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松方財政と殖産興業政策

論文タイトル: 第Ⅰ部:補論:明治前期財政統計における金・銀・紙混計問題についてー明治14年度正貨予算書の分析を中心にー
著者名: 山本 有造
出版社: 国際連合大学
出版年: 1983年
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第Ⅰ部:補論:明治前期財政統計における金・銀・紙混計問題についてー明治14年度正貨予算書の分析を中心にー

 はじめに
「円」貨幣が流通し,したがって貨幣価値額の表示が「円」単位をもって行われるに至ったのは,1871(明治4)年5月「新貨条例」布告以後のことに属する.それでは,1867(慶応3)年12月以降1875(明治8)年6月をカバーするいわゆる「八期間決算書」において,歳入歳出各科目が実に整然と「円」単位で表記されているのは何故であるか.1871(明治4)年以前はもちろん,それ以後においてもなお当分は旧貨幣の受払が行われ,あるいは実物収支すら行われたが,それでは,旧貨幣や実物による収支はいかにして新「円」に換算・集計されたか.堀江保蔵教授の古典的論稿「両と円との関係に就て――明治八期間決算の円価計算――」(『経済論叢』第28巻第6号,1929年6月)は,実はこの疑問から出発している.本稿のねらいも,同種の関心に起源する.
 新貨条例によって本位貨幣と定められた一円金貨,本来補助貨幣として誕生しながら実質的には1874(明治7)年ごろ,法制的には1878(明治11)年第12号布告によって本位貨幣の地位を得ることになる一円銀貨,そして不換紙幣でありながらこれら正貨と同価に流通することを義務づけられた紙幣,さらに加えて,円銀とほぼ同位の実態価値にありながら貿易通貨として独自の需給関係をもつ洋銀,これらの間の葛藤の歴史はここでの主題ではない1).問題の要点は次のところにある.当時(主に明治10年代)の官庁統計とくに財政統計は「金銀混計」の誤りをおかしていないか,またあるいは「銀紙混計」の誤りをおかしていないか.
図補‐1 銀貨1円に対する金貨および紙幣の相揚.
 まず,金銀混計問題について,新貨条例によって定められた金貨1円対銀貨1円の金銀比価は16.01であって,国際比価15.57にくらべむしろ金に有利に定められていた.それが,世界的な銀需給のアンバランスの結果逆転するのは早くも1874,75(明治7,8)年ごろであって,それ以降銀の国際価格は下落の一途をたどる一方,新貨条例による金本位制も実態上は銀本位制へ転換を余儀なくされたことは周知のところである.ところが,日本の法制上では,1871(明治4)年「新貨条例」から1897(明治30)年「貨幣法」にいたる間,当初の金貨1円=銀貨1円が固守された結果,法制上の金貨1円は,銀で測った市場価値では1円をはるかに上まわる価値をもつという矛盾した存在となった。当時の政府統計は,法制上の建前を固守して金円銀円混計で表示されているのか,あるいは市場での実態を受け入れて銀円価値で統一表示されているのか.
 次に銀紙混計問題について.上述のように,1871(明治4)年新貨条例による金本位制も,1874,75(明治7,8)年のころにはすでに実質上の銀本位制へ転換したと考えられている.ところが,連年の正貨流出と大量の不換紙幣発行の結果,当時の実態は,さらに一歩すすんで紙幣本位ともいうべき状態に至っていたと見なしうるのである2).あるいはまた,国内取引には紙幣建が,開港場における対外取引には洋銀建が用いられるという,一種の貨幣的二元構造が成立したといってもよい.ただし維新いらい大量の不換紙幣の投入にもかかわらず,明治政権の安定と民間経済の伸張にともなって紙幣信用も回復して,1871(明治4)年「新紙幣」の発行前後よりは国内取引一般に紙幣が減価なく受容されるようになり,この二元構造も当面は定常状態にあったのである.この定常状態を一方に傾けて大きな混乱をもたらすに至ったのが西南戦争を一つの契機とする不換紙幣の大増発であったこと,ここにおいてようやく平価を保っていた紙幣と銀貨(円銀・洋銀)の間に大きな乖離が生じるに至ったことは,これまた周知のとおりである.この貨幣的混乱は,結局のところ1886(明治19)年1月の紙幣の銀兌換の開始によって終息するのであるが,この間の政府統計なるものは,減価した.しかし主たる通貨である紙幣によって統一表示されているのか.あるいは銀紙パーという建前主義を守って銀紙混計で表示されているのであろうか.
 金銀価乖離といい銀紙格差といい,その存在自体は,もはや明治経済史上の常識であろう.当時を知る第1級資料としての官庁統計とくに財政統計の重要性についても,同じく多言を要しない.それにもかかわらず,上述のごとき根本的疑問にたいして検討を加えようとする明示的な試みがこれまでなされなかったのは何故であろうか.ここでは,問題の性質上なお推論に止まること多いのを承知のうえで一つの試論を提出し,諸賢のご教示をあおぐことにする.

