技術と都市社会

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技術と都市社会

都市と技術

論文タイトル: はじめに
著者名: 林 武
出版社: 国連大学出版局・国際書院
出版年: 1995年
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はじめに

 これは,アジア経済研究所が国際連合大学から委託されて実施した「日本の経験」プロジェクト作業の一部である。それはもう10年も前に完結した作業であるが,成果が公刊されるのは嬉しい。
 プロジェクト作業の全体は,産業技術分野ごとの研究を中核にすえながら,関連する問題たとえば(職業)教育・婦女労働や公害そして総合商社など,わが国が直面した問題と課題に焦点をあわせ,すすめられた。
 そのさい,都市がわざわざ中心的作業グループのひとつに設定されたのは,グローバルに見て都市化が緊急の問題であることによる。そのうえ,開発問題の具体的な形を示す厄介な事例だからにほかならない。その問題というよりは問題塊を一国民社会のなかでの社会変化として見れば,農村からの人口流出であり,かたわらでは農村の純農化つまり農村工業の消滅過程である。あるいは,食料供給への特化だとしてよい。このように都市と農村との関係をとらえると,『日本の経験』は非ヨーロッパ世界では稀な事例であり,驚くほどヨーロッパの事例ににているところがある。それをあえて近代化の典型とみなすならば,現在の発展途上国はそれとはまったく異なる都市化の展開をみせている。都市はたしかに人口を増大させているものの工業化が平行して発展はしていない。都市化がすすんでも都市数に増加がない。国際環境がそれを許さないのである。つまり工業化ぬきの都市化があることが今日の発展途上国の都市化を特徴づけている。もちろん工業化は低開発社会でもゆるやかに進行中ではあるけれども,その資金は大方が外国のものである。低開発の国々はどこも,農村には都市に投下する資金の余剰がない。労働力も,したがって自国内の都市をとうりぬけて,直接外国に流出することが近年は殖えてきた。
 さらには,首都だけが突出して発展し第二位以下の都市の数倍の規模の人口と各種の都市機能を集中させている。それに,技術移転も一役かっている。そこに,わが国の経験との大きな違いがある。日本でも県のレヴェルでみると県庁所在都市が第二位都市を大きくひきはなして膨張する例はすくなくない。けれども,工業都市ははっきりその存在をしめている。また県の範囲をこえて,工業都市間のみに成立するリンケージを確立している。これは,おそらく,現代史では最後の,ヨーロッパをモデルにした近代化努力の成功例であろう。今日の国際環境は幕末・明治にくらべると格段に後発者に不利である。日本にそれを可能にした条件をさぐれば,いろいろのことが指摘できょうが,その一つだけを挙げると,明治以前にすでに200以上の藩の中心都市が道路(ないし舟運や河川)で連絡されており,藩内にも都市間の階層・序列が形成されていたし,全国的な規模でも都市の階層序列が成立していた。江戸はすでに人口100万をこえていた。当時では世界最大級の都市だったが,このことは世界にあまり知られていない。藩内の都市はいずれも食料の自給ができなかつたし,食料供給に対する反対給付になる工業産品をもたねばならなかった。そのことから藩内の都市のあいだにさえ競合関係が生じていた。幕末にはすでに全国規模の市場ができていたことは,各地の都市が特産品をもつことによって可能になることだった。いわば,各都市は独自の技術と技能を形成し温存していたのである。そのことが,近代技術を移転し定着させる前提になった。このことが理由で,われわれはこのプロジェクト作業の当初から『都市社会と技術」を検討するグループを並行して発足させた。
 それは,都市が,そして都市だけが,近代技術の集積地であり,近代技術の集積そのことが新しい都市を形成するという経験律にそくしている。
 本書をこの形に最終的に纏めあげるためには,いくつもの大胆な削除・省略をしなければならなかった。たとえば日本ではじめて近代的水道を敷設した横浜市の例や東京にできた公営の近代建築のアパートのことは,都市交通の問題とともに割愛した。紙幅の都合である。公営住宅政策が展開されるのは第二次大戦後であることは国外ではほとんど知られていない。また土地政策・地価対策にいたっては今日ないにひとしい。このことは,都市と都市民の関係ならびに市民と政治の関係にかかわる問題だが,それを真正面から取り上げることはしていない。都市問題を文明論のレヴェルにひろげることをやめて,開発にかかわる操作可能と思われる問題の範囲に制限したのである。したがって,もともとの作業量の三分の一以下しか編集されていない。協力者の諸先生にはお気の毒であり,申訳のないことである。とくに倉沢進(東京都立大学)・小菅信彦(国土庁)・林郁男(東京都庁)のお三方のご協力に感謝し,ここに収録できなかったご労作は,他の場所で発表されることを期待している。すでに述べたように,成果が国連大学に提出されてからずいぶんの年月がたっているので,個別の論文の著作権壷もつ各執筆者が,この間に,ここに収めた論文をそれぞれの著者に収録・出版された例も少なくない。それらについてはそれぞれの著者に出版元との交渉をお願いした。記してお礼に代えたい。
