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無尽業の存立基盤とその変質

Author: 麻島昭一
Series: 国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告
Published Year: 1983年
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目 次

はじめに・・・・・・・・・・2
Ⅰ 日本における無尽会社の概要・・・・・・・・・・3
 1.無尽,無尽講,無尽会社・・・・・・・・・・3
 2.無尽会社の性格と規模・・・・・・・・・・4
Ⅱ 無尽業法制定前の無尽会社の状況・・・・・・・・・・7
 1.明治,大正初期の無尽会社・・・・・・・・・・7
 2.無尽業法の制定・・・・・・・・・・9
Ⅲ 無尽業法以後の無尽会社の状況・・・・・・・・・・11
 1.無尽会社の淘汰・・・・・・・・・・11
 2.無尽会社の発達概況・・・・・・・・・・12
 3.営業基盤の検討・・・・・・・・・・17
Ⅳ 日本における無尽業の特徴と問題点・・・・・・・・・・27
 1.戦前における無尽業の特徴と問題点・・・・・・・・・・27
 2.戦後における無尽業の消滅・・・・・・・・・・29


はじめに

 「技術移転と金融制度」というわれわれのテーマの合意のひとつは,日本の近代的金融制度の確立にあたり,先進資本主義国の金融制度を調査研究し日本へ移植・発展させた事情を明らかにすることにあると思われる。たしかに銀行をはじめ多くの金融機関には,模倣の原型があり,その中から日本に必要と考えたものを選択的に移植し,日本的に変形させたものが多い。
 ところで無尽講ないし無尽会社の場合は,東洋諸国に類似制度があるとはいえ,欧米先進資本主義国から導入したものではない。過去の無尽研究者が,誇らしげに国産の立派な制度,と胸を張る所以である。とすれば日本の無尽業の場合,他の導入された金融機関とは異なり,技術移転とその変容,という問題視角は成立たない。
 しかし,日本の無尽業がわが国で一定の経済的社会的意義をもっていたという事実を踏まえれば,それが在来の制度であろうと,「日本の経験」のひとつには違いない。そこで無尽制度が果した役割・機能をひとまず明らかにしたうえで,無尽制度が存立しえた條件,日本資本主義の発展段階に照応した変質を検討することは有意義と思われる。発展途上国にとっては,日本の無尽制度の存立基盤を知ることによって,自国の條件と比較考慮しつつ,移植の可能性を探ることができるであろう。
 ただし,本稿は,広範に存在した日本の無尽講が,いわゆる庶民階級に深く浸透していた事実を認めはするが,それを取り上げるわけではない。なぜならば,1つには無尽講の実態は今となっては資料的に明らかにすることが困難であること,2つには無尽の意義をすぐれて金融機能の点からみたいこと,この理由から本稿は,金融機関のひとつに数えられる無尽会社(ないし営業無尽)を対象とすることにしたい。しかも日本の無尽業は,戦後の高度成長期に消滅してしまったという意外な結果に終る。その消滅理由も問われねばなるまい。
 なお,本稿に関連して次の研究を参照されたい。
 澁谷隆一編著『明治期日本特殊金融立法史』(早稲田大学出版部 1977年)第2部第4章「無尽関係取締法令の制定過程」
 麻島昭一 「無尽業法の成立事情」『信託』復刊90号,1972年4月。
 麻島昭一 「戦前における無尽会社研究の一考察」『専修経営学論集』32号,1981年9月
Ⅰ 日本における無尽会社の概要

 1.無尽,無尽講,無尽会社
 (1) 無尽の定義 無尽会社とは無尽業務を主とする金融機関といえば簡単であるが,明治末,大正初期に無尽会社を自稱したものをみると,無尽業に専念したものばかりといえず,無尽業を営みつつ他業務も兼ねるもの,無尽業は名目だけで実際は他業務を主とするもの,が混在していた。そのような種々雑多な営業項目の兼業は,無尽会社に限らず,当時の下級金融機関一般の姿でもあった。それでは無尽会社および無尽業務はどう定義すべきであろうか。
 もともと無尽行為については,明治以前から無尽講の姿をとって広くみられ,無尽営業についてのコンセンサスも明治末までにはほぼ固まっていた。日銀調査によれば「一定ノ会員ヲ募集シ各会員ヲシテ毎回一定ノ金額ヲ積立テシメ(即チ掛金)之ニ依テ得タル金額ヲ以テ毎回抽籖若クハ入札ノ方法ニ依リ,会員ノ一人ニ対シ一定ノ金額ヲ限度トシテ貸付ヲ行フ業務」1)と考えられていた。のちの無尽業法で定義された無尽業務2)もほぼ同じ内容であったし,明治末,大正初期の無尽会社がかかげた無尽の説明も類似の表現であった3)から,右の表現は一般化していたといえよう。
 そして無尽加入者は,貸付を期待して掛金を行なうが,「其貸付金ハ主トシテ会員ノ積立金ヨリ成リ貸金ノ返金モ亦毎回ノ積立金ヲ以テ之ニ充当スルモノナレバ,無尽業ハ所謂会員相互間ノ資金融通方法タル性質ヲ有スルモノ」4)と認識されていた。無尽会社は,上に述べた意味での無尽業務を営むわけであるが,その機能は,無尽講における講元に相当するもので,無尽を成立させ運営する労務に対しての手数料が,無尽会社の主たる収益源となる。

 (2) 無尽講と無尽会社の相違点 無尽会社は無尽講が営業化したものとみることができるが,前掲日銀調査によれば,無尽会社が発生する経路を次のように説明する5)。その経路は,たしかに日本での経験であるが,資本主義化する過程で取り残されがちな庶民金融のあり方について示唆的である。
 もともと無尽講は,民間における相互的融資制度の一種であり,最初は臨時的救済制度として発足した。たとえば村落共同体に火災,病気等の災難で苦しむ者が発生したとき,その救済のために構成員が申合せて一定の出資をし,第1回は抽籖でなく被救済者に与えた,という形である。慈善的,宗教的精神がその基礎にあるため,寺院が講元になるケースが多く発生した。この救済方法が普及し,慣れるに従い,臨時的制度が永続的となり,慈善目的から営利的,射倖的へ,村落共同体の地域性を脱して広域化していくことになった。農村から都会へと拡大した無尽制度は,都市において細民,とくに小商工業者の金融機関へと変質することになる。すなわち,都市の小商工業者は,資金調達について高利貸に苦しめられていたから,無尽制度を活用して高利貸から免れる道を選び,その動向に乗じて無尽を営業として組織化する者が現われ,それが無尽会社の出現を結果した。
 上のごとき日銀調査の説明では,無尽会社は無尽講が都市にあって小商工業者の金融手段に転化したもの,という結論である。わが国に無尽会社が成立する背景として,「細民」ないし「下級民」への適当な金融機関が欠如していたこと,政策的にその欠陥が解決されることなく自主的に生み出されたこと,が注目される。
 それならば,無尽会社は無尽講に対していかなる特色をもつのか,無尽の仕組みにおいて基本的に変わることはないが,日銀調査によると,無尽講は「旧慣ヲ因襲シ其組織全然人的相互的」であるのに対し,無尽会社は「(無尽講を)現代化シタル営利業トシテ計算的営利的」である,と特色づけている6)。無尽講は会員の掛金のみに依存するから,未払込者・脱退者の発生が致命的打撃となるが,無尽会社ならば資本金・積立金でカバーすることにより挫折を免がれる。会社組織は資本力,永続性のゆえに,個人の限界を露呈する講元に優越しうる利点をもつ。反面,営利を目的に会員を募集するため,会員相互に面識があり,義理人情の通ずる無尽講とは異なり,会社と会員がドライにつながるだけの無尽会社は,未払込者・脱退者がでやすい,という欠点ももつ。
 明治末期以降の無尽会社急増の主因は,以上のように,細民ないし小商工業者を対象とする金融機関の必要性と,会社形態の採用によって無尽講の限界を乘越えた点に求められよう。

