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生産組織の展開と水田の集落的利用

Author: 矢崎俊治
Series: 国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告
Published Year: 1983年
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目 次

はじめに-問題の所在・・・・・・・・・・2
Ⅰ 転作の実施過程と「相互補償」方式の問題点・・・・・・・・・・2
1.転作の実施過程と特徴・・・・・・・・・・2
2.「相互補償」方式の集団転作の展開と問題点・・・・・・・・・・3
3.転作対応の地域的性格・・・・・・・・・・5
Ⅱ 生産組織の動向・・・・・・・・・・・7
1.農業機械銀行の利用動向・・・・・・・・・・7
2.生産組織の実態的動向・・・・・・・・・・8
Ⅲ 生産組織の存立条件・・・・・・・・・・18
1.基盤整備の先駆的地域・・・・・・・・・・18
2.水田の集落的所有と利用・・・・・・・・・・18
3.地域農業の組織化・・・・・・・・・・22


はじめに-問題の所在-

 昭和55年12月,農林水産省は昭和56年度から3年間にわたる第2期水田利用再編対策の転作目標を決定したが,そのなかで,北海道にたいする転作配分は都府県に比べて著しく高く,北海道の水田面積の49.9%と,過大な負担をおわされる結果となった。
 この過大な負担を北海道の高位反収地帯である稲作中核地帯が基本的に受け入れ,実施しているのが現状である。こうした現状のなかで,高位反収地帯の水田利用再編をめぐる予盾が深まっており,この予盾をいかに解消し,農家経営を守っていくかという点が基本的な問題となっている。
 そこで,以上の水田利用再編をめぐる基本的な問題をふまえ,検討すべき第1の課題は転作を契機に,水田の利用がどのように進んでいるか,とくに,転作配分の受容基盤である集落,地域がどのように受けとめ,そのための組織化がどのように図られているかという点にある。
 第2の課題は,転作の受容基盤である集落と個別農家との媒介体として位置づけられる生産組織が,個別経営を補完する機能として発揮しているかどうかという点にある。この点は,これまでの北海道的展開コースである離農促進→規模拡大という個別前進の経営方向を転換,否定する構造変動の胎動と位置づけられるか否か,という問題を内包している。と同時に,補完的な機能としての生産組織の形成が,どのような要因によってもたらされたかという課題をも含んでいる。つまり,集団的な営農体制の形成と要因分析が第3の検討課題である。
 以上の検討課題に接近する前提として,高位反収地帯で,なおかつ,分解基軸階層(5ヘクタール層)が主流となっている深川市深川地区を検討対象地とし,そこでの実態動向から究明することとする。

Ⅰ 転作の実施過程と「相互補償」方式の問題点
1.転作の実施過程と特徴
深川市は北海道のほぼ中央部に位置し,雨竜川と石狩川との両翼に開けた平坦地で,道内有数の高位反収地帯であり,道内で唯一の3類にランクされた「ユーカラ」米の主産地である。この「ユーカラ」米を集中的に作付している深川市深川地区に焦点をあてて,今回の大幅減反がもたらした農業,農家経営の対応とその変化を探り,今後の地域農業のあり方について検討する。
図1 深川市の転作割合の推移
 まず,これまで,深川市が生産調整へどのように対応してきたかをまとめた図1からみると,全体として北海道の生産調整への対応と同一歩調に立っているが,北海道や空知支庁の転作率よりも相当低い水準にあり,生産調整への防衛的対応が認められる。この防衛的対応は次の3つの画期を通じて形成されたものである。その第1画期は昭和46年から48年の期間で,通年施行による生産調整対応期である。この時期は旧開水田地帯(深川市を含めた空知北部の市町村)を中心に,圃場整備事業が著しく進展し,水田地帯の90%を上回る実施率を示し,通年施行によって生産調整を回避した期間である。つづいて,第2の画期は昭和49年から52年までで,生産調整への抑制的対応期である。この期間における深川市の転作率をみると,昭和49年9.5%,50年5.8%,51年2.6%,52年3.0%と全道で最も低い水準となっていることからも推察できる。第3の画期は水田利用再編対策の第1期にあたる昭和53年から現在までで,いわゆる転作増強への集団的相互補償方式による対応期である。この期は「相互補償」方式による転作対応が中心となり,集団的転作の模索期である。
 以上の画期の特徴からわかるように,深川市深川地区の生産調整への対応的性格をまとめると,稲作所得の減少分をいかに食い止めるか,という防衛的な範囲で対処している点がわかる。

