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交通・運輸の発達と技術革新:歴史的考察

Title: 序文
Author: 林 武
Publisher: 東京大学出版会
Published Year: 1986年
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序文

 本書は,アジア経済研究所が国際連合大学から受託した「開発と技術」をめぐる研究作業の成果のひとつである.先進国から技術を移転することで産業革命を達成した「日本の経験」を総括する作業に,交通技術の問題を含めるのは当初からの設計であった.
 鉄道は,建設の段階における測量・土木・橋梁の諸分野にまたがる技術を必要とするのを別にしても,軌道・車輛の設計・製作・修理の他に,運転・通信・信号・駅務を内容とする複合的な技術の体系であり,給水・給炭・給電など他の産業技術とのリンケージを不可欠とするから,まさしく複雑・精密で巨大な近代的システムである.この点で,鉄道は,ある一国がもつ技術の総体系とその内容・水準を検討・評価するさいに,指標とすることができる.
 「黒船」が近代の恐怖を象徴していたのに,鉄道は「文明開化」という便益と繁栄を国民にもたらす最も身近な「近代」の恩恵であった.そのことが,東郷平八郎少年をして鉄道技師を志望させたように,有為の青年を引きつけたのでもあった.
 日本の近代技術発展史のなかで,鉄道が果たした役割は,造船・製鉄・鉱砿山・繊維とならぶほどに重要であった.とくに,全国の各地に創設された鉄道工機部が近代的金属・機械工業を各地方に定着・発展させていったその開発・普及の効果は注目に価する.たとえば,浜松市を例にとると,いま最先端技術集約都市(テクノポリス)構想の第一号にされているが,木工機器・繊維関連技術を蓄積していた前史をもっていたにもせよ,鉄道工機部が置かれたことの刺戟をぬきにして,洋楽器・アンテナなどの弱電機器と二輪車の製造技術を発展させることはできなかったであろう.
 鉄道のように,広域的なネットワークの購築を本来的な性格とする技術は,全国におよぶ統一的開発の構想がまずあり,それを政策として展開することが必要だったし,そのためには全国民的な合意と支持が不可欠であった.
 しかも,日本が鉄道に開眼するのは「鉄道帝国主義の時代」のことであったから,国民的利害の観点から鉄道政策を展開できたことは,技術問題全体にとって重要な意味をもつのであった.多分,「日本坑法」を制定して地下資源の開発を外国人に許さなかったのと同じくらいに,のちの技術発展に対して決定的な意味をもったとしてよいに違いない。
 鉄道の「官設官営」が新しい技術官僚としての鉄道官僚たちの理念であり,それが一たんは挫折したけれども(そして,それが高い技術水準で実現されるのは植民地においてであった),技術上の規格が鉄道官僚の手で全国的に統一されていたことの経済・社会的利益は絶大であった.そのことは,インドの鉄道発達史と比較すれば簡単に確かめられる.
 同様に,交通史の現在を,鉄道時代がすぎて自動車時代に入ったと割り切ってしまうことへの疑問は,第二次大戦後に自動車を軸にした交通政策を展開してきた発展途上国がいま都市間鉄道や地下鉄問題と取組んでいる例をあげるだけで充分だろう.
 そして,先進工業国における鉄道斜陽論のただなかで,新幹線が体系的に集約した先端技術は,鉄道がもつ古くて新しい機能を再確認させるものである.それはしかし,目下のところ旅客輸送に限られてのことで,貨物の大量輸送能力は在来鉄道がもっているし,それさえ大型船舶の経済性に及ばない.
 開発と運輸・通信問題をめぐって,発展途上国の学者・実務家との「対話」から痛感させられたことのひとつは,幕藩体制下ですでに,五街道を基軸に大小の道路網が本州をおおい尽しており,技術移転による「近代化」は道路の拡幅・通年化・全天候化だったにすぎないという,先行条件の豊かさである.英語国民なら,道路管理やアメニティの実例をOliver Statler, Japanese Inn, 1961(斉藤襄治訳「東海道の宿――水口屋ものがたり――」教養文庫)で確かめることができるだろう.
