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技術と社会:日本の経験

論文タイトル: まえがき
著者名: 林 武
出版社: 国際連合大学
出版年: 1986年
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まえがき

 本書は,国際連合大学がアジア経済研究所に委嘱してきたプロジェクト「技術の移転・変容・開発―日本の経験―」の総括報告である.
 作業は1978年1月から始まって1982年12月にいたるまで,満5年にわたって行われた.
 その成果は,本書に先立って,すでにこのシリーズで公刊されているし,このあとにも続くことになっている.また,このシリーズとは別に,限定配布ではあったが,「ワーキング・ペーパー」と称される個別論文ごとの印刷物が公刊されてきている.その数は85点(と英文版42点)におよぶし,目録も国際連合大学から出版されている.
 国際連合大学は,その既刊の印刷物とこのシリーズとを別個のものと性格づけており,このシリーズについては,特別の原則と審査機構とをもって対応している.出来るだけ沢山の労作が世界に問われることを,出版権は国際連合大学にあるから,この研究作業の設計者として私は切に願っている.
 それと言うのも,作業にかかりきった5年間を通じて,全国各地の研究者・専門家120名以上の方々から熱心な協力をいただいたからである.それがなければ,このプロジェクトが所定の方向と水準とで完結されるべくもなかったのは改めて申し述べるまでもない.
 そういう方々への心からの感謝をこめて,それぞれの論文が,作業の全体のなかでどういう位置を占め,どのような意味と価値をもつのかを,大まかにもせよ総括して,案内板の役目を果たす作業を急ぐことが,企画者であり総括編集者であった私の責任ではあるだろう.それが本書である.
 とは言え,5年間の作業に先立って,1年間の準備期問をおき,合計で6年をかけて沢山の分野にまたがる専門家の協力をえて行われた仕事であるために,日本研究とか技術問題とかに馴染みのないことを長らく手がけてきた者としては,果たして大過なくその活動の全貌を総括できているのかどうか不安である.
 だが本書は,産業技術そのものばかりか,経営技術や技術管理にまでおよぶさまざまの問題について,専門家が寄せて下さった論文をただ紹介することを,任務としているのではない.圧縮し要約することで全体をとりまとめるという作業ならば,すでに国際連合大学に提出ずみの「最終報告」(英文)がある.
 この報告は,それとは別の性格と内容のものになるのは当然である.基本設計の意図と,それに基づいてなされた協力者たちとの共同作業・対話についての総括,それが本書である.だから,このシリーズに収められる他の専門的業績とは等価でありながら,どの専門的分野にも属さない,独自の専門的作業として性格づけられるべきものが本書である.主題や論点の細目に立ち入れば,学術的な営為としては当然のことながら,日本研究の専門家とは判断や視角が違うこともある.その詳細を理由づけることまでは本書の任務と思われていない.それは,読者として想定されている人たちにかかわることでもある.
 何よりも,本書は,私たちの作業全体を展望して,「日本の経験」に関心をもつ,世界中の,とくに第三世界の,知識人・実務家たちと,国際連合大学の提唱するユニークな知的活動の方法である「対話」を展開するための素材なのである.
 南北問題,または開発問題がいま全人類の生存をかけた緊急な問題であり,その問題の解決には既成の立論やモデルがすべてその歴史的役割を終えたか,もはや有効性は極限されているとする認識の上で,可能な限り諸国民の経験を洗いなおそうという切実な必要が日本にも眼を向けさせているのである.にわかに強まり膨張しつつあるそうした日本への関心に応えようとするささやかな試みが本書であり,そういう意図がこのシリーズ全体を貫いている.
 いま第三世界の諸国から日本に寄せられている関心と要求とはまことに種々雑多としか言いようがないことを,私は国際連合大学が主催し関係してきた数十回,合計数百日に達する会議やセミナーを通じて,経験させられた.日本への関心と情報量とが一定の水準に達すると,要求が高度化し多角化することもまた痛感させられた.
 その全部に応えることは,もとより本書だけでできることではないが,頻度の多かった質問や重要な問題(だと主張されたこと)には,何とか応えようとした.
 けれども,我々が伝えたいことと,相手側が知りたいらしいこととの間には小さくはない溝があることは確かである.また,伝えたかったことが,こちらの意図通りにはなかなか伝わり難いことも重ねがさね経験した.
 さまざまの錯誤や交通渋滞を介しても,結果としては,本書が手がかりになって,このシリーズや既刊の論文が開発問題の解決に,間接的にでも,役立つ情報源となったり,「対話」がより広角度から,またより具体的な細目に立ち至って,さまざまに発展する契機になることがあれば,それで本書の任務は第一次的に完了するし,そのことが本書の名誉となる.