2. 「相互補償」方式の集団転作の展開と問題点
これまで述べた生産調整への防衛的対応をより鮮明に表わした方式が「相互補償」による集団転作であるが,この実施状況をまとめたのが図2である。この図から指摘できる第1の点は,昭和53年と54年との2カ年間,転作割合の集落配分が4つのグループに分けて実施されていたことである。つまり,第1のグループが集落内の総水田面積の30%を転作している農家群であり,第2グループが22%を転作している集落であり,第3が15.1%の転作集落で,第4グループが非転作集落にそれぞれ分布している。
図2 深川市深川地区の転作割合別集落分布
第2点は,昭和56年に入ると,昭和53,54年の転作対応と一変し,30%以上の転作農家群が5集落と減少し,25.6%転作集落数が20集落と全体の7割を占め,相互補償方式の事実上の空洞化が認められることである。こうした相互補償方式の空洞化を促進した第1の要因は,昭和53,54年の転作率が15.9%で低い水準にとどまっていたが,昭和55年に入ると,25.8%と大幅な転作を受入れざるを得なかったことによる。第2に,相互補償方式で実施した転作農家の方が,非転作農家よりも経済的に有利であるという実績結果が明確になったことである。事実,昭和53年に,農業改良普及所が作成した指導資料『集団転作のすすめ』では,転作収入115,216円
=転作収入36,216円(10アール当り3俵)+転作奨励金79,000円と非転作収入(稲作農家)145,350円(10アール当り510キログラム)との算出収入から相互補償金10アール当り3,516円を非転作農家が拠出することを指示しているが,転作実施過程で転作作物の収量も著しく高く,その結果,転作収入も普及所の算出収入を大きく上回り,非転作収入の方が経済的に不利であったことに多くの農家は気づいたことである。
 以上の転作実施過程のなかで,第3に指摘したい点は,本道の多くの市町村の転作対応で認められる集落への機械的な転作配分方式を警戒し,集落代表者,深川市農協,北空知農業改良普及所,市農政課など農業関係機関から構成した深川市農業生産対策会議が中心となって,個別農家および集落の現況をふまえた綜合的判断に基づいて転作配分が実施されたことである。そこでの転作配分の具体的基準は,稲作生産組織が円滑に運営・確立している集落か否かに力点を置き,転作配分の度合を決定したものであり,その点で,転作を契機とした個別経営の危機を一定程度緩和する側面を持っていた。しかし,昭和55年以降,25.6%の転作率農家群が主流を占めるに至って,これまでの稲作収入の減少分を食い止める措置(相互補償方式)だけでは不十分となり,転作収入の確保を図る実質的な営農の防衛的体制が求められることとなった。つまり,これまでの緊急避難的な転作の防衛的対応から経営の転換をも含んだ転作対応への移行期に立されており,そこでの生産組織の機能と役割が大切な試金石と位置づけられるようになった。

