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交通・運輸の発達と技術革新:歴史的考察

Title: 第8章:交通・運輸の新たな展開ー1955~1980(昭和30~55)年 III 道路
Author: 山本 弘文
Publisher: 東京大学出版会
Published Year: 1986年
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第8章:交通・運輸の新たな展開ー1955~1980(昭和30~55)年 III 道路

 (1) 自動車工業の発展
 戦後の経済復興のなかで,小型三輪トラックなどを中心に生産を再開した自動車メーカーは,1955(昭和30)年ころから相ついで設備の更新に着手した.なかでもトヨタ,日産,いすゞ,日野の四大メーカーは,政府,世界銀行,米国輸出入銀行などから大型融資を受け,老朽化した設備の根本的な更新を進めるとともに,豊富な熟練労働力の再編成によって,その生産性を急速に高めた.その結果,生産台数は,1955(昭和30)年度の16万2000台から1965(昭和40)年度の197万8000台,1980(昭和55)年度の1117万6000台へと飛躍的に増加し(第4表),保有台数も1955(昭和30)年度末の92万4000台から,1965(昭和40)年度末の724万8000台,1980(昭和55)年度末の3797万2000台へと急増した(第5表).
第4表 自動車生産台数(1955―1980(昭和30―55(年)
第5表 自動車保有台数(1955―1980(昭和30―55)年)
そして1965(昭和40)年度には完成乗用車の貿易自由化,1971(昭和46)年度には自動車産業の資本取引の自由化が実施され,はげしい国際競争の時代に入ることになったのである.わが国の自動車輸出台数(二輪車を除く)は,1955(昭和30)年度の1689台から,1980(昭和55)年度の615万台へと激増した.
 (2) モータリゼーションの進展
 以上のような自動車産業の発展と保有台数の増加にともなって,国内貨客輸送に占める自動車の分担率も,急速に上昇した.まず貨物輸送についていえば,1955(昭和30)年度の95億1000万トンキロ(11.7%)から,1960(昭和35)年度の208億トンキロ(14.9%),1965(昭和40)年度の483億9000万トンキロ(26.0%)と急伸し,1966(昭和41)年度にはついに鉄道の輸送量および輸送分担率を凌駕した(第6表).これに対して鉄道の分担率は,1946(昭和21)年度の75%をピークとして逐年低下し,輸送量(トンキロ)も1970(昭和45)年度をピークに急減局面に入った.そして1980年代には,内航海運と自動車が,国内の輸送市場を二分することになったのである.
第6表 輸送機関別国内貨物輸送量・分担率(1955―1980(昭和30―55)年)
 他方,旅客輸送の分野においても自動車の急伸が目立ち,1971(昭和46)年度には3124億7000万人キロ(50.6%)に達し,鉄道のそれ(2900億4000万人キロ,46.9%)を凌駕した.両者の格差はその後,年を追って広がり,鉄道輸送の後退は抑止できないものとなった.一方,1970年代には航空旅客の増加も目立ち,輸送量と分担率も,1970(昭和45)年度の93億1000万人キロ(1.6%)から1980(昭和55)年度の296億8000万人キロ(3.8%)へと,急伸することになったのである(第7表).
第7表 輸送機関別国内旅客輸送量・分担率(1955―1980(昭和30―55)年)
 上述のような道路輸送の発展のなかで,業者数も,区域トラック業者およびハイヤー・タクシー業者を中心に,急増した(第8表).しかしその反面,この分野の企業は,路線トラックや乗合バスにくらべて小規模なものが多かった.いまそのうちトラック事業についてみれば第9表の通りであり,区域トラック事業の場合,車両数201台以上の企業は全体の0.3%,従業員301人以上は0.27%,資本金1億円以上は1.1%にすぎなかった.そのため「時には運賃ダンピング,過積み,過重労働など,いわゆる輸送秩序の確立を阻害するいくつかの現象を生み」1)落とすことになったのである.
