を行なうと発表。(WP)
DIA-601-1988-09-09-2アメリカ1988年09月09日1980年代国務省,レーガン大統領は米国製の通信衛星3基を中国製長征ロケット・ブースターで打ち上げる計画を条件つきで承認した,と発表。申請していたのは中国政府とAsiaSat(英中コンソーシアム),AUSSAT(オーストラリア)。米議会筋と民間打ち上げ会社は国防上の危険と採算無視の国営企業との競争を問題視。(WP)
DIA-601-1988-09-12-1アメリカ1988年09月12日1980年代(ワシントン)ブッシュ副大統領,国家安全保障問題で助言を与える13人のキャンペーン委員を指名:ブレジンスキー(カーター期安全保障問題補佐官),スコウクロフト(フォード期同),キッシンジャー,ヘイグ(それぞれ元・前国務長官),アン・アームストロング(元大使),ハワード・ベーカー(レーガン期首席補佐官),レアード,ラムズフエルド(ともに元国防長官)。(AP)
DIA-601-1988-09-13-1アメリカ1988年09月13日1980年代レーガン大統領,未払の国連分担金1億8800万㌦の支払いと,過去の未払金債務5億2000万㌦について多年度の支払計画を立てるよう国務省に命令。(WP)
DIA-601-1988-09-14-1アメリカ1988年09月14日1980年代レッドマン国務省報道官,リビアがイラク,シリア,イラン,イスラエルの諸国につづき,化学兵器の全面生産に入る間際である,と発表し,国際社会に対し第三世界の化学兵器生産抑制に協力を求めた。(WP)
DIA-601-1988-09-14-2アメリカ1988年09月14日1980年代カールーチ国防長官,訪米したフィリピンのマングラプス外務長官に,フィリピンの要求があまりに多額であれば米国は在比基地を断念する用意がある,と言明。政府筋によると代替はグアムないし太平洋のどこか。15日,シュルツ国務長官も,同趣旨を述べる。(AP)
DIA-601-1988-09-15-1アメリカ1988年09月15日1980年代太平洋のパラオ諸島代表団は,米国と「自由な連合の契約」のもとに永続的関係を打ち建てるため9日からワシントンで米側と交渉してきたが,財政問題で折合いがつかず決裂。(WP)
DIA-601-1988-09-15-2アメリカ1988年09月15日1980年代タフト国防副長官,日本の防衛費は絶対額ではNATO加盟国をしのぐか同規模に拡大と言明。(「共同」)
DIA-601-1988-09-22-1アメリカ1988年09月22日1980年代米ソ外相会談(ワシントン,~23日)。ABM条約をめぐる相違や戦略核兵器削減について大幅な進展を見ないで終了。なお国務省は,合意点の「暫定協定」を結ぶのではないかという議会の懸念を否定。(WP)
DIA-601-1988-09-23-1アメリカ1988年09月23日1980年代国務省のレッドマン報道官は,対ビルマ政府間援助を一時停止したことを明らかにした。(『日経』)
DIA-601-1988-09-26-1アメリカ1988年09月26日1980年代(ニューヨーク)レーガン大統領,国連総会で演説:米ソ戦略核半減条約は1年以内に締結可能である。毒ガス・化学兵器の全世界規模の廃止に向けた国際会議を提唱する。
DIA-601-1988-09-26-2アメリカ1988年09月26日1980年代ホワイトハウス,ペルシャ湾の米国籍タンカーの護衛方式を「付き添い護衛」から「海域護衛」に切り替えると発表。段階的縮小の第1歩であると示唆。
DIA-601-1988-09-26-3アメリカ1988年09月26日1980年代(ワシントン)米ソ,弾道ミサイルの第三世界への拡散を抑制するうえで協力する問題を初協議。(IHT)
DIA-601-1988-09-27-1アメリカ1988年09月27日1980年代国防総省,戦略防衛構想を担当する調査計画局長エイブラムソン中将は1月末辞任と発表。(WP)
DIA-601-1988-09-27-2アメリカ1988年09月27日1980年代ジャクソン国防副次官補とクラーク国務副次官補,下院軍事委防衛分担特別部会で8月5日の防衛分担中間報告につき証言,日本の防衛協力,防衛分担は良好で,ODAは世界最大の供与国になる,と言明。(『日経』)
DIA-601-1988-09-27-3アメリカ1988年09月27日1980年代(ニューヨーク)レーガン大統領とシュルツ国務長官。NATO加盟国,日本,オーストラリア,韓国の代表と防衛費分担問題等を中心に意見交換。(『日経』)
DIA-601-1988-09-28-1アメリカ1988年09月28日1980年代(国連)国務省,米西基地貸与協定の改定合意と発表。期限は5年から8年に延長し,援助を切り離す。
DIA-601-1988-09-28-2アメリカ1988年09月28日1980年代上下両院,総額2996億㌦の89年度国防歳出権限法案を可決。SDI開発予算は41億㌦と額は不変だが制限を緩和しMXミサイル予算を増額。レーガン大統領は30日に署名。(『日経』;WP)
DIA-601-1988-09-28-3アメリカ1988年09月28日1980年代(国連)国務省高官,カンボジア情勢展開に伴い,非共産2派に対する援助を今年度の350万㌦から89年度には1050万~1500万㌦に増額する意図を表明。(IHT)
DIA-601-1988-09-29-1アメリカ1988年09月29日1980年代(ケープ・カナベラル)スペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げ成功。
DIA-601-1988-09-30-1アメリカ1988年09月30日1980年代両院,13歳出法案の残り6法案(対外援助143億㌦,国防歳出2830億㌦など)可決。
DIA-601-1988-10-01-1アメリカ1988年10月01日1980年代大統領,歳出6法案に署名。国防歳出法案は「同盟国防衛負担修正条項」(8月11日参照)を含む。
DIA-601-1988-10-02-1アメリカ1988年10月02日1980年代訪韓中のアマコスト国務次官,金泳三民主党総裁に米国の外交戦略を説明:国連総会の際の米ソ外相会談で,韓,朝,米,ソ,中,日が参加する六者会談案,三段階の緊張緩和方式などを検討した。(『日経』)
DIA-601-1988-10-04-1アメリカ1988年10月04日1980年代(ワシントン)訪韓から帰国したダーウィンスキ国務次官言明:ソウル・オリンピック後の朝鮮半島政策は変更を議論する時期にきている。米国の政策の変更は韓国政府の理解を得て進める。(『東京』)
DIA-601-1988-10-06-1アメリカ1988年10月06日1980年代コステロ国防次官とエイブラムソンSDI局長,上下両院合同軍事委で証言し,SDI計画の規模と領域を縮小して第1段階の配備見積もり費用を従来の1500億㌦から690億㌦に切り詰める,と発表。配備開始時期も従来の1994年,97年から90年代末にずれ込む。(WP;「日経」)
DIA-601-1988-10-11-1アメリカ1988年10月11日1980年代レーガン大統領,シアヌーク殿下と会談,殿下の政治解決国際会議と国連平和維持軍駐留の和平構想を支持するとともに,ベトナム軍の完全撤退とクメール・ルージュの復帰阻止を確認。(WP)
DIA-601-1988-10-12-1アメリカ1988年10月12日1980年代上下両院,不必要となった国内軍事基地を閉鎖する法案を可決。レーガン大統領が24日署名。(WP)
DIA-601-1988-10-13-1アメリカ1988年10月13日1980年代クラーク国務,ジャクソン国防両副次官補,下院外交委の日米関係公聴会で証言,(1)在日米軍の施設建設費と日本人雇用者の給与の全額を日本政府が負担すること,(2)今後も毎年5~6%以上の割合で防衛支出をふやしていくこと,を希望した。(『日経』)
DIA-601-1988-10-13-2アメリカ1988年10月13日1980年代英国の」Jane’s Defense Weekly報道:米中両国は新型戦車共同生産でこのほど同意した。(「共同」)
DIA-601-1988-10-13-3アメリカ1988年10月13日1980年代『日経』報道:フィリピンのクラーク空軍基地から一部米軍部隊(医療担当など後方部隊)が東京の横田基地へ移駐を開始。これに,つづき第26戦術戦闘訓練飛行隊(F5,10機)も海外移駐を決定。
DIA-601-1988-10-14-1アメリカ1988年10月14日1980年代レーガン大統領,ニカラグアのコントラに対する軍事援助を事実上断念する声明を発表。
DIA-601-1988-10-17-1アメリカ1988年10月17日1980年代(ワシントン)シュルツ国務長官とマングラプス・フィリピン外務長官との間で米軍基地の1991年までの利用について合意文書調印。補償額は年間4億8100万㌦(WP)。21日,プラット駐比大使,対比多国間援助準備を開始した旨のレーガン親書をアキノ大統領に伝達。
DIA-601-1988-10-18-1アメリカ1988年10月18日1980年代下院につづき,上院,復員軍人局を省に昇格する法案を可決。25日大統領が署名し発効。(WP)
DIA-601-1988-10-20-1アメリカ1988年10月20日1980年代(ワシントン)レーガン大統領,盧韓国大統領と会談。中心は朝鮮半島情勢問題。盧の米ソ中日など六者協議会提案を支持,対北朝鮮政策では北の国際的孤立化政策からの転換について実施案を提示。米韓貿易不均衡問題では韓国の農産物輸入と知的所有権問題。会談に先立ち大統領は記者団に,情勢が変化すれば在韓米軍撤退の可能性がある,世界の緊張緩和からみて米軍を削減すべき状況が起こるべきだ,と答える。シグール国務次官補は,北の脅威が過ぎ去りそうな兆候はなく,在韓米軍維持の方針に全く変更はない,と否定。(『日経』;WP)
DIA-601-1988-10-21-1アメリカ1988年10月21日1980年代ニューヨークの連邦大陪審は,マルコス・フィリピン前大統領夫妻ら10人を横領,詐欺などの容疑で起訴。政府筋によると,資産没収と有罪を認めることと引きかえに起訴を免れる司法取引の申し出にマルコス側が応じなかった。ホワイトハウス報道官:こうなったのは遺憾であるが,司法省はきわめて強い言い分をもっている。国務省,NSCからは起訴を阻止する外交政策上の配慮は必要ないとの助言を受けている。(WP;『日経』)
DIA-601-1988-10-21-2アメリカ1988年10月21日1980年代国防総省,1988年度末(9月30日)現在の現役兵員数を213万6747人と発表。これは前年同期比3万7470人の減少。88年2月,89年度予算提出時点でカールーチ国防長官が示した削減目標は3万5890人であった。これまで年間最大の削減は,76年の4万6210人。(WP)
DIA-601-1988-10-21-3アメリカ1988年10月21日1980年代国務省政策表明:米国は西側商業銀行がソ連に非戦略輸出拡大の目的で市場金利で貸し出しを行なうことに反対しないが,利子補給つきのローンの考え方には反対する。この点で同盟国とは合意がある。伝えられる国防総省対国務・財務両省の対立の事実はない。(WP)
DIA-601-1988-10-21-4アメリカ1988年10月21日1980年代カールーチ国防長官,アメリカン・アラブ問題会議で演説:さまざまの利益グループや議員連中がアラブ諸国に軍事援助をふやしたいとする政府の努力を妨げようとしている。武器売却を渋っているために米国は数百億ドル分の雇用と価値ある政治的影響力を失っている。(WP)
DIA-601-1988-10-24-1アメリカ1988年10月24日1980年代米財務省,国際経済政策に関する公式報告を提出。韓国と台湾は通貨レートを操作して巨大な対米貿易黒字を維持していると非難,修正包括通商法にもとづき両国と交渉し6カ月以内に議会にその結果を報告する,としている。(AWS)
DIA-601-1988-10-31-1アメリカ1988年10月31日1980年代レッドマン国務省報道官,米国の北朝鮮制裁の部分解除措置を発表。外交官の接触を認め,非公式レベルでの学術・文化・スポーツの交流を再開,またケースバイケースで禁輸措置から人道的品目を除外する。ただしテロ関与国リストからははずさない。(『毎日』)
DIA-601-1988-10-31-2アメリカ1988年10月31日1980年代アマコスレ国務次官,ドビニン・ソ連大使に対し,同日ソ連が領内からはじめてバックファイア爆撃機を出撃させてアフガン・ゲリラ陣地に攻撃を加えたことは,ゴルバチョフ書記長がレーガン大統領に与えた保証に違反する,として「深い懸念」を伝えた。(WP)
DIA-601-1988-11-01-1アメリカ1988年11月01日1980年代ホワイトヘッド国務副長官言明:国務省と国防総省は対外援助の割当をすでに受けた国から一律2%を削減して1億5000万㌦の資金を生み出し,特別な必要の生じた他の国々に分ける案を検討中。(IHT)
DIA-601-1988-11-02-1アメリカ1988年11月02日1980年代ホワイトヘッド国務副長官,ドビニン駐米ソ連大使に対し,アフガニスタンにおけるソ連の「違反行為」につき重大懸念を表明。(『東京』)
DIA-601-1988-11-03-1アメリカ1988年11月03日1980年代(バンコク)10日間にわたる米越第2回MIA合同調査終了。第1回は9月25~10月5日。(UPI)
DIA-601-1988-11-08-1アメリカ1988年11月08日1980年代米大統領選挙投票日。ブッシュが大差で当選。
DIA-601-1988-11-09-1アメリカ1988年11月09日1980年代(ヒューストン)大統領に当選したブッシュ副大統領は最初の記者会見で,次期国務長官にジム・ベーカー前財務長官を指名する,と発表。
DIA-601-1988-11-09-2アメリカ1988年11月09日1980年代オルドリッジ空軍長官,辞任を発表。