 この報告は本来ならば,1983年の早々にも完成されていなければならなかったものである.それが,こうも遅れたのにはいくつも理由があった.その一つには,83年度が,次の期間である84-85年の研究作業の中間にある,準備期間とされていたという事情があった.国際連合大学の「日本の経験」プロジェクトが発展的に解消されて,高次元で多角的な国際比較研究を試みるための,マスター・プランを構想する仕事と重なっていたのである.その仕事は手順として,アジア・アフリカ・中南米の諸国で,知識人・実務家たちと「対話」形式のセミナーを重ねることから始まる計画になっていた.そういう仕方で,問題の策定と調整を行うという国際連合大学との取決めであった.そうした大がかりな作業は,まず,日程の調整だけでも容易でない.また,問題が輻=しているので,安易な総括や捨象は許されない.結局は,その作業の一部を消化し,予備的な作業計画を提出したに留まった.このあとの作業は,国際連合大学が具体化の責任をもつだろう.アジア経済研究所の,そして私の,責任はこうして終った.
 そういう交渉と作業が入っていたために,私は最終報告の執筆に集中することができないでいたが,いまやっとその時間を与えられ,アジア経済研究所は一切の仕事から解放してくれた.
 国際連合大学には,しかし,この総括報告とは別にさきに述べた「最終報告」(英文)がすでに提出されている.それは私のスタッフの(とくに伊藤正二の)努力によるところが大きかった.実務報告的な性格をもつもので,400字詰の原稿用紙で10,O00枚以上になる協力者たちの作業を忠実に要約している点では本書より優れているだろう.
 本書は,その点では,読者を限定的に想定して,準備作業の段階から完了まで終始この仕事に立会ってきた私の,とは言っても内外の多数の協力者に扶けられての,いささか自由なスタイルによる総括である.本書は発展途上国の知識人を読者と想定して書かれているが,日本の読者から是非ともご叱正を頂きたい.多くの錯誤や不備があるに違いないからである.訂正していただいてから本格的な「対話」に臨みたい.
 6年という時間は決して短くはない.さまざまな馴れない仕事に忙殺されたという意味では夢中に過ぎた時間だったが,未知の分野の研究に手を染めて納得がゆくまでのものにするためには,長いとは言えない時間であった.その意味では,本書は多くの人,多くの書物に依存するものでありながら,読者にとっての煩瑣をさけるべく,典拠を挙げていないし,学術的なオリジナリティなど主張するつもりもない.そのことに免じて先達の著者たちのご寛恕を請いたい.そして本文中では一切の敬称を省いてしまった.御海容いただきたい.紙幅の節約のためである.引用文献の細目も省いたのは,いまとなってはどこまでが先達の記述でどこが私のものかも記憶が定かではないからである.オリジナリティを主張しない理由がそこにもある.また,著者や資料の原意に叛いた利用も多いかも知れない.詳細は,このシリーズの各巻で言及されている文献の記録を参照してほしい.本文中に[ ]欄で記されている人名は協力者であり,労作を検出する便宜とした.また英文文献については[多田博一]による目録がワーキング・ペーパーの中に収められている.
 いま改めて顧みれば,この数年間に技術問題には大きな変化があった,と思う.我々のこの問題との取組みも,軌道修正を繰り返してきたことは確かである.しかし,技術問題をめぐる状況の変化に対応するような軌道修正はできなかった.微調整の程度のことに留まった.ここでいう大きな変化とは,世界同時不況が深刻化するにつれて,現状打破への期待が新技術と技術革新に寄せられることなみなみではなく,それが「日本の経験」についても一挙に脹れ上がってくる思いをさせられたことを指す.最先端技術への期待や危倶を,急いで採りこむような軌道修正をしなかったのは,開発問題との関係からして,さしあたり必要ないと判断してのことではあったが,そこに我々の技術観と開発問題観が反映しているとも言えよう.
 むしろ注意を喚起させられたのは,開発と技術移転にまつわる怨嗟の声が年とともに大きくなってきたことであった.時には,それが日本の経済進出と技術協力に対する手厳しい批判のみ[・・]になっていることさえあった.国ごとにその反応は一様ではなかったが,受益者と被害者の対照は鮮明であった.我々は技術を工学的にだけ捉えるのではなく,五つの構成要素5Msで捉えなおし,技術移転から自立までを五つの段階に区別して作業をしてきたが,それでさえ未だ充分ではないことを,各国での「対話」セミナーや調査から痛感させられた.とくに環境問題・公害問題の深刻化がいま第三世界では切実である.開発や開発援助にまつわる「技術移転の政治学」ないし技術(移転)の政治問題が各地で緊張と熱気をはらんでいる.
 技術問題をめぐる彼我の情況がこうも違うので,我々の「対話」の相手方から注文がつくことは自明と言わねばなるまい.それほどに各国の事情は厳しくなってきている.