 Ⅰ 会計法規上における「円」計算の原則

 すでに「円」の実態が上に述べた状況にある以上,当時の財務当事者が諸「円」の取り扱いに大いに神経をわずらわしたであろうことは想像にかたくない.1882(明治15)年朝鮮事件以後の軍備拡張論の一環として,海軍軍拡費「銀貨」402万円が要求されたのにたいし,大蔵卿松方正義が「海軍卿上申ノ如キ巨額ノ銀貨目下支弁ノ道無之」としてこれを「通貨」300万円に縮減したというエピソードは,この間の事情をよく物語っている3).これら諸「円」の収支は,実務上どのように取り扱われ,計算上どのように集計されたのであろうか.その最初の手がかりを,まず当時の会計法規の大綱に求めよう.
 ところで,会計法規の整備には会計制度の整備をともなわざるを得ず,会計制度の整備には財政制度そのものの整備をともなわざる塗得ない.廃藩置県による財政権の集中,地租改正による統一的税制の確立,秩禄の金禄化あるいは地租の金納化という形での財政の貨幣化を経て,これら「安定化のいちおうの指標は,会計制度についていえば,1876年9月の「大蔵省出納規則」(正しくは「大蔵省出納条例」――筆者)の制定に求められるのではなかろうか.」4)同条例は,綱領36条,本文20款274条,「収入支出ヲ始メトシ米穀,公債証書及紙幣ノ取扱手続ヨリ計算調理ノコトニ至ル迄網羅セサルナク」5),やがて1881(明治14)年4月「会計法」に引きつがれる会計基本法であったから,明治10年代を主要な対象とするここでの参照に都合がよい.まず関係する主要な4条文を掲げる6).
 第百七十二条 凡ソ出納上ニ於テ緊要ナル貨幣ニシテ単ニ金ト称スル者ハ左ノ七種ニ限ルヘシ
 一.金貨 一.銀貨一.新銅貨 一.旧銅貨 一.新紙幣 一.銀行札 一.金札一円以下
 第百七十三条 七種類貨幣ハ総テ同位ノ価格タルヲ以テ要伝票ノ時仮令幾種ヲ混用スルトモ単ニ金何円ト称シ敢テ其種類ヲ区別スルニ及ハス 唯準備金ノ収支ハ第九十九条及百五十九条ニ拠ルヘシ
第百七十四条 (略)
第百七十五条 当今現在セル旧紙鈔ノ内左ノ四種ハ一般通用ノ効力ヲ有セサルモノニシテ諸収入ノ際之ヲ用ユルニハ必ス新紙幣ト交換ノ上納付スルコトトス
 一.金札五円以上 一.兌換証券 一.開拓使証券 一.会計券(ママ・会社券か――筆者)一.旧藩札
第百七十六条 四種ノ旧紙鈔ヲ以テ納付ヲ要スル官庁ハ必ス之ヲ紙幣寮ニ新紙幣ト交換ヲ請フヘシ而シテ紙幣寮ハ交換期限ヲ過クルト雖モ交換スルヘキ理由アラバ該価格ニ適セル新紙幣ノ預リ証書ヲ付与シ之ヲ以テ納付ノ金員ニ充ツルコトトス 是ニ於テ一般ノ出納上ニ於テハ該旧紙鈔ノ名称ヲ存セス純ニ金円ノ取扱ニ帰スヘシ
第百七十七条 米穀及貿易銀,洋銀,古金銀,金銀銅属地金,雑種混地金並ニ公債証書ノ類ハ出納上ニ於テハ之ヲ貨幣ト為サス全ク物品トシテ売買手続ヲナシ其代価ヲ以テ出納スルコトトス即チ第十四款第十五款ノ条例ノ如シ7).
 以上についてまず重要なことは,新「円」に関するかぎり,金貨,銀貨,新紙幣さらに国立銀行券もふくめて,すべて各円同価を規定していることであって,したがって,現実経済界においてこれらの間に価値格差が存在したとすれば,政府出納は混計計算になっていたといわねばならない.これが法制上からのまず最初の結論である8).
 しかしながら,これら法制上の規定にもかかわらず金・銀・紙の混用が実際上どの程度行われていたかとなると,これはまた別問題というべきであろう.グレシャムの法則をもちだすまでもなく,銀貨は金貨を駆逐し,紙幣は銀貨を駆逐し,良貨である金銀貨は退蔵されて実市場には悪貨たる紙幣のみが流通したと考えられる。現にまた「明治十一年度商況年報」は次のように明言する9).
我金銀貨ハ制度ニ於テハ何処モ迄正貨ナリ然レトモ方今ノ実際ニ於テハ殆ンド全ク二个ノ商品ナリ 何トナレハ内国ニ於テハ上諸租税ヲ初メ下日常ノ取引ニ至ル迄金貨銀貨紙幣ハ孰レヲ交附スルモ皆同一ナレバ何人カ敢テ斯ノ如ク払底ナル金銀正貨ヲ以テ紙幣同一ノ用ヲ為スノ処ニ用ン 只永久ニ貯蔵スル為メ之ヲ庫底ニ委積スル者若クハ観美ノ為メ之ヲ玩賞スル者正貨ヲ要スル而巳 其他ハ之ヲ有スルモ其相庭ノ上騰ヲ待ツ者ニシテ即商品トシテ之ヲ取扱フ者而巳
 かくして,実際取引がほとんど紙幣をもって行われたとすれば,その記簿計表もまた紙円をもって統一的に行われたであろう.そして政府もまた,その租説の大半を紙幣で受け取り,官吏給与・物品費・工事費等支出を紙幣で行い,したがって財政収支の大半は紙円価値によって統一的に示されたものとみられる.
 再びしかしながら,それにもかかわらず,政府が金銀正貨で資金を授受せざるを得ない場合もなお少なくなかったのであって,この場合の記帳が法制どおり金銀紙等価で行われたとすれば,その結果は金銀紙混計になっていたであろう.どのようなケースにおいてそのおそれがあったのか.節をかえてこれを論じよう.

