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技術と社会:日本の経験

Title: 第5部:結論ー具体的提案
Author: 林 武
Publisher: 東京大学出版会
Published Year: 1986年
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第5部:結論ー具体的提案

 「日本の経験」プロジェクトは,近代日本が技術依存から自立して技術輸出するにいたるまでの過程を「開発問題」にまつわる一つの国民的経験の事例として捉える試みであった.
 これは,既存の「日本研究」には内外ともにない,問題着想であった.5年間にわたった作業からえた結果は,すでに,一応の理論化をすませた.ここでは,結論に代えて,技術問題と技術政策にかんする具体的提案を試みる.これは,プロジェクト作業の設計者・総括者としての私見であって,私ひとりの責任で起草されている.協力者たちとは立論・結論・力点・叙述方法などで異なるところがあっても,それは事柄の本質からして自然である.いま,私が目指すのは「開発」問題,とくにその中の「技術」問題と格闘している第三世界の知識人・実務家との「対話」であり,この提案は問題解決を志向した方法的試みである「対話」を展開するための素材である.
 幸いにして,問題と論点とを共有できれば,相互の課題を確認し合い,その上で改めて事実を検証したり,方法を吟味して資料を交換することにもなるだろう.そして,私が訂正することもあろうし,対話者を納得させる工夫をこらすこともあるだろう.用語や立論や,その背後にある歴史的・文化的な相違から完全な相互理解へとすぐさま導かれることはなくとも,基本的なところで「対話」の契機が創り出されればよい.それができれば,次には対話を継続させ発展させる努力を重ねればよい.
 さきに私は,国際連合大学の主催した研究会議では,技術問題が具体的に論じられてきてはいなかったことへの反省と批判とを述べた.「開発と技術」をめぐる議論は具体的であることが必要だと思うし,また具体的な事例に即して議論できるのが技術問題でもある.そして具体性がない限り,解決への接近はありえまい.問題の新展開を怨嗟を込めて第三者的に指摘すれば済むようなところに我々はおかれていない.そのことが,問題の具体的細目にわたる検討を必然化する.けれども,細目の網目に入りこめばそれでよいのではない.具体的事例を介して,問題の一般化を試みるのでなければ,「対話」が方法的に成立はしない.我々がここで提出している具体的事例とその一般化や理論化が,果たして「対話」を成立させ・どこまで発展させうるものなのかについて,自信はない.我々が重ねてきた「対話」の経験は限られているからである.だが,また,それに立脚して,それに基づいた,以下のような総括的提案をすることで,次の地平での「対話」を期待している.

 Ⅰ 国家の役割――FPPSSTの原則――

 (1) これは「対話」の都度にどこでも繰り返された主題である.「日本の経験」に照らせば,近代化・工業化の開始期と第2次大戦後とでは,主権のあり方も政府の機構と運営も激変している.それ故,安易かつ過度の一般化は慎まなければならない.
 国家の役割を政府の役割としてならば比較的議論しやすい.総じて言えば,開発における政府の役割は非常に大きかった.日本の「開発」は,言わば主権の発動として国家主権の維持・発展のためにこそ,行われてきた.国益の擁護としての「開発」は,鉄道の官設・官営という政策や地下資源に対する主権の宣言(「日本坑法」)に明らかである.
 他方で,国内的には,「有司専制」で官営模範工場・直轄事業を技術導入と外国人技師の雇用による仕方で積極的に展開した.
 だが,政府が万能ではなかった.関税自主権がなくて幼稚産業の保護策を採れなかったし,政府の財政的基礎は弱くその規模が小さかったからである.財政難と官僚的経営(および外国人への過度の依存による)の失敗から,官営工揚,鉱・砿山などは民間に払下げられた.結果的には,技術の普及と経営の合理的運営が生まれた.
 政府主導で開始された鉄道事業は,開発への有効性と収益性を認識させて,各地に私鉄熱を生む好結果となった.政府が実例で開発効果を立証したことになる.
 他方,政府が失敗した事例から教訓を抽き出し,技術的・経営的に「合理的」な規模(=大規模化)で起業して成功した例が紡績業であった.民間企業家の活力を封じ込まなかったのも,政府の役割として評価してよい.