DIA-601-1988-11-09-3アメリカ1988年11月09日1980年代西側銀行による対ソ融資に関する各省間タスクフオースの報告書発表。「新規融資は多額でもなく西側防衛の負担をふやすものでもない。大部分は消費財その他非戦略物資購入にあてられる。米国と同盟国が決めたガイドラインの範囲である」と述べる。これは,議会の懸念にこたえてNSC,経済政策会議,CIA,国務,国防,商務の各省が参加して財務省が取りまとめたもの。(WP)
DIA-601-1988-11-10-1アメリカ1988年11月10日1980年代ブッシュ次期大統領,訪米中のアフガン抵抗7グループ連合体の代表団と会談,ソ連は2月15日の撤兵期限を守ると期待している,と保障。(WP)
DIA-601-1988-11-10-2アメリカ1988年11月10日1980年代空軍,F117「ステルス」戦闘機を初公開。22日にはB2「ステルス」爆撃機を初公開。(WP)
DIA-601-1988-11-14-1アメリカ1988年11月14日1980年代(フロリダ州ガルフストリーム)ブッシュ次期大統領,「ブッシュ政権の通貨政策の中心はレーガン政権同様,政策調整と為替市場安定にある」と言明。9日以来,ニューヨークはじめ各地市場でドルが急落したが,これには9日のフェルドシュタイン前大統領経済諮問委員長の「貿易赤字解消にはさらに20%のドル安が必要」との発言もひびいている。13日にはフラー次期政権準備委員長が「ドル安は現政権の政策でも次期政権の政策でもない」と不安の鎮静に努める発言。(WP;『日経』)
DIA-601-1988-11-15-1アメリカ1988年11月15日1980年代ブッシュ次期大統領,ニコラス・ブレイデイ財務長官の留任を発表。
DIA-601-1988-11-16-1アメリカ1988年11月16日1980年代グリーンスパン連邦準備理事会議長,国家経済委員会で証言,「外国資金への長期の依存は不可能であり,財政赤字削減の必要性はますます緊急となった。赤字削減は歳出面からが望ましいが,選択は基本的に政治が決めることである」と言明。(WP)
DIA-601-1988-11-17-1アメリカ1988年11月17日1980年代ブッシュ次期大統領,新政権のホワイトハウス首席補佐官にニューハンプシャー州のジョン・スヌヌ知事を指名すると発表。
DIA-601-1988-11-21-1アメリカ1988年11月21日1980年代ブッシュ次期大統領,新政権の人事発表:行政管理予算局長リチャード・ダーマン(前財務副長官),司法長官リチャード・ソーンバーグ(留任),教育長官ラウロ・カバソス(留任)。
DIA-601-1988-11-21-2アメリカ1988年11月21日1980年代フォード,カーター元,前大統領,ブッシュ次期大統領と会見,超党派の「アメリカン・アジェンダ」(同委員会は9月16日発足)報告書を手渡した。増税と歳出削減により財政均衡を1990年代央に達成することのほか,国防,貯蓄貸付組合危機,第三世界の債務,国際貿易を緊急課題として勧告。(WP)
DIA-601-1988-11-22-1アメリカ1988年11月22日1980年代(キャンベラ)オーストラリアのホーク首相,議会で米軍基地使用に関する10年間の新規協定に先週調印した,と発表。パインギャップの情報収集衛星地上基地およびナルンガルの衛星制御地上基地。(WP)
DIA-601-1988-11-22-2アメリカ1988年11月22日1980年代ムルコフスキ上院議員(共和党)は,滞在中のバンコクからホワイトハウスと国務省に書簡を送り,ベトナムとの人道問題を解決する便宜のための事務所をホーチミン市に開設することを提案。ベトナム政府の経済顧問グエン・スアン・オアイン氏は,さきに訪米した際,議会と国務省の代表者に対し,米側がMIA問題解決に必要な数の事務所を非相互的に開設するというタク外相提案を伝達したことを明らかにしている(バンコク,16日)。ただベトナム外務省は17日,接触の事実を否定,事務所開設は相互的という原則をくり返した。(IHT;WP)
DIA-601-1988-11-23-1アメリカ1988年11月23日1980年代ブッシュ副大統領,新政権の国家安全保障問題補佐官にブレント・スコウクロフト退役空軍中将(フォード政権期に同じ職務)を指名。
DIA-601-1988-11-25-1アメリカ1988年11月25日1980年代IHT紙報道:国防総省と司法省は,軍事援助借款を利用して武器を購入する外国と兵器業者に対し,事前に一切の関係書類の調査に応ずると約束する要件を課すことを立案した。フィリピンなどの外国との賄賂,ダミー会社,偽インボイス,裏口座などの工作への対応。
DIA-601-1988-11-26-1アメリカ1988年11月26日1980年代WP紙報道:消息筋によると,ブッシュ次期大統領は,予測される国防予算削減と国防総省調達不正に伴う信頼回復のため,戦略目標の大がかりな検討を準備中。
DIA-601-1988-11-26-2アメリカ1988年11月26日1980年代国務省,アラファトPLO議長が国連総会で演説するため提出していた米国への入国ビザ申請を却下すると発表。消息筋によると,これはシュルツ国務長官が省内の反対を押し切って行なった決定。(WP)
DIA-601-1988-11-28-1アメリカ1988年11月28日1980年代カールーチ国防長官,NATO代表団に言明:米軍が現在の規模を維持するには1990~94年間に実質2%の予算の伸びを要する。ゼロ成長であれば現在の5年間2000億㌦に加えて1160億㌦の削減となり,海外の戦闘配備部隊と編成を削減する必要がある。(WP)
DIA-601-1988-12-01-1アメリカ1988年12月01日1980年代(ブリュッセル)NATO国防相会議(~2日),「同盟国の協同安全保障の向上;役割,危険,責任の分担」報告書を承認,同盟15カ国の負担状況を明らかにして各国政府の国防支出努力を訴えた。会議は米空軍基地のイタリア移転費を含め防衛分担を承認。(IHT)
DIA-601-1988-12-02-1アメリカ1988年12月02日1980年代国務省報道官,韓国光州事件調査委員会から求められているグレィスティーン元駐韓米国大使とウィッカム元駐韓米軍司令官の出頭証言は許さないが,書面回答による協力はできる,と言明。(WP)
DIA-601-1988-12-02-2アメリカ1988年12月02日1980年代新政権移行チーム,ブッシュ次期大統領は国連大使は閣僚待遇とせず,CIA長官もひきつづきその待遇をしないことに決めた。と発表。(WP)
DIA-601-1988-12-06-1アメリカ1988年12月06日1980年代ブッシュ次期大統領,新政権人事を発表:商務長官ロバート・モスバカー(モスバカー・エネルギー社会長),通商代表部代表カーラ・ヒルズ(元住宅都市開発長官),経済諮問委員会委員長マイケル・ボスキン(スタンフォード大教授),国連大使トーマス・ピカリング(職業外交官),CIA長官ウィリアム・ウェブスター(留任)。
DIA-601-1988-12-07-1アメリカ1988年12月07日1980年代(ニューヨーク,ガバナーズ島)レーガン大統領,ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長と5度目の首脳会談。ブッシュ次期大統領も同席。同日これに先立ち書記長が国連で発表した通常兵力の一方的軍縮構想,化学兵器全面禁止問題,クラスノヤルスク・レーダー基地問題などが話合われたが,主調は米ソ協力の継続の確認。(WP)
DIA-601-1988-12-08-1アメリカ1988年12月08日1980年代ブラッドレー上院議員(民主),新興工業諸国の世界経済問題での発言力を高め,ヨーロッパの自由貿易を促すため,米国が助力して次の太平洋8カ国の連合を設けるよう提案:米,日,加,メキシコ,オーストラリア,韓国,インドネシア,タイ。これらもっとも活発な貿易相手国が工業国のG7に似た機構を作り,目下の広汎な通商経済政策上の重要問題で一般協定に達しようというもの。(WP)
DIA-601-1988-12-13-1アメリカ1988年12月13日1980年代(ブラザビル)南アフリカ,アンゴラ,キューバはナミビア独立とアンゴラ駐留キューバ軍5万人の撤退を取り決めた「ブラザビル議定書」に調印。調停役のクロッカー米国務次官補,「地域紛争解決を支援する超大国の努力を示す事例」と評価。(WP)
DIA-601-1988-12-14-1アメリカ1988年12月14日1980年代ブッシュ次期大統領,「来年初めまでに広汎な軍備管理提案を行うこと,特に2月央をジュネーブ軍縮交渉の日程目標にすることは無理である。このことはゴルバチョフ書記長に直接伝えた」と言明。(WP)
DIA-601-1988-12-14-2アメリカ1988年12月14日1980年代レーガン大統領は,「PLOがイスラエルの生存権を認めテロリズムを放棄することを認めたことにより米国の条件が満たされた。国務省がPLOとの実質的対話に入ることを許す」と声明。16日,チュニジア駐在米大使はPLO当局者と会談開始。
DIA-601-1988-12-14-3アメリカ1988年12月14日1980年代次期農務長官にヤイター通商代表部代表を指名。
DIA-601-1988-12-15-1アメリカ1988年12月15日1980年代国務省で米中国交樹立10周年式典。シュルツ国務長官言明:(1)朝鮮半島・インドシナ・中東での政治的協力,(2)高度兵器の拡散抑制,(3)貿易紛争の解決,が今後の米中間の優先事項である。(WP)
DIA-601-1988-12-16-1アメリカ1988年12月16日1980年代ブッシュ次期大統領,新国防長官にジョン・タワー(元上院議員,上院軍事委員会委員長)を指名。
DIA-601-1988-12-19-1アメリカ1988年12月19日1980年代ブッシュ次期大統領,新都市開発長官にジャック・ケンプ元下院議員を指名。
DIA-601-1988-12-19-2アメリカ1988年12月19日1980年代ベトナム,ハノイで米兵の遺体38体を引き渡し。
DIA-601-1988-12-20-1アメリカ1988年12月20日1980年代国務省報道官,ベトナムがカンボジアから完全撤退すれば全面的に国交を樹立する,と言明。(WP)
DIA-601-1988-12-22-1アメリカ1988年12月22日1980年代アンゴラ,キューバ,南アフリカの当事国,国連本部でアンゴラの包括和平とナミビア独立に関する協定に調印。米政府は仲介役。
DIA-601-1988-12-22-2アメリカ1988年12月22日1980年代ブッシュ次期大統領,新政権人事発表:運輸長官サミュエル・スキナー,厚生ルイス・サリバン,内務マニュエル・ルーハン,復員軍人エドワード・ダーウィンスキ,環境保護局長ウィリアム・ライリー。
DIA-601-1988-12-22-3アメリカ1988年12月22日1980年代ブッシュ次期大統領,経済政策の見直しに続いて,外交政策を全面的に見直し,国防に絡んだ国家安全保障政策についても見直す意思を表明,スコウクロクト次期補佐官を中心に安全保障政策の基本がまとまりつつあることを示唆した。(『日経』)
DIA-601-1988-12-24-1アメリカ1988年12月24日1980年代新労働長官にエリザベス・ドール前運輸長官。
DIA-601-1988-12-27-1アメリカ1988年12月27日1980年代国務省,1月3~4日ビエンチャンでラオスとMIA問題協議と発表。参加:国務,商務,国防の3省。
DIA-601-1988-12-28-1アメリカ1988年12月28日1980年代ブッシュ次期大統領,新国家安全保障担当副補佐官にロバート・ゲイツ元CIA副長官を指名。
DIA-601-1988-12-28-2アメリカ1988年12月28日1980年代レーガン大統領,リビア経済制裁6カ月延長を命令。
DIA-601-1988-12-28-3アメリカ1988年12月28日1980年代レーガン大統領,領海を3マイルから12マイルに延長すると宣言。
DIA-601-1988-12-28-4アメリカ1988年12月28日1980年代国防,国務両長官が連名で議会にあてた,NATO,日,韓の同盟国が共同防衛の役割,危険,責任をより平等に分担すべきだとする報告書発表。(WP;IHT)
DIA-601-1988-12-28-5アメリカ1988年12月28日1980年代国務省,米中間で年初以来,外交官の旅行制限が対抗的に次第にきびしくなっている事実を認める。この問題をめぐり7~8日北京で行なわれた二国間交渉の結果も不満足な結果に終わった,という。(IHT)
DIA-601-1988-12-29-1アメリカ1988年12月29日1980年代基地再編整理委員会,国防長官に86基地閉鎖・5基地部分閉鎖,54基地統合を勧告(10月12日参照)。節約金額20年間に56億㌦。報告書は,国防総省に常設の部局を設け,経済,技術,戦略上の必要性の観点から基地見直しを継続的に行なうことを求めている。(IHT)
DIA-601-1989-01-03-1アメリカ1989年01月03日1980年代第101議会(1989~90年)開会。
DIA-601-1989-01-04-1アメリカ1989年01月04日1980年代地中海で訓練中の米空母ケネディ搭載の2機のF14がリビアのミグ23型2機をミサイルで撃墜。
DIA-601-1989-01-04-2アメリカ1989年01月04日1980年代ラオスのスバン外務次官,2~3日に行なわれた米国との交渉につき「関係正常化する時がきたとの点で両国の意見が一致した」と言明。(中国通信=『日経』)
DIA-601-1989-01-05-1アメリカ1989年01月05日1980年代カールーチ国防長官,基地再編整理委の国内91基地整理案を承認。(WP。本年報88年版12月29目参照)