 我々の基本的立場は,手短かに言えば,開発にとって技術は不可欠であり,開発への協力や援助はやがて協力や援助がなくても済ますことができるようにするためのものである,と言うところにある.したがって,技術移転もまた各国の技術自立のためになるものでなければなるまい.だが,問題は巨塊の相を呈していて容易に砕き難い.技術は,そして技術移転は,これまであった問題を解決することよりは,むしろかえって複雑にさえしているように思える.開発の現状がかかえる問題は,発展過程における過渡的な現象だから,もっと積極的かつ継続的な技術の移転がなされれば解決する,というふうには思えない.かと言って,いまここで中断することもまた混乱を大きくするだけであろう.そういう困難をいま開発問題はかかえていることで,「日本の経験」に対するいら立ちをこめた注文が,各種各様の内容になる他ないことを私たちは知らされたのである.
 だが,その上で,なお,「対話」の第1着手としては,技術問題の枠組を一挙に拡大することも適当でないと思う.技術問題には技術固有の内部メカニズムがあるので,そのことを注意深く検討することなしに,技術問題を開発一般の問題(とその政治学)に吸収させてしまうならば,技術的対策や解決が可能なことまでが曖昧にされてしまい,解決を急ぐよりは放置することに存るだろう.問題の巨大さに比べれば,回答しようとしていることが,まことに小さいものでしかない,と評されることを我々は予想している.
 これまでにも,我々の作業や方法が「価値自由的である」との批判を受けることがあった.けれども,個別的・産業分野ごとの分析からは,決して一律ではない各国の事情と問題についても,何か具体的な事例を介しての問題対比または照合の契機が探り当てられるだろう,それをやりたい,という意図がこの作業方法には込められていた.
 過度の一般化を性急に求めることは,すでにこれまでの研究史が物語るように,戒められねばならない.しかし,過度に詳細な歴史的記述に終ってしまうことも「開発問題」とのレレバンスからすれば適切ではない,とする判断がそこには働いている.技術問題にまつわる「日本の経験」という歴史の断面は,ここでは中間的ないし中範囲的な作業として総括されている.別に言えば,技術問題に関する杜会科学的な対応,すくなくとも技術と開発についての広義における,コンベンショナルではない社会学となることが理想とされている.
 6年にわたる全期間を通じて誠実きわまりない協力をしてくれた多田博一,そして起業の負担を分け合った平島成望の二人とは,いまなお新鮮な当時の記憶を共有している.この二人がいなければこの仕事は出発できなかった.そして伊藤正二を中心とするスタッフの努力がなければ終結できなかった.また明峯晶子は本務の他に編集の実務を担当して,このシリーズ全体の刊行に尽力してくれた.このようなスタッフに恵まれて事務局の仕事ははかどった.アジア経済研究所の全体が,こうした人材を私の希望に応じて割愛する支援体制をとってくれた.このことによって,内外の専門家の協力を組織することができたのである.
 国際連合大学のプロジェクトを受託することは,当時の鹿子木昇所長の決断によるものであったが,支援体制はアジア経済研究所の基本方針として完了時まで引続いた.同研究所が開発問題の専門機関として特株な法人格を与えられているからには,「開発問題としての近代日本」の研究をすることは,本来的な任務の一端であるとする判断によってのことである.
 日本研究の専門機関ではなく,日本研究の専門スタッフをもたないアジア経済研究所が国際連合大学から委嘱を受けたこと自体を奇異に思われたむきも少なくないに違いない.
 開発問題として近代日本の研究をするという問題発想は,開発問題に集中してきた我々にとってさえ新鮮な国際連合大学の発想であった.開発問題はいまやグローバルな死活問題であるから,すこしでも有用な情報があれば活用しなければならない,という緊迫感の産物であって,日本がモデル化されるべきだということではない筈である.かと言って,貴重な国民的経験なのだから無価値とするのも当らないし,無視させてよいことでもないだろう.世界中の諸国民の経験と等価・対等な日本人の経験なのだからである.
 この点で,「日本の経験」プロジェクトは従前の学界的蓄積とは異なる問題発想と課題を背負わされていたことになる.それが理由で,近代日本の研究史上では当然ご教示を願わなければならない立派な業績をすでに挙げておられる方々でも,失礼申し上げるということがあった.熱心に協力を申し入れて下さった方々も有難いことに内外から非常に沢山あった.けれども,主題の性格や作業手順の都合から,そして何よりも,事務当局の負担能力に限度があって,ご辞退申し上げることがあったのは残念なことであった.ご親切な指示やお申し越しにも同様の理由で申し訳ないことをしてきた.とくに記してお詫びとお礼に代えたい.