 Ⅱ 院省庁支出「外国ニ関スル費用」

 まず,政府活動の第一線にたつ各院省庁の経費支出とそこでの正貨の払い出しがどのように行われ,どのように記帳されたかに関する考察から始める.
 各院省庁に割りあてられた予算経費の支出は,1876(明治9)年2月「院省庁現金納払規則」によって,大蔵省出納寮が一括取り扱うこととなった.出納寮は,各省庁の指図伝票にしたがい,その省庁月額予算の枠内で金銭出納を行うが,支出現金の支払・送金は紙幣を原則としたもののごとく,特に正貨を必要とする場合については予め国債寮において引替の上払出すこととしその手続は次のように定められた10).
 第十三条 洋銀ノ支払ヲ要スルトキハ該院省庁ニ於テ予メ国債寮へ引換方及相場等ヲ問合セ其高ニ当ル全額ノ仕払切符洋銀ノ本行ニ置キ通貨ヲ担書トスヲ製シ該局ニ送致スヘシ 然ルトキハ該局ニ於テ洋銀ヲ交換シテ之レヲ仕払ト雖モ預金ハ通貨ヲ以テ差引ヲナスヘシ 其余外国各種ノ貨幣ヲ仕払フモ総テ右ニ準スヘシ 但外国人給料等ニテ金銀貨ヲ要スルモノハ払切符ヘ金種類ヲ記載スヘシ
 まず金円・銀円の要求については,その払出しを極力抑制したことが上の条文からもうかがわれるが,万やむを得ぬ支出については金・銀・紙が等価で交換・払出しが行われたのである.また洋銀・洋金については,一定相場での紙幣への換算が行われたことが上に明らかであるが,その相場が市場相場であったか,あるいは国債寮の特定相場であったかは今知るところがない.
 ただし,当面の院省庁の払出しについては金貨ないし洋金のケースは例外的であって,ここでは考慮の外においてよい11).問題となるのは,円銀および洋銀の払出しであり,しかも銀貨騰貴・紙幣下落の著しくなる1877(明治10)年以降のことである.
 さて,各省の銀貨需要にたいしては,「洋銀」を要するものには洋銀相揚時価で,「円銀」を要するものは銀紙等価で(大蔵省国債寮において)交換交付してきたことは上述の通りであるが,いわゆる「銀紙の差」が連年拡大するようになると,この措置は大きく二つの矛盾をかかえることになった12).すなわち,(1)円銀の市場レートと公式レートが大きく乖離して銀紙等価交換がスムーズに運ばなくなったこと,(2)無理に公的交換を維持すると,ほぼ同じ実態価値をもつ洋銀と円銀の価格が大きく乖離することである.紆余曲折の末,1879(明治12)年9月12日にとられた「洋銀・一円銀並価通用令」は,奔騰する洋銀を一円銀に引きつけ,この一円銀をコントロールしつつ何とか銀貨全体の安定をはかろうとする銀貨価格抑制の苦肉の策であった13).
 しかしこの方策と同時に,財政出納上においては,これまでの銀紙等価交換を廃止し,円銀・洋銀とも全て銀貨は時相場をもって交換・払出しを行うこととした模様である.これは,お雇い外国人給料など直接的な銀貨需要をもつ諸省庁にとっては大打撃であった.その著例を1879(明治12)年11月22日付外務省伺に見よう14).
 本省雇外国人給料ノ儀ハ壱円銀を以テ相渡候筈ノ条約ニ有之候ヘトモ予算中ニハ紙幣ヲ以テ取調置時々同数ニテ大蔵省国債局ヨリ引替受来候処今般壱円銀ハ洋銀と並価ノ旨被仰出候ニ付交換ノ際紙幣トノ差違ヲ要シ候従前紙幣ト銀貨ハ同位ニテ交換相成候処如前顕差異ヲ要スル時ハ壱ケ年凡五千円本日二十一日取調ノ巨額ニ相成全ク定額金中意外ノ不足ニ相成候 即別紙貿易銀壱万六千四百円正貨ヲ以テ被相渡候カ若シ然ラサレハ交換差金御補足相成度両条ノ内御決定大蔵省ヘ御達相成度此段御伺候也
 同様の伺いは,陸軍省,海軍省その他からも陸続上呈され,1880(明治13)年3月22日の大蔵省上答を経て,1880(明治13)年4月7日「銀貨ト紙幣ノ交換差金各庁経費ヘ増額ノ儀」が太政官より各省便へ令達された.いま「外務省へ達」を例にとれば以下のごとくである.
 一.金六万三千五百六拾円 十二年度
 一.金拾弐万千弐百九拾円 十三年度以降一周年度其省並ニ在外公使及領事館経費中正貨幣交付ノ儀一切廃止候ニ付需要ノ節ニ臨ミ大蔵省国債局ニ就キ交換可取計 就テハ十二年度及十三年度以降ニ属スル雇外国人及在外公使領事館需用ノ正貨交換差額書面ノ通増額候条右ヲ以テ一切支弁シ不足ヲ生セサル様兼テ可相心得此旨相達候事
 これらによって,予算の編成・執行はすべて紙幣建で行われたこと,出納局は金銀正貨の交付を一切廃止し紙幣のみを交付したこと,各省庁は支出必要正貨を国債局におもむいて時価交換で調達したこと,ここに生ずる交換差損を補嗔するため(お雇外国人,海外留学生,在外公館の諸経費について)一定率の予算増額がみとめられたこと,等を知るのである.