 言わば,製鉄や造兵などの重工業と幹線鉄道や通信など巨額の投資を要する分野を政府が負担し,軽工業を民間の手に委ねたことが,機械工業ならびに化学工業の移植と発展をへて,やがて,官民間を架橋して国民的技術体系を最小限の規模と内容とで確立させることになる.
 そのことが,技術的閉鎖性をもたらしたのではなく,かえって技術移転を加速し多角化し高度化したのである.技術本体のみの移転は,選択が合理的であれば,さして高価なものではないことを,ここから日本の経営者たちは体験的に知るので,技術開発に積極的でなくなるという傾向も定着する.その一方,陸海軍は「兵器独立」と高性能化を目指した技術開発に腐心するが,その民生的利用は閉ざされていたし,余りに近視的な軍事目的中心主義は,基礎的研究を重視させなかった.
 結論的に言えば,日本政府に確固たる科学技術政策が当初にはなかった.第2次大戦になってやっとそのことに着手したにすぎない(1942年).第2次大戦後も,1956年になってこの問題を主管する科学技術庁を発足させたにとどまるのである.
 (2) このような鈍い反応でもどうやら対処してこられたのは,近代科学・技術に開眼したのが19世紀中葉であったこと,およびその時期の欧・日間の技術格差は今日の南北格差に比べれば格段に小さかった,という幸運に恵まれていたからである.
 第1次世界大戦が,科学技術と政治,科学技術と社会との関係を世界中で構造的に一変させてしまった.その時期に科学技術の自立を最低・最小限の規模と水準で達成した日本にとって,先行者との格差が拡大した分野もあったにせよ,理解さえできないほどの質的格差ではなく,時間差・価格差などの量的格差に換置できる程度であったから(とは言え,実際には,競争力をもつことはできなかった),最新情報を手がかりにして,追試やコピーの試作でノウハウを探りうる分野が少なくはなかった.創造的「模倣」や「借用」が可能だったのである.そのことが,やがて,第2次大戦中の空白をへて,戦後に経済的復興がすすむにつれ,科学技術政策を第1次大戦後の先進諸国にならって展開するのを可能にしたのであった.その時期は,科学情報と技術貿易が空前に自由な時代であったのは日本にとって第2の幸運であった.
 この「日本の経験」から提案できるのは,「開発」に必要不可欠な,そして,比較的短期間に実現可能な技術目標(F=feasibility)を,選択的に(S=selective)確定し,その戦略にそった(S=strategic)計画をたて(P=plan),明確な優先順位をつけ(P=priority),段階的に(S=stagewise),しかも時機を失することなく(T=timely),技術を移転し,追加移転してゆくことが効果的である.これを,FPPSSTの原則と呼んでおくことにしよう.
 この原則を有効に駆使するために,政府は,すでに述べた5Msと(移転から自立に至る)五段階についての精確な基礎晴報をもたなければならない.
 今日では,科学も技術もその最先端は著しく軍事化しており,かつ巨大化している.そこには強烈に政治的な世界理想と国家的威信が賭けられていて,超高性能・超高機能のみが経済的合理性とはかかわりなく追究されている.それが,政治化・体制化された科学と技術の姿であって,「開発」問題とは直接には何のかかわりももたない.それから派生した技術が開発に利用可能ではあっても,それは「規模の利益」を基礎としているので,後発者社会にそのまま持ちこめば「規模の不利益」をもたらすことは必定である.
 しかも,現代の最尖端技術にはブラック・ボックスが多くて,19世紀技術のように構成要素に解体し,自国にある技術と組合せたり代替したりという技術的再編成ができない.それだから,先端技術に限らず,現代技術の採用には周到な配慮が必要であり,選択的に移転するのでなければ,技術移転が技術的従属を深めることになるし,従属すればほぼ自立は絶望であろう.
 今日の世界では,どの一国にもせよ科学・技術的にみてアウタルキックではない.そして技術開発力をもっている国の方が少ない.開発力のない国が技術的従属を拡大深化するような技術選択をするならば,それは国民国家としての発展に役立つこととは言えないだろう.