DIA-601-1989-01-05-2アメリカ1989年01月05日1980年代ソウルの聯合通信が,韓国政府による米韓合同軍事演習規模縮小の検討を報じたことで,在韓米軍はこの問題で「一般的な討議」が行なわれたことを確認(HT)。韓国国防省報道官は6日,検討の事実を否定(『日経』)。
DIA-601-1989-01-07-1アメリカ1989年01月07日1980年代化学兵器使用禁止国際会議(パリ,~11日)。
DIA-601-1989-01-09-1アメリカ1989年01月09日1980年代レーガン大統領,1990年度予算教書を議会に提出。歳出1兆1518億㌦,歳入1兆593億㌦。国防総省予算は支出権限ベースで3056億㌦(前年度比実質2.1%増),歳出ベースで2938億㌦(同1.3%増)。10日,89年大統領経済報告,大統領経済諮問委員会年次報告提出。
DIA-601-1989-01-10-1アメリカ1989年01月10日1980年代ブッシュ次期大統領の「大葬の礼」参列発表。
DIA-601-1989-01-13-1アメリカ1989年01月13日1980年代国務省担当官言明:米国は90年度予算案で国連1989年分担金を1100万㌦を除き全額計上。ただし累積未払分は4億1600万㌦のうち4600万㌦だけ計上。(WP)
DIA-601-1989-01-15-1アメリカ1989年01月15日1980年代(ウィーン)全欧安保協力再検討会議(86年11月~),実質審議終了。17~19日の同外相会議で最終合意。
DIA-601-1989-01-17-1アメリカ1989年01月17日1980年代ベーカー次期国務長官は上院外務委員会で証言したなかで,「アジアではASEANその他の地域グループとの調整の緊密化,恐らくは新しい組織的取り決めさえ必要になろうと考える」と言明。(USIA発表文書)
DIA-601-1989-01-18-1アメリカ1989年01月18日1980年代カールーチ国防長官,1990年度国防報告提出。
DIA-601-1989-01-19-1アメリカ1989年01月19日1980年代ヤイター米通商代表,米国企業のコンピュータ・ソフトウエアと化学薬品製品に十分な保護を与えなかったという理由で,タイからの輸入に対する一般特恵を一部撤回する,と発表。(WP)
DIA-601-1989-01-19-2アメリカ1989年01月19日1980年代米国防,国務両省は,東南アジア地域で行方不明になった米兵2383人につき最終調査報告を発表。行方不明者の追跡調査にさまざまの困難はあるが,「少なくとも何人かは生存している可能性があるとの仮定に基づいて行動する」と結論。400人は海域で,他の450人はどこか不明箇所で行方不明となり遺体回収は不能と。(WP)
DIA-601-1989-01-20-1アメリカ1989年01月20日1980年代ジョージ・ブッシュ,第41代大統領に就任。
DIA-601-1989-01-22-1アメリカ1989年01月22日1980年代スコウクロフト安全保障担当大統領補佐官,ABCテレビで言明:(1)ゴルバチョフは経済再構築という手ごわい課題を前に緊張緩和を必要としているが,西側同盟攪乱にも依然関心がある。私見では冷戦は終わっていない。(2)新政権は2月予定の米ソ戦略核兵器削減交渉(START)への米国提案を変更ないし修正するかも知れない。減速したり遅らせたりするのではないが,交渉はわれわれの期待と正確に合致するやり方で進めたい。(3)レーガン政権のSDI構築計画を否定はしないが,同計画は減速させるべきだろう。(ロイター)
DIA-601-1989-01-23-1アメリカ1989年01月23日1980年代(ワシントン)米政府当局者は,新政権が対ソ・東西関係全般の見直し作業に着手するため,2月15日再開予定のSTART交渉を当面延期するようソ連に通告,ソ連もこれを了解したことを明らかにした。(共同)
DIA-601-1989-01-25-1アメリカ1989年01月25日1980年代国務省報道官,米国は昨年12月6日とこの24日,中国政府の仲介により北京で北朝鮮と初の外交接触を行なった,と発表。(『東京』)
DIA-601-1989-01-26-1アメリカ1989年01月26日1980年代(ワシントン)ブッシュ大統領の2月25,26日の中国訪問を正式発表。翌日,韓国訪問も発表。
DIA-601-1989-01-26-2アメリカ1989年01月26日1980年代ベーカー国務長官は,正式就任の25日,ソ連軍撤退後のアフガニスタン治安悪化を予測し同地米大使館の閉鎖と館員(残留10名内外)の退避を決定したと発表。(WP)
DIA-601-1989-01-26-3アメリカ1989年01月26日1980年代ベトナムのティン・スアン・ラン国連大使,民間人道主義団体レセプション出席のためワシントン訪問。新政権による便宜供与により実現したもので,国務省報道官は,国家安全保障会議スタッフ,捕虜・行方不明者家族全国連盟,国務・国防両省の担当官が同大使と行方不明米兵調査の今後を協議する,と言明。(WP)
DIA-601-1989-01-27-1アメリカ1989年01月27日1980年代ブッシュ大統領,記者会見:(1)対ソ政策には慎重を要する。ただしゴルバチョフ議長には電話で,政策形成に時間をかけるのは引き延ばし策ではないと伝えた。(2)中国訪問はソ連に対する合図ではない。ソ連カードや中国カードをもてあそぶつもりはない。(WP)
DIA-601-1989-01-28-1アメリカ1989年01月28日1980年代WP紙同日報道:議会・政府両筋によれば,レーガン政権は任期切れを前に議会に対し,パキスタンが核爆弾を保有しないと保証することはできそうにないと通告した。すでに前年11月の保証の際,レーガン大統領は保証できる限界に近づいている旨を通告していた。
DIA-601-1989-01-30-1アメリカ1989年01月30日1980年代カブールの米大使館閉鎖。国務省報道官,ソ連軍がアフガニスタン国内およびソ連領内から飛行機を使ってきわめて激しい攻撃を行なうなど「焦土政策」を展開している,と非難。(WP)
DIA-601-1989-01-31-1アメリカ1989年01月31日1980年代マイケル・H・アマコスト国務次官が次期駐日大使に決定した,と消息筋言明。(WP)
DIA-601-1989-02-02-1アメリカ1989年02月02日1980年代WP紙報道:米国内の最近の凶悪犯罪で使用されている安い輸入AK47攻撃ライフルの急増は中国政府機関間の異常な売り込み合戦の結果である,と中国専門家と兵器商が指摘。88年11月末までの14ヵ月間の輸入4万379丁のうち少なくとも90%が中国から。
DIA-601-1989-02-02-2アメリカ1989年02月02日1980年代(ワシントン)ブッシュ大統領,竹下首相と会談。首相,米国をひきつづき支持,支援し,非軍事面を中心にした国際協力構想を一段と強化していくことを確認(「創造的な責任分担」に賛意)。(『日経』,『東京』)
DIA-601-1989-02-03-1アメリカ1989年02月03日1980年代戦略国際問題研究センター(CSIS)後援の超党派グループ(2人共同議長のうちスコウクロフト現安全保障担当大統領補佐官は現職指名後辞任。上下両院軍事委員長を含む)は,列車移動式MX核ミサイルの配備計画を延期し,SDI計画はほぼ現行約40億㌦の支出水準を漸増させる程度で進める,ことを勧告。(WP)
DIA-601-1989-02-03-2アメリカ1989年02月03日1980年代モスバカー商務長官,テレビ番組で「われわれの関心はFSX共同開発計画の見直しにある」と言明し,見直しに商務省も加わることを表明。この日までに上院超党派12議員が見直しを大統領に求める書簡に署名・16日,下院超党派24議員も同様書簡。(『東京』)
DIA-601-1989-02-07-1アメリカ1989年02月07日1980年代国務省,世界169ヵ国の1988年の人権状況についての調査報告を発表。ソ連の顕著な態度変化,パキスタン,ポーランド,フィリピン,韓国,ハンガリー,台湾における政府の重大な侵害の継続を指摘。(WP)
DIA-601-1989-02-09-1アメリカ1989年02月09日1980年代ブッシュ大統領,上下両院合同本会議に1990年度予算教書に対する修正案を提出,「増税なき財政再建」を強調。90年度歳出は1兆1604億㌦,歳入1兆656億㌦,財政赤字948億㌦(資産売却分を含めると911億㌦)。国防予算は2993億㌦(支出権限ベース。歳出ベースでは2912億ドル),その実質伸び率90年度0%,91~92年度1%,93年度2%(レーガン予算に比べ4年間で447億㌦圧縮)。演説の主要点:国家安全保障会議に国家安全保障政策と国防政策の再検討を行ない90日以内に報告することを命じた。ソ連とは平和のためのどんな機会も見逃さない。SDIは強力に推進する。高度兵器・核兵器の拡散阻止と化学兵器の禁止。技術における米国の優位を高め競争力を強化する。(『日経』,WP)
DIA-601-1989-02-16-1アメリカ1989年02月16日1980年代ブッシュ大統領,ソ連軍がアフガニスタンに膨大な量の武器を残した以上,アフガニスタン反乱側に対する支援を断ち切るのは公正でない,と言明。(HT)
DIA-601-1989-02-21-1アメリカ1989年02月21日1980年代国際開発協力局(AID),「開発と国益:21世紀に向けての米国の経済援助」と題する報告書発表。成長はむしろ個々の国の正しい政策の選択によるもので,米国の援助の役割は副次的,かつ受入れ国の間に成長志向の政策を必ずしも促さなかった,と結論。(WP)
DIA-601-1989-02-21-2アメリカ1989年02月21日1980年代ヒルズ米通商代表,任命承認の議会聴問会で,新通商法による通信機械の貿易市場開放交渉の対象国としてECと韓国を挙げる。(WP)
DIA-601-1989-02-22-1アメリカ1989年02月22日1980年代ブッシュ大統領,アジア訪問に出発。訪日中(23~25日),24日の昭和天皇大喪の礼に参列したほか,23日:竹下首相,チャチャイ・タイ首相,ベンカタマラン・インド大統領,リー・シンガポール首相,アキノ・フィリピン大統領,ブット・パキスタン首相らの各国指導者と会談(WP,共同)。25日東京で記者会見:かつての中ソ同盟が復活して米国の脅威になるとの意見には同意しない,中国の経済改革は市場経済指向で好ましい変化だ,中国の方向性は継続的なものだろう(『日経』)。
DIA-601-1989-02-24-1アメリカ1989年02月24日1980年代国務省報道官言明:暫定政権指導部に関するアフガン抵抗勢力間の合意は,自治成立過程の心強い展開であるが,米国はこれを正統政権と承認するつもりはない。外交関係開設の要件として一定の基準を満たすことが必要である―領土支配,文民行政の機能,広汎な民衆の支持,国際的義務の順守能力など。(WP)
DIA-601-1989-02-25-1アメリカ1989年02月25日1980年代ブッシュ大統領訪中(~27日)。25日,楊尚昆国家主席,李鵬首相と会談。26日,李鵬首相,鄧小平中央軍事委主席,趙紫陽総書記,民主カンボジアのシアヌーク殿下とそれぞれ会談。異例のテレビ出演。25日夜の歓迎宴で演説:中ソの関係改善は,カンボジアの自決と平和,韓国の安定探求に新しい希望を与えている。中国の改革は今やいくつかの成果を生みつつある。中国・台湾間の新しい動きは米国の利益とも合致しており,双方がさらに相違点を解消するよう見守っている。26日の答礼宴に招待されていた反体制物理学者方励之の出席が公安当局に阻止されたことにつき,27日朝,空港で遺憾の意を表明。さらに帰国後の28日,米国政府は方励之招待で中国に事前通知する義務はない,と言明。(WP,『日経』)
DIA-601-1989-02-25-2アメリカ1989年02月25日1980年代(ニューヨーク)複数の米政府高官は,「対アフガニスタン反乱側への軍事援助経路はひきつづきパキスタン諜報機関を使うが,食料の分配,保健・教育・復旧計画の推進,その他分野では米国が直接ゲリラと協力する,その際国際開発協力局が仲介者となる」と言明。1988年の米国とサウジアラビア合わせた対アフガニスタン軍事その他援助額は7億㌦以上,89年も同程度。(HT)
DIA-601-1989-02-27-1アメリカ1989年02月27日1980年代ブッシュ大統領,北京からソウルへ。盧大統領,野党党首らと会談。国会演説で北朝鮮との緊張緩和など大胆な北方外交を称賛,「在韓米軍削減の計画はなく,朝鮮半島の平和に必要な限り駐留する」,「韓国が保護貿易主義放棄のためになすべきことは多い」と述べる。6時間の滞在後,同日帰国の途に。(WP,『東京』)
DIA-601-1989-02-28-1アメリカ1989年02月28日1980年代商務省,広範囲の対中技術輸出規制緩和を発表。
DIA-601-1989-03-01-1アメリカ1989年03月01日1980年代ランバストン国務次官補,議会証言:(クメール・ルージュの復権を阻止する8項目提案を説明)ブッシュ大統領は2月26日,李鵬中国首相に対しクメール・ルージュへの軍事援助を止め,ポル・ポトとその主要側近の身柄を海外に移すよう協力を要請した。(WP)
DIA-601-1989-03-02-1アメリカ1989年03月02日1980年代政府高官,方励之招待は大統領の考えでなく,招待者名簿案が在北京大使館からワシントンに送られた際,中国側が異常に神経質になっていることが連絡の不備で上部によく伝えられなかったため,と言明。(WP)
DIA-601-1989-03-04-1アメリカ1989年03月04日1980年代HT紙報道:(シンガポール)在東南アジアの米国官辺とアナリストによれば,米国政府は同地域における影響力の後退を恐れて,第一線戦闘機2種,FlA-18ホーネット多目的機,F-16C/D迎撃機をASEAN諸国に売却することを承認した。また米国製武器購入促進のため軍事援助大幅増大を提案している。