 2.無尽会社の性格と規模
 (1) その性格 それでは日本の無尽会社を金融機関としてみるとき,どのような特徴をもっていたか。
 第1に,無尽会社は全国的に分布し,かつ明治30年代から始まり,比較的古い歴史をもつ一般的金融機関である。都市・農村を問わず分布するが,純然たる農村というよりも地方都市,さらに大都市に立地するものが多い。無尽会社の嚆矢は明治34(1901)年東京に設立された共栄貯金合資会社であって,39年に資本金10万円の株式会社に改組され,当時としては例外的な優良会社だったという。以後大正初期までに数百の無尽会社が発生した。
 第2に,対象とする社会階層は,いわゆる庶民階級で,当時の用語では「細民」「下級民」のための金融機関と位置づけられた。銀行類似会社,信託会社,質屋,高利貸などとともに下級金融機関の一翼を担った。
 第3に,無尽会社は無尽本来の相互共済的色彩を残しつつも,庶民の零細貯蓄機関の役割を果した。たしかに無尽講のごとき村落共同体内の相互共済的性格は薄れているが,政策的庇護なしに,庶民階級自身が自力救済する制度となっている。零細貯蓄の点でも,加入者は心理的に強制貯蓄させられるとともに,抽籖による給付制度をとる場合には,射倖的興味に引きずられることになる。
 第4に,無尽会社は都市の小商工業者に対する金融機能を果すことによって,庶民の消費金融にとどまらず,生産金融の末端を担った。ただ商工業者への金融とはいっても,零細から中小規模までに限られ,個人に対する生業的資金の供給も含んでいたと推測される。
第1表 諸金融機関比較
 第5に,無尽会社は政策的保護育成をまったぐ受けることなく,文字通り自生・成長したことが注目される。日本の金融機関の多くが欧米制度の移植であった中で,無尽会社は在来の無尽講から転化した異色な存在である。政府が庶民金融機関として欧州から移植し,躍起となって育成しようとしたのは信用組合であった。にもかかわらず,信用組合は期待に反して発展に手間どり,皮肉にも政府から見向きもされない無尽会社の方がむしろ発展したのである。多くの無尽研究者が無尽会社を蔑視して育成しようとしない政府の態度を厳しく非難したのは当然であろう。

 (2) その規模 無尽会社が金融機関の中で占める比重は,第1表の通りである。大正5年をとったのは無尽会社の計数が正式に把握できる最初の年だからである。
すなわち,無尽業法が大正4年に制定され,その後から計数が整備されたからである。
 普通銀行,貯蓄銀行,信託会社などは,対象とする社会層からいえば上層か,せいぜい中層程度までで,無尽会社が下層を中心に,一部中層に及ぶのとは対象を異にする。そして金融機関の規模も比較にならぬほど大きく,金融勢力としても格段の差がある。すなわち,無尽会社はまさに零細な金融機関なのである。もっとも第1表は,資本金による単純な比較であって,預金,貯金,信託金,掛金の比較ならば,若干事情は変わるかも知れない。無尽会社は会員相互融通の建前上,事業資本の必要性は小さく,つれて資本金も少額ですむからである。
 普銀,貯銀,信託は大正末期から昭和初期までに不健全・弱小分子が淘汰されたので,昭和8年までに行数は激減し,1行当り資本金額は大型化する。無尽会社は大正4年に整理淘汰を終え,むしろ昭和8年までは社数,資本金とも増大を続けた。実は昭和8年の時点を第1表で選んだのは,無尽会社数がピークに達し,戦前における無尽会社の最盛期とみえるからである。以後,戦時体制期にかけて,各金融機関とも社数の減少,1社当り資本金の膨張,つまり合併集中が一般化し,無尽会社も例外ではない。
 ところで,無尽会社と対比して興味深いのは,市街地信用組合である。営業基盤の類似性がありながら,保護育成とは無縁の無尽会社と,政府の庇護の下にあった市街地信用組合では,発展の様相を異にしている。市街地信組は大正期での発展は遅々たるものであったが,昭和期では着々と拡大をとげている。昭和8年で無尽会社の勢力を追越し,1組合当り出資額は無尽会社よりはるかに大きかった。戦後,無尽会社が相互銀行に転ずるのに対し,市街地信組の多くが信用金庫に転じたことは周知の通りである。とはいえ,無尽会社を他の金融機関と比較しようとすれば,まだ市街地信組の方が比較可能性をもつといえよう。
 注
 1)日銀「無尽会社ニ関スル調査」『日本金融史資料明治大正編』25巻,22ページ。
 2)無尽業法は大正4(1915)年6月に公布されたが,その第1條に無尽の定義がおかれている。
「本社ニ於テ無尽ト称スルハ一定ノ口数ト給付金額トヲ定メ定期ニ掛金ヲ払込マシテ1口毎ニ抽籖入札其ノ他類似ノ方法ニ依リ掛金者ニ対シ金銭ノ給付ヲ為スヲ謂フ無尽類似ノ方法ニ依リ金銭又ハ有価証券ノ給付ヲ為スモノ亦同シ但シ賭博又ハ富籖ニ類似スルモノハ此ノ限ニ在ラス」
 3)商業登記された事業目的を調べてみると,無尽業者の営業には,「一定ノ会員ヲ募集シ積立金ヲナサシメ其会員ニ資金ノ融通ヲナス」「一定ノ会員ヲ募リ其積立金ヲ預リ又会員ニ金銭ヲ貸出シ相互ノ融通ト殖利蓄財ノ便法ヲ図ルコト」の記載が多い(大正初期の新聞による)。
 4)前掲,日銀「無尽会社ニ関スル調査」22ページ。
 5)同上,21ページ。
 6)日銀「愛知,三重,岐阜三県下ニ於ケル銀行以外ノ金融機関」『日本金融史資料明治大正編』25巻,270~71ページ参照。

Ⅱ 無尽業法制定前の無尽会社の状況

 1.明治,大正初期の無尽会社
 (1) 官庁調査による実態把握  わが国の無尽会社展開の時期と規模については,正確には知り得ない。大蔵省・日銀が明治末・大正初期にその組織を動員して下級金融機関を調査した中に無尽会社も含まれ,それら官庁調査を通じて不完全にせよ知る以外にはない。それら官庁調査は,折から激化しつつあった社会問題に対処するため,庶民金融対策樹立を意識しての下級金融機関の実情把握であった1)。それら調査で浮び上った無尽会社についての計数は次のごときものであった。
 日銀「無尽会社ニ関スル調査」では,明治39年から45年6月までに設立された無尽会社数は582,その資本金は733万余円(平均1~2万円)で,資本金5千円以下が7割を占めた2),という。
 大蔵省「本邦ニ於ケル庶民金融機関調査」では,明治39年から大正2年11月末までに設立したものを官報から拾いだし,1,1551,資本金2200万余円(平均1.9万円)であった3),という。大蔵省が大正3年11月各府県に依頼した「無尽ニ関スル調査」では831,会社組織に限れば668社,資本金2,033万円(平均3万円)4)という。無尽業法制定前の無尽会社の計数としては,通常この調査に依拠している。
 上の官庁調査は,時期と方法で計数に大きな差があり,決して十分な調査とはいいがたいが,とにかく明治末・大正初期に無尽会社を自稱するものが数百社あり,資本金合計も無視できぬほど大きいこと,しかしほとんどが零細資本の会社であること,だけはたしかである。