 (3) 開発が主権行為であり,開発に技術が必要・不可欠であるならば,確固たる技術目的が策定されなければならないし,技術目標が確定されたのちは,目標管理のみが行政の任務となる.そこで,改めて,行政の能率が問題になる.発展途上国の弱点はしばしばここにある.目標管理に必要な情報とデータが揃っていないばかりではなく,死蔵されたり,私物化されたりする組織の欠陥があるし,管理が悪く,必要な時に必要なものが即座に間に合わないことが多い.これは,多分,最新の電子機器の利用で改善されるだろう.
 「対話」を通じて我々が知りえたところでは,工業センサスのない国もあるし,あっても利用を制限しているところがあった.センサスを実施し,利用方法も改訂されなければならない.工業センサス・データの精密度が高められなければ,技術計画も立たないし,目標管理も有効にはできない.
 さらに,計量・計測の単位と軌道幅・電圧(およびサイクル)などの全国的統一と標準化は不可欠である.これらに統一のないことが「開発」にとって大きな障碍になる.一見して些細なことのように思えるだろうが,植民地遺制に地方的・文化的相違が重複している諸国では,このことの統一だけでも容易なことではない筈である.しかし,確固たる技術目標として確立されていれば,新規事業については容易に実施できることだし,老朽化の著しい既存設備を更新する機会が全国的目標の達成を促進する筈である.
 [浪江虔]の農村における活動記録が物語るように,技術と技術(利用の)知識の普及を妨げるのは,一つには,国民に馴染みのない,解り難い用語や度量衡の単位を技術者や行政関係者が使用することである.日本では,農業技術書(とくに肥料関係文献)が1930年代までそうであった.「対話」と実態調査を通じて,我々が経験したところからすれば,どこでも技術の初歩的解説書・マニュアルの類の少ないことは驚くほどであったし,技術(知識)の普及のために,文盲むけに図解したり,テープやスライド,あるいは放送を利用するなどの努力に欠けている国の方が多かった.
 (4) 科学技術政策にはいくつかの局面がある.第1は,開発政策全体との関連である.このとき,「普遍的真理」や「科学万能主義」の主張はともにその有効性が吟味されるべきである.同時に,科学技術政策は反科学主義と反技術主義への説得的な対応を内蔵していることが必要だろう.本質的に長期的展望にたち,科学と技術の有効性に対する確信に裏づけられながら,まず後発者の利益を享受・活用するところから始めて,やがて自国文化の特性が発揮される国際的な比較優位分野を策定すべきだし,そのことによって全人類的な貢献が可能になるだろう.
 第2は,産業技術政策としての科学技術政策である.開発の機関車になる産業を策定し,その技術を基軸に,関連技術と周辺サービスとのリンケージが発展するように構想されるべきだろう.
 このとき,各国が直面する困難は内容的に多様だから,問題を解決しうる技術は既成品としては世界中のどこにもない筈で,各国民が自ら創り出す他ないのである.技術移転は部分的にその補助をするだけのことにすぎない.言うところの最新技術がすべての国で「適正技術」として機能するのではない.
 逆に言えば,ある開発上の課題を解決できるものならば,その新旧・内外・難易にかかわらず,それがその国にとって「適正技術」なのである.肝心なことは適正技術の国民的体系を形成することにある.技術自立のためには,それをできるだけ早く最小の規模と水準で形成することが必要なのである.
 第3に科学技術政策とは,科学者・技術者政策,その養成政策だとさえしてよろしい.
 それは,初・中・高等教育における目標が具体的に展開される長期展望と,短期的な必要に見合うべきマンパワー問題とに大別できる.そのいずれもが新旧・内外の技術の間を架橋するリンケージ開発を志向する「エンジニヤ」層の形成になることが必要だろう.
 科学はユニバーサルでも,技術はそうでない.技術者はナショナルな問題解決者でなければならない.

 Ⅱ 国民的合意と基本的人権

 「開発」には摩擦が避けられない.何故ならば,開発の受益者と被害者とが生まれるからである.それが,かりに無いとしたところで,開発が在来のままの社会関係ないし構造的均衡をそのまま維持し続けながら,水平的にも垂直的にも社会・経済的な発展をもたらしたという事例は未だかつてない.均衡が達成される場合にしろ,社会集団間や地方間に時間差が生ずるのが例である.受益と被害という二項対立にはならなくとも,中立的・中間的な集団が過半数であれば,この対立は調整しやすい.