DIA-601-1989-03-06-1アメリカ1989年03月06日1980年代国務省報道官,ラオス政府が行方不明米兵の第5回合同遺骨捜索を突如延期したことに遺憾の意を表明。14名の米側専門家は先週ラオスに赴くことになっていたが,国務省が先週麻薬防止作戦に非協力との理由でラオスを援助非適格としたことが背景にある。(WP)
DIA-601-1989-03-07-1アメリカ1989年03月07日1980年代(ウィーン)米ソ外相会談開催。
DIA-601-1989-03-08-1アメリカ1989年03月08日1980年代国務省当局者,1990年度国連専門機関への米国の拠出金を大幅に削減すると言明:ユニセフ3390万㌦(89年度6040万㌦),国連開発基金1億700万㌦(1億1150万㌦),国連環境計画800万㌦(88年度950万㌦)。(WP)
DIA-601-1989-03-08-2アメリカ1989年03月08日1980年代国務省報道官,チベットの人権問題で中国に懸念を伝えた,と言明。(『日経』)
DIA-601-1989-03-09-1アメリカ1989年03月09日1980年代上院本会議,タワー国防長官指名承認を否決。
DIA-601-1989-03-10-1アメリカ1989年03月10日1980年代ブレイディ財務長官,第三世界の累積対外債務救済問題につき新提案を発表。
DIA-601-1989-03-10-2アメリカ1989年03月10日1980年代(ニューヨーク)検察側,大陪審がマルコス夫妻らを別の4訴因で告発したと発表。これまでの2億6500万㌦に加え7700万㌦を欺瞞的方法で入手し輸送したかど。(ロイター)
DIA-601-1989-03-10-3アメリカ1989年03月10日1980年代ブッシュ大統領,国防長官にチェイニー下院議員(ワイオミング,共和党)を任命すると言明。17日任命承認。
DIA-601-1989-03-12-1アメリカ1989年03月12日1980年代政府筋,国防総省は同盟国の武器開発のため高度技術を供与する取引の承認に当って商務省と合議することに同意した,と言明。商務省は技術移転が米国の産業基盤を崩したり経済を弱めたりしないか確かめる。合意は10日の国家安全保障会議の次官級協議で。(WP)
DIA-601-1989-03-13-1アメリカ1989年03月13日1980年代HT紙報道:政府高官の言明によれば,米国政府はアフガニスタン反乱側の手にある数百基のスティンガー対空ミサイルは回収できないのではないかと憂慮を深めている。それらが民間武器業者やテロリストの手に渡らないようにするため,米国は羊,ラバだけでなく灌漑施設,トラック,トラクター,医療施設などと引き換えに幾分なりと買戻す計画をたてている。最近では多額の秘密軍事援助の復興・難民帰国資金転用の際,一部をその目的に留保する考えがあるが,いずれにせよ多額の復興援助が期待できるので説得はむずかしい模様。
DIA-601-1989-03-17-1アメリカ1989年03月17日1980年代国務省当局者と大学関係者は,北朝鮮の安全保障問題研究者3人が2月26日から3月13日にかけて訪米し,米韓研究者と話し合ったことを明らかにした。(共同)
DIA-601-1989-03-17-2アメリカ1989年03月17日1980年代国務省・議会筋によれば,ベーカー国務長官は省内からの進言によりアフガニスタンのムジャヒディン反乱側に特別の大使を任命することを強く考慮している。これは臨時政府の承認を意味するものではなく,パキスタン軍が諜報機関ISIを経由した軍事援助を通じてアフガニスタンの戦闘的原理主義者グルブディン・ヘクマチャルを政権に就けようとしていることの阻止を狙ったもの。オークリー駐パ大使はこれに反対している。(WP)
DIA-601-1989-03-20-1アメリカ1989年03月20日1980年代政府筋によると,ベーカー国務,チェイニー国防,モスバカー商務長官,スコウクロフト安全保障問題担当補佐官は,松永駐米大使と会見し,日本の次期支援戦闘機(FSX)共同開発協定につき,米国からの技術供与を制限する決定を通告した。(WP)
DIA-601-1989-03-21-1アメリカ1989年03月21日1980年代ブッシュ大統領,チェイニー国防長官就任式で演説:私はソ連の諸変化をきわめて積極的に評価するが,変化の最終的結果についてはまだ疑問が多い。それらの疑問に答えられるまでは,力と決意に柔軟性を組合わせて,成功したこれまでの政策を継続すべきだ。(WP)
DIA-601-1989-03-24-1アメリカ1989年03月24日1980年代(台北)台湾の張継正中央銀行総裁,台湾元をめぐる米台通貨交渉がハワイで行なわれたが,不調に終ったことを示唆(ロイター)。27日,台湾政府は為替レートの毎日の変動幅の制限を撤廃する自由化措置を発表した(HT)。
DIA-601-1989-03-28-1アメリカ1989年03月28日1980年代チェイニー国防長官,テレビ番組で言明:SDIはレーガン政権期に完壁なミサイルの傘として過大に売り込まれたきらいがある。ソ連の攻撃や他の核・化学ミサイル攻撃を抑止するため,ある種のミサイルは配備することになろう。(WP)
DIA-601-1989-03-30-1アメリカ1989年03月30日1980年代議会予算局(CBO),最近の検討結果を発表:90~94年の国防予算の伸び率をゼロとし装備でなく兵力削減で対応するとすれば,現役兵力は陸軍18→12個師団,海軍14→10個師団,海兵隊3→2個師団,空軍24→15戦術航空団(各72機の戦闘機)の削減となる。これは海外配備兵力とペルシャ湾平時作戦行動の削減となろう。もし今後2年間国防省予算2%削減となれば,B2爆撃機が打ち切られ,その他の装備計画も減となろう。(WP)
DIA-601-1989-04-01-1アメリカ1989年04月01日1980年代(北京)複数の外交官,中国指導者が5月の中ソ首脳会談は米中関係拡大を妨げるものではないと保証する一連の合図を米国に送っている,と指摘。前日,中国北洋艦隊の練習艦「鄭和」,真珠湾訪問(5月11日)のため出航,また万里政治局員が中ソ会談後訪米する。(WP)
DIA-601-1989-04-05-1アメリカ1989年04月05日1980年代政府筋によれば,ブッシュ政権はこのほど,アフガン抵抗勢力に大使級の大統領特使を任命したが,赴任せず,ワシントンにとどまる。在北京米国大使館次席ピーター・トムセンで,任命をめぐる国務省内および同省・議会間の対立の妥協候補として選ばれた。(WP)
DIA-601-1989-04-07-1アメリカ1989年04月07日1980年代下院外交委アジア太平洋小委のソラーズ委員長,クメール・ルージュに対抗するカンボジア非共産系抵抗勢力支援のため,軍事・非軍事援助を質量とも急いで増強する必要があり,現行の500万㌦の制限撤廃を支持する,と言明。その他,国連監視下の選挙で政府が選出されるまで国連議席を空席にし,カンボジア問題を交渉する特使の任命を示唆した。(WP)
DIA-601-1989-04-07-2アメリカ1989年04月07日1980年代ブッシュ大統領,前日ゴルバチョフ書記長がサッチャー英国首相との会談で,「ブッシュ政権がその対ソ政策策定をためらっていることは米ソ関係のはずみを失わせる可能性がある」と懸念を表明したことについて,「われわれは慎重な検討を行なっており,用意が整った時に交渉する用意がある」と言明。(WP)
DIA-601-1989-04-09-1アメリカ1989年04月09日1980年代マッセー日本・中国担当通商代表ら調査団,中国の知的所有権の侵害に関する4日間の訪中を終了。在中米国企業によると,中国は世界中でもっとも悪質な米国製コンピュータ・ソフトウエア盗用を行なっており,損害は年間4億㌦にのぼる。ブッシュ大統領も2月の訪中の際,李鵬首相にこの問題を提起した。(WP)
DIA-601-1989-04-10-1アメリカ1989年04月10日1980年代国務省,北朝鮮の学者3グループに入国査証を発給,3グループは88年暮れから4月はじめにかけ訪問していることを明らかにした。(『東京』)
DIA-601-1989-04-11-1アメリカ1989年04月11日1980年代米国官辺言明:米国はタイとカンボジア政府の直接交渉開始に反対しており,外交ルートを通じタイ政府にフン・セン首相招待に不快の意を伝えた。(ロイター)
DIA-601-1989-04-13-1アメリカ1989年04月13日1980年代上下両院,ニカラグアのコントラに非軍事援助6660万㌦を与える大統領と議会の妥協案を可決。(WP)
DIA-601-1989-04-13-2アメリカ1989年04月13日1980年代通商代表部,ビルマと中央アフリカ共和国に対し,労働者の権利保護を怠っているとして特恵関税の適用を廃止すると発表。(『日経』)
DIA-601-1989-04-14-1アメリカ1989年04月14日1980年代政府と議会指導者,前日成立した1990年度予算赤字を994億㌦に圧縮する大枠の協定を発表。歳出削減と歳入増大で赤字を270億㌦削減する諸措置から成るが,調整困難な部分は先送りされた。国防支出権限上限は3055億㌦(大統領要求額は3092億㌦)。(WP)
DIA-601-1989-04-14-2アメリカ1989年04月14日1980年代『日経』報道:米国とASEANの合同専門家会議,このほど「ASEAN-米国イニシャチブ」報告を提出。
DIA-601-1989-04-17-1アメリカ1989年04月17日1980年代カンボジア三派政権指導者のソン・サン,「今週ワシントンで米政府高官と会談した。米国政府は政策を変更しカンボジアの非共産2派に軍事援助供与を開始する用意がある」と言明。米政府側は,14日の国家安全保障会議でその問題が議題になったことは確認したが,武器供与の最終決定はなされていない,と言明。(WP)
DIA-601-1989-04-18-1アメリカ1989年04月18日1980年代政府は議会に,対比多国間援助計画の米国分担分として90年度以降総額10億㌦計上を求める書簡を送った。(『日経』)
DIA-601-1989-04-21-1アメリカ1989年04月21日1980年代(マニラ)在比米国合同軍事顧問団の軍事顧間ジェームズ・ラウ大佐,出勤途上,路上で自動車から乱射され死亡。新人民軍,翌日犯行を認める。(WP)
DIA-601-1989-04-22-1アメリカ1989年04月22日1980年代(ソウル)韓国民正党幹部,韓国が新通商法により不公正貿易国に特定されることを避けるため議会代表団をワシントンに送る,と言明。米国は最近の韓国の農産物市場開放発表に満足せず,また通信機器購入,投資規制緩和,ウォンの切り上げを求めている。(HT)
DIA-601-1989-04-24-1アメリカ1989年04月24日1980年代(ワシントン)クエール大統領,オーストラリア,インドネシア,シンガポール,タイ歴訪に出発。これに先立ち,「米国は衰退しつつある勢力でなく健全な勢力である。アジアが何らかの形態の機構を作る時には米国を含めなければならない。カンボジア撤退だけではベトナムを外交承認しない。太平洋に強力な軍事プレゼンスを維持することが肝要である」と言明。(AW)
DIA-601-1989-04-25-1アメリカ1989年04月25日1980年代チェイニー国防長官,下院軍事委員会で90年度国防予算案削減の概略を説明。レーガン大統領の当初予算案要求額3056億㌦から2956億㌦へ(支出権限ベース。歳出ベースは2938億㌦から2898億㌦へ)。ICBM近代化に関連して列車移動式MXミサイルと小型のミゼットマン・ミサイルを併用する方針を公式に表明。(WP,『目経』)
DIA-601-1989-04-28-1アメリカ1989年04月28日1980年代ヒルズ通商代表,閣僚級経済政策会議の認定として,日本は日米通信機器市場開放の合意に違反と発表。同時に包括通商法スーパー301条にもとづき外国貿易障壁報告を発表。制裁対象候補国34国・地域のうち,日本のほかアジア6,中近東・南アジア11。(WP,『日経』)
DIA-601-1989-04-28-2アメリカ1989年04月28日1980年代ベーカー国務長官と松永駐米大使の間で,日本の次期支援戦闘機FSXの共同設計・製造に関し最終合意が成立し,ブッシュ大統領から協定を発表。
DIA-601-1989-04-29-1アメリカ1989年04月29日1980年代WP紙報道:政府筋によれば,米国政府はカンボジア抵抗勢力非共産2派に小銃1万2000丁,その他軽火器を供与し,また平和解決に向けた新しい外交努力を始めようとしている。その一環としてクエール副大統領が1日,ジャカルタでシアヌークと会談する予定。
DIA-601-1989-05-02-1アメリカ1989年05月02日1980年代(ワシントン)官辺筋,先週の国家安全保障会議政策調整委員会が8日,米ソ外相会談に臨む米国の対アフガニスタン政策について次の合意に達したと言明:(1)ソ連のアフガニスタン交渉要求に抵抗し意見・情報の交換を提案する,(2)政治解決はアフガニスタン人の間で行なうべきである,(3)米国政府もアフガニスタン人もナジブラ政権参加取り決めは望まない,(4)モスクワが政権委譲に同意すれば平和的委譲取り決めを討議する。(HT)
DIA-601-1989-05-05-1アメリカ1989年05月05日1980年代ブレイディ財務長官とマルフォード次期同次官は議会銀行委員会で証言:西独と韓国は貿易不均衡縮小のため国内経済政策を大きく変える必要がある,ウォンの対ドル切り上げは一層進める必要がある。韓国の趙淳副首相は4日,財務長官らと会談。(WP)
DIA-601-1989-05-10-1アメリカ1989年05月10日1980年代マルフォード次期財務次官,上院外交委で証言:台湾は,米国が第三世界債務新救済計画に資金面で協力(消息筋では数十億㌦規模)するよう示唆したのに対し「一般的な仕方で」関心を表明した。(WP)
DIA-601-1989-05-10-2アメリカ1989年05月10日1980年代米ソ外相会談(モスクワ,~11日)。