 (2) 無尽加入者 次に無尽業法制定前,すなわち大正4年までの無尽加入者(会員)であるが,計数的にその性格を明らかにすることは困難である。そこで前掲の日銀調査によってその性格を探ってみよう。
 無尽加入者は「中産者以下ニ属スル階級ニシテ其職業ハ千差万別」であって,「下級ノ細民殊ニ独立ノ小商工業者以外其使用人,徒弟,労働者等ニシテ……加入セルモノモ亦頗ル多シ」5)という。日銀調査は小商工業金融を重視していたとみえ,小商工業従事者に対する無尽の効果を次のように解説する。
 「小商工業者の徒弟,使用人ノ無尽会加入ハ,彼等ノ浪費ヲ防グニ最モ有効ニシテ又当籖貸付ヲ得ンニハ,独立経営ノ勤勉心ヲ奮興セシムルノ効果アルモノゝ如ク,既にニ独立経営ヲ為シ居ル小商工業者ニシテ,当籖貸付ヲ得,商工業用ノ機械器具購入,其他商店修繕等ノ資ニ供用シタル等ノ成功ヲ遂ゲタル事例尠ナカラズ。」6)
 この場合の資金需要は,小商工業者ないしそれを目指す者の生産資金ないし開業資金であって,生計に消費されるものではない。資金の必要性が先行し,無尽加入によってその調達をはかろうとする。興味深いのは次の説明である。
「一度加入シ此等の利益ヲ亨有シタル者ハ,一無尽会終回ノ後更ニ他ノ無尽会ニ加入スル例極メテ多ク,又当籖貸付ヲ受ケタル会員ニシテ直チニ之ヲ使用スルコトナク之ヲ特別料金又ハ定期預金ニ振替ヲ乞フ者モ尠ナカラズ。」7)
 ここでは無尽加入者の中には.味をしめて継続する傾向が強いこと,さらに貸付期待よりは貯蓄目的の者がいることが指摘されている。つまり加入者には,積極的資金需要をもち,可能な限り早期に貸付を期待する者と,利殖目的に強制貯蓄を望む者とがあるということになる。

 (3) 諸調査における無尽会社の評価 それでは官庁調査は,無尽会社の実情把握に努めた結果,当時の無尽会社をどう評価したのであろうか。
 まず,各地支店を動員して無尽会社の実態へ接近した日銀は,「下級細民殊ニ小商工業者ニ対スル適当ナル金融機関ノ欠如」していた状況下では,無尽会社を「全ク時世ノ要求ニ適応セルモノ」8)と結論した。ただ,現実に存在する無尽会社のうち,営利主義のひどい業者には弊害があり改善を要するが,無尽会社について「若シ其短所ヲ矯正シテ其弊害ヲ除去シ益々其長所ヲ助長セシムルコトヲ得ンニハ之ヲ以テ小商工業者ニ対スル適当ノ一金融機関タラシムルコトヲ得」9)ると好意的な見解を明らかにしている。日銀は,日本資本主義の金融構造のうち未整備・欠如の下級金融機関の担い手として無尽会社を積極的に活用する態度を打出したのである。別言すれば,無尽会社は改善さえすればその能力あり,と認定されたわけであった。
 他方,大蔵省はすでに日銀の結論を知った上で「無尽ニ関スル調査」(大正4年2月)を作成したが,基本的には日銀調査の線を踏襲している。多少違った点は,無尽営業者の欠点や不正行為の原因を「経営者其人ヲ得サルト其基礎ノ薄弱トニ帰スヘク,無尽ノ方法自体ニ関スル欠点ハ比較的小ナリ」10)と運営の問題としていること,不正行為に対して取締法が必要であること,を挙げている。そして「全然之ヲ撲滅スルカ如キハ策ノ得タルモノニアラサルハ勿論之カ取締ヲ為シ諸種ノ弊害ヲ除テ健全ナル発達ヲ期スルハ寧ロ推奨スヘキコトニ属ス」11)と一応日銀と歩調を合わせた結論とした。しかしその後の無尽立法は,後述のごとく,上の日銀・大蔵省の好意的育成改善論ではなく,厳しい姿勢に変っている。

 2.無尽業法の制定

 (1) 政府の無尽会社に対する姿勢 以上の無尽会社調査を背景に,下級金融機関整備のための立法作業が政府部内で進められた。「相互銀行法案」「共済銀行法案」「庶民銀行法案」など,いくつかの試案が大正初頭に作成され,その中に無尽行為の規定が含まれていたのである12)。それから試案は,「細民」「下層民」への金融,ないし小商工業者への金融を意識し,無尽会社を含めた当時の下級金融機関を再編成し,下層階級から噴出する社会問題に対処するものとみられる。いわば下層階級に金融の道をひらき,その不満を解消せんとする社会政策的意図をこめた立法作業であった。いくつかの試案が作成されながら立法に結実しなかった背景には,下級金融機関整備をめぐり,主張を異にする大蔵官僚と農商務官僚の対立がひそんでいた。
 しかし政府が大正4年に制定した無尽業法は,前述の官庁調査や右の立法作業とは異質の発想で決定された。すなわち取締立法色の強い無尽業法の制定である。その理由の最大は,大正2年8月9日付大審院判決にあったと考えられる。それまで銀行條例に無尽会社取締を依拠していた政府は,大審院が無尽会社を銀行條例の対象外と判決したため,取締の根拠を失うことになった。とはいえ,現実に生ずる無尽会社の不健全な行為を放置することはできず,取締の根拠法を早急に立法したと考えられる。もはや下級金融機関整備をゆっくり煮詰めていく余裕を失ったというべきであろう。

 (2) 無尽業法の骨子 無尽業法は大正4(1915)年6月21日公布,11月1日施行された。同法では無尽の定義が明らかにされ,次の内容が定められた。
 (イ) 免許主義(第2條)
 (ロ) 資本金制限――3万円以上(払込1.5万円以上)(第3條)
 (ハ) 他業兼営禁止(第5條)
 (ニ) 営業区域制限――1都道府県に設定した区域内(第6條)
 (ホ) 資金運用制度 ①国債,地方債,特別ノ法令ニ依リ設立シタル会社ノ債券,株式,②前号ノ有価証券ヲ担保トスル貸付,③掛金者ニ対シ既ニ払込ミタル掛金額ヲ限度トスル貸付,④銀行ヘノ預ケ金,郵便貯金」(第9條)
 (ヘ) その他無尽行為に関する諸制度
 さらに施行細則によって,無尽契約期間は5年以内,無尽の給付金額は1,000円以内,無尽の口数は100口以内と制限した13)。
 また,大蔵省より地方長官宛の内訓(大正4年10月19日付)では,無尽経営が不健全にならぬよう具体的な制限を課した。たとえば過当な入札競争の結果,落札者の手取が減り,無尽業者が入札差金から多額の利益を吸取る,という弊害を抑制した14)。
 以上のように,政府は取締立法の姿勢を強く押出し,一方で認可権を行使して不健全,弱小無尽業者を淘汰し,他方で厳しい営業制限を課すことによって無尽業の健全性を確保しようとしたのである。
 このような無尽業法制定に対し,当時の識者から取締必要論は多く出ているが,無尽業法に反対論ないし批判はあまりみられない。むしろ大分あとになって,池田竜蔵ら無尽研究者たちは,無尽業法には無尽業の育成的姿勢が欠けていた,と非難した。

