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実業教育

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わが国離陸期の実業教育

論文タイトル: 終章:途上国における実業教育振興と日本の経験
著者名: 豊田 俊雄
出版社: 国際連合大学
出版年: 1982年
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終章:途上国における実業教育振興と日本の経験

 これまで,わが国離陸期の実業教育を「徒弟学校」を中心にとりあげ,その成立―展開―変質のあとを五つの事例研究とともに細かくみてきた.ここで終わりに臨み,ひるがえって現在の開発途上国の実業教育のもつ諸問題を拾いあげ,わが国の実業教育開発上の経験と対比しつつ検討しておきたい。
 途上国の実業教育のもつ問題は,教育一般のもつ問題と同じ根から出ているものが少なくないが,列挙すればつぎのごとくであろう.
 (1) 教育ピラミッドの逆転
 (2) 基礎的学力の不足
 (3) 非実際的なカリキュラム
 (4) 複線型学校体系
 (5) 身分階層制
 (6) 就職のフロンティア
 (7) Motivation for Progress
 (8) ドロップ・アウト
 (9) 教育財政
 (10) その他
 こうした項目はそれぞれ交互にからみ合うところがあるが,以下に項目の内容を示しつつわが国の経験と対比してみたい.
 (1) 教育ピラミッドの逆転
 欧米諸国のここ1世紀におよぶ教育開発のあとをみると,ソ連やわが国もそうであるが,初等教育の整備を基礎としてその上に中等教育を築き,その充実をまって高等教育を拡充する,というピラミッド構成になっている.ところがアジア,アフリカなど途上諸国の教育ピラミッドをみると,その構築が急なものであることもあって,逆ピラミッドになっている.アジア,アフリカ,ラテン・アメリカとも,昭和35年(1960)前後,教育開発計画を樹て,ここ20年にわたって教育制度の整備,充実につとめてきた.その結果,高等教育→中等教育のレベルはゆうに目標を達するところがあったが,中等教育→初等教育のレベル,ことに初等教育の整備は不十分であった.農村地域の小学校,実業学校はそのもっとも遅れた部分である.わが国の場合,ピラミッドの基底部分である初等教育の整備には困難が伴ったが,それが充実するとともに上位の中等教育に着手し,実業教育についてはすでにみたように,年限,入学資格などにさまざまな幅をもった学校形態を設けて安定した中等教育の実現につとめるところがあった.
 (2) 基礎的学力の不足
 途上国の実業教育は現在中等教育段階で行なわれているが,初等教育の未成熟のため基礎学力が不十分であり,実業学校の教育効果を大きく減じているのが実態である.わが国の場合,徒弟学校の発足した明治27年(1894),小学校の就学率は実質で49%内外であった.そのため,徒弟学校入学者のなかには小学校の課程を終わっていないものもあり,しばらくの間,基礎科目の補習が必要であった.基礎学力のあるなしが,実業教育や訓練において「事物の理解及び入門進歩の遅速に差」をつくると考えられていた.
 (3) 非実際的なカリキュラム
 途上国の教科書が先進国からの輸入品であるため(数学のような教科は別として),地域の実態にそぐわない非現実的なものであるとの指摘はつとに聞かれるところである.実業教育の場合はことに,学科と実習の連携が必須であるだけに,学科カリキュラムは現実的でなければならない.わが国の徒弟学校においても,当時教科書は生硬な翻訳調であり,理科(物理,化学)など難解で生徒を悩ませるものであった.途上国の産業化のテンポは遅いため,せっかく習得した知識を検証する環境,応用する機会がなく,カリキュラムは浮き上がったままである.わが国の場合,産業化のテンポがきわめて早く,知識の実例に事欠かなかったが,一方,教科書の翻案(日本化)は急速に進められた.
 (4) 複線型学校体系
 わが国において普通学校体系と実業学校体系の複線化が成立したのは明治30年(1897)代の初めであった.明治32年(1899)の中学校令改正,実業学校令は,その後50年におよぶ複線型学校体系を決定的なものにした.すなわちそれまで中学校には実業教育と普通教育の二重の性格があったが,この改正で「中学校ハ男子ニ須要ナル高等普通教育ヲ為ス……」ことが目的となり,実業教育は実業学校令の下に区分された.その結果,複線化が成立し,実業教育卒業者の高等教育への進学が限定され,実業補習学校,実業学校(工,徒弟,農,商),実業専門学校の三層体系が成立した.途上国の中等教育の場合,従来複線型が大勢を占めてきているが,最近に至り単線化(コンプリヘンシブ化)の試みがあらわれ,体系の模索がつづいている.
 (5) 身分階層制