DIA-601-1989-05-11-1アメリカ1989年05月11日1980年代(北京)中国外務省報道官,中ソ会談中,米国の軍艦3隻が上海に寄港するが,これは友好問題であり,儀礼訪問である,と言明。ゴルバチョフ書記長が上海滞在中の5月18日の当初予定が19日に変更。(WP)
DIA-601-1989-05-12-1アメリカ1989年05月12日1980年代(テキサス州カレッジ・ステーション)ブッシュ大統領は,テキサス農工大学で演説:米国の「封じ込め」政策はソ連を開放社会に動き出させることに成功した。今や「封じ込めを超えて」ソ連を国際社会に組み込むべき時である。ソ連に積極的な措置を期待する。(WP)
DIA-601-1989-05-12-2アメリカ1989年05月12日1980年代グレッグ次期駐韓大使,上院外交委員会公聴会で:駐韓米軍の削減について韓国と協議に入るべき段階だ。
DIA-601-1989-05-14-1アメリカ1989年05月14日1980年代South China Morning Post紙報道:12日発表された米会計検査院の報告は,財務省が香港に対し,香港ドルを米ドルに固定せず諸通貨バスケットに連動させるよう要求した,と述べる。
DIA-601-1989-05-14-2アメリカ1989年05月14日1980年代ベーカー国務長官:ブッシュ大統領は鄧小平主席に中ソ首脳会談歓迎のメッセージを送付した。(『日経』)
DIA-601-1989-05-16-1アメリカ1989年05月16日1980年代上院本会議,FSX共同開発に反対する決議案を52対47で否決。同時に,生産協定は米国に少なくとも40%を確保し,エンジン技術は渡さない,という付帯決議(バード決議案)を72対27で可決。(WP)
DIA-601-1989-05-16-2アメリカ1989年05月16日1980年代(ワシントン)上院軍事委員会防衛産業・技術小委,同盟国と協力して育成したい技術を検討する公聴会開始。同日発表された国防総省の報告では,国家安全保障にとって決定的な22の技術のうち日本はマイクロエレクトロニクス回路など6分野で優位をもつ。(HT)
DIA-601-1989-05-18-1アメリカ1989年05月18日1980年代ヒルズ通商代表部代表,韓国との通商交渉で韓国が投資・輸入障壁大幅削減に合意したと発表。翌日,農産物市場開放でも合意したと発表。(『日経』)
DIA-601-1989-05-20-1アメリカ1989年05月20日1980年代ブッシュ大統領は,ミッテラン仏大統領との共同声明で中国情勢につき自制を要望。ベーカー国務長官,米国の言論,集会,行進の自由支持を確認し,「中国の不安定は米国の最上の利益ではない。また暴動を刺戟しているように見られてはならない。情勢は流動的だが,改革の過程は逆転できないようだ」と言明。(WP)
DIA-601-1989-05-21-1アメリカ1989年05月21日1980年代(ボストン)ブッシュ大統領,仏大統領との共同記者会見で,「米国は民主主義を支持するが,流血は望まない」と述べ中国の自制を求めた。(WP,『日経』)
DIA-601-1989-05-23-1アメリカ1989年05月23日1980年代ブッシュ大統領,万里中国全国人民代表大会常務委員長と1時間会談して非暴力と自制を要望。さらにジャーナリストによる自由な取材とVOAに対する妨害電波(中国時間22日夜から開始)中止を要請。(WP)
DIA-601-1989-05-25-1アメリカ1989年05月25日1980年代ヒルズ通商代表,包括通商法スーパー301条にもとづき,「不公正貿易障壁を維持する国」として日本,インド,ブラジルを特定した,と発表。さらに特許製品保護に消極的な国として監視リストに8ヵ国を特定:ブラジル,インド,韓国,メキシコ,中国,サウジアラビア,台湾,タイ。(WP,『日経』)
DIA-601-1989-05-26-1アメリカ1989年05月26日1980年代朝鮮中央通信,15日第4回目の朝米接触と報道。
DIA-601-1989-05-28-1アメリカ1989年05月28日1980年代WP紙報道:22日のインド弾道ミサイル「アグニ」の実験成功に関連し,米議会は米国の技術供与がミサイル開発に関係しているのではないかと憂慮。特に,飛行物体部品の大気圏再突入時の耐久性をシュミレーション・テストするミサイル・テスト器具の輸出認可をめぐり,賛成の商務省と反対の国防総省,CIA間で係争中。
DIA-601-1989-05-29-1アメリカ1989年05月29日1980年代(ブリュッセル)NATO 40周年記念首脳会議でブッシュ大統領は,「封じ込めを超えた」移行期に当たり在欧米軍20%削減など4項目の軍縮提案。(WP)
DIA-601-1989-05-30-1アメリカ1989年05月30日1980年代(北京)朱昌駿駐北京北朝鮮大使,記者会見で,米国が北朝鮮制裁を解除すれば,朝鮮戦争中の米兵の遺骨5体を返還する,と言明。(HT)
DIA-601-1989-05-31-1アメリカ1989年05月31日1980年代米,タイ官辺言明:リビアのカダフィ大佐は,タイが米国の圧力に屈してラブタの化学工場で働くタイ人労働者270人を引揚げることに同意したら,タイ人出稼ぎ労働者2万5000~7万5000人を追放すると脅かしている。米・タイは88年10月以降本件で交渉中。(WP)
DIA-601-1989-05-31-2アメリカ1989年05月31日1980年代国務省報道官,「カンボジアの非共産抵抗勢力強化が重要であり,適当な援助がシアヌークの立場を強めることになろう。クメール・ルージュが将来一方的に主導権をとろうとしたら,非共産抵抗勢力が権力を保持できるよう援助する」と言明。非公然の援助開始がすでに決定されているものと見られる。(WP)
DIA-601-1989-06-03-1アメリカ1989年06月03日1980年代ブッシュ大統領は,中国政府が平和的デモに武力を行使する決定を行ない人命を失ったことを強く非難し,情勢対応に当たって非暴力的手段に帰るよう要請する声明を発表。ベーカー国務長官は,中国当局の「過剰な力の行使」を非難したが,情勢の展開を注視し性急な軍事・技術援助中止の動きに出ることに慎重な態度を表明。一方,ヘルムズ上院,ソラーズ下院議員は軍事協力,技術協力の全面中止を主張した。(WP)
DIA-601-1989-06-05-1アメリカ1989年06月05日1980年代(ワシントン)ブッシュ大統領,対中措置発表:(1)武器輸出は政府間,商業ベースとも停止,(2)両国軍幹部の往来停止,(3)在米中国人学生の滞在延長は「同情的に検討」,(4)赤十字を通した人道・医療援助,(5)情勢展開に応じ2国間関係の他の側面を検討。(1)は政府間5億4000万㌦,民間8500万㌦。(HT,WP)
DIA-601-1989-06-05-2アメリカ1989年06月05日1980年代(北京)米国大使館,在北京米人学生に避難勧告。
DIA-601-1989-06-05-3アメリカ1989年06月05日1980年代ブット・パキスタン首相訪米。6日,ブッシュ大統領と会談。ブット言明:大統領,CIA長官とはきわめて率直な会談を行ない,パキスタンが核兵器を作る関心もなく作ることもない,と保証した。大統領には域内の国々と核実験禁止条約に合意でぎるよう援助を要請し,アフガニスタン情勢の分析でも将来の政策でも完全に一致した。スコウクロフト補佐官はF16の60機売却はすでに決定済みと表明。7日,両院合同会議で演説。(WP)
DIA-601-1989-06-06-1アメリカ1989年06月06日1980年代ホワイトハウス報道官,中国の指導者とは連絡がとれず誰が指導部かもわからない,と言明。ベーカー国務長官は米国人に中国を離れるよう勧告することを決定。上下両院,それぞれ全会一致で大統領の措置を支持する決議。司法長官,全中国人のビザを来年の現時点まで延長。(WP)
DIA-601-1989-06-08-1アメリカ1989年06月08日1980年代ブッシュ大統領,テレビ記者会見で言明:私は対中国関係を良好に保つよう努力しているが,学生の民主主義への熱望が妥当と認められない限り完全に正常な関係にはもどれない。ただ,大使引き揚げとか経済制裁などは非生産的であり中国国民を傷つける。方励之避難の受け入れは人道的非常措置で国際法にも適う。(WP)
DIA-601-1989-06-09-1アメリカ1989年06月09日1980年代ホワイトハウス報道官,中国政府は多数の国民を殺し今や公然と報復を叫んでいると非難。同日ニューヨーク市で1万6000人の中国人,中国系人デモ。(WP)
DIA-601-1989-06-10-1アメリカ1989年06月10日1980年代ベーカー国務長官,韓叙駐米中国大使と,5日米国大使館が保護した方励之夫妻の問題で会談し,第三国出国を提案。11日中国政府,逮捕状発行を発表。(WP)
DIA-601-1989-06-12-1アメリカ1989年06月12日1980年代国務省報道官,「もし鄧軍事委主席が残虐な天安門の襲撃に責任があるなら,彼は育成しようとしていた改革の道を削り取ったのである」と声明。(WP)
DIA-601-1989-06-12-2アメリカ1989年06月12日1980年代(モスクワ)クロウ統合参謀本部議長とモイセーエフ・ソ連軍参謀総長の間で「危険軍事行動予防協定」調印。議長はこの日から21日までソ連軍事施設視察。(WP)
DIA-601-1989-06-14-1アメリカ1989年06月14日1980年代(ワシントン)中国政府が同日VOAとAPの記者に国外退去を命じたことにつき,ホワイトハウス報道官は挙げられた根拠を否認。一方,国務省は中国大使を呼び抗議したが,報復措置は考えていない。(HT)
DIA-601-1989-06-14-2アメリカ1989年06月14日1980年代米,パキスタン官辺によれば,米国政府はブット・パキスタン首相に同国がウラニウム濃縮度を5%以上に高めないことの再約束を求めなかったが,これはレーガン時代の1984年,ジア大統領にそれを要求して以来継続された方針の転換である。(WP)
DIA-601-1989-06-20-1アメリカ1989年06月20日1980年代ホワイトハウス発表:ブッシュ大統領は,中国の民主化運動弾圧に対する報復措置として,国際金融機関に対中新規借款の供与延期を求め,米政府高官の対中接触を中止することを命じた。前日には国務省が駐米中国大使に,上海・北京の労働者などに対する死刑判決に寛大な措置を求めた。7月10日に予定されていたモスバカー商務長官の訪中は中止。(『日経』,HT)
DIA-601-1989-06-21-1アメリカ1989年06月21日1980年代ブッシュ大統領ら政府首脳,上海で死刑を執行した中国への対応を協議。大統領は論評せず,国務長官は「現時点では追加的措置は考えていない。米中関係はできれば維持していかなければならない重要な関係だ」と言明。上院からは強硬措置要求の声。(WP,『日経』)
DIA-601-1989-06-21-2アメリカ1989年06月21日1980年代(香港)台北で開いていた米台協議で,両国は著作権保護協定の内容について大筋合意した。(『日経』)
DIA-601-1989-06-21-3アメリカ1989年06月21日1980年代(バンコク)ベトナム政府,米兵の遺骨28体を返還,近く16体を返還予定。87年8月以来10回目。(HT)
DIA-601-1989-06-22-1アメリカ1989年06月22日1980年代ベーカー国務長官,下院外務委員会で,立法府と行政府はこのきわめてむずかしい外交政策問題(中国問題)で発言や行動を調整すべきだ,と言明。翌日,大統領は議会指導者に対中政策を説明,理解求む。(WP)
DIA-601-1989-06-23-1アメリカ1989年06月23日1980年代(ワシントン)上院のバンパ-ス,ベンツェン(民主党〉両議員らは,在韓米軍のうち1万人を92年までに削減するよう求める法案を提出した。(『日経』)
DIA-601-1989-06-25-1アメリカ1989年06月25日1980年代WP紙報道:米中の関係悪化にもかかわらず,中国政府は,米国が中ソ国境に設置したモニター装置(電子傍受2ヵ所,核実験等振動記録9ヵ所)から得た情報の提供を継続し,また継続を保証している。
DIA-601-1989-06-26-1アメリカ1989年06月26日1980年代(北京)中国政府はこのほど,4月5日調印の米国平和部隊派遣計画開始を無期延期すると通告。(WP)
DIA-601-1989-06-26-2アメリカ1989年06月26日1980年代ベーカー国務長官,アジア協会で「将来の太平洋協力の枠組」演説(「参考資料」2参照)。
DIA-601-1989-06-29-1アメリカ1989年06月29日1980年代下院,対中経済制裁法案を418対0で可決。貿易・投資計画の停止,人工衛星・原子力機器の輸出停止。ココム規制緩和を止めるよう各国と交渉,など。(HT)
DIA-601-1989-07-03-1アメリカ1989年07月03日1980年代(北京)米国大使館,6月7日の建国門外外交官アパートに対する銃撃事件につき中国に抗議。(WP)
DIA-601-1989-07-04-1アメリカ1989年07月04日1980年代(東京)ベーカー国務長官,対フィリピン多国間援助計画会議(18ヵ国参加。3~5日)に出席,90,91年度対比援助9億6200万㌦に加えて,特別贈与として5年間10億㌦を議会に要請する,と演説。(HT)
DIA-601-1989-07-06-1アメリカ1989年07月06日1980年代(バンダルスリブガワン)ベーカー国務長官,ASEAN拡大外相会議で言明:シアヌーク殿下のフン・セン政権との権力分担取り決めに達する努力は決定的に重要である。交渉のなかで侵略や残虐によく対抗できる勢力の影響力を強めなければならない。ASEAN諸国がシアヌークの立場強化に努めるよう要請する(HT)。官辺筋:フン・センに対する新政策を意味しない(WP)。