 注
 1)詳しくは渋谷隆一「社会問題の発生と下級金融機関調査」『金融経済』129号を参照。
 2)『日本金融史資料明治大正編』25巻,22ページ。
 3)同上,373ページ。
 4)同上,527~29ページ。
 5),6),7)同上,49ページ。
 8),9)同上38ページ。
 10)大蔵省「無尽ニ関スル調査」同上書,631ページ。
 11)同上,642ページ。
 12)これら諸法案の内容および立法事情の詳細は,拙稿「無尽業法の成立事情」の附「無尽立法各案比較」および36ページ以下を参照。
 13)大正10年7月施行細則が改正され,この制限は大蔵大臣の認可を受ければ除外されることになり,現実に給付金額5,000円や期間10年という多額,長期無尽が発生した(『相互銀行史』45ページ)。
 14)具体的には,入札の最低手取金額を7割以上とし,「入札差金中,営業者ノ利益トシテハ幾分ヲ控除スルモノニ在リテハ其金額ハ入札差金ノ2割ヲ超ヘサラシムルコト」「営業者ノ利益ニ組入ルル金高ハ総給付高ニ対シテ成ルヘク1割5分以内トシ地方ノ状況ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ在リテ2割ヲ超エサラシムルコト」(東京信託同業粗合「無尽営業免許申請ニ関スル調査」38ページ)を指示している。

Ⅲ 無尽業法以後の無尽会社の状況

 1.無尽会社の淘汰
 大蔵省『銀行局年報』によれば,大正4(1915)年11月無尽業法施行の前後では,無尽業者数にいちじるしい変化がある。第2表にみるごとく,表面的には業者数が2,046から136へ,公称資本金が2,160万円から740万円へと激減している。しかし一見してわかるように,徳島県の業者数1,190は異常で,公称資本金が僅少であることを考慮すると,ほとんどが無資本金の個人業者と推定される1)。仮に異常値の徳島県を除いてみると,第2表の合計は次のように修正される。
 それにしても業者数,公称資本金は激減し,業法施行による淘汰のはげしさがうかがえよう。業法の資本金制限は,公称で3万円であったから,個人および零細業者の淘汰により,施行後は5.4万円と倍額になったものの,銀行等に比較すれば依然として小額資本であることに変りはない。
 第2表で無尽業者の地域分布をみると,徳島を別として,東京が多いことのほか,意外な県が上位に登場してくる。施行時ではどちらかといえば都市ないし先進地帯が多いように思えるが,施行後では地域分布の特徴がつかみにくい。
 業法施行以後,大正5年から昭和17年までを通じて無尽業者数の多い府県(1年でも10社を超えた府県)は,東京,大阪,北海道,兵庫,福岡であって,概して大都市所在府県に無尽会社が比較的多く立地したことになる。反面,無尽業者のすくない府県(この期間を通じて0~3社にとどまった府県)は,宮城,栃木,群馬,長野,滋賀,奈良,山口,沖縄の諸県であって,地域内特徴はみいだしにくい2)。
第2表 無尽業者数府県別
 要するに,業法施行前は,無尽業者の分布は府県によってかなり多寡があったが,業法施行後,業者数は激減したものの,各府県にすくなくとも2~3社,多ければ10社以上無尽会社が存在することになった。大蔵当局の監視下で,一応全国にわたって合法的無尽営業が展開されたことを意味する。

 2.無尽会社の発達概況
 (1) 会社数,資本金,契約高 無尽業法施行以後,日本の無尽業者の推移を業者数と資本金で示せば第3表の通りである。昭和10年まで個人業者や非株式会社を若干含むが,株式組織が圧倒的比重を占め,11年以降は株式組織だけとなる。全体の推移をみると,営業者数は昭和8年276をピークに減少に転ずるが,1社当り資本金はなおも漸増を続けるので,日本無尽業は同年ごろから淘汰・集中に転じたとみられる。それまでは業者数・資本金ともほぼ毎年増加を続けていたから,日本無尽業の発展拡大期というべきであろう。
第3表 無尽業者の資本金
 無尽会社の営業状況は,営業者数・資本金もさることながら,無尽組数,口数,給付金契約高,掛金契約高の推移によってあらわされる。第4表は大正5年~昭和13年までであるが,上記の各計数がほぼ順調に増大したことを物語っている3)。たしかに営業者数は昭和8年がピークであったが,営業の諸計数はその後も順調に増加を続けていく。たとえば昭和8年の無尽口数183万口,掛金契約高約13億円は,当時の他金融機関と比較して無視できるようなものではない。しかし無尽会社と他の金融機関を同列に比較することは,業態の差があってきわめてむずかしい4)。通常,無尽会社の営業規模の大小は,生命保険会社のごとく契約高を尺度としている。したがって契約高と他の金融機関の預貯金高を比較することは適切ではないが,概要を把握するためにあえて作成したのが第5表である。
第4表 無尽業者契約高
 まず,無尽口数が他金融機関の預貯金口数と比較して決してすくなくないことが知られる。無尽会社の掛金契約高あるいは受入済掛金契約高(第5表の括弧内の数字)も,昭和8年末にはかなり多額である。すなわち無尽会社の営業規模は大きく,多くの口数と契約高を通じて庶民にしっかりと根を張っていたと想像できる。
第5表 無尽と預貯金等の比較
 (2) 無尽契約の内訳 次に無尽契約の内容に立入ってみよう。大蔵省『銀行局年報』は昭和6年以降しか給付契約高の内訳を明らかにしていない。第6表でまず金額別内訳をみると,給付契約「1,000円まで」と「500円まで」が中心で,両者の7割前後を占めている。そして「3,000円まで」「3,000円超」のごとく,零細貯蓄という無尽のイメージからやや離れる大口給付契約もあり,戦時体制期に増加がいちじるしい。おそらく具体的にいえば,昭和期の無尽は,500円会,1,000円会の2種が一般的な姿だったと思われる。
 また,契約の期間でみると,第7表の通り「5年まで」と「5年超」に集中し,両者で8割前後を占める。そして全体が次第に長期化の傾向を強め,昭和14年から「5年超」が最大の比重を占めるようになった。
 無尽業法制定時には,施行細則によって契約金額は1,000円以内,期間は5年以内と制限されていたが,前にもふれたように,大正10年の施行細則改正で制限が緩和されたため,昭和期には1,000円超,5年超の契約がかなり多くなり,無尽の長期大口化が進行したこと,そして戦時体制下にその傾向に一層拍車がかけられたことを意味している。
第6表 金額別給付契約高
第7表 期間別給付契約高
 それでは無尽契約者と他金融機関の預貯金者と比較しておこう。無尽の給付契約は,500円あるいは1,000円のケースが多いことはすでにみたが,他金融機関との比較のため,もう一度第5表にもどってみよう。昭和8年末の掛金契約高1口当りは707円であるが,仮りに受入済掛金契約高の1口当り金額(350円)を加入者の掛金残高とみなした場合,大口財産家を対象とする信託会社の金銭信託(9,076円)はもちろんのこと,普通銀行の定期預金(2,192円)とも格段の開きがある。特別当座預金(のちの普通預金),貯蓄銀行の定期積金,市街地信用組合の貯金と同列ということになる。
 いったい,掛金契約高を当時の米価と比較すればどうであろうか。参考までにみると,大正5年末の掛金契約高1口当り193円(受入済75円)に対し東京正米相場石当り13円66銭であり,昭和8年の707円(350円)に対し深川正米相場石当り21円36銭であった。これである程度の比較感が得られよう(日銀『明治以降本邦主要経済統計』90ページ)。

