History of Technology

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History of Technology

近代日本の技術と技術政策

Title: 序文
Author: 林 武
Publisher: 東京大学出版会
Published Year: 1986年
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序文

 本書は,アジア経済研究所が国際連合大学から受託したプロジェクトである,「技術の移転・変容・開発―日本の経験」(1978―82年実施)から生まれた成果の一つである.
 近未来における人類全体の生存を賭した「開発」という緊急問題と,方法的「対話」を介して,取組んでいる国際連合大学は,開発と技術とは不可分の関係に立つものとしてとらえ,「日本の経験」を対話の素材にしようと構想したのである.「日本の経験」は数多い素材の一つにすぎないし,教訓として押売りできることでもなければ,役に立つはずがないと決めてかかることでもない.教師であろうとすることも,否定的断定に固執することも,ともに方法的「対話」に馴染まない.
 正味5年,前後7年にわたる作業期間中にフォーラムとしての国際連合大学で重ねた「対話」の相手方,そのうちでも第三世界のインテリや実務家には,技術政策への関心が圧倒的で,「日本の経験」をめぐる焦点になることがしばしばだった.そして,技術政策の細目や決定メカニズムについての知識も豊かで,我々を驚かせることもあった.
 外国人には「成功」と映じても,政府の技術政策が常に先見の明を誇れるのではないし,成功ばかりでもない.いわば惨憺たる「成功」の連鎖であって,一定の成功が次の時点ではより大きな困難に転ずるような「成功」は今なお繰り返されている.発展にせよ「成功」にせよ,およそそうしたものなのだろうが,一例を挙げると,本書では取り扱っていないが,戦後日本の農業技術政策はその典型である.しかし,その場合にも国際環境とその変化が濃い影を落としていることでは,第三世界と変わらない.
 総じて,技術の実情と技術政策とは相互に関連している.だが,政治家や官僚の理想に合わせて,自由に操作したり,変更したり,また一挙に飛躍させることは,技術には固有の内部法則・関連メカニズムがあるので,できない.しかも,経済と技術の関連は密接で,技術的合理性をはなれて経済性を貫徹はできない.そして,経済的合理性が技術の形態を変えることはある.日本技術史に一エポックを画した臨海銑鋼一貫工場は,政府の方針に背いて設計され操業して,成功した.その装置・レイアウト・建設手順そして総費用は既成の概念を一変させて,世界の注目を浴びた.
 これは政府の技術政策と技術開発が無関係だった例だし,しかも重要な事例である.
 政府に技術政策はあっても,この例から分かるように,政府が自由にできる技術は種類も範囲も極端に限られている.技術を直接に支配しているのは企業である.それが今日の日本の技術政策である.
 しかし,工業化の初期・農業社会からの脱出期に,近代技術の移転に政府が果たした役割は非常に大きかった.政府は外国からプラントを購入し,大量の技師・専門工を雇い入れて,技術の移転と定着を企てた.けれども,日本の原料事情や動力問題を慎重に吟味せずに行った技術移転は,官僚経営と重ね合わさって,さまざまの分野でまことにあっさり失敗した.高価な授業料である.
 製鉄技術はその最たるもので,世界的権威の設計で超高給の外国人技師・熟練工が操業しての失敗が,時間をおいて,2度も繰り返される.設計を改め,操業規模・工法を工夫して技術的に安定させたのは日本の技師であり職工であった.先進技術情報の蒐集による政策立案を職務とするテクノ・サイエンティストではなく,エンジニアこそが技術自立の主役であった.それが「日本の経験」である.生産現場で問題と困難の解決に当たってきたエンジニアが技術政策に関与することで移転も開発も軌道にのった.
 開発問題にとって,技術問題は重要不可欠だが複雑微妙である.だから,技術のことをエンジニアにだけ委ねてしまうことは危険すぎることである.それにもかかわらず,エンジニアの役割は決定的であり,代行不能でもある.かれらの努力によって,ひとたび必要最小限の規模と最低の水準で国民技術の体系が構築されると,それまでの長く苦しい過程にくらべて呆気ないほど容易かつ急速に技術は展開する.新技術の移転は加速され,かつ安価にもなる.関連技術と周辺サービスが既にあるので,技術それ自体を単体として移転できるし,ときには原理特許だけを購入すれば済むからである.