DIA-601-1989-07-07-1アメリカ1989年07月07日1980年代(シアトル)国務省は中国向け4機のボーイング757-200の引き渡しを認めた。同時に関連するハネウェル社製慣性航法装置の売却停止も解除。(AP)
DIA-601-1989-07-07-2アメリカ1989年07月07日1980年代クロウ統参本部議長言明:米ソは超大国関係の新時代に入りつつあるが,戦略理論や軍事力構造の即時の大変化には慎重さを要する不安定な過渡期である。(WP)
DIA-601-1989-07-08-1アメリカ1989年07月08日1980年代WP紙報道:官辺・外交筋によると,ニクソン元大統領は9月訪中を計画中。またキッシンジャー元国務長官は10月初め訪中を考慮中と確認。
DIA-601-1989-07-10-1アメリカ1989年07月10日1980年代HT紙報道:中国,VOA記者を追放処分に。
DIA-601-1989-07-10-2アメリカ1989年07月10日1980年代HT紙報道:ブッシュ大統領,このほどガンディー・インド首相に電話で,核開発をめぐる緊張を緩和するためパキスタンとの話し合いを始めるよう要請。
DIA-601-1989-07-11-1アメリカ1989年07月11日1980年代国防総省,60機のF16戦闘機と同関連部品をパキスタンに供給すると議会に通告。(『日経』)
DIA-601-1989-07-11-2アメリカ1989年07月11日1980年代HT紙報道:インドは過去2年間,イラン,イラク,エジプトに毒ガス製造に必要な化学薬品を数百トン売却してきた。西側同様の禁輸法制を採用するようにとの米国政府の説得工作は聞き入れられていない。
DIA-601-1989-07-14-1アメリカ1989年07月14日1980年代第15回先進国首脳会議(パリ,~16日)。
DIA-601-1989-07-16-1アメリカ1989年07月16日1980年代ハインツ(共和),ディクソン(民主)両上院議員,韓国の次期戦闘機(FX)共同開発計画(12機購入,36機組立て,72機国産)は,「同国の民間航空産業への生産技術移転により米国航空産業にFSX以上に重大な脅威を招く」として,大統領に取り決めを承認しないよう要請する決議案を提出。(WP)
DIA-601-1989-07-16-2アメリカ1989年07月16日1980年代WP紙報道:当局者によれば,米国政府は,撤退後のソ連のカブール政府に対する予期以上に大がかりな軍事補給の増強に対し,抵抗派に対する武器供給増大を決定,飛行場,航空機を破壊できる火砲を供給しよう。
DIA-601-1989-07-17-1アメリカ1989年07月17日1980年代WP紙報道:米国政府はインドに対するミサイル・テスト機器の売却禁止を決定。
DIA-601-1989-07-18-1アメリカ1989年07月18日1980年代(ワシントン)第21回米韓定期安全保障協議(17~19日)出席のチェイニー国防長官,韓国李相薫国防長官と会談,「韓国政府,国民が希望する限り米軍は韓国にとどまる」と言明。ただ米側報道官は「在韓米軍の存在は静態的でなく機動的なものだ」と言明。(『日経』)
DIA-601-1989-07-20-1アメリカ1989年07月20日1980年代(ワシントン)政府,ミャンマーのソウ・マウン政権の野党弾圧強化の事態を憂慮する声明。(『日経』)
DIA-601-1989-07-21-1アメリカ1989年07月21日1980年代下院軍事委員会公聴会でソ連前参謀総長アフロメーエフ(ゴルバチョフ書記長の軍事顧問)が証言。
DIA-601-1989-07-24-1アメリカ1989年07月24日1980年代『日経』報道:米国防総省は,インドの軽戦闘機の機材・部品の共同開発や,コンピュータ制御システムの技術供与に原則同意,近く専門家による協議開始。またインド洋での米印海軍の合同演習を打診。
DIA-601-1989-07-25-1アメリカ1989年07月25日1980年代ブッシュ大統領,崔浩中韓国外務長官に「韓国から撤兵する計画なし」と繰り返す。またベーカー国務長官は,「ウォンは適正レートにあるとのIMF公式表明を尊重し,米国もこれ以上為替問題に言及しない」と言明。(WP,『日経』)
DIA-601-1989-07-26-1アメリカ1989年07月26日1980年代ブッシュ大統領,マーシャル群島共和国,ミクロネシア国家連邦との外交関係樹立法に署名。
DIA-601-1989-07-26-2アメリカ1989年07月26日1980年代(ワシントン)フォード国防次官補代行,下院外交委員会アジア太平洋小委で,議会の一部にある在韓米軍削減・撤退論を念頭に,「北東アジア情勢の変化に行政府,議会双方が満足する形で対応していける」と言明,また「将来,韓国は北東アジア全体の安全保障に貢献するようになるべきだ」と言明。(『日経』)
DIA-601-1989-07-27-1アメリカ1989年07月27日1980年代(パリ)国務省高官,中国に対するココムの規制緩和は一時中断される,と言明。(AFP=『日経』)
DIA-601-1989-07-28-1アメリカ1989年07月28日1980年代(ワシントン)政府筋言明:米国担当官チームは韓国政府に,北朝鮮の核兵器能力開発努力の強化を示す衛星写真を説明,またソ連とも協議。(HT)
DIA-601-1989-07-30-1アメリカ1989年07月30日1980年代(バンコク)同日のハノイ放送:米国難民部の代表団は27~28日ベトナム側と,ベトナム戦争時米軍で勤務した軍人,警備員,行政官を米国に移住させることで合意。代表団は第1回3500人の名簿を提出。(HT)
DIA-601-1989-07-30-2アメリカ1989年07月30日1980年代(パリ)ベーカー国務長官はカンボジア問題国際会議で演説:米国はクメール・ルージュを排除したいが,シアヌーク殿下が同派の政権参加を望む場合には同意する。ただ米国の支援の程度は,同派の政権参加度に直接にも間接にもかかわっている。(HT)
DIA-601-1989-07-31-1アメリカ1989年07月31日1980年代(パリ)ベーカー国務長官,銭其=外相と会談,米国政府の対中関係維持への強い意欲を表明。(『日経』)
DIA-601-1989-07-31-2アメリカ1989年07月31日1980年代ブッシュ大統領,FSX共同開発の際,技術供与を制約する上院合同決議113号に拒否権を発動。(HT)
DIA-601-1989-07-31-3アメリカ1989年07月31日1980年代(ストックホルム)米ソ・アフガニスタン協議。
DIA-601-1989-08-01-1アメリカ1989年08月01日1980年代(ワシントン)米議会調査局,「第三世界向け武器輸出動向,1981~88年」発表:88年の米国の輸出92億㌦(前年比66%増,シェア31%),ソ連99億㌦(47%減,33%)。(HT)
DIA-601-1989-08-02-1アメリカ1989年08月02日1980年代上院本会議,在日米軍費用実質全額負担とODA大幅増を日本と交渉するよう大統領に求める90年度国防支出権限法案付帯決議案可決。11月29日成立。(『日経』)
DIA-601-1989-08-04-1アメリカ1989年08月04日1980年代『日経』報道:(北京)米社PPG・インダストリーズ,大連に総投資額1億㌦の板ガラス工場(日産500㌧,7割輸出)を中国側と合弁で設立することで合意。
DIA-601-1989-08-04-2アメリカ1989年08月04日1980年代シンガポールのヨー外務担当国務相,国会で言明:シンガポールは米軍に施設提供の用意がある。ただし国の大きさや戦略的位置からみて在比主要2基地を肩代りすることは無理だ。6月に米側が調査。(Straits Times)
DIA-601-1989-08-08-1アメリカ1989年08月08日1980年代『日経』報道:米国政府は,ベーカー国務長官のアジア太平洋協力構想具体化の一環として,南太平洋諸国に開発援助を倍増し外交・情報ネットワークを強化する。AIDによると,援助額は目標800万㌦として,90年度は650万㌦を確保,フィジーには他に220万㌦拠出。
DIA-601-1989-08-09-1アメリカ1989年08月09日1980年代(ワシントン)国務省発表:中国への米国人渡航自粛は「必ずしも必要でない旅行をする人」に限定,在中国外交官家族が中国に戻ることを認める(『日経』)。北京の米大使館発表によると米政府職員の家族約260人が14日までに中国に戻る(『朝日』,WP)。
DIA-601-1989-08-10-1アメリカ1989年08月10日1980年代ブッシュ大統領,次期統合参謀本部議長にコーリン・L・バウエル大将(前ホワイトハウス国家安全保障担当補佐官)を任命,と発表。10月1日就任。(HT)
DIA-601-1989-08-11-1アメリカ1989年08月11日1980年代米下院代表団(団長シュローダー軍事施設小委委員長),アキノ大統領と会談。(Manila Chronicle)
DIA-601-1989-08-12-1アメリカ1989年08月12日1980年代(ワシントン)在韓米軍メネトレー司令官,このほどNew York Times紙に言明:韓国軍近代化計画の完了,韓国の経済成長継続,中ソの北朝鮮に対する抑制の継続という前提で,90年代半ばには米軍が不在でも朝鮮半島に安定が保たれ,韓国に米軍駐留の必要はなくなろう。ただ「抑止力」は認識の問題なので限られた数の象徴的駐留は依然必要かもしれない。(『朝日』,HT)
DIA-601-1989-08-17-1アメリカ1989年08月17日1980年代The Times紙報道:(ワシントン)ホワイトハウス筋,「当初ソ連軍撤退後6ヵ月以内にナジブ政権崩壊と予測したが,ジャララバード攻略失敗を見るとさらに12ないし18ヵ月を要すると思う。今年の戦闘期間中は戦闘地域を拡大し特に運輸通信路を攻撃目標にしたい」と言明。ワシントンでは官民ともアフガン政策に批判が高まり,駐パキスタン大使館アフガン責任者マクウィリャムズがジャララバードで反乱軍側の勝利は無理だと主張して更迭されたことなどが不信を呼んでいる。
DIA-601-1989-08-18-1アメリカ1989年08月18日1980年代(北京)朱昌駿駐北京北朝鮮大使言明:米国との関係改善は,外交官同士よりもむしろ政府高官同士の接触の方が好ましい。(『日経』)
DIA-601-1989-08-20-1アメリカ1989年08月20日1980年代(ニューヨーク)21日発売の『ニューズウィーク』誌,国務省がウエスチングハウスなど米企業5社の対中国取引(エネルギー事業)にかかわる4500万㌦以上の輸出入銀行融資を承認した,と報道。(共同)
DIA-601-1989-08-21-1アメリカ1989年08月21日1980年代HT紙報道:(ワシントン)米政府では,ブラジル,インド,イスラエルへのスーパーコンピュータ輸出を認可する問題で,商務省,国務省が賛成しているのに対して,国防総省などの省庁は,ミサイルや核兵器の設計に利用される可能性を挙げて反対し,対立状態。
DIA-601-1989-08-21-2アメリカ1989年08月21日1980年代(ワシントン)国務省副報道官,米国政府はシンガポール政府との間で「安全保障関係をめぐる協力の可能性」を協議しているが,これは在比米軍基地問題とは切り離して考えている,と表明(『日経』)。24日ワシントン発『日経』によれば,米国政府はシ政府の在比基地機能の一部肩代わり構想はASEAN諸国に及ぼす波紋にかんがみ,これを拒否し,フィリピンに基地存続を強く求めるとともにシ政府に安全保障上の協力を要請する方針。
DIA-601-1989-08-25-1アメリカ1989年08月25日1980年代(シアトル)米台流し網漁規制協定正式調印。北大西洋で操業する台湾漁船に1990年までに漁船の位置を確定する送信機設置と臨検受け入れを規定。(WP)
DIA-601-1989-08-26-1アメリカ1989年08月26日1980年代(北京)18日北京入りして中国側指導者と会談した共和党少数民族委員会委員長のアンナ・シェンノート女史,対中関係改善を希望する旨のブッシュ大統領のメッセージを伝達した,と言明。中国指導者は天安門事件の内外に対する反響を憂慮し「大規模な抗議運動の処理に不慣れであった」と認めたという。(WP,共同)
DIA-601-1989-08-28-1アメリカ1989年08月28日1980年代WP紙報道:6月5日の対中武器輸出停止は約6億㌦を対象とするが,最大の項目F-8戦闘機改良の電子機器(5億210万㌦)についてみると,グラマン社が開発を続け,中国側は対外軍事援助クレジット(FMS)の規定に従い四半期ごとに開発資金を払込み中,生産開始は1991年頃。他の取引もほぼ同様の事情にある。
DIA-601-1989-08-29-1アメリカ1989年08月29日1980年代(パリ)カンボジア問題国際会議出席中の米高官言明:会議行きづまりの原因はプノンペン政権とベトナムがクメール・ルージュに暫定政権内の役割を与えないと態度を硬化させたことである。戦場でしばらく事態を見守ることになろう。国連介入は包括解決が見出せる時だけで部分解決には反対する。今後の態度はワシントンが決める。クメール・ルージュを政治解決に組み込みたくないが,主役のシアヌークの判断次第だ。(WP)
DIA-601-1989-08-29-2アメリカ1989年08月29日1980年代(ソウル)米,韓両国の当局者,韓国からの共産圏向け戦略物資の輸出規制をめぐり実務協議開始。(AP)
DIA-601-1989-09-01-1アメリカ1989年09月01日1980年代(ワシントン)ブッシュ大統領・海部首相会談。
DIA-601-1989-09-02-1アメリカ1989年09月02日1980年代WP紙報道:消息筋によれば,CIAは対アフガニスタン抵抗派への非公然の武器供給が,特に3~8月初にかけて大幅におくれた結果,ゲリラの夏季攻勢に打撃を与えたとする議会からの批判に応じて,アフガン・タスク・フォースの長を解任した。
