鉱業

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 貨幣鋳造のための金銀、蒸気機関の燃料としての石炭、これらは、明治政府にとって、早急に手に入れねばならない鉱物資源であった。17世紀には、日本は金銀銅を多く産出し輸出までしていたのであったが、その後、急速に産出量が減少していた。一方、石炭は北九州を中心として小規模な炭田による産出がみられる段階であった。

 明治の初めから約20年間に政府がとった手段は、次のようなものである。まず、主だった鉱山を官営化し、ここに海外から技術専門家を招いて技術指導にあたらせ、鉱山の近代化をはかった。同時に、「日本坑法」を1873年に制定し、鉱物の国家所有を規定した。これにより外国人による鉱山経営が禁じられた。さらに、工部大学校など工学技術の高等教育機関を設立し、外国人技術者を代替する専門技術者の養成に努めた。そして、あるレベルにまで近代化された鉱山は、順次、民間に払い下げられていったのである。

 本研究会では、まず、すでに江戸時代に確立されていた鉱山の在来技術のレベルを検討し、その知識の蓄積と鉱夫たちの習熟のうえに、西洋技術による近代化の成功があったことを指摘している。だが、同時に、江戸時代からの鉱山業が、鉱夫の雇用や採鉱・精錬過程を含む請負制度によって経営されていたことから、この請負制度の改組・解体が近代化において必要であったとしている。