第8表 道路輸送業者数の推移(1955―1980(昭和30―55)年)
第9表 規模別貨物自動車輸送事業者数(1979(昭和54)年3月末)
第10表 道路交通事故(1955―1980(昭和30―55)年)
 このような事情のなかで,交通事故も急増した.いまこれを1955(昭和30)年から1970(昭和45)年までの15年間について見ると,件数で7.6倍,死者2.6倍,傷者12.8倍という激増になっている(第10表).なかでも1955(昭和30)年から1960(昭和35)年までの5年間は,最も増加率が高くなっているが,その原因は,自動車の急増に対して信号機や歩道,ガードレールなどの保安施設が追いつかず,また運転者や歩行者の安全訓練も行き届かなかったからであった.その結果1975(昭和50)年まで,毎年1万人以上の死者をだすことになったが,1970(昭和45)年以降は,保安施設の整備や交通取締りの強化などによって,ようやく漸減に転ずることになった.なお1960年代には,騒音や排気ガスに対する市民の批判が高まり,これに対する規制も強化された.
 (3) 一般有料道路と高速道路の建設
 このようなモータリゼーションの進展のなかで,一般道路の改修・整備を通ずる有料道路の建設や,新しい高速自動車国道の建設が進んだ.一般有料道路の建設は,当初建設大臣が「資金運用部特別会計」から年利6%の資金を借入れ,これを直轄工事に支出するほか,地方道の整備のため年利6.5%で都道府県に貸付け,改修・整備の後有料道路とするというかたちで,1952(昭和27)年からスタートした.しかし1956(昭和31)年4月に日本道路公団が設立され,資金運用部からの借入れによって有料道路の建設を進めた従来の制度が廃止された.同公団は設立と同時に,建設省直轄工事として施行された8路線を引継いだほか,府県貸付事業として整備されてきた26路線を同年7月から9月にかけて引継ぎ,有料道路の総合的な管理者としての態勢を整えた.そして引続き政府出資金,補助金,道路債券の発行などによって,一般有料道路や高速自動車国道の建設を進めることになったのである.
 以上のような既存道路の整備と有料化の開始に続いて,1957(昭和32)年4月には,日本列島を縦貫する幹線自動車国道の建設のため,国土開発縦貫自動車道建設法と高速自動車国道法が公布・施行され,これにもとづいて新しい自動車国道の建設が,日本道路公団によって進められることになった.これは,大型車両の長距離・高速運転に耐える幹線自動車国道をあらたに建設し,国土の再開発をはかるという点で,既存道路の整備を中心とした一般有料道路と,本質的に異なるものであった.
 このような高速自動車国道の建設は,名神高速道路の着工(1958(昭和33)年10月)を皮切りに精力的に推進され,1963(昭和38)年7月尼崎・栗東間,1965(昭和40)年7月西宮・小牧間全線の開通を見たほか,1965(昭和40)年4月には中央自動車道の調布・河口湖間,東名高速道路の東京・名古屋間の起工式が相次いで行われた.そして1968(昭和43)年4月には東京・厚木間,12月には八王子・相模湖間などが相次いで開通し,1969(昭和44)年5月には東京・小牧間が全通することになったのである(中央自動車道は1982(昭和57)年11月全通).
第3図 高速自動車国道網(1985(昭和60)年3月).
 次に首都高速道路公団(1959(昭和34)年6月設立),阪神高速道路公団(1962(昭和37)年5月設立)などによって都市高速道路の建設も進められ,1980(昭和55)年4月1日現在,前者は138.7km,後者は103.3kmを利用に供しているほか,名古屋市,福岡市,北九州市でも,名古屋高速道路公社,福岡北九州高速道路公社によって都市高速道路の建設が進められている.また地方道路公社法(1970(昭和45)年5月,公布・施行)にもとづいて,各府県に設立された地方道路公社や地方公共団体も,有料道路の建設と経営を行っている.いまそれらの供用延長を表示すれば,第11表の通りである.
第11表 道路法に基づく有料道路の供用延長(1980(昭和55)年4月)


 [注]
 1) 全日本トラック協会『トラック輸送産業の現状と課題』,17ページ.
 [山本弘文]