 3.営業基盤の検討
 (1) 職業別給付契約高 本来,無尽会社の営業基盤というとき,無尽加入者の性格の解明が重要であることはいうまでもない。無尽の仕組みでは,掛金者は給付を目的に加入することが基本的な姿であるから,無尽加入者(掛金者であり受給者でもある)の性格の解明がすべてとなる。銀行では預金者と借入者が異なることがむしろ通常で,それぞれの性格が問われねばならない。
 無尽加入者の分析は,種々の角度から試みねばならないが,資料の制約上とりあえず可能なのは,職業別の検討ぐらいであろう。それも大雑把な職業分類ではなく,農業なら小作・自作の別,小商工業なら親方・店主か徒弟・番頭か,サラリーマンか無職か,など具体的な事実を知りたい。しかし無尽業全体はもちろん,個別の無尽会社の実証的研究もない。したがってここでは昭和4年以降について,公表資料にもとづく4つの職業分類(農,商,工,雑)に依拠せざるをえない5)。
 まず第8表によれば,給付契約残高では商業が4~5割,雑が3割前後,工業,農業がそれぞれ1割強の内訳である。昭和4年以降商業の比重が漸減し,雑が増加し,工業も戦時体制下に増加という傾向をみせている。このことは,口数の推移でみても基本的には変らない(計数省略)6)。また,1口当り平均を計算してみると,商業が700円を越えるとき,農業は600円前後でやや少なく対照的であり,工業,雑はその中間に位する。いずれにせよ1口当り平均には職業による極端な差はない(第9表)。
第8表 職業別給付契約高
第9表 職業別給付契約高(1口当り)金額
 さらに,職業別を地域に分解してみたのが第10表である。大都市を含む東京,神奈川,愛知,大阪,兵庫,福岡を別掲し,6府県を除いた地方別を計算してみると次のようである。
 第1に,東京だけが商・工業の比重が大きく(73%),農業の比重が小さい(5%)。6大都市を含むとはいえ,神奈川が東京に近いこと,愛知で異常に雑の比重が大きいこと(理由不詳)を除くと,大阪,兵庫,福岡は,その他道府県と目立った差はない。
 第2に,その他道府県では,北海道,関東,北陸において商業の比重が大きく,東北,中部,四国において農業の比重が相対的に大きい。
第10表 職業別給付契約高地域別構成比
 無尽会社が大都市ないし地方都市に立地し,その周辺を含めた小商工業者を基盤とした以上,ほとんどの府県で商・工業が大きな比重となっているのは当然であるが,地域差も若干あらわれている。すなわち,商工業に大きく傾斜している東京に代表される型と,農業の加入者が比較的多い農業県型とがあり,両者の中間に位置する府県が多い。また,同じ東北地方でも東京型に近い青森,福島,秋田と,農業県型の岩手,宮城,山形にはっきり分裂したり,四国地方でも東京型に近い愛媛と農業県型の徳島が明確に区別されうる。したがって無尽加入者の職業別は,府県ごとの産業構造の差をかなり反映していると思われる。別言すれば,無尽会社が特定職を狙って勧誘し加入せしめたというのではなく,庶民金融の必要者が加入した結果が上の職業別構成にあらわれたのであって,必要者はその地域産業の担い手であるとすれば,府県ごとに構成が異るのも当然かも知れない。
 注目すべきは「雑」の内容である。第10表の昭和4年末では全国26%の比重であるが,昭和9~12年には33%前後へと膨張する。内容を知ることができないのが残念であるが,後述のように,サラリーマン階層が貯蓄目的で無尽加入する傾向を反映していると推定される7)。因みに昭和11年末で商業を抜いて雑が構成比で1位になった道府県は,静岡,北海道,長崎,熊本,沖縄。商業とほぼ同じ比重となったのは,山形,新潟,富山,福井,愛知,兵庫,愛媛,鹿児島の多くを数える。その理由はなおも検討を要する。
 なお,給付契約高1口当りを職業別・地域別に計算してみたが(計数省略),昭和4年末で東京は1,138円で全国平均708円より大きいが,なぜか福岡も1,134円で例外的に大きい。大都市府県がかならずしも大きいとは限らず,東北,中部,中国地方がとくに小さい(400~500円台)。全国的に商業の1口当りがやや大きく(平均781円),農業がやや小さい(平均567円)が,各地域,府県別には一律でなく,逆の現象もある。

 (2) 無尽の3形式 全国に分布する無尽会社は,具体的には3つの無尽形式のいずれかを採用し,加入者を募っている。どの形式を選ぶかによって無尽会社の営業姿勢は異なり,それに反応する無尽加入者の性格も異なるであろう。無尽形式の検討も営業基盤の解明につながる所以である。
 ⅰ 3形式の説明8) 無尽には通常,東京式,大阪式,折衷式と呼ばれる3形式が普及しており,それぞれ一長一短がある。
 (イ) 東京式(相生無尽の例)この掛金は毎月一定で,掛金総額が給付金より多くなる方式である。5,000円会を例にとると次のようになる。
 この方式では,掛金総額5,400円となり,一見不利のようだが,給付前の掛金者にも入札差金による配当があって相当の利廻りとなり不利ではないという。この方式の長所・短所を整理すると次のごとくである。
 〔長所〕1 掛金一定のため,事務処理が便→事務費小
 2 当籖すればきわめて有利→射倖的
 3 早く給付を受けた方が得のため,給付拒絶がない
 〔短所〕1 掛金表が単純で,業者の豫定利益が知られてしまう→加入者から利益縮小を要求され,業者としてはやりにくい
 2 抽籖会のため,抽籖権を失った欠口(もはや魅力がない)が発生すると補充困難
 3 掛金一定のため,新口の加入は困難
 (ロ)大阪式(商工無尽の例)この掛金は逓減制をとり,掛金総額が給付金より少なくてすむ方式である。たとえば1,000円会,50ヵ月,毎月1回掛金を例にとると次のようになる。
 この方式では,最終回まで給付を受けない者の掛金総額は860円で,1,000円を受取る計算となる。初回で給付を受けた者は,1,204円の掛金をせねばならない。大阪式は通常入札制をとり,掛金表は複雑であって,給付時期によって計算が大きく変化する。
 〔長所〕1.掛金逓減のため,貯蓄目的の会員を中途でも加入させやすい
 2.掛金表が複雑で,業者の利益がわかりにくい
 3.開始早々は給付より掛金の方が多く,余剰資金を運用して利益が得られる
 4.掛金逓減のため,あとになるほど危険は小さくなる
 〔短所〕1.給付拒絶者が出ると,業者の予定利益が減る
 2.掛金表複雑のため,事務処理量大
 3.入札制のため,射倖的妙味がない
 (ハ) 折衷式(中越無尽の例)東京式と大阪式を折衷したもので,中京式とも呼ばれる。双方の長所をとり,加入者に理解しやすく,事務処理も容易にしたもの。その1例を次に示す。1,000円会,50ヵ月,毎月1回掛。