 開発が,国民社会全体にとっての利益にかなうということと,個々の地方や社会集団が開発利益の均霑に与っていないと集団的に主張して,「公平な」再分配をめぐって混乱と対立が生ずるのは,どこにも,何時でもみられることである.そうした緊張や社会不安は,近代技術にとって,好ましいことではない.諸技術間の相互関連が高密度だから,その一部(たとえば電力や鉄道)の混乱や麻痺の影響は広くかつ深い.
 政治的・経済社会的安定は近代技術(の利用と発展)の前提であり,同時にまたその結果でもある.明治の政治家は多く長命であった.政治的指導力の安定が技術の定着と発展の条件をなしていた,と言ってよい.
 だが,強調しておかなければならないのは,欧米から技術を移転し「開発」をすすめることに対して,全国民的な支持と合意とがあったことである.この「国民的合意」の形成によって,技術移転にともなう「開発」過程の社会的緊張と摩擦を極小化できたのである.
 この「合意」があるからこそ,開発と技術問題に国民の経験と知恵とが自発的に参画しえたのであり,効果的に動員されえたのである.
 国民的「合意」は「開発ショック」の吸収力をもつことは確かだけれども,それが逆用されると,足尾鉱毒事件のように,地域住民の基本的人権と生活権とが,暴力的・強権的に無視され抑圧されることになる.ついでに言えば,足尾銅山の鉱毒事件の反対運動を組織し指導した田中正造は,徹底的に被害農民と行動をともにして,政治家としては,明治国家権力の工作によって無残に敗北させられ,窮乏落魄のうちに死ぬ.しかし,その活動経験から独自な思想形成をとげて,生態論的な「治山治水論」をもつ人権主義の思想家・哲学者として,1970年代の公害時代に,復活した.
 国際的に,田中正造の知名度は低いに違いないが,田中の活動と思想がもつ意義は絶大であろう.田中は決して「近代的な」思想家ではない.だが,それだからこそ,田中は「近代」技術の「負」の側面を真正面から批判する視座を確立できたのでもあった.勿論のこと,田中は,反技術主義者の反「近代」主義者なのではない.むしろ,理想家肌の国権論者でさえある.このことは,国民的合意の形成にとって,基本的「人権」のユニバーサルな意味と価値との重要性を確認させるのであって,それはそのまま「国民国家」主義が宿命的にもっ国権主義(による人権軽視)に対する「下から」の批判なのである.
 別に言えば,「開発」に対する国民的合意の形成は必須で不可欠の重要性をもつけれども,それは「人権」問題を核に据えていないかぎり,国家悪・権力悪という近代の病弊から自由ではありえないだろう.
 開発が主権行為である故に,絶対不可侵であることを認めえない理由もまたそこにある.そして,同様に開発にともなう摩擦と混乱を最終的に,究極的に解決する責任は政府にある.その政府の活動を正当化するのが「国民的合意」と「基本的人権」なのである.ここで言う「基本的人権」とは,高尚な法律論であることを要しない.個々人の人間的尊厳と生存権とが内容だとされてよい.それが必須・不可欠とする技術とサービス(basic human needs)の充足と,国家的ニーズとに対立が生じがちである.政治・経済的困難は国家(=政府)ニーズを優先させやすいが,基本的人権の尊重と擁護を国民国家的利益に連動させて調整することが「現代」の政治家としての名誉であるだろう.
 このことを技術的にみると,社会開発と経済基盤の確立のために政府が導入し管理する公益的な技術・施設と,民間の活力が展開する産業技術とが,技術的に収斂する部門をもつ,つまりリンケージを確立することで,両者関係が構造的に調整され,自立的な国民的技術体系の根幹は形成される.その後には,自立の内容を豊饒化し多角化する展開が加速をみることになる.したがって,国家=政府の必要と民間=民生の需要とにそれぞれ見合う,二種・二様の技術のあいだに如何にはやく第一次的リンケージを確立するかが,主権者能力の証明になるのである.これまで,主権の発動と擁護は多かったが,この点で主権者能力を立証した第三世界国家は多くはない.多くないのは,いま世界が病んでいるということである.