3.転作対応の地域的性格
 これまで述べたように,深川市深川地区の転作対応は過度な転作の防止と画一的な転作配分の回避という営農防衛的側面が強くあらわれているが,その対応の根底には深川地区の独自的でかつ,地域的な性格が横たわっている。その第1の地域的性格は水稲作付面積に占めるユーカラの作付割合が深川市の各地区はもとより,北空知の町村よりも著しく高く,良質米産地としての地位を確立している点にある。より具体的にユーカラの作付割合をみると,深川市内の深川地区が昭和56年産で72.3%,納内地区52.5%,稲田地区が39.9%,一己地区30.3%,音江地区24.9%,多度志地区9.6%の順から成り立っている。このような高い作付割合をめている深川地区の農業的特徴として,石狩川と雨竜川に囲まれた沖積土壌による平坦地帯にあり,そうした恵まれた条件の上に立った生産者と農業関係機関による努力と先見性がとくに大切である。昭和30年代の道外移出米にむけての,道内最初の低温恒湿倉庫の設置と,産米改良部落推進委員による自主検査の実施,そして,昭和30年代後半以降における基盤整備の実施と機械化の進展を背景として,昭和40年に設立した水稲研究会を中心としたユーカラの作付と銘柄の確立運動の中で,これまで全道各地で作付されていたユーカラを品質と量産との両面から厳密に規制し,指定銘柄としての地位を高めていった過程からも確認できる。当然,そうした地位を確保できた大きな推進力として,農協・普及所・市農政課の全面的援助が不可欠であったことを指摘しておきたい。
 このように,農業関係機関の全面的援助に支えられて,良質米産地の地位が確立されたもう1つの要因として,平均経営規模5ヘクタールの階層が部厚く形成され,同質的な経営基盤のもとでの営農集団化が広汎に普及し,経営・技術両面における組織化が可能になった点が第2の地域的性格である。深川市全体の階層規模別構成をみると,1~3ヘクタール階層割合が15%,3~5ヘクタール層が26%,5~7.5ヘクタール層32%と,相対的に基本階層の分散化と零細化が認められるが,深川地区では3~5ヘクタール層が31%,5~7.5ヘクタール層45%と,基本階層の集中化と大型化がみられる。そうした有利な経営基盤と従来の共同田植,共同炊事などの部落的作業の歴史とが,昭和45年の菊水第1営農集団を先駆例として,次々と設立され,今日では26集落のうち18集落に生産組織が確立されるに至っている。そこで,生産組織の機能について明らかにする必要があるが,後に詳しく検討する。ここで留意したい点は,品質向上のための技術の平準化と組織化,農機見費の低減を中心とした経営費の軽減といった機能が全体として発揮されており,そうした機能が良質米生産を支えていることである。
 以上の点こそが深川地区の「とも補償」方式を実現させた大きな要因であるとともに,「転作困難な」農事組合への重圧を回避できたことが指摘できるが,深川地区転作割合25.6%の大幅減反を迎えた昭和55年において,あらためて「転作困難な」農事組合への転作配分と営農のあり方が問われ,それに伴う地域農業の問題が表面化している点が第3の地域的性格である。とくに,大幅減反を目前にして,農協を軸とした農業機械銀行の設立によって,転作用機械の受委託利用が行われ,転作作業の効率化と過剰投資の防止が図られ,多くの生産組織や農事組合において,稲作プラス転作の作付化が円滑に行われている反面,稲作プラス兼業を軸に進行している農事組合では,転作を委託にまかせ,より一層の兼業化と「手抜き」労働化をもたらし,生産組織の運営主体の喪失という事態を招いているところもある。
 後者の動向は,構造的性格を示しており,例えば,深川地区の専兼別農家構成の推移からも理解できる。昭和35年,専業農家割合73.6%,第1種兼業農家割合14.1%であったが,20年後の昭和55年,専業農家割合36.4%,第1種兼業農家割合56.3%と大きく変っており,第1種兼業農家が主流の農業構造になってきており,ここに,「転作困難な」農事組合の構造問題を生起させる基盤を含んでいるとともに,生産者はもとより農業関係機関の課題が提起されている。つまり,転作対応をめぐる「二つの道」とも言える問題-「転作困難な」農事組合を放置し,一層の兼業化と省力化へと向かわせるか,「米主産地の危機増強の道」か,それとも,放置せず,兼業を一定抑制しつつ,良質多収の集約的経営へ向うか,「良質多収の産地化の道」か-が深川地区の現段階の課題である。

Ⅱ 生産組織の動向
1. 農業機械銀行の利用動向
 まず,農業機械銀行の経過と事業の特徴について述べると,昭和54年度に農業機械銀行パイロット事業の地区指定を受け,農協運営による稲作を含めた転作用の機械利用体系を整備し,3年目を迎えているが,その事業の内容は農業機械の効率的利用を前提とした機械作業の受託・委託の推進にある。
表1 深川市農協の農業機械銀行の利用動向(昭和56年)
 そこで,銀行の利用動向をまとめた表1をみると,明らかになった第1の点は,深川地区の全農家が委託者となり,農業機械の利用度を高めていることである。ここでの農業機械の用途は,転作用の機械が大部分であるが,その受託作業者は9つの営農集団と農協とが主体となって実施されている。
 第2の点は,作物別の利用料金が個別所有の農機具金額に比較して著しく割安となっており,最低料金の水稲で1ヘクタール当り5,571円から最高料金の小麦で24,543円までと,生産費の重圧となる水準となっていないことが注目されよう。
 以上の点は30%に及ぶ大幅転作割合への受け入れ基盤として,生産費に占める農機具費の高騰を防止していく措置として評価できるとともに,集落や個別経営の特性に応じた転作作物の多様性を支えていく中核的組織ともいえる。