 途上国の人々は,普通教育には熱意を示しながら技術・実業教育には冷淡である.ハーバート・パッシンは「旧植民地の人々は,とかく一般教育を都会に住むエリート層の権利の一部とみなし,技能教育などはある種の温情主義的な押しつけである……」と言っている*.わが国の場合,士農工商の伝統があり,広い教養を身につけることは指導層のものであり,それに反し筋肉労働は大衆のものとされた.
 * ハーバート・パッシン著『日本の近代化と教育』.(国弘正雄訳,サイマル出版会, 昭和44年)
 (6) 就職のフロンティア
 明治政府は中・高度の工業教育のため明治14年(1881),東京職工学校を設立したが,60名の生徒を募集するのに「教師から小使に至るまで総動員」したという.日本の資本主義は当時すべての面で未成熟であり,工場らしい工場もなく,卒業しても就職する見込みがなく,かりに就職できても「普通日給50~60銭」(大工の日当に等しい)という時代であった.東京職工学校は教員養成機関でもあるので,やがてその卒業生は徒弟学校の校長,教員のポストを得るようになるが,社会の産業発展の水準からみて,それは先行教育投資というべきであろう.サセックス大学のR.P.ドーア教授がThe Diploma Disease の中で書いているように,途上国には教育をうけながら,それに見合う就業の期待できない,スパナ・ボーイ(自動車修理の手伝い)や,シャンバ・ボーイ(畑仕事の手伝い)が簇生している.しかも産業の高度化,就業の拡大が急速に実現しない途上国であってみれば,教育投資の先行はかなり難しい政策であろう.
 (7) Motivation for Progress
 社会,経済が近代化するためには産業や教育の振興が必要であるが,それとともに実際に“進歩”に向かって行動を起こす意欲,気力が不可欠である.当時の国際環境の中で列強に伍して独立しなければならないというナショナリズムは一部指導者のみでなく一般民衆の中にも根づよいものであった.中等教育機関への進学率は,明治28年(1895)4.3%,明治33年(1900)8.6%と急上昇した.学校へ行って損はない――という気運は,実業教育を拡充する力であった.事実,ながい間,祖父母や両親がなめてきた貧困,窮乏から這い出そうとして,新しい「学校」に身柄を預けるものが相ついだのである.
 (8) ドロップ・アウト
 徒弟学校は開校当初生徒の集まりはよくなかった.またいったん入校しても途中で止めてしまう(ドロップ・アウト)ものが少なくなかった.瀬戸陶器学校の例によると,第一回入学者20名のうち3年後卒業したのは僅か3名であった.学科(坐学〉も教科書も面白くなくかつ難解,実習は自宅周辺と同じで新鮮味に乏しく,その上陶器学校の生徒であることは誇らしいことではなかった――等々,中途退学を促す材料が多かった.途上国の実業教育においてもドロップ・アウトはかなりの比率に上ると見られる.データはごく限られているが,世銀が初等教育について横断的に行なった中退者調査から類推すると,実業学校の途中放棄者は3分の1以上にも達しよう.教育支出の浪費(ウェステージ),損失である.途上国において卒業生に対する社会的需要が高まらない限り,ドロップ・アウトは解消しにくい問題である.
 (9) 教育財政
 「実業教育費国庫補助法」(明治27年(1894))によって工業を主とする実業教育に対し財政補助が行なわれるようになったが,これは明治の教育政策の流れからみて画期的なことであった.しかも重要なことは,この補助を受けるためには自前で同額以上の財政準備をすることが条件であったことである.地方町村や住民の積極参加=自助努力なしには不可能なことであった.
 M.C.ケイザーの比較研究によると,日本はスウェーデンとともに著しく低い所得水準で産業化を開始し(国民所得150ドル,明治13年(1880)),その上義務教育が経済の発展に先んじた例外的な国である.中等教育の拡張テンポも速く,「学制」施行後40年以内の明治43年(1910)には,中学生の小学生に対する比率が7.6%に達した[国民所得280ドル,同じ1910年,スウェーデン3.0%,420ドル,英国2.9%,1,000ドル以上].
 日本のこの例外的に高い教育支出は,その後の急速な近代化と経済成長の有力な要因と見られているが,一方当時の経済の規模と所得水準を無視した教育の強行は,果たして最上の策であったかどうかと疑念をもつ人もないわけではない.
 (10) そ の 他
 以上のほか,わが国の教育の進展にとって有利に働いた基本的条件は少なくない.単一言語,同一人種(習慣,習性の類似〉,労働に向いた気象,気候……など.ひるがえって考えれば,これらは多くの途上国にとっては不利に働く条件ばかりであり,途上国の教育開発を制約する基本的条件は深刻であるといわなければならない.それを認めた上で,以上に列記した諸項目の中から実業教育の開発方策を選択することが可能であろう.
[豊田俊雄]