 Ⅲ 国民的技術体系

 近代技術は,連鎖性と累積性とを本質としている.その垂直的ならびに水平的な構造的関連が,前近代技術に比して,商品として譲渡・移転の自由性を備えているにもかかわらず,接合自由性を保証しない.多種類におよぶ所定規模で安定した周辺サービスとインフラストラクチュアとがなければ近代技術は作動できないからである.
 特定の生産目的(たとえば輸入代替)のために移転した技術も,すぐさま暗礁にのりあげるのは,ここに理由がある.
 今日,技術には,国家・政府の必要に合わせて移転されるものと,国民の日常的必要を充たすべく移植されるものとがある.これまで欧米で技術は,主として国民の日常的必要に合わせて,「下」から「自然史的」に長い時間をかけて産業的に発展してきた.発展が緩やかであったから,社会的緊張や摩擦を調整する時間的余裕があった.日本の発展は,確かに,ヨーロッパ型ではなく「上から」政府主導型でなされたと言う意味で「後発者」型ではあったが,軽工業から重化学工業への移行が内発的に可能であった.この点で,現在の「開発」問題ほど深刻な,複雑な課題に直面していなかった.ということは,しかし,負担や苦痛がなくて済んだということではなかった.
 「上から」の近代化・工業化と「下から」の技術的蓄積と展開が架橋・接合されたことで,最低限・最小規模で国民的技術体系の形成がほぼ60年以前に終っていた.
 言わば60年かけて国民的技術体系を第一次に形成したのであったが,その鍵となったのは,ほとんどの技術分野に利用可能な技術要素5Msがあり,不完全でも代替・代用できる在来技術と技能の蓄積があったことである.こうして,新旧・内外の技術間にリンケージを確立できたことが,技術自立=国民的技術形成を可能にしたのであった.前近代社会が形成・蓄積していた職人的技能と経験的知恵はモデルさえ与えられれば,相当複雑な機器でも,近似的・類似的な機能をもつコピーを製作する力量を備えていた.その技術と技能水準は,和時計・日本刀・城郭建築などに示されている.とは言え,それは創造的「模倣」能力ではあっても,そのことだけでは近代化と工業化の推進力にはなれない.
 こうした潜在的技能・技術についての正確な情報と評価法をもち,それを近代技術と接合し組合せて発展の軌道に乗せることができたのは自国のエンジニヤであり,創造的な経営者である.
 このことは,国民的技術形成にとって,在来・伝統技術の有効性を示すもので,その発掘・評価は文化を共有し同じ歴史を生きる自国人エンジニヤと起業的経営者の任務であることを物語る.
 それを「開発」にひきよせて言えば,誰もがその必要を言う開発のための「研究と開発」(R&D)がどの方向に,誰によって推進されなければならないかは明瞭であろう.そして,我々が知っている限りでは,残念ながら,在来技術の総目録ができている発展途上国はなかった.
 この潜在的リンケージの追究は,農業技術および農業関連技術においてこそ,その重要性が最高度のものとなる.人口=食糧問題は多くの国でいま空前に深刻化しているから,農業技術開発の重要性は理解されやすいにしても,技術的解決の方向が,一方で新旧・内外の技術間のリンケージの確保にあるし,他方では肥料,灌漑,道路網など,工業化および社会開発とのリンケージの展開でなければならない.しかし,これらの分野の開発には,計画の当初から住民が参加していないと,完成後の保守と管理がうまくゆかず,老朽化が早まる.近代的灌漑施設だけからならば,日本より遥かに先行しているアジアの国でも,農民が保守や管理に参加していないために,補修が充分でなく高生産性の維持に結びついてはいない.
 この点に,村(および村連合)が水路管理と利用流量調整の機能をもち,共同作業で集団的保守管理の技術を確立してきている日本農民の経験の深さと知恵とをみることができる.鋭い技術眼と公正さ,そして卓抜した説得力,対官庁むけの優れた交渉力と文書作成力をもつ在村の水利指導者たちの力量に我々は圧倒されたものである.こうした在村指導者層は,必ずしも大富農ではない.勿論極貧農ではないが,むしろ,所有規模からみての階級性とは無関係である.この100年間に,かれらの役割も活動範囲も社会的背景も変化してきてはいるが,有力な指導者を出した村とそうでない村との格差は歴然としているのが我々の注意をひいたのではあった.