2. 生産組織の実態的動向
 (1) 生産組織の概観 まず,表2からわかるように,深川地区26集落のうち18集落が集落を単位に生産組織が形成されており,深川地区農業,とりわけ稲作の展開に大きな作用を及ぼす営農集団となっている点が第1に指摘できる。それは稲作型の生産組織に参加している農家数が128戸と全農家数の40%を占めているという量的側面だけでなく,質的側面として,稲作機械一貫体系を備え,生産組織未確立の集落へ作業受託を展開し,深川市稲作の動向を規制する中核的営農集団の機能が発揮されていることである。この点をより詳細にみると,稲作機械一貫体系型の生産組織数が4集団となっており,このタイプは農業機械銀行の受託グループと重なり合って,稲作および転作作業受託の担い手となっている農家群であり,集落を基礎としつつ,集落を越えた地域営農集団である。つぎのタイプはトラクターを軸にすえたトラクター機械利用型の生産組織が挙げられ,大部分の生産組織がこのタイプに該当し,このうち農業機械銀行の受託グループに指定されているのが4集団あり,それ以外の生産組織は集落内の機械作業を中心に展開している現状である。
 第2に指摘したい点は,最近の受託組織の増加傾向のなかで,「機械・施設利用の効率化」に重心が移行しつつあり,「技術,収量の向上化」の側面が軽視され,生産組織内部の問題が表面化していることである。とくに,委託農家にとって,兼業化の進展に伴って,米質を重視した肥培管理作業が手抜き状況になっており,そのうえに,受託組織の基本的性格とが重なり合って,より一層の生産力低下を招いていることである。
 こうした兼業化の進展と生産組織との関連についてまとめたのが表3,表4である。
表2 昭和56年時点の深川地区生産組織の概要
表3 昭和56年深川市深川地区の農業動向
表4 昭和56年の生産組織の規模別・集落別参加動向
これらの表から,明らかになった第1の点は,兼業の全階層的波及と農機具の個人所有の階層性が著しいことである。兼業化の進展は零細規模層から中規模層へと移行するに応じて,兼業化の度合を低下させているが,7.5ヘクタール以上規模階層に至って50%の兼業割合となり,全階層的に兼業化が広汎に形成されていることがわかる。他面,農機具所有状況では7.5ヘクタール規模階層を境に,所有率が変化していることから,7.5ヘクタール以上規模階層における個別前進的な大型経営の展開コースと7.5ヘクタール以下階層における兼業化による生産組織の展開コースとに分かれていることが確認できる。
両コースのうちの後者の展開コースについてみると(表4),生産組織の階層性が明瞭に認められ,3~4.99ヘクタール階層と5~7.49ヘクタール階層との両階層が生産組織の主体になっており,他の階層における参加率との格差を示している点が第2に指摘できる。このことは,深川地区農業の基本階層が3~7.4ヘクタール階層から成り立っており,その点で当然の結果ともいえるが,集落農家群に占める生産組織の参加率が高いところほど,基本階層への集中度が高いといえる。
 このような参加農家の割合が高い生産組織では,農家労働力と機械の有効利用を前提に,一方における受託集団としての機能が発揮されるタイプと他方での集約的土地利用による経営内給志向のタイプとに分かれるが,前述した生産組織内部の問題である「機械,施設の効率化」と「技術,収量の向上化」との予盾は前者のタイプで深刻化している。
これら2つのタイプは参加農家の割合の低い生産組織においても,程度の差こそあれ該当しており,この決定的な差異は集約的土地利用をふまえた経営内給型の方向が図られ,兼業化への歯止めの諸施策が生産組織はもとより,集落において講じられているか否かにある。

