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実業教育

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実業教育

わが国離陸期の実業教育

論文タイトル: 序文
著者名: 林 武
出版社: 国際連合大学
出版年: 1982年
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序文

 本書は,国際連合大学がアジア経済研究所に委嘱してきたプロジェクト「技術の移転・変容・開発―日本の経験―」の作業成果の一部である.
 この「日本の経験」プロジェクトは,発足当時の国際連合大学が掲げた三大研究部門のひとつ「人間と社会の開発」プログラム(武者小路公秀副学長担当)の五研究活動の一郭であった.第一期は技術そのもの(いわゆるハードな技術)の移転・変容そして開発(というよりは自主開発というのが正確である)についての研究に集中した(前半の二年).それに続いた後半の二年の活動では,ソフトな技術に力点がおかれた.その中心のひとつが,この「教育」問題の研究であった.

 いま発展途上国が直面する最大の課題は,国造りのための人造りである.それだからこそ,「日本の経験」にまつわる教育問題では「職業教育」に焦点を合わせたのであった.そこでは,企業内訓練の事例研究が含まれるのは言うまでもないが,高度の外国技術の導入に日本が全国民をあげて熱中していたその時期に実業教育・技術教育がどのように行われていたかに焦点を合わせて研究しなければならない,と判断した.

 「日本の経験」を,職業教育・技術教育に即して,しかも開発問題という視角から,検討することは,これまでの研究史にてらしてみれば,全く新しい仕事であった.職業教育については,先学の優れた業績があり,数こそ多くはないがいまなお後学にとって導びきの星ではあっても,国際連合大学の期待にはいささか馴染まないところがある.もっとも,それは何もこの教育問題に関するサブ・プロジェクトの研究分野にかぎったことではない.もっと言えば,これまでの日本のアカデミズムにある傾向・視座の設定が,人類の75%を占める発展途上諸国民のいま直面している課題と問題とにおよそ無縁のままでいるからである.その種の「脱亜入欧」論と,本書が立脚する地平とはまったく異質である.そこで,それ故にこそわれわれがもつ自負と困難とは,たとえば課題と問題・主題と方法・理念と成果などとの間に横たわる避けることのできない緊張として,読者に提示されることになるだろう.

 「日本の経験」プロジェクト自体が,いわば日本中の学者・研究者の関心をあつめ参加意欲をかきたてた国際連合大学活動なのに,思いがけず,アジア経済研究所に委嘱されることになった時の諸事情を,当時は研究企画の責任者であった者として思い起さずにはいられない.アジア経済研究所は,日本研究の部門をもっていないし,発展途上国の関係者が何を知りたがっているかを心得えているので,双方のあいだに橋がうまく架けられるかどうかについて不安があったことを,ここでは記しておくに留めたい.

 このサブ・プロジェクトについて言えば,幸い,発展途上国の教育問題の専門家を主査として発足させることができたし,その主査はひろく教育関係学界の声をあつめてチームを編成することに腐心された.プロジェクト全体は20余チームから成っていたが,そうした編成方法をとったのは他にない.

 また,このチームは,個別事例研究の集積・各メンバーの分担の細目さえ,計画全体の中にバランスよく収容できるように,当初から周到に立案してきていた.初年度の成果が,そのまま単行本にできる所以である.こういうのもまた他に例がない.そうした結果として,本書をもつことができたことを読者とともに慶びたい.

 だが,本書のもとになる研究活動は,実は,日本の読者ではなく,発展途上国の教育者・インテリ・為政者を念頭においたものであり,それらの人びとが日夜呻吟している困難を,かつて日本では如何に,誰によって克服されたのか,また克服されきれずにいまに至ったのか,を明らかにすることを目標にしてきた.そのことで,かれらを,あるいは激励し,あるいは相携えて解決策を探りあてようというところに狙いはある.

 したがって,当初,総括企画者である私の構想のなかには,職業教育における教科カリキュラムの編成および教科書(その編集過程・基礎的学力および技
能レベルの想定とその測定方法など)についての研究が,教員養成・卒業生と雇用事情などの調査とならんで,重大な関心事としてあった.

 この関心は,残念ながら本書では満されない.ばかりか,当分は満されそうにもないことが,第二年目のこのチームの活動の結果から明らかになった.手掛りが全然ない訳ではないので,時間をかけて,諸学者の協力を組織すれば,新しい展開が期待できるだろう.

 このサブ・プロジェクトとしては,活動期間が短く二年間と制限されていたし,すべてのメンバーが本務をかかえていた,という事情からすれば,これ以上を期待することは明らかに無理難題というものである.さまざまの無理の中から生れた成果が本書であるからこそ,国際連合大学当局は,編集しなおして英文で刊行する前に,いわば例外的に原型のままで本書を公刊することに決定したのである.それは,国際連合大学というものの見識としては当然と言えば当然のことかも知れないが,何とも愉快なことではある.国際連合大学学術情報局長箕輪成男氏のお骨折りに執筆者とともに感謝している.

1982年9月

プロジェクト・コーディネーター
林 武