DIA-601-1989-09-03-1アメリカ1989年09月03日1980年代WP紙報道:(イスラマバード)外交・アフガン反乱側筋によると,米国とパキスタンは,パキスタンに基地をおく反乱側7政党への資金援助と武器供給を止め,在アフガニスタンのゲリラ指揮官や部族指導者に直接行なおうとしている。しかし,貯蔵所,トラック,役畜などの基本ネットワークを提供する政党をはずすことは困難であり,パキスタンISIの援助配分の役割も変わらない。
DIA-601-1989-09-05-1アメリカ1989年09月05日1980年代政府当局者,米国は中国の要請で来週,中国のGATT加盟問題で同国と事務レベル協議を開くことに同意,と言明。カッツ通商代表部副代表言明:会議は国務省の了解を得ており対中政策に変更はない。(WP)
DIA-601-1989-09-07-1アメリカ1989年09月07日1980年代(ソウル)韓国の通信機器市場開放問題で米韓交渉(6日~)不調に終わる(2月21日参照)。(HT)
DIA-601-1989-09-08-1アメリカ1989年09月08日1980年代ソロモン国務次官補はロサンゼルスで,中ソに対カンボジア武器援助の自制を求めたうえで,「米議会がさきに非共産2派に軍事援助を送るよう求めた目的は,紛争の外交的解決を見越してシアヌーク殿下の地位を強化することにあった」と遠回しに軍事援助供与方針を表明。しかしスクラントン,ソラーズ上・下両院アジア問題小委員長は,それぞれ,パリ会議失敗後の内戦長期化の情勢にかんがみ軍事援助の再考を主張。(WP)
DIA-601-1989-09-08-2アメリカ1989年09月08日1980年代国務省と商務省発表:米国と韓国は,北大西洋の流し網漁操業問題で暫定的合意に達した。(AP)
DIA-601-1989-09-08-3アメリカ1989年09月08日1980年代米国政府は,在ローマのザヒール・シャー・アフガン前国王が同国内戦の政治解決に果たす潜在的役割を探るため,同国王のもとに国務省高官を派遣した。これは戦況の行き詰まり,および臨時政府の分裂と無能を見て,数ヵ月前までの前国王無視の政策を転換したもの(WP)。10月2日付WP紙,米国は前国王に臨時政府支持を公言するよう要請したが拒否された,と報道。
DIA-601-1989-09-13-1アメリカ1989年09月13日1980年代国務省報道官は,政治犯の拷問,その他の虐待につきミャンマー政府を非難,オン・サン・スーチーの釈放を要求した。(WP)
DIA-601-1989-09-13-2アメリカ1989年09月13日1980年代FSX共同開発をめぐる上院表決結果は66対34で,大統領拒否権(7月31日)をくつがえすに至らず。(HT)
DIA-601-1989-09-16-1アメリカ1989年09月16日1980年代(北京)鄧小平主席は,6月9日以来初めて姿を現わしコロンビア大学の李政道教授と会見。(『読売』)
DIA-601-1989-09-18-1アメリカ1989年09月18日1980年代(ワシントン)クエール副大統領は,韓国,日本,フィリピン,マレーシア歴訪に出発。(『日経』)
DIA-601-1989-09-19-1アメリカ1989年09月19日1980年代HT紙報道:(ワシントン)ベトナムでの事業(特に観光)開始に熱意をもつ米国企業がふえており,ブッシュ政権にベトナム政策変更を迫るロビー活動増大。
DIA-601-1989-09-19-2アメリカ1989年09月19日1980年代HT紙報道:(シンガポール)米国は在比米軍の部隊,施設を日本,シンガポールその他域内諸国に再展開し始めたが,これはフィリピン政府の91年以降の基地協定延長を容易にする意図と同時に,基地交渉の結果にかかわりなく継続される米国と西太平洋非共産諸国との安全保障取り決めの再編強化の一部でもある。米軍のF16戦闘機1飛行中隊とC130輸送機の1隊が最近クラーク基地から日本に移動,海軍も空母通信隊を年内にスービックから横須賀に移動する,と発表。在シ西側専門家は,米国と同盟諸国のより複雑で精緻な防衛関係の枠組が発展し,域内諸国がより目立った役割を演じよう,と言明。
DIA-601-1989-09-20-1アメリカ1989年09月20日1980年代訪韓のクエール副大統領,盧泰愚大統領ら与野党指導者と会談,一方的に在韓米軍を削減する米国議会の企てに反対する,旨を再確認。(WP)
DIA-601-1989-09-21-1アメリカ1989年09月21日1980年代大統領,シェワルナゼ・ソ連外相と会談。22~23日,米ソ外相会談。ソ連はSTART交渉にSDIをからめないと譲歩,首脳会談は90年春か夏に開催で合意。
DIA-601-1989-09-25-1アメリカ1989年09月25日1980年代(国連)ブッシュ大統領,国連総会での演説で化学兵器を10年間に全廃する提案。(WP)
DIA-601-1989-09-26-1アメリカ1989年09月26日1980年代ブッシュ大統領,主要銀行幹部と外国金融界指導者65人を招き,途上国累積債務を軽減するブレイディ提案に対し協力を要請した。(WP)
DIA-601-1989-09-27-1アメリカ1989年09月27日1980年代本日発表された国防総省『ソ連の軍事力』報告書1989年版は,「現在,米ソ軍事対決の可能性は恐らく戦後のどの時期よりも低い」と述べる。(WP)
DIA-601-1989-09-27-2アメリカ1989年09月27日1980年代(マニラ)訪比(26~28日)のクエール副大統領,アキノ大統領と会談。ブッシュ大統領の親書を手渡して12月から基地交渉を開くことを正式提案,合意に達した。前日,オドンネル基地で勤務する米民間人2人が待ち伏せ攻撃で射殺され,副大統領到着時には空港で抗議デモが行なわれた。(WP,HT)
DIA-601-1989-09-27-3アメリカ1989年09月27日1980年代(ワシントン)ヒルズ通商代表,韓国の牛肉輸入制限について通商法301条にもとづく制裁実施を延期し,11月までGATT交渉進展を見守ると表明。(『日経』)
DIA-601-1989-09-28-1アメリカ1989年09月28日1980年代(クアラルンプル)クエール副大統領,マハティール・マレーシア首相と会談,シンガポールの軍事施設供与提案について「米国は,現行の海軍給油・空軍修理施設使用の拡充以上に考えていない」と言明。(HT)
DIA-601-1989-09-28-2アメリカ1989年09月28日1980年代マルコス前フィリピン大統領,ホノルルで病死。連邦航空局は国務省の要請で,マルコスの遺体をのせた航空機が出国することを禁ずる緊急命令を発す。(WP)
DIA-601-1989-09-28-3アメリカ1989年09月28日1980年代ベーカー国務長官,国連で銭其=中国外相と会談。
DIA-601-1989-10-01-1アメリカ1989年10月01日1980年代ヤゾフ・ソ連国防相訪米(~6日)。2日,チェイニー国防長官と会談。(WP)
DIA-601-1989-10-01-2アメリカ1989年10月01日1980年代ペル上院外交委員長(民主党),8月のパキスタン訪問によるアフガニスタン・パキスタン情勢報告書発表。ゲリラの軍事的勝利に重点をおく政府の政策を批判して,ザヒール・シャーのもとで暫定中立政権を作り,選挙ないし伝統的協議制度により政治解決を図る方式を勧告。その際,米ソは軍事援助中止に同意すること。(WP)
DIA-601-1989-10-03-1アメリカ1989年10月03日1980年代『日経』報道:(ワシントン)米金融筋によると,世銀幹部は世銀・IMF総会期間中に中国代表と会談,民主化措置が取られない限り中国向け融資の再開に対する米議会の説得は難しい,との意向を伝えた。
DIA-601-1989-10-03-2アメリカ1989年10月03日1980年代アフガン暫定政権国防次官,米国の在パキスタン・ゲリラ向け武器供給は9月に再開したと確認。(新華社)
DIA-601-1989-10-05-1アメリカ1989年10月05日1980年代ブッシュ大統領,この日付で議会に対し,パキスタンは安全装置なき核計画推進の努力を続けているが,米国政府に入手可能な情報によれば,現在核爆発装置を所有していない,と認証。(WP)
DIA-601-1989-10-06-1アメリカ1989年10月06日1980年代ブッシュ大統領は,国連人口活動基金に1500万㌦を供与する対外援助支出法案には拒否権を行使するとの書簡を議会指導者に送った。同法案はさきに上院で可決されたが,共和党は1985年以来,同基金が人工妊娠中絶・不妊手術を強制している中国に援助を行なっているという理由で反対している。(WP)
DIA-601-1989-10-09-1アメリカ1989年10月09日1980年代(ソウル)ヒルズ通商代表部代表訪韓(~10日)。韓昇沫商工,金湜農水両長官,また盧大統領と会談。米側が牛肉市場開放のスケジュールを示すように迫ったのに対し韓国側が拒否。同代表,11月半ばまでに進展がなければ,スーパー301条にもとづく報復措置をとらざるを得ない,と言明。(『日経』,ロイター)
DIA-601-1989-10-12-1アメリカ1989年10月12日1980年代(東京)アマコスト駐日大使,都内での講演で「米国の韓国におけるプレゼンスの規模を調整する日が近々くるかもしれない」と言明(『日経』)。(ソウル)盧韓国大統領,「韓国は米軍の駐留費の分担はふやすが米軍削減は現在考えるべきでない」と言明(HT)。
DIA-601-1989-10-16-1アメリカ1989年10月16日1980年代ベーカー国務長官演説:米国はペレストロイカが国内でも海外でも成功することを望む。ゴルバチョフの計画は,経済面の繕いにとどまらずソ連の政治的法制的制度の基本的変更をめざしている点で,従来のものとは根本的にことなる。軍事面での新思考の進行のおくれ,地域紛争における矛盾した行動など不満はあるが,米国はソ連と相互に有利な点を慎重に求めることによりペレストロイカを支援できる。(WP)
DIA-601-1989-10-16-2アメリカ1989年10月16日1980年代WP紙報道:政府・外交筋によると,米政府はカンボジア政治解決の行きづまり解決のため,クメール・ルージュに移行期政権内で最低限の役割を認める可能性を探っている。この「ベーカー方式」は関係国に打診され,重要な国がいくつか反対しているが,中国,ベトナム,プノンペン政権が拒否したことはない,という。
DIA-601-1989-10-16-3アメリカ1989年10月16日1980年代ブッシュ大統領,財政赤字削減案につきこの日までに議会と合意が成立しなかったので,「グラム=ラドマン財政均衡法」にもとづき1610億㌦一律削減命令に署名。
DIA-601-1989-10-16-4アメリカ1989年10月16日1980年代(ワシントン)政府高官言明:在韓米軍のあり方に関する報告書を来年4月に議会に提出する。(『日経』)
DIA-601-1989-10-17-1アメリカ1989年10月17日1980年代訪米中の盧泰愚韓国大統領,ブッシュ大統領と会談。18日議会両院本会議,ナショナル・プレスクラブで演説。首脳会談後,ブッシュ言明:両国の政府,国民が平和のためと信じ,また北からの脅威が存在する限り,米軍は韓国にとどまる(WP)。韓国側は「90年代中盤までにOECD並みの市場開放を実施し,経済成長に沿って安全保障への寄与を漸次ふやす」と約束(『日経』)。
DIA-601-1989-10-18-1アメリカ1989年10月18日1980年代シンガポール外務省,同国空軍基地を90年初めから米軍機が定期的に使用することを認める,などの合意声明を発表。(共同)
DIA-601-1989-10-20-1アメリカ1989年10月20日1980年代シグール前国務次官補,北朝鮮訪問(~27日)。訪問中,李鐘玉副主席ら北朝鮮幹部と会談。27日,米朝間でさらに広範な接触を希望する,と表明。30日,ソウルで盧韓国大統領と会談。(RP=共同)
DIA-601-1989-10-22-1アメリカ1989年10月22日1980年代HT,21~22日付報道:(マニラ)西側外交筋によれば,米国政府は,米軍の作戦行動の自由が維持されればフィリピン軍との共同使用など根本的に平等化された条件の,新軍事基地協定を交渉する用意がある。クラーク空軍基地は第2滑走路を建設中で91年初に完成予定。
DIA-601-1989-10-24-1アメリカ1989年10月24日1980年代米国政府,在比米軍基地内のすべての建築物・施設の所有権をフィリピン政府に正式移管。(『日経』)
DIA-601-1989-10-25-1アメリカ1989年10月25日1980年代(バンコク)駐タイ米国大使館,大統領特使としてベッシー将軍が29日ハノイ入りして「相互に関心がある人道主義問題」について上級の会談を行なう,と発表。代表団には,国務省,国防総省担当官のほか,東南アジア捕虜行方不明者家族全国連盟代表が同行。(HT)
DIA-601-1989-10-27-1アメリカ1989年10月27日1980年代財務省,『国際経済・為替レート政策報告』を発表:89年1~6月は経常収支改善が停滞した。台湾元が過去1年12%対ドルで切り上げられ,4月には新為替政策その他貿易収支黒字縮小策がとられたのに対し,ウォンは4月以来0.75%切り下げられ懸念される。(WP)
DIA-601-1989-10-28-1アメリカ1989年10月28日1980年代ニクソン元大統領,中国政府の招きで訪中(~11月2日)。事前にブッシュ大統領と2回協議。滞在中,李鵬,江沢民,鄧小平らと会談。(WP)
DIA-601-1989-10-31-1アメリカ1989年10月31日1980年代ブッシュ大統領,ゴルバチョフ議長と12月2~3日,地中海上で臨時の非公式会談を行なうと発表。
DIA-601-1989-11-01-1アメリカ1989年11月01日1980年代(ソウル)米国と北朝鮮が同日,北京で昨年12月以来5度目の接触を行なったことが判明。(『朝日』)