 以上は3形式とも1例ずつ挙げたにすぎず,実際には数多くの変化があることはいうまでもない。東京式と大阪式は相反する面をもち,簡単にいえばサラリーマンのごとく一定の収入ある者に東京式が好まれ,加入者にとって利回りが明瞭で,貯蓄目的の者には大阪式ということになる。
 ⅱ 3形式の地域分布 ところで東京式が東京周辺で,大阪式が大阪周辺で採用とかならずしも短絡できず,全国の無尽会社に3形式が拡散し,複数形式をとっているところもある。第11表は昭和8年末の全国無尽会社276社の採用形式を地域別に整理したものである。
 第1に,採用形式を延数でみると,大阪式193(52.7%),東京式106(29.0%),折衷式67(18.3%)合計366となり,大阪式が過半数を占める。
 第2に,1形式だけでの数は177で,その中では大阪式が111(62.7%)と圧倒的に多い。昭和8年では無尽に貯蓄目的の加入者が多くなり,大阪式が盛んということであろうか。しかし3形式のうち2ないし3を併せ営むものも少なくない(93社,全体の3分の1)。加入者の多様な好みに合わせようとしたのであろう。その中で東京式,大阪式双方を営むものが54社と多いことが注目される。
第11表 東京式,大阪式,折衷式の地域分布
 第3に,東京式はさすがに東京を中心に関東に多くみられ,大阪式は大阪を中心に近畿が多いものの,全国的に分布している。折衷式は中京式とよばれるように愛知を含む中部も多いが,むしろ九州の方が多い。このように採用形式は,東京式,大阪式ともそれぞれの名称の示す地域に多いことは事実であるが,東京や大阪からの距離とは無関係に,無尽経営者の方針,無尽加入者の需要によって選択されているのであろう。
 ⅲ 掛金表の統一 以上でみたごとく,無尽の3形式が全国に変化に富む形で分布し,その上,各社が種々の掛金表を作成し,営業していた。その掛金表について,昭和10年当時,大蔵省が調査した結果にもとづき,全国無尽集会所は次のようにいう。
 「全国250余社の経営せる掛金表は3千数百表に達し,その間何等の系統なく,従来経営せる掛金表に対し過去の経験に基き,或は競争の為め,当局の通牒の範囲に於いて多少手を加へたる程度のもの多く,従ってその金利関係の如き所に依って相違するのは当然とは言ひ,錯雑極まりなく,当集会所に於ても各社の要望に依り調査会に標準掛金表の研究を議題として之が研究に着手(した)」9)
 大蔵当局も同年5月に「無尽業ノ改善ニ付テノ諮問事項」を全国無尽集会所に示し,標準掛金表を作成し,各社の掛金表をそれに統一することを示した。しかし無尽集会所は「標準掛金表ヲ作成シ之ニ依リ全国的ニ統一スルハ困難ナルヲ以テ比較的経済状態ヲ同ジクスル地方毎ニ一定ノ掛金表ヲ協定スル」10)という答申にとどまった。その理由の中に当時の無尽業の姿,考え方が濃厚に示されている。
「無尽経営ノ合理化,無尽知識ノ普及,業務監督ノ便等ヨリ観テ標準掛金表ヲ作成シ全国的ニ統一スルハ一応理想的ナルガ如ク思惟セラルヽモ,無尽ハ元来地方的特色濃厚ナルコト,一方無尽会社ノ内容,業績ハ区々ニシテ銀行ニ於ケル如ク各社共或一定ノ段階ニ達シタルモノト認メ難キ事情アルヲ以テ,業務ノ根幹ヲ為ス掛金表ノ統一ハ会社ノ順調ナル発達ヲ止メ,或ハ場合ニ依リ一部会社ノ存立ニ影響ヲ及ボス虞レナキヲ保シ難ク全国的ノ統一ハ時期尚早ノ感アリ」11)
 無尽業者は画一的掛金表を適用されることによって,同一土俵で競争させられ,その結果淘汰が生ずることを本能的に恐れている。競争問題の根拠を地方的特色に求め,多様な掛金表を出来るだけ温存する態度をとった。しかし地方ごとの協定は許容し,「協定ニ便ナラシムルタメ都会向,農村向,勤労階級向等十数種ノ標準掛金表ヲ作成シ其ノ雛形ヲ示シ置クハ必要ナルベシ」12)と結論した。大蔵当局も集会所の意見を認め,道府県ごとの協定掛金表が昭和12年9月までに完成した。
 (3) 無尽の利廻り さて,無尽加入者は給付目的に掛金するのが通常であるが,昭和期には貯蓄目的で加入し,抽籖・入札に消極的ケースが発生した。それは預金の変形として無尽加入するものであるが,果して利廻りはいかなる水準になるのか。小坂珠城の説明によれば,概略次のごとくである(昭和5年ごろと推定)。
 大阪式の無尽会社の3例をみよう。
 A 1,000円会,36ヵ月 掛金総額930円 年4.67%+α
 B 1,000円会,40ヵ月 同940円 年3.24%+α
 C 1,000円会,50ヵ月 同860円 年6.24%+α
 このように利廻りには大差があったという13)。当時,定期預金(6ヵ月)は年4.84%(昭和5年普通銀行),金銭信託(2年)は年5.15%(昭和5年上期三井信託)であり,貯蓄銀行の掛金14)は小坂によれば年2.0~3.8%という。前記の3例は,上の預貯金等を上廻るC例から,貯蓄銀行の掛金程度のB例まで格差があり,これだけでは結論しにくい。実際には,3例ともプラスαがついているように,入札差金の分配,車代,奨励金などが加算され,利廻りはかなり向上するという。したがって貯蓄目的の加入者は,3例の場合も確定利廻りのほかにプラスαを期待していると思われる。また,無尽会社によって利廻りに格差があるし,一見してわかりにくいのが無尽会社の実情といえよう。
 次に,給付目的を達し,早く資金を獲得した場合の利廻りはどうなるか。すなわち,資金利用者の実質利廻りの高利性の検討である。小坂は,掛金の何回目に給付を受けたか,その時期によって利廻りが著しく異なるとしつつ,前記3例を2種の方法によって計算している15)。すなわち,左欄は1回目に1,000円の給付を受けて,以後掛金を規定により続け「当座貸越金利算出方法」16)で利廻りを計算した場合,右欄は1回目に入札して手取額が1,000円を大幅に下廻る場合である。
 左の3例は大阪式であって,左欄は初回に無競争で1,000円が給付された場合を意味し,通常は考えられない計算上の数値といえる。現実には競争入札となり,最低額が定められているので,最低額と1,000円の間で給付額が定まる(右欄はA,B社の規定による最低額で入札した場合)。上の3例で無競争ならば年10~16%水準で驚くにあたらないが,最低入札額で給付を受けると驚くべき高利になる。資金需要者としてはとにかく早くまとまった資金を望み,高金利につくことを恐れないであろう。返済に相当する掛金も数十ヵ月の長期にわたることが安心感となっているにちがいない。そして高金利であればあるほど,入札差金の大部分は未給付者に配当され,一部は無尽会社の利益になるから,両者をうるおすことになる。結局,無尽経営者が暴利を貧らず健全に運営すれば,高金利は加入者の中で,入札者の負担によって未給付者に収得される構造なのである。貯蓄目的として無尽を選ぶ者の高利廻りは,資金需要者の激しい入札競争に支えられているといえよう。逆にいえば,仮りに貯蓄目的の加入者が増加し入札辞退が多くなると,金利取得上の無尽の妙味は消滅することになる。
 上の場合は,それぞれの事例におけるいわば最高限の利廻りであり,給付時期が遅いほど低くなることは当然である。通常,給付は抽籖か入札であるから,抽籖にはずれた場合,激しい入札競争で手が出ない場合,緊急な資金需要が発生した場合など,加入者を救済する必要がある。無尽会社にとっても発生した余裕資金の運用を必要とする。したがって契約給付金額を限度とする貸付制度が無尽業法で認められ,一定の制限規定によって多くの無尽会社が営んだ。実際には掛金総額の3分の1以上を払込んだ者を対象とし,無尽会社は払込資本と諸準備金合計額を限度とした。その貸付利率は,給付を受けた場合と同水準に揃えようとした模様で,昭和5年ごろ少なくとも日歩3銭(年11%)以上をメドとしたという17)。
 (4) 無尽会社の経営 ところで無尽会社が企業として十分に存立しえたかどうかもみておく必要があろう。それは無尽会社経営の検討ということになる。
 大正初期の官庁調査が指摘したように,明治末・大正初期の無尽業者は,小資本で営めるため数多く簇生し,不健全な行為に走り,加入者に損失を与えた者も多かったという。なるほど当時の新聞には,無尽業者の悪徳行為が数多く報ぜられ,社会問題化していた。その場合,弊害の理由に無尽経営者の質・能力が挙げられ,人の問題に帰する見解が,官庁調査を含め一般的であった。前述のごとく,そのために取締立法の必要性へと直進し,無尽経営を規制することになった。たしかに無尽経営における経営者の重要性はいうまでもないが,ここでは紙幅の制約上,立入らない。
 大正4年の無尽業法施行以後,大蔵当局は認可制によって不健全・弱小業者を淘汰したが,現実の無尽会社経営は順調であったろうか。ここでは簡単な指標として,経営の最終結果を配当の有無でとらえておこう。資料の関係上昭和期の一部にとどまるが,第12表によれば次の点が指摘できる。
 第1に,どの年も無尽会社総数の3~4割は無配であった。
 第2に,年10%をこえる有配会社は,昭和4年で4割,逐次減少して2割になる。
 第3に,有配会社も配当率が低下し,昭和11年には年5~10%に収斂する。
 もっとも準戦時体制下,低金利政策の進行で配当率も抑制され,全産業とも低配当を余儀なくされるが,無尽会社の場合,3~4割も無配会社があるのは,決して好調業種とはいえない。たしかに設立後日が浅ければ無配ということもあるが,昭和期には多くの無尽会社はかなりの歴史をもっていたはずである。
 また,無尽会社の経営分析は,戦前に時論的な形で無尽業者の機関誌に掲載されてはいるが,他金融機関が金融史的な実証分析によって明らかにされつつあるのに,無尽会社は取残されている。そもそも無尽会社の財務諸表の見方はかなり専門的知識を必要とし,その実態を実証的に解明すること自体が困難な問題である。
第12表 無尽会社の配当率(各年下期)による社数調