(2)生産組織の実態 これまでに明らかになったように,生産組織には2つのタイプがあり,これらのタイプを実態的に整理したのが表5である。この表は,受託集団の機能を持ちつつ経営内給重視の生産組織として調査集落番号3の営農集団が上げられ,受託集団型の生産組織に11番集落の営農集団を,さらに,兼業下の委託型集落として23番集落を取り上げ,それぞれの集団の特徴的動向をまとめたものである。
まず,経営内給重視の3番生産組織から検討に入ると,この集落は1戸当り平均経営面積6ヘクタール弱の農家群から成り立っており,深川市全体の分解基軸階層とほぼ同一水準にあるが,専業志向の強い農家群で,深川市農業の中核的な集落である。
表5 調査集落の農家概況
この中核的な集落のもとで設立した生産組織の第1の特徴は集落戸数12戸のうち8戸の農家が参加しているが,いずれの参加農家も長年の共同作業の経験と分解基軸階層への自己防衛的対応が認められることである。この点について,具体的に述べると,昭和30年頃から昭和49年までほぼ20年間,田植の共同作業が実施されており,その後,5台の田植機(ポット4条植え)が導入され,昭和50,51年とマット苗用の田植機1台,トラクター(57PS)2台が入り,集団化への基礎が築かれた。
 こうした基礎のうえに,昭和52年12月,農村地域工業導入特別対策事業が導入され,これまでなんらかの形で共同作業に参加していた12戸のうち8戸へと農家編成が行われ,現在の稲作機械化一貫体系が確立した。そうした農家編成による集団化の大切な点は,経営規模の階層差に応じた自己防衛的対応である。それは6ヘクタール以上階層における,機械の個別化による生産組織への非参加農家群と,6ヘクタール以下階層における,分解抑制的対応としての生産組織参加農家群との差異である。
 こうして,経営規模の同質性を前提とした組織における転作対応は,多様な転作作物と家畜飼養を図り,集約的な水田利用を実施している点が第2の特徴である。つまり,転作作物として,麦,テンサイ,スイートコーン,ワラビ,ゴボウ,ナスビ,大正金時,馬鈴署などを作付し,農業機械銀行の転作用機械を借り入れ,農家間の作業調整を行い,集団的に取り組んでいることである。
 小麦の共同作業では耕起,整地,施肥,播種,防除,収穫の各作業が行われており,小豆では防除作業が実施され,ビートでは全作業が行われている。そうした転作の集団作業ができるのは,稲作の基本的な作業が共同で行われているからである。
 播種,苗たて,耕地,整地,代掻,田植,補植,防除,収穫の各作業が適期に合わせて,出役が編成されており,また,代掻水や落水の操作管理が実質上,集団で調整,実施されている点が重要である。
 これらの共同作業の結果,水稲の平年作反収で550~600キログラムの幅に各農家が入っており,収量の平準化が進んでおり,その点で,生産組織の基本問題であった「機械,施設の効率化」と「技術,収量の向上化」との予盾は回避されている。このことは,稲作だけでなく,転作の場合にも共通しており,畑作の連作による地力低下を回避するたあに,稲ワラの圃場還元や和牛や養豚,養鶏の堆肥づくりも恒常化しており,個別経営を補完する諸々の機能が集団において発揮されている。
表6 損益状況(昭和55年12月31日調べ)
 第3の特徴は,これまで述べた集団の活性化を基礎に,かつ,経営主の年齢が30歳代から40歳代前半という中堅年齢構成もあって,他の集落の転作畑を借り入れ,集団として転作の請負作業を実施してきたことである。この転作畑を借り入れている集落の農家概況を述べると,図2で記入してある2番集落から16.5ヘクタール,19番集落から2.4ヘクタール,12番集落から4.4ヘクタールと合計23.3ヘクタールを借り受け,貸手農家に転作奨励金プラス相互補償金を支払い,生産組織の側は販売収益を得る仕組みになっており,その貸借契約期間は1年間で,転作作物も小麦を作付することになっている。
 この結果,事業実績(表6)は稲転事業収益のなかの「員外収益」が1千8百万円と著しく高く,かつ,コンバイン事業とライスセンター事業との「員外収益」が90万円で,全体として,1戸当りの配当金(損益計算書では「報償金」と記載されている)は約60万円となり,深川地区の営農集団で最高の収益を上げている。しかし,昭和57年に入って,貸手農家から,「毎年,貸付地で小麦が7俵も収穫できるのなら,今度は自分たちが作付しよう」という申し入れがあり,借地契約が解除になったが,このことを契機に,より一層,集約的な水田利用を図り,兼業を抑える営農体制づくりに励んでいる状況である。