DIA-601-1989-11-03-1アメリカ1989年11月03日1980年代『日経』報道:(東京)シグール前国務次官補は,来年5月米国で開かれるセミナーに許=・北朝鮮祖国平和統一委員会委員長を招請したことを明らかにした。
DIA-601-1989-11-04-1アメリカ1989年11月04日1980年代(シドニー)第5回米豪閣僚会議(3日~),期間を従来の5年間から10年間に延長した新防衛協力協定に調印するとともに,共同声明で米国の同地域での存在はひきつづき重要と強調。(『日経』)
DIA-601-1989-11-05-1アメリカ1989年11月05日1980年代ニクソン元大統領は訪中結果につきブッシュ大統領とその側近に報告。ホワイトハウス報道官,中国の立場から対外関係の変化も見られるが,当面,きわめて劇的な変更を行なうべき時だとは決めていない。(WP)
DIA-601-1989-11-06-1アメリカ1989年11月06日1980年代(キャンベラ)第1回アジア太平洋閣僚会議(~7日。12ヵ国参加)に米国からはベーカー国務,モスバカー商務,ヒルズ通商代表部の3長官が出席。
DIA-601-1989-11-07-1アメリカ1989年11月07日1980年代(北京)キッシンジャー元国務長官,中国外交部の招きで訪中。10日,鄧小平と会談。13日,ホワイトハウスで正副大統領,国務長官らに訪中報告。(WP)
DIA-601-1989-11-08-1アメリカ1989年11月08日1980年代対フィリピン多国間援助計画の米政府特別代表にリチャードソン元国防長官が指名される。(『日経』)
DIA-601-1989-11-08-2アメリカ1989年11月08日1980年代国防総省筋,政府は連邦政府の病院の余剰・旧式の医療設備在庫25万㌦以上を民間機関を通してベトナムに供与することを計画中と言明。前日にはブッシュ大統領が,ベッシー特使の報告にもとづきベトナムの「新たな協力的態度」に歓迎の意を表明した。(WP)
DIA-601-1989-11-09-1アメリカ1989年11月09日1980年代ブッシュ大統領,訪米中のアキノ・フィリピン大統領と会談。ブッシュ,「来月から始まる米比基地協定更改交渉があらたな,相互に利益のある,長期安全保障協力関係を作り出すものと確信する」と演説。(WP)
DIA-601-1989-11-12-1アメリカ1989年11月12日1980年代チェイニー国防長官は,ソ連が核兵器近代化を減速させているとの同日のWP紙報道につき,戦略兵器近代化は継続させていると批判。ベーカー国務長官も,戦略兵器支出削減の確証はまだない,と言明。政府のソ連経済専門家は13日,ソ連のGNPに占める軍事支出の割合は下降する傾向にある,と確認。(WP,HT)
DIA-601-1989-11-16-1アメリカ1989年11月16日1980年代上院本会議,対中経済制裁を盛り込んだ90年度国務省支出権限法案可決。同法案は7日両院間で調整され,下院は可決済み。21日大統領拒否権。(WP,『日経』)
DIA-601-1989-11-18-1アメリカ1989年11月18日1980年代WP紙報道:チェイニー国防長官,財政赤字削減の必要とワルシャワ条約機構の軍事的脅威の減少を挙げ,「1991年度防衛予算案を数十億㌦削減することに同意する。次の5年間にはより大幅な削減を提案する」と言明。方法は,兵力削減,兵器調達計画取消しその他軍事契約打ち切り,基地閉鎖など。国防総省会計官は13日,軍幹部に92~97年度間の削減幅を1800億㌦と指示。
DIA-601-1989-11-20-1アメリカ1989年11月20日1980年代HT紙報道:(ワシントン)当地筋によれば,米国とサウジアラビアは協調してアフガニスタン抵抗勢力に向こう3ヵ月7億1500万㌦の援助を行なう。形態はCIAを通じた主に軍事装備と資材の供給。米国議会はすでに2月までの援助として2億8000万㌦を可決しており,残りはサウジアラビアから。
DIA-601-1989-11-20-2アメリカ1989年11月20日1980年代上院本会議,中国人交換学生の卒業後の出国猶予期間を4ヵ年延長する法案を発声投票で可決。同法案は前日,下院で403対0で可決。大統領は30日,必要な救済をする十分な権限があり不必要と拒否声明。(WP)
DIA-601-1989-11-21-1アメリカ1989年11月21日1980年代ブッシュ大統領,同日可決された次の法案に署名:(1)90年度国防支出法案2860億㌦。SDIは要求額49億㌦に対し38億㌦と初めて前年比減。(2)90年度対外援助支出法案146億㌦。可決に当たって議会は20日,前日大統領が拒否権を行使した国連人口基金への1500万㌦拠出条項を削除。なお議会と政府は22日,財政赤字を1470億㌦削減する財政調整法案で合意。両院で議決。(WP)
DIA-601-1989-11-22-1アメリカ1989年11月22日1980年代ブッシュ大統領,全国テレビ放送:冷戦はこれきりで終わらせたい。マルタ会談では,東欧の改革に乗ずるつもりはなく,私が熱烈なペレストロイカの支持者であることをゴルバチョフ議長に保証したい。(WP)
DIA-601-1989-11-24-1アメリカ1989年11月24日1980年代WP紙報道:今月初め国連がアフガニスタン紛争の政治解決を探る動きを始めてからブッシュ政権は立場の再検討を迫られている。米国の政策は混乱し,政権内外の専門家は政治解決か軍事解決かで鋭い対立状態。
DIA-601-1989-11-26-1アメリカ1989年11月26日1980年代WP紙報道:大統領と議会は米国産軍複合体の圧縮を開始したが,これは「封じ込め」戦略採用以来のもっとも根本的な構造変化となろう。210万人の兵力と兵器の削減問題は米国政府の最大の関心事となり,少なくとも今世紀中,国民経済や地域経済にはね返ろう。
DIA-601-1989-11-28-1アメリカ1989年11月28日1980年代WP紙報道:国防総省筋によると,米軍はチェイニー国防長官の要求に従い1991~94年に25万人以上の兵力を削減する計画を立案した。削減幅:陸軍現役3師団(16%),空軍戦闘機5航空団(20%),軍艦62隻(11%)。これは軍事戦略,世界的配備の大変化を伴うことになろう。また同紙29日付によると,国防省幹部は同様に武器調達職員2万3000人の削減計画を提案している。
DIA-601-1989-11-29-1アメリカ1989年11月29日1980年代WP紙報道:米国諜報界が国防長官に提出した報告によると,ヨーロッパの軍事バランスを根本的に再検討した結果,過去数ヵ年,ソ連・ワルシャワ機構は西側に対する大規模な攻撃を迅速に開始する能力を欠いていた。同報告は今次東欧の激変の数ヵ月以前に完成した。
DIA-601-1989-11-30-1アメリカ1989年11月30日1980年代ブッシュ大統領,CIAに外部からの監察官を置く条項をもつ90年諜報機関権限法案に署名。(WP)
DIA-601-1989-12-01-1アメリカ1989年12月01日1980年代ブッシュ大統領,マルタ・米ソ首脳会談に向かう専用機から米空軍機によるフィリピン反乱軍を制圧する航空援護要請を許可。要請はアキノ大統領からプラット駐比米国大使に行なわれ(マニラ時間1日11時半),それを受けてワシントンで11月30日午後11時半から同日2度目の省庁間政策調整委員会(副大統領,ゲーツ大統領副補佐官,統参議長,CIA長官,国務副長官,司法長官,キミット国務次官補)が開かれ,大統領に出動許可を勧告した。大統領の承認とほとんど同時にF-4機数機がクラーク空軍基地から出動,反乱軍が占拠する2基地を発砲せず制圧。別にスービック海軍基地からの海兵隊員100名が米国大使館を防衛,空母2隻はマニラから150~200マイルの洋上に。約1時間後,米政府はゴルバチョフ議長ら各国政府首脳と米議会幹部に通告。大統領ワシントン出発の前に,アキノ政権への明確な支持と政権打倒の場合の対比援助停止のホワイトハウス声明。(WP)
DIA-601-1989-12-02-1アメリカ1989年12月02日1980年代マルタの船上で米ソ首脳会談開催(~3日)。
DIA-601-1989-12-02-2アメリカ1989年12月02日1980年代米政府高官はフィリピンのクーデタ事件介入の経過について説明:初期段階で米政府はアキノ大統領に「われわれでできることがあれば言ってほしい」と一般的に伝えたが,ラモス国防長官からは軍や諜報経路を通して,空からの地上目標攻撃など多様で切迫した要請があった。われわれは援助は引き受けたが,戦闘飛行パトロールの形に変えて行なった。(WP)
DIA-601-1989-12-06-1アメリカ1989年12月06日1980年代ブッシュ大統領は,1991年度予算案で国防支出上限を2920億㌦と裁定(90年度より実質2%減)。(WP)
DIA-601-1989-12-07-1アメリカ1989年12月07日1980年代ベーカー国務長官,記者会見で言明:われわれは自由に選出された民主政権を強力に,全面的に,完全に,絶対的に支持する。フィリピンのあの民主的政権に対するコミットメントを再検討することなど考えられない。こうした経験のあとはしばらくフィリピン情勢を考えてみるによい時期ではあるが。(WP)
DIA-601-1989-12-07-2アメリカ1989年12月07日1980年代HT紙報道:クエール副大統領が,首脳会談の結果がソ連の外交政策の変化のあらわれであるかどうか,懐疑的発言をしているのは,大統領が共和党内保守派に対する役割を与えているものと専門家筋が指摘している。
DIA-601-1989-12-09-1アメリカ1989年12月09日1980年代スコウクロフト国家安全保障担当大統領補佐官はイーグルバーガー国務副長官らを伴って訪中(~10日)。銭外相,江総書記,李首相,鄧小平氏らと会談。10日来日して海部首相と会談。ホワイトハウス声明:われわれは天安門の悲劇は非難するが,大統領は中国に首脳会談について説明することが正しく,米国の長期的利益になる,と決意した。(WP,『日経』)
DIA-601-1989-12-11-1アメリカ1989年12月11日1980年代ブッシュ大統領,スコウクロフト補佐官の訪中報告を受けたあと記者会見して,「中国孤立化の事態を避けたいとの判断から自身で決定,マルタ会談前に中国側に伝えていた」と説明。また,中国に人権擁護の立場を具体的に示すよう求めており,銭外相は中東へのミサイル売却をしないと言明した,と述べる。(『日経』)
DIA-601-1989-12-12-1アメリカ1989年12月12日1980年代HT紙報道:(ワシントン)国防総省の5月13日付大統領宛非公開報告書:ソ連がゴルバチョフのもとで20年来の軍事支出増大のパターンを逆転させることに決めた点で米国諜報機関の認識は広く一致している。
DIA-601-1989-12-13-1アメリカ1989年12月13日1980年代VOA北京支局は,中国外交部から特派員派遣許可の通告を受けた(WP)。同ラジオ放送の電波妨害の中止は23日北京の西側外交筋が確認(『日経』)。
DIA-601-1989-12-14-1アメリカ1989年12月14日1980年代(マニラ)米大使館と館員住宅で手投弾爆発。
DIA-601-1989-12-15-1アメリカ1989年12月15日1980年代WP紙報道:スコウクロフト補佐官は訪中の際中国指導者に,ブッシュ大統領が対中関係の方向転換をするには助力が必要であり,1月の議会再開までに中国が積極策をとらなければ新たな反中国立法の可能性が強いと警告。戒厳令解除,VOAの妨害停止と特派員受入れ,ミサイル売却停止,方励之問題の解決,などを例示。
DIA-601-1989-12-17-1アメリカ1989年12月17日1980年代WP紙報道:財政赤字削減の要請と東欧情勢の展開をふまえて,国防総省最高幹部は国防長官に対して在欧米軍兵力を最終的には30万5000人から15万人に削減する目標でいくつかの勧告を提示。12日以降来年1月にかけ9回の最上層の戦略企画会議が開始された。作戦企画担当者が提出した,在欧兵力削減の一方で第三世界の軍事力強化に対抗できる戦力展開の勧告では,オプション1が海洋戦力重点,2は陸・空軍重点,3が折衷案。
DIA-601-1989-12-18-1アメリカ1989年12月18日1980年代CNN,スコウクロフト補佐官とイーグルバーガー国務副長官が7月にも訪中したと報道,大統領報道官はこれを肯定する声明を直ちに発表。(WP)
DIA-601-1989-12-18-2アメリカ1989年12月18日1980年代国防総省の太平洋米軍戦略の企画会議(17日参照)でいくつかの提案がなされ,在韓米軍の大幅縮小,多年前方展開戦略の要であった在比基地に代わるグアム,沖縄,シンガポールなどの組み合わせが検討される。(HT)
DIA-601-1989-12-19-1アメリカ1989年12月19日1980年代ブッシュ大統領,中国への米国製通信衛星の輸出許可,米国輸出入銀行の対中関係企業への融資停止措置の解除を決定,議会に通告した。(『日経』)
DIA-601-1989-12-20-1アメリカ1989年12月20日1980年代韓国政府,次世代戦闘機機種としてマグダネル・ダグラスF/A-18を選んだ,と発表。(WP)
DIA-601-1989-12-20-2アメリカ1989年12月20日1980年代米軍,2万人を投入してパナマに侵攻。(『日経』)
DIA-601-1989-12-24-1アメリカ1989年12月24日1980年代ベーカー国務長官:ソ連とワルシャワ条約機構がルーマニアで軍事力を行使しても反対せず。(WP)
DIA-601-1989-12-25-1アメリカ1989年12月25日1980年代『日経』報道:バーキー世界銀行中国局長,対中新規融資は来年の早い時期に再開されよう,と言明。
DIA-601-1989-12-29-1アメリカ1989年12月29日1980年代日本政府筋,米国防総省の対中軍事協力である中国技術者技術研修が10月再開されたと確認。(『日経』)