 ところが1880(明治13)年後半から銀紙の差は益々拡大し,同年9月大隈参議の名において提出された「財政更革ノ議」を契機として大幅な財政改革――経費削減と正貨節約が実行に移されるに至った.この一環として一般歳出入予算とは別に,新たに「正貨予算」を組むことになり,各省庁の「外国ニ関スル費用」に従来の実績を大幅に削減した一定正貨額を割当てる一方,その枠内での1881(明治14)年度支出計画の具申を求めた(1880<明治13>年11月5日太政官達).
 ただし,以上の令達では「外国ニ関スル費用ハ悉皆正貨ヲ以テ相渡ス」こととされているが,「外国ニ関スル費用」中正貨を要しない分(つまり紙幣をもって支払いを行いうる分)まで正貨をもって支給することは,正貨節約の本旨にもとるため,太政官と各省庁の間で若干の応酬があった.結局,割当枠は正貨何円をもって設定し,実際の支払いは正貨必需の分のみは正貨,紙幣による換算払いが可能な分は紙幣をもって行われた模様である.当時における「外国ニ関スル費用」の具体的内容および支払区分を知る好資料を陸軍省について例示する.
 陸軍省の「外国ニ関スル費用」は,1880(明治13)年度には約50万円に及んだが,上記の事情により1881(明治14)年度予算は正貨30万円に削減することが厳達された.これを受けて,同省は「海外派遣将校留学生費其他諸器械物品等ノ内外国品ニアラサレハ実用ヲ為ササルモノノ外ハ惣テ内国産品ヲ以テ代用候様部内一般厚ク諭達」の結果,表補‐1のような正貨予算表を作成した.
 これを支払い区分により類別すれば,広義の「外国ニ関スル費用」は次の三類となる.
 (1) 在外武官・留学生の滞在費,武器・弾薬の直接輸入代金など,「全ク正貨(銀貨)ヲ要スル分」正貨258,139円.
 (2) 留学生の携帯旅費など,通貨(紙幣)で交付することも可能であるが結局は正貨に代えて支給しなければならない分,通貨約11,267円(正貨換算7,042円).
 (3) 居留地外商等を経由し間接的に輸入する物品代,在留お雇い外国人給料など,(正当な換算をもってすれば)通貨をもって支払いうる分,通貨47,938円(正貨換算29,961円).
 以上正貨換算合計額約295,000円で,30万円の枠内におさまっている.しかしこのうち,実際に正貨支給を要するのは,(1)と(2)の計,正貨約265,200円であり,(3)については通貨で支給されてもかまわない.ただし,(3)については価格の見積りちがいもあるはずであるから,当初からの正貨割当額30万円から正貨需用額265,200円を差引いた34,800円,これを通貨に換算した55,680円を(3)の予算額として認められたい.これが陸軍省の要求であった.
 こうして,1881(明治14)年度陸軍省予算「外国ニ関スル費用」のうち「正貨」要求額は265,200円となり,これだけの正貨支給枠が確保されたわけである.それでは,これら正貨の収支は,陸軍省の帳簿上どのように記帳されるのであろうか.これら正貨予算は他の紙幣予算とどのように合算されて陸軍省総予算を形成するのであろうか.これまた結局のところは正貨を集中管理する大蔵省国債局がどのような基準で正貨の払出しに応ずるかにかかっている.のちIVで詳説するように,これには大きく二つの方式があった.これを陸軍省予算について整理したのが,表補‐1のⅠ通常経費とⅡ作業費の区分であって,それぞれ次のような取扱いをうけた.
表補‐1 陸軍省明治14年度「外国ニ関スル諸費」予算調
 (i) 本省経費以下「通常経費」上の必要正貨は,通貨(紙幣)と「同数」交換をもって供給され,したがって陸軍省においても紙幣と「同数」をもって計算,記帳される.この額約156,840円.
 (ii) 軍工廠関係「作業費」上の必要正貨は,「時価」をもって通貨(紙幣)と交換供給され,したがって陸軍省においては紙幣価値に換算して,計算・記帳される.この額正貨にして約108,340円.
 「同数」交換が行われているということは市場価値の異なる銀紙が混計されていることであり,「時価」交換が行われているということは,すべての計算・記帳が紙幣価値に換算・統一されていることを意味する.この点から1881(明治14)年度陸軍省予算における混計問題を要約すれば次のようにいえる.予算総額約820万円,うち約16万円だけが純正貨で収支された額となる.結局,この事例に関するかぎり,正貨と紙幣の混計比率はまことに微々たるものと結論することができよう.

