Technology and Rural Society

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Technology and Rural Society

水利の社会構造

Title: はじめに
Author: 旗手 勲
Publisher: 東京大学出版会
Published Year: 1984年
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はじめに

 本書は,国際連合(国連)大学がアジア経済研究所に委託した「技術の移転・変容・開発―日本の経験―」プロジェクトのうち,「技術と農村社会」研究部会の最終報告である.

 Ⅰ 研究部会の目的

 日本は非西欧社会のなかで,近代化と資本主義化を先発させた最初の国である.同時に,「前近代的」な農業と農村が,日本の急速な資本主義化を支えた.その鍵は,世界でもっとも集約的といえる「組織的灌漑」の展開にあったと考える.
 日本のこれらの事情と経験が,経済と社会の自立を目指す途上国の技術開発に対して,なんらかの参考先例になりうるかも知れない.これが,このプロジェクトのなかに「技術と農村社会」の研究部会が設けられた理由であろう.
 玉城哲が主査となり,多くの委員と関係者がそれまでの成果をもとに討議を重ねた.とくに,日本農業の基盤を形成してきた灌漑の技術と組織,政策と指導者の考察に主力を注いだ.
 さらに日本の灌漑を代表する四地域を選び,1978(昭和53)年は長野県の梓川流域(河川扇状地),1979(昭和54)年は兵庫県の加古川台地(溜池),1980(昭和55)年は九州の筑後川下流(クリーク),1981(昭和56)年は北海道の石狩川中流(開拓新田)の現地調査を行った.
 この間,中間の報告書は14冊に及んだ.1982(昭和57)年は補足調査と総括討論を加え,本書をまとめたものである.

 Ⅱ 本書の構成

 第1章(玉城哲)は,総論にあたる.戦国時代から江戸時代に確立した日本的な灌漑農業は,水争いと水利慣行を経て分権的システムを内包した.古代からの巨大な水利ストックを基盤に,明治以後も欧米技術を主体的に選択消化し,伝統的な技術と組織を再編しながら,近代化と併存する独特な「水社会」が構成されたと主張する.
 第2章(旗手勲)は,水利開発の技術史と指導者の役割をのべる.古代から中国技術を風土に適応させた日本は,戦国・江戸時代に在来技術を完成した.明治以後も政府主導で欧米技術を導入したが,同時に農村の指導者たちが土着技術の高度化と近代技術の利用に力め,農業生産力の上昇がもたらされた.
 第3章(今村奈良臣)は,明治以降の土地改良における財政投資の役割を解明した.その制度の変遷を概観し,国家資金が投入された根拠と成果を整理した.とくに事業に占める国・県費と農民の負担率の変化を説明するなど,途上国における公共投資の策定などに参考となる事例が多いと考える.
 第4章(永田恵十郎)は,土地改良が農業生産力を向上させる根拠を,農家経済レベルから検討した.明治期の耕地整理,大正中期からの国家主導による土地改良に応じて,それぞれ稲作生産量が上昇した.さらに第2次大戦後の土地・改良にふれ,新しい水稲集団栽培と畑地灌漑をめぐる課題を提示した.
 第5章(陣内義人)は,佐賀県のクリーク灌漑の発展と地域社会の変容を関連づけた.この地域は,大正期に地主主導の大規模な電気ポンプ灌漑が実施され,やがて「佐賀段階」といわれた高生産力水準を結実した.同時に地場のポンプ製造業も興隆するなど,地域に則応した技術と産業の展開を解析している.
 第6章(七戸長生)は,北海道の石狩川中流における開拓農村の水利開発を論じた.入植後に土地所有者による土功組合が,国・道の補助をうけながら「大正用水」を完成する.本州とは異なって農家間の水争いは激しくないが,寒冷地稲作や1970(昭和45)年以後の水田転作にともなう矛盾が検討された.
 第7章(友杉孝)は,現地調査を行った四地区の比較から,水利社会の文化的な象徴性を分析した.そして市場経済にともなう貨幣の浸透に対応しながら水利社会も変質し,個別化された農民の結合には宗教活動が大きな役割を果たし,その新しい大組織が農業協同組合であると説明している.
 最後の第8章(平島成望)は,日本の灌漑発展を途上国の立場から見直し,その位置づけを試みた.日本の場合は,灌漑投資が地方分散的フレームと村落共同体的関係を損わず,また投資の地域的な集中も防がれた.さらに用水管理も,公共と共同体の両部門が併存できたなど,優れた分析を加えた.
 このほか,農場レベルでの水管理と稲作経営の分析も不可欠である.しかし今回は,日本の集団的な灌漑の技術と組織,政策などに力点をおき,農場レベルの課題は今後の検討に委せておきたい.

 なお本書の完成には,現地調査に協力された農林水産省・道・県・市町村を初め,土地改良区・農業協同組合などの関係団体,および農家の方々の援助におうところがおおきい.
 また調査と討議には,執筆者のほか,伊藤喜雄・坪井伸広・田村賢治・八木宏典・宮島昭二郎・太田原高昭・矢崎俊治・生源寺真一・牛山敬二などの諸氏が参加された.さらに,アジア経済研究所の林武,多田博一,吉田昌夫,堀井健三,中村尚司,および国際連合大学の箕輪成男,内田孟男の方々から,全面的な支援をいただいたことを特記しておきたい.
 1984年7月
 旗手 勲