 次に,受託集団志向の生産組織が成立した11番集落の概観から述べると,集落の1戸当り平均経営面積が6ヘクタールと深川市の平均規模にあり,家族労働力の保有も十分で,専業志向の強い農家群から成り立っている。とくに,この集落は深川市のトップを切って,昭和40年から43年にかけて圃場整備事業を導入した地区であり,また,昭和50年には「高能率稲作集団」をつくり,現在の共同育苗から乾燥調整に至る一貫した稲作機械化体系を確立した先発的集落である。
 この先発的な集落のもとで設立された生産組織の第1の特徴は,稲作復帰志向による緊急避難的転作対応にある。そのひとつの理由は,昭和50年に導入した高能率稲作促進事業によって14戸が参加し,育苗,田植,刈取り,収穫と共同作業が実施され,その結果,家族労働力の余剰がつくりだされ,そのことが昭和53年からの30%転作を受け入れる契機となっているが,ここで留意したい点は,大幅転作を受け入れる基準として「機械,施設の有効利用」という側面が強く,そのため,生産組織参加農家にとって秋小麦が選定されている点に緊急避難的性格を示している。もうひとつの理由は,集落内における生産組織参加農家群と非参加農家群との対立,排除が強まり,参加農家群による規模拡大の一契機をつくりだす稲単作化の展開が基調となっていることである。つまり,非参加農家群(⑰の農家は昭和56年の春作業まで加入していたので秋小麦を作付していた)は,基本的に秋小麦以外の転作作物を作付し,集団との差異がみられ,かつ,いずれも経営主の高齢化(⑩農家)や後継者不在(⑬農家)などの理由で経営縮少化に至る農家群であるため,集団による規模拡大の絶好の農家群として,集落内の農家間の対立を深めている状況にある。
 そうした規模拡大を実現するまでの一定期間は生産組織として,ライス・センター事業や稲転事業の「員外収益」(表6参照)を上げ,受託集団の性格を強めていく方向を含んでいる。というのは,集落内の家族労働力の余剰を集落における経営の集約化に向わずに,一方における兼業化と,他方での平面的規模拡大志向とに突き進んでいる点からも推察できる。それは,たんに参加と非参加との農家群の対立だけでなく,参加農家群内部の対立をつくりだし,生産組織解体の内的促進要因になる危険性を内包している。
 最後に,生産組織解体の実態事例として,23番集落を取り上げると,この集落は昭和48年に生産組織を設立し,昭和52年に解散するほど,きわめて不安定な営農を特徴とする農家群から構成されている(表2参照)。その特徴の第1は恒常的勤務を主とする第1種兼業が多く,この兼業化の動きが昭和45年の生産調整期を契機に始まり,兼業者の世代も経営主から後継者と予定されている青年層にまで広がり,トラクターを軸とした生産組織におけるオペレーターの確保が困難になるところまで,全階層的に兼業が波及している点である(表5)。
 こうした兼業化を波及させた要因として,生産調整開始年次の通年施行による単純休耕が挙げられ,この対応姿勢が構造的に定着している点に第2の特徴がある。より詳細に表5をみると,「手抜き」転作としての牧草,秋小麦,小豆の作付状況と農協による全面的な委託作業の実施からも推察できる。つまり,稲作プラス兼業の構造が農協の農業機械銀行の支えによって成り立っており,これまでに述べた経営内給重視の3番集落と逆転した性格になっている。
 以上の3つの事例を転作対応と関連させつつ要約すると,11番集落の生産組織が「労力的に余裕があり,やむを得ず転作しつつ,規模拡大を図っていく」志向として性格づけられるのに対して,23番集落は「労力的に余裕があっても,農業以外の就業に生かしていく」兼業志向と特徴づけられるが,いずれも「余剰労働力」を積極的に経営内給に向わず,土地利用の一面化と労働力の一面化という奇型的な水田単作に依存している点こそ,緊急避難的といわれる消極的対応の根因であり,この点からの脱却として3番集落の集約的な水田利用と集団化の展開が大きな意義を持つことになる。