 結論的に言えば,技術の構成要素(5Ms)を開発する唯一の資源は,自国民エンジニヤであること,彼らのみが新旧・内外技術を架橋するばかりでなく,官民/重軽工業技術間に工学的収斂の可能な技術分野を開発できるのである.そこに,技術(自立)政策とは技術者政策であり,技術者の潜在的リンケージ形成力を誘発するものでなければならない理由がある.

 Ⅳ 国民型エンジニヤの養成

 農業技術においてみられた在村指導者の役割を工場で演じたのは「日本型」エンジニヤであった.農業と工業の相違はあっても双方を「日本型エンジニヤ」として総括できるのは,いずれもが,在来技術と近代技術との間にリンケージを発見し,確立していったからである.原理的に新規で未知の工業技術の場合について言えば,エンジニヤは二つの役割を果たしてきた.生産現場の実践的作業指揮者として,(1)熟練労働者の不足を補いながら,(2)生産活動を通じて労働者を訓練して熟練労働者を形成していった.それは,日本の社会と文化に根ざした「エンジニヤ観」であり,労働者たちは彼らの実務的問題処理能力で彼らを評価し心服して熟練を形成していった.評価基準は出自や学歴ではなかった.総じて言えば,エンジニヤは特定の専門技術分野を基軸とはしても,関連する諸分野を経験し,工学的収斂のレベルを高めながら大成してゆくものと日本では考えられている.だから,職能主義的に細分された,設計エンジニヤと操作エンジニヤという類的区別がなく,両者の間の往復を繰り返している.だから,より高い能率,安全性,操作性,耐久性が設計段階で工夫され実務的に試みられて,定常化してゆく.
 こうしたことが,最近のように既存部門を横断した技術革新がすすみ,異部門間に相互滲透がある局面では著しい成果を生む.
 発展途上国ではエンジニヤの絶対数が少ない上に,植民地遺制とも称すべき堅牢かつ細目にわたる職能主義が根を張り,技術学者(techno-scientists)が多くて現場指揮者であるエンジニヤが少ない.
 そこに問題はある.
 だから,エンジニヤの地位と活動範囲とを高め拡大することが必要だし,エンジニヤの数を殖やすことが急務である.ただし,それは一挙に高等教育までの体系を整備することばかりではなく,実務経験を重ねたあとに研修を繰り返すことで,質的向上をはかることでもできる.基本的には技術者の裾野を拡大することで,各国・各地の実情に通じた「各国型」エンジニヤが育ち,リンケージを発見し,確立してゆくように誘導できる筈である.
 潜在的リンケージを発掘し発展させるのは,自国民エンジニヤであり,創造的経営者である.ときには,エンジニヤ兼経営者である.
 自国型エンジニヤの広範な形成のためには,各種の初級工学・技術書の出版が奨励されるべきだし,その他にもなされるべくしてなされていないことが多い.通信教育や実務能力・資格認定制度の創設などもその中に入るだろう.
 理工科教育を自国語でするか外国語でするかについては,すでに,多くの議論がある.この点で我々の主張は明らかであろう.技術知識普及と潜在的リンケージの開発は,自国語と自国文化を生きる者でなくては不可能だというのが我々の判断である.そのとき,技術用語の翻訳についてtechno-scientistsたちは,訳語の統一をはかり,普及上に混乱を生ぜしめない努力をするべきである.このことは,農業技術の場合に,とくに重要となるのは「日本の経験」してきたところである.
 政府が各地に設置した農業試験場・水産試験所・各種の工業技術試験場は,地場産業の要請に応じながらリンケージを探求し,在来の産業と技術の近代化に貢献してきている.
 それは,移転しやすい技術政策であるし,そうした機関で仕事をする人のすべてが高学歴者である必要はない.基礎的データを,観察と記録によって,蓄積するのが主たる仕事だからである.そういう人たちの協力がないとエンジニヤも理工学者も具体的に作業をすすめることができないのは周知のことだろう.いま「開発」に火急に必要なのは,外国人でも協力・代替できる理工学者ではなく,各種・各級のエンジニヤの軍団である.