 日本の交通問題に関心をもつ諸外国人には,いまでは地名や屋号に名残りをとどめるだけになってしまっている河川交通・舟運の美事なネットワークに注目してほしいと思う.たとえば,東京の主要貨物駅はことごとくが舟運上の拠点と重なりあっているのである.
 占領軍は日本の道路の悪さに閉口していたものだが,確かに日本の道路は自動車利用むきにはできていなかった.それは本書の編者山本弘文教授が指摘しているように,日本には本格的な馬車交通の時代がなかったことに対応してのことであり,道路も舟運そして鉄道と組合わせになった全交通体系の一部分として「近代化」されてきたのであったし,それ以外ではありえなかったからである.
 「近代化」の開始期を特徴づけるのが,山本教授の言う「継[つ]ぎ接[は]ぎ」交通であり,「混合交通」体系との併存であった.長距離交通は徒歩・馬力・舟運が組合わされてのみ可能だったが,それに鉄道が追加されることで高速化し,鉄道の大量輸送力がやがて鉄道による一貫輸送体系を可能にするのではあった.けれども,その先に道路のネットワークがあったことに注目しなければなるまい.
 「混合交通」は近代化初期の都市交通を特徴づけるもので,10年余の間に,人力車・馬車・鉄道馬車が簇生した.そのいずれもが,それぞれに多様なニーズに応えた交通・運輸技術の新展開であったと言えよう.エネルギー転換を経て路面電車が鉄道馬車にとって替り,人力車・馬車が自転車・自動車に場所をゆずる.
 近代的都市交通の典型である東京・山手線の電化(一部のみ1911年)と環状線の完成(1925年)は,日本の産業技術の第一次自立期に対応したものであった.だが,それは未だ鉄道時代であって,第二次の道路(=自動車)時代までには,第二次大戦をはさむ,40年以上の年月が必要だった.
 1960年代初頭のアジア諸国で私は道路の「植民地的な」立派さに瞠目させられた.それから四半世紀を経た日本の交通問題の変化は,改めて,「開発と交通」の問題をめぐる彼我の問題上の同一性と具体的な内容における相違とを明るみに出してくれる.それは,1984年に東京で開かれた国連ESCAP総会が今後の十年を「開発と運輸・通信」問題の段階と性格づけたことにもうかがえる.
 この研究グループの作業は,開発をめぐる南北「対話」に素材を提供するべく,軌道修正をかさねてきたのだが,そのことは,その都度,執筆者に新しい負担をお願いするということでもあった.おかげで,本書は従前の学界業績にはない性格をもつことになった.近代日本の交通体系と交通政策全般にわたる120年余の通史的展望がそれである.執筆者がそれぞれに一家をなす交通史家,地理学者,技術史家,道路工学者であったことによって初めて可能になった学際的な共同作業の結果であって,この分野ではわが国にはほとんど先例のないことだと思う.ただし,石井一郎教授の労作は高度に専門的・工学的であるために今回は収録できなかった.そのエッセンスは平易化した形で本書に採り込まれている.記して同教授への陳謝と執筆者へのお礼としたい.
 しかし,本書にも死角はある.航空間題が省略されていることがそれである.日本技術が国際競争力をもたない唯一の分野であるといわれているが(とくに大型機について),これは軍事技術開発と不可分な領域だし,われわれの関心外である.そのうえ,開発と技術そして技術自立に焦点をしぼりこんだこのプロジェクトでは,省略しても一向に支障がないと断定してもよいだろう.
 本書がこのような形にまとまるまでには,多田博一氏を代表とする同僚たちの努力があったし,出版までには明峯晶子さんの苦心があった.また国際連合大学の箕輪成男,内田孟男の両氏から助力をいただいた.心からのお礼を申上げたい.

 1986年 初春
「日本の経験」プロジェクト
コーディネーター
林 武