 いまから10年ほど前,本書のための調査が取り纏められた頃から,日本の各都市に外国人労働者が増えだした。その多くは非合法な滞在者である。したがって,その人たちは日本人が市民あるいは国民として享受してい各種保険の適用をうけられないでいる。これは日本にとって全く新しい経験である。われわれにはそれを分析する用意がなかった。このことは自戒をこめて書きとめておかねばならない。
 それとならんで,日本の農村ではどこでも嫁不足が深刻な問題となり,アジア諸国から花嫁をむかえるという,全く予想をこえた事態が,保守的な農村でおきている。その結果,日本語が十分でない子供が就学するということに狼狽する所がでてきた。このような形の『国際化』をはっきりみとおしていた日本の学者はほとんどいなかった。
 1995年におきた一連の事件で,日本が世界一安全な国だというのは神話にすぎなくなったのはたしかなことながら,それでも日本の都市が安全なことは世界で群をぬいている。それが何時まで続くのか,どう変わるのかは予想できないが,だからといってすぐさま欧米都市なみになるとも思えない。日本の都市はもはやモデルにする先行例をもたないところに立ちいたった。EUの高官が日本の住宅事情をみて『うさぎ小屋」と評したことは有名だが,ヨーロッパを標準にすれば惨めな日本の状態でも,アジアの国々からすればこじんまりしてはいても,各種の機器がそろった好ましい状態ということになる。その点で日本は,いぜんとしてアジアである。しかし,先端技術の恩恵を被っている点ではアジアではない。だからこそ東京では都市部の職場まで平均で90分以上もかける通勤者が数百万もいるという事態がうまれる。別な言い方をすると,そうした東京問題をアジアとかヨーロッパとかという地理的区別にすることは意味をなさない。その双方を含んだ総体から検討するのでなければ,具体性をもちえない。都市(化)問題いまや一国だけでは処理しきれない国際的な構造ないし連鎖をもっている。その制約は,100年前に比べると,非常におおきくなっている。もちろん。明治の日本には考えられなかった援助を「南」の諸国がいまでは利用できるにしても,それに先立つ国民的な合意ができにくい事情にある。とはいえ,それは各国民の主体的な選択や意志を無効だとするものではなく,それこそが原点であることを改めて確認させるのである。各国の都市問題を解決する方向は,各国民が決定することであり,その要請にそくしてわれわれが支援し協力できるのである。主役はわれわれではない。ここで示されている問題や対策についても,それがそれぞれの場所で問題を検討するさいのヒントになることはあるかも知れないが,これが模範解答や勧告であるはずがない。しかし,初期工業化の段階の社会が共通に経験することはある。それは都市に堆積される過剰な労働力であり,貧困層の増大である。それが初期都市化の具体的内容である。都市化は極端に言えば,スラムの不定形な膨張である。そこが新しい都市形成の可能性を潜めてはいるけでども,同時に混乱と疾病と犯罪の温床になっていることもある。都市化とインフォーマル・セクターの関係,居住と保険,近隣集団など技術を周辺で支援し・育成する諸条件の検討になったのが本書ではあるが,それは技術が設備や機械からだけ構成されるものではなく,エネルギーなどの原・材料のほかに人的資源(熟練労働力と技術者)が欠かせないばかりか,ハードとソフトの両技術を調整し管理することが重要性をもつし,それらのすべてが需要に見合うのでなければならない。こうして成立する技術システムの単位が,必要な資材・部品や動力を外部から供給されうるが,それを使いこなすのはネイティブでなければならない。都市もそこにすむ人々が形成し・参加し・運用するものでなければ安定も発展も望めないだろう。日本の都市は,工業化初期の都市問題をくぐりぬけたものの,構造と水準を変えて,国際的に連動した問題を,『北」と『南」の諸社会と共有している。そのことは,本書の執筆者たちが作業の過程で経験をふかめ確認してきたことである。これが相互理解をふかめる一助になることを願っている。

1995年9月

林 武