 Ⅴ 技術管理――とくに公共的管理――

 経営技術は教育できるが,教育が経営者を育てるのではない.人は経営者に育ってゆくのだ,とはよく言われるところである.
 真に創造的な経営者は何時の時代にもどこにも沢山いる訳ではない.日本的「経営」については既に述べたからここでは繰り返さない.日本型エンジニヤと同じく,経営者も各国型と各時代型があることを指摘するにとどめておく.しかし,「経営者」は決定的な・不可欠の技術構成要素であることは念を押しておきたい.
 ここでは,むしろ,学校教育を通じて移転できる管理技術としての経営技術よりは,技術管理の重要性について触れておきたい.これは「対話」の中でほとんど問題にされたことがないことでもあった.
 問題を機械系技術に限定すれば,如何なる機械も工場も当初から原設計通りの出力をみせるものではない.そして,操業の実績は予定出力より低いところに安定しがちであることはエンジニヤなら誰でも知っている.それをできるだけ早く,原設計出力に限りなく近づけ,かつ定常的に操業させるのは,エンジニヤの力量,とくに主任エンジニヤの力量である.
 関連技術と周辺サービスとのリンケージは勿論のこと不可欠であるが,必要な原材料を所定の質と量とで安定的に確保し,正確に工程を通過させ,部品を追加して目標通りの完成品に所定の時間以内に仕立上げてゆくことが,技術管理の核心である.
 それを「むり,むだ,むら」の排除としてある工場では標語化していたが,至言だと思う.安全な安定した操業は事故と故障に対する最善の防禦であり,素材,エネルギーの安定供給を確保した上での合理的節約は経済原則であり,斉合的均一の製品は高い品質管理水準を物語っている.これを,safety,economy,rationality,qualityという意味で技術管理のSERQ原則と呼ぶことにする.
 これが工学的・経営的に徹底されると,工場のレイ・アウトまでが変更される.結果として安全性・生産性・品質管理が高度化する.技術設計が総体として高度にシステム化され,次いで作業の形態に変化がもたらされるのである.その全体設計は電子機器を利用すれば高速化し・錯誤を少なくはできるが,基本的着想はいつも経営者・技術(設計)者のものであり,SERQ原理が独創的に追究されるのでなければならない.
 日本では,経済と技術に二重構造があって国民的技術体系としてシステム化されているのだが,部厚い中・小企業の層があって製作技術力ばかりか技術開発力をもっている.それが形成されたのは,工程の合理的分解と小工程間に作業者のローテーションが行われた結果,熟練が短時間で形成され,その熟練者がスピン・オフしたからである.
 工程の合理的分解と分離独立は,経営的な必要から生まれた労務・技術管理の形態であったものを,親工場経営の必要と熟練工の自立意欲との双方から推進されたもので,後発者としての日本が形成した技術管理の集合的・社会的あり方を示している.
 もとはと言えば農民ないし農村出身者が,熟練の工業労働者に自己形成を果たし,さらに小経営者として自立してゆけたのは何故か.その疑問に対する回答の一つは,日本の農民は(自作農であろうと小作農であろうと),農業「経営者」であった,ところに理由はある.自営感覚は農民に根深いものだし,高技能者たちには技術に対する自負と独立心とが強いものである.その双方が結合されたのである.
 機械は注意深く保守されなければ,出力が落ち寿命も短くなるように,技術も総体として工程ごと,工場ごと,そして関連分野ごとに調整・管理されなければ有効に機能できない.そして製造工業部門の多くは,電力その他の関連サービスが不安定だと,精密・大規模な近代技術ほど悪影響を蒙むる.対策としては,自衛的に自家発電装置や電圧変化を調整する追加装置への投資を余儀なくされる.技術の社会的・公共的管理がよければ節約できる投資であると言う意味では無駄なことである.
 各国は,よろしく,技術管理の体制を地域社会ごとに公共的に確立すべきだし,そのことが企業と工場のレベルでSERQの水準を高めることになろう.また,投下資本量の軽減は熟練工のスピン・オフや工程分離をすすめることになるだろう.
 技術の公共的管理がよければ社会的な安全が確保できる.つまり公害を防止できることもその功績にしておかねばなるまい.