A. 海軍関係(主として海軍省調査課)

文献解題

A1 は、海軍省調査課が(注1)、欧州大戦後の国際情勢の分析とそれに対応した新たな政策の提言をおこなうことを目的に研究委員会を設置するに至る過程、また政治、経済、外交等の 面で著名な学者の意見を聞くため、彼らを海軍に嘱託として迎え入れるまでの経緯に関する調査課資料の一括綴である。時期的には昭和15年3月~7月にあたり、研究会の編制、研究事項はおそくとも同年6月末には具体化されたものと思われる。 戦後対策研究委員会(A1-24)、Z委員会(A1-16)等、様々な呼称をつけられたこの研究会が、昭和15、16年の段階で具体的にどのような活動をおこなったかは、本資料からはつまびらかにしえない。しかし、A3に収録した総合研究会、外交懇談会の記録は、明らかにこの研究会の活動の一部を示すものと考えられる。

A2 には、主として海軍側の南方政策に関連する資料を収録した(注2)。まず対南洋方策研究委員会(A2-3639)は、海軍省軍務局と大臣官房臨時調査課によってつくられた研究会であり、初期の海軍側の対南方政策への関心を伝えるものとして注目される。また(海軍)軍令部第一部直属作成の文書(A2-4142)は、「好機ヲ捕捉シ対南方問題ヲ解決ス」と謳い、南方政策の画期的転換となった「時局処理要綱」(昭和15年7月27日、大本営・政府連絡会議決定)以後の海軍側の「大東亜新秩序建設」構想案である。時期的には、陸軍参謀次長直轄の第20班(有末次大佐)が、有名な「対南方施策要綱案」の作成に着手した頃と一致する。なお、昭和15年秋の海軍側の対南方政策に対する所見としては、同年9月23日の海軍省調査課「新情勢ト対南方政策ニ対スル意見」(B3-354357)をも参照されたい。A2-46A2-48は、海軍省調査課による「国土計画」(「大東亜自給経済圏」「大東亜国防圏」を構成する植民地、南方諸地域の産業編成、国防分担の計画と、それに伴う民族対策)に関する研究案である。この方面の研究は、すでに昭和15年6月、海軍省調査課『帝国国防国家論』(A4-114)の中で体系的に展開されている。

A3.ここには海軍省調査課内に設けられた総合研究会、外交懇談会の記録を収めた。総合研究会には、海軍省嘱託として矢部貞治(東大教授、政治・外交)、板垣与一(経済)、三枝茂智(法学博士)等が参加しており、その記録は内容的にみて次の二つに分けることができる。ひとつは、昭和16年6月、日蘭印交渉決裂前後に研究を開始し、同年8月15日、海軍省調査課「蘭印対策ノ研究」(A2-45)に結実する蘭印対策の研究過程の記録。総合研究会における6月20日から7月16日までの記録(A3-5367A3-6874)がそれにあたる。他のひとつは、A1で述べた「戦後対策研究」の主要研究事項のひとつである国防国家体制の研究の記録(A3-7785)であり、後に海軍省調査課『帝国国防国家論』(A4-114)として集大成をみた。一方、外交懇談会の方は、昭和16年1月から太平洋戦争勃発以後昭和17年9月までの記録が一括綴として残されている(A3-86111)。外交懇談会には海軍軍務局、調査課からの出席者のほか、高木八尺(当時東大教授、米国政治史)、松下正寿(立教大教授)、笠間杲雄(元公使、外務省顧問)、田村幸策(法学博士)、神川彦松(東大教授・法博)、稲原勝治(外交評論家)、斉藤忠(軍事評論家)、伊藤正徳(軍事評論家)等が名をつらねており、懇談会では、主として欧州大戦後の欧米の動向、独ソ関係等について議論がかわされた。蛇足になるが、昭和16年10月7日の外交懇談会記録(A3-98)の中には、「大東亜共貧圏」の言葉を見い出すことができる。メンバーの一時的思いつきなのか、それとも、当時そうした言葉が一般に陰でささやかれていたのか定かではないが、少なくとも開戦前の段階で、「共栄圏」ではなく「共貧圏」という言葉が交わされていたことを伝えるものとしてすこぶる興味深い。なお、欧米関係の海軍側の見解等については、B1およびB5とくに海軍軍令部(B5-391397401)、海軍省調査課(B5-402)の文書をも参照されたい。

A4.国家総力戦に関するものその他を集めた。ここに分類した資料はB6B9とも密接に関連する。

(注1)
海軍省調査課は、昭和14年3月31日(勅令第144号)、大臣官房として設置された。前身は、昭和8年6月20日、「官房所掌事項中海軍軍政上必要ナル諸資料ノ総合整理ニ関スルコト及特ニ命ゼラレタル事項ヲ分掌ス」ることを目的に設置された臨時調査課である。調査課長は、昭和14年4月1日:高木惣吉、昭和14年11月15日:千田金二、昭和15年11月15日:再び高木惣吉、昭和17年6月1日:矢牧章(軍務局第二課長兼任)だった。(日本近代史料研究会編『日本陸海軍の制度・組織・人事』1971、東京大学出版会、pp.231、430)
高木惣吉氏の回想によると、彼は昭和13年11月末水交社で開かれた陸海.軍軍務局中堅層の会談を契機に国内外の情勢分析の必要を痛感し、海軍「ブレーン・トラスト」の結成を計画した。その第一歩としてまず、昭和14年11月、海軍大学校研究部に天川勇、三枝茂智、高木友三郎(明大教授)の三氏を招いて話を聴くことにし、その後、新任の豊田貞次郎海軍次官に海軍「ブレーン・トラスト」編成の計画を上申、承認をえた。(高木惣吉『太平洋戦争と陸海軍の抗争』昭和42年、経済往来社。pp.189~196)

海軍省調査課が「ブレーン・トラスト」編成に本格的に取り組んだのは、昭和15年8月以降であるという。(高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』昭和46年、光人社。p.193)

「ブレーン・トラスト」は、本資料収録の総合研究会、外交懇談会のほか、政治懇談会、思想懇談会の計四つから構成されていた。(なお各研究会のメンバーについては、前掲『太平洋戦争と陸海軍の抗争』pp.197~198参照。)

(注2)
海軍の対南方政策については、さしあたり日本国際政治学会太平洋戦争原因研究部編『太平洋戦争への道』第7巻、(1963、朝日新聞社)、第1編「日本の対米開戦」(角田順)ならびに『現代史資料(10)日中戦争(三)』(昭和39年、みすず書房)「資料解説」(角田順)参照。ただし本資料からわかる海軍側の動向については言及されていない。