実業教育

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実業教育

わが国産業化と実業教育

論文タイトル: 終章
著者名: 豊田 俊雄
出版社: 国際連合大学
出版年: 1984年
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終章

 われわれがみてきた「実業教育」は,わが国の現在の教育からは,想像するのもたやすくない遠い昔のものになりつつある.
 しかし数十年まえには,わが国の近代化を押しひらくものとして輝かしい存在であった.徒弟学校も,実業補習学校も,それぞれ当時の産業化の実態に見合った役割を,積極的に果たしていたのである.
 すでにみたように,今日の第3世界において,一部の東アジア諸国をのぞくと,実業教育は,いまスタート線上にある.初等,中等教育の普及と拡充に精一杯であったこれらの国々も,いま漸く,「実業教育」のプランニングにとりかかった段階である.わが国が試行錯誤をくり返しつつ達成した実業教育は,すでに本書の読者によって十分理解されたにちがいない.ここでは結びとして,わが国の教育の現状を通覧しておきたいと思う.
(1) 初等,中等教育の充実
 わが国の明治以来の教育の中で,もっとも充実したものは義務教育を中心とした庶民教育の普及と発展であった.義務の年限は4年から6年,6年から9年と着実に延び,100%に近い就学率を達成して,どこの国にも遜色のない状態にある(高等学校への進学率94%).
 生徒1人当たりの教育費は,現在アメリカに匹敵し,教師の学歴水準も,小学校で4年制大学を卒業した教師は40%を越え,中学校では60%を越え,高等学校では90%に近づいている.
 こうした環境の中で生徒の学力水準も高い.日本の小・中学生の学力は国際的にみてきわめて高いといわれる.ユネスコが中心になって行った国際教育調査によると,昭和45年(1970)(数学,理科に参加),第1位ないしはトップクラスであった.
(2) 高等教育の大衆化と諸問題
 日本の社会は,戦後,産業構造の変化や都市への人口集中などによって大きく変容したが,高等教育の拡大はきわめて大きく,急速な経済成長のなかで,急激な量的増大をみせた.第1図に明らかのように,高等教育機関の在学者数は明治以来,徐々に増加し(戦時中も増大),戦後第2次,3次産業の発展,学校制度の変革,卒業者に対する需要増大などによって,急激に拡大した(昭和35年(1960):20万5,000人,昭和52年(1977):62万人,ほぼ3倍増である).そして最近は,同年齢層のうち,36―37%が進学するに至っている.
第1図 高等教育機関在学者の推移
 しかし問題は余りに多い.いちじるしい落差が高等教育には存在する.
 第1は私学依存の体質である.全大学生の8割近くが私立大学生である(ア
メリカでは,約1,000万人の大学生の25%が私立大学生).
 第2は,大学院の規模の小ささである.いま満22歳で切ってみると,大学ないし大学院に在籍する者の比率は,アメリカ16.3%,イギリス5%,フランス9.6%,ドイツ13.2%であるのに対し,日本は僅かに1.3%にすぎない.日本では満22歳になると,官庁,商社などに就職してしまい,大学院において研鑽を積む者がほんの一握りになってしまう.高度の教育において,わが国は底が浅く,大学院教育に関する限り,日本は発展途上の状態にあるのである.
(3) 戦後の工学教育の特質
 アメリカ,ヨーロッパの科学技術の水準に比べ大幅なギャップが存在し,それにできるだけ早くキャッチアップしようとする戦略をとる限り,わが国の高度工業教育の行った選択は優れたものであったと言えよう.
 現在わが国は科学技術者の数からみても,先進工業国中アメリカ,ソ連に次いで第3位の量を誇り,また,産業の生産高だけでなく,論文数,特許数などの指数でみても研究開発の成果はめざましいものとなっている.しかし,前述のごとく大学院教育は弱体であり,質の高い技術者の養成において中枢の役割を果たすべき大学院は,極論すれば戦後30数年にわたって放置されたままである(修士・博士号の所有者は,企業において必ずしも尊重されない).
 創造的技術の開発は,わが国の教育や産業が国際的に担わされている最大の課題である.発明(インベンション)や技術革新(イノベーション)の分野において,創造の名に価するものは,着実な基礎研究の上に花開くものであろう.わが国の産業界,経済界は,ドルショックやオイルショックを契機として,大きな犠牲をはらいながら,新しい状況に対処するため体質改善を進めてきた.わが国の工業教育がどれだけ自己革新を進めていく能力を具えているかに,明治以来百年,わが国の近代化,産業が経て来た苦闘の途に,一つの光明がある.そのためにも,大学教育および科学技術政策そのものの研究が必至なものとして要請されている.
(4) おわりに
 本書は,わが国の実業教育が,産業化の過程において果たした役割について考察してきた.おわりにのぞみ,実業教育を創始ないしは発展させようとしている途上国を念頭において,わが国実業教育の特質的側面をいくつか書きとめておきたい.
 イ) よき社会環境――実業教育が樹立された社会的環境は,一般教育の場合と同様,多くの望ましい条件を備えていた.日本の社会は,人種の面でも言語の面でも同質社会であり,人々の識字能力も知能レベルも早くから高い水準をもっていた.
 ロ) 柔軟な学校制度――学校の種類は,農業から裁縫・家事まで多彩であり,授業も,昼間・夜間,全日制・パートタイム制と多様であり,修学年限も,6ヵ月~4ヵ年と幅があった.学校の制度はこのように柔軟であり,産業化の動向に応じて目まぐるしいまでに改廃された.
 ハ) 充実した非正規教育――産業社会が必要としながら正規の学校の提供しえない技術・技能は,企業内教育と各種学校がこれを強力に補った.この二つは,とかく机上のものになりがちな学校教育に替って,日本の産業発展の現場を支えた.
 ニ) 熱意ある教師と勤勉な生徒――教育の成否は,教師と生徒の緊張度によって左右されるが,日本の実業教育には,指導側(教員・職人指導員)と生徒間に真剣な空気がみなぎっていた.教師は新しい技術を熱心にとり入れ,生徒はそれを熱心に吸収した.
 ホ) 積極的な教育政策――政府の教育施策は,財政力の弱い明治期においても積極的であった.「実業教育費国庫補助法」明治27年(1894)はその最たるもので,来るべき産業界の需要を先行投資的に整備した.優れた校長をうるために県知事同等の給与を用意し,教科書の早期翻案に新帰朝者を活用したりした.こうした施策は民間の支持によって,産業化の道を拓く実業教育を実現したのである.
 [豊田俊雄]