 1)徳島県だけに個人営業者が異常に多いとは考えにくい。調査に対する徳島県の届出が,他県と基準を異にしたためではあるまいか。
 2)後藤新一「続日本の金融統計(2)」『金融』293号所収の「表3府県別無尽業者数の異動」による。
 3)第4表の計数は,作表者後藤新一氏がいう通り若干の疑義がある。たとえば第3表の営業者数との食違いは,計数の把握洩れが想像されるが,大正10年の計数は前後と比較して全く異常であり,特別な事情があったと考えざるをえない。要するに,第4表は正確性には問題があり,傾向をみるにとどめるべきであろう。
 4)無尽会社は,無尽契約によって逐次受入れた掛金を,抽籖または入札の方法によって給付するが,いわば無尽会社の勘定を通り抜けるだけで,預金・貸金のように残高としてはあらわれない。たとえば昭和8年末の全国無尽会社の貸借対照表規模は,掛金契約高1,298百万円(うち受入済高644百万円),給付契約高1,225百万円(うち給付済高542百万円)であるにもかかわらず,187百万円(うち公称資本金38百万円)にすぎない。複雑な無尽経理の結果,貸借対照表の科目といえども未収,未払的な金額が多く含まれ,一層他金融機関との比較を困難としている。
 5)無尽研究者として知られる南弘道の著書『無尽会社の社会的基礎』にかかげられた全国無尽会社職業別給付金契約高(昭和4年末)も,『時事新報』昭和7年3月21日がかかげる同(昭和6年末)も,その出所は『全国無尽会社要覧』であって,本稿と同一である。なお『時事新報』は昭和6年末としているが,昭和5年末が正しい。
 6)口数については,後藤新一「続日本の金融統計(4)」にも記載がないので,筆者が『全国無尽会社要覧』(昭4~11年)で計算したが,紙幅の制約上掲載を割愛した。
 7)南,前掲書は昭和4年末の「全国無尽会社職業別給付金契約高」の「雑」を「其他庶民階級」と置きかえている。当時,無尽会社員であった南が,実務を通じて実態を知っていたためであろうか。
 8)この説明は,小坂珠城『無尽業態の研究』148-57ページによる。
 9),10)吉沢新作編『全国協定無尽掛金表集上巻』昭和13年,全国無尽集会所,1ページ。
 11)同上,1-2ページ。
 12)同上,2ページ。
 13)小坂,前掲書,200-03ページ。
 14)同上,198ページ。
 15)同上,215-19ページ。
 16)小坂によれば,普通銀行がおこなっている当座貸越の積数算出方法で,給付金額を借入元本として毎月の掛金で元本を減じ,その積数を計算して利廻りを求めようとするもの(同上,215ページ)。
 17)同上,219-21ページ。