 Ⅲ 外債元利支払いとその邦貨計算

 前節では,財政活動の第一線にたつ各院省庁の経費支出を中心に,その「外国ニ関スル費用」およびそこに含まれる「銀紙混計」を主に考察した.本節では,上に含まれなかった「外国ニ関スル費用」のうち外債元利の支払い問題に焦点を合わせて論じる.
 明治初年における対外債務の元利支払い問題が,維新政府の財政収支ひいては国際収支に大きな負担となったことは史書のよく指摘するところである.これらのうち公的債務に属するものを大別すれば,(1)新政府が幕府から継承しあるいは新たに借替えた借入金,(2)新政府が旧諸藩に肩換りし対外責任を負った債務(3)旧幕・旧藩関係の外国資金,があげられる15).これらはほとんどが旧幕府時代からの継承債務であって,諸列強の帝国主義的要求を排除するうえからも新政府の実力を誇示するうえからも早急に処分する必要があった.実際,(1)は1870(明治3)年,(2)は1875(明治8)年,(3)は1874(明治7)年に早くも完済しており,維新草創の折いかにしてこの巨額正貨をまかない得たかという興味深い問題は別として,これらの債務は,当面の問題に関わりを持たない.
 明治10年代における外債問題は,1870(明治3)年起債の鉄道建設費調達を目的とする「九分利付英貨公債」および1873(明治6)年起債の秩禄処分費調達を目的とする「七分利付英貨公債」の2つの新型公債の元利払いがその対象となる.柴田固弘氏の整理に一部を補って2公債の発行条件を併記する16).

九分利付英貨公債
 一.総額 英貨100万ポンド(邦貨金貨換算額488万円)
 一.発行価格 100ポンドについて98ポンド
 一.政府手取額 100ポンドについて91ポンド
 一.抵当 帝国海関税収入および鉄道純益
 一.利子 年9分,1870(明治3)年8月から付し,毎年2月1日,8月1日の両回に支払う.
 一.元金償還 証券を10組各10万ポンドに分ち,3カ年据置後1873(明治6)年8月から1882(明治15)年8月まで10回毎年その1組ずつを償還する.

七分利付英貨公債

 一.総額 英貨240万ポンド(邦貨金貨換算額1,171.2万円)
 一.発行価格 100ポンドにつき92ポンド10シリング
 一.政府手取額 100ポンドにつき90ポンド
 一.抵当 地租米穀
 一.利子 年7分,毎年1月1日,7月1日に支払う.
 一.元金償還 元利混合済崩法により,2カ年据置後1875(明治8)年から1896(明治29)年に至る間毎年4月1日抽籤によって償還し,最終残額は1897(明治30)年7月に全部償還する.