 そこに至るまでの過程を,我々のプロジェクトでは,個別産業技術ごとに検討した.それは,開発の課題が各国ごとに異なっているから,多角的な「対話」のためにはそのアプローチが有効だと思われたし,同時に,技術は具体的に論じなければ開発にとって無意味であり,具体的に議論できるものだからでもある.
 「対話」の繰り返しのなかで,技術移転問題の焦点をその都度明らかにするべく,私は技術の構成要素5Ms(エネルギーを含む materials,machine,man power,man agement,market)と技術の移転から自立に至るまでの五段階(1.正確な操作,2.保守・管理,3.修理と小改良,4.自主設計,5.国産化)とを提起した.この双方を組み合わせることで,問題の在り場所と在り方とが「対話」のなかで明確にできた.その意味でこのアプローチは成功だったと思うけれども,個別産業技術の事例に沈潜してしまうと,当然ながらそれが弱点になってしまう.全体展望が生まれ難いからである.技術の累積性も連鎖性も,直接に関連する小範囲に局限されてしまい,資源やエネルギー問題なども軽視されがちになる.確かに日本で工業化が開始された時期には,ほぼすべての必要資源を国内で調達できた.しかし,技術の第1次的自立と同時に資源の外国依存が定着し,海外市場を開拓し始める.国際的好況時には輸出に集中し不況に直面すると技術革新をすすめて競争に生き残ろうとする.それが技術をつつむ日本の姿であった.そうした問題のことごとくを採り込むことはここでは企てられてはいないが,技術それ自体に限定して,その発展の内部メカニズムとそれを誘発・推進した政策をとりまとめることで,全体展望と基本動向を確かめようとした.それが本書である.
 中岡教授は,自ら研究グループを組織し,その作業結果を独自にとりまとめてくださったが,近代技術の定着に先行した技術的諸条件と技術の発展に内在する推進力に照明を当てている.そこには,同教授の「開発問題」との出逢いと体験が反映していて,同教授の既存業績をふくむ従来の技術問題論にはない新地平を拓いている.
 石井氏の労作は,繊維産業技術を例にとり,紡績工程の近代技術と織布工程の在来技術が相互に補完・依存の関係をもったことで,産業的にも技術的にも安定し発展して,工業化にリーディングな役割を果たしたことを解明している点で,開発問題に示唆するところが大きい.
 内田教授は,この1世紀余の技術史と技術政策を四つの時期に区別して,それぞれの時期の性格と目標/達成水準を明らかにしている.それを実際に担当した諸官庁とその機構・立法措置について,バランスよくしかも周到に取り扱われた.学界事情からすれば労多く功少ない作業で専門家の避けたがるところなのに,期待通りの労作を短期間で完成してくださった.
 それにしても,開発の急務と技術移転の必要については,当初から日本では国民的な合意があったことに読者の注意を喚起しておきたい.そこに第三世界の多くの国との相違があるからである.
 三つの作業は,執筆者の居住地や職場の関係もあって,それぞれ独立にすすめられてきたものながら,一書に集成されることで我々が意図したところと正確に一致することになった.とは言え,この形にまとまるまでには,執筆者のお三方にさまざまのご迷惑を忍んでいただいた.修正・加筆もお願いしたし,その後の調整に思わぬ時間がかかってしまった.すべては私の判断と責任でしたことながら,日本の学界的慣行と国際連合大学の方針との狭間で,できるだけ多く協力者の成果を世に問いたいと思ってきたし,できるだけ沢山の読者を内外にもちたいと願ってのことである.執筆者の寛容と忍耐のおかげで本書はついに完成された.それだけに印象深い誕生であり,このプロジェクトの自信作の一つともなった.総括報告の作成者として,私はこの三論文から特に沢山のヒントと具体的教示を与えられ,扶けられた.
 本書にまとまる以前の作業過程と編集の段階では,同僚の多田博一,明峯晶子の両氏が負担を引き受けてくれた.記して労をねぎらいたい.国際連合大学の関係者各位,とくに箕輪成男,内田孟男の両氏からの大きな助勢があって本書は公刊にこぎつけられた.感謝にたえない.

 1986年 夏
「日本の経験」プロジェクト
コーディネーター
林 武