Ⅳ 日本における無尽業の特徴と問題点

 1.戦前における無尽業の特徴と問題点

 最後に,以上のごとき考察の結果を踏まえ,日本無尽業の特徴と問題点を整理するが,ここでの問題意識は,発展途上国からみて日本の経験がどれだけ参考になるかの点にある。したがって若干は仮定,論証抜きの私見が含まれることになろう。
 第1に,日本では庶民金融政策の主力は信用組合におかれ,無尽会社には保護育成策はとられなかった,といえる。総合的な庶民金融対策樹立がしばしば検討され,立法作業までありながら,無尽会社に対しては厳しい制限を含む取締法規が与えられる結果となった。無尽研究の主張は,無尽に肩入れした立場なので若干割引く必要があるが,在来制度としての無尽が,西欧から輸入された信用組合と比較して冷遇されたという主張は否定できない。もし政策当局が無尽会社に保護助長策をとっていたら,日本無尽業はどう発展したであろうか。信用組合か無尽かという選択ではなくて,総合的庶民金融対策がその狙いとする対象(下層階級,小商工業者等)に即して有効な手段を探りあてるべきであったろう。西欧制度がなんでもすぐれているという錯覚が,その背後にあったと思える。事情の把握が日銀・大蔵の調査でかなり成功しているだけに,無尽切捨ての結論は性急であったと惜しまれる。
 第2に,無尽会社が保護育成なしにかなり発展できたことは,全金融機構をみわたして,下級金融ないし小商工業金融に適当な機関がなかったからであろう。対抗馬として信用組合があったはずだが,政府の期待に反して十分な展開がなかった。その理由の解明は必要であり,とくに無尽加入者の立場から,信用組合利用と無尽加入の優劣比較が検討されねばならない。今後の課題として残る。
 第3に,無尽会社を単なる下級金融機関として把握するだけでは不十分で,日本の場合社会的諸要因も加味されていたことを見逃してはならない。たとえば,加入者の相互共済,親睦,強制貯蓄的効果など。しかし時代が下るにつれ,相互共済,親睦など人的結合要素は稀薄化していくことも事実である。資本主義の発展にともなう社会構造の変化,無尽会社の営利追求の姿勢を反映して稀薄化していくのであろうが,発展途上国にとって,無尽制度が本来もつ人的結合関係を有効に利用しつつ,営利追求に歯止めを設ける必要がありはしないか。もっとも日本の経験によれば,人的結合関係を有効に利用するのも過渡的なもので,発展をはじめると次第に稀薄化は不可避になると思われる。
 第4に,無尽会社の金融機能で評価される点の1つに<庶民から吸収した資金を庶民に還元する機能>がある。つまり銀行等は庶民から預金として吸上げても他へ放資し,庶民に還元しないが,それとは決定的に異なるという説明である。もともと無尽会社の顧客は,銀行等の顧客とは階層を異にし,無尽は銀行等から相手にされない階層の相互共済的金融機能を担っている。たしかに無尽の枠組自体が,<庶民から吸収・庶民へ還元>を内包しており,金融の流れの中で無尽金融が独立性を維持し,その内部で資金循環する構造と考えられる。この意味では閉鎖的な組合方式と共通性があるはずであるが,信用組合をはじめ組合員外へ資金運用する機関が多いことは,歴史の教えるところである。無尽会社はその点で比較的純粋に閉鎖性が守られていたといえよう。むしろここでは「~から集めた資金は~に還元」というスローガンが,とかく羊頭狗肉に終りがちな日本の金融機関の中で,無尽金融は制度自体に組込まれている点に注目したい。
 第5に,無尽契約が内包する高金利性が問題となる。無尽が相互共済的な段階では顕在化しないが高利廻りを求めて貯蓄目的の加入者が増加すると,高い資金コストの負担は資金利用者にかからざるをえない。無尽の構造上,同一加入者が貯蓄目的と資金利用のメリットを追求することは不可能である。入札競争が厳しいほど資金利用者の金利負担は高利となり,高利を期待する利殖目的の加入者を喜ばせることになる。したがって,無尽の高利性を抑制するには,過度な入札競争を排除することによって,資金利用者の負担を一定線に押えこまねばならない。制限ラインは,一般的金利水準,利用者の資金需要の強さを勘案して決定されることになり,どこに決めるか無尽会社政策の微妙な問題点といえよう。無尽の高利性を回避しつつ,資金利用者の需要をみたし,貯蓄目的の加入者を同時に満足させるには,補助金による利子補給が効果的であろう。日本の場合,無尽会社には保護育成がなかったから,無尽の金利水準は銀行に代表される一般的金利水準と,質屋・高利貸に代表される高金利との中間に位したと思われる。
 第6に,無尽会社は理念的には大資本金を要しないため,比較的容易に企業化できる。したがって無尽経営者の健全性が注目される所以である。無尽営業に対する法的規制はある程度必要であろうが,実質的意味での健全性確保の方策が考えられ
ねばなるまい。ただ無尽会社の場合,分散した多くの加入者を基盤とした相互融通の制度のため,資金運用の失敗→経営悪化→取付・破綻という銀行等にみられる危険が少ないのは強味であろう。

 2.戦後における無尽業の消滅
 第2次大戦中,日本の各種金融機関が合併集中を余儀なくされたなかで,無尽会社も例外でなく,敗戦時には約60社にまで減少した。戦後,無尽会社は各種無尽商品を手がける一方,普通・定期預金の取扱に乗出し(昭和20年12月より),無尽会社は従来からの無尽業務のほか預金業務を加えたが,まだ前者に大きな比重があった1)。その中で昭和24年5月無尽業法の改正により「看做無尽」が認められたことが注目される。すなわち,従来は,一定の口数で「組」を作り,抽籖や入札で給付順序がきめられていたが(「典型無尽」という),「看做無尽」は,「組」を編成せず,抽籖・入札もやめ,一定の給付金額を定め,一定の期間内に掛金を払込ませ,期間の中途か満期に給付をおこなうものである2)。このような看做無尽が登場したことは,無尽の本来の性格がますます稀薄化し,単なる金融商品の1つに変型したことを意味しよう。
 昭和26年6月に公布施行された相互銀行法は,それまでの無尽会社を一斉に相互銀行に転換させることになった。相互銀行は,看做無尽を主力とする掛金業務と,法で定められた預金業務を展開したが,預金業務は急速に伸びたものの,掛金業務は振わず,昭和32年3月以降両者の地位は逆転し,さらに掛金業務は縮少の一途を辿り,現在ではほぼ消滅したといっても過言ではない3)。さきに「典型無尽」が消滅し,ついに「看做無尽」も姿を消し,日本の無尽業は名実ともに幕を閉じたのである。
 それでは戦後の日本において,無尽業務,正確には相互銀行法にいう掛金業務がなぜ消滅したのであろうか。相互銀行法制定当時は,掛金業務を相互銀行の中核に据えていたこと,相互銀行の独占的業務としていたこと,が明らかである。消滅の理由として,一般には次の3点が挙げられているので紹介しておこう4)。
 第1は,「掛金」「給付金」という呼称の古めかしさ,「無尽」への連想である。たしかに,戦前の無尽会社が下級金融機関ないし庶民金融機関であったことは事実であり,「無尽」への連想は,戦後においても普通銀行より一段下位という印象につながる。意識だけでは中流,上流意識をもちたがる者に対して,掛金業務のイメージは不利であったにちがいない。
 第2は,昭和38年に改正されるまで金利計算方式が難解であり,実質金利が高かったことである。戦前の無尽業務にも難解な面があったが,たしかに掛金業務を顧客に理解させるには同様に面倒だったであろう。
 第3に,相互銀行の借手(とくに企業)に不評で敬遠されたことである。期間・金額・金利など条件が固定的であり,借手の状況に合わせた弾力的運用ができず,機動性も欠いたからである。
 上のような通常いわれていることのほかに次の点もあるのではなかろうか。
 1つは,戦後,貯蓄手段,借入手段が多様化し,選択の可能性が増大した点である。戦前の無尽会社は,他の適当な機関をもちえぬ小商工業者ないし庶民を基盤とし,彼らにとって無尽加入は大きな魅力となりえた。戦後,彼らにとっても金融の道は拡大し,選択権をかなりもつことができ,掛金業務はもはや多様な中のひとつにすぎず,制度としても魅力的ではなくなったからである。
 2つは,相互銀行自体の側にある。すなわち,経営効果の点から,煩雑・不評な掛金業務に固執するよりも,収益性にすぐれる預金業務に傾斜したからである。預金業務は信用創造が可能で,インフレに強く,掛金業務にない効率性をもっていたからである。その上相互銀行が,「銀行」であって,もはや「無尽会社」ではないと評価してもらうためにも,掛金業務を安楽死させたのではあるまいか。
 いずれにせよ現在の日本では,もはや無尽業務が存立しうる基盤はない。また復活の可能性も殆んどないように思われる。その意味では,日本における無尽は,明治以来現在の経済・社会・金融構造に達するまでの歴史的産物であった。しかしすべての国が日本と同じ軌跡を辿るとは限らない。無尽業における「日本の経験」は,他の類似した条件がある限り役に立つはずである。

 注
 1)『相互銀行史』。
 2)宮内勉・明石周夫『相互銀行』(昭和54年,教育社)84ページ。
 3)同上,63-64ページ。
 4)同上,64-65ページ。