 さて,以上の元利金支払いは,新貨条例にもとづく1ポンド=4.88金円の換算に従うかぎりは確定金額であるはずであるが,現実の支払邦貨額がこの金円換算額と大きくくいちがうことは,歳出決算統計の数字を見ればただちに明らかである.そこで,これら2外債元利金の逐年支払額を国庫決算額について整理すれば,表補‐2のごとくである17).
表補‐2 九分利付及び七分利付英貨公債元利支払額累年表
例えば「九分利付債」の元金償還についていえば,毎年英貨10万ポンド,金円に換算して488千円ずつ支払うべきはずのところ現実の支払い金額が全くマチマチであるのは何故であるか.当然次の二つの事情がかさなった結果であった.
(イ) 英貨を買入れる支払手段に,金,銀,紙が併用されたこと,すなわち『明治財政史』第9巻の当該表の備考が述べるように,「九分利付債」については「本表ノ金員ハ八期マテハ金銀貨ニシテ八年度ヨリ十四年度マテハ金貨又ハ紙幣ナリ」,また「七分利付債」については「表中支払ノ金員ハ八期マテハ金銀貨ニシテ八年度ヨリ十四年度マテハ金銀又ハ紙幣十五年度以降明治三十年十月貨幣法実施マテハ悉ク銀貨ナリ」.
(ロ) 金銀紙価の乖離の結果,銀あるいは紙で買う英貨の価格が上昇したこと,すなわち『明治財政史』のいうところの「紙幣ヲ英貨ニ換算スルノ標準タル洋銀相場ノ騰貴シタルト(銀ニ対スル)英金為替相場ノ高貴ナリシトニ由リ伝々」(第9巻,226ページ)の意味するところである18).
 要するところ,決算書に見られる外債償還額が年々変動しているのは,それぞれ相対価値の変動する金円・銀円・紙幣を混合して金ポンドの買入れにあてたためである.
 以上はそれでよい.そこで次には,決算書に掲載される外債償還の邦貨額は,具体的に支払い基金に混合して用いられた金・銀・紙円の価額をそのまま単純に合算したものであるのか,あるいは各価額を銀円ないし紙円価値に換算したうえで合算したものであるのか.まさに本稿の主題がここでも問題になるはずであるが,管見のかぎり,これを論じた文献を知らない.したがってここに十分な証拠を示して断言はできないのだが,前述のような「国庫ノ帳簿上ニハ金貨一円ト銀貨一円トハ同価ニ記セリト知ルヘシ又紙幣一円モ帳簿上ニハ金銀ニ対シ差価ヲ付スルコトナシ」という一般的原則,および表補‐2と次節表補‐3を比較検討した結果から類推するところ19),この数字は金銀紙円が未調整で合算されていると判断する.すなわち,金貨・銀貨・紙幣をまぜ合せて外貨を収得する場合の邦貨額というのは金銀紙混計になっていると思われるのである.
 それでは,これら外債元利払いの金払い・銀払い・紙払いの構成比はどのようなものであったか.今のところこの資料をもたないけれども,前述(イ)および他の事情から類推して,(a)紙による支出は僅少であったこと,(b)1880,81(明治13,14)年以前は概して金が主,銀が従であったこと,(c)1882(明治15)年以降はすべて銀による支出であったこと,が一般論としていえそうである.ただし当面1881(明治14)年については後掲表補‐3からもう少しくわしくわかる.この年,外債元利払い合計約1,800千円,うち金貨払いが約134千円,銀貨払いが約1,656千円.これらが,概して紙幣建を原則とする歳出入統計に未換算のまま混計されているというわれわれの主張は,これまでの財政統計が対外債務支払いを相対的に過少評価しているという結論を導くことになろう.