Ⅲ 生産組織の存立条件

1. 基盤整備の先駆的地域
 生産組織が深川地区26集落のうち20集落において設立された大きな要因は,圃場整備事業の先駆性と著しい進展にある。同地区は北海道のなかでも最も早い時期(昭和39年)から圃場整備事業を進めてきており,昭和48年までに全域が完了している地帯である。こうした先駆的地帯における主要農機具所有台数の推移をみると,昭和45年時点で田植機が0台であったが,昭和50年で101台と,自脱型コンバインが50台から230台へと急速に普及し,また,耕転機・農用トラクターも372台から296台へと大型機械への買い換えが進み,全体として,省力化の機械体系が整備され,圃場整備の直接的効果が認められる。
 もう1つの効果として,用排水条件の整備があげられる。この点について,『石狩川水系大規模土地改良区の運営-転換期の構造-」(高崎経済大学,昭和56年3月)の分析結果を要約すると,第1に,水管理労働の軽減である。支線組合ごとに決めて行う幹線・支線の夫役はコンクリート装工になったため,現在1回の草刈り程度になった。第2に,水不足の緩和である。以前は,土水路が多く,水の流れが悪く,漏水が多かったため,下流に行くほど水不足が深刻で,水管理人が一日中歩き回ったが,現在は,基本的に,減反もあって水不足は解消している。第3に,深水灌概が可能になり,7月上・中旬の低温障害を防ぐたあに実施している。以上の点から,集落を単位としつつ,個別完結的な生産組織の基盤づくりが可能となった。

2. 水田の集落的所有と利用
 前述したように,集落を単位とした個別完結型の生産組織が形成されるなかで,一方における集約的な水田利用を図っている経営内給型の生産組織とその集落と,他方での生産組織の解体に伴う粗放的な水田利用を行っている集落との差異が生じている。その要因の第1は,図3,4をみてわかるとおり,転作に際して,集落内で団地化ができる転作対応と集落を越えてのみ団地化が可能となった集落との相違が認められる点にある。より詳細に検討するため,表7の転作圃場状況と関連させると,より明瞭となるが,3番集落では24番農家が1カ所飛地(24’)を所有し,そこにデントコーン,秋小麦,小豆を作付し,また,25番農家が1カ所(25’)あり,27番農家が3カ所(27’27”,27’”)に分散し,いずれも秋小麦を作付している状況で,そこで共通している点は,集落内に飛地がまとまっていることであるのに対して,23番集落では,集落内に2つの集落が入っており,これらの集落に5番農家から9番農家までの所有地が飛地,借地,団地化という形態で属し,集落外を含めた分散圃場状況にある。
 こうした個別完結的な圃場と分散的な圃場との違いは,集落の土地集積過程の差異にあり,この点が第2の要因である。この点を検討するためにまとめた表8をみると,3番集落において特徴的な点は,全階層的に規模を拡大し,下層からの上昇が認められることである。その背後には,昭和40年から50年にかけての離農が8戸輩出しているが,その内訳は5戸が近隣集落の農地を取得し,農業経営を継続していることからも,集落内における土地所有の調整がなされており,下層農家や近接地を考慮した農地の取得が実施されていることである。
図3 3番集落の転作実施状況(昭和56年)
図4 23番集落の転作状況(昭和56年)
逆に,23番集落の農地移動は対照的な動きを示しており,昭和40年から昭和56年にかけて,①,②,③番の3戸は上層への規模拡大を図っており,この拡大の仕方も「土地あさり」的な展開であり,その結果,飛地,借地の諸形態をもたらしているが,中・下層の農家群はこの16年間,規模を拡大していないグループで,上層との階層間格差を強めていることがわかる。
 ここで強調したい点は土地所有の重層的管理が農家,集落,地域の各レベルにおいてオープンに協議し,合意を図っているか否かという点である。この点について,大沼盛男氏は北海道の土地所有に関する民主性について「集落構成員の自発性,民主性は,北海道の集落が府県と異なってタテ社会的な規制が弱いだけに,農地買売などに大いに発揮されている。たとえば1戸の離農があったとき,農委の指導も含めて,より適正な集落内農家に移譲するようオープンに協議される良き慣習がある。これは府県では考えられない農地流動化への農民協議と合意である」1)と指摘している。
表7 転作圃場状況
表8 調査集落の規模拡大状況