 その他に,私どもとしては是非ともご助勢いただきたかったのに,本務の都合や日程の調整がつかず涙をのむという場合も少なくなかった.
 国際連合大学から受託した作業のなかには,研究作業そのものとならんで,それと同等の比重で研究者リストの作成とネット・ワーク造りをすることが入っていた.失礼申し上げた方々のお名前や業績は同大学に報告済みであることを念のために申し添えておきたい.しかし,我々としては,気負いのあまり規模を拡大しすぎたのではなかったか,という反省さえなくはない.けれども,「開発」問題そのものの性格からして,これでさえなお充分ではないだろう.他方では全国に根強く潜在する研究者・専門家の参加意欲を汲み上げきれなかったのを遺憾とせざるをえない.日本の研究者が国際連合大学に寄せた期待の大きさと,国際連合大学当局の方針のはざまに我々は置かれて,その文化のギャップに苦しむことが多かったことは記しておくに価するだろう.
 開発問題や技術移転問題の観点から,是非とも手がけたかった「地域研究」には北海道と沖縄の事例がある.それらの「地域研究」は,このプロジェクトで取り上げられなかった造船・機械・化学工業,さらには電子工業などの最先端技術分野とは別の意味で,重要な主題だといまでも思っている.別に機会があれば,私たちは手掛けるけれども,いずれは,誰かがきっと補ってくれるだろう.
 とまれ,この「日本の経験」の作業は,第三世界の学者たちと共同の作業や調査を基礎とした,方法的「対話」に特徴があった.その仕事をすすめる上で,途上国の主要な大学や研究機関に派遣・駐在しているアジア経済研究所の職員たちの協力があって,我々はその任務を果たすことができたのでもあった.
 やっとここまで辿り着いた,という思いのなかには,我々がそれをやれたといういささかの安堵がまぎれ込んでいる.その限りでは,顧みて満足できないことも多いが,ささやかに自足することが許されてもよいのではあるまいかと感ずるのは私一人のことでなくて欲しい.
 まことに沢山の方々のお世話になったものである.その中には,当方の需めに応じて貴重な社史その他をご寄贈いただいた諸会杜からの協力があったし,快く工場見学を許してくれた会杜の多かったことを是非とも記録しておきたい.社史そのほかの資料は協力者の諸先生が利用されたあと,アジア経済研究所の財産として永久に保存される.中央と地方の官庁や,各種組合は勿論のこと,農家の人々も仕事の時間をさいて我々を応援して下さった.貴重なことである.
 一仕事を終えたあとの安堵と疲労のなかで筆をすすめてきたのだが,1983年には,私どもにとって大切な二人の学者を相次いで失った.その衝撃がいまなお心底に重い澱を残している.一人は,初代のアジア経済研究所長東畑精一先生である.本書をまず読んでいただきたい方の一人であった.もう一人は,5年の期間全体を通じて「農村社会と技術」研究会の主査としてご協力下さった玉城哲[あきら]専修大学教授である.灌漑問題の実態調査で各地に同行させて頂いたし,長駆エチオピアの会議と調査にも参加して下さった.ことごとに私の相談相手をしていただいた.どちらも信じられない,いや信じたくない訃報だった.
 次第に高まる私どもの要求に合わせようと無理を重ねられてのことに違いないのだが,途中から病気で臥せられている方も何人かいる.申し訳ないことをしたと臍を噛む思いで,一日も早いご快癒をお祈りしている.他ならぬ当の私も,この作業の途中で入院して手術を受けるということがあって,図らずも多くの方々に迷惑をかけてしまった.
 鎮魂とお見舞いとお詫び,そしてお礼と盛り沢山の思いが改めて吹きあがってくる.公私ともにさまざまのことがあった7年間であった.

 本書をふくめて,このシリーズの刊行に尽力して下さった国際連合大学の各位,とくに武者小路公秀,箕輪成男,内田孟男の諸氏およびアジア経済研究所の各位,そして東京大学出版会の泉亘氏に心からのお礼を申し上げたい.

 1984年9月

 「日本の経験」プロジェクト
 コーディネーター
 林 武

 [日本語版への附記]
 上記の日付けで脱稿したあと,第4部について三分の一以下に圧縮するようにと国際連合大学から求められた.「自由なスタイル」による研究活動の総括と「対話」への誘いであったものが,圧縮の結果として自由勝手なものになっているという印象を与えることがあれば協力者の諸先生には申訳ないと思う.しかし,本書はあくまでも,これから刊行される英文シリーズの読者にむけた「呼び水」であり案内板となることを任務としているので,そのために役立つと思われる最新の学術的成果を採り込んだ訂正と加筆をしている.そのことで,功罪を相殺できていれば幸いである.
 (1986年夏)