 IV 1881(明治14)年度「正貨収支概計表」

 前2節では,それぞれ,各院省庁における対外支払いと正貨払出しの問題,および政府対外支払い中では最大の比重を占める対外債務支払いとそこでの混計問題を取りあつかった.それでは,それらを合わせて,政府全体としての正貨勘定はいかなるものであったか.幸いなことに,この問題に対する絶好の手掛りとして1881(明治14)年度に関する正貨収支予算の概計書なるものを見出したので,これを表補‐3に整理して掲げる20).
表補‐3明治14年度正貨歳入出予算概計表
 本統計は,「正貨」収支に関する一種の予算書であって,はじめ会計検査院「明治十四年度歳入出予算調査規程」にもとづき大蔵省が作成した「明治十四年度歳計予算書」(1881<明治14>年5月上申)に添付されたものにはじまり,その後各省の増額要求と太政官裁定をくりかえした末1881(明治14)年10月31日現在で確定した「正貨幣歳入出概額総計表」による.当時が大隈財政の最末期にあたり,1880(明治13)年9月以降いよいよ本格的な紙幣銷却・正貨蓄積の方針が確定する時期にあたっていることが興味ぶかい.ただし,松方財政以前の予算額であるために準備金による正貨増殖などが本格化する以前のデータである点,あるいは今のところ同年単年の資料しか得られないため時系列比較ができないことなど限界をもつが,しかし1881(明治14)年度という対象の時期といいその内容の豊富さといい,当時の正貨収支の実態を知るうえで類を見ない好資料といってよいであろう.
 財政活動中の正貨取得の源泉と正貨支出の用途およびそれらの比重が一見して理解しうる.しかもそれが,金貨と銀貨に分類計上されていることもめずらしい.しかし特別に注目に値するのは「交換方法」なる欄であって,これによって,正貨の集中管理を行う国債寮(局)からの金銀貨払出し=紙幣との交換が「同数」と「時価」の二方法に分けられていたことが確認されると共に,費目によるその類別を詳細に知ることができるのである.
 まず,「同数」というのは,国債寮(局)における紙幣との交換が金銀紙等価同数で行われることを示す,一方「時価」は,同じく紙幣との交換が時相場をもって行われるものである.その類別を大まかに見ておけば,まず各院省庁の収支では,大略,経常費が「同数」,事業費関係は「時価」であることが観察される.そのほかに収入では,海関税など税収は「同数」,準備金による正貨増殖,地金銀の買入等は「時価」,支出では,比重の高い外債関係支払が「同数」である.
 金貨については,その収入はほとんどが「時価」,支出はほとんどが「同数」という対比を見せるが,全体に占める比重は小さいので大きな問題とならない.正貨収支の大半を占める銀貨については,収支共に圧倒的に「同数」が多いことが知られる.
 さて,これら各費目の正貨収支は,「同数」ないし「時価」に応じて国債寮(局)において紙幣と交換され,その紙幣額をもって,一般の歳出入予算の中に組み込まれたわけである.したがって「同数」の揚合は金・銀円がその法定価格のままに紙円と等価にあつかわれることになり,「時価」の場合は紙幣円に換算して計算・記帳が行われることになるわけである.
 そこで,1881(明治14)年度歳出入に占める正貨収支の比重,さらにそのうち混計部分の比重を知るために,次の計算例を示す21).

<正貨収入の部> 円
 金貨 144,624.499
 うち同数 22,460.609
 この紙幣交換額 22,460.609

 時価 122,163.890
 この紙幣交換額 207,678.613
 この紙幣交換額計 230,139.222

 銀貨 3,879,146.461
 うち同数 3,016,854.095
 この紙幣交換額 3,016,854.095
 時価 862,292.366
 この紙幣交換額 1,379,667.785
 この紙幣交換額計 4,396,521.880

 金銀貨計 4,023,770.860
 うち同数 3,039,314.704
 この紙幣交換額 3,039,314.704
 時価 984,456.256
 この紙幣交換額 1,587,346.398
 この紙幣交換額計 4,626,661.102

<正貨支出の部>
 金貨 144,624.499
 うち同数 138,974.499
 この紙幣交換額 138,974.499
 時価 5,650.000
 この紙幣交換額 9,605.000
 この紙幣交換額計 148,579.499
 銀貨 3,879,146.461
 うち同数 3,032,365.561
 この紙幣交換額 3,032,365.561
 時価 846,780.900
 この紙幣交換額 1,354,849.440
 この紙幣交換額計 4,387,215.001

 金銀貨計 4,023,770.960
 うち同数 3,171,340.060
 この紙幣交換額 3,171,340.060
 時価 852,430.900
 この紙幣交換額 1,364,454.440
 この紙幣交換額計 4,535,794.500

 ここから知られることは,1881(明治14)年度の歳出入予算総額68,573,995円に対し,うち正貨をもって収支する額が約460万円,およそ6―7%,さらにそのうちで(紙幣建に換算されず)金銀円のままで予算に混計されている部分は約300万円,全体のおよそ4―5%にあたるという事実である.

 むすび

 (1) 明治前期の財政統計は,「金銀紙混計」すなわち尺度の異なる諸円を単純に合算するという統計上の問題を内蔵している.
 (2) しかし,原則的には,当時の政府資金の収支および記帳はほとんど「紙円」をもって行われたといってよい.
 (3) 正貨収支が問題となるのは特に対外支払いに関係する.ただし対外支払いがすべて正貨を必要としたわけではなく,「全ク正貨ヲ要スル分」はその一部に止まった.
 (4) さらに,正貨をもっての収支についても,その記簿計帳には二つの異なるあつかいすなわち「同数」と「時価」があった.
 (5) 「紙円」を基準とする数値の中に「銀円」「金円」が混在するという「混計問題」は,正貨収支が「同数」をもって紙幣と交換され,記帳された場合である.
 (6) 「混計」の期間については,可能性としては,銀紙については1886(明治19)年銀本位制の確立まで,金銀については1897(明治30)年金本位制の確立までを含むと考えられる.しかし現実には銀本位制の確立する1886年を終期と考えてよく,始期もまた銀紙乖離・金価騰貴の明らかになる1877(明治10)年と見られる.さらに限定すれば,1879――82(明治12――15)年の数年間の銀紙混計が主要な対象となるといってよい.
 (7) 以上要するに,財政統計とくに歳入出統計における「混計」問題は,歳計全体としてみればとりたてて問題にならないかもしれない.ただし費目によっては,たとえば外債支払のようにほとんどが金銀円による計算になっており,紙幣円に換算統一した価値とはかなり乖離している場合がある.問題の所在の確認と数値利用にあたっての注意は不可欠である.