3. 地域農業の組織化
 これまで述べたことと関連して,あらためて,深川市農業の展開過程を概観すると,まず第1段階として,昭和40年代を中心に実施してきた圃場整備事業によって,稲作の増収と省力化が実現され,さらに用排水整備に伴い,水田の汎用化も可能となり,農業の基盤づくりが完了された時期である。
 第2段階は,昭和40年代後半から50年初頭にかけて,機械利用組合や営農集団などの設立が著しく進み,農業の集団化が定着する時期であるが,この時期の基本間題は生産組織の設立に伴い,家族労働力の遊休化を兼業に結びつける動きが一般化し,副次的に,集約型の生産組織が確立し,そうした点的存在をどのようにして,面的存在に拡大していくか,という点にあった。
図5 深川地区農業生産対策システム模式図
 このような基本問題への解決の糸口として,昭和56年,深川市農協を中心に,「深川地区農業生産対策システムの構想」が提示され,その実現への模索期が第3段階である。この「構想」を図5にまとめたが,注目したい点は,そ菜生産出荷連絡協議会と花き生産組合への指導,組織化が今日の段階の中心課題にすえられていることである。つまり,転作対応として,営農集団による特定作物=畑作の作付においては省力化が可能となり,かつ兼業へ突き進む緊急避難的転作にならざるを得ないため,そ菜,花きなどを導入し,水稲や一般畑作に比べて,土地面積の制約も少なく,小面積で高収益が期待できる土地利用に よって,労働力を定着させる意図から提示されたものである。
このような農業の集約化に基づく組織化の現実的な根拠として,広範に輩出している兼業構造の経営的性格にあり,それは土地所有の格差に基づく「土地所有の障害」によって発生したものでなく,兼業の全階層的な展開という事態からもわかるように,土地利用の単作化からもたらされたものであり,そうした土地利用の基本的欠陥を是正することが,兼業の農業的条件を整備・拡充し,農業生産の広範な担い手形成を可能とするからである。
 そこで,今なお専業的農家群が深川市において部厚く形成されている歴史的条件の1つは,北海道開拓期の「植民区画」に基づいて,1万坪=3.3ヘクタールが団地として与えられ,小さな農場制が形成されてきたことである。そのことが個別完結の農業経営を基礎づけ,戦後自作農を維持しつづけている条件でもあった。
 この戦後自作農の存続という現実過程は,基本的に都府県における水利用の個別管理の崩壊=自作農の危機とは異なり,今なお兼業農家とはいえ,水利用の個別化を実現し,個別農家の自立化にそった集落の運営が行われており,その点でも,都府県にみられる個別経営の解体的状況を補完する集落の対応とは段階的に差異がある。それは,都府県における水不足による集落間調整の動きが,北海道においては希薄であり,それ以上に,水過剰による治水事業が基本的な課題であったことと関連している。
 もう1つの条件は,七戸長生氏の論文でも指摘しているように2),市場経済原則に準拠した農業経営者の行動原理があげられる。つまり,府県単位の広がりを持って特定の経営形態に特化した専業農家群の広範な存在の根底には「適地適作」という立地原則に基づいた合理的な経営対応が内包している。その具体的な動きとして,3番集落の生産組織の展開が位置づけられるように,商品生産を前提として,産地形成を図る集落の編成が今日の深川市農業組織化の基本問題となっている。


 1) 大沼盛男「土地問題の深刻化と土地利用再編の課題」(農村集落研究会編『妹背牛町の農村整備と集落再編成に関する調査』,妹背牛町,1981年3月)の70ページを引用した。
 2) 七戸長生「北海道農業の現状と中心課題-その位置づけの再検討-」(『農業と経済』,富民協会,1981年2月号)の70ページを引用した。