 [注]
 1) これら諸円の沿革と相互関係の略史については,拙稿「明治初年の「円」――金円・銀円・紙円に関する予備的考察」,『商大論集』(神戸商科大学)第32巻第5号,1981年3月,参照.
 なお金・銀・紙円の相対価値の変化を見るため図補‐1を示す.
 2) このいい方は不正確であるが,いま仮にこういう.
 3) 御厨貴『明治国家形成と地方経営』,東京大学出版会,1980年,37ページ.
 4) 高橋誠『明治財政史研究』,青木書店,1964年,76ページ;遠藤湘吉「財政制度(法体制準備期)」,『日本近代法発達史』4,勁草書房,1958年,参照.
 5) 『明治財政史』第4巻,556ページ.
 6) 『明治財政史』第1巻,648ページ以下.なおあわせて『明治財政史』第4巻,845ページ以下,1875(明治8)年12月制定「簿記規則」をも参照.
 7) 以上では,普通銀貨と貿易銀を区別してあつかっている.ここでいう「貿易銀」とは,1875(明治8)年2月―1878(明治11)年11月の間発行されたいわゆる420グレインの増量貿易銀をさすものと思われる(普通円銀は416グレイン).しかしこれは1878(明治11)年11月には鋳造が中止されており,その後一般的には,普通円銀を指して貿易銀という.
 8) これをより直接的な表現でいいあらわした例は「紙幣整理始末」にみられる.
「而シテ我国貨幣ハ両本位ナルヲ以テ国庫ノ帳簿上ニハ金貨一円ト銀貨一円トハ同価ニ記セリト知ルヘシ又紙幣一円モ帳簿上ニハ金銀ニ対シ差価ヲ付スルコトナシ」(『明治財政史』第11巻,103ページ)
 9) 『明治前期産業発達史資料』別冊18―3所収,第2款,12ページ.
 10) 『明治財政史』第4巻,644ページ以下.
 11) 特に金貨を要するケースについては,表補‐3を参照されたい.
 12) 洋銀と円銀は本来同価値のはずであるが,「貿易通貨」としての歴吏性をもつ洋銀はそれ独自の需給関係により特殊な洋銀相場を形成していた.ただし,紙幣と円銀が市場でほぼパーで通用し,洋銀相場もこれと微小な差異しかもたなかった1877(明治10)年以前においては,以上のような措置は会計上ほとんど問題を引き起こさなかった.これが問題となるのは,西南戦費に不換紙幣が流通界に投じられた結果,紙幣価値に大幅な下落が生じ,紙幣と銀貨(洋銀・円銀)の価値間にこれまでにない大きな格差が生じることになった.これを「銀紙の差」という.前掲拙稿ならびに拙稿「幕末・明治期の横浜洋銀相場」,新保・安揚編『近代移行期の日本経済』,日本経済新聞社,1979年.
 13) 大隈財政下における銀貨価格抑制政策の経緯と意味については,前掲拙稿,洋銀相場,参照.
 14) 『太政類典』第4編第48巻.以下,本節の記述は『太政類典』各編「財政門」の記録による.
 15) 柴田固弘稿「資本蓄積における外資の役割」,松井清編『近代日本貿易史』第1巻,有斐閣,1959年.
 16) 柴田,上掲論文,および『明治財政史』第8,9巻.
 17) 厳密にいえば,表補‐2のすべてが国庫決算額とはいえないが,当面の問題に関係しないので,略してこういう.詳しくは『明治財政史』第9巻,233-34ページ.
 18) 英貨を邦貨(紙幣)に換算するのに,まず英貨――洋銀の為替相場を取り,ついで洋銀――紙幣の洋銀相場を取ったことがここから知られる.日本の外国為替相場がその初期においては洋銀を媒介にしていたことは実はかなり興味ある事実である.これについては近く別稿で考察する.
 19) 表補‐3,1881(明治14)年度正貨収支概計表,歳出の部,国債償還,外国債の項を見るに,銀貨827,866円,金貨134,217円で計962,084円,これは表補‐2の1881(明治14)年度元金償還支払額合計952,470円とほぼ合致する.またこれら金・銀貨が紙幣と「同数」交換の関係にあったという事実は,前節でふれたとおり金・銀・紙混計が行われていたことを意味する.
 20) 『太政類典』第5編第33巻「十四年度歳計概算書及正貨概算書」および第6編第25巻「正貨幣収支概計表并仕譯書」.
 21) 金銀貨の紙幣との交換時相場は,各1円70銭,1円60銭である.
 [山本有造]